旧中山道のドライブ旅 鳥居本宿追分から柏原宿へ
旧中山道鳥居本宿の追分まで戻ると「旧中山道 磨鉢峠望湖堂」の巨大な道標があります。道標にある望湖堂(ぼうこどう)は、摺鉢峠(すりはりとうげ)に建っていた琵琶湖を一望できる由緒ある茶屋でしたが、平成3年(1991年)の火災で消失したため現在は存在しません。また弘法大師縁の地とあるのは、摺針峠で出会った老婆が斧(おの)を石で削って針を作ろうとしていたことに弘法大師が感銘を受けたとの伝承があることによります。緩やかな道がうねりながら峠に向かっています。
800mほど上った摺針峠にある磨針神明宮の鳥居脇に望湖堂があったようです。幕末に皇女和宮も江戸へ下る途中立ち寄られたとのこと。神社の周辺には残雪があって車を止めるスペースが見当たりません。写真を1枚撮影するだけで通過しました。
峠を過ぎると視界が広がって雪が積もる畑の先に名神高速道路が見えてきました。
三叉路に道標が2つ立っています。右手へ向かう道は現代になって造られた鳥居本宿への抜け道のようです。古い道標には「摺針峠 彦根 番場 醒井」とあります。その裏側には「中山 鳥居本」の文字が読み取れます。
名神高速道路の脇に出ました。旧中山道はこの高速道路と付かず離れずのルートを通っているのです。
小さな祠(ほこら)の横で流れ落ちる清水には泰平水の名があります。すぐ先に小磨針峠(こすりはりとうげ)があるはずですがその表示は見当たりません。名神高速道路のトンネル辺りがその峠のようです。
緩やかな下り坂はさらに名神高速道路に沿って進みます。前方に見える雪山は滋賀県と岐阜県の県境にある伊吹山(いぶきやま)、日本武尊(やまとたける)が東征からの帰路、この山の神に襲われて病を得たと伝えられる山です。日本武尊はその後、大和へ戻るため現在の亀山市までたどり着いた時に力尽きて亡くなったことを古事記と日本書記が記述しています。
名神高速道路沿いの道端に「中山道 番場」の真新しい石碑がありました。
聖徳太子の建立と伝える蓮華寺(れんげじ)の門前に「瞼の母番場忠太郎地蔵尊」と書かれた大きな標柱が目に入りました。劇作家長谷川伸氏の戯曲「瞼(まぶた)の母」の登場人物(架空)です。南北朝の古戦場跡とは、元弘3年(1332年)に南朝後醍醐天皇の鎌倉幕府打倒の兵に追われた六波羅探題(ろくはらたんだい)の北條仲時(ほうじょうなかとき)は、北朝の天皇を奉じて中山道を鎌倉へ下る途中に、この番場宿で南朝軍に包囲されて主従約430名が自刃したことを指すようです。
民家の庭先に問屋場跡碑がありました。
蓮華寺の方向を振り返ってみました。
国道21号に行き当った樋口西交差点(米原ICの近く)に銅像が見えます。
番場の忠太郎像でした。伊吹山を背にして故郷の番場宿の方向を見ているようです。
ここから先は旧中山道が国道21号にほぼ吸収されます。
日本武尊の伝説に登場する湧水の「居醒泉(いさめがい)」が地名の由来となったと伝えられる醒井宿(さめがいじゅく)と近江国最大級であったと言われる柏原宿(かしわばらじゅく)を過ぎると旧中山道(国道21号)は岐阜県に入ります。(続く)
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