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2011年4月17日 (日)

旧東海道ドライブ旅(三重県) 石薬師宿

追分交差点のすぐ先にある大治田(おばた)一交差点の立体交差で国道1号は左に折れました。ちなみに直進する県道103号(伊勢街道)は鈴鹿市で国道23号と合流して伊勢へ向かいます。そして国道1号は約1km先の小古曽(おごそ)交差点で旧東海道(県道407号)を吸収して内部川(うつべがわ)を渡ります。内部橋北詰で川原に奇妙なものを発見、気になりますから堤防上の道に車を一時退避しました。巨大な土嚢(どのう)を積み上げて橋桁(はしげた)の工事をしているようです。
 
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国分町交差点で四日市市から鈴鹿市に入ります。左手の道が旧東海道です。
 
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集落の中を800mほど進むと木田町大谷交差点で国道1号に合流します。交差点の手前に旧東海道の道筋と歩行者向けのルートが説明されていました。国道1号に合流した旧東海道は川を渡ったところで右手へ離れて行くことは分かりますが、車が右折できるかどうかは示されていません。

 
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交差点に到着。信号待ちをしながら交差点の先の様子を伺(うかが)いますが、国道1号は左手へカーブしていますから、旧東海道が分かれる地点は確認できません。
 
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中央分離帯には低いフェンスが設置されていて残念なことに右折は出来ません。約1km先の石薬師町交差点まで迂回(うかい)する必要がありました。名前からして石薬師宿(いしやくしじゅく)の最寄り交差点のようです。中赤外線(IR)と紫外線(UV)をカットするフロントガラス越しに撮影したため画質が劣化しています。
 
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旧東海道44番目の宿場である石薬師宿の大きな看板が出迎えてくれました。
 
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道路の反対側、石薬師小学校前交差点の角に真新しくて見やすい案内標識が立っています。右手方向が石薬師宿の中心地のようですから右折することにしました。
 
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最初に立ち寄ったのは佐佐木信綱記念館。昔の偉い武将のような名前だと思いながら石薬師宿の説明書きを読み、佐佐木信綱博士(旧名は佐々木)は明治初期にこの地で生まれた歌人・国学者(万葉集研究の第一人者)であることを知りました。ちなみに唱歌の「夏は来ぬ」は佐々木信綱さんの作詞でした。同居者と私がともに好きな元童謡歌手、小鳩くるみさん(目白大学教授鷲津名都江さん)の歌も紹介します。(注、残念なことに削除されました) 出だしの「♪卯(う)の花の匂(にお)う垣根に♪」は故郷である石薬師宿の思い出かもしれません。ここでプチ薀蓄を一つ。「来(き)ぬ」とは「来ない」の意味ではなく、文語では「来た」を意味します。ちなみに文語の「来ない」は「来(こ)ぬ」です。
 
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右手の木造住宅が5歳の頃に一家が松坂へ移住するまで住んだ生家で、左手の建物が記念館でした。裏手は石薬師小学校です。
 
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隣の石薬師文庫前に立派な歌碑があります。
 
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小澤本陣跡(旧小沢本陣休憩所)は和モダンの白塀が美しい民家となっています。
 
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格子(こうし)を配した風情ある燐(とな)りの家にも小澤本陣跡と表示されています。元和2年(1616年)に幕命(ばくめい、幕府の命令)により高富村に設立された宿の名は当時有名であった石薬師寺からとったと説明されています。小澤(おざわ)の表札が懸(か)かっていますから本陣を営んだ小澤家がそのまま住んでいらっしゃるようです。
 
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宿場跡はゴミ一つ見当たらないほど綺麗に掃除されているのが印象的です。
 
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国道1号との分岐点近くに石薬師宿の石碑が立っています。その横の案内看板には「信綱かるた」のことが書かれていました。右手の小さな立看板が第1首のようです。そして小沢本陣跡でも見かけたのも36首の一つだったのです。
 
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こちらは石薬師宿の案内図です。後先になりましたが石薬師宿はこうなっていたのかと得心しました。この場所は北町の地蔵堂と表示されています。宿場を南に抜けると旧東海道は国道1号の上を横切るようです。道筋の確認はもう怠(おこた)りません。
 
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宿場内を石薬師小学校南交差点まで戻り、さらに南方向へ道筋に従って進みました。小さな宿場だったようで、少し走ると国道1号の上に出ました。陸橋を渡った右手にある弘法大師縁の石薬師寺と左手にある石薬師の蒲桜(がまざくら)を迂闊(うかつ)にも気づかずに通り過ぎてしまいました。坂道を下りて集落を抜け、小川を渡った先の四ツ辻に「石薬師の一里塚跡」の石碑を見つけました。
 
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隣に石薬師宿の石碑が立っていますから、ここが出口(京都寄りの入口)のようです。石薬師宿の入口(北町の地蔵堂付近)で見た案内図と同じものが立て看板となっていました。前方に進むと国道1号に出ますが、庄野宿方面は左手の坂道を下りるように案内され、ここにも信綱かるたの説明があります。
 
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旧東海道は関西本線の下を潜(くぐ)るようです。
 
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(庄野宿へ続く)

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