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2012年3月に作成された記事

2012年3月30日 (金)

東北ドライブ旅2012春 浅虫観光ホテル

青森自動車道の青森東IC入口を通過して三本木交差点を右折して県道44号で浅虫方面へ向かいました。宮田交差点で右折して国道4号線(青森東バイパス)の久栗坂(くぐりざか)トンネルを抜けると青い森鉄道の上を通過して、久栗坂交差点で海岸線に出て、さらに善知鳥崎にある短いトンネルを抜けると浅虫温泉が見えて来ました。浅虫とは変わった名前です。その由来は「麻蒸」で、平安時代に発見された温泉が麻を蒸して繊維にする外皮を剥(む)きやすくするために使われたことに因(よ)るそうです。この温泉が人の入浴に使われるようになったのは鎌倉時代に入ってからのようです。

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今回宿泊する浅虫観光ホテル(写真中央)はその中心部を過ぎた波打ち際にあります。まだ明るいうちに到着できたのは「みちのく道路」を利用したからでしょう。ですから通行料金が830円と高いことはこの際我慢(がまん)することにします。 
 

2012_03240206 駐車場に停められた車の台数が少なかったことから宿泊客も少ないと思われます。右の写真はホテルのエントランスにある飾り付け。『浅虫温泉によぐきてけだっきゃ〜 どーも どーも』は青森弁のようですが、その解説は不要でしょう。館内は2年前にリニューアルされて和モダンの設(しつら)えになっています。

2012_03240159 フロントで午後7時からの夕食を予約、部屋で浴衣に着替えてに3階の浴場へ向かいました。予想通りに男性大浴場「海幸」は先客がありません。大きなガラス窓が横に長い浴槽からの展望を提供しています。貸切り状態で温泉の湯を楽しみました。
 

2012_03240164 泉質はナトリウム・カルシウム-硫化物塩化物泉(低張性弱アルカリ性高温泉、源泉温度は59.8度)で、無色透明無味無臭・カルシューム分またはナトリウム分を多く含んでいて鎮静作用があると言われます。内湯から左手に平泉恩顧の武士が鎌倉方と戦った古戦場の善知鳥(うとう)崎が、眼下には陸奥湾に浮かぶ湯の島が見えます。

2012_03240167 癒(いや)しの湯「眺望露天」へ移動すると、ガラス窓がないため湯の島がよりはっきりと見えたのは期待通りです。部屋からも見えるのですが、冬期はガラス窓がロックされているのです。肉眼と違って写真では浴室にある湯気(ゆげ)のためピンボケになってしまったことは残念。晴れていれば綺麗な夕日(夕焼け)が見られるそうです。 

2012_03240170 「青森ひば」がふんだんに使われた眺望露天には岩風呂の他に源泉掛け流しの木製の風呂が2つ並んでいます。
 
 
 
 

2012_03240175 身体が温まったところで最上階の食事処へ上がりました。見た目にも綺麗な海の幸(海鮮)料理が並んでいます。 
 
 
 

2012_03240177 そして青森牛もタップリ。食べ切れないほどで蕎麦はスルーすることに。
 
 
 
 

2012_03240180 アカウオ(赤魚)の甘酢餡掛けは、昼食に八戸の千陽で食べて気に入ったキンキと味がダブリましたが、こちらはやや濃い目の味付けです。アカウオとは聞き慣れない名前なので調べてみるとアコウダイ(赤魚鯛)のことのようです。   
 

2012_03240181 デザートは焼きリンゴを器(うつわ)にしたホタテのグラタンです。名前は「りんごの幸せ」とのこと。
 
 
 
 

夕食後にもう一度温泉を楽しんだあとは、午後8時半から1階ロビーの特設会場で始まる「津軽三味線生ライブ」へ向かいました。演奏するのは青森市出身で2011年第57代青森県民謡王座の中野みち子さんでした。ほぼ毎日のように出演されているそうです。写真撮影は遠慮しましたので、YouTubeにアップされたビデオを紹介します。ダイナミックで力強い印象がある津軽三味線ですが、中野さんの演奏はそれに加えた繊細さと緊張感を持っていました。後半に一曲だけ歌った津軽民謡や独特の語り口調(かたりくちょう)も印象に残りました。

2012_03240184 長い一日でしたから早めに就寝したことで、翌朝は午前4時半に目が覚めました。早朝(まだ暗いうち)に温泉を楽しみたいという同行者のアラーム音が手助けしてくれたのです。そして同行者と入れ替わりで私も早朝の温泉を楽しむことに。眺望露天からは夜明けの陸奥湾と湯の島がはっきり見えます。

2012_03240187 左手前の雪に覆(おお)われた「サンセット・ビーチあさむし」、その先には善知鳥崎、さらに久栗坂方面、右端に見える明かりは12kmほど離れた青森市中心部のようです。 
 
 

2012_03240190 朝食は夕食と同じ最上階の食事処でごく普通の和朝食でした。
 
 
 
 

2012_03240193 鍋に入っているのは活きホタテを使った青森名物「貝焼き味噌」です。 
 
 
 
 

2012_03240196 窓の外に目をやると、「サンセット・ビーチあさむし」の防波堤のずっと先に青森市街地の建物が確認できます。
 
 
 
 

2012_03240195 湯の島の姿も一段と鮮やかになりました。島の左端には弁財天宮の海上大鳥居と頂上部へ向かう道のような筋が確認できます。ちなみに湯の島へは船で渡ることができ、春にはカタクリの花が咲くそうです。遠くには津軽半島がうっすらと見ることが出来ます。
 

2012_03240198 島の周辺には遊覧釣船と思われる小舟が何艘(なんそう)も見られました。 
 
 
 
 

2012_03240205 白鳥が3羽のんびりと静かな海面で休んでいます。
 
 
 
 
 

2012_03240202 朝食後にも温泉ざんまいです。明るくなるとまた違う印象の大浴場になっています
 
 
 
 

2012_03240200 眺望露天の写真も今度はそれらしく写りました。
 
 
 
 
 
 

2012_03240199 湯滝がある岩風呂と湯の島も昨夜と早朝に撮影した時よりも綺麗に撮影できました。間欠(かんけつ)的に流れ落ちる湯を撮影出来なかったのは残念です。早朝に撮影した写真にはちょっと写っていましたが・・。 
 
 

例によってインターミッションの記事に続いてドライブ旅は2日目に入ります。(続く)

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2012年3月29日 (木)

東北ドライブ旅2012春 三沢市再訪

八戸市の蕪島を後にして、国道45号(八戸北バイパス)を北上しました。中下田交差点を右折して県道8号に入り、JR青い森鉄道に沿ってさらに北上します。道は一旦鉄道と離れて東寄りのルートをとりますが、再び線路脇に出ると三沢駅が近づきます。JR三沢駅の手前にある踏切(ふみきり)を渡ると、もう一つ十和田観光電鉄線の踏切が控(ひか)えていますが、その手前を左折しました。

2012_03240110 前方に見覚えのある建物が見えます。古牧(こまき)温泉の元湯です。22万坪(東京ドーム約17個分)の敷地を持つ巨大な古牧温泉の原点とも言え浴場でしたが、古牧温泉全体の経営が変わった後も日帰り温泉(公衆浴場、300円)として健在でした。外観は昔と余り変わっていませんが、内部はリニューアルされたようです。

2012_03240111 直進すると特徴ある尖塔をイメージさせる建物が昔のままの姿で聳(そび)えていました。2004年に経営破綻した古牧温泉がホテル(旅館)業再建で知られる長野県軽井沢の星野リゾートの下で、2008年に古牧温泉青森屋として再建の途中にあるのです。
 

2012_03240113現在は本館・西館・東館の構成となっていました。内装だけでなく温泉施設も大幅に作り直されて「露天風呂浮湯」と「内湯 ひば湯」となり、サービスも星野リゾート風の洒落たものになったようです。日帰り入浴(大人1200円)もできます。一方、第1グランドホテル(古牧植物園)は閉鎖されて廃屋の雰囲気が漂(ただよ)っています。

2012_03240112 正門である南大門が雪に覆われています。今から10年ほど前にこの古牧温泉(当時は古牧第1から古牧第4グランドホテル)に宿泊したことがあり、懐かしさから立ち寄って見たのです。 
 
 

2012_03240117 こちらは西大門。宿泊した時にこの散策路を歩いたことを思い出します。
 
 
 
 

2012_03240115巨大な駐車場の奥にはやはり雪に覆われた結婚式場(古牧チャペル)があります。
 
 
 
 

2012_03240120 元来た道を引き返して十和田観光電鉄線の踏切を渡ると、右手に同電鉄線の三沢駅に電車が停っているのが見えました。どこかで見たような車両です。実は東京急行で使われていたものをワンマン運転用に改造したものでした。この電鉄線は三沢駅-十和田市駅(路線総延長14.7km)を結んでいます。

2012_03240122 しかし今月末(3月31日)を持って廃線になるそうですから、あと一週間ほどの運行を残すだけです。その駅舎は廃線間近を体現(たいげん)しているようです。 
 
 
 

2012_03240124 入り口はびっくりするほど狭くて、内部も薄暗く、人影は見られませんでした。駅そば屋だけが営業していました。
 
 
 
 

2012_03240125 JR青い森鉄道三沢駅は時計台が付いた美しい駅舎(あえて写真は掲載しません)との対照が印象に残りました。県道40号で青い森鉄道を高架で渡ると直線的な町並が伸びていました。電線が地中化されており、建物はアメリカの田舎町を意識したようなデザインに統一されています。 

2012_03240126 三沢空港に到着しました。古牧温泉に宿泊した時に降り立った空港です。航空自営隊と米軍も共用している飛行場ですから、滑走路からエプロンに入る場所にゲートがあったと記憶しています。便数が少ないため訪れた時にはエプロンに機影は見られません。空港ビルの横に大きなコケシが立っています。

2012_03240127 説明板に「玉代・勝世姫こけし」は飛鳥時代の貴族橘中納言道忠公息女玉代・勝世姫が遭遇した悲しい運命にまつわると書かれています。橘性は飛鳥時代末期に始まりましたが、二代目は奈良時代に活躍した大納言橘諸兄ですから、時代が少し合わないように思われます。県道10号から県道170号へ入り市民の森公園を目指しました。 

2012_03240130 米軍基地と市民の森公園の間の道に入って勝世姫が入水したと伝えられる小川原湖に出て左折、湖畔の道を走りました。玉代姫が入水したと伝えられる姉沼の対岸に巨大な施設が見えてきました。今回の旅で是非見たかった「象の檻(おり)」と呼ばれる米軍の巨大な全方位傍受用アンテナで、太陽光が雪原と湖面に反射しています。

2012_03240134 急な坂道をアップダウンすると両側に高いフェンスが続き、道路が隔離されたように見えるのは、両側の敷地が米軍基地だからです。先ほどよりも距離的に近い位置でもう一枚撮影しました。三沢の他に沖縄にも同様の施設があったようです。岸辺と湖面が雪に覆(おお)われて美しい景色でが、長居をすると怪(あや)しまれそうですから・・。

2012_03240143 県道8号に出て青い森鉄道沿いに走りました。小川原湖オートキャンプ場の看板を見て右手の脇道に入りました。反対側から「象の檻」を望めないかと思ったことによる予定外のコースです。雪に覆われたオートキャンプ場の先に小川原湖湖水水泳場の大きな駐車場に車を停めました。 

2012_03240141 残念ながら期待に反して「象の檻」はベンチのずっと先に小さくしか見えませんが、小川原湖のほぼ全体が一望できるスポットでした。 
 
 
 

2012_03240139雪に覆われた湖面に人の足跡が遠くまで続いています。 
 
 
 
 

2012_03240148周辺にワカサギ釣りの看板がありますから釣り客の足跡なのでしょう。歩いて見たくなりましたが日が傾いて来ましたから先を急ぐことにしました。 
 
 
   

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2012_03240136 県道8号に戻って、再び青い森鉄道に沿って人気(ひとけ)がまったくなく車もほとんど走っていない雪道を快調にドライブしました。 
 

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乙供(おっとも)駅の手前で踏切を渡り、広域農道に入りました。広域農道は信号がほとんどないことで私が好きなドライブコースとしてこれまでも千葉県静岡県の広域農道を紹介しています。
 
 

2012_03240151 国道4号との交差点には直進すると有料道路「みちのく道路」であるとの案内標識がありました。国道4号は陸奥湾に沿うため遠回りですから直進することにしました。片側一車線ですが快適な道が続きます。
 
 

2012_03240152 東天間トンネルと西天間トンネルに続いて七戸(ななへ)町と青森市の境界にある予想以上に長い「みちのくトンネル(3178m)を抜けました。
 
 
 

<同行者のコメント> 宿泊や日帰り温泉を利用しないのにわざわざホテルに立ち寄る旦那様はやはり変です。それに古い駅の中まで入って・・。「象の檻」は私だって知っていますよ。門前の小僧である私はアマチュア無線の免許を持っていますから。(続く)

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2012年3月28日 (水)

東北ドライブ旅2012春 八戸市の蕪島

2012_03240067 八戸自動車道は走行する車が少なくて快適なドライブが楽しめました。安代(あしろ)JCTから八戸(はちのへ)ICまで(約60km)に一戸(いちのへ)IC九戸(くのへ)ICなど、この地方独特の地名が続きます。
 
 

今から10年近く前のこと、「青森周辺の地名には一戸から九戸まであるのか?」と青森出身者に聞いたところ、一つだけ欠番があると教えられたことがありますが、どれだったかを忘れていまい、旅行前にネットで「Xの戸」について調べてみました。

これらの地名は平安時代に現在の岩手県と青森県にまたがって置かれた糠部(ぬかのぶ)郡にあった行政組織(駐屯地)の四門九戸(しもんくのへ)、あるいは鎌倉時代に作られた官営牧場の柵戸に由来するなどの説があるそうです。いつの頃か現在の八戸市内にあったとも言われる四戸(しのへ)が失われてしまい、現在は一戸町、二戸市(以上岩手県)、三戸町、五戸町、六戸町、七戸町、八戸市(以上青森県)、九戸村(岩手県)が存在します。面白(おもしろ)いことに人名(姓)には一戸から九戸までが現存し、六戸姓と九戸姓は10数名と極めて珍しい名前(珍名)のようです。

Xの戸」の由来を考えているうちに八戸JCTから八戸ICに到着、県道29号・国道340号・県道1号を経て八戸市内に入りました。八戸港では津波によって被害を受けたと思われる建物を多数見掛けました。JR八戸線に沿って東へと走ると前方にそれらしき姿が見えてきました。ウミネコ(海猫)の生息地として知られる蕪島(かぶしま)です。

Scan11169Scan1117040年以上前、東北本線が青森まで電化された頃のゴールデンルデンウィーク期間中に夜行列車に乗ってウミネコを見るために訪れた懐(なつ)かしい場所です。   

Scan11166Scan11167その時の色褪(いろあ)せた写真を何枚かアイフォーンに入れて持参しましたが、当時の面影はすっかり失われていて、かろうじて蕪島の形だけが記憶と一致しました。

注釈; 左上の写真は蕪島から東方の恵比須浜を望んだもので、右上は蕪島の先端にある岩場、下の2枚は蕪島の頂上部で撮影したもののようです 

2012_03240089 東北自動車道では工事渋滞に何度も遭遇(そうぐう)して予定した到着時間より1時間以上も遅れていますから、先ずはと昼食の場所に選んだレストランへ向かいました。八戸市水産科学館「マリエント」4階にある「千陽」(せんよう)です。強風のために表玄関が閉鎖されているのを見つけた同行者は「休館日じゃないの!」と叫んでいます。

2012_03240074 エレベーターで上がった千陽の入り口は公共施設風ですが、ガラスのドアを入ると三面がガラス張りで素晴らしい展望が広がりました。 
 
 
 

2012_03240085店内は棟方志功(むなかたしこう)の絵など青森を感じさせるディスプレイがあって好感が持てます。蕪島の方向は潮風の影響かガラスが曇っていて、しかも逆光のため、残念ながら上手く撮影できません。 
 
 

2012_03240079 テーブル脇に置かれた地元誌の記事によれば千陽の名前は店主(板前)さんの祖母が経営されていた書道教室の名前が由来でした。京都祇園の老舗料理店「浜作」で七年間修行を積まれた後に地元で8年前に開店。現在、昼間は水産科学館の店で、夜は最初に開店した市街地の店で営業されているとのこと。(写真はその雑誌より) 

2012_03240075メニューは主にすぐ近くのえびす(恵比須)浜漁港(右の写真)で水揚げされる魚介類を調理していることも紹介されていました私は1日限定20食の「八戸えびす浜漁港えびす浜膳」(1000円)を、同行者は「新鮮刺身定食」(同じく1000円)を注文しました。 
 

2012_03240084 前者はキンキの唐揚げとイカやヒラメなどのサシミが綺麗に盛られています。唐揚げはパリパリ感が甘酸っぱい南蛮酢(なんばんす)と上手くマッチ、刺身(さしみ)も見た目だけでなく食感でも新鮮さを確かめることが出来ました。そしてイカのわた和(あ)えもイカの塩辛(しおから)とは違うイカの新鮮さを感じさせるもので私はこの料理に大満足。

2012_03240081 同行者が注文した刺身定食も美しく盛られています。新鮮な刺身に同行者もさぞや満足だろうと思いましたが、ちょっと不満げな顔をしています。その訳を聞くと、「とても美味しいけど、量が少なすぎるわ!」と言うのです。慌(あわ)て私の刺身をお裾分(すそわ)けしました。そのお返しは予想通りに同行者が苦手とするイカのわた和え! 

2012_03240080 食事のあと、同行者は会計カウンター近くに並べられた商品に興味を持ち、あれこれ思案したあげく、小物を何点か購入しました。 
 
 
 

2012_03240068 蕪島(国の天然記念物)は戦時中に埋め立て工事が行われたことで今は本土と陸続きになっています。科学館からは400mほどの近さですから歩いても行けますが、この日は風が強いので車で移動することにしました。この蕪島にも昨年の3月11日に津波が押し寄せましたが、その爪痕(つめあと)は気付かないほどに修復されていました。 

2012_03240090昔とかわらないウミネコの多さに圧倒されます。
 
 
 
 
 

2012_03240091そして、その鳴き声凄(すさ)まじさを思い出しました。
 
 
 
 
 

2012_03240093蕪嶋神社の石段を上がる途中にいるウミネコは人に慣れているようで動こうとしません。
 
 
 
 

2012_03240097ウミネコを避(よ)けながら歩きました。 
 
 
 
 
 
 

2012_03240099私がウミネコの写真を撮っている間に先へ行った同行者は拝殿の前で何か丸いものに触っています。
 
 
 
 

2012_03240100 近づいてみるとヒョウタン(瓢箪)でした。『蕪島はひょうたん型の島で、無病息災・蓄財・子孫繁栄をあらわしています。運開きめぐりして3回瓢箪を撫(な)で御加護(ごかご)を戴きましょう』と説明されています。
 
 

2012_03240103 隣はカブです。こちらの方は『蕪が上がり商売繁盛・金運・人気運など諸評価が上がると言われています。3回撫でましょう』とあります。40数年前に来た時は無かったと思います。もしその時にこれらがあって、しかも私が撫でていれば、私の人生は変わっていたのでしょうか・・。
 

2012_03240106 侵入者から蕪島を守っているかのようにウミネコは居座って動こうともしません。突(つつ)かれないうちに退散(たいさん)することにしました。目の前の鮫(さめ)魚港ではまだ修復工事が行われています。 
 
 
 
<同行者のコメント>雪のある青森へ行くという旦那様の計画はまったく
理解できませんでしたが、若いころの思い出の地だったのですね。はじめて知りました。何年か前に十和田湖へ旅行した時にもそんな話は出なかったと思います。昼食にはもう少しボリュームのあるお刺身を食べたかったわ。(続く)

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2012年3月27日 (火)

東北ドライブ旅2012春 早春の東北自動車道(後編)

2012_03240045 一関ICは栗駒山の山頂付近にある須川温泉を訪れた時に利用したインターチェンジです。   
 
 
 
 

2012_03240047 中尊寺PAの名前に惹(ひ)かれて予定外の立ち寄りをしました。残念ながらトイレと少数の自動販売機があるだけの寂(さみ)しいPAで、「世界遺産 平泉」の幟(のぼり)が強風にはためいています。   
 
 

2012_03240048 青空が広がっているのに「北上江釣子(えづりこ)―西根 雨80km規制」の警報が表示されています。100kmほど先の岩手県北部では雨が降っているのでしょう。
 
 
 
 

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平泉前沢ICに差し掛かりました。平泉の中尊寺には6年前に訪れています。そして前沢はもちろん前沢牛で有名な奥州(おうしゅう)市前沢区のことです。 
 
 
 

2012_03240053 10分も経過しないうちにフロントガラスに雨粒(あめつぶ)の跡が!吹流しも真横になびいているのは北風(寒風)が吹き込み始めたことを示しています。しかし気温はまだ11度です。 
 
 

2012_03240054 北上金ケ崎IC付近では高速道路の周辺一面に雪の銀世界が広がり始めました。金ケ岬町にはトヨタグループの関東自動車工業岩手工場があります。 
 
 
 

2012_03240057 警報を見てから約30分で釜石道(釜石自動車道)が分岐する花巻JCTに差し掛かると本格的な雨(土砂降り)になりました。「花巻JCT―西根雨80km規制」の表示があり、温度も5度と表示されています。   
 
 

2012_03240058 花巻ICを通過。花巻市は詩人の宮沢賢治氏と彫刻家の高村光太郎氏、そして国際的に活躍した新渡戸(にとど)稲造氏などに縁(ゆかり)が深い町です。 
 
 
 

2012_03240059 車の外気温計は3度を指(さ)しています。 
 
 
 
 
 

2012_03240060急に靄(もや)が出て視界が悪くなりました。 
 
 
 
 
 

2012_03240061 ついに温度が2度まで下がってしまいました。 
 
 
 
 
 

2012_03240063 岩手山SAから真横に岩手山(いわてさん、標高2038m)が見えるはずですが、頂上付近は厚い雲に覆われてはっきりとは確認できません。ちなみに岩手山のある盛岡市北部は旧岩手郡で、この地に県庁が置かれたことにより岩手の名(由来は三ッ石神社にまつわる故事による)が県名にも採用されたようです。 

2012_03240064 前方の山は御月山(おつきやま、標高954m)とその右手前にある荒木田山(標高899m)のようです。 
 
 
 
 

2012_03240065 路肩に雪が積もっているのが見えます。 青森県まであと僅(わず)か90kmほどに迫(せま)りました。 
 
 
 
 

2012_03240066 東北自動車道(東北道)と八戸自動車道(八戸道)が分岐する安代(あしろ)JCTで東北自動車道とはお別れです。(続く)

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2012年3月26日 (月)

東北ドライブ旅2012春 早春の東北自動車道(前編)

昨年12月に福島県いわき市へ出掛けましたが今回は本州の最北端を目指します。当ブログの1000回目の記事にも少し書いたように当ブログを始めた動機付け(初心)に戻り、昔の旅をなぞりながらのドライブと温泉を楽しむ旅を思い立ったのです。

日の出の午前5時40分にはまだ1時間余りある午前4時半に自宅を出発して首都高速中央環状線から江北JCTで首都高速川口線に入り、さらに川口JCTを経由して東北自動車道に入ると東の空が白み始めました。日の出がかなり早くなったのは春の兆(きざし)しと実感できますが、車の温度計は気温が1度であることを表示しています。埼玉県北部の羽生(はにゅう)ICを通過する頃には東方の筑波山(つくばさん)がシルエットになって浮かび上がっていました。

2012_03240011 すっかり明るくなった午前6時頃には渡良瀬川を渡って栃木県の佐野SAに到着。休憩を兼ねて早めの朝食です。私は佐野名物「耳うどん」なるものがこのSA(下り)にあると聞いたのです。開店しているフードコートを覗(のぞ)いてみましたがメニューにはありません。午前7時にオープンするレストランのメニューなのかもしれません。同行者は予想通りに佐野ラーメンの中から「生姜らーめん」(650円)を選んでいます。

2012_03240008そこで私は巨大な油揚げが入った「きつねそば」(500円)にしました。先に番号を呼ばれた「きつねそば」は確かに油揚げが丼からはみ出してしまいそうな大きさで、わかめと刻みネギもたっぷりトッピングされています。油揚げの味は濃すぎず良いのですが、大きさに特徴を持たせるのは・・・。

2012_03240009 味見をさせてもらうと「生姜らーめん」は醤油味のスープに針生姜の風味が上手くマッチしています。期待を裏切らない美味しさでした。
 
 
 

2012_03240012 白河ICに差し掛かりました。ここから先は被災者支援のために期間限定で無料開放されています。うれしいことに被災者でなくても無料で通行できます。3年半前には白河ICの南東約10kmの地にある白河の関跡を訪れたことがあります。「路面に段差あり!走行注意」の表示が東北地方に入ったことを実感させます。   

2012_03240015 矢吹ICの手前にも「路面に段差あり!走行注意」の表示が出ていました。まだ先は長いのでドライブの楽しみ方を紹介しながら東北自動車道を紹介します。私にとってドライブする最大の楽しみは道路のカーブを忠実になぞることです。これはフィギュアスケート(現在主流になったダンスではなく図形を描く本来の競技)や自動車のフィギュア競技(狭く曲がりくねったコースでタイムを競うスポーツでラリーと並んで大学の自動車部員に人気がある)に似た楽しさがあります。

2012_03240020 鏡石(かがみいし)PAにあるミニストップでも7年振りに発売された「いちごミルクソフト」が売られていると聞いたのですが・・。「カスタードプリンソフト」に切り替わったのか見つけられませんので、同行者には「いちごとプリンのパフェ」を薦(すす)めました。カスタードプリンとソフトクリームを組み合わせた上に果肉の食感を味わえるいちごソースをかけた女性向けの商品でした。何も高速道路のSAでなくても良いのですが、わが家の徒歩圏内にはミニストップがないのです。

2012_03240023 外気温は相変わらず1度。長距離ドライブの楽しみには、カーナビにある約900曲の好きな歌を聞くことも良いのですが、ラジオ放送を聴くことです。交通情報や天気予報などドライブに役立つ情報が手に入りますが、ローカルな話題は楽しいものが多いのです。ラジオ福島では環境放射線量を報じています。(単位はマイクロシーベルト/時)

後になって知りましたが、1時間おきに県災害対策本部が発表している県内11か所の測定値を速報しているのです。ちなみに環境放射線とは自然界にもともと存在している自然放射線と核実験や原子力事故などで放出された人工放射線の合計値です。

2012_03240024郡山南ICの手前では工事のため車線規制が行われていました。前方に郡山市西部の雪山が見えますが、その先は猪苗代湖(いなわしろこ)でしょう。右端に見えるのは日本百名山の一つである安達太良山(あだたらやま)かもしれません。
 

2012_03240030 いよいよ仙台に差し掛かりました。東北放送(TBC)のラジオ番組で「仙台弁」(旧仙台藩で使われた言葉)について放送していました。昨年のはじめに訪れた時に話した若者は方言を喋(しゃべ)らなかったと記憶していますから、仙台でも方言がそれほど使われなくなったのかも知れません。一方、名古屋と大阪ではラジオ放送のトーク番組で方言がよく聞かれますが・・。ネットで調べてみると、ラジオ沖縄では「方言ニュース」という番組があり、宮城県石巻市には東北弁によるラジオ体操「おらほのラジオ体操」を見つけました。

2012_03240031 渋滞情報が表示されています。また工事渋滞かもしれません。
 
 
 
 

2012_03240033 川口JCTと青森ICの中間点の看板を見つけました。日本では何ごとにも中間(地)点を意識するのは一般的のようで、当ブログでは旧東海道の中間地点にある寺トンネルの中間点を示す標識遊歩道の中間点などを紹介しています。
 

2012_03240036 富谷JCTで三陸道(三陸自動車道)に入れば利府塩釜ICまでが有料道路(現在は無料開放中)で、その先は今のところ無料道路として石巻市を経て岩手県宮古市に至ります。
 
 

2012_03240037 仙台平野はまだ冬景色です。
 
 
 
 
 

2012_03240039 大和(たいわ)ICを通過します。大和町は平成3年に古川農業試験場でコシヒカリと初星を交配して創られた食味(美味しさ)と対冷性を兼ね備えた宮城の米「ひとめぼれ」の登米地区(宮城県北東部)に次ぐ産地です。その他にもトヨタ自動車東北やセントラル自動車(隣りの大衛村)などトヨタグループの工場があります。 

2012_03240041 大崎市の古川ICは伊達政宗の居城があった岩出山鳴子温泉に最寄りのICです。
 
 
 
 

2012_03240043 長者原SAの手前で行われている工事現場には「東日本大震災本復旧工事中」の表示板が立てられています。
 
 
 
 

2012_03240044 大崎市にある長者原SAにはスマートICが設置されています。この先は岩手県一関市と接する栗原市です。(続く)

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2012年3月21日 (水)

私の『電子的ノート』が1000頁になりました

私自身の旅行記として2005年10月6日に始めた当ブログは、松尾芭蕉の「奥の細道」を意識したわけではありませんが、新しい旅行で経験したことや昔の旅行を回想する記事を書き続けて2009年3月下旬には500回に達しました。奥の細道疑紀行大山道探索四国・お遍路ドライブの旅などの連載記事を終えたのはこの頃です。そしてテーマも旅行だけでなく日々の出来事や感想も書き留めるようになったのですが、吉田兼好の随筆である「徒然草」(つれづれぐさ)とは似ても似つかぬ理屈っぽい記事が増えてしまい、気が付けば今回で1000回目を迎えました。

当ブログを始めてからちょうど6年半が経過しましたから、年当たり約150回、月当たり約13回のペースで投稿したことになります。これまでも当ブログについて「記録を残しましょう」(2009年1月)、「旅の思い出を記録に残しましょう」(2010年5月)、「ブログを考察する」(2011年7月)の3回考察していますから、それらとの重複を避けて、『電子的ノート』と捉(とら)えるブログについての私見に触れたいと思います。『電子的』と持って回った言い方をする理由は『電子ノート』と呼ばれる製品(キングジムのポメラDM-100やアスースのEee Note EA800など)があるからです。これらは電子メモ帳の方がピッタリした表現かも知れません。

ちなみにノート(note)と言えば日本語では帳面(notebook)を指しますが、英語では『書き留める』や『注釈』を意味します。”take note”は『注目する』あるいは『細心の注意を払う』であり、”take notes”と複数形になると『筆記する』となります。「家政婦のミタ」で主人公が言う決め台詞(ぜりふ)『承知しました』は硬い表現(文語体)だと”noted and agreed”(日常会話では”certainly”あるいは”sure”)に対応すると思われます。

2012_03160002実はブログを始めるずっと前からバイブルサイズのシステム手帳(イタリアのEnzo Molteni製)を愛用しており、30年以上も経過した現在も使い続けています。皮表紙がかなり傷んでいるのを見ると、その年月の長さだけでなく、携行した距離の長さ(地球を約30周)を感じます。システム手帳は時系列で書き込んで行くスタイルがブログとちょっと似ています。違う点は収容し切れなくなったリフィル(Bindexの用紙)を別の保管用ファイルに入れることだけです。(写真は某航空会社からもらった50万マイル搭乗記念タグ)

2012_03160003システム手帳は私の性格に合っていたようで、現役時代はほとんどの時間を一緒に過ごし、使用目的は仕事に限定し、しかも時系列で並べて管理していました。当時はシステム手帳が大人気で、その活用法を詳しく解説する本が何冊も出版されていました。ちなみに、管理方法を大別すると分野別と時系列の2種類があり、いずれも一長一短はありますが、整理が簡単で重複を避けられる「時系列」(カレンダーと併用)の方を私は選びました。(写真は30年以上愛用するシステム手帳)

2012_03160006退職後に手探りで始めたブログも同様で、何かテーマ案が思い浮かぶたびにブログ記事として書いています。そしてテーマと内容から連想した写真を私の膨大なアーカイブ(4-5万枚)から探し出すのも楽しい作業です。写真はシステム手帳を開いた様子。左下に少し見えるのは28年前にクウェートで購入したカシオ製の当時画期的であったクレジットカードサイズ電卓SL-800で、左上の黒いものは見にくいのですが同じ頃に国内で手に入れたゼブラ製カード型文具カーディーの初期モデルCSB-1000。後者はボールペン・シャープペンシル・替芯が入った優れものです。

日常的に利用するテキストのキーワード(文字)検索や、音で曲名を検索する音楽認証アプリ(iPhonemobion musicなど)もありますが、PC内にある自分の写真を検索する良い方法はGoogleの画像管理ソフトウェアPicasa3(日付と人物タグで管理)などに限られるようです。似た機能を持つ「NAVER 画像検索アプリ」やYahoo!の「画像検索」などはネット上にある写真(タグ付)をキーワードで選ぶものです。もしタグ無しの写真が画像の特徴(人物・建物など)を示すキーワードで検索できれば便利なのですが・・。

私がブログを『電子的ノート』と呼ぶ理由は、ネット検索のようにブログ内を検索する機能の他に、様々な統計データを利用できるためです。アクセス解析を見れば当ブログにアクセスしてくださる方の数を毎日確認することができますし、グラフ表示を見ればアクセス数はほぼ一定で変化が少ないことが分かります。とは言っても、時にはアクセス数が急増してピークを記録することもあります。書いた本人(私)にはその理由は分かりません。おそらくタイトルあるいは本文中に使った言葉が「インターネット検索」でヒットしたのでしょう。私が利用している「ココログ」では自分のブログがどれだけ読まれているかをアクセス数のランキング(過去1週間分)の形で毎日表示されます。記事を書く時にはこのランキングを意識しませんが、3月上旬はかなり上位に位置付けされている様子をグラフで見るのはやはり嬉(うれ)しいことです。

連日の投稿を続けて3年ほど経過した時に「ココログ」で利用可能なディスク容量2GB(無償)がほぼ一杯になり5GB(有償)へ増量しましたが、現在ディスクの使用割合はすでに約7割に達していますから、単純計算では1500回まで持ちそうにありません。多分2-3年後になるのでしょうがさらに大きな10GBへ切り替えることが必要になりそうです。ですが「風と共に去りぬ」(Gone With the Wind)でヴィヴィアン・リーが演じたヒロインのスカーレット・オハラが最後に呟(つぶや)いた台詞”Tomorrow is another day”の和訳をそのまま題名に使った映画「明日は明日の風が吹く」(昭和33年、石原裕次郎の主演3作目、同名主題歌もヒット)のようにディスク容量のことは気にしないで、今後もマイペースで記事を書き続けたいと思います。これからも当ブログに時々アクセスしていただければ幸甚(こうじん)です。

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2012年3月20日 (火)

名古屋の郷土料理と名古屋弁

何事にも執着(しゅうちゃく)する性癖(せいへき)がある私は、つい先日訪れたばかりの名古屋へまた出掛けて、再びきしめんを楽しみました。ちなみに「きしめん」の名は、雉(きじ)麺や紀州麺がなまったもの、棋士(きし)が好んで食べた碁石型の棊子(きし)麺が由来であるなどの諸説があるようです。

2012_03160010_2 今回はもちろん心積もりしていた一番シンプルなメニューの「きしめん」(350円)を選びました。油揚(あぶらあ)げと刻(きざ)みネギをトッピングして削り節を振りかけたもので、前回食べた「かき揚げ玉子入りきしめん」に比べると見た目はシンプルですが、鰹風味(かつおふうみ)の出汁(だし)ときしめんは同じで、これぞ「きしめん」というシンプルさと美味しさを兼ね備えた逸品(いっぴん)です。まさに『どえりゃ~うみゃ~』のです。『どえりゃあうみゃあ』の方が本場の名古屋弁に近い発音表記かも知れません。若者は今風にこれを縮めて「デラウマ」とも言うようです。

2012_03160012名古屋弁で「きしめん」の味を褒(ほ)めたついでに、名古屋弁についても書きたくなりました。タモリさんが昔テレビ番組で名古屋弁は『ギャ~ギャ~、ミャ~ミャ~』と猫みたいにウルサイと言ったことで、名古屋弁の特徴が全国で知られるようになりましたが、各地方の方言に興味を持つ私にはかなり誇張(こちょう)があるように思われます。語尾は『ギャ~』ではなく『ガヤ』の方が一般的のようですし、『ミャ~』は『行こみゃ~か』(行こうか)などで限定的に使われます。しかしエビフライはもちろん『えびふりゃあ』です。(写真はカウンター内に積まれた各種トッピング)

2007_05140039 代表的な名古屋弁には『たわけ』あるいは『た~けっ』(馬鹿の意、田分けが語源と言われる)があります。時代劇で信長が家臣に向かってよく使いますから聞いたことはあるでしょう。現代では、『たわけだわ~』(馬鹿だね)と言うのでしょう。『とろくせぁあ』も愚(おろ)かの意味があります。『そんな、とろくせぁあこと、いっとったらあかんわ~』(そんなバカなことを言ったら駄目だ)と使えます。最後の『わ~』ですが、東京弁の『わ』が女性言葉であるのに対して、名古屋弁では男女とも使います。そして語尾を独特の抑揚(よくよう)を付けて伸ばすのが特徴です。(写真は5年前に清須城で撮影した信長の人形)

『やっとかめ』(久しぶり)は八十日目が語源とされます。『やっとかめだわ~』と言うことができれば名古屋弁の中級者と言えそうです。『してまう』(してしまう)、『してかん』(してはいけない)も難しい表現です。前者は真ん中の『し』が省略されているだけですから分かり易いと思いますが、後者はちょっと説明が必要でしょう。『したらあかん』と言い換えれば関西風になり、何となく意味が分かるでしょう。『しとる』(している)と『したる』(してやる)も同様です。

否定を意味する語尾には『へん』と『せん』や『ん』があります。また、たくさん(沢山)は『ぎょうさん』(仰山)、安心は『あんき』(安気)、具合良くは『あんばよう』(塩梅良く)、苦労するは『おうじょうこく』(往生こく)、考えるは『かんこう』(勘考)、いい加減は『たいがい』(大概)などと古い言葉がそのまま使われていることが多いようです。

上級コースの言葉には『おそぎゃあ』(恐ろしい)、『かしわ』(黄鶏、西日本で鶏肉のことを言う)、『けなるい』(羨ましい)、『こぎる』(値切る)、『こそばい』(くすぐったい)、『だだくさ』(無駄遣い)、『ちゃっと』(すぐに)、『ちょうすいとる』(威張っている]、『どべ』(ビリ)、『ねぶる』(舐める)、『ほかる』(捨てる)、『まぁひゃあ』(もうすぐ)、『もうや~こ』(共同・共有)などの言葉を覚えれば、ボキャブラリー(語彙)ではもうネイティブ(生粋)の名古屋人並みと言えるでしょう。そうそう、書き忘れるところでした。名古屋弁は『形容詞の連用形+なる』で『く』を省略することが多いのです。例えば美しくなるは『うつくしなる』、早くなるは『はやなる』と言う具合です。若者を中心に全国で蔓延(まんえん)している「ら抜き言葉」に似ています。

さらに上のステップを目指したい方はアクセントと抑揚(よくよう)を勉強して下さい。以前はパソコン用ソフトに大阪弁や名古屋弁のお笑い講座がありましたが、最近見かけなくなったのは寂(さみ)しいことです。代用にはなりませんがYouTubeにアップされた名古屋弁講座のビデオ(サンダーバードハイジコメットさん&ビルマの竪琴ワンピースのルフィ)で紹介します。

2012_03160029 つい名古屋弁に夢中になって忘れるところでした。前回買いそびれた「手羽先」です。所用を終えたあとにJR名古屋駅のコンコースから地下街のエスカへ向かう途中、「おみやげ」(Gift Station)の看板を見掛けて立ち寄って見ました。「手羽先」が数種類売られていましたが、求める「山ちゃん」ではありません。ちなみにここで言う「山ちゃん」とはお笑い芸人の山崎亮太さんや声優の山寺宏一さんのことではありません。名古屋の手羽先では「風来坊」と並ぶブランド品です。

2012_03160034 前回も立ち寄ったエスカにある「名古屋みやげ処」へ直行しましたが、ここにも「山ちゃん」は売られていません。そこで店員さんに聞くと、『エスカレータに乗って新幹線乗り場の点前にあるマクドナルドの角を左手に入った名古屋新幹線通りの先にある』と詳しく教えてくれました。行き当りの左手前に「世界の山ちゃん」の名古屋新幹線通り店がありました。「世界の」と銘打(めいう)つのは何ごとにも控えめな名古屋では意外性があります。

2012_03160037 この店は手羽先を売るだけではなく「立呑(たちの)みコーナー」も併設されていました。売り場に並べられた手羽先には胡椒(こしょう)入りと胡椒なしがありますが、「山ちゃんの手羽先」と言えば当然胡椒入りでしょう。二人前(10本)入の「幻の手羽先」(800円)を選びました。『今日中に食べてください』とアドバイスされましたので帰宅後に早速食べるとスパイスがタップリ利いた味は強めでした。4個まで食べたところで残った分は同居者が真空ラップ(冷凍)してくれました。

2012_03160039 老婆心ながら、新幹線ホームの売店で売られている「手羽先」のほとんどはお菓子(「世界の山ちゃん」の幻の手羽先柿の種など)ですから、くれぐれも間違えないようにして下さい。今回丹念に探したところ、ホーム上とホーム下の売店で「山ちゃん」でも「風来坊」でもない手羽先を見つけましたので、真空パックされて長持ちしそうなもの(賞味期限は3カ月後)もついでに購入しました。

 
<同居者のコメント> 旦那様が好きな手羽先もいいのですが、私はもう一つのお土産「もろこの佃煮」のほうが好物です。でも関西では当たり前のものですから残念ながら名古屋の名産品とは言えませんよね。

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2012年3月18日 (日)

小説『週末は家族』を読む

某ラジオ番組の書籍紹介で知った小説『週末は家族』を読みました。今年130日に朝日新聞出版から発行された桂望実さんの作品です。桂さんは以前観たことがある映画「県庁の星」(織田裕二さんと柴咲コウさんが共演)の原作者であることにも興味を覚えました。導入部では突拍子(とっぴょうし)もない人物設定と思われましたが、よく考えるとどこにでもありそうな人間関係でもあり、「夫婦とは、親子とは、そして家族とは何か」を考えさせるストーリー展開は期待通りでした。

家族三人がそれぞれの視線でその人間関係を順に語りながらオムニバス風につなぐスタイル(村上春樹さんの『Q84』と似ている)に加えて、言葉遣い(ぶっきら棒な会話)のユニークさにも特徴があります。著者のセンスを感じさせる『言葉のくすぐり』を要所に入れた読み易い文体で、274頁を一気に読み切ったあとには、爽(さわ)やかな余韻(よいん)が残る楽しい小説でした。

以下に参考としてストーリーを紹介します。今回もネタバラシになっていますから、ご承知の上で読み進んで下さい。

                           ☆

2007_10280071 第一幕は長年音信を絶っていた父(道夫)を病院に見舞う息子修造に「娘のひなた」とともに「修造の妻」として同行する私(瑞穂)が登場する。依頼主の修造とは病院前で別れ、池上駅を降りて帰宅途中にスーパーに立ち寄る瑞穂。病室で道夫からもらった熊のぬいぐるみを無造作にカートに入れるひなた(加島ひなた)は、瑞穂に問われて、『ぬいぐるみなんて、好きじゃない』と道夫の前で喜んだのは演技であったことを認める。(写真は池上駅付近)

その才能を自分の夫とともに求めていながらひなたの才能を怖く思う私。去年、夫大輔(だいすけ)の提案により週末里親制度で週末にひなたを預かることにしたのだ。施設のクリスマス会で上演されたひなたの鬼気迫る演技を夫が気に入ったことが動機。つまり劇団を主宰している大輔は副業でやっている特殊な人材派遣業に使う子役を探していたのだ。裏方(衣装と事務の担当)の私(瑞穂)も時々駆り出されている。

そして私(瑞穂)は恋愛感情や性的欲求を持たない無性愛者であると明かす。大学の演劇部で知り合った本田大輔とは23年、ずっと友人でいたが、去年大輔が入院した時に、無性愛者であることはすでに伝えてあったはずなのに、大輔から『いっそのこと俺と結婚しないか』と言われる。大輔は入院する時に40歳になるまで独身者である理由を説明するのが煩(わずら)わしかったという。『もし二人が結婚したら、俺が夫、瑞穂は妻という役を手に入れられる。打算百パーセントの結婚だ』と効用も付け加える。2日間考えた上で私はこの提案に賛成した。

「ひなた」が一人称で施設での日々や職員のサトー(佐藤洋)とのやりとりについて語り始める。その次にひなたへ与えられた役はミエさんの娘で、ミエさんを捨てたエイイチロウさんをヤクザ役の大輔が強請(ゆする)時に、『わたしがいけないの?ママ、パパを困らせないで。パパを悲しませないで』と泣きながら言う。この名演が奏功してミエさんの仕返しは成功する。

次は大輔の番である。ゴールデンウィーク中にデパートのおもちゃ売り場で着ぐるみに入る仕事をしている。大2009_04230097 輔は頭の大きなウサギで、相棒(劇団員の石川)は犬の着ぐるみの中に入って子供たちの相手をし、デパートの広報部に写真を撮ってもらっているうちに、注目されるという感覚から大輔は段々気持ちよさを感じる。居酒屋のシーンに移る。ゴールデンウィークが終わった翌週末に開かれた十年ぶりの演劇部連合会の集まりだ。今も演劇を続けているのは大輔だけ。彼の『自分の人生に責任を持て。なにかの、誰かのせいにするな』の言葉にその場は静寂に包まれた。(写真は日本橋三越)

次の雇い主は光村貴子。大輔はその婚約者でバツイチの役、ひなたはその連れ子という設定で、貴子に同行してある病院の診察室に入る。若い女医から貴子が告げられた病名は子宮頸がんであった。そして大輔が最も尊敬するシェイクスピアの「リア王」を現代風にアレンジした芝居のオーディションの結果の悪さに大輔は落胆するが、同席したひなたのコメントの的確さに驚嘆する。

                           ☆

2008_06210045 第二幕は瑞穂がその母と鎌倉の紫陽花(あじさい)で有名な寺を訪ねるシーンから始まる。母からの忠告(里子との関係の難しさ)が胸に痛い瑞穂はひなたとのぎくしゃくした関係に落ち込む。ひなたは自分を抜擢し、『現代版リア王』で三女役(年齢を十歳に変えて)を与えた大輔にはすっかり懐(なつ)いでいる。(写真は鎌倉の長谷寺)

瑞穂は銀行口座の残高の少なさをみて気が進まない(ギャラの高い)仕事を引き受ける。子供たちのパン教室へ行って、参加中のある親子の姿を撮影することである。有名な野球選手の妻が以前別の男性との間に産んだ子供が居るとの裏情報を得た週刊誌からの依頼。瑞穂はその親子に同情するが、撮影した画像データを消したりはしない自分を知っている。そして次々と抜群の配置を演出するひなたに寒気を覚える。

                           ☆

第三章で「リア王」の公演が始まった。観にきた施設の佐藤にひなたは自分の母親を憎んでいると言葉に出して言うが、佐藤は何も答えずに帰ってしまう。芝居に対する新聞の劇評は辛辣(しんらつ)であった。いつもはへこんだりしない大輔だが今回は違った。『観るべきものがあるとすればひなたの才能だ』、そして『醜い作品に塗り替えることで、自分が尊敬すると言うシェイクスピアを侮辱している』との批評に落ち込んでしまう。

シェイクスピアを忘れて大輔が書いた「マッチ売りの少女」の脚本をひなたは嫌いである。施設のクリスマス会で上演するためにサトーが依頼してきたのだ。大輔に感想を聞かれたひなたは最後の部分を変えて欲しいという。『死なせないで』と。

体調をくずしたひなたは瑞穂に付き添われて病院へ。「マッチ売りの少女」で主役を演じるためにダイエットをし過ぎたからである。パニックになった瑞穂の様子を見たひなたは、ダイエットのことは言えないと思うと同時に、瑞穂との関係が少しずつ変わっていることを感じる。大輔が書き直した脚本は酷(ひど)い父親が反省してハッピーエンドになっている。『嘘っぽくてよくない』と言うひなたに、大輔は何も言わない。

『思い込みじゃないかしら。親子が一緒に暮らすのが一番だって』と瑞穂が急に言ったことで、ひなたは瑞穂が味方になってくれたことにびっくりする。煮え切らない大輔に向かってひなたは『もういい。私が書く』と言う。そしてまったく新しいストーリーの「現代版マッチ売りの少女」の脚本が出来上がった。施設で上演されると大好評であり、大輔が持った心配は杞憂(きゆう)に終わった。

                           ☆

2012_01170095 第四章は瑞穂とひなたが図書館にいるシーンで始まる。二人の会話が次の公演に及んだ時に、瑞穂は週末里親になった経緯をひなたに正直に説明する。そして名古屋と大阪での公演「リア王2011」はひなたの見事な演技と書き直した脚本も好評であった。施設の佐藤が瑞穂の家を訪れてひなたの母親が結婚することになりひなたを手元に引き取りたいと申し出たことを伝える。瑞穂は驚くとともに、週末里親として良いとこ取りする自分たちの身勝手さを罪悪感と自己嫌悪の気持ちで振り返る。(写真は東大本郷キャンパスの図書館)

そして瑞穂は自分たち夫婦とひなたの気持をひなたの母親に伝える。同行したひなたの希望でもあった。『絶対に引き取らないでね』とひなたは駄目(だめ)を押す。その後、施設がひなたの母親との連絡出来なくなったことをひなたは知る。ひなたと大輔は派遣の仕事(愛さんの親戚の葬儀参列)で福岡行きの飛行機に乗っている。愛さんの内縁の夫とその娘の設定である。そこでひなた(愛さんの娘役)をいじめようとした男の子に大輔は説教して謝(あやま)らせてくれたことにひなたは安心する。

最後に紹介される派遣仕事は十一歳の小幡洋平が所属するサッカークラブの親子大会に出場することである。洋平の祖父と祖母が依頼したのだ。大輔が参加した最初の試合は大いに盛り上がり、難しい病気を患っている設定のひなたは演技に手を抜かない。依頼者が本当の家族だと思い違いをするほどである。一方、ひなたの母親は結婚するつもりだった相手に妊娠したことを伝えた直後にその男に逃げられてしまった。そのため、ひなたは希望通りに施設にそのままいられるようになる。

大輔とひなたは瑞穂との「家族三人」が良いチームであることを実感して言葉でも確認する。そして、相手チームの代表者から大輔がもらった遊園地の切符を使って、それまで興味がないと言っていた遊園地へ三人で行きたいとひなたは言う。そんな会話が行われていることを知らない瑞穂が洋平の母親として参加する次の試合開始の笛が鳴ったところで話は終わります。

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2012年3月16日 (金)

目黒川と楊州ラーメン

先週の水曜日(3月7日)に目黒へ出掛けました。増設工事が終わって綺麗(きれい)になった目黒雅叙園(がじょえん)で所用を済ませたあと、思い立って目黒川沿いを散策してみることにしました。
 
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桜の開花時期にはまだ早いのですが、何となく様子を知りたくなったのです。目黒川の桜並木の美しさについて当ブログの記事「目黒川の桜と大江戸東山温泉」と「目黒川と花散らしの雨」で紹介しています。

最寄りの太鼓橋(たいこばし)に出ると上流方向に桜並木が続いています。もちろん桜が咲いている気配はありません。まだ堅い蕾(つぼみ)のようです。前方に見える橋は目黒通りの目黒新橋
 
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太鼓橋の袂(たもと)に長い行列が出来ていました。イオングループの「まいばすけっと」(目黒太鼓橋店)でランチを求める人たちです。
 
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建物側から歩道上に伸びた枝では蕾が色付いているように見えます。
 
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近づいてみると蕾が膨(ふく)らみ始めていました。
 
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目黒新橋から見た目黒川の下流方向です。太鼓橋の左手に目黒雅叙園の敷地にあるオフィスビルのアルコ(ARCO)タワーと同アネックスが見えます。
 
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目黒通りを目黒駅方面へ100mほど歩くと、目黒通りの反対側に「中国ラーメン楊州商人」(目黒本店)の看板が見えました。
 
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横断歩道を渡って店の前に出ると、店先の装飾は名前通りに中華料理店の雰囲気に溢(あふ)れています。ランチセットを全面に出してPRしているようです。
 
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店内に入るとL字型のカウンターに16席ほどが並んでいます。
 
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カウンターの上に春節飾りと思われるものや青島酒(チンタオビール)がディスプレイされています。厨房と反対側の壁にはこの店の由来として、大正9年に祖父が上海に近い楊州(ヤンシュ、ようしゅう)から日本に移住、横浜中華街を経て東京・千住で支那そば屋を開店し、現在は3代目であることなどが詳しく説明されています。
 
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写真入のメニューを見ると、ランチセットはラーメンに炒飯(チャーハン)あるいはランチ杏仁豆腐(あんにんどうふ)を組み合わせたものでした。スーラータンメン(880円)が一押し(第1位)のメニューのようです。第2位の坦々麺(880円)や楊州濃厚塩ラーメン(840円)にも心が動きましたが、「塩ラーメン」(670円)にすることを決めたところで店主と思われる男性がタイミング良く、『週替わりラーメンは茄子(なす)ですが何にしましょうか?』と聞いてくれました。
 
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『塩ラーメンを』と言う私に向かってさらに何かを聞いて来ます。中国語を理解できない私がキョトンとしていると、写真入りのメニューを指差して2種類ある麺の「刀切麺」(とうせつめん)と「柳麺」(りゅうめん)のどちらかと聞き直してくれました。中国語ではなかったのです!刀切麺にも興味がありましたが細麺が好きな私は即座に『柳麺で』と。
 
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配膳された「塩ラーメン」は透明感のある鶏がらスープと細麺にチャーシュー、メンマ、ほうれん草、刻みネギ、煮(に)玉子がトッピングされた期待通りのシンプルさ。スープは日本の塩ラーメンとは少し違い、どちらかと言えば私の好きな香港ラーメンに近いものです。
 
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店を出て目黒通りの長い権之助坂(ごんのすけざか)を上って目黒駅に向かいました。ちなみにこのエリアのラーメン店「づゅる麺池田」と「麺源屋」も紹介しています。

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2012年3月12日 (月)

映画『英国王のスピーチ』を観る

東日本大震災からちょうど1年が経過した3月11日の午後にWOWOWで放送された映画『英国王のスピーチ』(The King's Speech)を観ました。その動機づけとなったのが、2月27日に同じWOWOWで生中継された今年のアカデミー賞授賞式です。今回はイギリスの無声映画『アーティスト』(The Artist、監督ミシェル・アザナヴィシウス)が作品賞・監督賞・主演男優賞など5部門を、主演女優賞は同じくイギリス映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(The Iron Lady)に主演したメリル・ストリープ(アメリカ人女優)が受賞して、ハリウッド映画の退潮が懸念されました。そして、昨年のアカデミー賞でも2010年に製作されたイギリス映画の『英国王のスピーチ』(監督トム・フーパー)が作品賞を受賞したことを思い出したのです。

この映画は史実に基づいたストーリーはもちろん、ジョージ6世役コリン・ファースの熱演とライオネル・ローグ役ジェフリー・ラッシュの好演に感銘を受けました。スピーチを重要視する国だからこそ製作できた映画だと思います。言葉の大切さと言葉が持つ力をスピーチと言う形で描いています。スピーチは日本語に訳すことが難しいため英語の『スピーチ』がそのまま使われているようです。あえて対応する日本語を探すと福沢諭吉が明治時代に造語した『演説』がありますが、スピーチの方はテーブルスピーチの『話し方』なども含んだ広い意味があると思います。そしてスピーチは残念ながら日本人が苦手とするスキルかもしれません。当ブログではケネディ大統領の就任演説に触れています。

Windsor_castle それでは『英国王のスピーチ』のストーリーを紹介しましょう。今から90年近く前の1925年に英国で開催された大英帝国博覧会の閉会式で父王ジョージ5世の代理としてジョージ6世(現在の英国女王エリザベス2世の父)が即位前のヨーク公アルバート王子であった時に大衆を前にスピーチをするシーンから始まる。彼は吃音症(きつおんしょう)であったため、緊張するとスムーズに話せないのである。そしてスピーチは散々の結果になってしまう。(写真はウィンザー城)

Trafalgar_square 王子は様々な治療を受けるが改善の兆(きざし)しはまったく見られない。そしてオーストラリア出身の言語聴覚士であるライオネル・ローグを紹介される。ローグは独自の方法で第一次世界大戦における戦闘神経症患者の治療を行って成果を上げていたのだ。王子に対しても自分のやり方(対等な関係)で治療すると申し出たことに王子は反発するがローグは強引に大音量の音楽をヘッドフォンで聴かせながら王子の話す言葉を円盤式録音機で録音する。いらだって帰るという王子に録音済みの円盤(レコード盤)を無理やり手渡す。(写真はトラファルガー広場)

Royal_albert_hall 父王から『離婚歴のある米国人女性シンプソン夫人と付き合いのある兄のデイヴィッド王子ではなくお前が王位を継ぐのだ』と言われた王子はプレッシャーを受ける。滅入った王子は音楽レコードを聴いている時にローグからもらったレコード盤を偶然かけると、いつもとは異なる自分の滑らかな話し声が流れて来た。王子はローグの治療を受けることを決心して発声練習などローグによる容赦ない訓練が続く。一方、ローグは王子の幼少期の苛(いじ)め体験によるトラウマ(心理的な問題)や左利きやⅩ脚の矯正(肉体的な問題)による吃音症の背景を知る。やがてそれに合った治療法が功を奏して王子に吃音症改善の兆(きざ)しが表われる。(写真はロイヤル・アルバート・ホール)

Westminster_palace 父ジョージ5世が死ぬと兄のデイヴィッド王子は国王エドワード8世として即位するが、その年のクリスマスパーティで兄が王の公務よりもシンプソン夫人との関係を重視する態度に抗議する。兄は弟に向かって『王位が欲しいのか?』と罵倒(ばとう)する。そして兄王はシンプソン夫人と結婚するため1年も経たないうちに退位したためアルバート王子がジョージ6世として国王に即位せざるを得なくなった。欧州におけるファシズムや共産主義の台頭を懸念する英国民は立派な国王を必要としていた。王位継承評議会での宣誓(せんせい)に失敗したジョージ6世は、喧嘩(けんか)別れをしていたローグを再び訪ねて謝罪し、吃音症の治療にさらに励(はげ)む。そしてウェストミンスター寺院で行われた戴冠式は上手く行く。(写真はウェストミンスター宮殿、寺院ではありません)

Buckingham_palace 戴冠式のフィルムを家族で観たあとにジョージ6世が演説の天才であるヒットラーの演説(実写フィルム)を観るシーンが挿入される。英国とドイツが戦争状態に入ることが不可避となり、王は国民へ向けたラジオでのスピーチをすることに。直前にスピーチを練習するジョージ6世とそれを指導するローグのシーンに続いてラジオ中継が始まる。対面するローグの励(はげ)ましもあり、ジョージ6世は感情を込めた力強いスピーチで国民にドイツとの戦争に入ることを伝える。英国内だけでなく世界中の英連邦の人々がそのラジオ放送を聴きている。『とても良かったよ。だがセの音でつかえたな』と言うローグに向かって国王は『私だと分かるようにだ』と感謝の言葉を返す。そしてジョージ6世がバッキンガム宮殿前に集まった国民から歓呼の声で迎えられるシーンで映画は終わる。(写真はバッキンガム宮殿)

映画の雰囲気に合わせるために写真は何れも1975年10月に撮影した古いものを使いましたので画質が悪いことをご了承下さい。

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2012年3月10日 (土)

アップルの快進撃

熱烈なファンだけでなく多くの人々が期待して待った3月7日(日本時間では8日)に開催されたアップル社のイベントでiPad2の後継機種が発表されました。事前に予想されたiPad3あるいはiPad HDではなくThe new iPadの名前が付けられたことは意外でしたが、機能面では予想された通りの改善と強化が行われたようです。

私が期待した通りディスプレイにiPhone 4Sと同じRetinaが採用されたことで解像度が4倍に向上(彩度も44%アップ)し、5メガピクセルのiSightカメラはHD品質の動画撮影も可能になり、クアッドコアGPUを備えるA5Xプロセッサーにより処理能力も向上し、同時に発表されたiOS5.1では音声入力(Siri)が日本語にも対応しました。

ネットワーク機能としてWiFiはもちろんのこと、iPad2では3Gでしたが、新型iPadではより高速な4G LTE(ソフトバンクは現在3Gのみ)に対応しています。これらの高機能化にもかかわらずバッテリー駆動時間はiPad2と同じ10時間(4G対応モデルは9時間)が確保されたことで、私のwish listはすべての項目にOKマークが付きました。

2012_03090085 この新型iPadとともに私が注目したのは上述したiOS5.1で可能になった日本語音声入力機能(Siriの日本語版)です。さっそく自分のiPhone 4Sで試してみました。iOS5になってからはOSの更新がPCiTunesアプリ)を使わずに無線経由(つまりiPhoneだけ)で出来るようになっていますからとても簡単です。

2012_03090089 設定アイコンから『一般』『ソフトウェアアップデート』にタッチするだけなのです。ダウンロードに2分ほど、インストールと確認に10分余りかかりますが、その間の操作は一切不要です。これもアップルならではの優しさでしょう。最後に『位置情報』と『Siri』を使うかどうかを確認されますから、『はい』か『いいえ』のいずれかを選択すれば完了。

2012_03090090 ホームボタンを押すと見慣れた「ロック解除」の操作画面が現れ、その右側にカメラのアイコンが表示されています。ショートカット用アイコンのようですからタッチしてみましたが、画面全体が一瞬持ち上がっただけです。

アップル社製品と20数年の付き合いがある私は迷わず『押してダメなら引いてみな!』の要領で上にスライドするとカメラの撮影モードに切り替わりました。このショートカットは便利です。撮影機能も多彩(フラッシュ機能などはiPhone 3GSで使えない)になりました。

2012_03090098 『設定』『一般』『情報』と入力してOSのバージョンが『5.1』になっていることを確認。次いで、『メモ』あるいは『リマインダー』のアプリを使って日本語入力機能を確かめることにしました。文字入力の地球マーク(文字・数字切り替え)の右隣にマイクのマークが追加されていることに気付きました。従来からあった『ボイスメモ』と同じデザインです。

2012_03090092 躊躇(ためら)わずにこのアイコンを押してみると何やらアラームのようなウインドウが表示されました。何ということか『音声入力はもうすぐ・・・・』と書かれています。つまり日本語音声入力機能は直ぐに使えないのです。翌朝になるのを待って再度試してみると正常に機能しました。私が発した言葉、『本日は晴天なり』が正しく変換されています。

2012_03090095 ちなみにこの言葉は音声によるテストの常套句(じょうとうく、決まり文句)です。昔は学校で運動会が開催される時に校庭のスピーカーを確認(マイクテスト)したり、アマチュア無線の送信テストなどにこの言葉が良く使われました。例え雨が降る日であっても、決して『本日は雨天なり』と言ってはいけません。念のため!

2012_03090105 次いでテレビの音声で試してみましたが、民放の朝の番組でやり取りされる早口の会話には追従できないようです。それではと、NHKに切り換えて『朝のニュース』で試してみると、さすがNHKのアナウンサーで、長い文章も何とか変換してくれました。残念ながら、冒頭の『三○』は『未明』が誤って認識されたものです。

2012_03090107 女性アナウンサーの声で同様に試すとこちらも上手く行きました。『から』が『が』になったのはご愛嬌(あいきょう)。『天気』アプリで都市名の追加にも一発で成功しました。新OSで提供されるこの機能は十分実用になると思われ、3月16日に発売される新型iPadを購入する日に向けて私の脳内時計が秒読み(カウントダウン)に入ったようです。
 
<追記〉 "Siri"には会話する音声アシスト機能(ホームボタンの長押しで起動)もありました。『あなたの名前は何んですか?』と尋ねると、『私はSiriと申します』と丁寧な日本語(文字)で答えます。『設定』『一般』『Siri』『言語』で英語(アメリカ合衆国・イギリス・オーストラリアの3種)にすれば英語での会話ができます。"What is your name?"と訊(き)けば"My name is Siri."と返ってきます。意地悪をしてもう1度同じ質問をしてみると"My name? It's Siri."と。そして3度目には"My name is Siri. But you knew that already."と違う返事が返ってきたのです。まるでSF映画『2001年宇宙の旅』(1968年公開)に登場したコンピュータ"HAL9000"のようです。(2012年3月11日)

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2012年3月 9日 (金)

名古屋駅前のビル群と名物ファストフード(後編)

名古屋ビルディングにはPRADAと柿安などが入居しています。
 
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名駅通りを挟(はさ)んだ向かい側は名古屋鉄道の名古屋本線が地下に乗り入れる名鉄百貨店、近鉄名古屋線が乗り入れる近鉄パッセ、その左隣の茶色い名鉄メンズ館(旧メルサ)が以前と変わらぬ姿で並んでいました。
 
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下から見上げたスパイラルタワーズ
 
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名駅通りの笹島交差点付近から大名古屋ビルヂング方面を望みました。
 
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下広町交差点付近に建つ住友生命名古屋ビル(1974年竣工、地上26階)
 
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その交差点にある横断歩道橋から名古屋駅方面を撮影しました。左手の茶色い建物は日本生命笹島ビルです。この交差点から東南方向に伸びる道を進むと若宮大通り(通称100m道路)に至りますが、名駅通りのビル街はここが南端のようですから、名古屋駅方向に引き返しました。
 
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歩道で名古屋市の消火栓(せん)を見掛けました。蓋(ふた)に描かれた「丸に八の字」のマークは名古屋市の市章ですが、元は尾張徳川家の合印(あいじるし、武具などに付けた印)でした。末広がりで発展することを意味したなどの諸説があるようです。ちなみに尾張徳川家は御三家のひとつですから家紋はもちろん葵巴紋(あおいどもえもん)です。名古屋城より鯱(しゃちほこ)が大きく描かれていることの説明は無用でしょう。
 
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こちらのマンホールの蓋(ふた)には虫あるいは蛙(かえる)のようなものが描かれています。NAGOYAと表示されていますから市の施設のはずですが・・。後で調べると下水道局のシンボルマーク「アメンボ君」でした。
 
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ビル街には不釣合な時代掛かった石柱が立っています。横の説明板を読むと『明治橋は明治34年に完成した名古屋で始めての跨線橋(こせんきょう)で、東海道本線・関西本線・中央本線を跨いで中村(現在の中村区、太閤秀吉の生誕地)と名古屋を結ぶ歩道橋だった』ことが説明されていました。
 
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歩き回って食欲が出てきました。早めの夕食はJR名古屋駅太閤通口の地下街「エスカ」(ESCA)にある矢場とんの「みそかつ」を選ぶか、寿(す)がきやの「ラーメン」にするかを迷いながら太閤通口(たいこうどおりぐち)へ向かいました。ちなみにESCAの名前は『駅西ショッピングセンター・アベニュー』の頭文字を並べた造語のようです。エスカが駅中だと思い込んでいた私はJRの中央改札口を通過して中央通路で新幹線乗り場へ向かい、あちこち探しましたが「エスカ」へ行く通路はないのです。

新幹線の改札口で駅員に太閤通りへ抜けたいと言うと、『一旦新幹線のエリアに入って、太閤通り側の改札でその旨を告げるように』と説明してくれました。その通りにすると新幹線南口改札で切符にスタンプを押してくれました。これも後で調べて分かったことですが、改札口を入らないで中央コンコース(あるいは中央地下通り)を直進するだけで良かったのです。

もうひと波乱がありました。「エスカ」は東口地下街ほどではありませんが予想外に広い地下街で、どちらへ向かうべきかが分かりません。そこで「右手の法則」に従うことにしました。これは迷路を抜ける確実な方法で、絶えず右手を壁側にして歩けば良いのです。右手の奥まで進んで左折すると直ぐ先に「矢場とん」の看板を発見しました。臍曲(へそまが)りな私は「寿がきや」で食べることにして、「右手の法則」通りに先へと歩きましたが、なかなか見つけられません。諦(あきら)めかけた時に地下街の地図を発見。「寿がきや」は「矢場とん」とは反対側(新幹線側から見て左手)の奧でした。
 
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時間が早かったのか寿がきやの店内は先客が4-5名居るだけです。
 
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定番の「スガキヤラーメン」がメニューに見当たらないので似ている「白ラーメン」(530円)を注文することに。実は私が入った店は「らーめん寿がきや」で、スガキヤラーメンがあるのは「Sugakiya」の方と、スガキヤには2系列のチェーン店があったのです。
 
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次回は幸楽苑(中華そばが290円+税)とラーメンの低価格を競うSugakiya店の「スガキヤラーメン」(290円)にしようと思いながら店内を見回すと、ノスタルジックな意匠の壁にある「寿がきやの歴史」を示す大きな写真が目に入りました。
 
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配膳された「白ラーメン」は乳白色のスープに入れられたストレートの細麺にチャーシュー・メンマ・刻(きざ)みネギがトッピングされただけのシンプルさ(視覚的には物足りないもの)です。印影(いんえい)のような『寿賀喜屋』の赤い文字(目出度い漢字の組み合わせ)にはインパクトがあります。
 
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食してみると和風豚骨スープと細麺、そしてトッピングはみな自己主張をほど良く抑えたバランスの良いもので、ブランチに食べた「きしめんと」と同様、大いに満足できるものでした。そこまでは良かったのですが、新幹線ホームに上がって自らの粗忽(そこつ)さを思い知ることになりました。土産に考えていた「手羽先」がプラットフォームの売店で見つかりません。エスカ中央部にあった「名古屋みやげ処」で買うべきだったのです。
 

例によって『画竜点睛(がりょうてんせい)を欠く』日帰り旅になってしまいました。最後にプチ蘊蓄(うんちく)を! 点睛の「睛」は瞳(ひとみ)のこと、「晴」ではありません。

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2012年3月 8日 (木)

名古屋駅前のビル群と名物ファストフード(前編)

東海道新幹線を名古屋駅で下車、まだ朝の9時半ですが「きしめん」をブランチとして食べることにしました。東海道線のプラットフォーム(1-6番線)にある「住よし」が美味しいと評判です。しかし新幹線の下り線プラットフォーム(16・17番線の大阪寄り)に同じ「住よし」の店を見掛けましたので、「善は急げ!?」と入ることにしました。ちなみに名古屋駅構内だけで8店舗もあるようです。
 
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券売機で「かき揚げ玉子入りきしめん」(550円)を選びました。
 
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「名古屋コーチンきしめん」(840円)など豪華なものから「みそきしめん」(600円)や「かき揚げきしめん」(500円)、「きしめん」(340円)まで多彩な(30種類近い)メニューが並んでいますが、大阪へ出掛けたときに名神高速道路の養老SAで食べた「きしめん」に物足りなさを感じたため、出来るだけオーソドックスなメニューで再挑戦したかったのです。 

この時間帯でも店内はほぼ満席。ほどなく大きめのどんぶりが配膳されました。カマボコ、刻みネギ、生玉子に加えて、削り節がタップリとトッピングされています。湯気で削り節が揺れるさまを見ると食欲が増進するようです。かき揚げはたっぷりかけられた削り節に覆(おお)われてほんの僅(わず)かしか見ることができません。
 
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鰹節(かつおぶし)の香りが鼻孔(びこう)をくすぐり、出汁を味わうと鰹風味で、生玉子をからめたきしめん(平打太麺)は腰と歯ごたえがあり、私の好きなかき揚げもサクサク感と大きなエビの味が楽しめ、これぞ「きしめん」と完食。今回はかき揚げと生玉子入りとちょっと贅沢(ぜいたく)な味を楽しみましたから、この次は「(かけ)きしめん」(350円)をじっくり食べてみようかと思います。「きしめん」はシンプルな食べ物ですが、繊細(せんさい)な味のバランスが重要であることを再認識しました。
 
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腹ごしらえの後は予定通りに所用を済ませました。夕食にはまだ早いため名古屋駅前の名駅通りを散策して時間を潰(つぶ)すことに。4年近く前にも当ブログの記事で紹介していますが、その後に建てられたビルもあるようですから、名駅通りを散策しながらビル群を見て回ることにしたのです。JR名古屋駅の2階テラスに上がって見ると名古屋駅の今昔物語が写真パネルで説明されていました。
 
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昭和12年名古屋駅誕生
 
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平成11年JRセントラルタワーズ開業
 
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平成28年名古屋駅新ビル完成予定
 
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左正面に見えるのはその名も「大名古屋ビルヂング」(1965年竣工、地上12階)で、このエリアを代表する建物です。
 
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真正面に聳(そび)えるモダンなビルは以前にも紹介したトヨタ自動車などの企業が入居するミッドランドスクエアのオフィスタワー(2006年竣工、地上47階)、その左手はラグビーボールのような形のフットプリントを持つ名古屋ビルディング(2009年竣工、地上17階)です。
 
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右手の遠方で一際異彩を放つのは「捻り飴(ねじりあめ)」風のモード学園スパイラルタワーズ(竣工2008年、地上36階)で、東京・新宿にある
モード学園コクーンタワーと同様のユニークさです。
 
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長い横断歩道を渡って大名古屋ビルヂング側へ移動するとJRセントラルズタワー(1999年竣工、地上53階)が見えました。
 
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大名古屋ビルヂング(写真の右手)には建て替え工事が行われると表示されていました。今年度から工事を始めて2015年年度には異なるイメージの高層ビル(地上34階)が竣工(しゅんこう)予定とのこと。 
 
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中央郵便局の長い建物の先にはヨットの帆をイメージしたヨコハマグランド インターコンチネンタルホテルに似たオフィスビルの名古屋ルーセントタワー(2007年竣工、地上40階)がありました。
 
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(続く)

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2012年3月 5日 (月)

小雨降る地上広場

2月29日は予報された通りに朝から雪が降っていました。いつもは余裕を持って出掛けるようにしていますが、メールチェックなどをしている内に自宅を出るのがぎりぎりの時間になった上に、降雪で電車が大幅に遅れてしまったのです。地下鉄有楽町駅の改札口から地下通路を歩いて東京国際フォーラムへ向かい、エスカレーターを乗り継いでホールBの7階に到着した時には、午前9時半からの「情報通信技術セミナー」がちょうど始まったところでした。
 
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午前中のセミナーを3件立て続けに聴いた後は、雪が降り続くJR有楽町駅方面へ歩いて、いつものようにカジュアルな昼食を食べました。家電量販店の中を通り抜けてフォーラムに戻った私は食後の運動を兼ねて地下1階の展示会場でクラウド・コンピューティングなど情報通信技術の展示会場を1時間ほど見て回りました。そしてエスカレーターで上階へ移動する時に見えた欅(けやき)や桂(かつら)の芽吹きに惹(ひ)かれて地上広場に出ると、つい先程まで降り続いていた雪がいつの間にか雨に変わっていました。
 
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地上広場に置かれたオブジェについては別のブログ記事で紹介していますから、ここでは雨に濡れた別の雰囲気を写真で紹介するだけにします。
 
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雨に濡れた木々と地上広場を見ていると何故かあの歌が思い浮かびました。自宅で机に向かっている時に最近つい口ずさんでしまう歌です。1930年代にドイツ人のヘンリー・ヒンメル(Henry Himmel)によって作曲されコンチネンタル・タンゴ曲で、1935年頃にフランス語の歌詞が付けられてフランス人歌手のティノ・ロッシTino Rossi)が歌いました。多くのシャンソン歌手が歌ったことでシャンソン曲として扱われています。日本でも戦後になって淡谷のり子さんや菅原洋一さんなどが歌ってヒットしました。ここではシャンソン歌手金子由香利さんの日本語訳の歌を紹介します。
 
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フランス語の曲名は日本語訳の曲名と同じ意味のIl Pleut Sur La Routeです。英訳すれば“It rains on the roadになるでしょうか。3日坊主に終わって苦手なフランス語ですが辞書を引きながら歌詞の意味を調べてみました。『道の上に雨が降り心は乱れる、暗闇に耳を澄ましてあなたの足音を、でも何も聴こえない』と暗い内容でした。それに待っているのは男性なのか女性なのかもはっきりしません。歌詞はまだ続きますがここでギブアップです。
 
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Routeの言葉でふと思い出しました。英語でも道路のことをroute(ルート)とも呼びます。アメリカで「ルート66」(旧国道66号線)と言うタイトルの有名なジャズ曲やテレビドラマがありました。イギリス人が「ルート」と発音するのはこの言葉がフランス語だったからです。しかしアメリカ人は「ルート」ではなく「ラウト」と発音する人が多いのです。それがフランス語であったとの記憶がないアメリカ人はaboutloudなどのou(二重母音)と同様、英語風に「アウ」と発音するのでしょう。日本人も勝手に外来語を日本語風に変えて発音していますから、人のことは言えないかも知れませんが・・。

広場に敷かれたタイルの上をよく見ると今朝降ったと思われる雪の小片が残っています。形状から見て高いところから落ちたのかも知れません。この雪を何と呼べば良いかと思った私がまず思い浮かべたのは「なごり雪」です。伊勢正三さんが作詞・作曲、1975年にイルカさんがカバーして歌い大ヒットした曲です。目の前にあるのは溶け残った雪ですから残雪かもしれないとも思い直しました。しかし残雪は冬に山で降った雪が春まで溶けないで残ったものです。ましてや根雪ではないでしょう。
 
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霙(みぞれ)、粉雪、牡丹雪などの違いは分かりますが・・。そう言えば、新沼謙治さんのヒット曲「津軽恋女」には「粉雪・粒雪・綿雪・粗目雪・水雪・固雪・春待つ氷雪」の七つの雪が登場しますが、名残雪は含まれていません。それは「なごり雪」が伊勢正三さんの造語だからでしょう。季節の変わり目に大事な人と別れる時、自分の気持ちに初めて気付いたことを表現するために生まれた言葉のようです。歌詞の3番に『君が去ったホームに残り 落ちてはとける雪を見ていた』とありますから、やはり私が見たものは新たな春を迎える「なごり雪」だとしても良いのかも知れません。
 
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東京国際フォーラムでの長い1日の終わりに、いつもは忙(せわ)しなく行き過ぎる7階のロビーに飾られたタペストリー「無題」(クロード・ヴィアラ作)と5階に置かれたオブジェ「ノー・タイトル」(マーティン・プーリア作)をゆっくり眺めました。
 
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眼下の丸の内三丁目交差点から日比谷通りへ抜ける道もすっかり雪が溶けたようです。朝とは逆のルートで有楽町駅まで戻って混み始めた地下鉄に乗りました。

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2012年3月 2日 (金)

プリンス芝公園

港区芝公園にあるザ・プリンスパークタワー東京へ所用で出掛けたついでに芝公園内を散策することにしました。これまでも芝公園の記事を「芝から芝浦へ」「日比谷通り散策」「古墳を訪ねる」と3回も書いていますから、これまで紹介していない「プリンス芝公園」を対象に選びました。ザ・プリンスパークタワー東京(ホテル)の敷地内にある公園です。ちなみに増上寺・芝公園・ホテルの関係は最初の記事で簡単に触れています。
 
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旧台徳院霊廟惣門(たいとくいんれいびょうそうもん)は2代将軍徳川秀忠の廟所(びょうしょ)の正門で国の重要文化財に指定されています。所有者はプリンス芝公園を所有するプリンスホテルのようです。戦時中の空襲でも焼けなかったこの惣門(そうもん)の両側に安置されている寄木造りの仁王像は最近の修理で元々埼玉県川口市の西福寺仁王門にあったものが、戦後に東京・浅草寺を経て、この惣門に移されたことが港区教育委員会の説明板に詳しく書かれていました。ザ・プリンスパークタワー東京と東京タワーを両脇に少しだけ入れてみました。
 
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増上寺は明徳4年(1393年)に現在の千代田区紀尾井町に創建され、慶長3年(1598年)に現在の地に移転して徳川将軍家の菩提寺(ぼだいじ)となったことと、現在は浄土宗七大本山の一つで正式呼称(こしょう)は三縁山広度院増上寺(さんえんざんくどいんぞうじょうじ)であることを、上記とは別の説明板で知りました。石段の途中で振り返って旧台徳院霊廟惣門を撮影。
 
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石段を登り切った場所に水路跡がありました。惣門前に構築された水路の石垣を移設したもののようです。平成14年(2002年)の発掘調査でこの直下8mの位置で発見されたことが説明されています。惣門との位置関係が変だと思って調べると、惣門は昭和34年(1959年)に東方へ45m移設されたことが分かりました。ちなみに水路跡が持ち上げられたのは駐車場への進入路と石段を立体交差させるためと思われます。
 
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10mほど先に有りました。ここが惣門跡です。
 
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コンクリート製のブロックが敷き詰められた参道跡が真っ直ぐ続きます。
 
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増上寺会館のほぼ真横には天皇直筆(じきひつ)の額を賜(たまわ)った勅額門(ちょくがくもん)跡があります。
 
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大殿(本堂)の左後方の白い建物は東京プリンスホテル。増上寺が2つのプリンスホテルに挟まれている様子がよく分かります。奥の高層ビルは愛宕山へ花見に出掛けた時に見掛けた愛宕グリーンヒルズMORIタワーです。
 
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石垣で囲まれた半円形の場所が何であるのか気になりました。表示板を探しましたが見当たりません。中門(ちゅうもん)の跡なのでしょう。
 
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大きな円形広場に出ました。戦災で焼失した秀忠の廟所跡(現在は増上寺内の徳川廟所に墓所がある)のようです。ザ・プリンスパークタワー東京の影が長く伸びています。
 
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旧台徳院霊廟惣門を出て増上寺方向へ歩くと黒門が目に入りました。色が黒いことでこの名前があります。方丈(ほうじょう、庫裏)の表門が昭和55年(1980年)に通用門として日比谷通り沿いに移築されたそうです。奥の正面に光摂殿(こうしょうでん)、その左手には増上寺会館が見えます。
 
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一際(ひときわ)大きな三解脱門(さんげだつもん、国の重要文化財)は三門とも呼ばれる元和8年(1622年)に建立された二重門(重層で各層に屋根が付く門)で増上寺の中門に当たります。ちなみに三解脱門は潜(くぐ)ることによって三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する(束縛から解放される)門を意味します。
 
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法然上人(ほうねんしょうにん)八百年御忌(ぎょき)を記念して通常非公開の「増上寺三解脱門」が昨秋に公開されたそうです。最近知ったことですが、江戸時代には一般に解放されて、当時は三門の2階から400mほど前方の旧東海道(現在の国道15号)とその近くまで迫っていた海岸線(東京湾)を望むことが出来たそうです。今で言えば東京タワーの展望台高層ビルの展望室と同じだったのでしょう。

日比谷通りの東側に細長く伸びる芝公園(10号地・12号地)は改修工事中でした。
 
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プリンス芝公園の参道跡と同様のブロック舗装が行われるようです。  
 
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前方に増上寺の大門(表門)が見えてきました。
 
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大門を潜って振り返ると、東京タワーが見えました。この辺(あた)りは芝大門の地名で呼ばれています。
 
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雪景色の増上寺を描いた歌川広重の「芝増上寺雪中」で江戸時代の様子を知ることが出来ました。
 
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余談です。雪景色の絵を見たことで、増上寺はあの『忠臣蔵』とも浅からぬ因縁があることを思い出しました。勅使饗応役(ちょくしきょうおうやく)を仰(おお)せつかった播磨赤穂藩主の浅野内匠頭長矩(たくみのかみながのり)は指南役の吉良義央(きらよしひさ)が増上寺の畳替えなどを教えなかったことを恨んだことが刃傷沙汰の理由であるとする説があります。しかし史実は定かでなく、この事件を題材とした人形浄瑠璃(じょうるり)と歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』などで面白おかしく創作されたことのようです。

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