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2011年4月25日 (月)

旧東海道ドライブ旅(三重県 最終回) 坂下宿

関宿の「西の追分」で国道1号へ合流した旧東海道は上り勾配(こうばい)となって次の坂下宿(さかしたじゅく、東海道五十三次の48番目)へ向かいます。市瀬(いちのせ)交差点付近で国道1号は大きく右にカーブして山間(やまあい)に入って行きます。
 
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山川運輸の脇を通過します。その先の山陰(やまかげ)で旧東海道は右手の脇道にそれていますが、それに気づかずに通り過ぎてしまいました。
 
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旧街道の雰囲気が感じられないので道を間違えたのではと思っていると、1km余り先に沓掛交差点があります。沓掛(くつかけ)は旧街道に良くある地名で、旅人が無事を祈って道祖神(どうそじん)などに草鞋(わらじ)や馬沓(うまぐつ)を掛けて手向(たむ)けたことを意味しますから、旧街道を大きく外れたわけではなさそうです。慌(あわ)てて右折しました。ちなみに国道1号はこの交差点から先が上りと下りが別の道路となっています。日光のいろは坂ほどではありませんが現在も国道1号の難所なのです。
 
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地図で確認すると沓掛の集落を国道一号で通り過ごしたようです。東海道五十三次坂下宿の案内がありますから一安心(ひとあんしん)しました。
 
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小川を渡ったところで道が左右に分かれます。どちらへ進むべきか迷いましたが旧東海道鈴鹿峠(すずかとうげ)の表示がある左手へ向かいました。坂下宿を下調べした時に標識にある片山神社の名を見た覚(おぼ)えがあります。
 
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先ほど行き当った建物は鈴鹿馬子唄会館でした。その近くに坂下宿(阪之下 筆捨山)の画がありますからこの方向で間違いなさそうです。筆捨山の名は狩野元重が描こうとしたもののあまりの絶景に筆を捨てたといわれることに由来するとのこと。歌川広重は筆を捨てなかったようで岩山と茶店を対比させて立体的に描いています。
 
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鈴鹿馬子唄発祥の地の石碑がありました。関の小萬を歌った民謡ですが、仇討ちを遂(と)げた「関の小萬(こまん)」と近松門左衛門作「丹波与作待夜の小室節」に登場する「遊女小萬」の二人がその歌詞に織(お)りこまれているそうです。
 
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石碑の脇から右手に入る脇道に沿って近畿地方の東海道五十三次の宿場を示す木の標識が並び、「東海道」「鈴鹿馬子唄会館」「鈴鹿峠自然の家」の名前も小さな木札に書かれています。馬子唄会館は通り過ぎたばかりであり、地形から見ても右に折れて急坂を登るのは不自然に思えて、来た道を直進することに決めました。
 
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私の勘(かん)ナビ勘ピューター)はまだ健在のようで、少し先に東海道五十三次の48番目「坂下宿」の案内板がありました。慶安3年(1650年)に大洪水があったため、それまでの片山神社下から現在地へ移転したと説明されています。なぜか「現在地」の説明がありません。「ここです」と言外(げんがい)に匂(にお)わしている?
 
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続きを読むとどうもこの集落が坂下宿跡のようです。説明文には本陣3軒・脇本陣1軒・旅籠48軒を数える東海道有数の宿と書かれていますので確認しようと300mほど走りましたが、集落内で往時をしのばせる建物や本陣跡などの標識を見つけられません。帰宅後に確認すると本陣・脇本陣跡の石碑があることが分かりました。

言い訳になりますが、実は関宿を抜けて山間に入った辺りから居眠りをしていたはずの同行者が目を覚まして、「あッ!杉花粉がタワワに実っているじゃない。早く高速道路に入ってよ!!」と喚(わめ)き始めたのです曖昧(あいまい)な返事をしながら走ると、家並みを抜けた場所で、岩の上に載(の)る2躰(たい)の石像が目に入りました。旅姿ではなく、村の名主や
庄屋といった風体(ふうてい)ですから、360年前の大洪水と何か関係があるのかと思いましたが、残念ながらこちらも確認できません。
 
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道端(みちばた)に岩屋十一面観世音菩薩の石碑がありました。清滝という岸壁を流れ落ちる小さな滝がある岩窟(がんくつ)に阿弥陀如来・十一面観音・延命地蔵の三体が安置されているそうです。
 
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国道1号に行き当りました。右手の脇道となった旧東海道をそのまま進めば片山神社に至(いた)るようですがその先は車が通行止めになっているはずです。一段とエスカレートした同行者の抗議(こうぎ)に抗(こう)しきれず国道1号の上り車線を横断、大津方面の案内に従って下り車線に入りました。
 
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新鈴鹿トンネルを潜(くぐ)ります。
 
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新鈴鹿トンネル(長さ395m)を抜ければ滋賀県に入ります。最後の坂下宿だけが、孔子の言葉通りに「見れども見えず」の状態に陥(おちい)り、消化不良(欲求不満)に終わったことは悔(く)やまれます。再挑戦を誓(ちか)いながらアクセルを踏んで急坂を駆(か)け下りました。

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<同行者のコメント> 亀山の温泉はとても良かったです。宿場町はどこも同じなのに、旦那さまは今回も喜々として走り回っていました。とんでもない方角に走った失敗を素知(そし)らぬ顔でごまかしてもちゃんと分かりました。出発時に予防薬を飲んだはずなのに急に花粉症の症状が出たのは変だなと思いましたが、何と杉林の真ん中にいたのです。意地悪(いじわる)は止めて下さいね。甲賀土山ICから高速道路に入った時にはやっと生き返った心地(ここち)になりました。(終)

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