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2011年3月17日 (木)

旧中山道のドライブ旅 関ヶ原の合戦

岐阜県(美濃国)最初の宿場は今須宿です。
 
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関ヶ原町の市街地に入った関が原西町交差点で国道365号と交差します。石川県加賀市と三重県四日市市を結ぶ国道ですが、昔は北国街道脇往還として北国街道(北陸道)から中山道へ入る大名行列や旅人が近道として利用したルートです。
 
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ずいぶん昔に訪れたことがある関ヶ原古戦場跡を再び訪れました。今回中山道を辿る動機付けになりました。三成が家禄の半分を与えて仕官させた島左近の陣地は笹尾山麓の駐車場から一段高い場所にあります。案内看板には清興ではなく、もう一つの別名である勝猛として説明されています。
 
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石田三成が本陣を構えた笹尾山をさらに登ります。
 
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日の当たらない斜面には雪が残っていました。
 
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一番高い場所が石田三成の陣地跡です。
 
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関が原合戦陣形図には東西両軍の主力武将たちが陣を構えた場所が示されています。徳川家康は中山道(東山道)に近い左手の南宮山麓(桃配山)に本陣を構えています。一方、裏切り(反応)が勝敗を決したと言われる小早川秀秋(こばやかわひであき)は右上の松尾山に陣(オレンジ色のマーク)を構えていたことが分かります。
音声ガイド(その1その2その3
 
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石田光成が最適の場所に本陣を設置したことがよく分かります。ちなみに右端に写るのが松尾山です。
 
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石田三成陣地の少し東南に決戦地碑がありました。写真の左端が笹尾山です。
 
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関が原歴史資料館に立ち寄ったあと、徳川家康最後陣地跡も訪れました。
 
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こちらは500mほど西方の開戦地です。
 
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ここからは西軍の主力となった陣跡を紹介します。最初は神明神社の島津義弘陣跡。

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天満山(てんまやま)の北東にある小西行長(ゆきなが)陣跡
 
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宇喜多秀家(うきたひでいえ)陣跡が天満山南麓の天満神社にありました。
 
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大谷吉継(おおたによしつぐ)の墓を目指しましたが、ダムを越えて、さらに雪が残る山道をかなり歩く必要がありましたので断念。国道365号を経由して国道21号へ戻る途中に偶然見かけた奥平貞治(おくだいらさだはる)の墓に立ち寄りました。東軍に寝返ること(反応)を約束した小早川秀秋の監視役を家康から命じられた人物です。松尾山にいた秀秋の決心を促(うなが)して友軍の大谷隊を攻撃させ、その時に陣頭に立って戦ううち大谷隊に押されて松尾山麓へ後退した際、討ち死にしたと言われます。
 
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笹尾山から望むことができた桃配山(ももくばりやま)の徳川家康最初陣地跡の脇を交通量の多い中山道(国道21号)が通っています。
 
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桃配山とは変わった名前です。壬申の乱の時に大海人皇子(天武天皇)が不破(現在の岐阜県不破郡関ヶ原町野上)にあった野上行宮(のがみあんぐう、尾張大隅の私邸)からこの山へ出陣、兵士を励ますために桃を配ったという伝説から付いた名称です。地元観光協会によると行宮跡は真念寺の南の高台にあったと推定されるそうです。徳川家康はその故事にあやかってこの伝説の地に初陣を構えたようです。(続く)

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