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2011年9月10日 (土)

山梨へのドライブ旅 湯村山古墳群

台風12号の影響が無くなるのを待ってドライブ旅に出掛けました。午前5時過ぎに自宅を出発、6時少し前に八王子ICを通過、強雨のために通行止めであったことが嘘のような中央自動車道を快調に走りました。朝食のために立ち寄った談合坂(だんごうざか)SAでは山々にたなびく朝霧と台風一過の晴天ならぬ秋の空がありました。
 
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甲府昭和ICを出て県道5号(甲府南アルプス線、アルプス通り)と県道7号(甲府昇仙峡線)で向かったのは甲府駅の北西約2kmにある緑ヶ丘スポーツ公園(体育館の駐車場)です。200台以上の容量がある広い駐車場は工事のためか屏で仕切られていますが、それでも十分過ぎるほどの余裕がありました。
 
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一番奥に車を停めて青空が眩(まぶ)しい湯村山(ゆむらやま、標高446m)へ向かいます。
 
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山へ上って行く自動車道の両脇にある広いグランドでゲートボールのようなグランドゴルフを楽しむグループが何組か見えました。
 
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「武田の杜」の案内板には湯村山の山頂まで1.3kmと表示されています。
 
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一般車が通行できない遊歩道に入ります。
 
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折れ曲がった山道を300mほど登るとヘアピンカーブの内側に石を積み上げた積石塚古墳がありました。湯村山1号墳です。
 
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約1300年前に造られた古代人の墓で、礫(れき、小石)を積み上げた積石塚古墳は横根町と桜井町に180基余り確認されており、湯村山には
全部で7基の古墳があると説明されていました。
 
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山梨県埋蔵文化財センターのhpによると、山梨県では甲府市横根町と桜井町にまたがる横根(よこね) ・桜井(さくらい) 積石塚古墳群(つみいしづかぐんこふんぐん)があると説明されていました。他の資料を見ると長野県須坂市の八丁鎧塚古墳や長野市松代町の大室古墳群にも見られる古墳の形式です。朝鮮(高句麗)に多く見られる古墳ですから高句麗(こうくり)からの渡来人の影響を受けたのかもしれません。
 
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少し行き過ぎて振り返ると、ただの盛土のように見えました。
 
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遊歩道はなだらかな坂として湯村山の頂上付近まで続いているようです。
 
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湯村山には大きな岩が豊富に有りますから、古代においても積石塚古墳を作るのは造作(ぞうさ)もなかったかも知れません。
 
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湯村山の高みから下りてくる何組かとすれ違いました。早朝の散歩コースとして地元で人気があるようです。
 
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峠のような場所にでると(やぐら)がありました。
 
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説明板によると戦国時代の武田家の烽火台(ほうかだい、ノロシを上げる場所)を再現したものでした。甲斐国(かいのくに、現在の山梨県)をほぼ網羅(もうら)する光通信網の基地局と言うことが出来るでしょう。
 
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舗装が途切れた山道を歩くと湯村山城跡を示す道標がありました。
 
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周囲が明るくなってきましたから山頂は近そうです。
 
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東屋(あずまや)風の休憩所から富士山が望めました。御坂山(1596m)から王岳(1623m)まで続く峰々に遮られる部分が少ないため甲府市の市街地で眺(なが)めるよりも富士山が大きく見えます。
 
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その先にある湯村山城井戸にも立ち寄りました。
 
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小さな水溜まりが井戸のようです。
 
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山頂付近を一周すると先ほどの道標脇へ出ます。駐車場へ下りるまでちょうど1時間のコースでした。(続く)

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