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2012年2月に作成された記事

2012年2月27日 (月)

最近読んだ本

寒い日がまだ続くだけでなくインフルエンザも大流行しているようです。それだけが理由ではありませんが、遠くへ出掛けることを控えている私は手軽な歴史本を3冊続けて読みました。いずれも明治学院大学武光誠教授が書かれた本です。

一冊目は「日本地図から歴史を読む方法」(河出書房新社刊、1998年発行)。「都市・街道・港・城跡…意外な日本史が見えてくる」のキャッチフレーズに私の好きな言葉が並んでいたため、つい手に取ってしまいました。

まえがきは、なぜ東京が日本の首都として栄えたのかとの問い掛けで始まり、次いで地図を見ると後背地・良港・平坦な交通路の存在を指摘する。つまり自然地理学の成果を取り入れつつ日本の歴史をみると、新しい発見があるという。同じように広い平野がある濃尾平野と大阪平野との性格の違いにより、開発される時期が異なったと見るとともに、海上交通・さいはての地(北方領土・北海道・伊豆七島・沖縄)の歴史・日本の気候と農業をなどのテーマも取り上げることを述べる。

Dscf0010 第一章では「古代に作られた地図」「農耕のルーツ」「朝廷による農地開発」「海流を利用した航海民」、続く第二章は「武蔵野国の辺地に江戸城ができるまで」「江戸の市街地は埋立てで作られた」「五街道」「御台場」、第三章も「平安京が築かれた地理的条件」「関西の水運の要地」「大阪の地の利」と題材が拡がります。第四章以降は「城下町発展の秘密」「港町と街道の消長」「辺境だった地の異色な歴史」とより細部に亘(わた)ります。(写真は江戸城本丸天守台跡、2006年5月撮影)

私は門前の小僧よろしくかじった僅(わず)かばかりの歴史知識と旅好きが高じて国内各地を訪れた経験から、各地の様子や歴史についての記述にいちいち頷(うなず)いたり、訪れた時のことを回想しながら、一気に読み切りました。

2008_03110169中でも古くから畿内(きない)と呼ばれた大阪平野を中心に、大和川流域と淀川流域を合わせた範囲に営まれた大和朝廷の王宮(難波宮藤原京平城京平安京)の変遷、京都盆地を開発した渡来系の秦氏(はたし)が平安遷都に与えた影響、中国の風水説によって行われた平安京の土地選択、江戸幕府による「水の都」大阪の町造りなどは大変興味深く読みました。(写真は藤原京跡)

易(やさ)しい文章で書かれていて肩肘張(かたひじは)らずに読むことが出来る文庫本ですから、一読をお勧めしたいと思います。

二冊目は「魏志倭人伝と邪馬台国」(読売新聞社刊、1998年発行)です。古代史に残された最大の謎である「邪馬台国(やまたいこく)は大和朝廷の前身か」をテーマに、中国の三国時代における魏朝(ぎちょう)の歴史書「三国志」の中に含まれる弥生時代後期(二世紀末から三世紀にかけて)の日本が約2000字を用いて記述された「魏志倭人伝」(ぎしわじんでん)の解釈と古墳発掘の結果を車の両輪として解明しようと試みる、やや硬(かた)めの歴史本(80頁と薄い小冊子)です。

まず江戸時代から続く邪馬台国論争(邪馬台国までの行程の解釈方法)を解説する。北九州のどこかにあったと考えられる不弥国(ふみこく)から南へ水行20日した投馬国(つまこく)とさらに南へ水行20日・陸行1月の邪馬台国の場所がそのままでは該当する場所がないことから生まれた論争であることを解説する。

朱子(しゅし)学者の新井白石が一石を投じた。最初、邪馬台国は間違いなく大和朝廷であるとする従来の説に従って不弥国を筑前国宇美(うみ)、投馬国を備前国鞆(とも)あるいは備後国須磨の浦(すまのうら)、邪馬台国を大和としたが、後に邪馬台国九州説に転じ、投馬国を肥前国玉名郡、邪馬台国を筑後国山門(やまと)郡であるとして、一石を投じたことが発端(ほったん)である。

明治時代末期に邪馬台国大和説に立つ京都大学内藤虎次郎と邪馬台国九州説に立つ白鳥庫吉(しらとりくらきち)の研究で行程に関する論点がすべて出尽くした。そして昭和40年代以降に、宮崎康平の「まぼろしの邪馬台国」や松本清張の「古代史疑」などのベストセラーに触発されて邪馬台国ブームが起きました。(私も両書を読んだ時には九州説が有力であるとの印象を持ちました)

著者はこの論争には限界があるとして、各地の古墳からの出土品(銅鏡・銅剣・銅矛・銅鐸、特に魏朝から卑弥呼が与えられたのではないかと考えられる三角縁神獣鏡)の分布に注目する。三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が邪馬台国時代の大和の古墳から見つかっていなかったことから大和説の弱点とされたが、平成10年に奈良県天理市にある三世紀末に造営された可能性の高い黒塚古墳から33面まとまって出土したことで、三世紀半ばの大和に有力な勢力あった証左(しょうさ)となり、大和説が有力になったという。

2008_03110131最近は大和の古墳の年代が見直されて纒向遺跡(まきむくいせき)の箸墓古墳(はしはかこふん)が卑弥呼の墓ではないかとの意見も出ているようだが、著者はその勢力が邪馬台国であったかどうかは分からず、今後の研究は考古学的事実を前提に進めて行くべきであろうと結言する。(写真は纒向遺跡の箸墓古墳)

三冊目の「一冊でつかむ古代日本」(平凡社刊、2011年発行)は前2冊より10年余り後の昨年7月に出版されたもので、最新の情報に基づいて縄文時代から奈良時代末に至る日本古代史を7つの章構成で扱っています。

先ず第1章では「日本人の起こり」(日本民族の原点とはなにか)を日本最古の砂原遺跡(出雲市にある12万年前から7万年前のものと推定)から発見された旧石器時代の出土品と新人(現代型ホモサピエンス)および氷河期との関係を説明する。次いで縄文時代が始まると豊かな食材と調理法、農耕の原型となる「半栽培」、精霊崇拝、縄文都市の三内丸山遺跡(青森市)などの事例で紹介。そして3000年前に朝鮮半島の影響を受けた弥生時代がはじまるまでの経緯を解説する。

2008_03110141第2章の「邪馬台国と大和朝廷」では上記(2冊目)と重複する記述で始まり、纒向遺跡が詳しく説明される。三世紀前半の大型建物跡が発見され、卑弥呼の宮殿の一部とも言われていることと、茶臼山(ちゃうすやま)古墳(桜井市)から三角神獣鏡26面を含む81面の銅鏡が発見されたことを紹介するが、邪馬台国時代の大和の文化と九州北部の文化との違い(古墳の有無など)から、大和朝廷が邪馬台国であると断定することには著者は慎重である。(写真は纒向遺跡の東田大塚古墳)

2008_03110050第3章の「継体(けいたい)天皇から聖徳太子(しょうとくたいし)へ」では大和朝廷が大きく発展して官僚制を持った中央集権国家への道を歩み始める。同時に血筋の良い王家の娘を母親とする直系の王子を王家の嫡流(ちゃくりゅう)とするしきたりが出来た。さらに日本書紀も継体天皇以降はそれまでの物語風の記 述が史実の記録に近いものとなったと著者は指摘する。さらに大王(継体以降は天皇と呼ばれるようになった)が中2008_03110058央の有力豪族を大臣(おおおみ)や大連(おおむらじ)以下の多くの伴(とも、役目を担う官僚)として一代限りの任命を受けたことと、天照大神信仰(あまてらすおおみかみしんこう)が各豪族の信仰してきた神々を支配する立場になり、大王はその嫡系の流れをひく君主であるという主張である天孫降臨(てんそんこうりん)の神話が広まった。(写真は楠葉宮址と今城塚古墳

2008_03110213次の欽明(きんめい)天皇の時代に百済(くだら)から伝えられた仏教の拡がり、渡来系の蘇我氏(そがし)と古代神を重んじる物部氏(もののべし)が勢力を争い、用明(ようめい)天皇が病死した時に後継者争いが起こって、嫡子の聖徳太子と蘇我馬子(うまこ)が物部守屋(もりや)を討(う)った。そして聖徳太子が摂政(せっしょう))の時代には中国風の飛鳥(あすか)文化が完成する。こうして継体天皇が行った中央集権化も、官位十二階の制定と十七条憲法の作成に象徴2008_03110233(しょうちょう)されるように大きく進展した。中国(当時は随朝)の知識を得るために遣隋使(けんずいし)の派遣を始めたのも聖徳太子である。「日出(ひい)づる処(ところ)の天子、日没(ひぼつ)するところの天子に書を致(いた)す」に始まる国書を持参させたため、随の皇帝は怒ったが、当時随朝は朝鮮半島北部を抑える高句麗(こうくり)と対立していたため、日本を味方につけようと聖徳太子の主張を渋々認めた。(写真は法隆寺と夢殿)

2009_09050518 聖徳太子のこの強硬策が成功したことで、大化改新(たいかのかいしん)の後に次の唐朝から自立した形で中央集権化を進めることが出来たと著者は強調し、第4章の「大化改新と東アジア」で詳しく解説する。大化改新とは中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)らが、推古(すいき)天皇(敏達天皇の大后)と対立して王家に代わって権力を握ろうとした蘇我入鹿(いるか)を暗殺して、王家の強い権限を握った権力闘争であった。唐朝の東進策に強い危機感を持った朝廷の人々はこの中大兄皇子(後の天智天皇)に権限を委(ゆだ)ねたのである。(写真は大阪・四天王寺)

2008_03110101第5章の「壬申(じんしん)の乱と天武天皇の政治」、第6章の「平城京と天平文化」、第7章の「仏教全盛と地方の開発」と興味深い解説が続きますが、紙面の都合でここでは説明を割愛して、第7章の最終節「混迷する奈良時代松の朝廷」で藤原仲麻呂(なかまろ)の専権政治と孝謙(こうけん)天皇(女帝で後に称徳天皇として重祚(ちょうそ、つまり再即位)と弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が行った仏教政治を解説して、平安京遷都(せんと)により仏教色の薄い平安時代という新しい時代が始まると結言した。(写真は天武・持統天皇陵)

私が古代日本史において興味を持つ継体天皇、聖徳太子、天武天皇、そして弓削道鏡が重要人物として登場する本書を、私の限られた知識を反芻(はんすう)し、訪れた縁(ゆかり)の地を回想しながら何度も読み返しました。歴史書と言うよりも歴史の教科書のように歴史の背景と大きな流れを分かり易く解説する良書でした。

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2012年2月24日 (金)

成田山大阪別院と天然温泉「畷の里温泉」

大阪での滞在が1週間以上にも及んでしまいました。欲張りな私は帰宅する日に、オチビちゃんとコチビちゃんが小学校と幼稚園から戻るまでの時間を利用して、北河内をもう少しドライブすることにしました。今回の旅ではじめて知ったことですが、寝屋川市には成田山の大阪別院(明王院)があったのです。

成田山は千葉県成田市にある新勝寺(関東三大不動の一つ)ですが、平安時代中期の「平将門の乱」を平定するために真言宗の寛朝(かんちょう)大僧正が弘法大師が開眼したと伝えられる不動明王のご本尊を大阪から関東の地まで持参して開山したとされます。弘法大師(空海)を尊敬していますが、私の好きな平将門を討つために創建されたことに拘(こだわ)りがあり、ずっと以前に一度参拝したことがあるだけです。

大阪の表鬼門で京都の裏鬼門に当たる香里(こうり)の地に守護神として成田山の不動明王をお祀りしたいとの地元の要望で、昭和9年(1934年)に京阪電気鉄道株式会社から広大な境内地と堂宇が寄進され、新勝寺のご本尊不動明王のご分霊を勧請して大阪別院が誕生しました。(大阪別院のhpより)

国道170号線の木屋南交差点から外環状線(元の国道170号)で香里園駅方面へ向い、香里南交差点を左折、香里園駅前を通過、府道148号に入り、末広町交差点を右折すると、前方にそれらしき建物が見えてきましたので、成田町交差点の右前方にある駐車場に車を停めました。駐車場が小さいことが気になって案内板で確認すると、そこは北山門(裏門)の駐車場でした。

山門(表門)側の駐車場へ車を移動させた方が便利と思われますが、混雑しているかもしれませんから、そのまま北山門を入って石段を上りました。この日は1月30日で、とうに松の内と小正月は過ぎているのに、門松(かどまつ)がまだ飾られています。
 
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先ず大師堂に参拝
 
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参道を歩いて本堂へ向かうと、何やら工事を行なう音がします。2月3日に開催される節分祭の準備でした。
 
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北山門に節分祭の貼り紙があったことを思い出しました。ちなみに写真右上のマークは寺紋(じもん)の葉牡丹(はぼたん)です。そしてそれを取り巻くのは菊の葉ですが、その謂(いわ)れを書くと長くなりますのでここでは省略します。
 
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本堂前の爐(ろ)に獅子飾りを見つけました。
 
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右手の入口から本堂内に入ってお参りさせていただきました。写真でははっきりしませんが唐破風(からはふう)の上に寺紋の葉牡丹が金色に輝いています。
 
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表参道を歩いて山門を出て本堂方面を眺(なが)めました。
 
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本堂の脇を抜けて奥の院とお滝へ向かいました。
 
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お滝と不動明王像が並ぶ様子は世田谷区の等々力渓谷と似ています。
 
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奥の院の門扉(もんぴ)にも寺紋が飾られています。トンネル内の左右に生まれ年の十二支に当たる仏様が安置され、一番奥には大日如来様が安置されていました。私は守り本尊の阿弥陀如来様に旅の無事を感謝しました。
 
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次いで向かったのは、日帰り温泉の2番目の候補に考えていた場所です。外環状線(国道170号)を南下、第二京阪道路を潜(くぐ)って四條畷(しじょうなわて)市に入り、500mほど先の左手に「畷(なわて)の里温泉」の看板を見つけました。2006年7月末にオープンした温泉スーパー銭湯です。奥に長い駐車場に車を停めました。

「薬宝石サウナ」と表示された塔には「天然温泉湧沸口」と書かれていますから源泉井戸のようです。入口の横には何故かハーレイのトライク(ハーレーダビッドソンを改造した三輪車)が置かれていますが、「中に入ると警報機が鳴ります」と表示されていますから、近寄って眺(なが)めることは断念しました。
 
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エスカレーターで2階へ上がって驚きました。下足室の先にあるホールはゲームセンターのように猥雑(わいざつ)な場所なのです。自動券売機でチケットを購入しました。料金は平日650円(土日祝日750円)。
 
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受付の女性からボール投げのゲームを勧められました。お鬼の口に上手く入ると何か貰えるようですが、残念ながら私と同行者ともにハズレでした。
 
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脱衣場は一般的です。泉質は単純温泉(低張性・弱アルカリ性・低温泉)、源泉温度が33.2度と低め、ph8.0、湧出量(掘削動力揚湯)が700L/分と説明されていました。
 
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内風呂には天然温泉富士見風呂、シルク風呂(超微細気泡・人工炭酸ガス泉の真っ白なお湯)、ジェット風呂、エステ浴・歩行浴、電気風呂、水風呂、足浴などがところ狭しと並んでいます。一番奥にある富士見風呂からは大きな富士山を正面に眺めることが出来ます。山梨県側から見た朝の風景だそうです。手狭感がある理由が直ぐに分かりました。巨大なかまくら(冷蔵サウナ)があるからです。内部は冷蔵庫内の冷凍室のようで、夏向きの施設ですから、早々に退散しました。他に遠赤外線サウナもある多彩さは良いのですが、落ち着いて温泉を楽しむにはちょっと・・・。

露天風呂はすべて天然温泉(源泉掛け流し)です。宝石風呂(ヒスイとトルマリンの2種)は豪華な壺湯(つぼゆ)と言ったところです。ヒスイには魔除けの効果があるとされ、トルマリンは電気石といわれ(マイナスイオンを発生し)精神的・肉体的にリラックスさせる効果があると言われているそうです。私は33.2度の源泉をそのまま使う檜庵(檜の寝湯)を楽しみました。緑色かかった岩塩風呂はミネラル豊富なヒマラヤ岩塩の酸化還元力により活性酸素を除去するそうです。東屋のある岩風呂(大浴槽)はスロープになったところには天然石の「ふみふみコーナー」があり足つぼを心地よく刺激しました。

ちょうど12時になりましたから館内の食事処で昼食を摂ることにしました。私はカレーうどん、同行者はミニ・ビーフステーキを注文しました。見た目はカジュアル(気軽)な料理ですが、2品ともまずまずの美味しさでした。
 
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オチビちゃんとコチビちゃんの帰宅を待って、数日前に終わったはずのコチビちゃんの誕生会をもう一度開きました。インスタントラーメン発明記念館へ出掛けた日の夕食が「たこ焼パーティ風」の誕生会になったため、やはりバースデーケーキを食べたいとコチビちゃんが言い出したのです。そして誕生日が1週間遅い私も一緒に祝ってもらうことになり、ケーキ屋さんに二人の名前を書いてもらいました。
 
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オチビちゃんとコチビちゃんとは名残惜(なごりお)しいのですが、暗くなる前に帰宅の途(と)に就(つ)きました。走りなれた第二京阪道路・京滋バイパス・新名神高速道路・東名阪自動車道・伊勢湾岸道路・東名高速道路を順調にドライブして夜半には帰宅できました。往路は寄り道をしたこともあって燃費が22.1km/Lと物足りない結果でしたから、帰路は燃費を最優先させる運転を心掛けたことで総走行距離の約1100kmに対して平均燃費が23.3km/Lへと改善でき、復路は24.5km/L前後(推定)と大いに満足できる結果になりました。

<同行者のコメント> 今回は大阪に長期間滞在したことで、オチビちゃんとコチビちゃんたちと一緒の時間をたっぷり楽しむことができました。旦那様がまた大阪での仕事を頼まれないかしら・・。(終)

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2012年2月23日 (木)

天然温泉「湯元一丁 ねや寿の湯」

インスタントラーメン発明記念館を後にした一行は、温泉に行きたいというオチビちゃんとコチビちゃんの希望を叶(かな)えるために、私が選んだ日帰り温泉施設へと向かいました。大阪中央環状線(府道2号)から府道143号を経て府道15号の鳥飼仁和寺(とりかいにわじ)大橋(有料)を渡って寝屋川市に入り、府道13号を北上した菅原神社前交差点を過ぎると、左手に「寝屋川一丁焼肉」の看板と共に「湯元一丁ねや寿の湯」の名前が見えました。駐車場を抜けると奥にも2階建ての駐車場がありました。午後3時を回ったところですが、すでに駐車場はほぼ満車になっています。
 
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茶系統で統一された建物は落ち着いた雰囲気があります。料金は土日祝日が800円(平日700円)、2歳以上の幼児も土日祝日が250円(平日200円)で利用できます。
 
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中庭に人口の滝が流れ落ちています。
 
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浴室のある2階へ上がると、左手が男湯、右手に女湯が配置されていました。
 
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暖簾(のれん)を2つ潜(くぐ)ります。脱衣場へ向か通路は旧街道の「枡形(ますがた)の構造」になっています。
 
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脱衣場は比較的余裕があるレイアイトです。
 
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地下1100mより湧き出る天然温泉の泉質はナトリウム-カルシウム塩化物泉(低張性・中性・温泉)、湧出量は244リットル/分、源泉温度36.6℃と説明されています。

内風呂エリアには天然温泉の三段風呂が洗い場の左手に並んでいます。上から順に「あつ湯」(44℃以上と熱め)、「寿温湯(ぬく湯)」(42℃前後の適温)、「ぬる湯」(37℃前後のぬるめ)と温度差の大きな浴槽で構成されています。中央には湯掛腰(腰掛け湯)があり、右手億の熱気風呂(高温サウナ)の近くには冷水風呂露天風呂が配置。ぬる湯からぬく湯へ移ったオチビちゃんはあつ湯にためらいながら指先を入れるだけで、「熱くて入れない!」と言います。熱めの湯が好きな私も長湯は出来ませんでした。
 
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露天風呂エリアの中央にはやはり三段構成の源泉風呂、右手に漢方薬草サウナ(釜風呂)、左手には寝ころび湯、寝ころび座敷、つぼ湯、強波湯・寝湯が詰め込まれたように配置されています。温泉らしくない内風呂よりも温(ぬる)めですがやや緑色がかって温泉臭のある源泉の湯は期待通りです。オチビちゃんはお父さんと一緒に浴槽をハシゴして楽しんでいます。スーパー銭湯にしても湯が物足りないと思いながら私もすべての浴槽をハシゴした後は、好きな寝ころび湯に横になって冬の青空を楽しみました。
 
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コチビちゃんたち女性グループと事前に決めた時間が近づきましたので男湯と女湯の間にある椅子で待っていると、「黙って出ちゃ駄目だよ!」とオチビちゃんに窘(たしな)められてしまいました。温泉を楽しんだ後は、やはり冷たいソフトクリムが・・。
 
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寝屋川についての蘊蓄(うんちく)です。寝屋川市の名前は市内を流れて大阪市の中心部で大川(旧淀川)に合流する寝屋川に由来します。ちなみに寝屋川の寝屋(ねや)とは高野山へ向かう高野街道を旅する人に寝屋長者(貴族)の別荘が宿として提供されたことによるそうです。その貴族が
御伽草子(おとぎぞうし、昔の絵本)「鉢(はち)かづき姫」(日本のシンデレラ物語)の主人公初瀬姫の父、藤原実高なのです。(続く)

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2012年2月21日 (火)

インスタントラーメン発明記念館(後編)

ハンドルを回してカップに麺を詰めるプロセスです。オチビちゃんは慎重にハンドルを6回数えるように回します。
 
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コチビちゃんもお兄ちゃんに「負けまい」と頑張ります。
 
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麺が入った5つのカップが並びました。オチビちゃんのカップは既に次のトッピングの工程に入っています。
 
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次のプロセスは4種類のスープから1種類、12種類の具(本日の特撰であるハート形カマボコを含む)から4種類を選びます。
 
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トッピングが完了
 
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機械で蓋(ふた)が接着されました。
 
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ビニールでシュリンク包装
 
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エアパッケージに入れるプロセスは完全にセルフサービス
 
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マイカップヌードルの完成です。
 
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こちらがキッチンのように設(しつら)えられた小学生以上向けのチキンラーメン手作り体験工房(要予約)
 
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1階に下りると麺の進化がディスプレイされていました。
 
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奥にインサタントラーメンの自動販売機とテイスティングルームがありましたが、回転寿司をいっぱい食べたオチビちゃんとコチビちゃんは館内をさらに探索して、大きなカップヌードルを見つけました。うれしそうに記念撮影のポーズを取っています。(二人の写真は省略)後ろに見えるのは正規のマイカップヌードル・ファクトリーです。
 
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立ち寄ったカップヌードル・ドラマシアターの先に所にゲームコーナーを発見。5問のクイズに4問以上正解した二人は記念品(昨年誕生した新キャラクターの「ひよこちゃん」をあしらったメモ帳)をもらって大喜びをしています。
 
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創業当時の製造機器(麺裁断機と袋詰め機)も興味をそそります。麺裁断機は子供の頃にお使いで訪れた製麺所で見たものとよく似ています。
 
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展示室の入口近くにインスタントラーメンが誕生した小屋が再現されていました。
 
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出口で真新しいポスターを見つけました。そうです。今年のニューイヤー駅伝で優勝したのは日清食品グループでした。
 
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昨年9月、「横浜みなとみらい」により大規模な施設「カップヌードルミュージアム (正式名称:安藤百福発明記念館がオープンしています。製麺から出荷されるまでの生産工程を体感できるアスレチック施設「カップヌードルパーク」などもあるようですから、二人が遊びに来てくれた時に、そちらへも一緒に行こうかと考えています。(続く)

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2012年2月20日 (月)

インスタントラーメン発明記念館(前編)

オチビちゃんとコチビちゃんが2箇月前に訪れて気に入った場所へ私と同行者を誘ってくれました。二人のお父さんが運転する車で中国自動車道の中国池田ICまで走り、さらに側道を走って猪名川(いながわ)を渡った兵庫県川西市の久代1丁目交差点で中国自動車道の下をUターンすると左手に回転寿司の大きな看板が見えます。近畿地方に活魚流通センターと回転寿司の「街のみなと」を20店舗以上も展開する大起(だいき)水産の川西(かわにし)店です。
 
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12時の少し前でしたが、すでに店内は満席状態で、10分ほど待つことになりました。おチビちゃんとこチビちゃんの席選びが終わると早速二人は移動する皿に手を伸ばしています。ほどなく店内に「マグロの解体ショーが始まる」とのアナウンスが流れました。物珍しさで席を離れて写真撮影を・・。ジャンケンで店員に勝つとカマなどが無料で貰える趣向(しゅこう)で盛り上がります。
 
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腹ごしらえをしたあとは、猪名川を再び渡って、お目当ての場所に向かいました。ちなみに上流の猪名川町を1年余り前にドライブで通過したことがあります。阪急電車宝塚線「池田駅」のすぐ近く(徒歩約5分)の満寿美町(ますみちょう)の閑静な住宅街に目的地「インスタントラーメン発明記念館」のモダンな建物が見えます。週末は一番近い駐車場が満車のため、少し離れたコインパーキングを利用する必要がありました。
 
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満寿美町の名前は由緒がありそうです。あとで調べるとそれほど古いことではなく、大正時代にこの辺りが満寿美住宅と名付けられて開発されたことが由来でした。この町内で安藤百福(ももふく)氏によってインスタントラーメンが発明されたことで記念館が建てられたようです。
 
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明るいエントランスホールに入りました。入場は無料です。
 
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展示室入口を入ると過去に発売されたインスタントラーメンのアーカイブ(古いコレクション)が飾られたトンネルの先には大変な混雑がありました。
 
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「マイカップヌードル・ファクトリーは1時間近く待つ必要がある。2階の仮設体験場の方ならそれほど待たなくてもいい」との説明を係員から聞き、それではと階段で2階へ上がりました。言われた通りにちょっと殺風景な会場ですが、カップヌードルの自作体験には十分です。
 
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マイカップヌードルを作るプロセス説明を眺(なが)めていると、カップをデザインする際の注意事項が繰り返し説明されます。もちろん関西弁でした。
 
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先ずカップを300円で購入
 
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次いで手を消毒
 
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空いているテーブルを見つけて無地のカップにマジックインキで思いおもいに図柄や文字を書きます。二人のお父さんは可愛いヒヨコの絵、そしてお母さんはハートマークをいっぱい描き始めました。
 
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絵心のある同行者はシックなブドウの絵
 
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絵を描くことが苦手な私は下手くそなラーメンどんぶりを描きましたが、それでは物足りないと感じて、Happy Valentines Dayの文字、ラーメンにトッピングされたハートとそれに命中した矢を描き加えました。正に蛇足(だそく)です!
 
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オチビちゃんはカップの表側を豪快に色付けしました。
 
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そしてカップの裏側にはピカチュウとハートが描かれています。その他の絵はポケモンの仲間???
 
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英会話に通っているコチビちゃんは、HAPPY VALENTINEの文字と明るい絵柄を表現しました。性格がよく出ているようです。
 
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出来上がったカップを使ってカップラーメンを手作りする次のコーナーに移動します。長い列に並んで待つ間に恐竜などが登場する懐かしいCMHungry?を何点も楽しめます。私はモア(絶滅した巨大なダチョウ)が登場するCM(下の写真)が好きでした。
 
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出来上がったカップヌードルを入れるラッピングには風船のような袋「エアパッケージ」とこの時期限定の「バレンタイン風の袋」のいずれかが選べます。
 
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(続く)

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2012年2月14日 (火)

グラミー賞が決定

例によってインターミッションです。昨日、第54回グラミー賞授賞式の模様をWOWOWの生中継番組(約4時間半)で観ました。番組の冒頭で授賞式に出席する著名人たちが前日亡くなったホイットニー・ヒューストン(Whitney Elizabeth Houston)へ哀悼の言葉を次々に捧げるシーンから始まりました。授賞式においても司会者やプレゼンテーターたちはグラミー賞を6度も受賞したポップス界の女王が48歳という若さで逝去したことを惜しみました。ちなみに「グラミー賞」は世界で最も権威ある音楽賞と言われ、その名称は受賞者に「蓄音機(Gramophone)」の形をしたトロフィーが贈られることに依ります。

主要4部門にノミネートされたのは以下のように各賞とも5人ずつ。

最も優れた楽曲のアーティストに贈られる「年間最優秀レコード」: Adele "Rolling in The Deep"、Bon Iver "Holocene"、Bruno Mars "Grenade"、Mumford & Sons "The Cave"、Katy Perry "Firework"

最も優れたアルバムに贈られる「年間最優秀アルバム」: Adele "21"、Foo Fighters "Wasting Light"、Lady Gaga "Born This Way"、Bruno Mars "Doo-Wop & Hooligans、Rihanna "Loud"

最も優れた楽曲のソングライターに贈られる「年間最優秀楽曲」: All Of The LightsKanye West, Rihanna, Kid Cudi & FergieThe CaveMumford & SonsGrenadeBruno MarsHoloceneBon IverRolling In The DeepAdele

最も優秀な新人アーティストに贈られる「最優秀新人賞」: The Band PerryBon IverJ. ColeNicki MinajSkrillex

中継番組にはグラミー賞で15回もノミネートされた経験(受賞は最優秀新人賞のみ)のあるシンディ・ローパー(Cyndi Lauper)がゲスト出演してホイットニー・ヒューストンの突然の死と自分にとってのグラミー賞を語ります。次いで主要2部門を含む5つのグラミーを受賞したTOTOでギターとヴォーカルを担当したスティーヴ・ルカサー(Steve Lukather)やレディー・ガガをプロデュースしたヴィンセント・ハーバートなども登場して雰囲気を盛り上げます。

最近再結成した懐かしいビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)の”Good Vibrations”、トニー・ベネット(グラミーを16回受賞)やポール・マッカートニーの歌など様々なアーティストのパフォーマンスで期待が高まる中、グラミー賞を主催するナショナル・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ・アンド・サイエンス(NARAS:National Academy of Recording Arts & Science)の会員による投票(選考)の結果が次々に発表されました。

そして主要3部門を含め6部門でノミネートされたアデルは圧倒的な強さで主要3部門を独占、最優秀ポップ・パフォーマンス(ソロ) “Someone Like you”と最優秀ポップ・アルバム(歌唱)”21”、および最優秀短編音楽ビデオ賞 ”Rolling in The Deep”までノミネートされたすべての賞を獲得しました。残る主要部門の最優秀新人賞は3部門にノミネートされたBon Iverが選ばれました。ちなみにアデルは2009年にその最優秀新人賞と最優秀ポップ女性歌手を受賞しています。

その他の受賞者は以下の通りです。最優秀ポップ・パフォーマンス(グループ): 「ボディ・アンド・ソウル(Body And Soul)」トニー・ベネット&エイミー・ワインハウス、最優秀ロック・アルバム: 「ウェイスティング・ライト(Wasting Light)」 フー・ファイターズ(Foo Fighters)、最優秀ラップ・コラボレーション: 「オール・オブ・ザ・ライツ」 カニエ・ウェスト、最優秀ラップ・アルバム: 「マイ・ビューティフル・ダーク・ツイステッド・ファンタジー」カニエ・ウェスト、最優秀サウンドトラック: 「ボード・ウォーク・エンパイア:Vol.1」。ちなみに「ボード・ウォーク・エンパイア」はWOWWOWで現在も放送中の連続テレビ・ドラマです。そして協会賞に他の音楽家とともに故Steve Jobs氏が選ばれたことにアメリカらしさを感じます。

最後はポール・マッカートニーがザ・ビートルズ最後の楽曲である “Golden Slumbers Carry That Weight The End をメドレーで披露、Foo FightersEaglesのメンバーがギター演奏で参加すると会場が大変な盛り上がりを見せました。雪崩現象的にアデルが圧勝したことと、常連であるトニー・ベネットが7年振りに受賞する一方、”Born This Wayが大ヒットしながらレディー・ガガが無冠に終わったことは、グラミー賞が古き良き時代(心を揺さぶる楽曲)への回帰を模索しているように感じさせました。

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2012年2月11日 (土)

久し振りのカラオケ

五十の手習いで始めたカラオケにのめり込んだ私ですが、最近は旅行や読書、そして頼まれ仕事に時間を奪われてほとんど楽しむ機会が無くなっていました。大阪での仕事を頼まれたついでにオチビちゃんとコチビちゃんの家に泊まると、二人にせがまれて翌日の土曜日はカラオケへ行くことになりました。

すぐ近くのカラオケ店「Round One」(ボーリング・スポーツ・ゲーム等のアミューズメント施設、店舗数110)は大変な混雑で2時間待ちとのこと。それではと向かった別のカラオケ店も子供連れには相応(ふさわ)しくないようですから、二人のお母さんが知っている駅前のカラオケ「JOYSOUND」(ブラザー工業グループ会社が運営する業界第2位のシェア)へ向かうと、こちらも1時間待ちでした。

この数年カラオケ人気が衰えたとも言われますが、やはり週末は予約する必要があるようです。ちなみに店舗数のベストスリーを調べて見ると、1位が「カラオケ本舗まねきねこ」(311店舗)、2位「シダックス」(303店舗)、3位「ビッグエコー」(278店舗、第一興商)と意外な結果でした。

1時間後に案内されたのはちょうど手頃な大きさの部屋です。私はJOYSOUNDに入るのは始めてですが、リモンンはかなりの優れもので使いやすいものでした。二人が歌いそうな曲を適当に入力すると、コチビちゃんは「歌える!」と言ってマイクを握りました。「一年生になったら」(まど・みちお作詞/山本直純作曲)を歌います。
 
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今一年生であるお兄ちゃんのオチビちゃんは「ボク、歌わない」と言いながら、せっせとたこ焼を食べています。
 
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森のくまさん」(馬場祥弘作詞/アメリカの童謡)が続きます。
 
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たこ焼が2皿目になるとオチビちゃんはやおらマイクを握りました。
 
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炎神戦隊(えんじんせんたい)ゴーオンジャーのオープニング・テーマをお母さんがリクエストしてくれたからです。3年ほど前にテレビで放送された「スーパー戦隊シリーズ」の一つに使われた曲です。
 
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子供向きの歌が10曲近く続いたあとに突然、ジーゼル動車(気動車)が走るシーンが登場しました。
 
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「マッチを擦れば おろしが吹いて」の歌詞が表示されるといよいよ私の出番です。無粋(ぶすい)な説明ですが、「おろし」とは冬季に山などから吹き下ろす風のこと。
 
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そうです。最近、私の十八番(おはこ)になった杉本眞人(まさと)さんが5年前に歌ってヒットした「吾亦紅(われもこう)」(ちあき哲也作詞/杉本眞人作曲)。
 
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歌詞の3番は「そう、始めて自分を生きる」で終わります。 
 
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次いでオチビちゃんが歌った「ポケモン言えるかな」(戸田昭吾作詞/たなかひろかず作曲)はまるで早口言葉のようです。
 
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子供たちの歌がさらに数曲続いたあとに私が未練(みれん)がましく2-3曲追加して歌ったところでタイムアップ(time's up)。この日は時間延長が出来ませんでした。(続く)
 
おまけ> カラオケが登場するこれまでの記事: カラオケの効用バンコックで危機一髪ちあきなおみ草津温泉伊香保温泉銀座の史跡探訪池上本門寺秋葉原今昔物語作曲家 杉本眞人南房総八ヶ岳横浜中華街

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2012年2月 7日 (火)

らぁ麺Cliff(クリフ)

天満橋(てんまばし)駅から土佐堀通りを京橋駅方面に歩きました。旧淀川の大川が土佐堀川とも呼ばれたことが名前の由来のようです。ちなみに土佐堀川の名前は中之島の東端で大川が土佐堀川と堂島川に分流する区間に残っています。
 
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歩道に奇妙な模様が見えます。ずっと続いていましたから、何かを象徴しているのかもしれないと調べてみましたが、見つけられませんでした。
 
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マンホールが目に留まりました。蓋(ふた)の上部に大阪市の市章である『みおつくし(澪標)』があります。澪標は川や海を船が航行するために水深が深い場所(航路)を示す標識です。中央に描かれた絵はもちろん大阪城と市の花である桜がデザインされていました。左下に区名が書かれたものや着色されたタイプもあるようです。ちなみにこのデザインは『大阪市下水道事業着手百周年記念』(1994年)として公募されたもののようです。
 
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余計なことに気を取られているうちに片町交差点まで歩いてしまいました。
 

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枡形(ますがた)のように変則な交差点の横断歩道を渡った所にJR西日本の東西線(地下鉄)の大阪城北詰駅の出入口がありました。
 
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ここでUターンして100mほど戻った場所に目的の店を見つけました。平凡な外観のために見過ごしたようです。この日の昼食にラーメンを食べたくなって天満橋駅から800m余り歩いて「らぁ麺Cliff」(片町1-9-34トキワビル1F)を目指していたのです。外観だけではなく店名もラーメン店らしくありません。大阪のテレビ番組「大阪ラーメン覇王」(1月19日放送)に出場した有名店であったことを後になって知りました。
 
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まだ11時半というのに午前11時にオープンしたシンプルなインテリアで清潔感のある店内には先客が3名ほどありました。カウンター席が8つ、テーブル席はわずか4席と余裕を持ってレイアウトされています。空いていた奥のカウンター席は壁が迫って通路が狭いことがやや気になりました。奥に製麺室があるようです。
 
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私は名前に惹かれて「完全天然塩らぁ麺」(850円)を券売機で選びました。店のお勧(すす)めメニュー「上白湯麺」(シャンパイタンメン、800円)やその他のメニューも同様に少し高めの料金設定です。5分ほど待って配膳されたラーメンは予想通りに透明なスープです。厚めのチャーシュー、肉団子(つくね)、麺媽(めんま)が入り、刻(きざ)みネギと昆布の千切りもトッピングされています。
 
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軟骨が入っているようでコリコリした食感がある鶏のつくね、自家製の腰のある細いストレート麺と絡み合う濃(こ)くのある鶏のスープ、モッチリとした食感のチャーシュー、刻みネギと唐辛子(とうがらし)の辛味に柚子(ゆず)の風味が一体となってバランスの良いラーメンです。麺の量も少なめで私にピッタリ、贅沢(ぜいたく)なことを言えばもう少し油分を押さえて欲しいところですが、立地から見て若い客層が多いようですから・・。
 
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店長さんと店員さんのきびきびした声に送られて店を出ました。何故か二人とも大阪弁ではなく標準語。機会があれば次回は上白湯麺を食べてみたくなりました。
 
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蛇足です。大阪市のhpによると、都島区(みやこじまく)の命名の由来は仁徳天皇の高津宮と孝徳天皇の長柄豊碕宮が当地の近くにあったことによるそうですが、一説にはこの付近を宮向島と称していたことによるとも。また片町は都島区内南西端部の寝屋川北岸の東西に細長い町域で、川沿いの道路の片側(北側)に家並が連なっていたことから、古くから片町と呼ばれていたそうです。(続く)

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2012年2月 5日 (日)

大川・中之島の橋梁群(後編)

久しぶりに訪れた大阪城の京橋口です。堀端(ほりばた)の写真だけでは寂(さみ)しいので探してみると古い歌を見つけました。三橋美智也さんが歌った「あゝ大阪城」(昭和35年)です。「あゝ新選組」(昭和30年)と「あゝ田原坂」(昭和31年)なら知っていましたが・・・。いずれにしても『あゝ』で始まるタイトルに昭和30年代を感じます。
 
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西外堀に面した乾櫓(いぬいやぐら、国の重要文化財)から大手門方面を望みました。
 
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遠くに貫櫓(せんがんやぐら)と大手門(いずれも国の重要文化財)が見えます。
 
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西外堀ではホシハジロ(星羽白)など多数の鴨(かも)が羽を休めていました。頭が赤くて羽が白いのはオスで、全身がほぼ褐色(白い羽が混じっている)で地味な方がメスのようです。
 
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京橋に戻ると寝屋川橋東詰め交差点側に京橋川魚市場跡の石柱を見つけました。『江戸幕府により大阪で独占的に川魚を扱うことを公認された市場でしたが、明治末期に中之島6丁目付近に移転した』との解説が大阪市教育委員会の説明板にありました。
 
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土佐堀通りを片町橋(橋長66m)まで歩きました。旧陸軍砲兵工廠(こうしょう)の跡地に造られた大阪ビジネスパーク(OBP)を貫通する道路が寝屋川を渡る交通量の多い橋です。右前方のオフィスビルはクリスタルタワー(地上37階、朝日新聞系の会社が建主)、前方の丸い建物はMID都市開発(旧パナソニックグループで現在は関西電力グループ会社)の松下IMPビル(多目的の松下IMPホール)。ちなみにIMPはインターナショナル・マーケット・プレイスの略で、ビル名には未だ松下の名前が残っています。
 
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水上バスが京橋から第二寝屋川方面へ向かっています。
 
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右前方のクリスタルタワーの脇から大阪城の天守閣が近くに見えました。
 
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左手(上流方向)に長く伸びる橋は大阪ビジネスパークと京橋駅を結ぶ人道橋です。左手の40階建て高層マンションはリバーカントリーガーデン京橋、右手前はOBPパナソニックタワーです。
 
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クリスタルタワーを回り込むように歩くと新鴫野橋(しんしぎのはし)が第二寝屋川に架かっています。
 
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正面に大阪城の天守閣が聳(そび)えています。橋の袂(たもと)の大きな石に『江戸時代に公儀橋であった鴫野橋が架かっていたところとほぼ同じ位置に1988年(昭和63)に架け替えられた』ことが詳(くわ)しく刻(きざ)まれていました。
 
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大阪ビジネスパークを背景にした水上バス(京阪グループの遊覧船)
 
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シンプルな反橋(そりばし)の大阪城新橋(橋長63m
 
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大阪城ホール側から見た大阪城新橋は車の進入を防ぐためか入口が狭くなって階段も付いています。昭和58年に開催された大阪城築城400年祭のために架けられた橋は京橋駅から祭りの主要会場であった大阪城公園へ至るアクセス路でした。
 
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大阪城新橋から先ほど渡った新鴫野橋を望みました。
 
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上流側には天王寺京橋駅付近を結ぶ主要道路の玉造筋(たまつくりすじ)が第二寝屋川(平野川)を渡る弁天橋(橋長66.4m)と水上バスの大阪城乗り場が間近に見えます。「アクアライナー」と呼ばれる遊覧コースは『大阪城港→天満橋港→淀屋橋港→OAP(桜宮橋近くの大阪アメニティパーク)港→大阪城港』の循環路線を約60分で一周できるそうです。今回の橋巡りは大阪城新橋が終点。満たされた気持ちで仕事先へ向かいました。
 
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余談ですが大阪市では南北の道が「筋」、東西の道が「通り」と呼ばれています。江戸時代に入って開削(かいさく)された安治川(あじがわ)・東横堀川・西横堀川・道頓堀川(どうとんぼりがわ)に囲まれた船場(せんば)エリアで碁盤(ごばん)の目状の町造りが行われたことの名残りで、前者としては現在でも御堂筋(みどうすじ)・心斎橋筋(しんさいばしすじ)・谷町筋・堺筋など20本ほどがあるようです。ちなみに御堂筋の名の由来は北御堂(浄土真宗本願寺派津村別院)と南御堂(浄土真宗大谷派難波別院)がいずれも沿道(地下鉄御堂筋線本町駅周辺)にあることに依ります。(続く)

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2012年2月 4日 (土)

大川・中之島の橋梁群(前編)

大阪城の北隣りに流れる大川の周辺を散策することにしました。その目的は土木学会選奨土木遺産に指定された桜宮橋、天満橋、天神橋、大江橋、淀屋橋を訪(たず)ねることです。この大川(一級河川)は明治43年に新淀川が開削されるまでは淀川の本流でした。

江戸時代には「江戸の八百八町」「京都の八百八寺」と並んで、「浪華(なにわ)の八百八橋(はっぴゃくやばし)」と呼ばれていました。江戸は防衛上の理由から大川(隅田川)や多摩川には橋を架けることが制限されていましたが、江戸市中には日本橋など約350の橋あり、その半分が公儀橋(こうぎばし)と呼ばれる幕府が架けた橋であったようです。一方、水都と呼ばれた大阪に架けられた橋の数は意外にも約200と江戸より少ないのですが、その大半は町民(ちょうみん)が架けた町橋(まちばし)だったことで、上記の表現が生まれたようです。

京阪電車の天満橋駅を下車。駅ビルを出ると目の前が京阪に並行するように流れる大川に架かる天満橋(てんまばし)です。明治時代には商都大阪の各河川を循環(じゅんかん)する巡航船(じゅんこう)の起点として、多くの人で賑(にぎ)わったそうです。
 
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谷町筋(たにまちすじ)の天満橋(橋長151m)を渡りました。大阪では珍しい2階建ての橋です。上の橋は天満橋駅の角(天満橋交差点)で谷町筋と交差する土佐堀通をまたぐ跨道橋(こどうきょう)です。
 
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大川の下流に見える橋は天神橋で、中之島の東端を経由して北区天神橋と中央区北浜東の間を結んでいます。その先に見えるのは阪神高速の高架橋で、天満橋と天神橋とともに難波(なにわ)の三大橋(いずれも公儀橋)とされる難波橋は見えません。
 
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天満橋の橋名飾板(きょうめいかざりいた)は明治21年にドイツから輸入されて架けられた鉄橋の橋門上に設置されたものと説明されています。
 
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この桜並木は「桜の通り抜け」で有名な大阪造幣局(ぞうへいきょく)へ続いています。
 
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川崎橋(橋長129.15m)は3月15日頃まで行われる塗装工事のため青いネットで覆(おお)われています。
 
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この川崎橋は自転車と歩行者用の橋で、国土交通省が整備している大規模自転車道が大川を渡るために架けられました。高い塔から多くのケーブルを出して桁を吊った斜張橋というタイプは技術と景観に優れているとして土木学会の賞を受賞しているそうです。その優美な姿を見られないのは残念です。
 
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上流に見える鋼アーチ橋は国道1号(京阪国道)の桜宮橋(さくらのみやばし、橋長108m、1930年竣工)と新桜宮橋(橋長150m、2006年竣工)。ちなみに桜宮の名は大川の東岸にある桜宮神社の名に由来しているようです。そして国道1号を拡幅するためにほぼ同じデザインで架けられた新桜宮橋は大阪市出身の建築家安藤忠雄氏が設計されたようです。高さを揃(そろ)えたため平べったくなっているのが分かります。
 
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大川に合流する寝屋川(ねやがわ)沿いに出てみました。遠くに見えるのは京橋と大阪橋(一段高い橋)で、その奥の建物は日本経済新聞社(大阪本社)です。
 
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寝屋川の上流(第二寝屋川が合流する付近)には城見の大阪ビジネスパークOBP)の高層ビル群が聳(そび)えています。その左手は片町橋(橋長66m)、右手は新鴫野橋(しんしぎのばし、橋長61m)でしょう。
 
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寝屋川橋東詰交差点まで歩きました。土佐堀通りが渡るのは寝屋川橋ですが、橋の形は伺(うかが)い知れません。
 
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この交差点を左に折れると京橋です。大阪城の京橋口から京都まで向かう京街道の最初の橋であることからこの名前が付けられました。東京駅八重洲口近くにある京橋の名も同じ由来があります。そして横にある横断歩道橋は大阪橋です。
 
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大阪橋は大阪城築城の翌々年(天正13年、1585年)に架けられましたが、その後の消息は定かではなくなり、大正末期に東横堀川を浚渫(しゅんせつ)した時に銅製の擬宝珠(ぎぼし)が発見され、人道橋の架設にあたってその名前が付けられたことが説明されていました。
 
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大阪橋の上から寝屋川橋を眺(なが)めました。その先は京阪本線の鉄橋です。
 
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(続く)

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2012年2月 2日 (木)

雪の関ヶ原ドライブ

養老SAの合流(加速)車線から雪がちらつく名神高速道路の本線に入りました。交通量は少なく順調に流れているようです。
 
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アップダウンのある道で関ヶ原ICへ向かうと段々雪の勢いが増してきたようです。4年前の早春にもこの区間で降雪を経験しています。
 
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かなり本降りになってきましたので、交通情報にも注意しながら走行しました。
 
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関ヶ原ICが500m先に近づきました。降雪は懸念したほどではなさそうです。
 
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しかし米原JCTと北陸道の木之本IC間はタイヤチェーンを装着するように表示されています。
 
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今須トンネル(長さ400m)の入口周辺では視界が悪くなりました。
 
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雪による交通規制の情報が流されています。
 
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高速道路上に積雪はありませんんが、周囲は真っ白な雪景色に変わりました。
 
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対向車線(上り線)では除雪車を先頭に長い車列が続いています。
 
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路面の轍跡(てっせき、わだち)が氷始めているようです。午後1時半頃であるにもかかわらず外気温計は-1度を表示しています。
 
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彦根ICが近づくと牡丹雪(ぼたゆき)に変わり、車の量が増えて来ました。
 
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車間注意の表示が出される場所では大型車の列に挟(はさ)まれてしまいました。前方で除雪作業をしているのでしょうか。
 
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彦根ICを過ぎた秦荘(はたしょう)PA付近に差し掛かると幸運にも渋滞は無くなっていました。
 
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雲間から日差しが覗(のぞ)いて視界が眩(まぶ)しくなってきました。
 
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反対車線には除雪車(あるいは融雪剤散布車)を先頭にした車列が出来ています。
 
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八日市IC付近では先程までの降雪が嘘のようです。難所の関ヶ原から彦根の区間では積雪が少なく、走行に支障はありませんでしたが、購入したばかりの高性能タイヤチェーンが無用の長物に終わったことはちょっと残念・・・。
 
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目的地に到着して車を確認すると、ボディーはもちろん、タイヤまで白い斑点(はんてん)が出来ていました。
 
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路面に散布された融雪剤(ゆうせつざい)がこびり付いたようです。融雪剤の主成分は塩化カルシウム(つまり塩)ですから、さっそく洗車する羽目になりました。(続く)

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2012年2月 1日 (水)

東名高速道路の名物軽食

夜明けまで1時間余りの午前5時半頃に東名高速道路に入りました。下り線で夜中の混雑が一段落(逆に上り線が渋滞)する時間帯を選んだのです。ちなみに今回の目的地は仕事を頼まれた大阪市。家を出た時の外気温は約2度と冷え込んでいましたが、大井松田IC付近から山北町の山間部に入るとさらに気温は低下し、御殿場IC付近では0度になりました。路面凍結に注意しながら沼津ICまで急坂を下ります。

やがて空が少しずつ明るくなって富士ICを通過する時には赤富士が見られました。最近は暗いうちに通過するのが常になった富士川SAでご来光を見るにはちょうど良いタイミングですから立ち寄ると、午前7時の展望台には数人の先客がカメラを構えています。山の端(は)から太陽が出る直前に富士山の写真を撮影しました。
 
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早めの朝食に24H営業のスナックコーナーに入りました。展望の良いレストランもありますが、軽めのメニューを選び易く、値段も割安なことが良いのです。私は桜海老天そば(650円)を、同行者は富士川ラーメン(580円)を注文しました。私は先に受け取った桜海老天そばをまず食べました。桜海老(さくらえび)の風味がはっきり感じられる桜海老天のサクサク感と柔らか目の蕎麦(そば)が朝の胃には優しく感じられます。
 
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次いで番号を呼ばれた同行者は嬉(うれ)しそうに富士川ラーメンをお盆に載(の)せてテーブル席まで運んできました。以前は私が良く注文したこのメニューの食券を同行者が先取りして購入したのです。さっぱりした味が「朝ラー」には持って来いです。
 
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桜海老天蕎麦をシェアしたお返しにと、その富士川ラーメンのお裾分(すそわ)けを貰(もら)いました。海苔(のり)が1枚・チャーシューが2枚・コーンと刻み葱(きざみねぎ)が少しトッピングされただけの平凡な醤油ラーメンです。最近ラーメンに嵌(はま)っている同行者は勿体(もったい)ないことにメンマ(麺麻、支那竹)を食べません。それではと私が食べることに・・。

外に出てすっかり明るくなった富士山を再び撮影しました。
 
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東名高速道路の下り線をドライブする時に時々仮眠を取る牧之原SAと最近は立ち寄ることが無くなった年中混雑する浜名湖SAを通過するとほどなく愛知県に入ります。五平餅(ごへいもち)が美味しい赤塚PAを過ぎて、夕方には渋滞が頻繁(ひんぱん)に発生する岡崎IC付近も午前中ですから全く問題なく通過しました。

今回初めて知りましたが、美合PAから豊田JCTまでの下り線区間(約15km)は昨秋(10月21日)に路肩部を利用して走行車線が追加され暫定3車線化されていました。左端に継ぎ足し舗装(ほそう)された追加車線だけではなくこれまでの2車線も車線幅がこれまでの3.60mから幹線道路や首都高速道路並みの3.25mに縮小され、最高速度も60kmに制限されていました。車線幅を狭めたことに批判的な意見もあるようですが、私は何ら違和感なく快適に走行しました。しかし今年4月に御殿場JCT-三ヶ日JCT間で開通する新東名高速道路が豊田JCTまで延長される2014年には元の2車線へ戻されるようです。

いつもは豊田JCTから伊勢湾岸道路に入るのですが、この日は名神高速道路の沿線でちょっとした所用があるため直進して、小牧JCTから名神高速道路に入りました。今回はいつもより遅めに出発しましたから大阪に到着する前に昼食も食べる必要があります。ちなみに愛知県の名物料理と言えば私の好きな櫃(ひつ)まぶし、エビフライ、手羽先、味噌煮込みうどん、そして味噌カツやきし麺もあります。東名高速道路を順調に走行したため昼食時間には早すぎますので、某所(ぼうしょ)で所要を済ませてから、再び名神高速道路に戻りました。

伊吹山は見えませんが雪に覆(おお)われた養老(ようろう)山脈が近づくと養老SAです。雪がちらつき始めましたが、雪の難所である関ヶ原を通過する前に先ずは腹ごしらえするために名鉄レストランのフードコートへ入りました。
 
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同行者と相談した結果、「味噌カツ丼と豚汁」(680円)と「名古屋きしめん(棊子麺)」(500円)を2人でシェアすることに。先に受け取った味噌カツ丼は甘辛い味噌の味が期待通りの美味しさです。
 
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「名古屋きしめん」と表示された正調きしめんは、油揚(あ)げと山菜、そして削り節がたっぷりトッピングされていますが、味噌カツを先に食べた私には出汁(だし)に濃(こ)くが感じられなくてやや期待外れ・・。しかし、味噌カツ丼とミニきしめんを組み合わせたセットメニュー(780円)はこのSAにおける人気メニューのようです。
 
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いよいよ今回の難所と思われる関ヶ原を越えます。
 
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(続く)

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