旧東海道ドライブ旅(三重県) 庄野宿
関西本線の下を潜ると田園風景が広がり、旧東海道は右に折れます。
関西本線の横を農道のようになった旧東海道が真っ直ぐ伸びています。その先でやや左斜めに方向転換して国道1号に沿って進むようです。小川を渡ると県道27号に行き当りますから、県道を経由して国道1号に出れば良さそうです。しかしここで予期しなかったトラブルが立て続けに発生しました。県道へ入る急な上り坂に差し掛かった時に、何と県道から軽自動車が旧東海道に侵入してきたのです。車がやっと通れる狭い道幅ですから、てっきり相手が後退してくれると思いましたが、軽自動車は急坂をどんどん下りてくるのです。50m以上も狭い道をバックして脇道へ退避! フーーッ!!
何とか県道27号(神戸長沢線)へ入りましたが、交通量が多くて、とても右折できません。止むを得ず反対方向であることを承知で県道を走りながらUターンする場所を探しました。堤防へ逃げることも出来たようですが、後続車に急(せ)かされて、鈴鹿川に架かる定五郎橋(さだごろうばし)を渡ってしまいました。その先は交通量も減って信号のある交差点が所々にありますから方向転換が可能でしたが、やや冷静さを失ってフォーリングダウン・シンドローム(落下症候群)を発症した私は鈴鹿市の中心部を目指していました。この病名は私のいい加減な命名ですが、これまでに宮城の作並街道(さくなみかいどう)と千葉の鋸山(のこぎりやま)で発症したことを関連記事で紹介しています。市街地に入ると鈴鹿市の中心部なのにやたらと神戸(かんべ)の地名表示が目立つことが不思議です。四日市宿の記事で触れた三日市や十日市の地名もありました。
後で知りましたが、神戸とは鈴鹿川の南にある地域で、伊勢平氏の流れを汲む神戸氏の居城であった神戸城址と神戸氏によって城下を通過するように大きく曲げられた伊勢街道の神戸宿跡があります。また律令時代は神戸に伊勢国の国府があり、現在は広域合併により鈴鹿市の中心部となりました。ちなみに織田信長の三男、信孝が神戸氏の養子となり跡を継いだため神戸信孝(かんべのぶたか)とも呼ばれたそうです。
神戸の読み方は「かんべ」の他に「こうべ」「ごうど」「かみど」など多様ですが、「かんべ」と言えば私は昭和30年代に活躍した歌手で映画俳優だった神戸一郎(かんべいちろう)さんを思い出します。デビュー曲の「十代の恋よさようなら」や「銀座九丁目水の上」が一世を風靡(いっせいをふうび)しました。伸びやかな歌声と郷ひろみさんにちょっと似た甘いマスクが人気で、多くの映画に出演しています。ところで神戸市出身なのにどうして「かんべ」なのでしょうか。
思いがけず鈴鹿市の中心部と織田信孝の頃に真黒川(まくろかわ)に架かっていたという石橋跡(神戸2丁目ポケットパークにある解説板の両側の石柱は橋の欄干を再利用)に立ち寄ることが出来ました。「怪我の功名」(けがのこうみょう)と言いたいところですが、本当は悔(くや)し紛(まぎ)れの強がりです。いずれにしても時間と紙面を浪費したようですから先を急ぐことにします。
元来た道を約4km戻って上野交差点で国道1号に入りました。同行者は何をしているのかと怪訝(けげん)そうです。いつも寝てばかりいる助手席のナビゲータはこの頃、なぜか運転者の挙動(きょどう)を鋭(するど)くチェックしているようです。国道1号の庄野町交差点を右折して旧東海道に行き当たりました。
旧東海道は一つ手前の庄野北交差点を右に折れていますから、少し北方向へ戻ることにします。先ず庄野宿の脇本陣跡の看板が掛けられた民家が見つかりました。
次いで高札場跡
そして集会所の前に本陣跡と彫られた石柱がありました。
本陣跡から宿場内の様子を北方面と南方面に向かって撮影しました。この先に庄野宿資料館があるようですが神戸行きで時間を浪費したばかりですから先へ進みます。
200m余り南にある川俣神社(かわまたじんじゃ)は樹齢推定300年のスダジイ(推の木)が有名です。
目通し幹囲(幹のまわりの長さ)が5.1m、樹高11.2m、枝張りは東へ6.6m・西方へ7.2m・南へ7.4m・北方へ6.3mもあるそうです。
庄野宿の石碑がありました。ここが京寄りの入口のようです。
旧東海道は汲川原町交差点で国道1号を斜めに横断しますが、人はもちろん、左折のみ可の車も迂回(うかい)する必要がありました。
鈴鹿市汲川原町(くみがわらちょう)に神戸領との境界を示す「従是東神戸領」の石柱がありました。ちなみに「従是東」は「これより東」と読みます。後方は女人堤防碑。洪水で難儀(なんぎ)をしていた汲川原村の農民(女性)が洪水を避けるために神戸藩によって禁止されていた堤防を文政年間(1818-1829年)に築いたことの功績を称(たた)えるものとされます。なぜ女性かと言えば禁を破った者は打首に処せられる恐れがあったからです。捕らえられた女たちは処刑直前に家老が藩主を諌(いさ)めたことで許されたとの言い伝えがあるそうですが、話が出来過ぎているように思われます。
少し先の左手にある川俣神社の境内に中富田一里塚跡の石碑がありました。
写真では幟(のぼり)の影に少し隠れていますが、右隣には「従是西亀山領」の石柱が並んでいました。案内板には中富田村は亀山領の東端にあって隣の神戸領に接していたと説明されています。
常念寺を過ぎるとまたまた川俣神社があります。後で調べると鈴鹿市の鈴鹿川沿いには5つの川俣神社があることが分かりました。これまでに立ち寄った3つの他に平田本町と和泉町にも川俣神社があるのです。鈴鹿川に多数の支流があることの表れでしょう。ちなみに川俣(かわまた)とは川が合流(あるいは分岐)する場所を指します。
安楽川(あんらくがわ)の堤防に行き当りました。もちろん鈴鹿川の支流の一つです。現在の和泉橋は少し下流にありますからコの字型に迂回する必要があります。橋を渡り終えると井田川小学校に行き当って右手に折れます。そして道なりに進んで県道641号に合流、さらに進むと関西本線を潜り、小田町交差点で国道1号に出ました。(亀山宿へ続く)
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