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2011年4月16日 (土)

旧東海道ドライブ旅(三重県) 四日市宿(下)

四日市宿の中心部を抜けた旧東海道は再び街道筋の雰囲気に戻ります。浜田郵便局の隣にある浄土真宗崇顕寺前で「丹羽文雄生誕之地」の石碑を見掛けました。この寺の住職の長男として生まれ、一旦は父の寺の僧侶となりますが文学の道へと進み、昭和を代表する小説家となった人物です。
 
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丹羽文雄氏と言えば親鸞(しんらん)や蓮如(れんにょ)を描いた小説が有名ですが、生い立ちが影響したと言われる風俗小説も多数書いています。私には昼過ぎにテレビで放送された「よろめきドラマ」(不倫ドラマ)の原作者のイメージがあります。
 
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近鉄名古屋線のガードを潜ると旧東海道は近鉄内部線寄りにルートを変えます。赤堀駅近くの街道筋に一際目立つ古い建物がありました。創業が寛3年(1750年)で、軟膏(なんこう)の製造販売で200年以上続く、鈴木製薬所(現在の鈴木薬局)です。嘉永5年(1852年)に建てられたことが説明されていました。
 
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20mほど先の四ツ辻角にある案内標識に「ここは鹿化川(かばけがわ)左岸」と表示されています。天白川支流の鹿化川は、地図によると400mほど先ですから、流れが変わったのかもしれません。
 
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用水のような小川を渡った赤堀南町の四ツ辻にある案内標識には日永(ひなが)と表示されています。
 
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鹿化川を渡った旧東海道は枡形のように折れ曲がって日永に入ると大宮神明社がありました。
 
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次いで創建が貞観6年(864年)と伝えられる興正寺。親鸞上人が立ち寄ったことで天台宗から浄土真宗に改宗したことが説明されています。
 
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街道の反対側に立派な和風住宅があります。見るからに新しいのですが京都の町屋風に黒壁と竹製駒寄せ(犬矢来、いぬやらい)のコントラストが綺麗(きれい)です。
 
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天白川を渡りました。日永神社の境内(けいだい)に日永の追分(ひながのおいわけ)にあった道標が移転されているそうです。
 
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日永の薬師堂の前を通ります。
 
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旧東海道の石碑の後ろに見えるのは稲垣木吉顕徳碑で、日永村の名があります。その先は日永小学校です。
 
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すぐ横に立てられた東海道総合案内に描かれた地図は大変見やすく、事前にこのコピーを入手していれば旧東海道の道筋を求めて右往左往することはなかったのにと悔(く)やまれます。国道1号に合流した先に日永の追分があることを確認できました。
 
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緩(ゆる)やかにカーブしながら街道が住宅地に続いています。
 
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東海道名残の一本松を振り返って撮影しました。旧東海道の道幅は約5.5mで今も変わっていないと説明されています。
 
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前方に国道1号へ合流する追分交差点が見えてきました。ついに日永の追分に到着です。四日市宿と石薬師宿との間にあって「間の宿」と呼ばれ、旅籠や茶店が多数あったそうです。前回紹介した笹井屋本舗もこの辺りに店を出していたのでしょう。前方の信号機脇に鳥居と石碑らしきものが確認できます。おそらく伊勢神宮遥拝(ようはい)用の「二の鳥居」でしょう。ちなみに「一の鳥居」を桑名宿で見ています。
 
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「二の鳥居」に注意を奪(うば)われた私は何を血迷ったのか、追分交差点を押し出される形で、国道1号を直進していました。こちらは伊勢街道方面で、右手にそれる県道407号が旧東海道でした。迂闊(うかつ)にもまたまた判断ミスを犯してしまいました。(石薬師宿へ続く)

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