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2011年12月に作成された記事

2011年12月31日 (土)

福島県いわき市へのドライブ旅(最終回) 勿来の関

中釜戸のシダレモミジ(国指定天然記念物)にも立ち寄りたいところですが、時期が少し過ぎていることと冬の早い夕暮(ゆうぐ)れが迫っていますので、最終目的地へ急ぐことことにしました。県道14号が国道6号(常盤バイパス)に行き当る下船尾交差点で国道6号に入っても良いのですが、少しでも渋滞のリスクを回避するために左折して県道20号線(陸前浜街道、元国道6号)にそれました。

いわき市植田町で県道56号(常磐勿来線)に変わると狭い街並みを抜けるため流れが少し停滞しましたが、鮫川(さまがわ)と蛭田川(ひるたがわ)を渡ると勿来町四沢(なこそまちしさわ)に入り、四沢交差点で国道6号に吸収されました。常磐本線勿来駅を通過した国道289号入口交差点で案内標識に従って左折、最初のT字路をさらに左折して山道に入りました。

坂道をほぼ登りきった場所に見覚えのある騎馬像が見えてきました。馬に乗る武将は陸奥守(むつのかみ)源義家(みなもとのよしいえ)です。
 
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平安時代後期に奥羽を治めていた清原氏の内紛(ないふん、1083年の後三年の役)に介入(かいにゅう)するために勿来の関(なこそのせき)を通過した時の姿を表現しています。この戦(いくさ)は源氏が世に出る切っ掛け(子孫に鎌倉幕府を開いた源頼朝や足利幕府を樹立した足利尊氏などがいる)となり、藤原氏が奥州(おうしゅう)に覇を唱(はをとな)える遠因(えんいん)になったとされます。義家は京都郊外の石清水八幡宮で元服(げんぷく)したことから称した八幡太郎の名でよく知られています。

8年ほど前、家族全員でアンコウ鍋を食べに北茨城へ出掛けた時に足を伸ばした「勿来の関跡」は白河の関・念珠(ねず)ヶ関とともに奥羽三関のひとつと言われます。しかし奈良時代に作られたこれらの関は平安時代に入るとその意義が薄れて消滅したため、発掘によって場所が確認されたのは念珠ヶ関(山形県鶴岡市)だけのようです。
 
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日本大震災の影響を心配しましたが、門を入った場所にある松の周辺に立ち入り禁止の黄色いテープが張られているだけで、他には被害は無かったようです。
 
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「奥州の宮」と「関東の宮」が並んでいます。
 
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前回と同様に詩歌の小径を歩きました。
 
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最初は精神科医・歌人であった斉藤茂吉氏の歌碑です。
 
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平安時代中期・後期の官吏・歌人であった源師賢(もろかた)の歌碑
 
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平安時代中期の女性歌人である和泉式部(いずみしきぶ)の歌碑
 
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平安時代前期の女性歌人である小野小町の歌碑
 
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平安時代中期の官吏・歌人で三十六歌仙(和歌の名人)の一人でもある源信明(さねあきら)の歌碑
 
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小高い場所にある東屋(あずまや)と小さな社(やしろ)も健在でした。落葉した木々の間から小名浜方面が望めます。
 
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前回、往復した北茨城市に近い(南側の)坂道を下りて国道6号に出ました。勿来海水浴場付近から常盤共同火力勿来発電所から小名浜までの美しい海岸線が夕日に映えていました。
 
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南方向は勿来漁港と茨城県北茨城市の鵜ノ子岬(うのこみさき)方面です。
 
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勿来駅前を通過して蛭田川を渡ったところで国道289号へ左折し、いわき勿来ICから常盤自動車道に入り、薄暮の高速道路を南下、水戸ICを通過した友部(ともべ)SAのフードコートで夕食を摂(と)ることにしました。同行者は豪華な「友部大漁丼」(1450円)を、私は「つくば鶏のとろとろ親子丼」(950円)を注文しました。
 
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同行者は昼食を2人でシェアしたことが物足りなかったようで、大盛りの海鮮丼を美味しそうに食べています。私はメニュー名通りに柔らかい玉子と鶏肉が大き目の碗(わん)に装(よそ)われた親子丼に大満足でした。
 
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三郷JCTの手前から渋滞が始まり、首都高速都心環状線もところどころで車が数珠繋(じゅずつな)ぎになったため、予定より1時間遅れの午後9時に帰宅しました。ちなみに今回の走行距離は約550km、平均燃費は22.9km/ℓ、とまずまずの結果です。

<同行者のコメント> 今回も大忙しのドライブでしたが、旦那様は訪れる場所だけでなく放射能も十分に下調べしたようで、すべてが順調でした。スパアンドリゾートハワイアンズにゆっくり滞在できたことも良かったです。でも帰りがけに売店でかわいい花柄のムームーを私が見つけたのに旦那様は素知らぬ顔でした。10数年前に短期間滞在したハワイにまた連れて行って下さいね。きっとですよ! 
 
<<年末のご挨拶>> 今年も当ブログを読んでいただいた方々に厚くお礼申し上げます。そして皆様に平穏な年が訪れることを心からお祈り致します。

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2011年12月30日 (金)

福島県いわき市へのドライブ旅 スパリゾートハワイアンズ

湯本駅の手前にある湯本跨線橋(こせんきょう)を前日とは逆方向に渡って県道14号(御済所街道)を西へ走って県道14号のバイパスに入り、常盤自動車道いわき中央IC手前の交差点を案内標識に従って左折しました。400mほど走ると案内標識はさらに左折するように導きます。坂の上に目的地「Spa Resort Hawaiians(スパリゾートハワイアンズ)」が見えてきました。
 
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坂を上りきった場所で係員が宿泊客か日帰り客かを訊(たず)ねました。それぞれ専用駐車場があるようです。右折して坂道を下ったところに巨大な駐車場がありました。手前のエスカレータがある周辺には車がほとんど停っていません。不思議に思って近づくと施設の建物に入るエスカレータは使用禁止の表示が出ていますのでさらに奥の空きスペースを探しました。急な坂道を歩いて上ると、見るからに仮設と思われる入場口 がありました。入場料は部分開場のため、温泉施設のスプリングパーク・江戸情話 与市・スパガーデンパレオに共通(ウォーターパークは来年2月8日に最オープ予定)な入場料金は1500円と通常料金の半分以下です。 

開場40周年記念のパネルがエントランスホールに並んでいます。
 
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イベントのスケジュールを確認すると、最初のイベントが始まる午前11時30分まで30分ほどに迫っているため迷いましたが、とりあえず温泉に入ることにしてエレベータで2階へ上がりました。回廊になっている部分からステージが見渡せます。もう席に座っている人達がいます。
 
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スプリングパークの男子大浴場に入ります。
 
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脱衣場はプールのロッカールームのようで簡素なものでした。
 
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正面が大浴場パレスの入口です。左手に向かうと水着を着用して男女が一緒に入浴できるスプリングタウンに行けますが、湯を楽しむ目的の私は大浴場パレスへ入りました。大浴槽は硫黄泉の循環、ジャグジーと寝湯は塩化物泉(循環)、打たせ湯は硫黄泉(掛け流しで加水有り)、檜風呂は硫黄泉(掛け流し)と二種類の温泉が楽しめます。ちなみに泉質は硫黄泉が含硫黄・ナトリウム・塩化物・硫酸塩泉、塩化物泉がナトリウム・塩化物・硫酸塩泉、源泉の温度は58.8度(高温泉)、湯量は毎分3トン。いずれの湯もさっぱりしていて刺激臭はありません。
 
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一階へ下りるとショーが始まっていました。南国子供楽園は子供向けのフラダンス講習会です。
 
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席もまだ十分悪スペースがありますから少し早めの昼食にすることにしました。この施設で一番人気のロコモコは何種類ものメニューがあります。
 
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私はカルビチーズロコモコ(1000円)を注文しました。ホテルのバイキング朝食でいつもより多めに食べたため、同行者とシェアすることにしました。
 
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イベントホールに戻ると3列目の席がまだ空いていました。20分ほど待った1時30分に斉藤和雄とエテネタヒチアンズのライブショーが始まりました。久しぶりに聞くハワイアン(ハワイの音楽)の生演奏です。ハワイアンが全盛だった昭和の時代には大学の音楽会やダンパ、あるいはビヤガーデン(ビヤホールではない)でよく演奏されました。テレビでも日本におけるハワイアンの先駆者で1959年(昭和34年)に「南国の夜」がヒットしたバッキー白片とアロハ・ハワイアンズや大橋節夫さんの「小さな竹の橋」、そして日野てる子さんの「カイマナヒラ」や「夏の日の想い出」(1965年)などをよく聴きました。
 
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ここで福島県最大のレジャー施設「スパリゾートハワイアンズ」のことを紹介します。この施設は常盤炭鉱の閉山にともない立ち上げられた新事業「常磐ハワイアンセンター」として1966年(昭和41年)にオープンしました。1980年代に入ると施設が陳腐化して客足が遠のいたため、1990年(平成2年)に施設を一新するとともに、名称も現在のものに変更され、事業の復興に成功しました。

今年3月11日の東日本大震災で被災して、約6箇月後の10月1日に一部施設が再開しましたが、ウォーターパークとドームスタジオが現在も営業を休止中ですが、前者は来年2月8日に再オープンする予定のようです。気になる放射線量の測定値は同社のhpで毎日公表されています。

次のイベントは「フラガールポリネシアンレビュー希望」です。大変な人気があるようで、客が続々と集まってきますから、そのまま席に座って待つことにしました。

緑色の衣装を着けたグループが登場してショー は始まりました。
 
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次はピンク系の明るい衣装です。
 
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さらに鮮やかなカラーに変わります。
 
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男性デュオも登場
 
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水色のドレスも綺麗です。
 
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観客も参加して踊ります。
 
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タヒチアン風の衣装も魅力的です。
 
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衣装を着替えたダンサーたちが次々に登場します。
 
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フィナーレは華やかに盛り上がりました。
 
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懐かしいハワイアンの演奏と笑顔が美しい女性ダンサーたちのポリネシアン・ダンスを満喫(まんきつ)した私が同行者に感想を求めると、「もう少し迫力があると思っていた・・」と予想もしなかった辛口「(からくち)のコメントが返って来ました。私よりもダンスに詳(くわ)しい同行者ならではの印象なのでしょう。

もう一度温泉を楽しむことにして江戸時代の湯屋を模した「江戸情話 与市」へ向いました。2階に上がって長い渡り廊下を歩いたところに江戸時代の風呂の入口についての説明がありました。
 
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売店の先にある「江戸情話 与市」呂は硫黄泉を循環している巨大な露天風呂です。
 
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脱衣場には屋根がありますが、吹きさらしのため肌寒(はださむ)く、慌(あわ)てて湯に飛び込みました。草津の「西の河原露天風呂」ほどではありませんが、熊野の「わたらせ温泉」と同様に大きな露天風呂です。こに日の薬草蒸し風呂は「ミカン」でした。 
 
温泉のハシゴをして満足した私は、帰路に付くことにして駐車場へ向かう途中、仮設の入場口付近からいわき市の山々が紅葉しているシーンが望めました。
 
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高い山は昔サハコ山(三函山、三箱山、三筥山、佐波古山)と呼ばれた湯ノ岳(ゆのだけ、標高594m)でしょう。
(続く)

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2011年12月29日 (木)

福島県いわき市へのドライブ旅 石炭・化石館「ほるる」(後編)

いわき市で出土した象の歯の展示コーナーには「いわきは熱帯だった?」と表示されています
 
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マンモスの下顎(したあご)(新生代新第四紀、オランダ)
 
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アルバートサウルス(カナダ、中生代白亜紀後期の北アメリカに生息していた肉食恐竜)とティラノザウルス(中生代白亜紀末期の北アメリカに生息していた肉食恐竜)
 
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トリケラトプス(複製、アメリカ、中生代白亜紀後期の北アメリカに生息した植物食恐竜)
 
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恐竜の玉子(中生代白亜紀、フランス)
 
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プテロダウストロ(アルゼンチン、中生代白亜紀に生息した爬虫類の仲間の翼竜)
 
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同上の復元模型
   
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ランフォリンクス(実物展示、ドイツ)は中生代ジュラ紀後期に出現した翼竜の一種で和名は嘴口竜(しこうりゅう)
 
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2階の学習・標本展示室へ向いました。ここが模擬坑道(もぎこうどう)の入り口で、竪坑(たてこう)エレベーターで地階まで下りると薄暗い坑道が待ち受けて居ました。
 
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坑道の掘削現場を再現しています。ダブルレンジングドラムカッターの背面にMITSUI-EIMUCOと読み取れますから三井造船アイムコ社(現三井造船マシナリー・サービス社)の製品かと思いましたが、hpには三井三池製作所の製作と説明されています。
 
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ロードヘッダと呼ばれる掘進切羽(くっしんせっぱ)の展示です。火薬を使わないで掘ることが出来る機械で、トンネルの工事にも使われる機械です。ちなみに掘進とは坑道(トンネル)を掘ることで、切羽は掘削・採炭の最先端現場を意味します。1968年(昭和43年)頃のことが説明されていました。
 
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温泉の水位を下げる排水用立坑と水風呂がある排気坑道です。高温多湿の場所で作業するとすぐに上昇する体温を冷やすために水風呂に入ったことが説明されています。
 
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仕繰(しく)り拡大作業は、古い坑道が上下左右からの地圧によって枠は折れて断面はせまくなり、通気もむずかしい状態となるため、もう一度使用できるようにするための作業でした。
 
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鉱山救護隊
 
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模擬坑道を出た場所にある生活館では昭和10年頃の炭住(炭鉱で働く人々とその家族のために会社が建てた社宅)や戦後の世話所(事務所のこと)・共同炊事場(すいじば)が復元されていました。
 
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充実した展示に満足して建物の裏手に出てみました。いわきの木材で建設された「ウッドピアいわき」は、いわきを紹介する情報発信スポットとして、映画「フラガール」の台本や衣装などを展示されているようです。
 
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駐車場に戻ると右手奥に蒸気機関車を見つけました。このD51型(デゴイチ)は25年余り常磐線を走り続け、その実運転キロ数は124万km(地球を31周相当)だと説明されていました。
 
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(続く)

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2011年12月28日 (水)

福島県いわき市へのドライブ旅 石炭・化石館「ほるる」(前編)

国道6号に戻ってさらに南下しました。次の目的地は7月20日に再開された「いわき市石炭・化石館」です。前日にいわき駅へ向かう途中に場所を確認しています。湯本駅の少し手間で案内標識に従って駐車場に入りました。
 
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いわき市と言えばかつては北九州の筑豊(ちくほう)や北海道の夕張(ゆうばり)などと並ぶ炭鉱の街として知られていました。もうひとつ有名なことは日本で最初に恐竜(正しくは爬虫類に属する首長竜)の化石が1968年(昭和43年)に発見されたことです。それまで日本は酸性の土壌が多いため恐竜の化石は出土しないとされていました。その発見に続き1978年に岩手県岩泉町で竜脚類のモシリュウの化石が、次いで2007年に福井県勝山市で鳥脚類であるイグアノドンや獣脚類のフクイラプトルなどの化石が発掘されて従来の定説が覆(くつがえ)されたのです。
 
敷地内には石炭の父と呼ばれる片寄平蔵氏の胸像が立っています。地元出身の江戸時代後期の商人で、石炭が地元で発見されると、石炭採掘事業を始めた人物と説明されています。
 
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8000万年前(中世代白亜紀)の海を泳ぐフタバスズキリュウ(首長竜)の姿を復元した巨大なブロンズ像が左手の噴水内に聳(そび)えていました。その奥には昭和天皇御歌の碑と坑夫の像が並んでいます。(写真の右端)
 
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ロビーエントランスに入るとフタバススギリュウ(正式な学名はフタバサウルス・スズキイ)の大きな化石が目に入りました。化石を眺(なが)めていると案内員の方が詳しく説明してくださいました。
 
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今から43年前に当時いわき市の高校生で化石に興味を持つ鈴木直氏によっていわき市大久町入間沢の双葉層群(中生代白亜紀の地層)で発見された首長竜の一種でこの名が付けられたそうです。発見され化石は完全な全身骨格として復元され東京の国立科学博物館に収蔵されているため、発見地であるいわき市にはそのレプリカが展示されていることも知りました。川の浸食で欠損した首の一部は想像に基づいて復元されたそうですが、その部分は骨の表面が滑(なめ)らかになっていることも案内員の方の説明を聞いて確認できました。
 
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その隣に魚竜(ぎょりゅう、ジュラ期、イギリス)の化石も展示されています。恐竜よりも古い約2億5千万年前に出現した大型海棲爬虫類(かいせいはちゅうるい)です。
 
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化石展示室に入ります。
 
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アプローチの天井から吊(つ)り下げられているのはニタリクジラ(ヒゲクジラの一種)
 
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メソプゾシアはいわき市で多数出土するアンモナイトとの一種
 
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ケイカボク(珪化木)は樹木の化石
 
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広い展示室には巨大な骨格見本が多数展示されていて、その迫力に圧倒されます。
 
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最初は新生代の陸の生き物コーナーで、南北アメリカに生息していた巨大なナマケモノのエレモテリウムが来訪者を出迎えます。
 
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プリオサウルスは首長竜(くびながりゅう)はジュラ紀・白亜紀を通じて栄えた水生爬虫類の総称のようです。
 
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スミロドンは新生代(約300万 10万年前)の南北アメリカ大陸に生息していたサーベルタイガーの一種
 
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パキデスモセラス(中生代白亜紀のアンモナイト、北海道)
 
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これもメソブゾシア(中生代白亜紀後期、大久町で出土したアンモナイト)
 
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(続く)

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2011年12月27日 (火)

福島県いわき市へのドライブ旅 白水阿弥陀堂(後編)

阿弥陀堂を退出すると西の池を背にした地蔵菩薩が2躰並んでいるのが見えました。平泉の中尊寺金色堂では地蔵菩薩も堂内に安置されていましたが・・。
 
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鴨に近寄って撮影しました。
 
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池に張った薄氷に閉じ込められた紅葉(もみじば)が浮かんでいます。
 
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盆栽のように剪定(せんてい)された松がある小さな島は鴨にとって快適な場所のようです。
 
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反り橋(そりばし橋)を渡って池を巡(めぐ)る散策道に出ました。東日本大震災のあとには奥に見える寺務所(じむしょ)の工事のため数箇月間にわたって通行禁止になっていたそうです。
 
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池の周辺部に作られた蓮田(はすだ)には氷が張っています。
 
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散策道は池に沿って大きくカーブしています。
 
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東の池越しにケヤキの大木と大イチョウ、そして阿弥陀堂が望めました。後方の山が見事な借景(しゃっけい)になっています。
 
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阿弥陀堂の裏手に回るとピンク色をした山茶花(さざんか)の花が咲いていました。
 
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南天(なんてん)は冬ですから葉も赤く色付いています。葉が細目ですから東京南天かも知れません。
 
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西の池沿いの道は日溜(ひだ)まりになっています。
 
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時期を少し過ぎていますがイロハモミジの美しいグラデーション・カラーも見られました。福島県がイロハモミジの北限のようです。
 
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西の池越しに見る阿弥陀堂
 
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鴨に混じってアオサギもいます。
 
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散策道近くでも鴨の親子が日向(ひなた)ぼっこをしています。
 
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今から850年ほど前の1160年(平安時代末期)に創建された白水阿弥陀堂は、21世紀の現在においても浄土を感じさせる場所で、束の間(つかのま)でしたが、私は心の安らぎ(平安)が得られたように感じました。(続く)

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2011年12月26日 (月)

福島県いわき市へのドライブ旅 白水阿弥陀堂(前編)

翌朝はホテルをチェックアウトして国道6号を小名浜方面へ少し戻りました。隣駅の内郷駅前を過ぎた一の坪交差点を右折して県道66号に入り、高架橋を渡ったY字路を左に折れ、市道を1km余り走ると右手に石柱が見えました。「浄土庭園 国宝 白水阿弥陀堂」と彫られています。
 
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右手に折れて白水阿弥陀堂(しらみずあみだどう)の手前にある無料駐車場に車を停めました。
 
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「国指定史跡 白水阿弥陀堂境域」の説明看板には『11世紀頃から、釈迦入滅二千年後は世界が暗黒になる末法思想が普及し王朝貴族は西方浄土の光明を求めて阿弥陀堂を建て、浄土に往生することを願った。白水阿弥陀堂境域(きょういき)の浄土(じょうど)式庭園も、このような思想的背景によって造営され、経典の説く理想をこの世の地上に具現したものと考えられる』と説明されています。
 
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前方に反り橋(そりばし)が見えてきました。
 
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砂利道に落ちた紅葉に霜が白く凍りついています。
 
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木柱の頭部には雪の結晶にも似た氷細工が見られます。
 
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前方の池には白鳥と鴨(かも)が穏(おだ)やかに泳いでいます。
 
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反り橋を渡ります。ここにも霜の影絵が出来ています。
 
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阿弥陀堂が間近に見える中之島の寺務所(じむしょ)で入場料(400円)を支払ました。8時半の開園直後で他に人影はありません。
 
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2つ目の平橋(ひらはし)を渡ると左手の日溜(ひだ)まりで鴨が休んでいるのが見えました。
 
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阿弥陀堂は正方形をした柿葺(こけらぶき)で端正かつ優美な印象を与えます。
 
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平安時代末期の永暦元年(1160年)に岩城則道の夫人である徳姫(藤原清衡の娘)が夫の菩提(ぼだい)を弔(とむら)うために建てた願成寺(がんしょうじ)の一角に建立されたのがこの阿弥陀堂です。
 
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振り返って見ると朱塗りの橋が2つ縦方向に並んでいます。
 
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右手の池に近い場所にケヤキの大木と大イチョウ(樹高約29m、市指定天然記念物)が見事です。
 
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阿弥陀堂に上がるとその内部には、阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)を中心に、両脇侍の観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)像と勢至菩薩(せいしぼさつ)像、および持国天(じこくてん)像と多聞天(たもんてん)像、計5体の仏像が安置されていました。折り上げ小組み格天井(こぐみごうてんじょう)に描かれた宝相華(ほうそうげ)の文様(もんよう)を復元したパネルが右手に置かれています。そして京都・宇治市の平等院の影響を受けていることも若いお坊さんが詳しく説明して下さいました。(続く)

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2011年12月25日 (日)

福島県いわき市へのドライブ旅 夜のいわき市街地

国道六号を北上してJR常磐線いわき駅前のホテルにチェックインしました。このエリアでは東日本大震災と津波の影響は無いように思われます。昼食が蕎麦になったため、早めの夕食にすることにしました。薄暮のいわき市中心部の様子を見ながら駅前の道を南に歩きました。
 
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国道6号を越えた最初の交差点で細長い公園が左右に伸びています。緑道と呼んだ方が相応(ふさわ)しいと思えば、新川東緑地公園でした。調べてみると、この公園を含む新川緑地帯は新川という河川で、磐城平城(いわきたいらじょう)の外堀の役目を果たしていましたが、昭和時代に入って市街が南方に拡大し、大雨になると新川が度々氾濫(はんらん)したため1973年(昭和48年)に暗渠(あんきょ)化されて公園として整備されたことが分かりました。
 
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公園に面したマンションの前に不思議なものを見つけました。人の手が3つ縦に並び、どう見ても下から順に「グー」「チョキ」「パー」の形をしています。基部の銘板(めいばん)を見ると「ジャンケンポン ぐー・ちょき・ぱー」(竹田光幸作)と表示されています。
 
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段々薄暗くなった歩道を南へ歩きます。
 
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歩道の脇に自転車の絵が画かれています。
 
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最近、全国的に整備され始めた自転車専用レーンでした。歩道よりも10cmほど高くなっています。
 
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反対側のビル基部も何やら段差があるようです。よく見ると大震災の影響で歩道部分が沈下したために出来た段差でしょう。躓(つまず)かないように応急処置がされている箇所もありました。
 
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NHK前のバス停がありますので辺(あた)りを見回すと、小太郎町公園の奥にNHKいわき支局のビルと通信アンテナ用鉄塔を見つけました。
 
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現在の新川を渡った最初の交差点(和菓子の平柏屋の角)を左折すると、200m程先に牛丼の吉野家「いわき平やがわせ(谷川瀬)店」の看板が目に入りました。「まさかあなたの好きな吉野家じゃないでしょうね」と言う同行者の声が聞こえないふりをして吉野家に向いました。渋々付いてくる同行者に向かって「今日は吉野家じゃなくて隣の店にしたんだが、午後5時の開店時間には少し早く着きすぎた・・・」と告げる。
 
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午後5時を1-2分過ぎた時に店先の照明が点(つ)いて入り口が開けられました。この日の夕食はいくつか候補に考えたうちから和風ダイニングレストラン「隠れ菴 忍家」(かくれあん しのぶや)のいわき平店にしたのです。「店の名前は何と読むの?」と訊(き)く同行者にたじろぎながら、庵でもなさそうだと思いながら「かくれあんじゃないのかな・・」と。実は駅前にもこのチェーン店(いわき駅前店)がありましたが、予約先を間違えてしまい、アイフォーンの地図アプリに導かれて1km以上も歩いたのです。丸窓のようにデザインされた場所に店内の写真とともにローマ字で表記されていました。
 
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エントランスが落ち着いた雰囲気です。小さな個室に案内されました。
 
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ワインを注文するとお通し(付け出し)が出ました。
 
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同行者は蓮根(れんこん)・大根・水菜(みずな)の明太サラダと刺身(まぐろ赤身と活〆カンパチ)を注文しました。歯応(はごた)えのある美味しいサラダです。
 
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今日一日の出来事を二人で話すうちに、気が付けば刺身が残り少なくなり、寂(さみ)しい写真になってしまいました。開店真際(まぎわ)に入店したためか刺身が十分解凍されていないことが気になります。
 
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私が注文した特撰料理(和牛ステーキ膳)の添え物は見た目にも美味しそうです。
 
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熱い鉄板に乗せられた牛肉を一口食べると、私好みの味付けですが、歯応えがあると言うよりも硬(かた)くてアメリカのステーキを食べるようです。よく見ると隠し包丁(かくしぼうちょう)が入っていますから硬い肉であることは承知済みなのでしょう。テキサス牛の表示が相応(ふさわ)しいかも知れません。牛ロースの鉄板ステーキか、いっそのこと鍋料理にすれば良かったとちょっと後悔(こうかい)しました。
 
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この日は最後になって私の手違いと判断ミスが重なってしまいましたが、それでもまずまずの料理に満足して、ホテルへの長い帰路を歩きました。なぜか「利根の川風袂(たもと)に入れて・・・」と呟(つぶ)きながら、天保水滸伝(てんぽうすいこでん)で笹川方の用心棒として登場する平手造酒(ひらてみき)のことを思いました。(続く)

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2011年12月24日 (土)

福島県いわき市へのドライブ旅 いわき湯本温泉「さはこの湯」

県道26号(鹿島街道)はいわき市の小名浜(おなはま)と平(たいら)を結ぶ主要道路です。平はいわき市の中北部(夏井川流域)に位置し、平安時代末期から戦国時代までは岩城氏の本拠地として、江戸時代には磐城平藩の城下町で、江戸時代には磐城平(いわきたいら)と呼ばれていたそうです。明治22年(1889年)に平町となり、昭和12年(1937年)に平市、昭和41年(1966年)の周辺と合併して現在のいわき市の一部になりました。

ちなみに、地名の由来は、岩城則道が本拠地を構えた時に、妻の徳姫(藤原清衡(きよひら)の娘)がかつて居住していた平泉に因(ちな)んで、中心部を「平」と称して、郊外を「白水」と称したという説があるそうです。その他に、平坦な地形が比較的広かった点に由来するとする説もあるようです。

県道66号へと左折して相子島トンネルを抜けると住吉交差点で国道6号(陸前浜街道)に入りました。国道は緩(ゆる)やかに方向を右に変えて常磐線に沿って北上、湯本駅の手前で踏切を渡りました。駅前の交差点を過ぎた天王崎交差点を道なりに左へ進むと左手にいわき湯本温泉の温泉神社がありました。いわき湯本温泉は「三箱の御湯」と呼ばれ、伊予国の道後温泉と摂津国の有馬温泉とともに「日本三古泉」として知られていたそうです。
 
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三叉路を右に折れると右手にあるユニークな形をした建物に「さはこの湯 温泉保養所」の表示がありました。「さはこ」は地名の三函から来ているのでしょう。建物の外側に鉄パイプの足場が組まれていて工事中のようです。
 
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また大失敗をしでかしたのかと、車を停めて近づくと、営業中の表示が見えて一安心。すぐ近くにある無料駐車場に車を停めました。
 
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それでも1週間後の12月19日と20日は工事用の足場を撤去するため臨時に休所する旨が表示されていました。
 
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建物の中に入ると「さはこの湯」(財団法人いわき市公園緑地観光公社が管理)の外観を写したポスターが飾ってあります。hpには『江戸末期の建物様式を再現した純和風の建物。「さはこの門」、「火の見櫓」を配置したいわき湯本温泉の新たなシンボル・鉄骨造地下1階、地上4階建(878.6)』と説明されています。
 
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受付周辺には自動券売機、自動販売機、貴重品ボックスなどが所狭(ところせま)しと並んでいます。入浴料金は大人が220円、入浴付き休憩料金が710円と格安。
 
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三階建ての建物は、一階が受付と浴室、二階には温泉資料展示コーナーと休憩用更衣室、三階には休憩用の大広間があると説明されています。
 
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受付の反対側に男湯と女湯が並んでいます。男女が日替わりで「幸福の湯」と「宝の湯」を利用できるそうですが、この日の男湯は後者でした。
 
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注意書きが何枚も貼ってありました。浴室では写真撮影ができないようです。
 
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細長い脱衣場を抜けた浴室には打たせ湯を挟んで岩風呂が二つ並んでいます。L字型をした右手の大きい岩風呂はやや熱目で43度ほど、左手の小さい岩風呂は40度弱と言ったところでしょう。細い湯が流れ落ちる打たせ湯の温度は確かに熱目です。泉質は硫黄水(含む硫黄-ナトリウム-塩化物・硫酸塩温泉、低張性弱アルカリ性高温泉)で源泉温度は59.7度。無色澄明・無味ですがやや硫黄の臭いがします。さっぱりしたお湯は「美人の湯」「心臓の湯」(血圧を下げる効用がある)と呼ばれるそうです。

いつものように湯上りのコーヒー牛乳を飲んだ同行者は、券売機の上にある鶴の人形や入口付近の吹き抜け天井に吊(つ)るされた大きな丸い玉を見つけて、さっそく受付の方に訊(たず)ねています。
 
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鶴の人形はこの温泉の女主人が手作りされたもので、「さはこの湯」と書かれた大きなくす玉のようなものは2階からよく見られると聞いたそうです。

エレベーターで2階へ上がると大きな玉の反対側に描かれていたのは「鶴の伝説」の絵でした。『近江国から陸奥の国にやって来た2人の若者が佐波古(さはこ)の里で見掛けた鶴の後を追うと、草むらに湯が湧いており、鶴は矢で傷ついた足を浸しているのを見つけます。二人は優しく傷を洗ってあげると鶴は7日目に傷が治って飛び去りました。20日後に美しい女性が二人を訪ねてきて、稲・菜の種とともに佐波古の湯は神様が作られたもので二人はこの地を開拓するべきであると書かれた巻物を置いて去った』と説明されています。
 
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奥の温泉資料展示コーナーには多数の説明が並んでいます。そのうち「佐波古の由来」と「ドイツ人医師のエルウィン・フォン・ベルツの功績」の2つを紹介します。
 
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ベルツ博士の名前は旧東海道御湯宿(ごゆじゅく)と草津温泉で見掛けました。
(続く)

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2011年12月22日 (木)

村上春樹の「1Q84」を読む

長い旅行記のインターミッション(中間の休憩)記事を書きます。晩秋の忙しかった数十日間が過ぎ去ったことで、これまで意図的に控えていた村上春樹氏の最新作を読みました。最新作と言っても1冊目(Book1)と2冊目(Book2)が世に出てから2年半が経過し、3冊目(Book3)が出版されたのは昨年の4月。これまで村上春樹氏の主要作品をほとんど読み続けてきましたが、何故かこの3部作「1Q84」(ichi-kew-hachi-yon)は手に取ることが躊躇(ためら)われたのです。そして2年以上を経た今月になって、この長編小説を読む心の準備が出来ました。

旅行に出かける前にBook1を読み始めて、旅行中も読み進み、帰宅後にBook2とBook3を読み切りました。総計1500ページ以上と長いことを先ず感じます。そして村上作品らしいストイックなパーソナリティを持つ主人公たちが登場して、音楽と料理や服装についての詳細な描写が溢(あふ)れています。さらに比喩(ひゆ)や暗喩(あんゆ)が多い文章も。異なる点もありました。これまでは一人称による記述がほとんどでしたが、この小説では三人称で書かれているのです。そしてこれまでにはほとんど無かった主人公たちの親についての記述が何度も登場することです。さらに、主人公たちと敵対する人物もBook3では主人公たちと同じ扱いで登場しました。

ジョージ・オーウェルが1949年に刊行した近未来小説の『1984』を意識して2009年に書かれた『1Q84』は逆の方向から1984年を過去として描いた小説です。2つの小説に描かれているのは「こうであったかもしれない」世界であり、「そうではなかったかもしれない」世界なのです。『1Q84』で描かれている世界が、何かいびつで不快なのは、それが「間違った世界」だからなのです。しかし、この「間違った世界」にしか、主人公たちが生きていける場所はないのです。そして主人公たちはその世界で生きていくしかないことを知ります。

この作品にはアンダーグラウンドと同様にオウム真理教やエホバの証人などがモデルとなった宗教団体が出てきます。それは宗教批判と言うよりも、宗教的な束縛(そくばく)の中で生きる人たちを通して、今の世界を考えようとする著者に必要なことなのかも知れません。自ら何もできないことを知る私は、神仏にすがることを拠(よ)り所として、家族との絆(きずな)を大切に思っています。

しかし気になったことは、生々しい性的描写の多さ、「空気さなぎ」とリトル・ピープルの存在が深い霧に覆(おお)われたように不確かであることです。そしてストーリー展開がやや唐突に感じられる点が散見されるのです。ですから、村上春樹氏の作品を始めて読む方は本書に戸惑われるかも知れません。

このように「1Q84」は良くも悪くも村上春樹氏の世界が集大成された作品であり、これまで多くの村上春樹作品を閲読(えつどく)して来た私は読後に心地よい充足感と疲労感が体内に残りました。
 

以下は「1Q84」のあらすじです。「ネタばらし」の内容になっていますから、すでに読まれた方や「ネタばらし」を承知した方は読み進んで下さい。

             ★          ★          ★

Book1の表紙を開きました。その見開きにはジャズの名曲である It's Only a Paper Moonの歌詞の一部とその訳が書かれています。

ここは見世物の世界
何から何までつくりもの
でも私を信じてくれたなら
すべてが本物になる

そしてタイトルには1Q84 Book1 <4月-6月>と表記されていますから1984年春の出来事なのでしょうか。何の予備知識もなくページを捲(めく)ると、短い章立て(20ページほど)の構成で二人の登場人物「青豆と天吾」が交互に登場しました。最初の数章について各々の要旨を紹介します。

第1章「青豆 見かけにだまされないように」

2010_04160003 歴史とスポーツが好きな青豆(あおまめ)という珍しい姓の女性(名前は雅美)が登場する。世田谷区の砧(きぬた)付近から個人タクシーに乗り、用賀から首都高速道路3号線に入ると三軒茶屋の手前から急に渋滞が始まる。渋谷で午後4時半にクライアント(顧客)と待ち合わせることになっているのだ。青豆の様子から察した運転手が時間までに渋谷へ行く方法を教える。高速道路の路肩にある緊急避難場所から非常階段で地上に降りれば、近くに東急線の三軒茶屋駅があると言うのだ。「見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです」と奇妙な言葉を付け加えた。(写真は三軒茶屋出入口と大橋JCTの間

第2章「天吾 ちょっとした別のアイディア」

2008_07080020 小説家を目指す天吾(てんご)が編集者の小松と新人賞の候補作品「空気さなぎ」について話し合っている。何か分からないが魅力を感じて最終選考に残すように言う川奈天吾に対して小松は辛辣(しんらる)な意見を述べる。天吾もこれまで新人賞の最終選考に漏れて、小松から次作に期待すると言われたことがある。筑波大学を卒業した天吾は代々木にある予備校の数学講師をしながら小説を書いているのだ。小松はとんでもないことを言い出す。文章がお粗末(そまつ)なふかえり(深田絵里子)の作品「空気さなぎ」で芥川(あくたがわ)賞を狙うため天吾に書き直してくれと言う。(写真は代々木周辺、右手前は代々木ゼミナール本部校

第3章「青豆 変更されたいくつかの事実」

2011_06160094 青豆はストッキングだけの素足で狭い非常階段を降りた。彼女の頭の中でタクシー内に流れていたチェコの作曲家ヤナーチェックの「シンフォニエッタ」の管楽器のユニゾンが鳴り響いている。渋谷駅近くのホテルに入った青豆は身支度を整えたあと426号室のドアをノックする。そしてホテルのマネージメントの伊藤と名乗り、空調設備に問題が生じたので緊急の安全確認が必要である旨をその部屋に居た石油関連会社に勤める深山に告げる。点検を終えた伊藤(青豆)は、深山の首筋に何かが付いているので確認しても良いかと言い、無防備になった深山の首筋に細身の凶器をそっと突き立てた。(写真は渋谷駅東口

第4章「天吾 あなたがそれを望むのであれば」

2009_02250006 夜中の1時過ぎに小松が天吾に電話を掛けてきた。ことえりに電話したところ翌日夕方に天吾と二人で会いたいと言っていると伝える。天吾は新宿の中村屋で本を読みながら約束の時間を過ぎてもふかえりの到着を待った。22分遅れて来たふかえりは極端に口数が少ない上に修飾語とアクセントのない奇妙な話し方をする。天吾の数学の講義を聞いたことがあると言うふかえりとの間でなぜか数学の話が続く。そして天吾は激しい心の震えのようなものをふかえりの美しい顔立ちと真っ黒な瞳に感じる。彼の中にある空白が満たされるようだ。料理を食べながら天吾が小松の提案内容と自分がまだ決めかねていることを説明すると、ふかえりは「やるといい。すきになおしていい」と言う。(写真は新宿駅東口交差点付近)

Dscf1004_4 こんな出だしで始まるBook1は全部で24の章が続きました。広尾にあるスポーツ・クラブのインストラクターである青豆が行きずりの中年男性とひとときを楽しむ性癖が詳しく描写され、麻布の高台にある柳屋敷の女主人(緒方静恵)とその秘書的な男性のタマル(田丸)との会話で青豆の隠された役割が明らかになる。天吾はNHKの集金人をしていた父親に連れられて毎週日曜日に千葉県市川市内を歩き回った小学生時代を回想しながら、ふかえりに同行してふかえりの保護者が住む青梅市の二股尾(ふたまたお)駅から山の中に入った場所を訪れる。「空気さなぎ」の原稿を書き直す許可を得るためだ。戎野(えびすの)という元文化人類学者は彼を気に入ったようで、書き直しの許可を与えたあと、ふかえりの父親が立ち上げた農業コミューン「さきがけ」とジョージ・オーウェルのスターリニズムを寓話化した「1984」に登場するビッグ・ブラザーの話をする。(写真は青梅市御嶽山

2007_11080068_3 自分が今いる世界では何かが変わってしまったと感じた青豆は区立図書館で3年前の新聞の縮刷版に自分の知らない事件などを見つけて、自分が1984年ではなく別の世界(1Q84年)に居ると感じる。そして青豆は自分が小学生の頃に、宗教団体「証人会」の熱心な信者である両親に市川市内を布教のために連れられて歩く途中に、天吾とすれ違ったことを回想する。二人は3年生と4年生の時に同じクラスだったのだ。成績が優秀でスポーツにも秀でた天吾はクラスのリーダー的な存在で、宗教的な理由から他の生徒に黙殺されていた青豆に手を差し伸べたことがあった。そして放課後の教室で他に誰もいない時、青豆は天吾の手をしっかりと握った。無言のままじっと見つめたあと小走りに教室から出てしまう青豆、わけが分らず立ちつくしながら困惑する天吾。(写真は青豆が住む奥沢に近い自由が丘

天吾は時々幻影を見る。1歳を過ぎた頃に見た母親の姿のようである。しかし、その顔は見えない。高校では父親から離れて寮生活ができる柔道部に属していたことが説明される。予備校の数学講師をしながら天吾は「空気さなぎ」の書き直しを10日ほどで完成させた。編集者である小松の目論見(もくろみ)通りにふかえりの「空気さなぎ」は新人賞をとってベストセラーになる。しかし何かが天吾の周りで起き始める。そしてふかえりが何かから逃げるように天吾のアパートに居着いてしまう。

青豆はいつの間にか月が2つになっていることに気づく。普通の月と並んで少し小さくていびつな形をした緑色がかった物体である。青豆は老婦人から家庭内暴力に悩む女性たちのために彼女が私設のセーフハウスを運営していることを聞く。第3章で青豆が殺害した男性も加害者のひとりだったのだ。そして老婦人が保護している少女(つばさ)から「リトル・ピープル」という言葉を青豆は聞く。その少女に性的な暴力を振った「さきがけ」のリーダーが次のターゲットであると老婦人は青豆に伝える。

                        ☆

2010_03160182_2 Book2 <7月‐9月>もBook1と同じ構成が24章続き、天吾と青豆の周辺がさらに明かされる。そして牛河(うしかわ)という得体(えたい)のしれない人物が天吾の前に現れて、将来性のある小説家などに援助する団体の役員を名乗る。どうも天吾に近付くことがその目的と思われた。村上春樹氏の「ねじまき鳥クロニクル」に登場した人物と同じ名前で、その異様な容姿も同様である。天吾は総武線に乗って千葉県館山の先にある千倉の療養所に高校に入ってから長い間疎遠(そえん)になっていた認知症を患(わずら)う父親を訪ねる。彼が本当の父親であるのかを確かめたくなったのだ。しかし父親はそれについて何も語らない。(写真は千倉町白間津地区の花畑

2009_11150046 青豆はホテル・オークラ本館のロビーから2人のボディーガードに伴われて「さきがけ」のリーダーの部屋に案内される。筋肉ストレッチを施す青豆にリーダーは自らの肉体的苦痛を明かすとともに、青豆の目的を承知しているだけでなく、むしろ自らそれを望んでいた。世界は1Q84年に変更されたとも言う。天吾の命を守ると言うリーダーの取引条件に応じた青豆は任務を達成する。稲妻のない落雷が窓の外でひときわ激しく轟(とどろ)いた。(写真はホテル・オークラ

同じ頃、天吾はふかえりと寝室にいた。ふかえりはオハライをすると言う。気がついた時に天吾は裸になっており、ふかえりは天吾の上で天吾を深く受け入れていた。天吾は小学校の教室にいる自分と自分の手を強く握る少女を思い出していた。青豆に会わなくてはならないと天吾は思う。

リーダーの死は報道されなかった。「さきがけ」がそれを隠したのである。青豆は老婦人が用意した隠れ家に潜んでいる。そして自分が身ごもったことを知り、自分が転校した小学5年以来一度も出会ったことがない天吾の子供であると何故か確信する。ある夜、そのマンション前の小さな公園にあるすべり台の上で月を見上げる天吾の姿を見つけるが、「さきがけ」の追跡から身を隠しているため、どうするべきか迷った青豆が公園に入った時には天吾の姿はもうなかった。

                        ☆

Book3 <10月‐12月>は31の章で構成されている。それまでと異なるのは牛河の章が加わり、三人の話になったことである。牛河は「さきがけ」の指示で動いている元弁護士で、青豆の行方を探っているのである。青豆は天吾が同じ公園に戻って来るのを辛抱(しんぼう)強く待っている。牛河は青豆の情報を求めて柳屋敷のことを調べるものの収穫がないため、青豆の経歴を調べて市川市の出身であることを知り、同じ市川市出身の天吾との接点を探して二人が在校した小学校を見つける。

牛河は天吾の身辺を探ることで青豆の行方を追うことにして、天吾と同じアパートに空き室を見つけ、アパートに出入りする人々を監視する。牛河は天吾を尾行した公園で天吾が何をしていたのかを考える。その様子を見た青豆はタマルから聞いていた柳屋敷周辺を嗅(か)ぎ回っていた異様な容姿をした牛河であることを咄嗟(とっさ)に気づき、その跡(あと)を付けてアパートに辿(たど)り着く。そして川奈の名札を見つけて天吾かもしれないとブザーを押すが不在で応答がない。この事実をタマルに電話で伝える。

盗撮をしていた牛河は青豆らしい女性を撮影して自分の考えに自信を深めるが、夜中に自室に入って来たタマルに詰問(きつもん)されて青豆について調べたすべて(依頼者には未報告であること)を自白したあとに殺されてしまう。タマルは「さきがけ」のボディーガードに電話して牛河のことを伝える。リーダーと同様に死体を片付けさせようとの考えである。牛河の脅威(きょうい)が去ったことを知った青豆はタマルに「公園のすべり台の上で再会したい」と天吾への伝言を頼む。その日の夜7時にすべり台の上で待つ天吾の横に青豆が現れて20年前と同じように天吾の手を硬(かた)く握る。

2008_07010059Q84年の世界から脱出するため青豆は天吾と一緒に首都高速3号線の非常階段を登って前回とは逆のルートで緊急避難場所に出る。首都高速道路で奇跡的に空車のタクシーを見つけた二人は渋谷駅へ向かい、そして赤坂にある高層ホテルの部屋から明け方までひとつになった月を眺(なが)めている。二人には今居る世界が元の世界なのか、あるいはさらに別の世界であるのかは分からないが、青豆の胎内に宿る小さな命と三人でこの世界に留まることを決心する。(写真は今年3月末にクローズしたグランドプリンスホテル赤坂

<参考> Q84マップ(小説に登場する場所)

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2011年12月19日 (月)

福島県いわき市へのドライブ旅 小名浜・三崎公園

県道15号に戻って豊間(とよま)海岸へ向かいます。視界が開けて小さな川を渡った兎渡路(とどろ)交差点の先にゴジラのハリボテを見つけました。塩屋埼灯台も横に作られています。そして、その手前にはモンゴルの移動式住居「パオ」(ゲルとも呼ばれる)が3張りも建っています。後で確認すると復興テント村でした。
 
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その先にセブンイレブンの看板を見掛けて立寄りましたが店舗の改装中でした。周辺には津波の被害を受けたと見られる建物の基礎(土台)がありますから、この店も被災したのでしょう。6日後の12月16日に予定されるリニューアルオープンに向けて内装工事が行われていました。実はゴジラ像はこのコンビニが作ったもので、放射能の被害を核兵器の影響で生まれたゴジラで暗示しているのでしょう。
 
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次の信号から海岸に出ようとすると、「被災した住宅があって危険であるため侵入禁止」の表示が出ています。車を止められる路肩スペースを見つけて合磯(かっそ)海岸(二見ヶ浦海岸)に向けて歩きました。塩屋埼灯台が穏やかな海の向こうに見えます。
 
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小さなトンネルを抜けるとゴルフ場の小名浜CCに差し掛かり、このT字路で県道15号の道なりに左手に進み、Y字交差点を案内標識に従って左へそれると前方にユニークな形をしたタワーが見えて来ました。三崎公園のいわきマリンタワーです。
 
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公園内の道に入って海岸へ向かい、行き止まりにある駐車場に車を停めて、三崎潮見台へと歩きました。
 
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螺旋(らせん)階段がある塔に登ると三崎公園の高台とマリンタワーが正面に見えます。
 
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海の方向へ突き出した展望施設が下に見えますので、好奇心が旺盛(おうせい)な私はさっそく先端部まで行ってみました。
 
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塔の方を振り返って一枚撮影しました。
 
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左手の海岸線の岩場で砕(くだ)けた波が白い模様を描いています。
 
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右手には小名浜の工場地帯が見えます。
 
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その少し左手方向には福島県南端の勿来(なこそ)から茨城県五浦(いつうら、いづら)海岸までのエリアが太陽光に輝いています。
 
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展望施設は塔から真横に突き出して、まるで水泳の飛び込み台のような形状をしていました。
 
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急な坂道を下りて小名浜へ向かいます。
 
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小名浜造船所付近から見る小名浜港は何事もなかったように穏やかな様子ですが、左手の空き地ではコンクリートの破片を埋める作業が行われていました。港の反対側にある水族館のアクアマリンふくしま周辺が小名浜では最も被害が甚大だったそうです。津波が押し寄せたと伝えられる船引場を通過して小名浜本町交差点から県道26号(小名浜平線、通称鹿島街道)を北上します。
 
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(続く)

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2011年12月18日 (日)

福島県いわき市へのドライブ旅 塩屋埼灯台(後編)

ひばり街道を登りきった場所の駐車場に「みだれ髪歌碑」と「美空ひばり遺影碑」が並んで立てられていました。哀悼(あいとう)と刻まれた遺影碑(いえいひ)には先ほどの「永遠のひばり像」と同様に歌が流れる仕組みがありますが故障しているようです。
 
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歌碑には「みだれ髪」の二番の歌詞が書かれていました。ここでは作曲した船村徹さんの歌声を紹介します。
 
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私は星野哲郎さんのこの詩が好きです。何といっても出だしの言葉が印象的で、一番は「髪の乱れに手をやれば赤い蹴出(けだ)しが風に舞う」、二番は「春は二重(ふたえ)に巻いた帯 三重に巻いても余る秋」。そしてサビ(聞かせどころ)ではそれぞれ「投げて届かぬ想いの糸が」「見えぬ心を照らしておくれ」と続きます。

実は「蹴出し」の意味を私は最近まで知りませんでした。階段の「蹴上げ」に関係するのかもしれないと思いながら調べてみると、主に女性が和服の下に付ける布のことでした。長襦袢(ながじゅばん)が一般的になる前に、半襦袢と蹴出しを組み合わせて着用したそうです。その目的は着物が足に纏(まと)わりつかないようにするためで、裾除(すそよ)けとも呼ばれるそうです。

「いわき市と美空ひばりさんの縁(ゆか)り」看板も右端に並んでいます。
 
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塩屋埼灯台へ上がる前に腹ごしらえをしようと、道路の反対側にある磯料理「山六観光」に入りました。もちろん海鮮料理が目当て、事前に調べたhpで食べたい料理の心積もりも出来ています。
 
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店内に入って見回すと食事処は2階のようです。念のため店員さんに確認すると食事処は営業していないとの答えが返ってきました。津波の影響は無かったそうですが、2階部分に亀裂などが出来たことが原因でした。店先の仮店舗のような場所で蕎麦が提供されていますので、昼食のメニューを急遽(きゅうきょ)変更することにしました。

同行者はトッピングに海老の天ぷらを、私はかき揚げを選びました。外の寒さも暖かい蕎麦を食べると癒(いや)されます。
 
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味見をさせてもらった大ぶりの海老はプリプリ感があり、私のかき揚げもサクサク感があって、いずれも美味しい蕎麦とともに完食しました。
 
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血液がサラサラになるとして同行者がお土産に選んだ「国産たまねぎ。スープ」を会計する時に塩屋埼灯台の様子を店員さんに尋(たず)ねると、『何ということ』か、灯台には登れないと説明されました。どこまで行けるのかと入口の石段に向かいましたが、残念ながら数段上ったところに立ち入り禁止の看板が立てられていました。灯台までわずか190mなのですが、ひょっとしたら「四つん這(ば)いになれば入っても・・」と一休さんの頓智(とんち)を真似ても駄目なようです。
 
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看板の横にある記念碑には「喜びも悲しみも幾歳月」の歌詞が書かれています。1957年に製作された映画の主題歌で、私の好きな若山彰さんが歌ってヒットした曲です。塩屋埼灯台の台長だった田中績さんをモデルに木下恵介監督が制作した映画は私が訪れたことがある観音埼灯台(三浦半島)や安乗埼灯台(志摩半島)など多くの灯台が舞台になりました。佐田啓二さんと高峰秀子さんが田中夫婦の役を演じたこの映画を小学生の頃に観た記憶はありますが、残念ながらストーリーはよく覚えていません。
 
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塩屋埼灯台は明治32年(1899年)に設置された白亜の灯台(海抜73m)で「日本の灯台50選」にも選ばれ、地元では「豊間(とよま)の灯台」とも呼ばれているそうです。
 
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塩屋岬を抜けた豊間海岸から塩屋埼灯台を見るつもりでしたが、ひばり街道は灯台から先が通行止めになっていましたので、もと来た道を引き返して富神崎漁港を訪れました。漁船と防波堤越しに塩屋埼灯台が望めました。
 
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漁港の奥まで歩いたついでに防波堤の先に立つ小さな灯台を撮影しました。
 
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富神崎漁港に迫る岩山の反対側に餓鬼堂(がきどう)横穴墓群があるはずです。漁港の入口付近にコンクリートの土台があるのが目に入りました。これから新築するのか、津波で破壊され尽くしてしまったのか、私には見分けが付きませんが、やはり後者なのかもしれません。
 
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富神崎から見た新舞子浜公園方面の景色です。
 
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(続く)

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2011年12月17日 (土)

福島県いわき市へのドライブ旅 塩屋埼灯台(前編)

切通しを抜けると薄磯(うすいそ)海岸に出ました。その北端には波によって侵食された白っぽい岩肌が海の青と美しいコントラスを生み出しています。
 
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長さが約1kmのこの海岸は九十九里浜や七里ヶ浜などとともに日本の渚百選に選ばれているそうです。
 
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南側の薄磯海水浴場にはコンクリート製の監視台がぽつんと立ち尽(つ)くし、その近くに海鳥たちが羽を休めています。
 
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陸側に目を転じると信じられない景色がありました。塩屋埼灯台(しおやさきとうだい)近くまで海岸沿いに建っていた家々はいずれも土台(基礎部)のコンクリートを残すだけになっています。今年6月に九十九里浜(旭市)の飯岡で見た津波の被害を遥(はる)かに越える惨状(さんじょう)です
 
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唯一形が残る豊岡中学校の校舎は1階の窓部にベニヤ板が打ち付けられ、体育館は屋根と鉄骨の柱を残すだけです。そして校庭には所狭(ところせま)しと瓦礫(がれき)が積み上げられていました。もちろん人影はありません。

所々で流失した防波壁の代わりに大きな土嚢(どのう)が積まれ、その防波壁に沿って伸びる道路は舗装(ほそう)が削り取られて砂利道のようになっています。「ひばり街道」と表示された綺麗な(被害を受けていない)坂道を上ると左手に小さな像が見えましたので、小さな漁港が見える場所に車を停めました。
 
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細長い公園にあるウッドデッキを歩いてその像に近寄ると2002年に立てられた美空ひばりさんの像(永遠のひばり像)であることが分かりました。
 
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反対側に回り込みました。塩屋埼灯台を背にして燕尾服(えんびふく)にシルクハットを被(かぶ)ってステッキを抱(かか)えた美空ひばりさんの像は、12歳で映画「悲しき口笛」(1949年)に主演した時のコスチューム姿は、終戦直後でもあり、ダンサーで映画俳優であったフレッド・アステアジーン・ケリーを意識した演出だったのでしょう。
 
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近寄ると自動的にその「悲しき口笛」の歌が流れ始めました。♪♪丘のホテルの赤い灯(ひ)も胸のあかりも消えるころ・・・♪♪は藤浦洸(こう)さんの作詞です。フラッシュ撮影したのですが表情は・・。
 
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次いで流れた「塩屋崎 (しおやみさき)」の♪♪つよくなろうとつぶやいたそんな自分が可愛くて・・・♪♪は星野哲郎(てつろう)さんの作詞です。
 
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みだれ髪」(1987年)が流れるのを辛抱(しんぼう)強く待ちながら北方を振り返ると薄磯海岸から四倉漁港までが一望できます。美しい穏(おだ)やかな海に見とれているうちに、薄磯海岸の北端に見える擁壁(ようへき)辺りに餓鬼堂(がきどう)横穴墓群があることを思い出しました。発掘調査が終わった昨年11月に埋め戻されて擁壁(ようへき)で覆(おお)われたそうです。
 
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風が冷たくなってきましたので車に戻ることにしました。
崖の上に聳(そび)える純白の塩屋埼灯台が太陽に照らされて眩(まぶ)しく輝(かがや)いています。
 
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(続く)

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2011年12月16日 (金)

福島県いわき市へのドライブ旅 夏井川サイクリング公園と中田横穴遺跡

新舞子地区に入って夏井川(なついがわ)に架(か)かる磐城舞子橋(いわきまいこばし)を渡りました。
 
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河口は砂で塞(せ)き止められたようになっていて、夏井川は右へ蛇行(だこう)して太平洋に注(そそ)いでいるようです。津波の影響で河口付近の地理が変わったのかもしれないと思い、帰宅後に航空写真で確認すると流れは以前から曲がっていたようです。
 
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夏井川サイクリング公園の案内標識を見つけて右手の道に入ると直ぐに公園のような場所がありました。
 
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駐車場に車を乗り入れると自転車が横に置かれた車が並んでいるのが見えました。走り終えた自転車ライダーが休憩しているようです。自販機前に居る二人連れも同じグループメンバーかもしれません。
 
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「新川〜夏井川ルート」の案内看板がありました。このサイクリングロードは夏井川と支流の新川を遡(さかのぼ)ってJR内郷駅の先の白水阿弥陀堂(しらみずあみだどう)まで行けるようですから片道で10数kmの距離があります。残念ながら今回のドライブでは折り畳み式自転車を同乗させていません。
 
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短距離を楽しみたい人のためには夏井川サイクリング公園内のコースも整備されていました。BMX(20インチ径ホイールを持つ競技用自転車)コース、BTR(バイクトライヤル、足をつかない障害物競技)コース、一輪車練習場があると説明されています。
 
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こちらはサイクリング公園に隣接するターゲットバードゴルフコースです。これはバドミントンの羽をつけたゴルフボールをゴルフクラブで打って打数の少なさを競うもので、40年ほど前に日本で生まれたスポーツだそうです。
 
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県道382号に戻って南下すると塩屋埼灯台(しおやさきとうだい)の案内標識が右手を指しています。幅員(ふくいん)が狭くなると表示されている直進ルートの方が近道なので通常であれば無視するところですが、今回は寄り道を予定していますから迷わず右折しました。
 
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コンクリートで覆(おお)われた左手の崖(がけ)に奇妙(きみょう)な形をした入口のようなものが見えました。
 
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これが「中田横穴(なかたよこあな)」です。6世紀末に作られた我が国を代表する装飾横穴墓(国の史跡、奥行6.67m)であると説明されていました。昭和44年に県道の新設工事中に発見された1400年ほど前の地元有力者の墓で、入口部の羨道(せんどう)と羨門の先に前室と壁に画が描かれた後室とその間の玄門部(げんもんぶ)があることが図解されています。ちなみに年に数回だけ公開されるようです。
 
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すぐ先の交差点で塩屋埼灯台の案内標識に従って左折しました。薄磯(うすいそ)海水浴場もあるようです。
 
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(続く)

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2011年12月15日 (木)

福島県いわき市へのドライブ旅 四倉漁港

先ほど国道6号に入ったT字路に近い四倉漁港に立ち寄りました。一見するとそれほど大きな被害がなかったように見えます。
 
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しかし空き地には損傷した漁船と自動車が積み上げられていました。そこで震災前に撮影されたと思われる航空写真で確認するとこの空地はテトラポット(消波ブロック)や護岸用コンクリートブロックの置き場だったようです。
 
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国道6号沿いの道の駅「よつくら港」には人の賑(にぎ)わいがあります。この「交流館」は最近立てられたようで屋根や壁が真新しく見えましたが、調べてみるとやはり2年前の2009年12月にオープンしたばかりでした。
 
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しかし建物の南端部は津波に抉(えぐ)り取られて無残な姿のままでした。
 
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交流館の中に入ると大勢の買い物客でごった返していますが、応急処置を施した柱は仮設店舗を思わせます。そして翌日(12月11日)までの仮営業中であることと12日から取り壊し工事が始まることを知りました。
 
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鍾馗(しょうき)像を描いた大凧(おおだこ)が天井から吊(つ)り下げられています。
 
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同行者は土産物選びに忙しく、さっそく大和芋(やまといも)を手に取っています。
 
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これは私が見つけた「ぶどう糖いちじく」
 
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同行者は健康に良いもの志向で「納豆こんぶ」「海藻サラダ用のドレッシング」「シルキー(とうふの蒲鉾)」「豆乳生キャラメル」なども買い込んでいます。
 
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すぐ先のY字路で海寄りの県道382号(豊間四倉線)にそれました。九十九里浜にも似た直線道路が続きます。
 
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車を路肩に停めて海岸に出てみると大きなコンクリートブロックを敷き詰めた護岸が次の目的地である塩屋埼方面に続いていました。
 
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ズームアップすると灯台らしきものが岬の先端部に見えます。
 
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来し方(きしかた)を振り返ると四倉港の辺(あた)りが望めました。
 
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県道382号は相変わらず一直線に続いています。
 
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(続く)

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2011年12月14日 (水)

福島県いわき市へのドライブ旅 波立薬師

関西へ旅行をした後は、頼まれ仕事が2つ重なり遠出する時間が無かったため、所用で出かけた近場(京浜地区)についての記事を投稿するだけになっていました。そんな折り、東日本大震災で被害を受けた塩屋埼灯台が11月30日に復旧したとのニュースを聞きました。東日本大震災でランプを回転させる機構が壊れたため消灯を余儀なくされ、応急的にLEDを使った仮の設備で運営されていましたが、修復工事が完了したのだそうです。灯台好きを自認する私もこの有名な灯台を訪れたことがなかったので、仕事を仕上げた12月上旬にさっそく福島へ出掛けました。(灯台巡りの記事;内房外房九十九里浜犬吠埼三浦半島南伊豆丹後半島室戸岬足摺岬総集編

それほどの距離ではありませんから、明るくなるのを待って午前7時頃に自宅を出発しました。ところどころで渋滞が発生している首都高速道路で埼玉県に入り、三郷JCTからいつの間にか常磐自動車道になると、こちらはうって変わり空いています。江戸川を渡れば千葉県に入りました。そして利根川を渡って茨城県に入りと小貝川を渡ると左前方に筑波山が見えてきます。この辺は平将門縁の場所を求めて昨年の4月にドライブしたことがあります。

水戸ICを過ぎて那珂川(なかがわ)を渡った東海PAで最初の休憩を取りました。旅を計画した時からあるものが目当てで立ち寄ることにしていたのです。小さな施設に入る前にちょっと変わったものを見つけました。
 
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時代を感じさせるカメラがショーケース(上の写真の右下)に多数展示されているのです。店内でまっ先に私の目に留(と)まった初代マミヤプレスは6×9判という大画面で撮影できるプレスカメラ(報道関係者向け)で、1960年代初頭にマミヤ光機(マミヤ・デジタル・イメージングに業務移管)から発売されたものです。
 
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マミヤフレックスは懐かしさを感じさせる二眼レフカメラです。上部が見えませんが恐らくC220モデルと思われます。好奇心の旺盛(おうせい)な同行者が店員さんに訊(たず)ねて、いずれも店長さんのコレクションだと分かりました。
 
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このPAに立ち寄った目的は軽食コーナーで食べられる「鍋焼きラーメン」です。東日本エリアにおける高速道路SAPAラーメンランキング第3位と誇らしく説明されています。ちなみに第1位は深谷ねぎ醤油ラーメン、第2位は佐野ラーメンです。鍋焼きうどんと同様に土鍋で煮込んでいる様子がカウンター越しに見え、ラーメンを煮込むなんてとちょっと心配になりました。セルフサービスで受け取った鍋焼きラーメンは、生玉子が落とされて、まさに鍋焼きうどんの風情です。
 
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恐る恐るだし汁を飲むとラーメン風の味がしました。麺は予想外にしっかりしていて、玉子をからませればまろやかな味になります。自宅を出る前に軽い朝食を済ませていましたが、寒い朝(外気温3-4度)にピッタリのラーメンを同行者とシェアして食べ切りました。鍋焼きうどんとラーメンを一緒に食べるような不思議な食感は期待通りです。

久慈川(くじがわ)を渡ると常盤自動車道は山間部へ分け行りました。トンネルがいくつも続いた後に福島県に入って小名浜(おなはま)の地名が見えて来ました。
 
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常磐自動車道の最終区間である広野ICと常盤富岡ICの間は東日本大震災の影響が残っているため通行が出来ません。郡山方面へ向かう盤越自動車道の小野ICと船引三春IC間は積雪があるようです。ちなみに三春は滝桜が有名です。
 
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いわき中央ICから先は片側一車線の対面通行になって高架橋から好間(よしま)トンネルを抜けます。
 
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いわき四倉(よつくら)ICで常盤自動車道を出ました。
 
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県道35号を南下した後に県道41号で田園地帯を東へと向かいました。行き当った国道6号(陸前浜街道)を左折して小さなトンネルを抜けた左手に波立薬師(はったちやくし)がありました。寺の名前は医王院波立寺(はりゅうじ)で、海中から現れた薬師如来(いわき市の重要文化財)が本尊として薬師堂に祀(まつ)られています。
 
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波立海岸の樹叢(じゅそう)は県指定天然記念物だそうです。ちなみに樹叢とは自生した樹木が密生している林地のことです。
 
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「ひた潟の 磯の和布(わかめ)の 立ち乱え 吾をか待つなも 昨夜(きそ)も今宵(こよい)もと刻まれた万葉歌碑が境内にひっそりと立っていました。ひた潟とは久潟がなまったもので、すぐ北にある久之浜のこととされるようです。
 
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山門を潜(くぐ)ると朱に塗られた薬師堂が表れました。
 
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こちらは奉納された船の碇(いかり)のようです。
 
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国道6号を挟んで波立海岸は、弁天島などの奇岩怪石が連なる風光明媚(ふうこうめいび)な場所で、元朝(初日の出)参りで知られるそうです。ちなみに波立海岸の先(久之浜の殿上崎)の向こう側に見える2本の白い煙突は広野町にある東京電力広野火力発電所のものでしょう。
 
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弁天島の頂上部に海鳥が止まっているのが見えます。
 
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東日本大震災による津波の被害なのでしょうか弁天島へ渡る遊歩道は通行禁止になっていました。よく見ると2001年に架け替えられた橋の欄干が大きく破損しています。
 
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この小さなトンネルは県道6号の歩道のようです。
 
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(続く)

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2011年12月 9日 (金)

晩秋の六本木・東京ミッドタウン

所用で東京ミッドタウンを訪れました。昼の休憩時間にはもちろんミッドタウン・ガーデンから港区立檜町(ひのきちょう)公園を散策しました。自然のアートギャラリーと言われる広いガーデンには、防衛庁であった時の高木が約140本も残されているそうですが、その他の木々も年々成長して豊かな景観を作り出しています。
 
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今年は夏から秋に掛けての気温が不順であったため、全国的に紅葉が美しくないと言われていますが、日本庭園がある檜町公園(萩藩・毛利家の麻布下屋敷の庭園跡)は秋の風情が感じられました。
 
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遊歩道に沿って公園内を歩きました。
 
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オカメザサ(阿亀笹)
 
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ハマヒサカキ(浜姫榊)は生垣や街路樹によく使われるツバキ科の常緑樹です。
 
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こちらはタチカンツバキ(立寒椿)、寒椿のうちで枝が上に伸びる品種を指すようです。蕾が少し色付き始めていました。
 
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コムラサキ(小紫)は小型の紫式部(むらさきしきぶ)だそうです。紫式部と言っても今週末に映画が公開される源氏物語を書いた紫式部とは関係ないようです。
 
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ハクモコ(白毛紅)はヤマツバキの一種だそうです。
 
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次いで池を巡りました。
 
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蒲の穂です。
 
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人影が少ない公園内を散策していると何の脈絡(みゃくらく)もありませんが、英国の女性シンガーソングライター、アデルさん(Adele Adkins)が歌う
Someone like you (あなたに似た誰か)が私の頭中に流れました。今年のグラミー賞で部門賞にノミネートされたこの曲は世界で1300万枚以上も売上げる大ヒット中です。ボーイフレンドだった人が他の女性と結婚したと聞いた時の女性の心情を切々と歌うやや長めの歌詞とそれにマッチする寂しげなメロディーが人々の心を掴(つか)んだようです。23歳とは思えない卓越した歌唱力とピアノのみによる伴奏が印象的です。YouTubeにアップされたビデオPV(閲覧)回数が7000万回を越えていることも驚きです。

東京ミッドタウンでは11月15日からクリスマス・イルミネーションが始まっていました。その最大の呼び物として高さ2mの巨大な地球を中心に46億年の歳月を4つのシーンで再現する「スターライトガーデン第2章」が12月5日から芝生広場で開催されているようです。

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2011年12月 6日 (火)

晩秋の秋葉原

所用で出掛けた秋葉原は相変わらず人で溢(あふ)れています。そこで手軽な昼食として「安い、早い、美味い」をキャッチフレーズとする吉野家(秋葉原中央通り店)の牛丼を選びました。
 
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実は吉野家の牛鍋丼に最近ハマっています。肉の量が少なめで、糸コンニャクと豆腐が入ったすき焼き風の味が良いのです。もちろん並盛りが280円と安いのも魅力で、デフレ価格が大好きな私にとって幸楽苑の中華そば(290円、税込304円)と並ぶ好物なのです。この日(11月22日)は期間限定の値下げキャンペーン中で牛丼(並盛り)が110円も値下げされて270円ですから、久しぶりに牛丼を美味しく食べました。ちなみに、この期間中は牛鍋丼が販売休止で食べることはできません。

その隣りの「ゴーゴーカレー」にも人の行列が出来ていました。日経トレンディのカレーチェーン選手権で三冠を達成した金沢市出身のカレーチェーン店です。
 
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黄色の看板とゴリラがトレードマークのようです。
 
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そのまた隣にあるチケットショップ大黒屋の入口脇で黒地に黄色の文字が映える WESTERN UNION yes!の小さな看板が目に入りました。
 
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国際送金サービスと表示されていますから、アメリカに本拠地がある金融および通信事業会社のウェスタン・ユニオン社に違いありません。
 
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ネット検索で確認してみました。同社はアメリカの発明家モールスが1837年にモールス電信機を発明した10数年後の1851年(黒船が日本に来襲する2年前)に電報通信会社として設立された通信業界の老舗企業でしたが、時代の変化には逆らえず2007年に電報サービス業務を停止して現在に至っています。ちなみに、モールス通信による交信を楽しむアマチュア無線家の私には親近感のある会社なのです。

余談ですが、ウエスタンユニオン国際送金サービスは銀行間の送金とは異なる仕組みで、手数料はかなり安いようです。例えば5万円をアメリカへ送金する手数料は1500円であり、銀行間送金の手数料(日本側とアメリカ側の合計)が約5000円と高いことに比べればかなり有利です。また銀行口座がない(持てない)人にとっては貴重な存在なのです。 

ソフマッップ秋葉原本館の1階にあるマクドナルドではKBQバーガーを派手に宣伝していました。KBQはKorean BBQの略で、韓国のブルコギとコチジャンソースのハンバーガーのようです。
 
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UDXビルの前に戻りました。一際(ひときわ)人目を惹(ひ)いたものはUDXMAS ILLUMINATION 2011、「仮面ライダーシリーズの40周年」がテーマになっています。
 
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秋葉原UDXビルは2006年に開業したオフィスビルです。IT(情報技術)を活用した次世代のビジネスを創造することを目指す「秋葉原クロスフィールド」の中核施設です。ここは1989年(平成元年)まで神田青果市場があった場所で、電気街をよく訪れた30-40年前には日曜日に一般開放されるその駐車場を利用したことを思い出します。

案内表示に従ってアキバ田代通り沿いに「スーパー戦隊ツリー」へと向かうと、UDXビルの北西角(レストラン街のアキバ・イチ入口)に真っ赤なツリーがありました。
 
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こちらは名前の通りに「スーパー戦隊シリーズ35周年」がテーマで、「ゴーカイジャー」の文字が読み取れます。ちなみにゴーカイジャーは今年(2011年)に登場した最新シリーズで、オチビちゃんが大喜びしそうなクリスマスツリーです。
 
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UDXビル2階の駅に近いデッキには不思議なクリスタルツリーが2つ立てられています。夜になると行燈(あんどん)のように光るのだそうです。
 
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同じ2階の西側デッキにはTOKYO ANIME CENTERのオフィシャルショップがありました。
 
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所用が終わって中央通りへと歩きました。ドンキホーテが入るビルの8階にAKB48劇場があるようです。
 
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うさぎ神社のビルには「ちょい悪オヤジ おれ達の太郎!」の垂れ幕が相変わらず下がっています。
 
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秋葉原中央通はまるで歩行者天国のようになる瞬間がありました。この通りでの歩行者天国は通り魔事件の影響で2008年6月から中止されていましたが、地元商店街の努力により今年(2011年)1月から条件付きで毎週日曜日に再開(東日本大震災の直後は約1ヶ月間中止)されているようです。
 
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季節感の乏しい秋葉原ですが、年の瀬が迫るとやはり、いつもとは違う雰囲気が感じられました。

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