山梨へのドライブ旅 曽根丘陵公園の東山古墳群
県立考古博物館から西方へ歩くと綺麗に整備された公園(日本庭園)に入りました。
左手の奥に「かんかん塚(茶塚)古墳」と「杯塚(はいづか、さかづき塚)」が並んでいました。「かんかん塚」は直径が約26mの円墳(5世紀後半の築造と推定)で、長さ約7mの竪穴式石室があると説明されています。
より平らな「さかづき塚」(直径約13m)は16世紀頃の鉄鏃(てつぞく、鉄製のやじり)が出土したことから中世の信仰に関わる塚と見られるそうです。
小川に架かる橋を渡ると右手に大きな築山(つきやま)らしきものが見えてきました。
「丸山塚古墳」(国指定史跡)でした。5世紀始めに造られた山梨県では最も大きな円墳(直径約72m・高さ11m・墳頂径9m)であると説明されています。竪穴式石室(長さ5.5m・幅1.05m・高さ0.85m)があり、墳丘板は2段構成で埴輪(はにわ)が立てられていたそうです。
直線的に伸びる階段を上がりました。
墳頂部には竪穴式石室の説明があります。
北西方向に茅ケ岳(かやがたけ、標高1704m)と八ケ岳連峰が望めました。
墳頂の奥まで歩くと南アルプスの山々も見えます。左手前が櫛形山(くしがたやま、標高2052m)で、後方の連山は南アルプスの白峰(白根)三山のようです。左から櫛形山と雲に隠れた農鳥岳(標高3026m)・間ノ岳(標高3189m)、北岳(標高3192m)の順。そして右端は加牟那塚古墳の墳頂からも見た鳳凰三山でしょう。
丸山塚古墳の反対側にある階段と砂利が敷き詰められた遊歩道の先に2段構えにみえる築山がありました。これが「銚子塚古墳」のようです。遊歩道の途中に16基からなる「東山古墳群」の分りやすい説明がありました。両古墳は以前紹介した埼玉県行田市(ぎょうだし)にある埼玉(さきたま)古墳群と似た雰囲気を感じさせますが、埼玉古墳群は5世紀後半の築造と推定されるようですから銚子塚古墳より数十年後の築造です。
「銚子塚古墳」(国指定史跡)は全長169mで県内最大、4世紀後半の築造当時には東日本最大の前方後円墳(長さ169m・後円部径92m・高さ15m・前方部幅68m・高さ8.5m)で、竪穴式石室(長さ6.6m・幅0.93m・高さ1.35m)からは鏡・装身具・武器などが発見されたそうです。墳丘は三段構成で、埴輪が立てられ、墓石で覆われていたと説明されています。ちなみに「銚子」前方後円墳の古い呼び名のようです。
再現された周溝を木製の橋で渡り、前方部の階段を上がりました。
前方部の頂上に立つと後円部が見えてきました。振り返ると丸山塚古墳の全景が広がります。円墳ですから反対側から見た様子とほとんど同じです。
馬の背のように幅が狭くなって後円部へと続きます。
後円部の頂上に到着。こちらにも竪穴式石室の説明がありました。
振り返ると前方部の形状が台形であることがよく分かります。
北方の笛吹川の先には笛吹市と山梨市の市街地や長野県・埼玉県との県境にある山々が望めました。
丸山塚古墳の脇まで戻ると前方に小山が見えます。この辺(あた)りに「大丸山古墳」(全長99mの前方後円墳)があるようです。
「かんかん塚」と「杯塚」の裏手に出ると、その反対側(右手)に綺麗な築山が二つありました。向かって右側が高く、左側が低く、いずれも円墳のように見えます。
すぐ先に「岩清水(いわしみず)遺跡」の標識があって確認できました。弥生時代後期(約1700年前)と古墳時代中期(約1600年前)の円形周溝墓(直径が約26mと約30m)で、「かんかん塚古墳」とほぼ同時期の築造と推定されることが説明されています。
さらに東山の小高い場所にある「大丸山古墳」へも足を伸ばしたいところですが、木立に覆(おお)われて全貌(ぜんぼう)を見渡せないようですし、駐車場に停めた車で1時間余り待つ同行者のことが気になりますので、急いで車へ戻ることにしました。(続く)
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