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2011年7月に作成された記事

2011年7月29日 (金)

日向薬師とクアハウス山小屋「日向の湯」

七沢方面に向かい、県道64号の薬師入口バス停の左手(畑の中)にあるという「新田(しんでん)古墳群」を探しましたが見つけられません。それではと向かった県道をはさんだ反対側(住宅地)にあるはずの「三畝(さんせ)塚古墳」も同様でした。住宅地に立ち入るのはためらわれますので、当て推量で遠景写真を撮りました。
 
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こちらはすぐ近くにある上堤(かみづつみ)水車です。農業用排水路に復元された水車で、この水路も生態系保全(多自然型)機能を持たせていると説明されています。
 
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こちらは少し奥に入った場所で見つけた実蒔原(さねまきばら)古戦場跡(前述)です。
 
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古墳巡りのあとはお決まりの日向薬師(ひなたやくし)に参拝することにしました。七澤神社付近から丘を超えて日向薬師裏の駐車場に到着。
 
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今年から6年をかけて本堂(薬師堂)の大修復が始まっていました。前回の江戸期万治3年(1660年)から350年振り、三度目の大修復とのことで、宝城坊(ほうじょうぼう)であった本堂をすっぽり覆(おお)う鉄枠(てつわく)がほぼ出来上がっています。寺伝では霊亀2年(716年)に行基菩薩が開山したとしていますが、実際の創建はもう少し後の10世紀頃と推定されるそうです。ちなみに、平成7年(1995年)に国の重要文化財に指定されています。
 
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表参道の急な石段です。
 
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鐘楼の脇から左手へ入ったところにある虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)にもお参りしました。智慧(ちえ、物事をありのままに把握して真理を見極める認識力)と功徳(くどく、幸福をもたらす善行)が広大無辺(果てしなく大きいの意)である菩薩様です。
 
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本尊などが移されている宝殿(ほうでん)に参拝しました。
 
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日向川沿いの道に出て山峡に入り、約1.3km走ると「クワハウス山小屋」に到着。
 
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キャンプ・マス釣り・バーベキューが楽しめる施設ですが、天然水の風呂が日帰り温泉として利用できます。
 
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利用料金は大人が800円(入浴割引券を持参すると600円)、落ち着いた雰囲気が気に入りました。
 
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階下にある浴室は小振りで石張りの床に木の壁と天井、そしてタイルの浴槽は清潔感があります。残念なのは渓流に面する窓が小さくてほとんど外が見えないこと。
 
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湯は無色透明で無味無臭、泉質は温泉法上の温泉(メタ珪酸含有)で泉温は18度のようです。館内には水質検査証は掲示されていましたが、なぜか温泉の名前は一切ありません。それはともかく地下から湧く天然鉱泉を加熱したものを完全な掛け流しにしていることは嬉(うれ)しい。
 
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浴室と同じフロアにある無料休憩室でくつろいだあと、階上の入口横にあるレストランに移動しました。大きなストーブには夏だからでしょうか、動物の頭蓋骨(ずがいこつ)や角(つの)が飾られています。
 
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川魚料理やしし鍋を楽しめますが、私は「にじますの塩焼き」、同行者は「伊勢原豚ティーヤ」と「大山豆腐の冷奴」を注文しました。写真撮影を待ち切れずにそれぞれが一口味見してしまいました。
 
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欲張った旅行を常とする私には珍しく、昼食後の早い帰宅になりました。ちなみに、この日の走行距離は125.9km・燃費19.2km/・平均速度17km/hでした。

<同行者のコメント> 2度も同じ場所へ古墳を見に出かける旦那様は変だと思います。山小屋のお風呂は貸切り状態で、トルティーヤを使った豚(とん?)ティーヤと大山豆腐がとても美味しかったです。でも、この温泉は以前に来たことがありますよ。

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2011年7月28日 (木)

伊勢原市の古墳群 心敬塚古墳と鎧塚古墳

伯母様村観音の先でバス通りは大きく右にカーブ、鈴川を渡る手前を左手の山道に入りました。細く折れ曲がった道は舗装されていますが車がやっと一台通れる道幅しかありません。運悪く対向車と鉢合わせ。さらに細いT字路で何とかやり過ごしたあとは運転代行者を車に残してひとりで歩くことにしました。伊勢原市水道局の三ノ宮低区配水池(貯水場)脇に出ると前方に大きな心敬(しんけい)塚古墳がひっそりとした佇(たたず)まいで存在しています。山道の反対側には一段高い三の宮高区配水池もありました。
 
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低区配水池越しに先ほど立ち寄った松山古墳と東名高速道路、そして湘南平も一望出来ます。
 
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さらに50mほど坂道を上ると心敬塚が目の前に迫りました。松山古墳よりもはるかに大きな円墳です。名前の由来は、室町時代に有名な連歌師(れんがし)心敬(しんけい)が京を追われてこの地に移り住み、古墳脇に葬(ほうむ)られたことによるそうです。
 
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道なりに右手の小道に入りました。
 
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4分の1周ほど墳丘を廻(めぐ)るといつの間にか獣道(けものみち)になっていました。
 
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木立の隙間(すきま)を見つけたことで頂上を目指して登ってみたくなりました。ジャングルのように弦(つる)と枝葉が絡(から)み合って難儀(なんぎ)でしたが何とか頂上に辿(たど)り着きました。木漏れ日で頂上の様子を見渡すことができます。
 
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車まで戻って次の目的地に向いました。市道が行き当った交差点を右折して県道612号の山王中西側交差点を左折、山王中学校を目指します。山王中学校周辺から石倉橋交差点付近にかけて無名の古墳が点在する御領原(ごりょうはら)古墳群は昭和初期でも70基以上あったものが今はほとんどが失われているそうです。中学校の手前の道を右へ入った所に小さな古墳らしきものを見つけましたが、畑の中にあるため立ち入りは遠慮して、遠景写真を撮影するだけにしました。
 
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午前9時を過ぎましたので数日前に訪れた時に門が閉まっていた恵泉女学園園芸短大へと向かいました。人気(ひとけ)がほとんどないキャンパスを横切ると横門近くに遺跡らしきものが見つかりました。自然石を積んだ石段を上ります。
 
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伊勢原市教育委員会の説明板には1968年の学校建設の時に埒免(らちめん、埒面とも表記される)古墳が発見されたと書かれています。墳丘が失われて大きな横穴式石室(幅2m・長さ4.8m)と羨道(せんどう、つまり入口は幅1m・長さ4m)が露出しています。周溝がめぐらされた墳丘は墳頂から周溝まで16-17m、径が40mの6世紀末から7世紀初頭に築造された円墳で、相模国造(さがむこくぞう)の墳墓、つまりこの地域を支配した首長の墓と考えられるそうです。銀装の大刀(たち)や金銅製馬具が見つかっているそうですから大和朝廷と関係の深い渡来人かも知れません。
 
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ちなみに名前の埒免は地名の埒面(らちめん)と関係があるようです。埒面とは馬場のこと、そして埒は馬場の柵(さく)のことで、「埒が明く」(境界が明らかになる、つまり物事にきまりがつくの意)は神事としての競馬が語源とする説もあります。ちなみに、柵は開きませんから「埒が開く」とは書きません。
 
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県道611号を横切って次の目的地に向かいました。途中、太田道灌公の墓を見かけましたので立ち寄りました。
 
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当ブログでは川越散策大山道探索日暮里駅探索などの記事で太田道灌(どうかん)について紹介しています。
 
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市道が行き当った県道603号との高部屋交差点を左折して高部屋小学校脇を過ぎると、右手に道路の拡幅工事で造られた構造物に支えられた特徴のある古墳が見えました。鎧塚(よろいづか)古墳群です。6基の円墳が現存しているそうです。最大の1号墳は昭和63年の調査で直径約21m、高さ4mの墳丘の中央から横穴式の石室(幅1.6m、長さ6m以上)が発見されました。直刀や小刀などが遺物として見つかったこと、周溝が廻らされていたこと、古墳時代後期(6世紀末)に築かれたと推定されることが説明されていました。名前の由来は、室町時代に山内(やまのうち)上杉と扇谷(おうぎがやつ)上杉が戦った実撒原(さねまきばら)の戦いの戦死者を葬(ほうむ)ったと伝えられることによるのでしょう。ちなみ、太田道灌は扇谷上杉の家宰(かさい、筆頭重臣)でした。

 
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2号墳
 
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3号墳
 
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4号墳(5号墳と6号墳は農地の奥で立ち入りが困難のようです)
 
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(続く)

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2011年7月27日 (水)

伊勢原市の古墳群 下谷戸縄文遺跡と松山古墳

納車された車の試運転を数日間行い、その挙動をほぼ確認した上で、ドライブ旅を再開することにしました。準備作業としてドライブ中に欠かせないBGM曲を私の好きなCDから500曲余りHDDカーナビに読み込ませました。これで準備万端ですが、何ごとにも慎重な私は最初のドライブ先として近場の神奈川県伊勢原市を選びました。伊勢原市と言えば、何度も登った大山や本堂の大改修が始まった日向薬師がある神奈川県の中央部にある都市です。「神奈川県の地名の由来」で紹介したように「昔、伊勢の人が住み着いて奉った伊勢原神明社(現在は伊勢原大神宮)が地名の由来」とされます。最近は渋田川の芝桜やあやめ園も有名です。

大山から流出した土砂が堆積した扇状地には古代から人が住み、平安時代末期には藤原北家の一族である糟屋(かすや)氏が荘園を営んで以来、現在も農業が主な産業で運輸流通業が盛んな隣接する厚木市の影響で厚木の名を冠した運輸業者の支店や営業所も多いようです。同様に、上記の「地名の由来」で紹介しましたが、厚木ナイロンは東隣の海老名市に本社があり、厚木基地は綾瀬市と大和市にまたがっています。余談はここまでにしましょう。

走り慣れた国道246号(矢倉沢往環、大山道)を南西方向に走りました。交通量が多いため大和市・座間市・厚木市で自然渋滞が定常的に発生することを除けば片側2車線の快適な道路です。しかし東名高速道路と交差する森ノ里入口交差点から先は片側1車線と道幅が狭くなり、小田急の愛甲石田駅前付近で厚木市から伊勢原市に入りました。

国道246号を走る時にいつも目印にしている伊勢原警察署前を通過して工業団地交差点を右折、さらに東名高速道路の下を潜った三ノ宮交差点の次の交差点で案内標識に従って左折、比々多神社(ひびたじんじゃ)に向いました。
 
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藁(わら)で作られた土俵の俵のようなループを説明された作法通りに8の字を描いて2度潜(くぐ)りました。ちなみに比々多神社は相模国三宮であることから「三ノ宮」の地名の由来になりました。三ノ宮付近は神奈川県でも一番の古墳密集地帯で、昭和の初めには360基を超える古墳があったそうです。
 
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拝殿に参拝したあと、左手の宝物殿に3台ある神輿(みこし)をガラス越しに眺めていると、年配の男性がその神輿について説明して下さいました。中央の立派な神輿(神田明神にも似たものがある)は他の名刹にもあるものだが、右側の簡素な神輿は非常に珍しいものであるとのこと。
 
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社殿についても伊勢神宮から式年遷宮(しきねんせんぐう)時に移設されたものではないかと解説が続きました。
 
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「社殿後方に遺跡があるそうですが」と尋ねると、その男性は地元の人ではないようで、一緒に探してくださいました。社殿の裏手には石製の祠(ほこら)が並んでいましたが、これも珍しいものだそうです。
 
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その先に小高くなった場所がありますので登ってみると、予想通りに市指定史跡(昭和44年指定)である下谷戸縄文遺跡環状列石(しもやとじょうもんいせきかんじょうれっせき)と敷石住居跡が見つかりました。東名高速道路の工事で発掘された三ノ宮3号墳の石室が比々多神社の境内に移設されたと説明されています。
 
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比々多神社の右隣に三宮郷土博物館がありますので立ち寄りました。比々多神社の宮司さんが設立したこの博物館には「金銅装圭頭大刀」や「金銅製杏葉と雲珠」などの出土品を含めて約2000点の神社に伝わる資料を保存展示しています。私が注目した大刀は埼玉古墳(さきたまこふん)で見た太刀よりも痛みが進んでいるように見えました。残念ながら館内は写真撮影ができません。
 
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100m余り西側にある恵泉女学園園芸短大のキャンパスに「らちめん(埒免)古墳」があると聞いて立ち寄りましたが、この日は週末のため正門が閉まっています。気勢を削がれた私は日を改めて出直すことにしました。
 
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数日後(平日)の早朝に再び比々多神社を訪れて古墳巡りの幸運を祈念(きねん)しました。
 
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神社脇を曲がりくねりながら北へ向かうバス通りを次の古墳を求めてゆっくり走りました。事前に入手した情報では長嶋酒店を過ぎた左手にあるはずですが、それらしきものは見当たりませんので歩いて探すことにしました。通りかかった地元の方に尋(たず)ねても、神社に古墳があることはご存知でしたが、私が探している松山古墳の所在は分らないとの返事でした。車でさらに走ると400mほど先に伯母様村観音と伯母様バス停があります。伯母様(おばさま)とは変わった名称ですが、観音様の横にある石碑にその由来が説明されていました。
 
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少し行き過ぎたようですから200mほど引き返すと小高い丘の上に木立が見えました。ここで私の鈍感なアンテナがやっと目標を捉(とら)えたようです。そして松山古墳からの見晴らしが素晴らしいと書かれた記事を思い出しました。
 
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道端に車を停めて北西方向に伸びる細い坂道を歩いて登りました。古墳に間違いなさそうですが、念のためすぐ近くで農作業をするご夫婦に尋ねてみると、松山古墳かどうかは知らないが古墳を探して多くの人が奥の方に入って行くようだと教えて下さいました。
 
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松山古墳は径が約34m、高さ6mあったと推定される円墳でしたが、現在は径19m、高さ5mに小さくなっています。横に回り込むと円墳の姿が分かりました。
 
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相模で一番美しい古墳と言われると記事で読んだように丘陵(きゅうりょう)の端にあるため、360度の眺望(ちょうぼう)があり、伊勢原市と平塚市の町並み(すぐ下の写真)やその先の相模灘と湘南平(2番目の写真の右側)が望めました。
 
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教えてもらった登り口らしき場所から何とか頂点に上がりましたが、木々が繁茂して視界はまったくありません。落葉する冬には視界が良くなるのかもしれません。
 
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わずかに視界のある後方に大山が聳(そび)える様子は長野県富士見町にある井戸尻遺跡と似た雰囲気があります。
 
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(続く)

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2011年7月21日 (木)

学ぶということ

何事にも見境(みさかい)なく興味を持つ性癖(せいへき)がある私は本を読むことが大好きです。そして、気になることがあれば、ネット検索やさらなる読書によってその好奇心を満たしています。しかし、これと言ったテーマや分野に限定しませんから、手当たり次第に雑学を仕入れているとの表現が相応(ふさわ)しいと思います。つまり、知識の深さよりも間口の広さ(引き出しの多さ)を楽しんでいるのです。そんな私ですが最近は学ぶことへの考えが変化し始めたように感じています。

2011_06280003来(き)し方を振り返ると、半世紀前の高校生であった頃は部活(演劇部)と洋画のロードショーを観ることに夢中で、気がつけば成績が入学時より大幅に落ち込んでいました。このままでは志望大学の入学試験にはとても合格出来そうになく、3年生の夏休みから部活と映画をしばらくお預けにして、猛烈に受験勉強を始めました。

しかし受験までに残された6カ月間で挽回するのは容易ではありません。そこで受験戦略を綿密に立案して効率的な受験勉強に徹したうえ、毎日のようにランニング(今風に言えばジョギング)をすることで体力の増強にも努めたことが奏功して、最初に受けた(一発勝負の)志望大学に合格できました。

受験戦略の基本は、試験対象の5教科(英数理国社が各200点、英語だけは1科目で計9科目)を万遍無(まんべんな)く勉強するのではなく、高得点を狙う5科目と平均的な点を安定して取れる4科目選び、5科目の勉強に専念しました。前者は英語・数学・物理などの必須科目、後者は選択科目の漢文・地学・世界史などでした。

2011_06280030そんな努力をして何とか入学できた大学でしたが、自動車部の活動・国内旅行・映画鑑賞・アルバイトにうつつを抜かして、講義には欠かさず出席しましたが、一番後ろの席でお客様同然でした。ですが単位だけは要領良く(超低空飛行で)全て取得して問題なく4年間で卒業しました。つまり、単位を落とさないテクニックだけを学んだのです。今風の言葉で表現すれば「リア充」(現実の生活が充実している人間)だったと言えるかもしれません。

「高望み癖(へき)」のある私が是非にと望んで(運良く)入社した会社では、目的のはっきりした受験勉強と同様に、与えられた開発テーマへ全力で取り組みました。つまり「仕事オタク」になったのです。

電子回路を設計するためのCAD(コンピュータを利用した設計手法)に習熟、鑽孔(さんこう、穴をあけること)したパンチカードでコンピュータに設計パラメータ(変数)を読み込ませれば、TSS(時分割利用)で少し待たされますが、計算結果の数値とともに特性を示す簡単なグラフがテレタイプ端末に打ち出されました。注釈;テレタイプ端末(印刷電信機とも呼ばれた)はかっては文字通信の主役であったテレックスに使われた電動機械式タイプライター

2011_06280032そのスピードは50ボー(1秒間に数文字)と遅く、タイプ出力される文字を目で追うことができるほどノンビリしていました。もし計算結果が思わしくなければパラメータを変えて(パンチカードを作成し直して)再入力すれば良いのです。複雑な計算の場合は大型コンピュータのバッチ(一括)処理を利用しました。主にFORTRAN言語でプログラムを作成、パンチカードあるいは紙テープで入力すれば、計算結果はラインプリンターが連続した大型用紙にザクザクと高速で出力してくれる様子は壮観でした。

システム設計に必要な知識は技術文献や学会資料を会社の資料室で読み漁(あさ)ることで手に入れまし た。その当時(約40年前)、最先端の半導体素子であったCMOS論理素子については社内研究所の専門家を飛び込みで訪ねてあれこれ質問、文献が少なかった暗号化技術についても社内で数えるほどしか居ない人を紹介してもらって教えを乞いました。先輩たちは新入社員の私へ時間を割いて親切に教えてくれました。

2011_07180003生来、人見知りであった私もいつの間にか厚かましい(生意気な)社員に成長(?)していました。そのお陰かも知れませんが、先行する他社たちとの競争(コンペ)に勝ち抜くことが出来たのです。そして、この行動パターンは退職するまで続きました。海外顧客へのシステム売り込み・技術交渉・トラブル解決などで役立ったと思います。

このように学生時代から退職するまでを振り返ると、目的を達成するためだけに勉強をしていたように思います。しかし最近になって、もっと別な勉強方法があった(私には欠落していた)のではないかと思うようになりました。退職後は気ままな「勉強オタク」として好きな歴史やその登場人物について詳しく知る、歴史上の出来事があった場所を訪ねる、歴史以外にも基礎的な学問を学び直す、など出来るだけ関連を持たせながら勉強の範囲を広げています。

2011_07180008つい最近読んだ本を紹介しましょう。ノーベル物理学賞を受賞した米国カリフォルニア工科大学の教授であったファインマン博士の名著である「ファインマン物理学5 量子力学」(砂川重信訳、1979年岩波書房刊)という教科書とその読み方を解説する「ファインマン物理学を読む -量子力学と相対性理論を中心として-」(竹内薫著、2004年講談社刊)の2冊です。前者は大学での講義録をまとめたアメリカの教科書サイズで分厚い(ページ数が多くて重い)本、後者はその読み方を解説するガイドブックです。

大学時代にはただ単位を取得するためだけに私が勉強した「量子力学」を博士独自の方法で解説するとともに、学ぶ時に最も大切な姿勢も説いていることが印象的です。

第1章の冒頭、「量子力学は物質と光の性質を詳細に記述し、特に原子的なスケールにおける現象を記述するものです。(中略)日常生活で直接経験するどのようなものにも全く似ていない。(中略)その不可思議な性質の基本的な要素を、そのもっとも奇妙な点をとらえて、真正面から直接、攻めることにする。古典的な方法で説明することの不可能な、絶対に不可能な現象をえらんで、それを調べようというのである。そうすることにより、ズバリ量子力学の核心に触れようというわけである」と博士は原子の力学である量子力学のポイントを述べています。

2011_07210014図解はあるものの難解な内容は脱水症気味である私の頭脳にはなかなか理解できませんが、博士の言葉通りに「学ぶこと自体が楽しい」ことを教えてくれる良質な教科書です。そして40年前には無味乾燥に感じられた量子力学が魅力的なものであったことを知りました。今となってはタイムマシンで大学時代に戻って勉強し直すことは叶(かな)いませんが、学ぶと言う楽しさを遅まきながら少し発見したのです。現代物理学とも呼ばれる量子力学から始めましたが、これからも同博士の著作「ファインマン物理学」(全5冊、原書は3冊構成)の助けを借りて古典物理学の基本である力学まで逆上(さかのぼ)って見たくなりました。

写真はわが家でグリーンカーテンとして栽培しているゴーヤ(黄色い花)と風船かずら(白い花)の過去1カ月間の成長記録です。実は上記した「勉強オタク」に加えて最近は節電と植物栽培が好きな「グリーンオタク」でもあるのです。

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2011年7月17日 (日)

渋谷駅から代官山駅へ(最終回) 代官山駅と周辺のファッションショップ

複合施設「代官山アドレス(36階建ての高層住宅ザ・タワーと商業施設のディセ)が目の前に聳(そび)えます。一際目を惹くオブジェはポルトガル生まれの彫刻家Jose de Guimaraesの作品とのこと。
 
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その横で写真撮影が行われていました。仔犬を連れた若い女性モデルの写真は代官山の雰囲気を紹介するために使われるのでしょう。
 
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ユニークな色に塗られた横断歩道橋は「代官山アドレス」へ行くためのものです。ひょっとすると錆止(さびど)めの下塗りかも知れません。
 
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工事用フェンスに代官山駅を示す表示があります。
 
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これが最後の坂道でしょう。
 
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「ひと駅散歩」のゴールである代官山駅に到着しました。
 
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上ってきた坂道を挟んで駅の向かい側にあるのは英国式スパの「LUSH SPA代官山」です。スパといっても私の好きな温泉ではなく、いわゆる女性向けエステ(エステティックサロン)のようです。
 
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ここでお決まりのプチ蘊蓄(うんちく)を一つ。代官山の地名は、代官の屋敷があったという説や、代官が管理する山林があったからとする説があるそうです。

当ブログの常として今回の「ひと駅散歩」も大層(たいそう)な記事になってしまいましたが、次の予定までまだ時間がありますので、駅の周辺を散策することにして「代官山アドレス」のエリアに入りました。
 
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アドレスプロムナードを抜けて八幡通リに出ました。椰子(やし)の木に見えた黄緑色のオブジェはPiotr Kowalski作「エレクトリックひまわり」でした。現在の代官山エリアは駅周辺から旧山手通りやこの八幡通りに沿ってファッションやグルメの人気店が多数存在しています。上記の代官山アドレスの他にも多数のショップがありますので、順不同で八幡通り沿いの主な施設の外観を紹介します。
 

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ラ・フェンテ代官山sunaokuwaharaTSUMORI CHISATOCath KidstonAYLINA
 
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マンサード代官山MONO EDITION CLASSE、デイシー)
 
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カトルズ代官山batakPOTECHINO他)
 
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ナチュラル・ローソンNATURAL LAWSON Bakery Cafe)もウッドデッキとパラソル付きのテーブル席が並んでいるのは代官山ならではです。
 
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セブンイレブンンも派手な色調を隠して(押さえて)います。六本木の東京ミッドタウンにある店と同様の嗜好(しこう)です。
 
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八幡通りは並木橋方面へと下って行きますが、ここでUターンして旧山手通りの方向へ歩きます。
 
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代官山LoveriaLOVE GIRLS MARKETLOVELESSWRNe-net
 
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代官山プラザELODIE NELSONCELESTE
 
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八幡通りが旧山手通りに行き当る代官山交番前交差点の左手前に「奈良県情報館 iスタジオ」がありました。
 
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奈良県のイベント会場のようですから中に入ってみたいところですが残念ながら時間切れになりました。
 
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お洒落(しゃれ)なショップが並ぶ八幡通りを往復した後は、この日の飲み会が開かれる「ラ・カシータ」のあるセレサ代官山(前述)へ向かいました。なお、この料理店の様子は別の記事で詳しく紹介しています。□

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2011年7月16日 (土)

渋谷駅から代官山駅へ(その4) 渋谷区清掃工場から代官山町まで

ふれあい植物センターを出ると東横線の高架が目の前に迫りました。
 
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電車が車輪を軋(きし)ませて通過して行きます。
 
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清掃工場の煙突を見上げました。
 
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その反対側にも巨大な壁のように立ちふさがる建物があります。1969年(昭和44年)に建てられた都営 渋谷東二丁目第2アパートです。1階部分はまるごと都営バスの車庫となっている変わった構造の高層団地(14階建て)です。その細長い形状から都営 白髭東アパート(13階建て)を連想しました。こちらは墨田区北部の隅田川沿いに昭和50年代前半に建てられた全長1kmほどの巨大な住宅群で、災害時に防火壁の役割を担うのです。航空写真でその様子が分かりますが、墨堤通りを走りながら見た実物は万里の長城のように壮観でした。
 
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かなり長い区間で東横線の地下化工事が行われています。その先に代官山アドレスの高層マンションが見えますから代官山駅へかなり近付いたようです。
 
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東一丁目交差点でJRの山手線に行き当りました。
 
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掲示板に貼られた資料で東横線の地下化計画の概要が分かります。
 
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山手線を越えるには横断歩道橋(正式名は跨線橋)を利用する必要があります。
 
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横断歩道橋を渡っている時に山手線と東横線を走る意外な電車が行き交(か)いました。ちなみに上半分が紺色の電車は東横線が乗り入れている「みなとみらい線」(横浜高速鉄道)の電車、赤い屋根は特急「成田エクスプレス」の新型車両「N'EX SERIES E259」です。新宿駅(あるいは池袋駅)から東京駅の区間は山手線(埼京線)の線路を利用しているのです。
 
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山手線を越えると住所表示は東から恵比寿西に変わりました。横断歩道橋を下りたすぐ先の今村ビルの手前を左手に折れます。代官山の名称が目に付き始めました。
 
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東横線のガードを潜(くぐ)ると、細い坂道の両側が賑やかになりました。東横線の工事現場に建てられた工事用フェンスに描かれた大きな壁画にはローマ字で「代官山弁天通り商店会」と書かれています。代官山町に入ったようです。
 
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右手の奥まった場所に「代官山大徳弁財天」が祀(まつ)られていました。戦時中に防空壕を掘ろうとしたところ怪我人が続出したため住職に拝んでいただくと大きな沼と白蛇の姿がみえたそうです。そこで水の神と言われる弁財天を祀って供養したという由来が説明されています。
 
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道路の左側には壁画が続きます。いずれも日本デザイナー学院のイラストレーション科が制作したものでした。
 
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新日本キックボクシング協会本部と伊原道場があります。
 
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坂道の先にデコラティブなキャッスルマンション代官山が見えてきました。ちなみに、この道路はこのマンションの名を取ってキャッスルストリートと呼ばれるそうです。
 
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十字路の角にあるセレサ代官山(1階にショップのキャットクロス・2階はメキシコ料理のラ・カシータが入るマンション)から左方向を見ると東横線には珍しい「渋谷1号踏切」がありました。調べると、都内には他にも「都立大学1‐5号踏切」「自由が丘1‐3号踏切」の8カ所がまだ残っているそうです。
 
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踏切と反対方向にある長い緑地帯(区道の中央分離帯)の金網ドアに「iPhoneでひまわりを育てよう」の看板が掛けられています。物好きな私はさっそく「花さかGPS(代官山版)」のhpにアクセスしてみましたが、そのアプリはiPhone - App Storeでまだ審査中のようでした。
 
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横にある区(恵比寿明交町会)の掲示板には「ここは代官山町17番です」と表示されています。地番があると言うことは、この場所は道路の一部(中央分離帯)ではないのでしょうか? 「地下鉄漫才」の好きな私に悩みがまた一つ増えました。(続く)

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2011年7月15日 (金)

渋谷駅から代官山駅へ(その3) 渋谷区ふれあい植物センター

氷川橋を渡ると、すぐ左手に渋谷区の「ふれあい植物センター」があり、線路の向こう側には渋谷清掃工場が見えます。ふれあい植物センターを覗(のぞ)いてみました。隣接する清掃工場でゴミを燃やす時に作られる電力を利用する還元施設とのこと
 
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入場料金は大人が100円(60歳以上は無料)。1階はグリーンガーデン(温室)で熱帯植物・園芸植物・「春の小川」の植物などが約200種類も展示され、2階は学習エリア、3階はグリーンホールとハーブガーデンがあると説明されています。
 
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入口のロビーには「ネコの名が付く植物」と題して、ブラックキャット・キャットミント・ブルーキャッツアイ・ネコのツメ・ネコノヒゲ・キャットテール・ネコノシタ・ネコヤナギ・ネコジャラシ・キャットニップの10点が展示されています。始めて耳にする名前がほとんどで、知っていたのはネコヤナギとネコジャラシだけでした。
 
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1階のグリーンガーデン(温室)ではアリストロキア・ギガンティア(左)とミッキーマウスツリーが先ず目に入りました。
 
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以前、どこかで見たことがありますが、どこだったか思い出せません。
 
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赤くて剣(つるぎ)のように長い花はパイナップル科のトラフアナナスです。左手前にある同じパイナップル科のグズマニアの名前はスペインの自然科学者の名にちなんだものだそうです。
 
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巨大な塊根観葉(かいこんかんよう)のボンバックスはユニークですが初心者も簡単に栽培できるそうです。説明文を写したつもりでしたが・・・。
 
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世界最大の花「ラフレシア」です。残念ながら模型でした。
 
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「バナナの種はどこにある?」は意表を突いた質問です。
 
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モモイロバナナのようです。 
 
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そして「春の小川」の環境を再現したパネル・温室内を流れる小川・水槽による展示は地元の渋谷ならではです。
   
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多肉植物コーナーにはサボテン好きもびっくりする「金鯱」など展示されていました。
 
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ティランジア(エアープランツ)は樹木や岩に着生する植物です。根は水を吸うためではなく着生するためだけで、水分は葉から雨や空中の水分から吸収する変わった植物です。このためエアープランツと呼ばれています。
 
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食虫植物の住む沼には、ハエトリグサ属・タヌキモ属・モウセンゴケ属・ネペンテス属・サラセニア属・ミミカキグサ属・ムジナモ属・ムシトリスミレ属が説明されていました。
 
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3階のハーブガーデンに上がってみました。屋外のベランダに多数のハーブが栽培されていました。
 
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清掃工場との間を東横線の電車が通り抜けて行く姿をもう直ぐ見られなくなるのは少し寂しい。
 
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(続く)

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2011年7月14日 (木)

渋谷駅から代官山駅へ(その2) 渋谷氷川神社

東交番前交差点を右折して氷川橋(ひかわばし)で渋谷川を渡ると東横線沿いの道に出ますが、「ちい散歩」風に道草を食うことにしました。東交番前交差点を左折して緩(ゆる)やかな坂道を200mほど北東にある渋谷氷川神社に向かいます。埼玉県大宮の氷川神社から分祀(ぶんし)されたと伝えられる旧幡ヶ谷村の総鎮守で、氷川橋の名前はこの神社によるようです。
 
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渋谷区散策路の表示に従って住宅地を一直線に伸びる道を歩きます。
 
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後方を振り返ると高い煙突が見えます。延長工事が進行中の首都高速中央環状線(大橋JCT-大井JCT)の換気塔にしては近すぎますから渋谷区のゴミ焼却場のようです。
 
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右手に神社の森らしきものが見えましたので渋谷図書館入口交差点を右折して参道のような脇道に入りました。一つ先の信号は国学院大学前交差点です。大正12年に渋谷氷川裏御料地の払い下げを受けて移転した経緯があるそうです。その南隣りの常磐松御料地跡には広尾中学と広尾高校、北隣りには実践女子学園(中学・高校・大学)、青山通りを挟んで青山学院(初等部・中等部・高等部・大学)などの学校が並ぶ文京地区です

前方に鳥居が見えますから渋谷氷川神社の脇参道に間違いなさそうです。
 
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右手の金網越しに相撲の土俵のようなものが見え、「金王(こんのう)相撲跡」の案内看板がありました。金王の名前は渋谷川の最初の橋にもありましたが、調べてみると、金王坂(青山通りが六本木通りと分岐する場所から宮益坂上交差点まで)や金王八幡宮(通称渋谷八幡宮、青山通り寄り)などがあることと、かって金王という地名があったことが分かりました。
 
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石段を下りると立派な相撲場(すもうば)でした。
 
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左手に折れ、石段の参道を上って二の鳥居を潜(くぐ)り、さらに左手に折れると拝殿が見えました。素盞鳴尊(すさのおのみこと)・稲田姫命(いなだひめのみこと、くしなだひめ)・大己貴尊(大国主尊、おおくにぬしのみこと)・天照皇大神(あまてらすおおみかみ)を祭神として祀る古い神社です。境内が4000坪と広い渋谷で一番古い神社で、その縁起には日本武尊東征の時、当地に素盞鳴尊を勧請したとあるそうです。飾り気のない神明造の拝殿は手ぶれしたようでピントの甘い写真になってしまいました。
 
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右手の鳥居の先には国学院大学のキャンパスが見えます。
 
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参道の石段を真っ直ぐ下りました。
 
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鳥居の上部が破損していました。そして、その先の狛犬も台座を残すだけです。いずれも4カ月前の東日本大震災による被害です。
 
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振り返るとこちらが表参道でした。
 
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一直線の坂道に出て東交番前交差点まで引き返すと、先ほど見た煙突がかなり近くなりました。
 
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明治通りを横切ります。
 
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渋谷川に架かる氷川橋を渡ります。渋谷川の上流方向で東横線が大きくカーブしている様子が見えました。
 
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下流方向は明治通りと同様に(並行して)右にカーブしています。
 
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(続く)
 

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2011年7月13日 (水)

渋谷駅から代官山駅へ(その1) 渋谷川と明治通り

地井武男さんの番組「ちい散歩」(テレビ朝日系列)の人気コーナー「ひと駅散歩」を真似て歩いてみました。出発地は東急電鉄・東横線の渋谷駅ですが、いつも利用するハチ公口・西口・宮益坂口のいずれでもなく東口を選びました。行先はもちろん隣駅である代官山駅です。ちなみに、この番組で以前取上げられたことのあるコースのようです。

西口と同様にバスロータリーがある駅前広場を横切って南口の前を通過すると玉川通り(国道246号)を大きな横断歩道橋で渡ります。
 
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東急東横線のプラットフォームは手が届きそうな近さです。
 
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歩道橋を降り切ると目の前にコンクリートで護岸(ごがん)された渋谷川が現れました。名前は知っていましたが始めて見る川です。支流が童謡の「春の小川」に歌われた宇田川(うだがわ、実際はその支流とされる)と現在は下水道となった穏田川(おんだがわ)が合流する旧宮益(みやます)橋(現在の宮益坂下交差点付近)に始まり、港区の天現寺橋で笄川(こうがいがわ)と合流、古川と名前を変えて浜崎橋付近で東京湾に注(そそ)いでいます。このため渋谷駅から上流方向は暗渠(あんきょ)になっていてその姿を見ることが出来ませんが、渋谷駅から下流は開渠(かいきょ)となって川面(かわも)が顔を覗(のぞ)かせるのです。
 
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渋谷川沿いには道がありませんから、並行する明治通り(都道305号)に出ました。飲食店が並んでいます。
 
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最初の交差点で右手の路地に入ると渋谷川に架かる小さな金王橋がありました。その奥は東横線のガードです。
 
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上流の渋谷駅方面に先ほどの歩道橋が見えました。
 
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下流方向は東横線の高架が寄り添うように伸びています。
 
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再び明治通り戻ると「渋谷大勝軒」の大きな看板が目に入りました。「大勝軒」と言えば東池袋にあるつけ麺「特製もりそば」元祖のラーメン店が有名で4つの直営店と多数の暖簾店があります。この東池袋大勝軒(山岸一雄氏創業)は中野大勝軒(丸長系)から暖簾分けしました。その他にも永福町の大勝軒、日本橋の大勝軒、これらと関係のない大勝軒などもあるそうです。ちなみに東池袋系は「もりそば」、丸長系は「つけそば」と呼んでいるそうです。1年半前に開店した渋谷大勝軒は「もりそば」を提供していますから東池袋系かと思って東池袋大勝軒のhpを確認すると直営店と暖簾店のいずれにも入っていません。山岸一雄氏の監修を受けた独立店のようです。
 
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次の脇道も右手に入ってみました。「忘れ得ぬ味 木屋の味」「居酒屋竹トンボ」の看板が身に入ります。車道がある広い八幡橋と東横線のガードが一体化して見えます。
 
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東横線と接する渋谷川の上流方向には渋谷駅が少し遠くなりました。
 
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下流方向は小さな自転車置き場が金網で囲まれています。
 
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明治通りに釣具店「SANSUI」(山水)の看板があります。渋谷店Partの前の車道脇にある街路樹の切り株から新しい幹が3本伸びています。
 
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「道路管理区分」が東急電鉄と東京都の管理エリアを指しています。
 
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3番目の路地には「徒歩(かち)橋」が架かっています。
 
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渋谷川は上流方向も下流方向も小さくうねり始めました。
 
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並木橋バス停を通り過ぎると並木橋交差点に差し掛かります。
 
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幅の狭い並木橋近くには昭和21年(1946年)まで東横線の並木橋駅があったそうです。下の写真は八幡通りの新並木橋
 
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ガードの渋谷駅寄りにその名残がないかと辺りを見回しましたが工事用のネットが掛けられているためよく確認できません。最上部が少し張り出しているようですからこれがプラットフォームだったのかも知れません。
 
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下流方向も同様の風情ですがマンションに楔(くさび)を打ち込まれたように渋谷川と東横線は左右に分かれます。
 
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「住居表示街区案内図」に東横線が大きく右カーブする様子が表示されています。東横線の電車に乗っている時に徐行する電車の
車輪が線路と軋(きし)み音を響(ひび)かせる場所はこのカーブでしょう。
 
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ネパール・インド料理店「サパナ」の看板には「手焼きナンの店」と表示されています。
 
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機会があれば立ち寄りたいと思います。(続く)

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2011年7月 7日 (木)

ブログを考察する

このブログ「温泉大好き、ドライブも!」を立ち上げて6年近くが経過、書いた記事はもうすぐ900件に達するまで積み上がっています。以前の記事で当ブログの変遷を表現方法の観点から整理したことがありますが、今回は自分にとってのブログの意義を考えてみたいと思います。

                           ☆

2011_06160029本論に入る前に先ずブログとは何かに触れることにする。今さら何をと思われるかも知れないが、基本に立ち返ることはいつでも重要であり、理屈っぽさをご容赦願いたい。ブログ(Blog)はWeblogを略したインターネット・サービスに関する造語で、平たく言えばインターネット上に掲載(公開)された個人の日記である。

似たものにSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)がある。こちらは原則として本人情報を開示して仲間内で記事(情報や意見)を交換する交換日記的なもので、ブログとは性格が大きく異なる。また最近ホットなTwitter(ツイッター)は140字以内の短文で表現するミニブログで、「今、何をしている?」の問いに答える形でリアルタイム性を重視して情報を発信する「呟(つぶや)き」である。

2011_0611interoptokyo20110056欧米ではSNSTwitterが多く使われているようである。SNSの代表格で映画にもなったFacebookは世界中に5億人を超える利用者があり、Twitterは発祥地の米国で利用者が多いが日本の利用者数も急増して米国に肉薄しているという。携帯電話やスマートフォンとの相性が良いことが背景にあると思われる。一方、ブログは日本語の記事が投稿数で英語を凌駕して一番多い(世界全体の3割以上)と言われる。

日本でブログ利用者が多い理由を考えてみると、先ず匿名性(本人を特定されない)、随時性(好きなときに好きなように投稿できる)、写真や動画、あるいは音声(音楽)を記事に貼り付けることが容易であることと考えられる。このように便利な機能を持つブログではあるが、本当の価値はそれだけではない。 

2011_0611interoptokyo20110058私のように長期間に亘(わた)って多数の記事を書く人間にとってブログは大いなる知的成長の場でもあると感じる。お金には代(か)えられない情報や経験を個人の日記(記録)に溜(た)め込むよりも公開することでより大きな存在になるのである。先ず自分にとってのポートフォリオ(作品ファイル)であり・自分と対話する機会を与え・自分の知識や経験をプレゼンテーション(表現)する手段でもあるのだ。

しかし、発信する情報は一時的な興味や感情に基づくものであっていけない。ましてや、他人を不快にさせるもの・反感を持たせるもの・あるいは独り善がりで傲慢な発言は、思わぬ事態を引き起こす。そして自らの言葉は一旦発信するとひとり歩きすることを認識する必要がある。つまり言葉は言霊であることを絶えず肝に命じながら情報を発信すべきだ

2011_06160031 情報は囲い込んでしまうと生命を失うが、公開することによってフィードバックが得られ、活き活きとした存在へと成長する。つまりブログは自身の知的成長の舞台ともなる知的生産の道具であるのだ。その特長を具体的に述べれば、タイムスタンプ(作成日時の情報)を付けた記事を保存容量はさほど気にしないで投稿でき・カテゴリー分類とキーワード検索ができ・アイフォーンなどのスマートフォンや携帯電話からもアクセス可能で・誰とでも情報をシェア(共有)することができ・読み手との情報交換できる使い易(やす)い道具である。

これらの特長に加えて、ネットにある他の情報源とリンクを張る(クリックするだけでアクセスできる)、あるいはネットワーク上にないものでも出典として引用することが出来る。また自分のブログへのアクセス状況を定量的に知ることによって読み手の存在と息遣(いきづか)いを感じることができる。さらには、自分の書いた記事相互の間にもリンクを張ることで蜘蛛の巣(くものす、web)のような構造化が可能である。

                           ☆

以上、私が考えるブログの価値についてあれこれ書きましたが、堅苦しい理屈はさておき、これからも日々の出来事や感想を記事に書くことでブログライフを楽しんで行きたいと思います。

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2011年7月 2日 (土)

わが家の世代交代

最後の世代であることを承知の上で9年前に購入したブランウン管テレビ(S社のWシリーズ)はまだまだ健在です。とは言ってもこれまですべてが順調であった訳ではありません。当ブログの記事に書いたように、3年前には画面がまったく映らなくなって、手術を受けて復活した病歴があるのです。そして寄る年波には勝てないようで、今年になって画面の両端で微妙な色ずれが発生していることに気づきました。アナログ地上波放送ではそれほど気になりませんが、衛星放送(デジタル・ハイビジョン)では通常の試聴位置からも分かります。テレビの置き場所を少し移動させてみると色づれの様子が少し変わったように思われましたので、主電源を切って再投入することで地磁気の自動消磁機能を働かせてみましたが一向に改善されません。

今年に入るとさらに、アナログ地上波の番組では画面に黒い縁(ふち)どりが出来て、そこに「アナログ放送は7月に見えなくなります」のテロップが流されるのです。ちあきなおみさんのヒット曲「喝采(かっさい)」で歌われる「黒いふちどりがありました♪♪」の歌詞が私の頭に甦(よみがえ)りますが、黒い縁どりは無視することにしました。

2011_06280025しかし砂嵐のようなシミュレーション画面を見せつけられるとやはり気が滅入(めい)ります。アナログ地上波の停波が延期されることを密かに期待して「一人チキンレース」に参加していました。ところが家電エコポイントの効果が大きかったようで、地デジの視聴者の割合が着実に増加して昨年末に世帯普及率が約95%(政府の予定は96%)に達したため、延期の可能性は望み薄になったようです。 注釈;東日本大震災の影響が大きい東北三県だけは停波が一年延期

今年1月から家電エコポイントの金額がほぼ半額に引き下げられ、そのうえ今年3月末で打ち止めになることが私には大きなプレッシャーでした。加えて奥行きのあるブランウン管テレビは居間のスペースを広く占領しているとして同居者に不人気で、「外観だけが3Dね!」と揶揄(やゆ)される始末。しかも同じ画面サイズの薄型テレビは消費電力が3分の一と少ないのです。そこで私は無意味な拘(こだわ)りを捨てて薄型テレビに買い換えることを決心しました。あれこれ比較して有力候補を選び、量販店に出掛けてその候補の中から最終選考を行い、あとは注文するだけに・・。

3月に入ったある朝、自宅を出掛けるために外へ出ると季節外れの雪が降っていました。走行には支障がなさそうなので駐車場で雪を被(かぶ)っていた愛車のエンジンをかけようとしましたが、何故か手応えがほとんどありません。交換してまだ1年余りのバッテリーが上がったことが原因でした。毎日のように車を利用して一回当りの走行距離も短くないことから、充電不足が原因とは考えられません。JAFを呼んでエンジンを掛けてもらい、点検整備に利用する自動車ディーラーへ向かいました。

2011_06040003点検の結果、電装品(オーディオ機器と電動サイドミラー)の暗電流(漏電)がちょっと多いとの診断でした。定期的に交換するタイヤやワイパーブレード以外のゴム部品が経年劣化していることも以前の定期点検で指摘されています。この症状をあえて人間に例えると、神経痛と動脈硬化の両方を患(わずら)った状態で、痛さで朝起き上がれない(エンジンが始動できない)あるいは心筋梗塞(しんきんこうそく)を起こしかねない(ブレーキが効かなくなる)と言った懸念があるかもしれません。その対症療法(バッテリー上がりの防止)として駐車中にはその回路のヒューズ(写真の右側は引き抜き工具)を外すことにしました。

そうでした。わが家にはテレビよりも古い物があったのです。もうすぐ満17年を迎える愛車は、日常の手入れを怠らず・定期点検をしっかり受けて・運転にも気を配っていますから、走行距離が10万kmを超えた3年半前に設定した次の目標である15万km走行の年内達成は間違いないと思っていました。エンジン・ミッション・足回りともまったく問題はありません。ボディーも2-m離れた場所から見れば使用年数5-6年と言っても良いくらい綺麗(きれい)なのです。とは言っても、もっと近づくとタッチペイントで塗装を補修した跡を多数確認できます。林道や山道を走るときに木の枝などで出来た擦(す)り傷が無数にあり、バンパーも切り株などによって擦過傷(さっかしょう)が出来て、いずれもその都度(つど)自分で補修してきたのです。

2011_0628004210年以上の付き合いがあるセールスマンから「丁寧(ていねい)に乗っていただいて有り難いのですが、そろそろいかがでしょうか」と何度となく聞いたセリフが繰り返されました。しかし今回は「エコカー減税は来年の3月で終わります。今年3月末までに契約して頂ければ良い値段を提案できます。それに納期も一時のように長くはありませんし・・・」と続きました。私の意固地(いこじ)な気持ちもZARDの「揺れる想い」ではありませんがグラツキ始め、殺し文句の連射にグローッキー状態に陥っていました。「助さん、格さん、もういいでしょう!」黄門様の声も・・・。

東日本大震災の影響で納車がかなり遅れましたが、6月末にわが家の愛車はT社製P車へと世代交代をしました。20歳代半ばにT社の大衆車を購入してから、海外へ転勤するために6年目の車を身内へ無償で譲ったことを除けば、どの車も10年以上乗り続けてきました。今回の車も10年以上の付き合いになることを願っています。

ちなみに前述した恰幅(かっぷく)の良いブラウン管テレビと私の作業部屋にあるその弟分(同じくS社製の小型ブラウン管テレビ)にはもうしばらく頑張(がんば)ってもらうことにしました。ケーブルテレビのパススルー機能(アナログ地上波再送信サービス)を利用すると表示される「デジアナ変換」の文字は気にしないことにしてアナログ地上波放送の停止(7月25日)に備えています。ちょとしたテクニックですが、ワイド画面に設定すれば黒い縁取りと「デジアナ変換」の文字は見えなくなり、そしてチャンネル表示と順序を地デジに合わせれば、実用上は地デジと同様に視聴できます。

今年もわが家では月下美人(げっかびじん)もどきが何ごとも無かったかのように綺麗に咲いてくれましたので、その開花プロセスを撮影しました。
 
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ちなみに、本物の月下美人は夜に短時間だけ白い花を咲かせますが、わが家で育てているのはその仲間のクジャクサボテン(孔雀仙人掌属)の方で、赤い花を数日間(夜昼問わず)咲かせてくれます。
 
 
追記(2011.7.20) わが家でもう一つ小さな世代交代がありました。2年余り前に購入したばかりのiPhone 3Gが新しい世代と交代したのです。とは言っても最新バージョンのiPhone 4ではなく、ひとつ前のiPhone 3GS、iPhoneを初代から次々にバージョン・サーフィンするチビスケ君のお父さんからトレードのオファーがあったのです。3Gの弱点が3GSではほとんど改善されていますから私に異存はありません。我が家にあった3GはiPod Touchを器用に使いこなすチビスケ君のデジタル・ガジェット・コレクションに加わることになるのでしょう。

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