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2011年8月17日 (水)

そう思った症候群

人間は然(さ)したる理由もなく何かを思い込むことがあります。そして、それが間違いだったと気付かされると、「だって、その時はそう思った」と言い訳をします。どうしてそう思ってしまったのでしょうか? 「この前もそうだったから」「そう考えた方が分かり易いから、あるいは気が楽だから」「当たり前のことに思えたから」など安易な理由から、「一度言い出してしまったから今更引っ込みがつかない」など様々かも知れません。これは個人だけでなく集団においてもよくあることです。信念と区別しにくい頑固(がんこ)な考え方なのです。「原子力発電所の安全神話崩壊」や「20年前のバブル経済や土地神話の崩壊」などがその良い例と言えるでしょう。

2011_08140014_2 このような「思い込み」は「先入観」「固定観念」「ひとり善(よ)がり」などと言い換えることも出来ます。「仮説に基づく真実の検証」「事実と真実の違い」「真実は必ず一つであるはず」などの難しいテーマにはここでは触れませんが、その代わりにもう少し分かり易い(乱暴な)見方を説明します。例えば、「思い込み」の激しい人には他人の話を聞かない人が多いと言えそうです。つまり、「他人に厳しく自分には甘い人」は他人の言動のすべてを自分の考え(実は「思い込み」)に基づいて都合よく解釈するのではないでしょうか。自分が一番賢いと思っている人もやはり「思い込み」が激しい傾向にあるようです。どんな賢い人にも(少なくてもある分野においては)その人以上に優れた人物が周(まわ)りに一人くらいは居るはずです。

「思い込み」を無くすためにはどうすればよいでしょうか。まず自分の「思い込み」を認めることだと思います。「誰かが悪い」「自分には出来ない」「自分は間違っていない」「自分には責任がない」などの考えの中に例外(そんなこともあるかもしれない)の可能性を認めるのです。そして、その例外で自分の考えを少し変えてみるのです。この時、考えるだけでなく行動することが大事です。行動することで考えがさらに柔軟になります。このプロセスを何度も繰(く)り返すうちに「思い込み」から少しずつ逃(のが)れることが可能になると思います。いつまでも「思い込み」に囚(とら)われていると、「不満が不満を生み」「失望は際限なく広がる」のです。

つまり、極端に「思い込み」の激しい人は専門家のカウンセリングを受ける必要があるかも知れませんが、それほどでもない人は自分自身で努力すれば徐々に克服出来るのではないかと思います。

2011_08140007 「何とか症候群」と言う言葉があります。症候群(しょうこうぐん)とは複数の症候(肉体的・精神的な異常)が出る病気のことです。医学的にみて精神の病気、あるいは脳内にある感情の中枢である扁桃体(へんとうたい)の異常が「思い込み」の原因になる場合があるそうですが、そうした病気とは言えない軽度の「思い込み」を発症する神経症を、「そう思った症候群」と勝手に名付けました。

身近な症候群をもう一つ紹介します。それは「携帯電話症候群」、つまり携帯電話依存症(携帯電話中毒)、携帯電話を一時(ひととき)も離せない神経症を取り上げます。確かに携帯電話は便利な道具ですが、同時に様々な弊害(へいがい)も生み出すのです。携帯電話が発する電磁波の脳細胞に与える影響は20年以上も前から論議されています。その結論はまだ出ていませんが、現在の携帯電話はより小型化されたことで脳に限りなく接近して長時間使われますから、大型の携帯電話を使い通話時間も短かった時代よりもリクスは高いと考えられます。

そして使い方においても、本来の目的である連絡手段の役割が、いつの間にか相手と少しでも長く接触していたい、つまり繋(つな)がっていたい、と長電話をする人が目立ちます。歩きながら通話する人や、なかには自転車に乗りながら・自動車を運転しながら通話している人もいます。前者は傍迷惑(はためいわく)になることがあり、後者は違法な行為です。込(こ)み入った用件なら立ち止まって(停車して)話せば良いと思います。もし急な連絡であれば手短(てみじか)に済ませる方が良いでしょう。特に電車など人が集まる場所では携帯電話による着信音や声高の会話が周囲の人に迷惑ですし、心臓用のペースメーカーを使っている人にとっては迷惑どころではありません。まさに「携帯電話中毒」と言うのが相応(ふさわ)しいでしょう。

2011_08140017 若い世代に多いようですが、通話ではなく料金の安い携帯メールを使って連絡する人をよく見かけます。「今どこに居る」「今何している」など軽い問い掛けをして、自分の言いたいことを直接伝えるのではなく、先ず相手の状況から入るのです。「相手に断る負担を掛けない」あるいは「断られて自分が傷つかない」配慮のようで、対人関係を拗(こじ)らせない知恵だと思います。しかし、携帯メールで対人関係を適度な距離に保つだけでなく、直接会って(面と向かって)話すことも必要ではないかと終戦直後に生まれた私はつい思ってしまいます。

これは差し出口ですが、携帯電話の使い方(考え方)を変えることをお薦(すす)めします。携帯電話は着信専用と割り切って、発信(特に通話)は緊急時だけに限定する(そして着信チェックはほどほどにする)ととても気持が楽になりますよ。

写真は私の「思い込み」の副産物としてベランダで育った風船かずらとゴウヤの実です。風船かずらの実は色付き(枯れ)始めて紙風船のような袋の内部に種が育っており、まだ小さいゴウヤの実が大きく成長することもこれからの楽しみです。

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