« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »

2011年6月に作成された記事

2011年6月29日 (水)

クラウド化する世界

先月(5月16日)のことですが、英国の天才物理学者スティーブン・ホーキング博士(69歳)が「天国も死後の世界もない」と断言したことがニュースで伝えられました。「宇宙の創造に神は必要ない」とも言う博士は「ビッグバンは物理学的法則の必然的な結果だ」と論じます。かって世界的ベストセラーになった「ホーキング、宇宙を語る」(1989年早川書房刊)のなかで博士は「もし完全な理論を発見できれば、それは人間の理性の究極の勝利になるだろう。その時、人間は神の心を知ることになるのだから」と書いていますが、現在の博士は一層過激になったようです。

2010_10170015 21歳の時に筋萎縮性側索硬化症(ALS)という進行性の神経疾患で余命数年と診断され、「車椅子の物理学者」と呼ばれる博士の優れた理論と「人々は自らの行動の価値を最大化するため努力すべき」との言葉に感銘を受ける一方で、私は死後の世界と自身の救済を望む(闇を恐れる)弱い人間なのです。それにタイムトラベルが不可能であるとする博士の説は私が好きな映画「ある日どこかで」のストーリーを成り立たなくさせますから困るのです。

2010_10170018 さて本題です。ニコラス・G・カー氏が2008年に書いた翔泳社刊「クラウド化する世界」(原題はThe Big Switch)を読みました。ハーバード・ビジネス・スクールの上級編集者を勤めた同氏はITweb2.0を痛烈に批判したことで知られ、いわばIT業界の異端児とみなされた人物ですが、本書では電力会社の発展を隠喩(メタファー)としてインターネットと情報産業がもたらす新しい経済について語っています

これによりワールドワイドコンピュータがあらゆる商品を物理的な形態やコストから解き放ったことを解説、IT業界だけでなく経済界からも注目されているのです。本書の概要を以下に紹介します。注釈;副題はRewiring the world from Edison to Google

2010_11130049 現在、IT業界でバズワード(世間で騒がれているが意味が不明確な言葉)となっているクラウドコンピューティングの最新技術を解説するものではなく情報処理の本質と変遷を巧みに解説するもので、技術的な専門書というよりも経営書に分類した方がふさわしい秀逸な著作である

著者は本書においてクラウドという言葉をほとんど使用しないでユーティリティ・コンピューティングと表現する。ユーティリティとはコモディティ(日用品)化したサービスや商品のこと。つまり著者は情報処理がブロードバンド通信と一体となったことでコモディティ化したことを論証してワールドワイドコンピュータと人間との関係を予測している。

19世紀末にトーマス・エジソンが発電機と電球などの電力システムを開発、エジソンの秘書であったサミュエル・インサルが電力事業のビジネスモデルへと発展させたことを詳しく説明したうえで、ITの世界でも同様のことが起こっていると解説。電力とITの違いにも触れてIT業界の楽観論を諫(いさ)めている。

2010_11210211 人間とコンピュータの関係では、戦前に発明されたパンチカード・システム(タビュレータ)がノイマンのメインフレームへと発展して情報処理の集中化が加速されたことで企業と組織の中央集権的な仕組みが強化された。しかしパソコン(PC)の登場で情報処理の分散化(個人のツール化)するとみられたが、クライアント・サーバ化で再び中央集権化が強化される

その後に登場したインターネットは再び分散化をもたらすと考えられたが、ブロードバンド通信の普及でワールドワイドウェブとして世界中のコンピュータがブロードバンド通信網でつながれたワールドワイドコンピュータ化すると人間の思考や行動が逐次モニターされ、蓄積された大量なデータは分析された上で個人と関連付けされるようになった。

日々膨大なデータが収集されると、個人の思考や嗜好に合わせた情報がグーグルなどの検索サイトを通じて提供され、これを利用した個人は検索サイトへの依存を高めるとともに、検索サイトに思考を誘導されるようになると指摘する。極めて便利なサービスを利用することで、個人はPCのキーボードをクリックするだけで探していた情報や答えが提供されるため、深く思考することを止めて皮相な情報を得ることだけで満足する

2010_11210252

そしてクリックするたびに検索サイトにデータが蓄積されると共に広告費の形で検索サイトを運営する企業の収入が計上される。つまり個人は何も意識しないで個人情報を提供するだけでなく、その企業の収益を増やすことに貢献しているのである

このビジネスモデルは検索サイトだけでなく、動画共有サイトやソーシャルネットワーキングサービスク(SNS)などあらゆるワールドワイドウェブのサービスに共通するものであると指摘する。

急速に発展する産業(企業)がある一方で衰退を余儀なくされるものが出現することを新聞社の事例で解説した。「第8章大いなるバラ売り」は新聞記事がウェブを利用するオンライン化すれば新聞社のビジネスモデルが大きく変化せざるをえないことを説明。映画や音楽などのメディアも新聞社ほどではないにしても影響が大きいと言う。

2010_08100201 インターネットは、豊かで多様な文化を促進するとともに人々を一層調和させて相互理解を促進し、政治的・社会的緊張を緩和する助けになるかもしれないとする一方で、学者の調査研究を引用してそれらを阻害する要因も内在すると警鐘を鳴らす。「第9章ネットと戦う」は、インターネット自身が戦場となるだけでなく、イラク戦争での事例を紹介して現実世界での戦闘において敵方もワールドワイドウェブを利用したことを紹介した。

カタカナの多い文章はやや読み難いものの、インターネットの世界が急速に変化してビジネスに大きな影響を及ぼすことを分かり易く解説する優れた著作として、一読をお薦めしたいと思います。参考情報として本書の目次を以下に引用します。
 
第1部 一つの機械

  第1章 バーデンの水車

 第2章 発明家と実務家

  第3章 デジタル時代のからくり装置

  第4章 さよなら、ミスター・ゲイツ

 第5章 ザ・ホワイトシティ コロンビア万国博覧会

第2部 雲の中に住んで

  第6章 ワールドワイドコンピュータ

 第7章 多数から少数へ

  第8章 大いなるバラ売り

  第9章 ネットと戦う

 第10章  クモの巣

 第11章  iGod

エピローグ 炎とフィラメント

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月27日 (月)

大井町のラーメン店「江戸一」

アメリカから来日した留学生たちを見送る同居者のお供で東京駅へ出掛けました。関西地方の旅行へ元気に出発した留学生たちを見送ったあとはランチ目的で東京駅の駅中をブラブラと歩きました。しかし適当な店が見つかりません。黒塀横丁・Kitchin Street東京駅一番街などのレストラン街へ行くには一度改札を出る必要があるのです。そこで方針を変更、一度食べたいと思っていたラーメン店へ向かうことにしました。JR京浜東北線に乗って大井町駅で下車。
 
2011_06160027
 
大井町駅の西口を出て都道420号を東の商店街に向かって約50m歩くと左手に目当てのラーメン店「江戸一」(えどいち)がありました。つけ麺が有名な店です。猥雑(わいざつ)な店先にはメニューの立て看板や張り紙以外にもドラゴンゲート(神戸のプロレス団体)のポスターと「傾奇者(かぶきもの)使用店」の木札が下がり、「傾奇者をとんこつと野菜盛りで」の張り紙も入口のドア脇に貼ってあります。「傾奇者」は織田信長や前田慶次(前田利家の義理の甥)など異風を好み・派手な身なりで常識を逸脱した行動に走る戦国武将やその影響を受けた江戸時代初期の変人たちのことですが、ここで言う「傾奇者」とはこの店で使っている小麦粉(日清製粉製)のブランド名のことでした。
 
2011_06160018

左手にL字型のカウンター席があり、右手の壁一面にメニューが貼られています
 
2011_06160019

親切に「つけ麺の召し上がり方」も説明されていました。
 
2011_06160020

同行者は表の立看板で見たという「冷し坦坦つけ麺」(750円)、私は好物の「塩ラーメン」(600円)を注文しました。ほどなく塩ラーメンが配膳されました。コーンと萌(もや)しなどがトッピングされてバターラーメンのような雰囲気があります。先ず味わったスープはアッサリしていながら確(しっか)りした味で、自家製で卵が入った中太麺とうまく絡(から)みます。この店ではマイナーなメニューのようですが私好みの味で、ボリュームも私には十二分でした。
 
2011_06160022

次いで店員がカウンター内からわざわざ客席出ていで「冷やし坦坦つけ麺」を配膳してくれました。「塩ラーメン」に比べて小振りのドンブリだと思っていると、皿に大きく盛られた麺も登場。「てんこ盛り」と言うのが相応しい量に圧倒されました。決して大盛りメニューではありません。同行者は黙々と食べ始めました。
 
2011_06160024

塩ラーメンを何とか食べきった頃に、同行者が「味見してみない」と優(やさ)しいことを言うので、ちょっとだけ食べてみました。かなり濃(こ)い目のつけ汁です。そして同行者は「もう食べられないわ。残しても叱(しか)られないかしら」と心配顔に。「残してご免(めん)なさいと言えば多分大丈夫だよ」と言葉を返しましたが、プロレスラーのような強面(こわおもて)の店員(店主?)のことがちょっと気に掛かりました。しかし意外にも愛想(あいそう)が良くて一安心、満足して店を出ました。通り雨が降ったようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月25日 (土)

次世代自動車産業展2011

次いで「次世代自動車産業展」のエリアへ足を踏み入れました。最初のブースはプレイントレーディング社です。カナダ・モントリオールに本拠地を置く3輪自動車(リバーストライク)専門メーカー、カンパーニャ・モータース(Campagna Motors)社製のスポーティな自動車を2種類展示しています。
 
2011_06160049 
2011_06160053
 
一見すると4輪車のようですが、後ろに回ると三輪車であることが分かります。駆動方式はオートバイやスクーターと同様にチェーンあるいはベルトを使用するユニークなものです。カワサキのバイク用1400ccエンジン(ZX‐14)を搭載、軽量化FRP(強化プラスチック)ボディー化で、0100km3.8秒という俊足ぶり。
 
2011_06160051 
2011_06160055
 
情熱的なスタイリングのツーシーターカーです。
 
2011_06160050 
2011_06160056

トヨタはスマートコミュ二ティを実現するスマートセンターとプラグインハイブリッド車Prius PHV)を前面に押し出しています。
 
2011_06160071
 
PHVへの強い関心を持つ私は後者のカットモデルに見入ってしまいました。
 
2011_06160074 
2011_06160075 
2011_06160076

その近くに見慣れないものを発見。日本EV(電気自動車)クラブが主催する「ジャメ・コンタント・オマージュ組立教室」でした。
 
2011_06160080
 
電気自動車の組立キットなのです。
 
2011_06160077
 
木製のフレームが手作り感に溢(あふ)れて、玩具(おもちゃ)のようですが完成させればナンバーを取得して公道もちゃんと走行できるのだそうです。残念なことに価格を聞き漏らしました。
 
2011_06160078

何故かロボットビジネスのエリアもあってFANUC社のロボットが何点も展示されています。ロボット大賞を受賞した省エネロボットと同じく産業用ロボット部門で優秀賞を受賞した「ゲンコツロボット」)などです。
 
2011_06160086

そして特別展示ゾーンにはこれも玩具のようなミニカーが並んでいました。黄色い四輪電動バイク「おでかけですカー」はダジャレによるネーミングが可笑(おか)しい。
 
2011_06160087

フルオープンのマイクロスポーツEV「シャープシューター」の車名には「サソリ固め」あるいは「狙撃手」の意味があってちょっと物騒(ぶっそう)です。フランス製の車両をベースに日本企業が電気自動車に組み上げたものでした。
 
2011_06160089 
2011_06160090

一番奥にはヤマハの大きなブースがありましたが、時間切れでパスせざるを得ませんでした。中国製に続いて日本製として注目される同社の電動バイク「EC‐03」や人気の高い電動アシスト自転車「PAS」などを展示していたようです。

急いで技術セミナー会場の会議棟へと戻りました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月24日 (金)

スマートグリッド展2011

有明の東京ビッグサイト(国際展示場)で6月15日から17日まで開催された「スマートグリッド展」に出掛けました。再び展示会をテーマに取り上げて恐縮ですが、ICT(情報通信技術)関連の展示会に参加することが仕事の一部として私の日常活動となっているのです。技術セミナーを聴講するのが主目的ですが、その空き時間を利用して節電のため薄暗いトンネルのような通路を歩いて展示会場ヘも足を運びました。次世代自動車産業展2011も同じ会場で併催されていますから、そちらも見逃すことは出来ません。
 
2011_06160093
 
「スマートグリッド」とは賢い送配電網もことで、電力問題を抱える欧米先進国や中国などの発展途上国で注目される技術ですが、東日本大震災後は日本でもその必要性が認識されています。震災が発生するまでは停電がほとんどない日本には無用の技術であるとの認識が一般的で、電力会社も積極的に取り組んでいたとは言えません。 
 
次世代自動車はこのスマートグリッドと実は大きな関係があるのです。次世代自動車とは私が関心を持つプラグイン・ハイブリッド(PFV)自動車や電気自動車(EV)などのことを指しますが、これらは電気を利用する立場だけではなく、電気を一時蓄えて、必要があれば電力網へ電気を供給することが出来るのです。つまり大きな蓄電池としての機能も持つスマートグリッドの重要なメンバーでもあるのです。
 
2011_06160092
 
前口上はこれくらいにして、2つの展示会場を大急ぎで見て回りました。そのため写真の紹介を中心にして、解説や薀蓄(うんちく)は最小限に留めたいと思います。

最初に訪れたのは大手電機メーカーのブースが並ぶエリアです。日立製作所は総合電機メーカーとして原子力発電をはじめとする電力に関する製品とシステムを提供しています。もちろんスマートグリッドにも力が入っているようです。ちなみに当ブログでは日立の創業100周年展を紹介しています。
 
2011_06160032

エネルギー・交通・水などの社会インフラにIT(情報技術)を融合させて最適化することの有効性と世界各国における自社の実績を訴えています。
 
2011_06160035

ライバル企業の東芝は日本最大の原子力発電メーカーですが、国内外で実証実験に参加するスマートグリッドと社会インフラの総合ソリューションでスマートシテイを実現する夢を描いています。
 
2011_06160038
 
ちなみにスマートシテイとは、スマートグリッドに留(とど)まらず、あらゆる社会インフラをスマートに(賢く)して生活を安全・安心・便利なものにする考えです。
 
2011_06160039

三菱重工はカーボンフリーエネルギー(二酸化炭素を排出しない自然エネルギー)を強調しています。風力発電に熱心な企業なのです。
 
2011_06160040 
2011_06160041

同じ三菱グループの三菱電機はスマートグリッドとスマートコミュニティへの取り組みを「家庭から宇宙まで、エコチェンジ」のキャッチフレーズで紹介しています。
 
2011_06160042 
2011_06160043

メイデン(明電舎)はサステイナブル・グリッドをテーマに様々な関連技術を紹介しています。ちなみにサステイナブルとは「持続可能な」と言う意味です。
 
2011_06160044
 
私が注目したのは移動電源車。災害時にも企業が事業を継続できる仕組み(BCP)の戦力として期待されるものです。東日本大震災の被災地でも同様の設備が活躍したことをニュースで聞いています。
 
2011_06160047

富士電機のブースも再生可能エネルギーとスマートグリッドがメイン・テーマです。
 
2011_06160066
 
スマートメーターは各家庭や企業に設置して電力を賢く利用するための製品です。現在使われているアナログ式(円盤が回転する)電力計の近未来版で、監視・制御・通信などの機能を備えています。
 
2011_06160068

アメリカのGEエナジー社のブースはスマートメーターとAMI(先進のメーターインフラ)を紹介しています。
 
2011_06160070
 
この会社は発明王のトーマス・エジソンが設立したGE(世界最大の複合企業)のエネルギー部門なのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月22日 (水)

三度目の尾瀬登山 花の駅「片品・花咲の湯」

気分が良くなった私は次の目的地へ向けて車を走らせました。国道401号と国道120号で沼田方面へ15km近く戻った平川交差点を右折、県道64号(奥利根ゆけむり街道)に入って3km余りで花の駅「片品・花咲の湯」に到着。
 
2011_06040370
 
円弧(えんこ)のようにカーブしたユニークな建物は道の駅とスーパー銭湯の雰囲気を兼ね備えています。広い駐車場から入ったのは2階のロビーでした。受け付けで料金(5時間まで一人600円)を支払うと小型のビニールケースに入った伝票を手渡されました。珍しい仕組みです。
 
2011_06040380
 
案内された浴室は階下(1階)にありました。同行者は傷めた足を庇(かば)いながら手摺(てすり)伝いに下りる姿が痛々しい。今回の計画が想定外(!)の雪のために大変な思いをさせてしまったことを少し後悔(こうかい)しました。

階段を下りると「小暮真望ギャラリー」の空間が広がりました。浴室入口の暖簾(のれん)も上品です。
 
2011_06040379
 
日替わりで男女の浴室が変わりますが、この日の男湯は「香の湯」でした。
 
2011_06040372

浴室に入ると脱衣場は手狭(てぜま)な印象。貴重品を預けるロッカーも少しありますが、脱衣籠(かご)が60個余り並んでいます。脱衣場からは、内湯だけでなく、露天エリアも大きなガラス窓越しに見ることが出来ました。

 
2011_06040374

内湯はシンプルな構成で、左手が洗い場(カランは16カ所)と小型サウナ、右手は大浴槽・水風呂と露天エリアへの出入口が配置されています。泉質はアルカリ性単純温泉(ph値8.5)、透明・無味無臭の湯です。アルカリ性温泉と言っても「つるつる感」はそれほど感じません。ちなみに源泉の泉温は29.2度で、40.5度に加温されていると表示されています。

露天エリアには石造りの浴槽が2つ配置されています。一方が瓢箪(ひょうたん)あるいは落花生(らっかせい)に似た形で、もう一方が長方形をしています。私にはこのシンプルな「香の湯」は女性向きの印象があります。脱衣場内に貼(は)られた写真を見ると、この日の女湯である「風の湯」は岩風呂で男湯に相応(ふさわ)しいと思われました。

2つの浴槽を取り囲む植え込みと草花は、尾瀬ヶ原で花をたくさん見たあとでも、気持ちを和(なご)ませてくれます。一つ変わったことに気付きました。露天エリアにカランが並んでいるのです。これまで色々な温泉を利用しましたが初めて経験です。

体の疲れと足の痛みを癒(いや)しているのか同行者は長湯のようですから、その間に館内を見て歩きました。1階の奥には大広間があり食事ができるようです。2階へ上がる階段の先にエレベータらしきものを発見、エレベーターを利用して2階へ上がりました。2階はエレベーターの近くに休憩室と眺望(ちょうぼう)テラスへの出口、受付の反対側には売店(お土産コーナー)とレストラン「花咲」が並んでいます。
 
2011_06040389 
2011_06040390

 
尾瀬高原ホテルでもそうでしたが、尾瀬への観光客と思(おぼ)しき団体客がひっきりなしに入館して来ます。こちらは施設の雰囲気からか若い女性客が多いようです。人並みをすり抜けて庭に出てみました。白い紫陽花(あじさい)が爽(さわ)やかです。
 
2011_06040376 

2011_06040377 2011_06040378
 
温泉から上がった同行者を誘(さそ)って早めの夕食にすることにしました。昼食が早かったことと早朝から長距離を歩いたのでお腹が空いていると思ったのです。それに同行者の好きな「天ざるそば」が大広間(食事処)のメニューにあることも確認済み。

案の定、同行者は天ざるそばを注文。メニューにある花咲地粉そば・尾瀬地粉そば・片品そばの三種類の違いを係の人に訊(き)いて、歯触(はざわ)りの良い「尾瀬地粉のそば」(1290円)を選びました。私は暑いときには熱い食べ物が良いと「熱い天ぷら蕎麦」(980円)を注文。 

先に配膳(はいぜん)された熱い天ぷら蕎麦は白っぽい更科風(さらしなふう)の蕎麦がやや物足りなく、私好みとは言えません。
 
2011_06040383
 
同行者の「尾瀬地粉そば」は蕎麦の実をそのまま轢(ひ)いたもので、食感と風味が良いものでした。「でしょ!」と同行者は得意顔に。天ぷらそばですっかり機嫌(きげん)が回復したようです。「シメシメ!」と思いながら私は喉越(のどご)しの良い美味しい水を何杯も飲みました。
 
2011_06040384
 
花咲(はなさく)温泉のすぐ近くにある「武尊(ほたか)の恵水(めぐみ)」であるとメニューに説明されています。脱衣場に片品湧水群は「平成の名水百選」に認定されたとの説明書きが貼(は)ってあったことを思い出しました。
 
2011_06040381

お腹が一杯になると疲れがどっと出たように感じられ、2階の休憩室(イベントホール)へ移動しました。うとうとしていると1時間以上が経過。居心地(いごこち)の良い施設ですからいつまでも休憩(きゅうけい)していたのですが、日が陰ってきたようですから帰宅することにしました。
 
2011_06040388

県道64号を西方向へ走ると山間(やまあい)に入って行きます。人家が少ないエリアを抜けるこの県道には信号機がありません。片品村と西隣りの川場村の境界にあるトンネルを抜けると県道は南へと向きを変えます。ワインディングロード(峠道)でカーブにはオートバイのタイヤ痕(こん)が幾筋(いくすじ)も残っています。ローリング族やドリフト族が出没(しゅつぼつ)するのでしょう。

気が付けばタイヤ音を鳴らしながら走っていました。もちろん全神経を前方に集中させることは忘れません。そして尾瀬登山の疲れはすっかり忘れていました。国道120号が近くなるとやっと信号機がありました。その国道120号へと右折すると数百mで関越自動車道の沼田IC入口です。渋滞が気に掛かりましたが交通情報によると前橋と練馬などで数kmの渋滞があるだけのようです。

しばらくはエコ運転を忘れてアクセルを踏み込みました。東京が近づくとさすがに交通量は増えましたが、幸運にもアクセルを緩(ゆる)める必要がなく、環状8号に出て通常のコースで帰宅しました。片品村から自宅までの所要時間は3時間弱、今回の総走行距離は約400kmでした。

<同行者のコメント> 山歩きに行くと聞いて出かけましたが、高速道路を出たのは沼田IC。「また尾瀬に行くの?」と聞くと、「天気も良いし、放射能も大丈夫。今回は別のルートだから・・・。」と運転手さんは口篭(くちごもる)だけ。「尾瀬にはもう絶対行かないと言ったのに!」と抗議しても、「知らぬ顔の半兵衛」を決め込んでいます。これは旦那さまのウケウリですが半兵衛とは旦那さまの好きな竹中半兵衛のことだそうです。

そして案の定、大変なことに。木道を一目散(いちもくさん)に歩いて何とか鳩待峠まで脱出して一安心、そしてジェラートを食べて生き返りました。傷(いた)めた足は回復しませんでしたが「花咲の湯」はきれいな施設でとても良かったです。それにゆっくり休憩もできて・・。ところで「天ざるそば」は半兵衛ゆずりの作戦だったのですか!?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月21日 (火)

三度目の尾瀬登山 山の鼻から鳩待峠を経由して富士見下まで(下)

同行者が冷たいものを買っている間にバスのチケット売り場に向かいました。戸倉から富士見下までの区間は会社が違うようで、戸倉に着いてから切符を買うか、あるいは戸倉から富士見下の駐車場まで歩くようにアドバイスされました。このチケット売り場は関越交通ではなく代替輸送のシャトルバスだったのです。取りあえず戸倉行の乗車券(一人900円)を購入しました。午後2時半の戸倉行きバスに乗る予定でしたが、その一本前の2時発を係員が案内していましたので、善は急げ(?)とばかりにジェラートを抱(かか)える同行者を急(せ)かして乗車しました。ここで「善は急げ」の表現は変ですが、私の旅行ポリシーは「時間待ちをするなら、先へ行ってから」に従ったのです。
 
2011_06040354
 
新緑が美しい九十九折(つづらお)りの道を20分余り楽しんでいると、見覚えのある「スノーパーク尾瀬戸倉」(尾瀬高原ホテル)の駐車場に到着しました。
 
2011_06040355

富士見下行きの関越交通バスは一日3本しかないことが事前の調べで分かっていますが、何事にも慎重な私は念のためにホテルのフロントで確認することを忘れません。
 
2011_06040360
 
しかし予定より早く戸倉に到着したため1時間以上も待つ必要があります。同じフロントでタクシーを頼めないかと訊(き)くと、タクシー会社の電話番号は教えてくれましたが、公衆電話を使って自分で交渉するように勧(すす)めるのです。
 
2011_06040358

私にはこの対応が訝(いぶか)しく感じられましたが、言われるままにタクシー会社へ電話を掛けると、「車は全部出払って一台も居ない」とケンモホロロの応対(おうたい)。戸倉には失礼な人が多いと一瞬思いましたが、頭の回転が鈍(にぶ)い「旧式蛍光灯」である私もやっと気付きました。このシーズンには鳩待峠と麓(ふもと)の戸倉をすべてのタクシーがピストン輸送しているのです。富士見下までタクシーで行きたいと言う私は「世間知らず」だったのです。
 
2011_06040357

タクシーを諦(あきら)めた私は、富士見下の駐車場まで歩く体力(気力?)も無く、予定通りバスを利用することにしました。「バスの乗車券は売店で販売している」との貼(は)り紙を見てホテル内の売店に向かいました。しかし私の思い込みから、またもや頓珍漢(とんちんかん)なことを仕出(しで)かします。

対応してくれた女性店員が親切に説明してくれました。「売店で販売するバスの乗車券は鳩待峠行きだけで富士見下行きの路線バスは乗車する時に乗車券を購入(整理券を受け取る)。乗り場はホテルから50mほど離れた表通りにある」ことなどを説明した上で、わざわざホテルの外へ出てバス停の場所を教えて下さいました。さらに丁度(ちょうど)ホテル前に止ったタクシーの運転手にも乗れるかどうかを確認してくれました。しかし相乗り状態でホテルより先(別の駐車場)へ行く旅客が利用するそのタクシーには乗れませんでした。
 
2011_06040361

この親切に礼を述べてバスを待つことにすると定刻の午後3時30分に路線バスがやって来ました。行き先は「富士見下」と表示されていますから間違いありません。
 
2011_06040363
 
僅(わず)か5分ほどで約3km離れた終点に到着。
 
2011_06040365
 
乗客が我々2人だったことから運転手さんは「駐車場に車を停めて鳩待峠を経由して来たのか?」と親しげに尋(たず)ねてくれました。戸倉の人達はとても優しいのです。
 
2011_06040367

富士見下駐車場は早朝に到着した時からほとんど変化した様子がありません。
 
2011_06040369

(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月20日 (月)

三度目の尾瀬登山 山の鼻から鳩待峠を経由して富士見下まで(上)

12時45分に何事も無かったように山の鼻を出発しました。あとは鳩待峠まで木道をひたすら上るだけです。標準所要時間は90分ですから予定した午後2時半のバスに十分間に合うはずです。
 
2011_06040316
 
山の鼻にはキャンプする人たちが大勢居ました。
 
2011_06040317

午後になって上昇し始めた気温は何と26.5度! 至仏山は5月7日から6月30日まで植生保護のため登山禁止である旨の張り紙がありました。
 
2011_06040319

ここでも同行者は木道をどんどん進みます。
 
2011_06040321

連理(れんり)の巨木です。
 
2011_06040322

こちらはキリンのようにも見えます。
 
2011_06040328

尾瀬ヶ原へと注(そそ)ぐ一級河川「川上川」の清流です。
 
2011_06040329

熊除(くまよ)けの鐘が木道脇にありました。
 
2011_06040332

そして水芭蕉の群生です。
 
2011_06040333

木道は小川を渡って少しずつ高度を上げます。
 
2011_06040335

こちらのルートにもところどころ雪が残っています。
 
2011_06040339

根が複雑に絡(から)み合った三竦(さんすく)みの木々は身動きが取れません。
 
2011_06040342

午後1時20分に三分のニの距離を過ぎました。山の鼻を出発してからわずか35分しか経過していません。この区間も驚異的なペースです! しかしこの先は胸突き八丁(むなつきはっちょう)の階段が待ち受けていますから油断(ゆだん)できません。
 
2011_06040345

そして木道が急勾配(きゅうこうばい)になったかと思うと、そのあとは長い階段の始まりです。
 
2011_06040347

至仏山が美しい。
 
2011_06040348

石畳(いしだたみ)に変わりましたから鳩待峠に近付いたことが分かります。草臥(くたび)れ切った足が滑らないように注意して一歩ずつ踏みしめながら歩きました。
 
2011_06040349

午後1時50分、ついにゴールの横断幕(おうだんまく)が見えました。本当は出発点を示す横断幕ですが・・。今回の歩行距離は19.8km、所要時間はちょうど8時間でした。
 
2011_06040351

鳩待峠に到着する登山者の列には歓声を上げる人は誰もいません。皆、すっかり疲れ果(は)てたという風情(ふぜい)です。お疲れさま!
 
2011_06040353
 
(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月19日 (日)

三度目の尾瀬登山 竜宮十字路から山の鼻まで(下)

丸く盛り上がった木立が目の前に迫ってきました。
 
2011_06040281
 
再び真新しい木道の区間に入ります。草原を抜けてまた湿原に入ったようです。
 
2011_06040283
 
小川に架かる橋を渡る周辺に水芭蕉の群生が広がります。

2011_06040285 

2011_06040287
 
ここでも笹が勢力を増しています。

2011_06040290
 
燧岳(ひうちだけ)はかなり遠くに離れました。

2011_06040293
 
再び湿原に戻ると至仏山がパッチワークのように水面(みなも)に映ります。

2011_06040300
 
燧岳とはそろそろお別れです。

2011_06040301
 
木立のなかに松が増えて来ました。

2011_06040305
 
樹木と水芭蕉が共生しています。

2011_06040306
 
せせらぎに水芭蕉が揺(ゆ)れているようです。カッコーの鳴き声が聞こえました。

2011_06040307
 
至仏山(しぶつさん)は見上げるほと大きくなりました。

2011_06040308
 
踏み板が傾(かたむ)いて壊(こわ)れそうな木の橋を渡ります。

2011_06040310
 
左前方で木の間から屋根が透(す)けて見え、山の鼻であることが分かります。

2011_06040311
 
尾瀬ヶ原の水芭蕉とお別れです。

2011_06040312
 
尾瀬ロッジへ12時30分に到着。同行者に追いつくことを諦(あきら)めてペースを落としたため、牛首(うしくび)分岐から平均所要時間と同じ40分掛かりました。

2011_06040313
 
探すまでもなく尾瀬ロッジの入り口に同行者が待っていました。「遅いぞ、武蔵!」と言った佐々木小次郎の表情を想像しましたが、「亀さん、遅いわね!」と言う兎(うさぎ)さんの趣(おもむき)です。小心者の私が安心する間(ま)も与えず、「もう絶対、二度と尾瀬には来ないからね!」と同行者は駄目(だめ)を押します。「この人にはやはり敵(かな)わないな」と思いながら、私が「ふんふん」と適当に相槌(あいづち)を打つのも前回とまったく同じ構図です。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月18日 (土)

三度目の尾瀬登山 竜宮十字路から山の鼻まで(中)

尾瀬ヶ原の草原化が目立ちますが、それでも水辺には水芭蕉の群生を見ることができます。ここの逆さ至仏(さかさしぶつ)も美しい。
 
2011_06040257 
2011_06040258

枝分かれした木道に人集(ひとだか)りがありました。小川の周辺で水芭蕉を撮影するフォトグラファーたちです。ここでプチ蘊蓄(うんちく)を一つ。日本ではフォトグラファーのことをカメラマンと言うことが多いようですが、本来は写真家と呼ばれていました。またイベント会場でアイドルの周りに群がって写真を撮る若者(なかには中高年者も)はカメラ小僧(こぞう)と呼ばれますが私はうまい表現だと思います。
 
2011_06040259

木道の本線に戻ります。
 
2011_06040260

燧岳方面を振り返ると尾瀬ヶ原のこの辺は草原の風情(ふぜい)です。
 
2011_06040262

至仏山方面も同様。
 
2011_06040263

それでも水辺(みずべ)には水芭蕉が・・。
 
2011_06040265 
2011_06040268

木道が水溜まりを避(よ)けて折れ曲がっています。
 
2011_06040270 
2011_06040271

よく整備された木道が続きますが、ちょっと気になるのは福島第一原子力発電所の事故で膨大な復旧と補償のための費用が必要となった東京電力が尾瀬の年間管理費(約2億円)を削減せざるを得ないと発表したことです。尾瀬を環境破壊から護(まも)るため利用者(登山者)も何らかの負担をする必要があるかも知れません。
 
2011_06040272

また草原のような場所を通過します。
 
2011_06040273

丸く盛り上がった木立がさらに近くなりました。逆さ至仏を見つけるとついシャッターを押してしまいます。
 
2011_06040275

燧岳(ひうちだけ)がだいぶ遠くなったようです。
 
2011_06040278
 
11時50分過ぎに牛首(うしくび、標高1400m))分岐を通過。
 
2011_06040280

竜宮十字路からここまで35分でした。この区間(2.2km)を歩く標準的な所用時間の40分に比べてかなり速いはずですが、何としたことか同行者の姿はここにも見当たりません。まさにマラソンランナーや競歩選手のような驚くべき速さです。
 
2011_06040279
 
(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月17日 (金)

三度目の尾瀬登山 竜宮十字路から山の鼻まで(上)

竜宮十字路のベンチで早い昼食(ブランチ)を食べながら休憩を取りました。
 
2011_06040221 
2011_06040223

富士見峠から下りて来た木道を直進すると前回東電小屋へ向かったルートに入ります。
 
2011_06040231 
2011_06040225

草花を撮影したり、熊除(よ)け鈴と合唱する蛙(かえる)の声を録音しながら、雪道の難儀(なんぎ)を忘れさせてくれる楽しい一時(ひととき)を過ごしました。
 
2011_06040229 
2011_06040232 
2011_06040233

ちょうど30分休憩した11時15分に竜宮十字路を出発。
 
2011_06040236

この木道を歩くのは3回目です。
 
2011_06040237

同行者は雪道で足を傷(いた)めたと言っていたのに、驚くべき速さで山の鼻へ向かって木道を歩いて行きます。風景と花の写真を撮ることに夢中になっていた私はついに同行者の姿を見失っていました。
 
 
2011_06040238
 

少しペースを上げて追いつこうとしましたが、原宿や表参道の歩道のように混雑する木道は思うような速さで歩けません。実は私も雪道で踏ん張った足に鈍(にぶ)い痛みを感じ始めていたのです。
 
2011_06040234
 
冠雪(かんせつ)した至仏山(しぶつさん)が徐々に近づく木道の風景は尾瀬ヶ原の醍醐味(だいごみ)です。木道の奇妙(きみょう)なインターチェンジ(?)を通過。
 
2011_06040242

ここにも水芭蕉(みずばしょう)の群生(ぐんせい)があります。
 
2011_06040243

振り返えると燧岳(ひうちだけ)の勇姿(ゆうし)が少しずつ遠ざかって行きます。
 
2011_06040245

真新しい木道は平成22年の焼印(やきいん)が押してあります。
 
2011_06040246 
2011_06040250

水芭蕉の姿が消えて笹の野原に変わりました。尾瀬ヶ原の草原化を象徴(しょうちょう)する景色です。しかし、これは自然の摂理(せつり)ですから、残念ながら人間には止められません。
 
2011_06040251
   
小さな水溜(みずた)まりにも「逆さ至仏」が映えています。
 
2011_06040254
 
(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月15日 (水)

インターネットの展示会「Interop Tokyo 2011」

千葉市美浜区にある幕張メッセに出掛けました。先週後半(6月8日‐10日)に開催されたインターネット関連の展示会 Interop Tokyo 2011 に参加するためです。私の主目的は講演会。2日間に亘(わた)って多くの講演を聴きましたが、その休憩時間を利用して展示会場も駆け足で見て回りました。事務局の発表によれば、出展企業は約300社、3日間の入場者数は延(のべ)で約13万人強とのこと。
 
2011_0611interoptokyo20110048 
 
今回の主要テーマはクラウド・コンピューティング、次世代ネットワーク(NGN)、セキュリティ、次世代データセンター、グリーンITIPv6への移行問題、アナログ停波などです。同じ期間にメディアコンテンツビジネスの展示会である「IMC Tokyo 2011」と電子看板を扱う「デジタルサイネージジャパン」(DSJ 2011)も併催されました。
筆者注;IMCInterop Multimedia Convergenceの略

3つの展示会が合同で幕張メッセの巨大な会場のうち3区画(ホール4-6)を使っているだけですから会場全体を歩き回ってもそれほどの距離ではありませんが、入場者が会場の広さの割に多いことと、アンケートへの協力やブースへ勧誘(かんゆう)するスタッフが多いために、真っ直ぐ歩くのが困難なほどです。順不同ですが、目に留(と)まったブースを紹介します。
 
2011_0611interoptokyo20110003 

最初に大きなラーメン店を見つけました。インターネット関連の展示会にラーメン店とは変だと思ってよく見ると、シャープのマルチパネルのデモンストレーションでした。大型ディスプレイを多数組み合わせて、ラーメン店だけでなく様々な店舗を演出しています。ちなみに「東京ラーメンストリート」は東京駅八重洲口の「東京駅一番街」で今年の4月8日にオープンした実在するラーメン専門の飲食店街(8店舗)です。
 
2011_0611interoptokyo20110004 

一瞬でこんな風にも変わります。
 
2011_0611interoptokyo20110005 

大型マルチパネルの精細(せいさい)さは見事です。
 
2011_0611interoptokyo20110010 

隣(とな)りの大日本印刷(DNP)も同様のマルチパネルを展示していました。
 
2011_0611interoptokyo20110015 

ロシアのネットワーク・セキュリティ企業、カペルスキー社Kaspersky Labのブースでは研究所長としてAKB48の前田敦子(あつこ)さんが等身大パネルとして何躰(なんたい)も立ち並んでいます。この展示会の開催期間中に行われたAKB48の第3回選抜総選挙(6月9日開票)で第1位に返り咲いた前田さんは正に時の人。国会議員の総選挙よりも注目されたイベントは東日本大震災による大きな喪失感(そうしつかん)と国会の混乱で強まった沈滞ムードを心理面では払拭(ふっしょく)しそうな勢いでした。
 
2011_0611interoptokyo20110022 

今回グランプリを受賞した富士通ブースはクラウド・セキュリティ・スマートフォンなどをプレゼンテーション・ステージと展示コーナーでPR
 
2011_0611interoptokyo20110024 

アラクサラネットワークス(日立とNECの合弁会社)は情報・社会基盤を支えるネットワークとその仮想化を前面に押し出していました。
 
2011_0611interoptokyo20110025 

私が注目したのは日本フルハーフ(日本軽金属といすゞ自動車の合弁)が出展した実物大のコンテナ型データセンター(災害復興部門でグランプリ受賞)。20フィート長のコンテナ内に約250台のサーバを設置できるそうです。建築法などの厳しい制約がある日本では遅れていた分野で、グーグル・ヤフー・マイクロソフトなどのクラウド事業者が欧米で大量に導入している経済的な手法です。ちなみに日本でも今年3月下旬に建設基準法の適用が緩和されてその運用が可能となりました。
 
2011_0611interoptokyo20110026 

見学には招待状が必要と表示されていますが、覗(のぞ)き見させてもらいました。
 
2011_0611interoptokyo20110028 

BROCADEは米国の新興企業で仮想化環境のネットワーク・ソリューションを提供するベンダーです。10x10による100GbE x 2のリンクアグリゲーションなどユニークな製品群を展示していました。
 
2011_0611interoptokyo20110029   
 
Interop Special Feature Pavilionは展示会事務局が集めた中堅企業群の展示ブースでした。
 
2011_0611interoptokyo20110030 

大塚商会IPv6への対応を打ち出しています。元気が出るネットワークとは!? 東日本大震災を意識したキャッチフレーズかも知れません。
 
2011_0611interoptokyo20110038 

NTTコミュニケーションズのブースでは綺麗(きれい)なお姉さんが優しく迎えてくれて、ちょっと足が止まりそうになりました。
 
2011_0611interoptokyo20110040 

ネットワーク機器大手の米国シスコ社は「ボーダレス ネットワーク」「クラウド/データセンター/仮想化」によるネットワーク・ソリューションを強調。
 
2011_0611interoptokyo20110044 

NECは競合する富士通と同じくクラウドに加えて「IPv6対応ブロードバンドルーター」やCATV向け Androidタブレット「LifeTouch」を展示・デモ。C&Cが付くのが同社の特徴。
 
2011_0611interoptokyo20110045 

NTTグループの光サイネージ(電子看板)専用ブースには、規模・用途に合わせて選べるデジタルサイネージサービス「ひかりサイネージ」やデジタルサイネージ用Androidアプリ「ひかりサイネージLite」、メディアプレーヤーを搭載したネットワーク対応型ディスプレイ、携帯電話連携サイネージなどが展示されています。
 
2011_0611interoptokyo20110046 

活気溢(あふ)れる展示会場には約1時間の滞在でしたが、ホットなテーマ(バズワード?)であるクラウド・コンピューティングとセキュリティにも東日本大震災の影響が色濃く反映されていることを感じました。さあ、技術セミナー会場へ戻ることにしましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月13日 (月)

三度目の尾瀬登山 富士見峠から竜宮十字路まで(下)

熊笹(くまざさ)と背の高い樹木がある美しい雑木林(ぞうきばやし)に出ました。
 
2011_06040197
 

私は空を見上げる余裕も。
 
2011_06040196


清楚(せいそ)な白い花はキクザキイチゲ(菊咲一華)のようです。花の形が菊に似ていることから名付けられたそうです。
 
2011_06040200


視界が開けて木の間から水芭蕉(みずばしょう)の咲く湿原が見えます。
 
2011_06040201 
2011_06040202 
2011_06040206 
2011_06040204
 
前回は、水芭蕉の群生に惹(ひ)かれて、竜宮十字路からこの辺(あた)りまで来たことを思いましました。
 
2011_06040207 
2011_06040208 
2011_06040209
 

黄色の花はオオバキスミレ(大葉黄菫)かオオバミゾホオズキ(大葉溝酸漿)のようです。花弁と葉の形からみて前者でしょう。
 
2011_06040211


水芭蕉とオオバキスミレが水辺(みずべ)に仲良く共生(きょうせい)しています。
 
2011_06040213 
2011_06040214 
2011_06040215 
2011_06040216


大勢の登山者がベンチで休憩する竜宮十字路へ向かう同行者。写真撮影で立ち止まったため、同行者が追い抜いたのです。遠くに見えるのは景鶴山(左、標高2004m)と与作岳(右、標高1933m)でしょう。
 
2011_06040217


富士見峠の方向を振り返ると、あの雪中行軍(せっちゅうこうぐん)が嘘(うそ)のように穏(おだ)やかな景色がありました。
 
2011_06040219


富士見峠の分岐点を出発してちょうど2時間後の午前10時45分、ついに竜宮十字路に到着。あの雪深い急な下り坂を標準所要時間(2時間)で歩き切ったなんてとても信じられません。
 
2011_06040220


長い連載記事の前半が終ったところで、次回はインターミッション(中間の休憩)の記事を掲載します。


≪お知らせ≫ 

尾瀬登山の記事を書き始めた時に、例年のことですが、アメリカの高校生を受け入れる同居者のボランティア活動が始まりました。及ばずながら私もその手伝い(実際は使い走り)をしていますから、その期間中は同居者だけでなく私も遠出が出来ません。そして時期が符合しましたが、私自身も1箇月近く掛かる在宅仕事を依頼されたのです。したがって「尾瀬登山」(後半)の投稿が終ると旅行記事の投稿は一時休止せざるを得ませんが、旅行以外の記事は出来るだけ書きたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月12日 (日)

三度目の尾瀬登山 富士見峠から竜宮十字路まで(中)

雪道を黙々と歩きます。
 
2011_06040154
 
ずっと先導していた同行者が疲れたのか私に交代するように言います。
 
2011_06040157

午前9時25分に中間点の長沢頭(ながさわがしら)に差し掛かりました。
 
2011_06040159

気のせいか雪の量が少なくなったようです。すれ違った男性の登山者が今定番の山ガールには程遠い軽装の同行者を見咎(みとが)めて、「お嬢(じょう)ちゃん、山を舐(な)めたら駄目(だめ)だよ!」と和(にこ)やかに言うのです。同行者は「お嬢ちゃんだって!」と一向にめげる様子はありません。
 
2011_06040162
 
「これには色々と家庭の事情(事前の打ち合わせが不十分)が有りまして・・」と小心者の私は心の中で呟(つぶや)きます。
 
2011_06040163

そして木の間(このま)から尾瀬ヶ原が見えて来ました。ついに難所を突破したと安堵(あんど)したのも束の間(つかのま)。
 
2011_06040166

本当の難所が待ち受けていました。雪解(ゆきど)け水でぬかるんだ急坂は残雪と相(あい)まって滑(すべ)りやすいのです。
 
2011_06040167
 
コース取りに細心の注意を払いました。
 
2011_06040170

木道を歩けるようになると本当に楽です。
 
2011_06040174 
2011_06040177 
2011_06040178

枝が複雑に広がった倒木(とうぼく)が行く手を塞(ふさ)いでいました。登山者が障害物競争のように身を攀(よ)じって苦戦しています。
 
2011_06040179

同行者は何故(なぜ)か嬉(うれ)しそう。
 
2011_06040183

沢の水音が疲れを癒(いや)してくれます。
 
2011_06040184

木の根道(きのねみち)と大きな岩が転がる岩場道が続きます。
 
2011_06040188

午前10時15分に長沢へ到着。竜宮十字路まであと1kmの地点です。
 
2011_06040189
 
土場と長沢の間が勾配のきつい難所であったことが地図ではっきり分かります。
 
2011_06040192

美しい苔(こけ)を木の根元に見つけました。
 
2011_06040194
 
(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月11日 (土)

三度目の尾瀬登山 富士見峠から竜宮十字路まで(上)

計画より15分早い午前8時45分に分岐点から長沢新道を下り始めました。
 
2011_06040137 
2011_06040138 

どこにも木道の姿はなく、急な下り坂を足跡と木に結ばれたピンクのリボン(ルートの目印)を頼りに下りました。
 
2011_06040139 
2011_06040140 
2011_06040141 

峠を少し下りれば雪も消えるだろうとの私の予想(期待?)は見事に裏切られて雪道がどこまでも続いています。
 
2011_06040142 

細々(こまごま)とした説明は省(はぶ)きますので同行者の奮闘(ふんとう)ぶりをご覧下さい。
 
2011_06040143 
2011_06040144 
2011_06040145 

雪山に慣れた登山者でしょうか、2-3名の男性に追い抜かれました。
 
2011_06040146 

映画「八甲田山」のシーンが突然私の頭を過(よ)ぎりました。この日は快晴ですから、「雪崩(なだれ)さえ発生しなければ何の心配もない」と自(みずか)らを叱咤(しった)しながら、滑らないように踵(かかと)を意識して下ります。
 
2011_06040147   

しかし、この先には私の予知能力(よちのうりょく)を遥(はる)かに超えるとんでもないことが待ち受けていたのです。
 
2011_06040148 

時々木道が姿を見せますから私はもう直ぐ雪が少なくなるだろうと期待して歩き続けました。
 
2011_06040149 

kmも歩いたかと思いましたが、9時5分に到着した土場(どば)と表示された標識には「富士見峠1.3km」とありますから、分岐点から僅(わず)か1km余りしか進んでいないのです。竜宮の十字路まではまだ2.9kmも残っているのです。
 
2011_06040150 

木製の立派なベンチで休憩。先には木道も見えていますから状況が良くなるように思われました。
 
2011_06040151 

しかし安心したのも束の間で、木道は再び姿を消し、雪道に戻ってしまいました。
 
2011_06040152   
 
(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月10日 (金)

三度目の尾瀬登山 富士見峠からアヤメ平まで(下)

雪の坂道を上り切るとさらに見晴らしが開けそうです。
 
2011_06040113
 
素晴らしい展望です。新緑が美しいスロープの先(南西方向)にはみなかみ町との境界にある西山(標高1898m)があり、遥(はる)か彼方(かなた)には同じく連山(れんざん)の武尊山(ほたかやま、標高2158m)を望むことも出来ます。
 
2011_06040114

雪が消えた傾(なだ)らかな木道を上って行くと視界がさらに開けました。標高2000m近いこんな亜高山でも小鳥の囀(さえず)りが聞こえます。ヒガラ(日雀)やミソサザイ(鷦鷯)などかも知れません。
 
2011_06040116

後方には燧岳(ひうちだけ)がさらに大きくなりました。
 
2011_06040118

ベンチで休憩(きゅうけい)する登山者が二人居ます。アヤメ平(標高1969m)であることは間違いありません。
 
2011_06040129 

2011_06040130

標識の反対側にある丸太の頂部(ちょうぶ)に貼り付けられたプレートには「キンコウカ(金光花)を菖蒲(あやめ)と見間違(みまちが)えたことでアヤメ平と名付けられた」ことと「昭和30年代に入山者が踏(ふ)み荒らしたため裸地化(らちか)してしまった」ことが説明されています。
 
2011_06040123

木道の右手前方には至仏山(しぶつさん、標高2228.1m)のどっしりとした威容(いよう)が大きく見えます。
 
2011_06040124

木道の周辺を見渡すと、湿原植物復元作業が行われている以外は草原のようで、同行者が指摘したようにアヤメの姿は皆無です。
 
2011_06040128 
2011_06040122 
2011_06040121 
2011_06040120
 
僅(わず)かに見つけたショウジョウバカマ(猩々袴)の花を撮影していると、遠くでカッコー(郭公)の鳴き声が微(かす)かに聴こえました。聴力検査ではありませんが聴き取れますか?
 
2011_06040131

この素晴らしい景色を楽しみながら、よく整備された尾根伝いの木道を鳩待峠まで辿(たど)りたくなりましたが、同行者が雪の分岐点で待っていますから引き返すことにしました。
 
2011_06040126

帰路の雪道はコース取りの要領を覚えたことで、山々を楽しむ余裕も生まれ、難なく分岐点まで戻りました。
 
2011_06040135
 
(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月 9日 (木)

三度目の尾瀬登山 富士見峠からアヤメ平まで(上)

休憩に利用させてもらった公衆トイレには太陽発電が設置されていると表示されてます。そう言えば林道が富士見小屋に行き当たった場所には大きな太陽熱温水器も設置されていました。
 
2011_06040084
 
出発前に確認した尾瀬保護財団のhpが「八木沢橋が壊れたことで八木沢道はしばらく通行止め」と伝えていましたので、長沢新道を歩いて尾瀬ヶ原の中心に近い竜宮十字路へ直接向かうことを計画しています。
 
2011_06040083
 
ちょうど午前9時に鳩待通りと長沢新道へ向かう左手の登山道に入りました。
 
2011_06040089
 
靴に着いた種子を落とすマットを通過すると直ぐに木道が雪で覆(おお)われて見えなくなりました。
 
2011_06040090
 
一面の雪の中、所々で雪から顔を覗(のぞ)かせる木道と他の登山者の足跡を頼りに歩きました。
 
2011_06040092
 
峠越えですから多少の積雪は覚悟(かくご)しています。
 
2011_06040093
 
同じ6月上旬に大清水口から三平峠を越えて尾瀬沼へ下りた時もやはり雪道をかなり歩いたことを思い出します。
 
2011_06040094
 
高みに上って日当たりの良い場所に出ると雪が溶け始めていました
 
2011_06040095
 
この様子なら心配することはなさそうです。
 
2011_06040097
 
と思った矢先、林の中に入ると積雪が木道を覆(おお)い始め、鳩待通りと長沢新道の分岐点に差し掛かると、いずれの登山道もほとんど雪に覆(おお)われていました。標識が大きく傾いているのは雪のせいかもしれません。事前の検討では、鳩待峠方面に約1km進んだところにあるアヤメ平(標高1969mにある山上湿原)に立ち寄ることも考えましたが、時間配分が難しいと判断してオプション扱いにしていました。

しかし同行者の健脚に助けられてスケジュールより約1時間先行していますのでアヤメ平を往復する時間が生まれました。同行者は例によって「アヤメの季節には早すぎるわ。ここへ戻ってくるのなら待ってる!」 と言います。
 
2011_06040098
 
雪道のアップダウンは予想外に疲れますが、引き返すのも悔(くや)しいですから、我武者羅(がむしゃら)に歩きました。
 
2011_06040102
 
雪が少なくなった木道で前方から来る登山者に出会いました。鳩待峠から尾根伝いに歩いて来たのでしょう。挨拶(あいさつ)に続き「アヤメ平は近いですか?」と質問すると、「すぐそこですよ!」と余裕のある返事があり、安心して先へと進みました。
 
2011_06040103
 
左側の展望が開け、前方には鳩待通りの稜線(りょうせん)が真っ直ぐ続いているのが確認できました。
 
2011_06040105
 
ずっと下には戸倉(とくら)と片品溪谷(かたしなけいこく)が見渡せます。
 
2011_06040106
 
右手の木立越しに雪山が見えました。景鶴山(標高2004m)かもしれません。
 
2011_06040108
 
左下には上って来た林道がはっきり見えます。林道から見上げた場所はやはりこの辺(あたり)だったようです。
 
2011_06040109
 
樹林が途絶えて広場のような場所に出ました。アヤメ平かと思いましたが標識が見当たりません。もう少し先のようです。後ろを振り返ると燧岳(ひうちだけ、標高2356m)の山頂部がくっきりと見えます。
 
2011_06040110
 
前方には尾根伝いに木道が真っ直ぐ伸びています。
 
2011_06040111
 
(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月 8日 (水)

三度目の尾瀬登山 富士見下から富士見峠まで(下)

単調な林道が続きます。ずっと先行する同行者は、日差しを受けて暑くなったのか、いつの間にかジャケットを脱いでいました。白いフードが白頭巾(しろずきん)のように見えます。それとも映画「ゴーストバスターズ」のマシュマロマン?
 
2011_06040047
 
背の高い白樺(しらかば、しらかんば)が見事。
 
2011_06040049

林の中に残雪が広がっています。
 
2011_06040053

林道脇にも残雪の帯(おび)が続きます。
 
2011_06040052

立ち木越しに見える三角形の山は荷鞍山(にくらやま、標高2024m)でしょう。
 
2011_06040054

富士見峠が近くなったようです。
 
2011_06040056

これも見事な白樺。
 
2011_06040057

前方に開けた山を指差して同行者は「あの山を越えるの!」と悲鳴(ひめい)を上げます。「あれは山頂。我々が越えるのは富士見峠の方」と意味不明な慰(なぐ)めの言葉を返します。残雪が白く輝(かがや)く前方の山はアヤメ平付近のようです。
 
2011_06040060

残雪が山のスロープを覆(おお)い始めました。
 
2011_06040061

林道の来し方(きしかた)を振り返るとアヤメ平から南に伸びる稜線(りょうせん)が見えます。
 
2011_06040069

その左手には片品溪谷(かたしなけいこく)が展望できました。
 
2011_06040070

雪解(ゆきど)け水が湧(わ)き水のように流れています。
 
2011_06040072

このため林道も少し泥濘(ぬかる)んでいます。
 
2011_06040074

除雪車を見掛けました。
 
2011_06040075

左カーブを抜けると突然、緑色の屋根が見えました。富士見小屋のようです。
 
2011_06040078

富士見峠の富士見小屋(標高1883m)へ午前7時50分に到着。6.3kmの上り区間を一気に歩きましたから長めの休憩を取ることにしました。所要時間は予定した2時間半(標準所要時間3時間)をはるかに下回るちょうど2時間と健脚者並でした。富士見峠の名前は晴れた日には片品渓谷や赤城山の遥(はる)か遠くに富士山の姿を望めることから名付けられたそうです。しかし富士山が見えるのは峠からではなく、もう少し見晴らしの良いアヤメ平からのようです。
 
2011_06040079

富士見小屋の前の道は、我々が登って来た片品村富士見下(富士見林道)、鳩待峠(鳩待通り)、尾瀬ヶ原・竜宮十字路(長沢新道)、尾瀬ヶ原・見晴(八木沢道)、尾瀬沼南岸(皿伏新道)の計5方向と繋(つな)がっているのです。
 
2011_06040082

(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月 7日 (火)

三度目の尾瀬登山 富士見下から富士見峠まで(上)

久しぶりに尾瀬を目指すことにしました。テレビニュースを観(み)ていた同居者が「今年の尾瀬は空いているそうよ!」と言うのを聞き逃(のが)しません。尾瀬は5月24日に山開きされたばかりですが、同居者はまた尾瀬へ行きたくなったようだと勝手に理解して早速計画を立てました。これまでの鳩待峠口(はとまちとうげぐち)と大清水口(おおしみずぐち)から入る同じルートをもう一回歩いても詰(つ)まらないと考えたへそ曲がりの私は富士見峠を越えるルートを選びました。

昔は尾瀬ヶ原へ入るメインルートだったようですが、現在は交通の便が良くて木道が整備された鳩待峠口と尾瀬沼に一番近い大清水口から入る登山者が圧倒的に多くなっています。事前準備として、通行止め情報や放射線量の測定結果に問題がないことをチェック、そして勿論(もちろん)、天気予報の確認も怠(おこた)りはありません。緻密(ちみつ)な計算に基(もと)づいて時間配分もしっかり行いました。

いつもの七つ立ちではなく、それより少し早い丑(うし)三つ時(午前2時過ぎ)に自宅を出発。関越自動車道の前橋IC辺りで東の空が白(しら)むのを見ながら走ると、利根川を渡るところで赤城山の稜線(りょうせん)が見え始めました。
 
2011_06040011
 
沼田ICを出て国道120号(日本ロマンチック街道)で片品村を目指します。午前5時頃に国道401号(奥利根ゆけむり街道)にそれる鎌田(かまた)交差点で前方の山の端(は)に朝日が上って夜明けを迎えました。当日の日の出時間(群馬県)は午前4時27分ですが山間(やまあい)の地では30分ほど遅いのです。

戸倉で県道63号(奥利根ゆけむり街道)にそれ、一般車向けの尾瀬第2駐車場の先でマイカー規制のない村道に入ってスノーパーク尾瀬戸倉へ向かい、その先の富士見下(標高1173m)まで走り、富士見下駐車場に車を停めました。30台が駐車可能な小規模の駐車場ですが、利用者が少ない上に、他の駐車場と違(ちが)って無料なのが嬉(うれ)しい。早朝なのにもう先客がいます!
 
2011_06040014

身支度を整えて予定より少し早い午前5時50分に出発。駐車場の一番奥に林道のゲートがありました。東京電力や富士見小屋の関係者だけが開閉できるようです。
 
2011_06040017
 
砂利道(じゃりみち)の林道が折れ曲がりながら続きます。富士見峠まで約7.4km(2-3時間)、竜宮十字路まで11.6km(5時間前後)と長いことが鳩待峠口ルートと異なります。ちなみに鳩待峠から尾瀬ヶ原の山の鼻までは約3.3km(1時間)ほどです。
 
2011_06040021
 
逸(はや)る気持ちを押さえて足慣(あしな)らしのつもりで緩(ゆる)やかな上り勾配(こうばい)の道を歩きました。小鳥の囀(さえず)りが聴こえます。
 
2011_06040022 
2011_06040023

足早に歩く男性登山者が追い抜いて行きました。
 
2011_06040025 
2011_06040028
 
大きく開けた公園のような場所に出ました。田代原です。
 
2011_06040033 
2011_06040034

十二曲を過ぎた馬洗渕(うまあらいぶち)がちょうど中間点のようです。
 
2011_06040037
 
 
砂利道の林道は先ほど追い抜いていった登山者以外には人っ子一人(ひとっこひとり)出会うことはありません。 
 
2011_06040040 
2011_06040041
 
次いで「元休憩所」と表記された立て看板を見つけましたが「元」では休憩できないので休まずに通過しました。利用者が少ないためか富士見峠まで休憩所はおろかベンチさえ一箇所も設置されていないようです。
 
2011_06040044
 
高みに上がるにつれて周囲の山々の展望が開け、道端(みちばた)には残雪(ざんせつ)が目立つようになりました。
 
2011_06040045 
2011_06040042
 
(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月 3日 (金)

九十九里浜でサイクリング・デビュー@雨に降られた帰路

棚田(たなだ)と湧(わ)き水で有名な蛇園出清水(へびそのでしみず)にも立ち寄るつもりでしたが、事前に場所をよく確認していなかったため、案内標識に気を付けながら国道126号を飯岡駅方面に走りました。
 
2011_05220227
 
しかし見つけられないままに飯岡駅の近くを通過、旭警察署に差し掛かってしまいましたので、次の機会に立ち寄ることにして諦(あきら)めました。袋西交差点を右折して県道28号に入って1km足らずで「袋公園の駐車場」を見つけました。最近造られた真新しい駐車場のためヤフーの地図にも出ていません。
 
2011_05220238

旭市のhpには「袋(ふくろ)公園内にある溜池(ためいけ)は、椿(つばき)の海を干拓(かんたく)して現在「干潟八万石」と呼ばれる耕地をつくる際、椿の海に流れ込む水を制御し、またその水によって下郷村々の用水もまかなうのを目的としてつくられた13の溜井堰(ためいけせき)のうちの一つです。」
 
2011_05220228
 
「現在では都市公園として整備され、溜池の周囲約1,400mの遊歩道沿いには約500本の桜をはじめ、ツツジ、さつきなどが植えられています。」
 
2011_05220234
 
「溜池はへら鮒(ぶな)の釣り場としても有名で、毎年春と秋に釣り大会も行われています。北側にはアスレチックも整備され、市民の憩(いこ)いの場として賑(にぎ)わっています」と説明されています。
 
2011_05220230

遊歩道でサイクリングを楽しめるかもしれないと立ち寄ったのですが、生憎(あいにく)の雨のため諦(あきら)めて、写真撮影だけに留(とど)めました。
 
2011_05220231

国道126号へ戻るのも面白くありませんから、県道28号をさらに5kmほど北上して、干潟郵便局の近くで県道74号(東総広域農道)に入りました。
 
2011_05220239 
2011_05220244
 
私は信号機が少ない広域農道を走るのが好きなのです。
 
2011_05220242 
2011_05220245
 
多古町に入ると国道296号に往き当り、広域農道の終点でした。
 
2011_05220246

東関東道の富里ICまで一本道で10数kmの距離ですからもう安心と思いましたが、富里市の御料交差点の少し手前で見事に裏切られました。自動車の追突事故のため交互通行の規制で大渋滞が発生したのです。そして富里市役所の辺りから雨の日の夕方だからでしょうか自然渋滞で長い車列が続きましたが、クランク状に折れ曲がってやっと入った東関東自動車道では快調なドライブに戻りました。雨の日の高速運転は得意なのです。

佐倉IC・四街道IC・千葉北ICを順調に通過、宮城野JCTで京葉道路に入った時にラジオの交通情報が幕張IC付近の渋滞を伝えました。大したことはないと高を括(たかをくく)りましたが、意外と厄介(やっかい)な渋滞でノロノロ運転が続きました。
 
2011_05220248
 
そして首都高速に入ると両国JCTから三宅坂JCTまで交通標識の真っ赤(まっか)な
表示通りにお定まりの渋滞が待っていましたが、その後はスムーズな流れとなり、明るいうちに帰宅できました。

<同行者のコメント> 津波で家が流された飯岡の被災地でもサイクリングするなんて! そう言う私も、海辺里で食べた「海菜ちらし寿し」が美味しく、黒湯の温泉も被災された方とご一緒できました。しかもタダで!! つい浮かれてしまってごめんなさい。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2011年6月 2日 (木)

九十九里浜でサイクリング・デビュー@飯岡九十九里自転車道(後編)

再び飯岡みなと公園まで戻って、県道30号から国道126号を経由して飯岡灯台を目指しました。今回はその手前にある「九十九里・飯岡カントリーハウス海辺里(つべり)」に立ち寄りました。
 
2011_05220171
 
地魚料理を出すこの店は九十九里海岸と夕日が美しいことで知られますが別棟(べつむね)で宿泊もできるようです。
 
2011_05220177

津波の様子を写した写真が店内に溢れていました。
 
2011_05220173

立ち寄った目的は復興どんぶり(1000円、内100円は被災地義援金)を食べるためです。
 
2011_05220178

私はその「いわしの漬け丼」を、同行者はちょっと豪華な「海菜ちらし寿し」(1300円)を注文しました。
 
2011_05220181

料理に満足して表に出ました。ひび割れを応急修理した道路を横切って飯岡漁港を見下ろすと、公園脇に積まれたガレキを除けば、何事もなかったように見えます。
 
2011_05220188

前回も立ち寄った飯岡灯台と飯岡刑部(ぎょうぶ)岬展望館に立ち寄りました。
 
2011_05220198

高台ですから津波の影響は無かったようです。ここにも「あしたのジョー」の彫像が2躰(たい)置かれています。
 
2011_05220193

飯岡助五郎の墓がある光台寺にも立ち寄りました。
 
2011_05220199

「利根の川風袂(たもと)に入れて月に棹(さお)さす高瀬舟」と浪曲で詠(うた)われる「天保水滸伝」は笹川繁蔵と飯岡助五郎の二人の侠客(きょうきゃく)が勢力争いする物語。悪役とされますが地元では地域振興に活躍した人物として助五郎が評価されているそうです。
 
2011_05220200

雲行きが急に怪(あや)しくなりました。同行者はオーストラリアの「モーニング・グローリー」のようだと指さす先を見ると、そんな雰囲気があるロール状の巻雲がありました。
 
2011_05220205

日帰り温泉は、飯岡みなと公園のすぐ近くで「飯岡温泉 グロリア九十九里浜」(800円、旧健康ランド伸幸館)が営業していますが、国道126号で旭市の中心部方向へ2kmほど戻った旭市飯岡支所の隣にある「保険福祉センター」を利用することにしました。地元住民のための温泉施設ですが、一般の来訪者も大人300円で利用できます。下調べで分かったことは、営業時間が11:0016:00(女湯は火・木,男湯は水・金ともに13:00までで、毎週月曜日が休みであることです。
 
2011_05220209

外観は公共施設そのものです。左右対称の設計になっていますので左右のどちらが入口なのか分かりません。中央に説明看板がありますので近寄ってみましたが表面が風化して良く読み取れません。ふと横を見ると足踏み健康の仕組み(写真の右端)に気づきました。私が一番苦手なものです。

直感を働かせて人の出入りのある左手の入口を入り、節電中で薄暗いホール脇の受付へ向かいました。料金を訊(たず)ねると、「6月1日に再オープンする予定で、現在は被災者向けに無料開放していますが、折角来ていただいたのだからどうぞ利用してください。」との説明を受けました。被災者並の待遇に同行者と私は甘えることに。長い廊下の先に浴室がありました。脱衣場のロッカーは21カ所。
 
2011_05220214

内湯の浴室もコンパクトで、カランが9席と長方形の浴槽があるだけです。敷地内から湧き出す黒湯の冷鉱泉(16.4℃)は加熱されて熱目の温度設定です。泉質はナトリウム-炭酸水素塩冷鉱泉。ヌルヌル感もしっかり感じられます。シャンプーなども置かれていてサービスが行き届いていました。
 
2011_05220216

道路を挟(はさ)んだ市役所支所の大きな駐車場にある立て看板が目に入りました。
 
2011_05220217

そして隣接する公園に被災者向けの仮設住宅が並んでいます。
 
2011_05220218

次の目的地を目指しました。飯岡の町にある玉崎神社です。日本武尊が東征の折りに相模(三浦半島)から上総へ向う途中海難に遭(あ)い、妻の弟橘姫命(おとたちばなひめ)が入水したことで、無事に上総へ到着。さらに海路で葦の浦を経て下総・玉の浦へ移動した時に、玉の浦の東端にある玉ヶ崎に豊玉毘売命(とよたまびめ、豊玉姫)の妹で海神の玉依毘売命(たまよりびめ、玉依姫尊)の神霊を祀(まつ)ったと伝えられます。後になってこの「玉ヶ崎」を「竜王岬」と呼ぶようになったそうです。ちなみに玉依毘売命は神武天皇を産んだとされます。

木製の鳥居を見た場所がその竜王岬ですから、一の鳥居かもしれないと思い、この鳥居から玉崎神社を目指しましたが、住宅街を抜けると県道30号の見当はずれの場所に出てしまい、北西方向へ200m余り走ると玉崎神社の参道に往き当りました。
 
2011_05220219

石の鳥居の先に朱に塗られた鳥居が見えます。
 
2011_05220220

温泉施設を出た時から降り始めた雨が強くなってきました。落ち着いた雰囲気の拝殿に参拝しました。この神社の御祭神は前述した玉依毘売命(たまよりひめ、玉依姫尊)と日本武尊(やまとたけるのみこと)です。
 
2011_05220222

境内に竹下夢二の歌碑がありました。
 
2011_05220226

帰宅後に調べて分かりました。玉崎神社は鎌倉時代まで800mほど沖合(当時の竜王岬)にあったものが、海食(海の侵食)で海中に没し始めたため、現在の場所に移されたのです。木製の鳥居はその当時の名残(なごり)だったようです。余談ですが、上総国一ノ宮である玉前(たまさき)神社も玉依姫命を祀っています。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2011年6月 1日 (水)

九十九里浜でサイクリング・デビュー@飯岡九十九里自転車道(中編)

曲がり角を右に折れるとと自転車道は一直線に伸びています。
 
2011_05220139
 
何気なく右手を見ると木製の鳥居がポツンと立っていました。その周辺は津波で家屋が破壊されたようで更地(さらち)になった土が真新しいのです。神社があった気配は感じられません。下総国(しもうさのくに)ニ宮(にのみや)の玉崎神社(たまさきじんじゃ)の一の鳥居かも知れません。
 
 
2011_05220140
 
砂浜と県道30号に挟(はさ)まれて真っ直ぐ伸びる自転車道は一段高くなっているため砂の影響はほとんどありませんが、舗装が大きく破損している場所が何カ所もありました。東日本大震災の影響と思われます。
 
2011_05220141 
2011_05220142
 
九十九里町の片貝まで続くこの自転車道は全長18kmありますが、萩園海水浴場に面した「飯岡の浜」まで約2km、ハンドルを取られないように慎重に走りました。途中にシケイン(コース上に設置される半径の小さいカーブ)がありました。
 
2011_05220143 
2011_05220144
 
損傷(そんしょう)が一番激しい場所です。
 
2011_05220145
 
再びシケインを通過します。
 
2011_05220149
 
飯岡の浜に到着。天保水滸伝の標識の後方に国民宿舎飯岡荘が見えます。
 
2011_05220152 
2011_05220150
 

面白い格好の彫像が自転車道を背にして(県道に向いて)立っているのを見つけました。「ちばてつやが育った町」と台に彫られた像は紛(まぎ)れもなく漫画「あしたのジョー」の主人公・矢吹丈(ジョー)です。
 
2011_05220153
 
少し離れた場所にもう一体。当然、こちらはライバルの力石徹(りきいしとおる)。
 
2011_05220155
 
先ほどガレキの規模にショックを受けた場所です。
 
2011_05220160
 
後方に少し霞(かす)んで見える飯岡みなと公園まで引き返すことにします。
 
2011_05220161
 
自転車道の破損が酷(ひど)い場所は県道の歩道に迂回(うかい)。
 
2011_05220164
 
飯岡漁港を通って屏風ヶ浦(びょうぶがうら)方面へと走りました。
 
2011_05220168 
2011_05220169
 

前回は崖の上に建つ飯岡灯台を訪れましたが、今回は屏風ヶ浦へどこまで近づけるか期待がありました。しかし港の端で行き止まりになりましたから諦(あきら)めて、駐車場まで引き返すことにしました。
 
2011_05220170
 
(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »