クラウド化する世界
先月(5月16日)のことですが、英国の天才物理学者スティーブン・ホーキング博士(69歳)が「天国も死後の世界もない」と断言したことがニュースで伝えられました。「宇宙の創造に神は必要ない」とも言う博士は「ビッグバンは物理学的法則の必然的な結果だ」と論じます。かって世界的ベストセラーになった「ホーキング、宇宙を語る」(1989年早川書房刊)のなかで博士は「もし完全な理論を発見できれば、それは人間の理性の究極の勝利になるだろう。その時、人間は神の心を知ることになるのだから」と書いていますが、現在の博士は一層過激になったようです。
21歳の時に筋萎縮性側索硬化症(ALS)という進行性の神経疾患で余命数年と診断され、「車椅子の物理学者」と呼ばれる博士の優れた理論と「人々は自らの行動の価値を最大化するため努力すべき」との言葉に感銘を受ける一方で、私は死後の世界と自身の救済を望む(闇を恐れる)弱い人間なのです。それにタイムトラベルが不可能であるとする博士の説は私が好きな映画「ある日どこかで」のストーリーを成り立たなくさせますから困るのです。
さて本題です。ニコラス・G・カー氏が2008年に書いた翔泳社刊「クラウド化する世界」(原題は”The Big Switch”)を読みました。ハーバード・ビジネス・スクールの上級編集者を勤めた同氏はITやweb2.0を痛烈に批判したことで知られ、いわばIT業界の異端児とみなされた人物ですが、本書では電力会社の発展を隠喩(メタファー)としてインターネットと情報産業がもたらす新しい経済について語っています。
これによりワールドワイドコンピュータがあらゆる商品を物理的な形態やコストから解き放ったことを解説、IT業界だけでなく経済界からも注目されているのです。本書の概要を以下に紹介します。注釈;副題は”Rewiring the world from Edison to Google”
現在、IT業界でバズワード(世間で騒がれているが意味が不明確な言葉)となっているクラウドコンピューティングの最新技術を解説するものではなく情報処理の本質と変遷を巧みに解説するもので、技術的な専門書というよりも経営書に分類した方がふさわしい秀逸な著作である。
著者は本書においてクラウドという言葉をほとんど使用しないでユーティリティ・コンピューティングと表現する。ユーティリティとはコモディティ(日用品)化したサービスや商品のこと。つまり著者は情報処理がブロードバンド通信と一体となったことでコモディティ化したことを論証してワールドワイドコンピュータと人間との関係を予測している。
19世紀末にトーマス・エジソンが発電機と電球などの電力システムを開発、エジソンの秘書であったサミュエル・インサルが電力事業のビジネスモデルへと発展させたことを詳しく説明したうえで、ITの世界でも同様のことが起こっていると解説。電力とITの違いにも触れてIT業界の楽観論を諫(いさ)めている。
人間とコンピュータの関係では、戦前に発明されたパンチカード・システム(タビュレータ)がノイマンのメインフレームへと発展して情報処理の集中化が加速されたことで企業と組織の中央集権的な仕組みが強化された。しかしパソコン(PC)の登場で情報処理の分散化(個人のツール化)するとみられたが、クライアント・サーバ化で再び中央集権化が強化される。
その後に登場したインターネットは再び分散化をもたらすと考えられたが、ブロードバンド通信の普及でワールドワイドウェブとして世界中のコンピュータがブロードバンド通信網でつながれたワールドワイドコンピュータ化すると人間の思考や行動が逐次モニターされ、蓄積された大量なデータは分析された上で個人と関連付けされるようになった。
日々膨大なデータが収集されると、個人の思考や嗜好に合わせた情報がグーグルなどの検索サイトを通じて提供され、これを利用した個人は検索サイトへの依存を高めるとともに、検索サイトに思考を誘導されるようになると指摘する。極めて便利なサービスを利用することで、個人はPCのキーボードをクリックするだけで探していた情報や答えが提供されるため、深く思考することを止めて皮相な情報を得ることだけで満足する。
そしてクリックするたびに検索サイトにデータが蓄積されると共に広告費の形で検索サイトを運営する企業の収入が計上される。つまり個人は何も意識しないで個人情報を提供するだけでなく、その企業の収益を増やすことに貢献しているのである。
このビジネスモデルは検索サイトだけでなく、動画共有サイトやソーシャルネットワーキングサービスク(SNS)などあらゆるワールドワイドウェブのサービスに共通するものであると指摘する。
急速に発展する産業(企業)がある一方で衰退を余儀なくされるものが出現することを新聞社の事例で解説した。「第8章大いなるバラ売り」は新聞記事がウェブを利用するオンライン化すれば新聞社のビジネスモデルが大きく変化せざるをえないことを説明。映画や音楽などのメディアも新聞社ほどではないにしても影響が大きいと言う。
インターネットは、豊かで多様な文化を促進するとともに人々を一層調和させて相互理解を促進し、政治的・社会的緊張を緩和する助けになるかもしれないとする一方で、学者の調査研究を引用してそれらを阻害する要因も内在すると警鐘を鳴らす。「第9章ネットと戦う」は、インターネット自身が戦場となるだけでなく、イラク戦争での事例を紹介して現実世界での戦闘において敵方もワールドワイドウェブを利用したことを紹介した。
カタカナの多い文章はやや読み難いものの、インターネットの世界が急速に変化してビジネスに大きな影響を及ぼすことを分かり易く解説する優れた著作として、一読をお薦めしたいと思います。参考情報として本書の目次を以下に引用します。
第1部 一つの機械
第1章 バーデンの水車
第2章 発明家と実務家
第3章 デジタル時代のからくり装置
第4章 さよなら、ミスター・ゲイツ
第5章 ザ・ホワイトシティ コロンビア万国博覧会
第2部 雲の中に住んで
第6章 ワールドワイドコンピュータ
第7章 多数から少数へ
第8章 大いなるバラ売り
第9章 ネットと戦う
第10章 クモの巣
第11章 iGod
エピローグ 炎とフィラメント
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