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2011年5月に作成された記事

2011年5月31日 (火)

九十九里浜でサイクリング・デビュー@飯岡九十九里自転車道(前編)

県道30号(九十九里ビーチライン)は匝瑳市(そうさし)を抜けて旭市(あさひし)に入ります。ちなみに前回ドライブした時は逆方向に走りました。県道沿いに「太平洋岸自転車道」の標識が何カ所も設置されています。海岸沿いの自転車道の様子を確認したくなりますが、目的地はもっと先ですからそのまま走りました。
 
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旭市に入って2km余り走ったところで右手に見える立派な建物の「かんぽの宿旭」も休業中の表示が出ています。
 
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さらに6kmほど進むと県道の左側に「国民宿舎 食彩の宿 飯岡荘」がありました。事前の調べでは東日本大震災の影響で休業中とhpに書かれていましたが、その通りクローズしていました。
 
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飯岡荘の入口脇に「座頭市物語の碑」が立っていることに気付きました。調べてみると人気映画「座頭市シリーズ」の第一作として1962年に製作されたこの映画は飯岡(いいおか)を舞台とする「天保水滸伝」(てんぽうすいこでん)を題材としたそうです。
 
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県道を横断して海岸に向かいました。「潮騒ふれあい広場レストハウス」の外観に損傷の痕(あと)は見られませんが、すべてのガラス戸と内部がかなり酷(ひど)く破損していました。やはり津波が押し寄せていたのです。
 
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飯岡海岸護岸工事竣工碑はシンプルですがレストハウスと調和させたデザイン。
 
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砂浜に続く自転車道に出て驚きました。レストハウスに隠れて県道側からは見えなかったのですが、右手の自転車道と松林の間に大量のガレキ(瓦礫)が積み上げられていました。手前の案内標識も大きく傾いています。
 
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野良猫と遊んでいた年配の方に思い切ってお尋(たず)ねしました。「流されてガレキとなった付近の住宅を集めた。自分は当日、飯岡荘の温泉に入っていた。地震で浴槽の湯が溢(あふ)れ出て半分になったので、慌(あわ)てて銚子の自宅へ帰った。二回目の津波が大きかった」など当日の様子を話して下さいました。
 
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県道30号をさらに走って飯岡漁港の脇にある飯岡みなと公園に到着。
 
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公園の反対側にある駐車場に車を停めました。
 
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公園と港には津波被害の痕(あと)は見られませんが、駐車場の北側にも大量のガレキが積み上げられています。
 
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前回訪れた時は通り過ぎた公園に飯岡町観光案内図があります。目当ての飯岡九十九里自転車道(太平洋岸自転車道の一部)が詳しく説明されています。飯岡町は旭市と合併する前の住所表示で、現在は旭市飯岡となっています。海岸防波堤脇の歩道に大きな穴が空いていまました。
 
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海岸防波堤越しに海側を覗(のぞ)くと津波の影響は見られません。波の力を著しく弱めることができる消波ブロック被覆(ひふく)堤が機能したのでしょう。
 
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カラー舗装された自転車道を走り始めると、最初の曲がり角の舗装が大きく抉(えぐ)り取られていました。

 
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砂浜で遊ぶ家族の長閑(のどか)な風情(ふぜい)を見ていると津波の被害が嘘(うそ)のように思われます。
 
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(続く)

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2011年5月29日 (日)

「超訳 ニーチェの言葉」を読む

本屋の店頭に平積(ひらづ)みされた真っ黒い装丁の単行本が目に入りました。そのタイトルは何と「超訳 二ーチェの言葉」(2010年発行・白取春彦編訳)です。今さらなぜニーチェなのか? 超訳とは? 疑問と好奇心が私の心にふつふつと沸き上がりました。そして表紙をめくると見開きに「世に知られることのなかった明るいニーチェがここにある」「自分を常に切り開いていく姿勢を持つことがこの人生を最高に旅することになるのだ」などのキャッチフレーズが書かれています。ミーハーな気持ちで読んでみました。

2011_05270012 ニーチェとは19世紀のドイツの哲学者であるフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェのことです。実存主義の先駆者であり、18世紀に生まれたニヒリズム(虚無主義)を「超人思想」へと発展させた人物で、その代表的な著作「ツァラトゥストラはかく語りき」は音楽家のリヒャルト・シュトラウスに有名な同名の交響詩を作曲させる切っ掛けとなったと言われます。ちなみになお、ツァラトゥストラとはゾロアスター教(拝火教)の開祖ザラスシュトラの名前のドイツ語的な読み方です。映画「2001年宇宙の旅」(2001:A Space Odyssey)のオープニング曲として使われました。

本文の「はじめに」にはニーチェという「変わった人物」が紹介されます。そして訳者は「ニーチェの哲学は決して難しくない。少し読んでみれば、興奮を覚えるだろう。ニーチェの文章が読者を興奮させるのではなく、自分の頭で考えるという生々しさに読者が刺激とインスパイアを受けるからだ。そこにニーチェの最大の魅力がある」と読者を鼓舞(こぶ)します。

2011_05270008 期待を持ってページを繰(く)ると分野別に整理された232の言葉が並んでいました。その最初の分野は「己について」。その最初の言葉「初めの一歩は自分への尊敬から」において「自分の人生をまっとうさせるために先ずは自分を尊敬しよう」とニーチェは語ります。そして「自分の評判など気にするな」「一日の終わりに反省しない」が続きます。少し先には「自分の行為は世界に響いている」「自分は常に新しくなっていく」「恐怖は自分の中から生まれる」「努力を続ける」なども

2番目の分野「喜について」では「朝起きたら考えること」(人に喜びを与える)「一緒に生きていくこと」「楽しんで学ぶ」「この瞬間を楽しもう」「精神が高まるほど繊細なものを喜べる」が印象に残ります。これに次ぐ「生について」では「始めるから始まる」「人生を最高に旅せよ」(自分を常に切り開いていく姿勢を持つことがこの人生を最高に旅することになる)「脱皮して生きていく」「計画は実行しながら練り直せ」「所有欲に征服されるな」が並ぶ。

2011_05270010 「心について」では「軽やかな心を持つ」「風景が心に与えるもの」「心の生活習慣を変える」「勝利に偶然はない」「飽きるのは自分の成長が止まっているから」「疲れたと感じたら、考えない、思わない」(休んだり寝たりするに限る)など。「友について」は「四つの徳を持て」「自分を成長させる交際を求める」「必要な鈍さ」(社交のコツ)「友情の才能が良い結婚を呼ぶ」が。

「世について」では「世間を超えて生きる」「安定志向が人と組織を腐らせる」「あらゆる人から好かれなくていい」「責める人はみずからをあらわにする」「批判という風を入れよ」「悪人には自己愛が足りない」「ニセの決断」(頑固さではなく理性的な判断を)があり、「人について」では「心理を考えて伝える」「体験だけでは足りない」「勝つなら圧倒的に勝て」「人生を行くときの手すり」「夢に責任を取る勇気を」(過失には責任を取ろうとするのにどうして夢に責任を取ろうとしないのか)「切れ者でありながら鈍くさくあれ」「小心者は危ない」「持論に固執するほど反対される」「お喋りな人は隠している」など。

2011_05270002 「愛について」では「そのままの相手を愛する」「新しく何か始めるコツ」(広い愛を持つ)「夢の実現に責任を持て」「愛は赦す」「真実の愛に満ちた行為は意識されない」「最大のうぬぼれ」(愛されたいという要求)「愛する人は成長する」などが続く。「知について」では「本質を見分ける」「視点を変える」「勉強はよく生きることの土台となる」「本を読んでも」(読み散らさない)「読むべき書物」「物事の完成まで待つ忍耐を持つ」「理想への道筋を見つける」「学ぶ意志のある人は退屈を感じない」「力を入れすぎない」「自分に才能を与える」「心をもっと大きくする」「表現は素直に」。

「美について」では「理想や夢を捨てない」「絶えず進んでいく」(より高みを目指せ)「対比によって輝かせる」「美しく見る眼を持つ」「人を育てるには拒絶しないこと」「感覚を愛しなさい」「良いことへの道」(すべての良い事柄は遠回りの道を通って目的へと近づいていく)「自分しか証人のいない試練」(人知れず正直に生きる)が。

2011_05270004 心に響いた言葉を厳選したつもりでしたが、全体の約3割をピックアップしてしまいました。ベストテンのランク付けをするつもりではありませんから、お読みになった方がお好きな言葉を探して下さい。私はこの中で「夢に責任を取る勇気を」と「本を読んでも」が心に残りました。

そうそう、忘れるところでした。「超訳」の意味です。天馬龍行氏(本名:益子邦夫・アカデミー出版社長)が考案した翻訳法で、作者が何を言おうとしているのかを主眼にして、読者が読みやすいよう自然に訳すという翻訳法、つまり直訳でも意訳でもない新しい手法なのです。蛇足ですが、本書に掲載されている内容は訳者が二チェの著作から選び出した魅力ある言葉の集合であって、ニーチェの思想を説明するものではありません。念のため!
 
注釈;掲載した写真は本題と関係のないイメージ表現で、いずれも都内大田区の蒲田駅周辺で撮影しました。上から順に東京工科大学蒲田キャンパス・同所の彫像「明日に」・同じく「希」・東急多摩川線改札口近くにある花壇の風景(2枚)です。

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2011年5月27日 (金)

九十九里浜でサイクリング・デビュー@蓮沼海浜公園(後編)

舗装(ほそう)が途絶(とだ)える砂浜の車止めに自転車を固定、海を目指して砂浜を歩きました。映画「アラビアのローレンス」で主人公のローレンスがシナイ砂漠を横断してスエズ運河に行き当ったシーンのようだと大袈裟(おおげさ)なことを考えました。映画ではスエズ運河を航行する船の汽笛で運河の存在を知ったローレンスでしたが、私は波の音で海の存在が分かります。
 
 
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そして九十九里の長大な海岸線と広大な太平洋が眼前(がんぜん)に広がりました。
 
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砂浜の中に舗装されたサイクリングロードが一直線に伸びています。「太平洋岸自転車道」のようです。写真は南のいすみ市方面。
 
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銚子市の隣町である旭市の飯岡(いいおか)からいすみ市の深堀(大原の北隣り)まで50km以上の長さがあるサイクリングロードです。東日本大震災の影響を大きく受けたと事前に聞いていましたが、私の本格的なサイクリング・デビューの地としてこの素晴らしいサイクリングロードを走ってみることにしました。砂浜の端に駐(と)めた自転車を取りに戻って先ず北の飯岡方面に向かいます。
 
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綺麗(きれい)な砂浜には浜昼顔(はまひるがお)が咲いて津波の被害は確認できませんが、ヤフーの航空写真で事前に確認した海の家の姿は見当たりません。
 
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少し興奮(こうふん)しながら慎重(しんちょう)に走りました。砂が気になっていましたが200mほど先でやはりサイクリングロードはすっかり砂に埋もれています。
 
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反対の片貝方向へ走ってみました。なぜか鯨(くじら)のオブジェがあります。2年前の7月初め、マッコウクジラが打ち上げられて死んだため殿下海水浴場の海岸に埋められたことと関係がありそうです。
 
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路肩(ろかた)が大きく損壊(そんかい)している場所を見つけました。
 
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所々で砂に埋もれたサークリングロードの様子は飯岡方面と同じでした。
 
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自転車を押して歩くことで何とか通過しましたが、その先は草が生え始めて元の砂浜のようになっていますから、元来た道を引き返すことにします。
 
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わずか数百メートルでしたが「太平洋岸自転車道」にデビューしたことは大満足でした。
 
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自転車道から元の自動車道路へ戻る途中に窪地(くぼち)に横たわる鉄塔を見つけました。砂地の基礎部が弱くて津波に押し倒されたのでしょう。
 
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先端に大きく変形したスピーカーが付いています。
 
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表通り沿いの歩道を走りました。グランドゴルフ場脇を通過。
 
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一直線に伸びる快適なコースです。
 
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展望塔が見えればゴールの第3駐車場はもう直(す)ぐです。
 
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次の目的地を目指して県道30号(九十九里ビーチライン)を北へと走りました。

<同行者のコメント> 千葉へ出かけるというので車に乗ると、いつもは見ない折り畳み自転車が後部座席に置かれていました。旦那さまの好きな映画「トリック」の主人公が言う「お前のやったことは、まるっとスリっとゴリっと、エブリシングお見通しだ」のせりふ通りにサイクリングへ出かけることは見え見えです。走り出してから「千葉のどこ?」と聞くと、「北東部の九十九里浜」の返事が。そして高速道路を走っているとアイフォーンの「ゆれくるコール」が警報をけたたましく鳴らして「震源は千葉県北東部!」と伝えます。もう気が動転、私は震源地へ向かっていたのです。あとは駐車場でじっとガマンでした。サイクリングを楽しむ旦那さまを暑い車内で待つのもつらいです。(続く)

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2011年5月26日 (木)

九十九里浜でサイクリング・デビュー@蓮沼海浜公園(中編)

子供広場に沿ってミニトレインの線路に挟まれたサイルクリングロードが続きます。
 
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アスレチックガーデンの脇を通過したところで右手の海岸へ向かう道が見えました。右側のミニトレイン用レールもそちらへ向かいます。しかし橋の先の舗道は砂に埋もれていますから、直進することにしました。
 
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「車両侵入禁止」の標識がありますが、自転車は軽車両だからと言い訳しながら、そのまま直進しました。
 
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カラー舗装となって直線的に伸びるサイクリングロードを快調に走るとグラウンドゴルフ場の前方に陸橋が見えます。始めての難所です。
 
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ローギアに切り換えて急坂を一気に上って先ほど車で入ろうとした中下(なかした)海水浴場へ向かう自動車道路の上を通過します。
 
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陸橋の高みに上ると意外な物が目に入りました。どう見てもガレキ(瓦礫)を積み上げた小山です。東日本大震災で破壊された建物をこの第2駐車場に集めたと思われます。
 
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陸橋を下りるとサイクリングロードの両側をフェンスが取り囲みます。
 
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小川沿いのサイクリングロードはさらにウォーターガーデン脇を直線的に通過するはずですが、何故か金網のゲートが閉まっています。
 
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今度は表通りまで押し出されてしまいました。
 
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長く伸びるウォーターガーデンに沿って歩道を走ります。
 
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ウォーターガーデンの入口脇で給水のため休憩しました。
 
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歩道のタイルが剥(は)がれている場所があります。大震災の影響かもしれません。
 
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ウォーターガーデンからテニスガーデンと水の広場へと歩道は続きますが、第1駐車場の手前を右に入って殿下(とのした)海水浴場を目指しました。
 
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蓮沼ガーデンハウス・マリーノの脇を通過、サイクリングロードの標識がありますからコースは間違ってはいないようです。
 
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ここで殿下橋を渡って海岸に出てみることにしました。先ほど殿下海水浴場の案内看板がありましたから行けるはずです。ここにも「車両通行禁止」の標識はありますが自転車を乗り入れると、前方に砂浜が見えて来ました。
 
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蓮沼海浜公園と砂浜の間にある保安林「蓮沼海浜の森」を横切ります。 
 
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(続く)

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2011年5月25日 (水)

九十九里浜でサイクリング・デビュー@蓮沼海浜公園(前編)

折り畳み自転車を購入して3カ月近くが経って近所を走り回ることに慣れた私はいよいよ本格的なサイクリングに挑戦することにしました。デビューするサイクリングコースとしては、レンタサイクルで走ったことのある国営昭和記念公園のサイクリング専用コース(全長14km)や江東区立若洲公園サイクリングロード(都立若洲海浜公園の外周・往復約6km)、あるいは多摩川左岸のサイクリングロード(約50km)あるいは右岸のサイクリングコース・城南島海浜公園などが思い浮かびます。

しかし欲張りな私は、これら近場のサイクリングコースではなく、もう少し遠くの本格的なコースでデビューすることにしました。朝の渋滞が始まる前に首都高速から京葉道路を経由して千葉東金道路で山武市の松尾横芝ICを目指しました。外国の要人が来日していることによる特別警戒のためか首都高速の主要ICには機動隊バスと隊員が配置されて物物(ものもの)しさはありましたが、何時(いつ)になく車が少ない高速道路を快調に走って東金ICに差し掛かりました。千葉東金道路は左に折れてさらに続きますが、気が変わった私は直進して国道126号へ出ました。
   
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実は一般道路も走ってみたくなったのです。千葉市と銚子市を結ぶ直線的な国道126号は東金駅を回り込むように方向を変えて千葉東金道路と並走するように山武市を目指します。田間交差点で斜めに交差する県道124号(緑海東金線)に入りました。案内標識がありましたから目的地への近道のようです。早苗(さなえ)が美しい田園地帯を楽しんでいると小松交差点で県道122号(飯岡片貝線)に行き当りました。

 
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案内標識に従って左折、集落の中を抜ける県道122号は以前走ったことがあります。
蓮沼八交差点を右折して県道58号で九十九里浜を目指しました。
 
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県道30号(九十九里ビーチライン)を横切ると目的地の蓮沼海浜(はすぬまかいひん)公園に到着しました。3年半前に銚子市からいすみ市大原まで九十九里海岸をドライブした時に立ち寄っています。道路を挟(はさ)んだ向かい側に「元禄地震の再来 想定津波高」の標識が立っていました。
 
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直進して公園に入ろうとするとゲートが閉まっています。どちらへ向かうべきか迷いましたが、前回駐車した公園の南端にある展望塔脇の第3駐車場に車を停めました。車から取り出した折り畳み自転車(おりたたみじてんしゃ)は車輪とハンドルが暴(あば)れないように防犯用ワイヤーロックで結(ゆ)わえてあります。
 
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タイヤサイズは20x1.75インチ(49x4.3cm)とやや大き目ですから、車への出し入れはちょっと面倒ですが、乗り心地と安定性は申し分ありません。 
 
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九十九里の海岸線に沿って南北に約4kmも伸びる公園を一周するサイクリングロードが最初の目的地。先ずはこの平坦で走りやすいコースで足慣(あしな)らしすることを考えたのです。コースを周回すれば約8kmの距離ですから30分位で走れそうです。
 
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駐車場に設置された公園の案内図で確認すると直線的なサイクリングロードが表示されています。何事も欲張りな私は表通りの歩道を兼ねたサイクリングロードで公園の南端を目指して出発しました。早朝であり人影はほとんどありません。
 
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少年サッカー場でサッカーの練習をするために集まった子供と付き添いの母親の姿だけが見られます。
 
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オーシャンリゾートホテル・サンクチュアリの手前にサイクリングロードの案内標識を見つけて小道に自転車を乗り入れました。
 
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小川とスポーツ広場の間を抜けて進みます。
 
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少年サッカー場を一周する形で表通りの近くまで押し戻されました。交差した南浜(みなみはま)海水浴場へ向かう自動車道路は小川の先が侵入できません。
 
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先ほど出発した第3駐車場の海側に出ました。展望塔と子供広場の脇を通過。
 
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小川沿いの道路上に幅の狭いレールが伸びています。子供用ミニトレインのようですが踏切りに警報機は設置されていません。
 
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(続く)

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2011年5月21日 (土)

充電式バッテリー 三題

節電対策を考えている時にバッテリー(二次電池)へ思いが至りました。
 

わが家では乾電池を多数使っていますが、今はほとんどエネループ(三洋電機の充電式ニッケル水素電池)に切り替えました。昔は充電式電池(二次電池)と言えばニッカド電池(ニッケル・カドミウム蓄電池)が定番でした。その代表メーカーは三洋電機です。随分昔、ニッカド電池「カドニカ」が燃える事故が発生しましたが、大電流が流せる特長があるため、30年ほど前から息子達のラジコンカーなどに重宝して使っていました。
 

その後は米Rayovac社の充電式アルカリ電池と三洋電機の初代充電式ニッケル水素電池を経て、現在は自己放電の少ないエネループにハマっています。そのネーミングの゛eneloop゛とスッキリした外装デザインが気に入ったのです。携帯ラジオ、テレビ・DVD・エアコンのリモコンを始め、インターフォン、置時計、懐中電灯にも不可欠です。
 

残量が少なくなれば、これまでの二次電池のようにメモリー効果(容量が減少したように見える現象)を気にしないで、継ぎ足し充電が出来ます。ちなみにニッカド電池を充電する時には自作した放電器を使って残量をゼロにする手順が必要でした。
 
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東日本大震災の後は家電量販店から姿を消していましたが、今は再び店頭に並んでいるようです。しかしエネループについて気になることがあります。それは三洋電機がパナソニックに吸収合併されて“SANYO”ブランドは原則的に廃止されることです。しかもパナソニックにも同じニッケル水素電池のEVOLTAがあります。あの東海道五十三次を私より一足先に走破したエボルタ ロボットに使われた電池です。以前、「グランンドキャニオン」や「ル・マン24時間」に挑戦したロボットにも使われていました。
 

このためエボルタと競合するエネループのパナソニック・グループにおける「風前の灯火(ともしび)」となった立場を心配しています。事実、エネループを製造する子会社の三洋エナジートワイセルは昨年初めに富士通の子会社であるFDK(富士電気化学)へ売却されてFDKトワイセルになってしまいました。アメリカや中国における独占禁止法の問題があるようですが、エネループの製品とブランド名は是非残してもらいたいと思います
 

二つ目は同じ三洋電機のリチウムイオン電池です。わが家で愛用しているアイフォーンは、同居者が毎日使い過ぎるせいか、あっと言う間に電池が消耗してしまします。自宅であればAC電源アダプターで再充電すれば良いのですが、出先ではそう言うわけに行きません。そんな時に見つけた便利なグッズがアイフォーンなどで使えるUSB出力付きリチウムイオン電池(充電機能付き)です。三洋電機から上記のニッケル水素電池と同じ゛eneloop゛の商品名で発売されている製品です。アイフォーンのACアダプターを使ってフル充電しておけば、出先でもアイフォーンを数回充電することができます。
 
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充電式ニッケル水素電池のエネループを使う同じサンヨー電機製のエネループ・スティック・ブースターも、前者に比べると容量が少ないのですが、同様に使えて便利です。ちなみにプラグあるいはUSBコードを交換すればドコモなどの携帯電話も充電可能であり、パソコンのUSB端子に接続することでも自身を充電することができます。
 

三つ目はノートブック・パソコンの内蔵二次電池(リチウムイオン電池)です。ACアダプターを着脱するのは面倒ですから、どうしても常時接続(つまり絶えず内蔵二次電池を充電)する状態になっていますが、実は過充電になって二次電池の寿命を縮める恐れがあるのです。最近のノートブック・パソコンには過充電にならないように制御する機能が付いているものもありますが、残念ながらわが家のノートブック・パソコンにはこの機能がありません。
 

そこで専用のフリーソフト゛Smart Battery゛(インテルが無償提供)をインストールして使っています。Battery Full Charging(フル充電)・Balanced(75%充電)・Extended Battery Life Cycle(50%充電)の3つのモード(英文表示のみ)から選べます。わが家のパソコンは持ち運ぶことがほとんどありませんから、電池の寿命に与える影響の一番少ない「50%充電」に設定しています。
 
Smart_battery 

このように充電式バッテリーを上手く活用することで、ほんのわずかですが、エコライフを充実させる(つまりストレスを軽減する)ことが出来ると思います。お試しになってはいかがでしょうか。

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2011年5月20日 (金)

節電の一考察

今夏は電力不足が顕在化(けんざいか)すると言われます。わが家では、東日本大震災による計画停電を何度も経験したことで、出来るだけ電気を使わない生活を心掛けています。具体的にはよく言われる節電対策である、消費電力の大きいエアコンの使用を控えることとフィルター・ラジエーターを清掃すること、冷蔵庫の温度設定と収納状況を見直すのはもちろん、室内照明(白熱電球は電球型蛍光灯に交換、まだ高価であるLED電球は一部に限定)も人が居ない部屋・場所は小まめに消すようにしています。
 
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そして消費電力の大きい旧型テレビの点(つ)けっ放しにも注意しています。さらに徹底するためブラウン管式のテレビはリモコンで電源を切るだけでなく、主電源スイッチで待機電力を発生しないようにして、トイレの便座ヒーターも電源プラグを抜きました。これはわが家に不要ですが、小さなお子さんがいる家庭では、冷気の流出を減らすため冷蔵庫内に透明ビニール製カーテンを付けると良いでしょう。大阪・京橋のラーメン店「力雅」や東京・乃木坂の海鮮料理店「魚真」で見掛けたものと同じアイディアです。
 
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いずれも当たり前の節電対策として皆さんも実践(じっせん)されていることと思いますから、もう少しマニアックな節電対策を紹介しましょう。わが家では何台もあるパソコン(iMacWindows XPWindows 7など)が常時使える状態になっていますから、その一台当りの消費電力(ノートブック型で30-40W)はそれほど多くないとしても、「塵(ちり)も積もれば山となる」の諺(ことわざ)のように無視できません。

一番基本的なパソコンの節電対策は使用していない時に必ず電源を落とす、あるいは消費電力を抑える機能を活用することです。具体的には、コントロールパネルで電源プランを省電力モードに設定する、ある時間操作しないとディスプレイの明るさを抑える・消す、あるいはパソコン自体をスリープモードにすることです。また使用時のディスプレイの明るさを少し落とすことも良いでしょう。

さらにわが家ではパソコンの周辺機器の省電力化も行っています。プリンターの電源は使用時だけに入れるのは当然ですが、常時電源が入っていた3台の外付けハードディスク・ドライブ過去の失敗に懲りてすべて独立した構成に変更済)も使用しない時はハードディスクの回転を停止させるか、電源が自動的に切れるように設定しました。手動で電源スイッチのオン/オフを行うのは面倒ですし、無理に電源を切断するとディスクを痛めるリスクもありますから、自動的にオン/オフするようにしたのです。

自前の電源を持つUSB接続の外付けハードディスク・ドライブ(500GBで約10W)はパソコンの電源と連動するモードに専用のスイッチあるいはソフトウェアで設定できます。ちなみにパソコンから電力を得ているUSB接続の小型ハードディス・ドライブやフロッピーディスク・ドライブはパソコンの電源と連動していますから個別の対策は不要です。

またパソコンとLAN経由で接続しているハードディスク・ドライブ(500GBで約20W)は付属するソフトウェアで省電力モード(パソコンからアクセスしない時間が設定値を超えるとディスクの回転を停止)に設定する必要があります。ハードディスクは消耗品ですから、こうすることで寿命を延ばせる可能性があることも付随する効用です。ただし、インターネット接続に利用するフレッツ光のモデム(約10W)とルータ(約20W)は光電話サービスにも利用しているため残念ながら電源を落とすことはできません。

このように一旦設定すれば、パソコンの電源を切り忘れても自動的にスリープモードになり、またパソコンの前からちょっと席を外した時にもパソコン本体はもちろん、ほとんどの周辺機器の電源を落とす(あるいは最低消費電力の状態にする)ことが出来ます。物好きな私はその様子を見ることを楽しんでいます。パソコンを頻繁(ひんぱん)に利用される方へお勧めしたい節電対策です。

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2011年5月17日 (火)

アナログ世界への回帰(続編)

LP盤に続いて、何年も埃(ほこり)をかぶっていたドーナツ盤(17cmサイズ)を取り出して、一枚ずつ盤面の状態をチェックしながら聴いてみました。最初の曲は「太陽がいっぱい」(1960年に製作された同名映画の主題曲)のB面の「アフリカの星のボレロ」(1957年に製作されたドイツ映画「撃墜王アフリカの星」の主題曲)、ボンゴのリズミカルな音が何故か哀愁を感じさせます。次いでチャップリンが作曲した「ライムライト」(1952年)のストリングス中心の切ないメロディ、これも映画主題歌の「ブーベの恋人」(1964年製作、ジョージ・チャキリスとクラウディア・カルディナーレが共演)、「シバの女王」は歯切れの良いレーモン・ルフェーヴル・グランド・オーケストラのストリングスと、根暗(ねくら)な若者であった私らしい曲が続きました。

余談になりますが、私はこの「シバ(SABA)の女王」とは旧約聖書に出てくるエチオピアとイエメンの辺りにあったとされるシバ王国の女王だと思い込んでいましたが、1967年にミッシェル・ローランが作曲したこのシャンソン曲「シバの女王」の舞台は北ボルネオにあった小国(現在はマレーシアのサバ州)の方であることを後になって知りました。お粗末(そまつ)の一席!

一呼吸(ひとこきゅう)入れて聴いたのはいつも感無量(かんむりょう)になる「忘れな草」(Vergiss Mein Nicht)。イタリアのテノール歌手、フェルッチョ・タリアヴィーニの歌(イタリア語の曲名;Non Ti  Scordar Di Me)は同名の映画(1959年製作)の感動的なラストシーンを思い出させます。数年前に亡くなったルチアーノ・パヴァロッティズービン・メータ指揮・ローマ歌劇場管弦楽団演奏)も好きです。洋楽が続きましたが、次は上條恒彦さんの「だれかが風の中で」(木枯らし紋次郎の主題歌)、そして弘田三枝子さんがダイナミックに歌う「ロダンの肖像」も登場。私の大好きなザ・プラターズの「ユール・ネバー・ネバー・ノウ」「オンリー・ユー」「煙が目にしみる」「トワイライト・タイム」、ジェームス・ラストの「コンドルは飛んで行く」「サマータイム」で半世紀前の時間が蘇(よみが)りました。ちなみにザ・プラターズの"platter"とは大皿、つまりレコード盤のことです。

次のレコードは何故かフランスに飛んで、映画「太陽がいっぱい」でアラン・ドロンと共演した女優マリー・ラフォレの「赤と青のブルース」(同名映画の主題歌、1960年に製作された映画の原題はサントロペ・ブルース)、そしてアメリカを代表する女性歌手で映画スターのドリス・ディは定番の「センチメンタル・ジャーニー」と「2人でお茶を」(1950年に製作された同名映画の主題歌)、大阪万博(1970年)に来日したセルジオ・メンデスとブラジル66のライブ録音「マシュ・ケ・ナダ」、「第三の男」はもちろんアントン・カラスのチター演奏、映画「グレン・ミラー物語」(1954年)の中に演奏されたグレン・ミラー楽団の「ムーンライト・セレナーデ」と「イン・ザ・ムード」、「鉄道員」(1956年に製作された同名映画の主題歌)、そしてアルバイトをしてギターを買う動機付けになった「愛のロマンス」です。

この「愛のロマンス」は1952年に製作されたフランス映画「禁じられた遊び」に用いられたことで映画のタイトルが曲名のように使われていますが、実は1941年に製作されたアメリカ映画「血と砂」のバック・グラウンド音楽として採用されたヴィセンテ・ゴメスのギター演奏が再度使われたのだそうです。

ほとんどのレコードが映画主題曲ではないかと言われそうですが、高校・大学を通して映画三昧(ざんまい)であった私には当然の選択でした。そして最後に聴いた曲は倍賞千恵子さんの「さよならはダンスの後に」と「下町の太陽」(1963年に製作された同名の映画の主題歌)です。発売されて数年が経過していましたが、上京してこの2枚のレコードを買った頃が懐かしく思い出されます。

当時は社交ダンスダンパ)が流行して、日本の経済が希望に燃えている時代(1日に例えると朝の8-9時頃)でした。その時代を象徴した「下町の太陽」のB面にある「瞳とじれば」(岩谷時子作詞・いずみたく作曲)は結婚する女性が亡き父に話しかける歌で、当時はメロディが好きでしたが、今その歌詞を聴くといつの間にか目頭(めがしら)が熱くなっていました。

我ながら良く整理出来たと思う自室で、半世紀の来し方(こしかた、きしかた)を懐古(かいこ)するとともにアナログ・レコードで音楽を存分(ぞんぶん)に楽しみながら、日々の幸せに感謝しています。

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2011年5月16日 (月)

アナログ世界への回帰

吉祥寺と三鷹へ出掛けた以外は巣ごもり生活をしていたゴールデンウイーク中、同居者からの圧力に屈した形で、3年振りに自室の整理と棚卸(たなおろし)を行いました。先ず不用品の廃棄ですが、アメリカで購入したビデオデッキ(VCR)やビデオテープラックなど埃(ほこり)を被(かぶ)っていたモノを、事前に公的な粗大ゴミ回収に出しました。
 

そして迷いに迷った末(すえ)についに決断しました。アマチュア無線用短波帯SSBトランシーバ(送受信機)の処分です。ちょうど40年前に清水の舞台から飛び降りるような大決断で購入した高額商品(給料の数カ月分相当)であった初代FT-101(1970年に八重洲無線が発売)は知る人ぞ知る「往年の名機」です。アマチュア無線家(ハム)達が「ワンノーワン」と呼んだ、高周波出力増幅を除いてすべて半導体化(当時の呼称はソリッド・ステート)された最初の製品でした。
 

私は垂涎の的(すいえんのまと、欲しくてたまらないの意)であった米コリンズ社製の無線機と似た雰囲気(ふんいき)が好きでした。アメリカに住んでいた時にも現地で活躍してくれたことを今も思い出します。注釈;八重洲無線は合併によりバーテックススタンダード社に社名を変更(子会社に八重洲無線の名前を残す)
 
事前の廃棄作業はここまで順調に進みましたが、おにぎり(お結び)型の初代iMac G3(1999年製)などパソコン類は公的な家電回収の対象外でメーカーに廃棄を依頼しなければならないため(これは言い訳!)、今回は見送ることにしました。
 
初日は堆(うずたか)く積み上げられた紙ファイルなども大鉈(おおなた)を振って処分。不要になった本はもちろんBOOKOFFへ持ち込みました。そして室内のレイアウトも見直して、空間に余裕を持たせるプランを作成。3年前にも同じ廃棄(はいき)作業をしたのですが、気が付けば元の木阿弥(もとのもくあみ)になっていました。パソコンのハードディスク同様、ガラクタを目一杯(めいっぱい)まで詰め込んだ、デジタル世界(ゴミ置き場)に変貌(へんぼう)していたのです。時間を要する作業を黙々とこなしました。
 

そして大仕事にもチャレンジ、部屋全体に敷き込んだカーペットを剥(は)がして、同居者がご親切にも通販で買い求めてくれたピース敷(じき)のマットに交換しました。子供達が自立するまで使っていた部屋をそのまま利用(居抜き?)しましたから、カーペットにはコーラなどの染(し)みが地図のように残っていました。カッターナイフで少しずつ切り取りながら張り替えると、慣れ(学習効果)もあって、意外と簡単にできました。
 

防音とクッションを兼ねた下地材は汚れていませんからそのままとし、部屋の隅にめぐらされたカーペットを固定する釘(フェルトグリッパー工法)もそのまま利用しました。予期せぬ効用でしたが、不要となったカーペットはピースに小分け済みですから、ゴミとして出す時も楽でした。
 
気になったのは昨夏に発生したエアコン室内機の水漏れで濡れたレコードです。トラブルが発生した時にレコード・ジャケットを一枚ずつしっかり拭(ふ)いたはずでしたが、ジャケットの下部にシミが発生するとともに黒いカビが生えているものが数枚見つかりました。そのシミとカビを丁寧(ていねい)に拭き取りましたが、カビの生えた場所は少し傷(いた)んでいますので、補修材と接着剤で慎重に修復しました。さらにレコード本体も取り出して影響がないかを確認、もちろんジャケットの内側も清掃しました。
 

以上の作業に想定外(今年の流行語)の2日間を要したため、3日目になってやっと室内のレイアウト変更に着手しました。アンプやプレーヤーなどのオーディオ機器は操作しやすい場所に置き、音響を考慮してスピーカを当所の場所に戻します。
 

2011_05150028動作を確認するためアンプ(パイオニア製Audio/Visual Stereo Receiver VSX-5900S、海外仕様、1990年購入)の電源を数ヶ月ぶりに入れました。Dolby社の今は懐かしいPro Logic回路(5.1チャンネル・サラウンド機能)を搭載(とうさい)してホームシアターに対応しています。ついでにパソコンの音声出力とも接続しました。
 

2011_05150003 SL-Q6(1983年に購入したテクニスクのレコードプレーヤー)のターンテーブルに前日点検したレコードを載(の)せてスタート・スイッチを押し、アームが持ち上がってレコードの盤面(ばんめん)に下りる瞬間を眺(なが)めます。スピーカから昔通りのクリヤーな音が流れてくると、すべてを忘れて自分一人の世界に入っていました
 

2011_05150009 ターンテーブルの上に載る小さな円盤(紙製)は昔懐(むかしなつ)かしい「ストロボ回転計」です。正(まさ)にアナログ技術そのもので、その縞模様(しまもよう)はアナログの世界を実感させます。
 
 
 

2011_05150018 次のレコードに取り替えました。レコード針を盤面に下ろす前の習慣になっていますが、愛用するナガオカ製レコード・クリーナーで丹念(たんねん)にホコリを拭(ぬぐ)います。シリコンラバーで出来たローラーを盤面上で転(ころ)がすのです。2-3回使うとローラーに埃(ほこり)が付きますから、水洗いをする必要があります。
 

2011_05150012時にはレコード針の先端を専用の薬剤とブラシを使って清掃(せいそう)します。このプロセスは手間が掛かりますが楽しみでもあるのです。予備のレコード針も確保しています。アームに灯(とも)るインジケーター・ランプに仄(ほの)かに照らされたレコード盤の溝が美しいのを見ていると、まささに至福(しふく)の時が!
 

2011_05150004 レコードの山の中から珍しいものを見つけました。「周波数基準レコード」(製作:東芝音楽工業制作、販売:東芝EMI)です。東芝音楽工業から東芝EMIに改名したのが1973年であり、パイオニア製の半自動レコード・プレーヤーPL-25Eを購入したのが1975年でしたから、その時に一緒に購入したのかもしれません。
 

レコード・プレーヤーの回転速度や回転ムラ・ピックアップの周波数特性や感度試験に使われたもので、ホノモータのSN比(雑音レベル)試験を行うことが出来ます。わが家のSL-Q6はダイレクトドライブ方式ですから回転速度や回転ムラをチェックする必要はないため、もう20年以上も再生したことはなかったレコードです。
 

そして久しぶりに「フルートとハープのための協奏曲」(モーツアルト作曲)を再生すると、中学の器楽部でフルートを一生懸命に練習した頃が懐かしく思い出されます。

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2011年5月14日 (土)

三鷹散策とみたか温泉「新鷹の湯」(下)

午儀資料館のすぐ先に、蒲鉾(かまぼこ)型をしたゴーチェ子午環の建物があります。
 
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内部には巨大な車輪に取り付けられた大砲のような望遠鏡が設置されていました。
 
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見学コースの一番奥にもうひとつ新しい建物が見えました。この天文機器資料館には自動光電子午が収蔵されていました。自動光電子午環の名前が難しすぎてどんなものか理解できません。
 
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説明書きを読むと、子午環(しごかん)とは高度測定用の精密な目盛り環のことで、天体の位置を精密に観測できるように特殊な工夫が施されたものだそうです。説明はもっと続きますが、よく理解出来ないため省略します。
 
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望遠鏡の上部が取り外されて横向きに置かれていました。
 
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「口径10cmコロナグラフ」の1/8縮尺模型でその形は良く分かりました。

 
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天文機器資料館を挟むように南北80mの距離にある窪地(くぼち)にある建物は、ガイドブックによると地上基準点「子午線標」(しごせんひょう)でした。その光源が収(おさ)められているのだそうです。子午線標の建物が塹壕(ざんごう)のように見えました。
 
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見学コースを引き返すことにします。天文機器資料館の手前に、アンテナらしきものを取り付けたタワーがありますが、何の施設であるかの説明がありません。その横にあるのは雨量計のようです。
 
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コインパーキングまで歩いて戻り、東八道路を1.2kmほど引き返すと右手に大きな駐車場がある建物が見えました。この日の日帰り温泉に選んだ「みたか温泉 新鷹(あらたか)の湯」です。だいぶ前に訪れた小平市のテルメ小川と同じ経営です。駐車証(プラスチック製の札)を受け取って受付に向かいました。
 
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「大人のための和みの温泉」を標榜(ひょうぼう)する「新鷹の湯」はタオルセット付きのの利用料金が休日1720円(同伴者は1260円)と、テルメ小川よりも約5割も高い料金設定です。
 
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1階がロビーと浴室、2階がお休み処とお食事処とシンプルな施設構成です。
 
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受付をしたあとは男女が左右の入り口に分かれます。右手が男湯になっていました。
 
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広めの脱衣場を抜けて浴室に入ると岩盤浴の施設がありました。
 
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洗い場横の通路はマッサージ用のベッドが2台置かれているため、思ったよりも手狭に感じられます。しかしその先で空間が広がり、清潔感と落ち着きのある内湯エリアにゆったりとジャグジー・寝湯・スチームサウナの先に大湯の浴槽が配置されていました。明り取りのある高い天井には大きなH型鋼のフレームと古民家から移築したと思われる木の梁(はり)が巨大なオブジェのよう。浴室の様子は新鷹の湯のhpを参照してください。

お湯の温度は低めに設定されていて、白湯のジャグジーと寝湯は38度強、天然温泉の大湯は41.5度で、湯を独り占めするようにゆっくりと楽しむことができました。時間とともに湯温計の表示がわずかですが変化しました。

露天エリアには小振りの岩風呂があります。1階とは言っても周辺に遮(さえぎ)るものが少ないため青空が広がりました。部分的に日除け(雨除け)が設けられています。

hpによると、毎日150トンの源泉を地下1700mから汲み上げているそうです。泉質はナトリウム塩化物温泉(弱アルカリ性高張性温泉)、源泉の温度は38.5度と表示されていました。フミンと呼ばれる腐葉土による温泉は紅茶のような珍しい赤味がかった透明色です。ちょっと舐(な)めると海水のような「しょっぱい味」がしました。

入浴後は2階にある休憩室のリクライニングシートでテレビを見ながらくつろぎました。1時間余りリラックスしたあと、もう一度入浴したくなって浴室へと下りましたが、湯中(ゆあた)りするといけませんから、2度目は短めで切り上げました。
 
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「新鷹の湯」は高めの料金設定のせいか空いていて、小学生以下は利用できないこの綺麗な施設で良質の温泉をゆっくりと楽しんでいると、入館する時に感じた料金の高さは妥当であることが少し分かってきました。料金の安い平日(1260円)にまた利用したいと思います。

<同行者のコメント> 次はどこへ行くのかと思っているとやっぱりお寺と神社でした。エンジンを切った車内で待つ間は暑かったです。そしてコインパーキングから天文台まで歩くと言われてついて行きましたが、途中にバス停が3つくらいあって遠く、天文台の敷地も広くて・・・。でも温泉に入ってやっとリラックスできました。旦那さまは休憩室に長居すると言いますから、私はリクライニングシートで横になっていると、いつの間にか眠ってしまいました。いつものような強行軍のドライブ旅ではなく、ゆっくり温泉を楽しむことができました。いつもこうだと良いのですが!

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2011年5月13日 (金)

三鷹散策とみたか温泉「新鷹の湯」(中)

三鷹通り(都道121号)を南下、宇宙航空研究開発機構が角にある交差点で東八道路(とうはちどうろ、都道14号)へ右折して約2km西進したコインパーキング(タイムズ・マロンテラス駐車場)に駐車しました。次の目的地までまだ数百mもあるのですが来訪者用の駐車場がないのです。

すぐ近くの天文台北交差点で交番を見ながら左折、緩やかに下る道を歩きました。約600m先に大きな施設への入り口がありました。
 
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国立天文台(NAOJ)の三鷹キャンパス(通称は三鷹天文台)です。
 
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山梨県の野辺山にある電波天文台も同じ組織の施設です。
 
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江戸時代後期に造られた幕府天文方の浅草天文台が起源。明治時代になって本郷の東京大学構内に学生の実測用に天文台が作られ、明治21年(1888年)に港区麻布に東京天文台が作られました。その後、大正13年(1924年)に、天文台は三鷹へ移転。 昭和63年(1988年)、東京天文台は水沢の緯度観測所などと一緒になり、国立天文台となりました。さらに国立天文台は文部省、文部科学省の管轄を経て平成16年(2004年)41日より法人化し、大学共同利用機関法人自然科学研究機構国立天文台となりました。(国立天文台のhpから引用)

守衛所で入館手続きをしてガイドブックと参観者用ワッペンを貰いました。ガイドブックの地図に従って参観者用のコースだけを歩くように案内されました。
 
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広大な施設な木立に覆われて歴史のある大学キャンパスを思わせます。私の好きな松本清張氏の小説「波の塔」にも三鷹の風景のひとつとして登場していますが、施設内を訪れるのは今回が始めてです。実はこの小説の冒頭シーンに使われたと思われる諏訪湖近くの諏訪湖近くの遺跡、調布市の深大寺、嵐に遭(あ)って主人公たちが難儀(なんぎ)する山梨県身延(みのぶ)の下部温泉富士山の樹海なども訪れた様子を当ブログで紹介しています。
 
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最初に見学した第一赤道儀室(国登録有形文化財)は国立天文台三鷹に現存する最も古い施設(1921年建設)です。
 
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その右奥にある小山は天文台構内遺跡でした。武蔵野台地の辺縁部に位置する7世紀頃のものと推定されるこの遺跡は全国的にも珍しい上円下方墳(基部の一辺が30m弱)や横穴式石室など旧石器時代・縄文時代・古墳時代、そして近世に至るまでの複合遺跡であることが発掘調査で分かったそうです。
 
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ドーム内に設置された望遠鏡(ドイツのカール・ツアイス社製)は太陽観測用の口径20cm屈折赤道儀(せきどうぎ、天体を自動的に追尾できる望遠鏡用架台)です。60年間にわたり太陽黒点のスケッチが行われたと説明されています。
 
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一直線に伸びる太陽系ウォーキングを歩きました。太陽と水星から海王星まで8つの惑星のパネル説明が並んでいます。実際の距離を140億分の1に縮めてあるそうです。
 
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案内標識に従って途中で左に折れました。折れ曲がった道の奥にレンガ建ての塔が見えます。
 
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太陽塔望遠鏡(通称アインシュタイン塔、国登録有形文化財)です。1930年に建設されたこの施設は塔全体が望遠鏡の筒(つつ)の役割を果(は)たしているそうです。高さ18.6mの塔内部は吹き抜けになっており、屋上のドームから入った光はシーロスタット(カール・ツアイス社製の2枚の平面鏡)によって垂直に取り込まれ、固定された望遠鏡で収束(しゅうそく)され、半地下にあるプリズムと回折格子(かいせつこうし)で虹色の光の帯(スペクトル)に分けて観測されるそうです。フーッ、何と複雑な説明!
 
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太陽系ウォーキングの行き止まりは巨大な天文台歴史館(旧大赤道儀室)です。高さが19.5m、ドーム直径が15mあるとのこと。
 
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その右手前にある近代的な建物に4D2Uドームシアターと表示されています。第2・第4土曜日にだけ開館(事前申し込みが必要)されるとも。四次元デジタル宇宙シアターの名前がありますからプラネタリウムのようなものかもしれません。
 
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旧図書館の角を通過します。
 
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折れ曲がった見学路を更に奥へと進むと子午儀資料館があります。子午儀(しごぎ)とは天体の子午線(注釈;地球を南北に取り巻く経線)の通過時刻を測定する装置です。
 
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建物の中には望遠鏡のようなものがいくつも置かれていました。
 
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ここまでに見た観測設備は大正時代から昭和時代初期(1920-1930年頃)に製作されたもので、すべて西欧から輸入されたものでした。当時は科学技術の先進国から購入せざるを得なかったのでしょう。今昔(こんじゃく)の感があります。(続く)

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2011年5月12日 (木)

三鷹散策とみたか温泉「新鷹の湯」(上)

吉祥寺通り(都道114号)で南下、三鷹市狐久保交差点を右折して連雀通り(都道134号)に入り、八幡前交差点の近くにある禅林寺(ぜんりんじ)に立ち寄りました。人気(ひとけ、車気?)のない大きな墓参者向け駐車場に車を停めさせて貰いました。

これまで三鷹市の北部地域(玉川上水・ジブリ美術館など)を訪ねていますので、南部地域へと足を伸ばすことにしました。最初は森鴎外(もりおうがい)と太宰治(だざいおさむ)の墓がある禅林寺です。ちなみに三鷹市には森鴎外・太宰治・山本有三・大仏次郎・武者小路実篤・三木露風など多数の文人(ぶんじん)が住んでいました。

禅宗(ぜんしゅう)のひとつ黄檗宗(おうばくしゅう)の寺であるため禅林寺の山門は独特の雰囲気があります。
 
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銀杏(いちょう)の大木(高さ30m、市の文化財)が参道脇に聳(そび)えています。その横で赤松と黒松が銀杏に追い付こうと背伸びする弟分のように見えました。
 
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ちょうど最盛期をむかえた藤棚(ふじだな)が美しい。
 
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その下を通る参道脇に森林太郎(森鴎外の本名)の言を彫った石碑(せきひ)がありました。日付は鴎外が亡くなる3日前ですから遺言(ゆいごん)のようなものでしょうか。
 
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本堂の横にある半地下の通路を抜けて墓地へ向かいました。
 
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訪(たず)ねる人が多いと見えて案内板があります。
 
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本堂脇にある半地下の通路を抜ける場所に森鴎外の遺書が掲示板に貼られています。400円と価格が表示されていますから、コピーが売られているようです。後で調べると、友人の賀古鶴所(かこつるど)に遺言の代筆を頼んだことで「森林太郎 言、賀古鶴所 書」と書かれていたのです。立会人として森林太郎「男 於菟」「友人総代 賀古鶴所」の名前があります。於菟(おと)は御長男の名前です。先ほど見た石碑は鴎外遺言碑でした。
 
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表示された区画に森鴎外と太宰治の墓がほぼ向かい合うようにしてありました。森鴎外(森林太郎)の墓は生地の島根県津和野(つわの)町にもあるそうです。
 
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太宰治は、本名が津島修治(つしましゅうじ)、青森県北津軽郡金木村(現在の五所川原市)で大地主の家に生まれました。代々津和野藩の御典医(ごてんい、大名に雇われた医者)の家に生まれた森鴎外と同様に名家の出身で、東京帝国大学(医学部と文学部の違いはあるが)に学んでいることも同じです。注釈;太宰治は中退。森鴎外は、入学した第一大学区医学校が在学中に東京医学校と改称され、さらに東京開成学校と統合して旧制東京大学(後に東京帝国大学)になる。
 
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隣の八幡大神社にも参拝しました。境界には一直線の塀があって出入りできませんので、一旦連雀(れんじゃく)通りまで出る必要がありました。
 
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江戸時代の「明暦の大火」(振袖火事)のあと、神田連雀(れんじゃく)町の一部住民がこの三鷹に新田開拓農民となって移住してきた時に、故郷の名を地名に付けたと説明されています。また三鷹は徳川三家の御鷹場(おたかば)がこの地にあったことで三鷹と呼ばれるようになったことも書かれていました。前回記事の(上)で触れたように三代将軍家光がこの御鷹場を訪れた時に井の頭の地名が命名されたのです。
 
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御神木の「すだいじ」と呼ばれる大きなシイの木(市の天然記念物)がありました。東海道五十三次庄野宿の川俣神社にあったものと同じ推定樹齢(300年)、大きさは目通し幹囲(約3.62m)や樹高(約17m)と、川俣神社のものの方が一回り大きいようです。ちなみに左端に少しだけ映る建物は神輿(みこし)倉。
 
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楼門(ろうもん)が新築工事中で、トンネルのような参道を抜けて拝殿に参拝しました。
 
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右手の建物は八幡大神社祭りなどで活躍する有名な大太鼓を保管する太鼓倉です。(続く)

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2011年5月11日 (水)

井の頭恩賜公園と新宿麺屋「海神」(下)

吉祥寺駅へ向かう商店街は人で溢(あふ)れていました。同行者は気に入ったようで、「もう直ぐアメリカから来る女子高生の留学生たちを連れてこようかしら!」と言うなど、とてもご機嫌です。
 
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私には無国籍の土産物屋街に見えます。
 
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同行者は大きな青蛙(あおがえる)を手に取って、しげしげと眺(なが)めながら、誰に言うでもなく「金色のかえるもあるけれど・・・」と呟(つぶや)いています。
 

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マルイの横を抜けて駅前の井ノ頭通り(井の頭通り、都道7号)に出ました。ちなみにこの通りは武蔵野市の境浄水場から世田谷区の和田堀給水所までの間に水道管を敷設するための用地を道路に転用したため、以前は水道道路と呼ばれていました。荒玉水道道路(都道428号)と玉川上水跡の角筈和泉町線(つのはずいずみちょうせん、都道431号)などと同様です
 
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この日の昼食には、前から立ち寄りたいと思っていた、新宿麺屋「海神」(かいじん)の吉祥寺店を心積もりしていました。ちょっと探す必要がありましたが、井ノ頭通りに面した雑居ビル(くまもとビル)の2階に看板を見つけました。名前の通りに新宿麺屋「海神」の支店(分店?)です。ちょうど荷物を配達する台車がエレベータを待っていたため、壁際(かべぎわ)の表示に従って裏階段を利用しましたが、昼間でも場末の雰囲気に溢(あふ)れていて、ちょっと不安を覚えるほどでした。
 
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しかし2階に上がると狭い通路の先に普通の店構えがありました。
 
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男性の元気な(野太い)声に迎えられて入った店内は、厨房(ちゅうぼう)と向かい合ったカウンター(5席)・それと背中合せになった窓際(まどぎわ)のカウンター(5席)・椅子席(2人用が4卓の計8席)の計18席があります。
 
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変則的な形状のため手狭感(てぜまかん)はありますが、ジャズ音楽が流れる落ち着いた内装はラーメン店らしからぬ(?)清潔感があります。対応してくれた若い女性に2人であると告げるとテーブル席に案内されました。
 
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私はこの店の定番である「あら炊(だ)き塩ラーメン」(800円)、同行者は数量限定でこの店だけのメニュー「あさりらぁめん」(1000円)を注文。
 
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配膳(はいぜん)された「あら炊き塩ラーメン」は魚ベースの透明なスープ(少し油が浮く)が上品ですが、しっかりした味が極細(ごくぼそ)のストレート麺と上手く絡み合っていました。海老のつくね・鶏のつくね・小エビ・白髪葱(しらひげねぎ)・生姜(しょうが)・大葉・糸唐辛子(いととうがらし)がトッピングされています。
 
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この日、スープに使われた魚(アラ)は真鯛・穴子・金目鯛・平政・平目の5種類。
 
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「あさりらぁめん」は大きなあさり・ゆで玉子・海藻・刻みネギなどがたっぷりトッピングされています。スープは全く違った色をしていますが、ベースは塩ラーメンと同じもののようです。ただしアサリの風味がかなり強い。同行者は大きなアサリに感心しながら、例によって好奇心一杯で「これはどこのアサリですか?」と聞くと、厨房のご主人と思われる人から「愛知県のはず」と答えが返ってくる。
 
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並盛りの麺でも十二分なボリュームがあり、いずれも年配者に優しいラーメンで大満足でした。チョビ髭(ひげ)のご主人が発する元気な声に送られて店を出ました。

井の頭公園の駐車場に戻る途中、同行者はさきほど駅方面へ向かう時に気になったという大原商店に再び立ち寄り、心積もりしていた緑色の蛙(かえる)の置物(壁飾り)などを買い求めました。
 
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「よみがえれ!!井の頭池!」の看板に水質悪化の原因と対策が説明されています。「地下水位の低下で7つあった湧水(ゆうすい)が枯渇(こかつ)したため井戸水を汲(く)み上げて池に供給しているが、花びら・落ち葉や魚へ与えられるエサが有機物となって堆積(たいせき)し、藻類(もるい)やラン藻類の植物プランクトンの増殖につながっていることである」および「水質改善のために水循環装置や微生物の力を利用した浄化装置などを設置、池の生態系を活性化することで池の浄化を図っている」とのこと。
 
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「御茶の水」の脇を通り過ぎて駐車場へ向かいました。
 
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もう一つ「よみがえれ!! 井の頭池!」の看板がありました。
 
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こちらの方が具体的な内容で分かりやすい説明です。

<同行者のコメント> 三鷹へ行くと聞いて、てっきり「ジブリの森美術館」だと思いましたが、その前を通り過ぎて到着したのは井の頭公園でした。以前にも来たことがあるのにと思いながら歩くと、井の頭池を通り抜けた三角広場近くの神田川で子供たちがザリガニ釣りをしていました。井の頭池の反対側を戻るとフリーマーケットが並び、吉祥寺駅に向かう商店街にも楽しい店が並んでいました。駅近くのラーメン店はテレビで見たことがあります。すごく美味しかったです。

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2011年5月10日 (火)

井の頭恩賜公園と新宿麺屋「海神」(中)

井の頭池を巡るだけでは物足りませんから、水門橋から神田川の流れに沿って三角広場夕やけ橋まで足を伸ばしました。
 
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おにぎり(御握り、西日本ではお結びと呼ぶのように三角形をした神田川(一級河川)の石碑があります。
 
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井の頭公園の東端エリアにある細長い広場の脇を大きな石がいくつも転がる渓流(けいりゅう)のような神田川が流れて行きます。
 
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よしきり橋の袂(たもと)と井の頭線井の頭公園駅脇のガード下を通過します。
 
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川幅が少し広くなると右手に三角広場が見えてきました。
 
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三角形と言うよりも弓形をした広い広場です。施設らしいものは何もありません。しかし川に沿って桜並木がありますから、花見の名所となっている井の頭公園(井の頭池の周囲に約400本の桜がある)のすぐ近くにある花見の穴場かもしれません。
 
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夕やけ橋に到着。男の子たちが橋のように配置された飛び石で遊んでします。
 
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神田川はこの先で川幅をさらに広げて杉並区へ流れて行きますが、今回は夕やけ橋で折り返すことにしました。
 
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川の中で男の子たちが釣竿(つりざお)風の棒を手に持って何かをしています。これを目敏(めざと)く見つけた同行者が近寄って尋(たず)ねると、ザリガニを釣っているとの返事があったそうです。昔懐(むかしなつ)かしい遊びです!
 
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寺や神社の参道と見紛(みまご)うような一直線の石畳が続きます。
 
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井の頭線のガードを再び潜ります。
 
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井の頭公園の水門橋脇に戻りました。
 
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井の頭池の北岸を歩くと、遊歩道脇フリーマーケットが並んでいます。井の頭公園アートマーケッツでした。手作りのアクセサリー・ポストカード・似顔絵などを売る各店先には「出展許可証」と書かれた井の頭恩賜公園の「ART*MART」鑑札(かんさつ)が置かれています。出店ではなく出展としていることが面白い。やはり芸術市場なのです。
 
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足漕(あしこ)ぎスワンボートにはまだまだ数(そうすう)に余裕があります。
 
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明水亭と富士屋の脇を抜け、石段を上って吉祥寺駅方面へ向かいました。
 
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空間が広がった商店街の入り口でスターバックスのテラスが目に飛び込んで来ました。
 
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やはり、ここでプチ薀蓄(うんちく)をひとつ。吉祥寺(きちじょうじ)の地名は寺の門前町のように聞こえますが吉祥寺と言う寺はこの地にありません。江戸時代の大火で焼け出された本郷元町(現在の文京区本郷辺り)の住民が移り住んだ地に本郷で馴染みがあった吉祥寺の名前を付けたそうです。昭和40年代以降、商業施設や住宅地が開発されて人気のエリアになりました。日本一とする調査もあるようです。(続く)

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2011年5月 9日 (月)

井の頭恩賜公園と新宿麺屋「海神」(上)

当ブログをお読みいただいた方はお分かりのように、私の旅行におけるモットーは「安遠長」ですが、連休時には「安近短」ではなく「高近長」なのです。つまり、ちょっとした贅沢(ぜいたく)を近場でのんびりと楽しむことにしています。もちろん、この大型連休にも、行楽などで京浜地区を脱出した人が多いので、遠出を避けて近場に出かけました。

そして選んだ目的地は久し振りの井の頭恩賜公園です。4年半前には湧水の「御茶の水」と弁財天など西エリアを訪れています。この日は連休中でしたが、少し早めに到着したことで、武蔵野市と三鷹市にまたがる公園の駐車場はまだ空きがありました。駐車料金は1時間400円、以降30分毎に200円が追加されます。

 
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ちなみに近くのコインパーキング「井の頭公園駐車場」は平日の午前8時から15分100円、タイムズ吉祥寺南町第4は平日の午前9時から30分200円です。

新緑が瑞々(みずみず)しい西園を横切ります。
 
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オチビちゃんとコチビちゃんたちと訪れた「三鷹の森 ジブリ美術館」はすぐ近くです。
 
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御殿山を抜けて武蔵野市のエリアから井の頭池のある三鷹市のエリアへ歩きました。今回は神田川が始まる東のエリアを中心に散策することにしますが、いつもの長い講釈は控えめにして、大型連休における井の頭公園の様子をスナップ写真で紹介します。
 
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「御殿山遺跡」の石碑と説明文です。1962年の発掘で竪穴(たてあな)住居跡などが発見されたことが説明されています。
 
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井の頭池へ向かう坂道を下りました。
 
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井泉亭の前を抜けると、この地を「井の頭」(いのかしら、井戸の源を意味する)と命名したと伝えられる三代将軍家光の伝承を今に伝える「辛夷の碑」があります。ちなみに辛夷(しんい)とは家光が「井の頭」と刻(きざ)んだとされるコブシの木のことです。
 
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弁財天へ渡る弁天橋とボート乗り場のある狛江橋を過ぎると池全体がよく見渡せます。
 
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池に沿って長い石畳が続きます。
 
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足漕(あしこ)ぎのスワンボート(サイクルボートの一種)を楽しむ人たちがいます。
 
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桜の古木が池に倒れ込みそうです。
 
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徐々に細長くなる池は太鼓橋の「ひょうたん橋」と「水門橋」まで続いていました。
 
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池の東橋に水門を兼ねた橋がある理由はここから神田川が始まるからです。神田川は両国橋まで約25km流れて隅田川に合流しますが、開削(かいさく)された江戸時代には神田上水と呼ばれた江戸市中の飲料用水源でした。
 
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余談ですが、神田川と言えばフォークグループ「南こうせつとかぐや姫」のヒット曲「神田川」(1973年)が有名です。その舞台はこの武蔵野市やその隣の中野区ではなく新宿区西早稲田辺りとされるようです。作詞者である喜多条忠(きたじょうまこと)さんが早稲田大学の出身であることから、早稲田の地のイメージから創作されたのでしょう。

水門橋とひょうたん橋の間で水の浄化実験が行われていました。
 
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都内の公園で水質悪化とは不思議でした。今時、生活排水の影響は考え難(にく)いからです。
 
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公園をさらに巡った後になって、来園者が池にいる鯉(こい)などに餌(えさ)をやり過ぎることが主な原因であることを知りました。(続く)

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2011年5月 7日 (土)

紫香楽宮跡(後編)

立派な伽藍(がらん)跡を確認した私は大事なことをすっかり忘れていました。そして車を発進させてから何か心残りを感じるのです。そうです、かつて紫香楽宮(しがらきのみや)跡とされたこの場所が実は甲賀寺跡であり、現在紫香楽宮跡と推定されるのは少し離れた宮町(みやまち)遺跡の方でした。甲賀寺跡にある説明が宮町遺跡のことに触れていなかったことも影響したようです。先ほど観光案内所で貰ったMAPに宮町遺跡の場所がちゃんと記載されていたことも失念(しつねん)してしまった私は、その場所を確認できる案内標識はないかと探しましたが、それらしきものは見当たりません。しかし、牧東交差点脇にある信楽焼で作られたモニュメント「古の杜(いにしえのもり)」で花壇(かだん)の手入れをする人たちを見掛けたことを思い出しました。

交差点脇に立っていた女性たちに声を掛けて宮町遺跡の場所を訊(たず)ねると、そのお一人が丁寧(ていねい)に教えて下さいましたので、そのルートに従って走りました。先ず甲賀寺跡まで戻り、さらに北上して1.5km先であることを案内標識で確認しながら黄瀬(きのせ)交差点を通過、新名神高速道路の高架を潜(くぐ)ります。
 
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交差点から約600m先の脇道に入る場所に宮町遺跡の案内板を確認できました。500m先と表示されていますからもう近くです。
 
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しかし500m先にはもう一つ看板がありました。「紫香楽宮朝堂跡(宮町遺跡中心部) 400m」と書かれています!
 
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坂を降りた右手に紫香楽宮の説明看板がありました。その地図を見ると、限られた平地に多数の遺跡が点在していることが分かります。
 
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そして田圃(たんぼ)の中に建つ赤い屋根の建物が宮町遺跡中心部のようです。
 
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宮町会館に到着。
 
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紫香楽宮跡(宮町遺跡)の説明看板が掲(かか)げられていました。
 
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出土した万葉歌木簡(まんようかもっかん、和歌を万葉仮名で表記した木の札)には2つの和歌が記されていたそうです。(注釈;万葉仮名(まんようがな)とは日本語を表記するために漢字の音を借用した文字) 同じく土器も出土したことが説明されています。宮町遺跡は発掘後に埋め戻されて今はその様子を見ることが出来ません。
 
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案内標識に従って「宮町遺跡 遺物展示室」にも立ち寄りましたが、こちらも週末にはシャッターが下りていました。
 
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黄瀬(きのせ)交差点まで戻って紫香楽宮跡の新宮神社地区も訪れました。新宮神社遺跡は紫香楽宮へ至る玄関口に所在する遺跡であることが説明されています。3棟の建物や橋跡などが発見されたそうですが、新名神高速道路の建設によって地中に埋め戻されたとのこと。
 
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遺跡の名称になった新宮神社です。
 
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その他にも鍛冶屋敷遺跡の案内板などが周辺に点在していました。
 
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鍛冶屋敷遺跡(かじやしきいせき)は、名前から想像されるように、奈良時代の銅製品鋳造(ちゅうぞう)施設が見つかった場所です。大仏建立(こんりゅう)のために造られた施設だったのかも知れません。こちらも、発掘後に埋め戻されたため、案内看板の写真以外にはその様子をうかがい知ることはできません。ちなみに松本清張氏はその歴史小説「眩人」(げんじん)の中で紫香楽は大仏建立のために造られた試作工場だったのではないかと自説を述べています。

新名神高速道路の信楽ICから帰宅の途に着きました。

<同行者のコメント> 信楽へ向いながら甲賀寺跡と宮町遺跡について運転手さんから講釈(こうしゃく)されていましたから、寺跡にだけ寄るのは変だと思いました。「地元の人に尋(たず)ねたら」と私が言うと、やっと車を停めました。そして、「そうだ!そうだ!」と言いながら、忘れてしまったことが無かったかのように、いつものペースで走り回りました。あのまま帰宅しなくて良かったですね!

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2011年5月 6日 (金)

紫香楽宮跡(前編)

関西ドライブ旅の最終目的地へ向かって国道307号を彦根方面へひたすら走ります。今回のドライブ旅で是非訪れたかった場所は甲賀(こうか)市信楽(しがらき)町にある紫香楽宮(しがらきのみや)跡。旧都巡りも好きな私はこれまでに、板蓋宮(いたぶきのみや)を始めとする飛鳥京に始まり、日本初の条坊(碁盤の目のような都市計画)を採用した中国風都城の藤原京平城京難波京恭仁京長岡京を訪れた記事を当ブログに掲載しています。そして京都と東京については何度も記事を書いていますから、今回の紫香楽宮跡の探訪で長かった旧都巡りは終了します。なお厳密に言えば仁徳天皇の皇居である高津宮(たかつみや)・淳仁天皇の保良宮(ほらのみや)・天智天皇の大津宮(近江宮)もありますが、いずれも所在地が確定していないため探訪の対象外にしました。

旅の目的はこれくらいにして本題に入ります。聖武天皇が遷都した紫香楽宮は甲賀寺跡にあったと長年信じられていましたが、1970年頃に遺物が偶然見つかった約2km北にある甲賀市信楽町の田んぼの中にその宮殿(宮町遺跡)があったことが判明しました。1980年頃に始まった発掘調査で万葉歌木簡などが出土しています。ちなみに紫香楽宮については木津川ドライブ平城遷都眩人の各記事でも触れています。

信楽町は焼き物(信楽焼)とお茶(朝宮茶)で有名です。なかでも狸の置物は全国的に知られています。信楽駅近くに観光協会(伝統産業会館)があるようなので立ち寄りました。紫香楽宮跡の場所を確認するためです。そして観光案内所で「信楽 MAP&豆知識」と題したハンディな観光地図を貰(もら)うことができました。
 
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そのMAPに従い国道307号で北東に走りました。5km余り先にある紫香楽宮跡の案内板に従って牧東(まきひがし)交差点を左折、県道53号に入りました。砂利道を木立の中へ300mほど進むと左手に「紫香楽宮跡」の大きな石碑が見えました。
 
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左手にある駐車スペース脇に紫香楽宮跡(甲賀寺跡)の案内看板が立っています。
 
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その隣に遺物展示室へのルート図が並んでいますが、残念なことに「平日のみ開館」と説明されています。
 
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コンクリートのスロープが整備された参道を歩きました。
 
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その先に石段が続きます。
 
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石段を上ると中門跡の広場で、前方に小さな社(やしろ)が見えました。
 
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紫香楽宮です。ここに甲賀寺(こうがじ)があった当時は、東大寺に先駆けて大仏の建立が計画され、巨大な伽藍(がらん、寺院の建物)が立ち並んでいたそうです。
 
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参考資料によると、300あまりの礎石(そせき)が残るなど遺構の保全状態は良好で、礎石の配列から東大寺の伽藍配置と同様の建物配置を持つ寺院跡とみられるようです。社の周辺にその礎石が点在しているのが見えますので、礎石図と復元図の説明を参考に、左手から時計回りに探索することにしました。
 
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金堂跡
 
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楼跡
 
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僧坊跡
 
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講堂跡
 
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僧坊跡
 
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塔院跡
 
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塔院中門跡
 
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夜来(やらい)の雨で下草(したくさ)が濡(ぬ)れていたため立ち入るのを遠慮しましたが、一番奥には食堂(じきどう、僧が食事をする場所)跡と小子房(しょうしぼう、従者の居住空間)跡の礎石もあったようです。社の前に戻って参道の石段を下りました。
 
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(続く)

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2011年5月 5日 (木)

上方温泉「一休」 京都本館

オチビちゃんとコチビちゃんの一家と別れて次の目的地へ向かいます。国道307号で木津川を渡った山城大橋東詰交差点までは木津川の橋巡りなどのドライブ旅で走ったルートですが、今回は直進して城陽市へ入りました。城陽市の市街地を左手に見ながら国道は徐々に高度を上げます。山城大橋東詰交差点から約3km走ると左手にそれらしき建物が見えますので、その駐車場に車を乗り入れました。この日の日帰り温泉は「上方温泉 一休 京都本館」です。
 
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上方(かみがた)温泉のアバウトなネーミングが気に入って選びました。そして、hpに説明されていないので私の推測ですが、一休はもちろん京田辺市の一休寺(一休禅師)に因(ちな)んだもので、京都本店は大阪市此花(このはな)区にある同名の系列温泉施設と区別するためと思われます。
 
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hpに書かれたキャッチフレーズは世界初超微粒子ミストサウナの釜風呂・100%天然温泉・五十.三度の源泉使用・関西最大級の露天風呂・掛け流し陶器風呂と樽風呂ですが、京都本館のことなのか大阪市の施設のことなのか良く分からないまま入店。
 
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受付で勧められた期間限定セット券からAコースを選びました。入浴+館内着+食事がセットになったサービスは通常3400円相当が2500円に割引されています。食事は「彩御膳」(あやどりごぜん、2000円相当)と注釈がありますから、入浴料は500円(通常料金1200円)! 私の脳内コンピュータが瞬時に弾(はじ)き出しました。ちなみに他のコースはボディケアが付いています。
 
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落ち着いた施設内の長い廊下を奥まで歩くと、岩盤浴の受付を挟(はさ)むように男湯と女湯の入口がありました。受付で貰ったパンフレットを見ると、陶器風呂のある「滝の湯」と樽(たる)風呂のある「松の湯」は男女が週替わりに入れ替わるそうで、この週の男湯は右手の「松の湯」でした。
 
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脱衣場も落ち着いた雰囲気です。
 
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脱衣場内に掲示された泉質の説明書きに松泉乃湯を源泉とする100%天然のアルカリ性単純温泉(低張性・アルカリ性・低温泉・pH9.42)は別名「美人の湯」「美肌の湯」と言われると説明されています。
 
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内湯は温度が少し違う2つの浴槽・熱気風呂(サウナ)・水風呂・洗い場がコンパクトにレイアウトされています。残念なことに超微粒子ミストサウナは「滝の湯」にありました。

身体を温(あたた)めてから野天風呂「松の湯」へ。名前の通りに大きな松が。先住の原生林の松をそのまま残したそうです。広々とした露天エリアで浅い浴槽の寝湯から樽風呂と岩風呂を梯子(はしご)、アルカリ性特有の滑(なめ)らかな湯を楽しみました。
 
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12時を過ぎましたので風呂から上がって、渡り廊下の先にあるレストラン「雲水」へ移動しました。
 
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セットメニューの「彩御膳」は季節感に溢れた和食で、程良(ほどよ)いボリュームが嬉(うれ)しい。
 
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私はもう一度温泉をゆっくり楽しみました。

帰りがけに覗(のぞ)くと、長い廊下の反対側に休憩室「ひとやすみ」や「楽楽アロマ」「楽楽ヘッドスパ」が並んでいました。
 
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<同行者のコメント> 山の中に入ったところにきれいな温泉がありました。私たちは施設へのアプローチ近くに車を停めましたが、まだ空いているにもかかわらず奥の駐車場へ向かう車が不思議でした。ゆるやかなアプローチを上がって分かりました。奥の駐車場からほぼ平坦な通路があったのです。温泉は大人向きで落ち着いた雰囲気、しかも「美人の湯」ですからうれしいです。ランチも美味しく食べました。

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2011年5月 4日 (水)

虚空蔵谷川畔桜並木

夜来の雨も天気予報通り午前9時頃に止みましたのでもう一箇所の穴場へ向かいました。今回は京都府京田辺市大住にある虚空蔵谷(こくぞうだにがわ)です。岩清水八幡宮に近い国道1号(京阪道路)の八幡一ノ坪交差点から府道251号で京田辺市方面に2kmほど入った場所です。ちなみにこの川は京田辺市西部境の虚空蔵谷に源を発して北へ流れ、同市の花住坂・大住・松井地区を貫流して、八幡市との境付近で大谷川支流の防賀川(ぼうががわ)に合流、さらに淀川へと注(そそ)いでいます。また名前の由来は無限の智恵と慈悲を持つとされる虚空蔵菩薩(ぼさつ)を祀(まつ)る虚空蔵堂が水源の近くにあることによるそうです。

京田辺市の桜の名所は虚空蔵谷川の両岸に約1kmに渡って桜並木が続いています。ソメイヨシノ(染井吉野、約270本)やオオシマザクラ(大島桜)などが地元の西八桜並木愛護会で維持管理されているようです。
 
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その景色は東京・目黒区にある目黒川の桜並木(下目黒から池尻大橋まで花散らし)をずっと小規模にしたものかもしれません。とは言っても観光客向けの洒落(しゃれ)たショップは皆無(かいむ)ですが・・・。
 
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雨上がりのためか訪れる人は他にありません。お花見のシーズン中には提灯やぼんぼりでライトアップされと聞いた装飾類もありませんからなおさら寂しいのですが、オチビちゃんとコチビちゃんが遊歩道を自由に歩き回れることは好都合です。
 
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出発地点の大住保育園脇から左岸に造られた遊歩道を上流(南方向)の大住小学校方面へ歩きました。
 
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小学校の先にある大住幼稚園の裏手で桜並木は途切れます。
 
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西の方向が開けて第二京阪道路とその先の山々が見えます。京都と大阪の両府境にある天王山(てんのうざん)から高槻(たかつき)市へと続く山並みでしょう。
 
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下流方向へも歩きました。
 
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左岸の遊歩道は橋を渡って右岸へ移りますが、雨が上がったばかりで足元が悪そうですので、ここで引き返すことにしました。

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帰宅後に確認するとまだ300mほど続いていたようです。
 
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<同行者のコメント> 吉野へ行けなくて残念でしたね。でも植物園と川沿いの桜並木はとても良かったですよ。お花見をする人が少なくて、オチビちゃんとコチビちゃんと一緒にお花見が出来たのは楽しい思い出になりました。

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2011年5月 3日 (火)

大阪市立大学理学部附属植物園

オチビちゃんは入学式を終えたことで晴れて小学校の新1年生になりました。大阪に到着してから私は今回のメイン・イベントである吉野へ花見に出かけるタイミングをアイフォーンで毎日チェックしていましたが、3月下旬から4月上旬に掛けての冷え込みで開花が遅れていて、麓に一番近い「下千本」がやっと開花(4月7日現在で1分咲き)したばかりで、より高度の高い「中千本」「上千本」「奥千本」は未開花の状態でした。これは余談で吉野桜と関係ありませんが、写真はそのアイフォーンからアクセスしたラジコ(Radiko)のメニー画面。東京と大阪のラジオ局が両方とも表示(エリア制限が解除)された珍しい状態は東日本大震災対応のため4月11日まで実施されたサービスです。
 
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そこで急遽(きゅうきょ)予定を変更することにして、既に開花している「お花見の穴場」を梯子(はしご)することにしました。最初に訪れたのは大阪府交野(かたの)市私市(きさいち)にある大阪市立大学理学部附属植物園です。同園のhpによれば、戦前に「満蒙開拓団」として移住する人たちの訓練施設として開設され、戦後には大阪市立農事練習所を経て市立大学の附属植物園となったそうです。その発足以来、植物学の基礎研究の対象として多くの植物の収集と保存、なかでも日本産樹木の収集に力を注ぎ、わが国の代表的な11種類の森の型(樹林型)を復元しているそうです。

国道1号(京阪国道)の天の川交差点から国道168号で交野市方面へ向かいました。ちなみにこの国道は枚方(ひらかた)市と和歌山県新宮市を最短のルートで結ぶ酷道(こくどう、ドライブしにくい道)で、京都方面から高野山や十津川温泉へ行くことができます。ほぼ直線ですが微妙に折れ曲がる天野川沿いの狭い道を約5km走ると到着。案内看板に従って右折しました。
 
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天野川に架かる橋を渡ると入口ゲートがありました。受付で駐車料金(一日500円)と入園料(大人350円)を払うと、正規の駐車場が満車のようで、応対(おうたい)の良い係員がゲート脇の草地に車を停めるよう告げてくれました。ラッキー!
 
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目の前にユキヤナギ(雪柳)の群生がありました。枝が枝垂(しだ)れていることが特徴ですが、バラ科の植物ですから一つ一つの花は桜に似ています。
 
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なだらかな散策路を上ります。T字路に行き当り、左手の上り坂へ折れました。
 
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理学部の施設らしく百葉箱が設置されています。左後方は乾燥地の植物です。
 
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反対側の丘の上に桜がほぼ満開になっていて、その下で花見を楽しむ家族連れが何組か見られます。
 
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桜の隠れた名所にしては寂(さみ)しい印象です。受付で手渡されたお手製(コピー)の地図で確認すると「さくら山」へ行くには反対方向(右手)に曲がるべきでした。
 
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「さくら山」へ向かう途中、展示室に立ち寄って「桜コレクション」の説明を見ました。
 
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「さくら山」の坂道を上ると見事な桜の大木が聳(そび)えていました。
 
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この「さくら山」を中心に園内には桜が60品種、320本もあるそうです。
 
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「さくら山」を一周して左手に下りた場所でガイドに案内される20人ほどと行き合いました。大阪府内のグループのようです。
 
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園内を巡る遊歩道で奥の池を経由、日本産樹木見本園でキブシやコブシ・ボケ・竹林などを見て回りました。
 
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この植物園は桜など多彩な花木(かぼく)を楽しめる期待通りの穴場でした。

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