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2012年4月に作成された記事

2012年4月29日 (日)

新東名高速道路(上り線)を走る

東名上り線から三ヶ日JCTを経由して新東名に入りました。長い上り坂が続きます。
 
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富幕山(とんまくやま)トンネル(1520m)を通過します。雨粒(あまつぶ)が見えるようになりました。
 
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奥山トンネルを抜けると雨走行注意の表示が出ています。
 
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雨粒がフロントガラスに強く当り始めました。
 
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浜松いなさJCTに入ります。
 
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浜松SAでは駐車場が一杯になったようで入場待ちの車列が本線まで伸びています。立ち寄るつもりでしたが通過することにしました。そして浜松浜北ICを通過します。
 
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掛川PAも混雑と表示されています。
 
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藤枝PAには何とか入ることができました。しかし小型車用駐車マスが一杯で、大型車用マスへ誘導されました。
 
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藤枝花吹屋(ふじえだはなぶきや)に併設(へいせつ)されたロイヤルキッチンに長い行列が出来ています。「ジャワカレーパン」や「ロイヤルスイートポテト」を求める人たちでした。店舗の中で作られた焼きたてに人気があるのでしょう。フードコートには下り線側にもあった讃岐釜揚(さぬきかまあ)げうどんの丸亀製麺(まるがめせいめん)と麺屋大黒(めんやだいこく)が並んでいます。
 
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静岡SAも混雑しているようです。
 
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駐車場には車が一杯停っています。右端の案内表示版は駐車マスの混み具合(こみぐあい)を「空有」(青色)と「混雑」(黄色)、「満車」(赤色)で表示していました。
 
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小河内(こごうち)トンネル(上り線の長さ1410m)に入る直前に清水PAと駿河湾沼津SAの満車表示がありますから、今回は立ち寄りを諦(あきら)めることにしました。
 
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駄目(だめ)押しのサインです。この天気ですから・・。跨道橋(こどうきょう)の先には「この先渋滞中」の表示が小さく見えます。
 
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もう一度、念を押すように・・。
 
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浜松PAと同様に車列が本線まではみ出しています。フロントグラスの雨粒(あまつぶ)のためか、手前にピントが合った前ピンの写真になってしまいました。
 
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いよいよ御殿場JCTで東名に合流します。「新東名は神奈川に向かって延伸工事中」の看板が立っていました。東から順に完成する計画があるこの区間は、海老名南JCT-厚木南IC間が2016年度、厚木南IC-伊勢原北IC間が2018年度、そして伊勢原北IC-御殿場JCT間は2020年度の開通が予定されているようです。
 
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帰宅時に燃費を確認しました。三ヶ日JCTから新東名と東名を経た約250kmで25.9km/ℓと良好な結果でした。雨天のため控(ひ)えめで安定したスピードを維持(いじ)したことと、御殿場IC以東がほとんど下り坂である東名では若干の渋滞がありながら新東名とほぼ同じ数値を達成できたことが奏功(そうこう)したと思います。ちなみに、自宅と大阪市内を往復した総走行距離約1030kmの平均燃費は25.2km/ℓと、これも良好な結果でした。ハイブリッド車の面目躍如(めんもくやくじょ)と言えそうです。

<同行者のコメント> 新東名の下り線では全部のSA/PAに立ち寄っただけでなくて、旦那様は本線をすごくゆっくり走ったのにはとてもびっくりしました。いつもは追い越されることがほとんどないのに今回は次々と追い抜かれても平気な顔をしていました。はた迷惑ですよ。でも帰りはいつも通りのスピードに戻って安心しました。(終)

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2012年4月28日 (土)

新東名高速道路を走る 浜松いなさJCT・三ヶ日JCT

浜松SAを出発しました。眼下の本線まで一気に下る侵入ランプはまるでジェットコースターのようです。
 
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190kmポスト(まだ完成していない海老名南JCTからの距離)付近にあるこの吊(つ)り橋は都田川橋(みやこだがわばし)です。正確には主塔と斜材(しゃざい)によって主桁(しゅげた)を支えるエクストラドーズド橋(長さ268m、最大支間長133m)で吊り橋には分類されないそうです。吊り橋は明石海峡大橋のようにメインケーブルにハンガーロープを取り付けたものを指すようです。ちなみに、都田川橋は土木学会田中賞を受賞しています。
 
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陣ノ谷(じんのや)川橋(下り線の長さ591m)を渡ります。前方にある三岳山(みたけさん、標高467m)の尾根に風力発電用施設が並んでいるのがはっきりと見えて来ました。新エネルギー技術研究所の浜松風力発電所(浜松市北区)には風車が10機あるようです。総発電量は約20MW(2万KW)もあり、引佐町(いなさちょう)や滝沢町(たきさわちょう)など地元の1万世帯へ電力を供給する能力があるとのこと。青空に浮かぶ雲はまるで入道雲のようです。
 
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三岳山トンネル(長さ3200m)に入ります。
 
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次いで引佐(いなさ)トンネルが迫(せま)ると浜松いなさJCTまで3.2kmと表示されていました。
 
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浜松いなさJCTヘアピンカーブ(将来新東名は直進する)を通過すると、三遠南信(さんえんなんしん)自動車道(国道474号)との分岐点に差し掛かりました。新東名(正式には引佐連絡路)はさらに右へカーブします。右手遠方に見えるのは本線。
 
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浜松いなさICを通過すると奥山トンネルです。
 
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その次の富幕山(とんまくやま)トンネルを抜けると3kmほどで三ヶ日JCTに差し掛かりました。名古屋方面は右へカーブします。
 
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ここで妙な疑問が浮かびました。新東名は東名よりも距離が約10km短いため、いずれを走っても新東名の距離で課金されることは知っていましたが、2箇所にある連絡路を使って東名と新東名を何度も往き来(ゆきき)来した時の料金はどうなるのでしょう。つまり首都高速都心環状線を何周もする時の料金と同じ疑問です。考え始めると夜も寝られなくなる(地下鉄漫才が好きな)私は調べてみましたが・・・。(省略)

閑話休題(かんわきゅうだい)。三ヶ日JCTで東名高速道路に出た時にTRIPメータで確認すると燃費は何と31.3km/ℓと過去の記録を大幅に更新できました。燃費以外の表示が写っていないのはシャッタースピードが速過ぎたためでしょう。
 
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燃費が良かった理由は、第一に新東名(橋が1/3でトンネルが1/4の距離を占める)が平坦であることに依(よ)りますが、燃費計を絶えずチェックして最良の運転モードを維持したことも役立ったと思います。しかし、そのため運転スピードが70-100kmの間で大きく変動する弊害(へいがい)がありました。混雑する時には他の車の迷惑になるだけなく危険ですから、このトライヤルは今回限りにするつもりです。

新東名下り線のドライブ記事はここまでにして、次回は新東名上り線の様子をまとめて紹介します。
 
                          ◇
 
余談です。新東名の未開通区間である浜松いなさJCT-豊田東JCT間は2014年度の開通が予定され、海老名南JCT-御殿場JCT間が開通するのは2020年とずっと先のことですが、新東名が全線開通すると伊勢湾岸自動車道を経由して2018年度に四日市JCTまで延長される新名神高速道路に接続されるそうです。

その場合には豊田JCTから東名と名神を経由する場合より距離が約30km短くなり、所要時間も約30分短縮されるとのこと。つまり首都圏からは東名と名神を経由するルートよりも新東名・伊勢湾岸・新名神のルートの方が約40km、約40分短縮されることになります。ちょっと気が早いかもしれませんが、新東名・新名神が全線開通する日が待ち遠しくなりました。

三ヶ日JCT以遠については今回のテーマから外れますので省略しますが、伊勢湾岸自動車道刈谷PAのフードコートで食べた昼食についてだけ触れます。私は「うな丼と小きしめんのセット」(980円)を注文。前回の失敗に懲(こ)りて、先ず湯気(ゆげ)が立つきしめんを味わった後にうな丼を食べました。いずれも高級感はありませんが十分満足できる美味しさです。しかし、うなぎの価格高騰が続いていますから、これが食べ収(おさ)めになるかも知れません。
 
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同行者は「海老おろしきしめん」(650円)を選びました。海老の天ぷらとおろし大根がきしめんにマッチしていたそうです。そして同行者は「暖かいと思ったら、冷たいんだわ!」と続けました。いやはや・・。
 
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(続く)

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2012年4月27日 (金)

新東名高速道路を走る 浜松SA

天竜川を渡って浜松浜北ICを通過します。
 
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浜松SAから14.8km浜松SAに到着。
 
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駐車場からNEOPASA浜松へ向かう途中に、いかにも楽器の街である浜松らしく、楽しそうに楽器を演奏する2人の子供のブロンズ像がありました。造形作家の夢童(むどう)由里子さんの作になるアートモニュメント「風の童子」は風と音に遊ぶ様子を表しているようです。ちなみに弓を引く像は「颯(はやて)」、力強くばちを打つ像は「遥(はるか)」と名付けられ、道を行き交う人々の安全を見守る2体の護(まも)り童子(どうじ)の間にある小さな鍵盤(けんばん)を押すと150曲がランダムに演奏されるそうです。そのサンプルを2曲(その1その2)添付します。
 
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ピアノをモチーフにした建物へ至る通路も統一感のあるタイル舗装なのです。
 
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建物内へ入った途端(とたん)、同行者は右手にある遠鉄(えんてつ)マルシェへと突き進んで行きました。
 
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私は徳川家康グッズを眺(なが)めたりして・・。
 
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そして、所在(しょざい)無くなった私は館内を見て回ることにしました。最初に目に付いたのはグランドピアノをイメージさせるテーブルです。
 
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次いで巨大な音符の長椅子も見つけました。
 
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一番奥まった場所にあるミュージックスポット・ハママツでは様々なローランド製品の試奏を楽しむ人たちがいました。ちなみに、ローランド社は大阪で創業された企業でしたが、2005年にこの浜松市に本社を移転しています。
 
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メインステージでは休日を中心にミニコンサートが開催されるそうですから、興味のある方は開催日を確認して出掛けると良いと思います。ちなみに、連休中は5月3日の開催が予定されるようです。
 
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モンゴルの馬頭琴(ばとうきん)の実物を見るのは初めてです。中国語ではマオトーチン、モンゴル語ではモリンホール(馬の弦楽器の意)と呼ばれることと、2本に見える弦はそれぞれ100本以上の馬の尾の毛を束ねたもので、展示品は子供用の小型であることが説明されています。
 
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遠くから見て分かりました。ビルマの竪琴(たてごと)です。わが家にあるビルマの竪琴を思い浮かべながら品定(しなさだ)めをしてしまいました。
 
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そして、ここにもドライバーズスポットの天神屋が
 
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フードコートも見て歩きました。最初に目に入ったのは浜名湖産うなぎが自慢の「うな濱(はま)」
 
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そして「浜松醤油ラーメン」と野菜たっぷりの「浜松餃子」が看板商品の浜北軒
 
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とんかつの名門店「せんざん」はカレーの専門店でもあるようです。名古屋に近い浜松だからでしょうか、とんかつは味噌ダレで、次回立ち寄る時には矢場とんに代表される名古屋の味噌カツと食べ比べてみたくなりました。NEOPASA浜松はまた立ち寄りたくなる魅力が溢れる場所です。
 
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新東名にある全てのSAPAに立ち寄って来たため、御殿場JCTを通過してから既に4時間以上が経過してしまいました。ちなみに、東名を走る時の通常ペースであれば2時間前後で走行できる距離です。この浜松SAは今回の開通区間で西端のSA/PAですから、この先はドライブに専念して三ヶ日JCTを目指します。(続く)

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2012年4月26日 (木)

新東名高速道路を走る 藤枝PA・掛川PA・遠州森町PA

静岡SAのサーキットコースのように折れ曲る流入ランプを無事に抜けて本線に戻りました。それまでのトンネルが多い山間エリアから一転して、開放感たっぷりの景色が楽しめます。そして御殿場JCTを出発してから約3時間が経過した頃には青空が広がり始めました。先ほど通過した5連続のトンネルではありませんが、この先にある3箇所のPAをまとめて紹介します。
 
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藤枝岡部ICを通過して藤枝PAに到着しました。静岡SAから10.3kmの短い距離です。ちなみに駿河湾沼津PA-清水PA間の距離はは31.2km、清水PA-静岡SA間のそれは27.8km。小型車マスに車を停めて来(き)し方を撮影しました。右手に伸びるのは小型車マス(駐車スペース)への侵入路です。
 
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店舗が入る小規模な建物は解放感に溢(あふ)れています。NEOPASAの名が付けられていませんから従来型の施設かも知れないと思いながら中に入ってみました。
 
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神戸の長田本庄軒(焼きそば専門店)と五番館(カレー専門店)が並んでいます。
 
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その奥には麺屋大黒(つけ麺専門店)と丸亀製麺(讃岐うどん専門店)も。ちなみに丸亀製麺も同じ神戸市に本社を置くチェーン店(全国に300店舗以上)です。
 
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藤枝PAを後にして本線へ戻ると約2km先にまたトンネルの5連発が迫って来ました。
 
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島田金谷ICを通過して新東名で最長の粟ヶ岳トンネル(下り線の長さは4662m)を抜けた直後、掛川PA(藤枝PAから19.7km)に到着しました。
 
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オンレンジ色のラインだけが印象的な普通の建物です。
 
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建物内のカジュアルなフードコートには讃岐うどんの「はなまるうどん」を挟(はさ)んで、向かって右隣がそば処(どころ)吉野家、左隣は石焼ビビンバが並んでいます。そば処吉野家とは聞きなれませんが、牛丼の吉野家が全国展開するチェーン店(関東北部を中心に60数店舗)で、十割そばに加えて牛丼と天重も楽しめる店でした。
 
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フードコートを抜けた広い通路もウッディな意匠(いしょう)が凝(こ)らされています。通路の先には天神屋がありました。
 
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快適な道をマイペースで走ったことで、今まで経験したことがない良い数値を燃費計が示しています。走行する車も少ないので引き続きエコ運転に徹することにしました。
 
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後日談です。新東名を往復ドライブして帰宅した翌日の4月23日にこの区間(上の写真に写る場所の3-km手前)で約90mの高さから落石(最大のものは約90cmx約40cmx約35cm)があり、大型トラックなど4台が乗り上げる事故が発生したことを知りました。防護ネットや柵が設置されるまでは車線規制が行われているようです。 

遠州森町PAに差し掛かりました。掛川PAから12.6kmの距離です。
 

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宿場町風のデザインがユニークです。森町(もりまち)は清水次郎長の子分である森の石松の出身地だとされますが、実在の人物かどうかは定かでないようです。
 
 
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フードコートも同様に和風の設(しつら)えです。左手にあるのは手前から、地野菜タンメンなどの麺類を提供する「遠州製麺所」・地元産の玉子を使った卵とじ丼が名物のどんぶり屋「のっけどん」・地元産のはまな豚の鉄板焼を食べられる「ぶたたま食堂」、右手は和菓子店「森の楽市茶屋」です。
 
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入口に一番近い場所にある森町茶屋では、駐車場で待つ同行者が好きな抹茶(まっちゃ)わらび餅(もち)と濃茶(こいちゃ)ソフトのどちらにするか迷いましたが、外気温が上がり始めていますから後者(バニラとのミックス)を選びました。
 
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写真には濃茶ソフトだけが見えていますが、左端にちょっと覗(のぞ)いているように反対側はバニラソフトです。急いで車に戻って撮影したのですが、もう溶け始めています。私がお裾分(すそわ)けを貰(もら)うことになり、濃茶とバニラを交互に食べると、ちょうど良い塩梅(あんばい)の味でした。私を待つ間に同行者は新東名の最新地図を眺(なが)めていたようです。
 
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(続く)

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2012年4月25日 (水)

新東名高速道路を走る 静岡SA

清水PAを出発してトンネルを2つ抜けると新清水JCTの案内標識が目に飛び込んで来ました。東名高速道路への分岐点ですが、ずっと先でも東名高速道路と合流出来ることが表示されています。ここはもちろん直進です。
 
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3つ目のトンネルに差し掛る場所にはさらに詳しい案内標識がありました。新東名と東名の両方とも順調に流れているようです。
 
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新清水JCTも御殿場JCTと同様に広々しています。東名への連絡路へ向かうアクセス道も2車線が確保されています。
 
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「ハイウエイラジオ放送中」の案内標識にまごつくことはもうありません。そして3車線の本線と登坂車線が遠方まで続きます。
 
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112.3kmポスト付近に観音像のようなものが見えました。こんなところに観音様がと思いながら撮影したのが下の写真です。後で調べてみてもお寺はこの付近に存在しませんから、地元の篤志家(とくしか)が建立(こんりゅう)したものでしょうか。
 
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トンネルを抜けて新静岡ICを通過します。
 
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新静岡ICを過ぎると新東名ならではの場所に差し掛かりました。トンネルが5本連続すると表示されています。その最初は内牧トンネル、次いで羽鳥トンネル・新間第一トンネル・新間第2トンネル・谷津トンネルが続きました。
 
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静岡SAには白地に赤系統の色を配したNEOPASA静岡が一際目を惹(ひ)きます。
 
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こちらにはテラス席が多数置かれています。
 
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中に入ると天井と床に赤系統の配色が華(はな)やいだ印象を与えます。
 
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通路が交差する左手角には洋菓子のアンデルセン。広島発のこのベイカリーはパンを提供することで童話作家アンデルセンのように豊かな暮らし(温かな居心地のよい雰囲気)を提供したいと創業したのだそうです。店先にはカフェスペースがあり、隣にはデニッシュ専門店「DANISH HEART(デニッシュハート)」が併設されています。
 
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右手のアパレルショップ ストリクト ジー(STRICT-G)はまだ開店していませんが、外から大きなガンダムが覗(のぞ)けました! ガンダムの新しいファッションのコンセプトショップ「ガンダムアパレル1号店」で、バンダイがエドウィンとコラボしたジーンズや、吉田カバンとコラボしたカバンなど、静岡SAでしか買えないグッズが置かれているようです。「001」は1号店であることを示しているのでしょうか。
 
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左手中ほどにあるフードコートの先にはシャワーやリフレッシュブースなどがあるドライバーズスポット「天神屋」がありました。静岡県内に弁当・惣菜屋を90店舗以上する会社が休憩施設に加えて静岡の食を提供する「現代の茶屋」でした。東名高速道路の牧之原SAにある仮眠所を時々利用する私には気になるスポットです。
 
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大きな観光マップには東名と新東名が並行して伸びる様子を確認できます。このボードではナビタッチ(NAVI TOUCH)が使えると表示されていますから、おサイフケータイを翳(かざ)せば詳しい観光情報が入手出来るようです。フェリカ(FeliCa)に対応していないアイフォーンは残念ながら使えません。ただただ地図を眺(なが)めました。
 
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窓側の大きな写真が目に入りました。静岡SAの航空写真上に本線への入り方が赤い矢印で示されています。小型車マス(駐車室あるいは駐車スペース)から右へ向かい、ヘアピンカーブで左へ折り返し、さらに右方向へ転回する複雑なルートです。これでは本線へ出る前に目が回ってしまいそう!
 
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(続く)

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2012年4月24日 (火)

新東名高速道路を走る 清水PA

新東名の上を跨道橋(こどうきょう、正式名は跨高速道路橋)が何本も並んで架かっています。新しい跨道橋はほとんど橋脚が斜めになった方杖(ほうじょう)ラーメン構造を採用しているため高速道路を利用するドライバーに圧迫感を与えませんが、スマート過ぎて、私は何か物足りなさを感じます。ちなみに、ここで言うラーメンとは私が好きな麺のことではなく、橋脚(きょうきゃく)と橋桁(はしげた)が一体となった「骨組」であることを意味するドイツ語(Rahmen)なのです。
 
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登坂車線が途切れる付近に奇妙な案内表示版が立っていました。一瞬何て読むのだろうかと面食(めんく)らいましたが、よく見れば「ハイウエイラジオ」が一文字毎段違いに表示されていたのです! なぜ?
 
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新富士ICを過ぎると新富士川橋(しんふじかわばし、長さ381mの鋼・コンクリート複合アーチ橋、土木学会田中賞を受賞)で富士川を渡ります。と新清水ICを通過し、新東名では2番目に長い富士川トンネル(下り線の長さは4545m、土木学会技術賞を受賞)を抜けた清水PAに立ち寄りました。残念ながら新東名には富士川(ふじかわ)沿いのSA/PAがないのです。その代わりに富士山のビューポイントがあるそうですが、この日の天気では・・。建物の入口には先ほどの駿河湾沼津SAと同じ躍動感のあるデザインでNEOPASA清水と表示されています。しかしモノトーンなカラーコーディネーションは落ち着いた(大人しい)印象を与えます。
 
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入口の左手に気になるウインドウディスプレイを見掛けました。今回初めて知りましたが、KUSHITANI PERFORMANCE STORE(クシタニパフォーマンスストア)はバイクウェアなどバイカーズ・ファッションの店です。蛇足ですが、ガラスの富士山マーク付近に写っている建物は喫煙所(喫煙者隔離ラウンジ!)です。
 
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その奥にはドライブと旅を楽しむためのアイテムを販売する店The Highway Store United Arrows(ユナイテッド・アローズ)がありましたが、残念ながらこちらもまだ開店していません。
 
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入口を入ってまだ開店していないこれらショップの間を抜けて「くるまライフ・コミュニティパーク」のエリアに向かいました。そして最初に出会ったのはYAMAHAのオートマチック・スクーターTMAX(総排気量500cc)です。
 
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中央付近にはミニカーとメカロボットのミニチュアが展示されています。ミニカーにはシボレー・カマロの文字が読み取れました。シボレーの2ドア・ハードトップ、クーペおよびオープンカーの名称です。
 
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この車ではありませんが、米国に住んでいた時には同じシボレーのフルサイズ(総排気量5000cc)に乗っていました。スイス出身のシボレー氏が創業して以来100年の歴史があるシボレーは戦前にGMの傘下へ入ってその一部門(ブランド)となっています。ちなみにシボレーの横方向に長い「十の字」のようなロゴマークはボウタイ(蝶ネクタイ)です。そしてフランス語であるシボレー(Chevrolet)はアメリカ人にも発音し憎(にく)いため、シェビー(Chevy)の愛称で呼ばれています。

一番奥には光岡自動車のBUBUミツオカのPRコーナーとシボレーSONICの展示がありました。この韓国GMで生産されるサブコンパクトカー(排気量1600cc)は日米以外でシボレー・アベオの名で販売されているそうです。
 
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こんなテーブルが1卓だけ置かれています。
 
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これら展示の横にあるフードコートに移動すると、高速道路のSA/PAに初出店した宮武讃岐製麺所(本場香川の讃岐うどん)では開店時間の午前7時を過ぎても大勢の店員さんが忙しく開店準備をしていました。さらに数分待つと店頭の照明が点灯しましたので、さっそくカウンターへ向かい、同行者は「釜揚げしらすぶっかけうどん」(並470円)を、私は「かけうどん」(並280円)に生玉子(50円)を注文しました。ちなみに「かけ」は「ぶっかけ」を略した表現ですが、この店で2つの使い分けは・・? 店内では手作業で捏(こね)たうどんの固(かた)まりを製麺機に投入しています。
 
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同行者と生玉子やしらすを交換しているうちに同じようなうどんが2杯出来上がっていました。瀬戸内海のいりこをたっぷり使った出汁(だし)とモチモチ感のあるうどんは期待通り。刻(きざ)みネギと天かすはサービスです。
 
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もう1つ候補に考えていた東京・青山にある寅福(とらふく)は午前9時の開店ですから、残念ですが大かまど飯丼ぶりは次の機会まで待つことに。いつの間にか店のシャッターが少し開きました。仕込みの準備が始まったようです。
 
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店先には大きな竈(かまど)が3つ並んでいました。
 
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お腹が満たされたところで外に出ました。NEOPASA清水の脇にあるマウンドが「富士山ビューポイント」かも知れないと思いましたが、それらしき表示は見当たりません。本線へ戻る時に見掛けた散策路のある小高い場所の方ではと思い直しました。
 
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南の方向はずっと谷のように低くなっています。山間(さんかん)に分け入ったような景色は中央自動車道に近いものです。
 
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滞在を堪能(たんのう)した清水PAを後に、名古屋方面へ向かいます。左側の建物は従来のものとイメージを一新して小奇麗(こぎれい)になったレストルームです。
 
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(続く)

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2012年4月23日 (月)

新東名高速道路を走る 御殿場JCT-駿河湾沼津SA

4月14日に新東名高速道路が御殿場JCTと三ヶ日間JCT(約162km)で部分開通しました。計画された海老名南JCTと豊田東JCT間の全線(253.2km)が開通するのは少し先です。例によって開通直後の混雑は避けて開通6日目の4月19日に早速開通区間をドライブしてみました。いつもは移動手段として利用する高速道路ですが、今回は高速道路自身が目的ですから、道路を走行した感想とSA/PAの人気スポットを中心に紹介します。新東名の詳しい情報はNEXCO中日本の関連hpを参照して下さい。

いつもより少し遅めに自宅を出発、東名高速道路をゆっくり走って到着した足柄SAで日の出を待ちました。この日の日の出時刻は午前5時4分です。朝方に雨が降ったようでSA内のアスファルトやタイルが濡れています。

生憎(あいにく)の曇天(どんてん)ですが、日の出時刻になると周囲が明るくなりましたので、予定道理に出発することにしました。見慣れた御殿場ICを過ぎるとすぐに御殿場JCTの案内標識があります。東名阪自動車道から新名神高速道路に入る亀山JCTと同様に長いアプローチ・レーンが続きます。
 
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御殿場JCTに差し掛かると片側2車線になりますからトラフィックが多くなっても余裕がありそうです。
 
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当初は片側3車線で建設する計画だったようですが、道路公団の民営化や高速道路の建設投資に対する厳しい世論などで2車線に変更されたのです。ただし設計速度は140km/時のままですからカーブが緩(ゆる)やかで、東名高速道路とはかなり雰囲気が違って見えます。ちなみに新東名の車線幅員は3.5m-3.75m(東名は3.6m)、最小曲線半径は3000m(東名のちょうど10倍)です。

その本線を4kmほど走ると裾野(すその)市に入りました。トンネルが多いと伝えられる新東名で最初に潜(くぐ)るのは今里トンネル(下り線の延長は774m、土木学会の技術賞を受賞)です。新名神のトンネルと同様に入り口が斜めにカットされたデザインは突入時の圧迫感を減少しています。門松(かどまつ)の竹の切り口のようです。ちなみに武田信玄に攻められて大敗した時に徳川家康が竹の先を武田武士の首に見立てて斜めに切って飾ったことが起源と伝えられるようです。
 
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東名の沼津ICに近い長泉沼津ICを通過すると駿河湾沼津SAが近づきました。
 
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開通翌日の日曜日には5-6kmの渋滞が発生したと報道された駿河湾沼津SAに立ち寄りました。何と言ってもオーシャンビューテラスからの展望がこのSAの売りのようです。
 
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障害者用駐車スペースの配置が従来の並列方式から縦列方式に変わっています。ドライブスルーのように便利で良いアイディアだと思いましたが、2台目の車が先に出発するには・・?
 
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赤字でNEOPASA(ネオパーサ)駿河湾沼津と表示された建物はインパクトがある外観です。
 
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館内に入ると広い通路の両側に店舗が配置されています。
 
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展望テラスへ出てみました。
 
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沼津市内と駿河湾が望めます。残念ながら西伊豆の大瀬崎付近は霞(かす)んでいます。帰路にもう一度立ち寄ってみたくなりました。
 
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駐車場に戻って富士山方面を望むと愛鷹山(あしたかやま、標高1187m)は雲に隠れて見えませんが、右手にはその山麓にある高山(標高392m)と思われる山が薄(う)っすらと見えました。
 
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さらに右手を見ると展望台のようなマウンド後方の空が明るくなって来たようです。このSA内にはドッグカフェとドッグランがあるため犬を散歩させながらSA内を散策する人を見掛けました。右手前の施設は電気自動車用急速充電システム(1充電当たりの料金は100円)です。ITSスポットと表示された場所は高度道路交通システムで、ITS対応カーナビを利用すれば高速で大容量の交通情報を受け取ったりインターネットサービスを利用できるスポットです。
 
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カーナビでこのSAの場所を確認すると東名の愛鷹SAの少し先に位置しています。私のカーナビにはまだ新東名がまったく表示されません。海岸にJR東海道本線の原駅の名前が確認できます。旧東海道の原宿へ立ち寄った時に通過した場所です。
 
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雲の間からやっと太陽が覗(のぞ)きましたので、さらに先を目指します。
 
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(続く)

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2012年4月18日 (水)

古くなったパソコンのリサイクル

昨年5月の大掃除で廃棄を見送った初代iMac G3といよいよ別れることにしました。1998年8月に発売されたお結び(オニギリ)のような外形をしたディスプレイ一体型デスクトップパソコンです。もちろん色はその鮮やかさに衝撃を受けたボンダイブルー(Bondi Blue)。キーボードとマウスも半透明とボンダイブルーであり、デザインに統一感を持たせています。アップル社に復帰したスティーブ・ジョブス氏が中心になって開発され、今日のアップル社隆盛の切っ掛けになった記念すべき製品でした。

わが家にこのiMac G3(Rev.B/Mac OS 8.5)が出現したことで、米国で購入して愛用していた同じアップル社のMcIntoshsiと2台使いになりました。後者を身内に譲ったためメインパソコンとなったiMac G3(Rev.B)OSのアップグレードがMac OS 9までに限定され、Mac OS X(てん)には対応していないため、そこでアップグレードは打ち止めになってしまいました。そして、いつの間にか内臓電池も切れて時計機能が止まった状態に陥っていました。秋葉原では互換性のある電池を入手することが出来るようですが・・。そして最近は、時々電源を入れて動作確認をするだけになっていました。

私の作業部屋にもう少し余裕があればiMacをアーカイブの一つとして眺めていたいところですが、前回の大掃除から1年近く経ったことでゴミ部屋に戻りつつあるため、リサイクルする決断をしたのです。特定の家電製品(エアコン・テレビ・冷蔵庫・洗濯機)は家電量販店などが有料で扱ってくれます(関連記事;昨年末にリサイクルしたブラウン管式テレビ)が、パソコン関連製品はメーカーに直接依頼する必要があります。ちなみに、これらはいずれも自治体が扱う「粗大ごみ」に該当しません。

リサイクルの手順を簡単に説明しましょう。iMacの場合は先ずアップル・リサイクルセンター(0120-924-501)へ電話して手続きを依頼します。料金の支払いはクレジットカードまたは後日送付されて来る振込票で行います。支払いが確認されると、上記のリサイクルセンターからリサイクル券が送られて来ますから、パソコンおよびキーボードやコード類などをまとめて梱包(ダンボールあるいはゴミ袋を2枚重ね)した表面にリサイクル券を貼り付けます。返送方法は指定された郵便局へ持ち込むか、自宅での引き取り(追加料金なし)をその郵便局に依頼します。

返送に当たって注意することはただ一つ、ハードディスク(HDD)に記録されたデータを完全に消去することですが、これは意外に大変な作業なのです。ご存知の方は読み飛ばして下さい。パソコンを使用している時のデータ削除は当該ファイルを「ゴミ箱へ入れる」(所在を隠す)だけなのです。

しかし、これでは専用のソフトウェアを使うと復元される可能性が高くて危険です。このリスクを無くすには専用のソフトウェアが必要です。もう一つの乱暴な方法は物理的に破壊する(穴を開ける・押し潰す)ことですが、頑丈なHDDを破壊するのは私の経験からみて危険ですから、専用工具を持たない人は避けるのが賢明でしょう。それではどうすれば良いのでしょうか? 一番合理的な方法はパソコン本体から外して、外付けHDDとして使い回すことだと思います。いわゆるHDDケースと呼ばれる製品に収容し直すのです。以前はかなり高価(約1万円)でしたが最近は2千円前後で購入できます。

2012_03030016 通販サイトでは1000円以下でも購入できますが、単価が安いため送料が有料である(数百円も掛かる)ため、私は近くのPC量販店で購入しました。「玄人志向」2.5型ハードディスクケース(GW2.5AI-U2)です。知らないブランドであるだけでなく、電話やメールでのサポートをしないと商品棚に表記されています! 1270円と安価ですからモノは試しと購入。注意するポイントは転用するHDDIDAタイプとSATAタイプのいずれであるかを確認し、それに合ったケースを選ぶことです。

2012_03030010 昨年リサイクルしたラップトップPCWindows)で使っていた10GBHDDIDAタイプ、2.5インチ型)で試してみました。上記の理由から本体のリサイクル前に取り外してあったものです。ケースにそのHDDを収容して添付されたUSBコードでノートPCWindows XP)へ接続すると、青色ランプが点灯したのち表示が赤色に変わると同時に、ディスクが動き始めましたが・・・。しかし、いつまで待ってもPCが外付けHDDを認識しないのです。念のために給電用のコードも別のUSBコネクタに接続しましたが事態は何も変わりません。

2012_03030002 やはり「安物買いの銭失い」かと思いながら、別のノートPCWindows 7)に接続すると様子が違うようです。今度は認識してくれてアクセス出来ました。試しにエラーチェックとデフラグ(最適化)を行うと快適に動作しています。ファイルを確認しながら削除していると、Windows OSファイルが残っていることに気付きました。これが先ほどのPCに対して悪さをしていたのかも知れません。ついでに初期化も行いました。そして上手く行かなかった最初のPCに接続し直すと、何事も無かったように正常に動作します。「これにて一件落着」と言うよりも、お粗末(そまつ)な顛末(てんまつ)でした。

iMac G3に内蔵されていたHDDは約4GB(同じIDEタイプ、ただし3.5インチ型)ですから購入したHDDケースに入れて使えそうです。容量は少ないのですが予備用として保管することにしました。リサイクルする時に限らず、パソコン本体のHDDは消耗品と割り切り、故障する前(2年を目安)に交換して外付けHDDへ転用することも良いと思います。ちなみに、最近注目されるフラッシュメモリーを使うSDDSolid State Drive)は信頼性と応答速度がHDDより大幅に改善されています。いずれにしてもパソコンやスマートフォンなどの情報機器でセキュリティを守ることは色々大変なのです。皆さんの参考になれば幸いです。
 

<参考情報> iMac G3におけるHDDの取り外し(交換)方法を以下に説明します。
 

2012_03030046 広いスペースにiMac G3を後ろ向きにして置きます。
 
 
 
 
 

2012_03030047 先ず半透明の上カバーを外します。ドライバーなどを使ってカバーに傷を付けないよう慎重に(少しずつ)浮かせて、指が入るようになれば、あとは簡単に外れると思います。四角い箱はHDDではなく光ディスクドライブでした。
 
 

2012_03030050 次いで写真のように3つのコネクタを外します。
 
 
 
 
 

2012_03030054 さらに手前にあるネジを外してから金属製のシャーシー(台)を慎重に引き出します。
 
 
 
 

2012_03030051 そのシャーシーを裏返して横に置きました。
 
 
 
 
 

2012_03030055 ラベルが貼られた四角い部分の蓋を開けるとHDDが露出します。 
 
 
 
 

2012_03030057 止めネジを外してHDDを慎重に引き出します。出てきたのは米国ウエスタン・デジタル社の製品でした。同社は同じ米国のシーゲート社と並ぶ世界的なHDD製造企業です。ちなみに、業界再編が進んだことで2社の世界シェア計は約9割に達しています。 
 

2012_03030064 最後にコネクタをすべて外します。取り外したHDDを裏返して撮影しました。そして、以上と逆の手順を行えば作業は完了です。

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2012年4月16日 (月)

東京スカイツリーを間近で眺める

2週間ほど前のことですが墨田区押上(すみだくおしあげ)を訪れました。目的はもちろん東京スカイツリーです。当ブログはこれまでずっと東京スカイツリーの成長を見守って来ました。最初は基礎工事が終わってタワーの地上部分の工事が始まった3年前の2009年2月、次いで大手町のホテル(2009年11月)、東京ベイホテル東急(2010年4月)、首都高速6号向島線(2010年9月)、環七の鹿浜橋(同)、都立若洲海浜公園(2011年1月)などです。

3月末のタイミングを選んだのは、オチビちゃんとコチビちゃんが春休みに遊びに来てくれた時に、二人のお母さんから東京スカイツリーを見せたいと言われたからです。車では却(かえ)って不便ですから電車を利用することに。駅の数を数えたり、駅名を教えたりしながらの楽しい車中になりました。

2012_04050002 東京メトロ半蔵門線押上駅を出て周囲を見回しましたが、お目当ての東京スカイツリーは見えません。少し左手に歩くと見えました。高層ビルの東京スカイツリー・イーストタワー(オフィスと教育施設が入る予定)に隠れていたのです。(今回は縦長の写真が多いため両サイドに白地のボーダーを付けてレイアウトを統一しました) 

この押上駅は「東京スカイツリー前」の副駅名が5月22日に東京スカイツリーが正式にオープンする時に使われることが2月に発表されています。一方、東武鉄道伊勢崎線の業平橋(なりひらばし)駅は訪れた日の10日ほど前に「東京スカイツリー駅」へと名前が変更されています。そして伊勢崎線には「東京スカイツリーライン」の愛称が付けられたそうです。由緒ある業平の名が駅名から消えたことはとても残念ですが、業平橋と業平の地名が変わるわけではありませんから・・。

2012_04050003 駅前のバス停付近はまだ工事中です。「東京スカイツリータウン」(東京スカイツリーとその周辺の施設を含む総称)や「東京ソラマチ」(押上駅と東京スカイツリー駅の間に出来る長さ約400mの複合施設)の看板を見掛けました。いずれも5月22日にオープンするようです。 
 

2012_04050007 東京スカイツリー脇を流れる北十間川(きたじっけんがわ)に架かる京成橋(けいせいばし)は東京スカイツリーの写真を撮影する人たちでごった返していました。川の名前は墨田区本所(ほんじょ)の北を流れる幅が10間(約18m)の運河であったことによるようです。 
 

2012_04050008 私もさっそくシャッターを押しました。京成橋の欄干(らんかん)がちょうどイーストタワーと重なりました。よく見ると「フーテンの寅さん」が欄干の装飾に使われているステンドグラスの左下に小さく描かれています。余談ですが、東京スカイツリーは中国語(台湾)で東京晴空塔と呼ぶそうです。 

2012_04050010 東京スカイツリーの足下(あしもと)を見ると北十間川で護岸(ごがん)工事が行われて3年余前の景色とは一転してしまいました。
 
 
 

2012_04050012京成橋を渡った先にあるマクドナルド押上駅前店で昼食です。ここは3年前訪れた時にビューポイント候補として目を付けて置いたスポットなのです。 
 
 
 

2012_04050015私は「さくらてりたま」、オチビちゃんとコチビちゃんは「 てりたま」「スイートコーン」「チキンマックナゲット」「マックフライポテト(フレンチフライ)」を注文して、一足先に3人で2階席へ上がりました。 
 
 

2012_04050016 窓際のカウンター席から見た東京スカイツリーは期待通りです。ちょっと残念なことにタワーの下部は向かい側のビルで隠れていますが・・。
 
 
 

2012_04050017 オチビちゃんはさっそく食べ始めました。
 
 
 
 
 

2012_04050018 そしてコチビちゃんも・・。
 
 
 
 
 

2012_04050019 そこへ二人のお母さんと同行者も第2陣のハンバーグを持って合流し、テーブル上が賑(にぎ)やかになりました。
 
 
 
 

2012_04050020 アイフォーンで確認するまでもありませんが、マクドナルドの店の位置(押上駅前交差点角)です。そして意外なことを発見しました。1カ月前(3月17日)に「とうきょうスカイツリー駅」に改称された「業平橋駅」の名前が元のままなのです。   
 

2012_04050021 右手にある京成橋を上から眺めた様子です。
 
 
 
 
 

2012_04050024 北十間川沿いに東へ歩きました。こちら側でも護岸工事が行われています。緩(ゆる)やかなスロープがあるのは良いのですが、すっかりコンクリートに覆(おお)われて殺風景なことは残念です。ちなみに写真の奥に写っているのは先ほど渡った京成橋。
 

2012_04050025 西十間橋(にしじゅっけんばし)の方向に目を移すと、わずかばかりですが、植栽(しょくさい)があることは救いでした。水色に塗られたものは水道管のようです。
 
 
 

2012_04050027 西十間橋から見た東京スカイツリー
 
 
 
 
 

2012_04050028 こちらは今や定番の川面に写る逆さ東京スカイツリー
 
 
 
 
 

2012_04050036 北十間川の南側に伸びる路地で振り返って撮影しました。これもどこかで見たような構図です。
 
 
 
 

2012_04050040 隣の十間橋でもう一枚
 
 
 
 
 

2012_04050047 少し離れたこの場所からは、ズームアップすれば、頂上部の様子がはっきり見て取れます。ちなみに東日本大震災で頂上部にあるアンテナが少し折れ曲がり、その直後に応急処置された東京タワーは現在修理作業が行われているようです。 
 

2012_04050041護岸工事に断面がL字型をしたコンクリートブロックが使われている様子がよく分かります。
 
 
 
 

2012_04050042 十間橋の先は元のままの北十間川でした。この先は旧中川との合流点まで続いています。右手方向に伸びるのは横十間川で、以前訪れた猿江恩賜公園の脇を通過して、江東区東陽で大横川に合流します。 
 
 

2012_04050051 十間橋で折り返して駅方面へ戻りました。オチビちゃんとコチビちゃんのお母さんはテレビ番組で観た押上通り商店街とおしなり商店街へ行きたいと言うので、全員で足を伸ばしましたが、テレビ番組の印象とは違うといって残念そう。テレビ番組は「良いとこ取り(撮り)」で上手く編集されているからでしょう。
   

<同行者のコメント> いつも通りに事前調査が行き届いた旦那様はボランティアのベテランガイドさんのようで、東京スカイツリーがよく見える場所を何か所も回ることが出来ました。そして、めったにマクドナルドを利用しない旦那様も、オチビちゃんとコチビちゃんが一緒だと、期間限定のハンバーグを喜んで食べていました。

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2012年4月14日 (土)

ひと駅散歩 神保町から九段下へ

「ちい散歩」がもうすぐ終わってしまうそうです。私は2006年4月にテレビ朝日で放送が始まって7年目に入ったこの番組が好きなのです。千葉県匝瑳(そうさ)市出身の俳優・地井武男さんが様々な場所で気ままに散歩するのですが、地井さんの人柄とテレビ番組的な演出を抑えた番組展開に好感が持てます。しかし、昨年2月に地井さんが体調を崩されてからは、再放送や総集編などの形で続けられて来ましたが、地井さんの復帰にはもう少し時間が掛かることが分かって番組の打ち切りが決まったそうです。とても残念です。地井さんが一日も早く回復されますことをお祈りします。

この番組の人気コーナーを真似(まね)て、当ブログも「ひと駅散歩」の記事を2回(渋谷-代官山蒲田-矢野口渡)投稿しましたが、いずれも似ても似つかないものになってしまいました。それにも懲(こ)りず、「ひと駅散歩」にもう一度チャレンジしたいと思います。今回も風景を眺めながら歩くだけの散歩です。少し脱線しますが、最近トレーニングジムへ通い始めました。これまでも、根を詰めて仕事をした後の気分転換にスイミングへよく出掛けていますが、体力の維持増強と健康の増進のため足に筋力(特に第2の心臓とも呼ばれるふくらはぎ)をつける必要があると思ったのです。初心者ですからランニングマシンを使っての歩行やエアロバイクのペダルを踏むことなどで、衰(おとろえ)えを感じ始めた足の訓練からスタートしたところなのです。

御託(ごたく)はこれくらいにしましょう。東京メトロを神保町(じんぼうちょう)駅で下車しました。この日の午後、九段下駅近くで所用があるのですが、少し時間の余裕があったため隣駅で下車したのです。ちなみに、神保町には明治大学・法政大学・日本大学・専修大学・東京電機大学・東京医科歯科大学・順天堂大学・共立女子大学などがあったことで書店や古書店だけでなく、出版社や印刷工場などが多いことで知られています。それに喫茶店やカレー店などの飲食店も多く、あちこちの店先でオフィス勤務者たちの行列が出来始めていました。お決まりの地名の由来です。江戸時代のことですが、室町時代から続く神保(じんぼう)氏の屋敷がこの辺にあって、その屋敷前の道を神保小路と呼んだことによるとされます。

2012_04120012 靖国(やすくに)通りを西へと歩いて専大前交差点を渡ると俎橋(まないたばし)交差点です。神保町方面を振り返って撮影しました。
 
 
 

2012_04120011 俎板橋が架かる日本橋川の上には首都高速5号池袋線が走っています。
   
 
 
 
 
2012_04120013 高速道路が日本橋川の流路に合わせて大きく左へカーブする場所に「一橋出口」の案内標識が見えます。当ブログでは一橋徳川家と一橋大学に触れています。
 
 
 

2年前に九段界隈の記事で紹介したように橋の名前は俎板のような板橋であったことが由来とされます。ちなみに「俎板」(真魚板)は名前通りに真魚(まな、つまり食用の魚)を包丁で切る時に使う台でした。その他にも真菜(まな)が由来であるあるとする説もあるようです。「菜」は現在の言葉で野菜を指しますが、昔は食材全体を意味していたようで、「真菜」はその代表格である肉や魚のこととされます。

2012_04120015 俎橋を過ぎた場所からと首都高速竹橋JCTの案内標識を見ることが出来ます。
 
 
 
 

このJCTの名前を見て思い出しました。30年以上前に当時ボクシングの現役世界チャンピオンであった大場正夫さんがコルベットを運転中して竹橋JCTのすぐ北にある飯田橋のカーブで死亡事故を起こしたことです。この区間は首都高速道路で急カーブが続く難所なのです。その理由は江戸時代からある川(複雑な流路)の上に首都高速道路が建設されたことです。

2012_04120016俎橋を振り返りました。神保町交差点付近が小さく見えます。
 
 
 
 

2012_04120014 前方に九段下交差点が近づきました。左手に見える昭和館は九段下界隈の記事でも簡単に触れていますが、昭和10年から同30年頃までの戦前・戦後における国民の生活を展示する国立の施設です。
 
 

2012_04120018 九段下交差点です。昭和館がすぐ目の前に聳(そび)え、前方には靖国(やすくに)神社の鳥居が見えます。
 
 
 
 

2012_04120019 交差点を右折すると元飯田町の旧地名が説明されていました。
 
 
 
 

2012_04120022 次の交差点から西方に中坂が見えます。江戸時代には江戸城に勤務する役人が住む御用屋敷に日用品を提供する町屋が並ぶ賑やかな場所だったそうですが、今はその雰囲気はまったく感じられません。御用屋敷は今風に言えば国家公務員宿舎でしょう。
 

2012_04120023 道路を一本東側に入ったオフィスビル内にあるベルサール九段には何故か東京大学の入学記念撮影会場(小さな部屋)が設けられて、そこを出入りするのは親子連れ(母と息子、それに祖母と思われる人も)のようです。 
 
 

2012_04120025結婚式の祝辞ではありませんが、「ご両親とご親族の皆様もさぞやお喜びのことと存じます」の常套句(じょうとうく)が思い浮かびました。
 
 
 

2012_04120026所用を終えて九段下交差点から靖国神社へ向かう九段坂(くだんざか)を歩きました。九段の名の由来も上記のブログ記事で紹介しています。江戸幕府が四谷台地から神田方面へ下る傾斜地に石垣を9段築いて上記の御用屋敷を造ったことによります。

 

2012_04120032写真を撮影するため靖国通りの横断歩道橋に上がってみました。(写真は西方向)
 
 
 
 

2012_04120031桜の花を撮影しようと思ったのですが、花見客とは違う人の列が武道館の方から九段下駅の方へ戻って来るのです。(写真は北の丸公園の入口付近)
 
 
 

2012_04120035 東京大学の入学式が北の丸公園の日本武道館で開かれていたようです。もし秋入学の制度が導入されると、この風景はもう見られないのかも知れません。ちなみに、前回訪れた時にはZARDの坂井泉水さんを偲(しの)ぶコンサートが開催されていました。
 

2012_04120044 牛ヶ淵(うしがふち)と桜を撮影しました。武道館の屋根が少し覗(のぞ)いています。坂が急であったため車を引く牛がよく落下したことから名付けられたとも言われます。西側にある有名な千鳥ケ淵は形が千鳥(ちどり)のようであったからとか・・。   
 

2012_04120037 水面に花筏(はないかだ)が見られます。尖塔(せんとう)のような立体駐車場の先に見える古い建物は九段会館(旧軍人会館)です。昨年の東日本大震災の時に天井が落下して犠牲者が出るという痛ましい事故がありました。現在は閉館しているようです。 
 

2012_04120047花筏をクローズアップして撮影するためにアングルを変えると、青いオオアラセイトウ(別名は紫花菜)がアクセントになっていました。
 
 
 

2012_04120045 土手には菜の花も見られます。
 
 
 
 
 

2012_04120039 田安門(たやすもん)を覆(おお)うように咲き誇(ほこ)る桜を後にして、歩道に溢(あふ)れる歩行者たちの流れに押されるように九段下駅へ向かいました。

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2012年4月12日 (木)

東北ドライブ旅2012春 雪の東北自動車道

2012_03240444 国道7号から東北自動車道のアクセス道路に入るとおよそ1kmで青森IC(料金所に差し掛かりました。これから川口JCTまで680kmの東北自動車道が待っています。
 
 
 

2012_03240448 道路脇の温度計は1度を指していました。相変わらす雪がチラついているなか、川口JCTから675.5kmのポストを通過します。
 
 
 

2012_03240449 急に雪が強く降り始めました。
 
 
 
 
 

2012_03240450 大鰐弘前((おおわにひろさき)ICを過ぎた大鰐トンネルを通過します。
 
 
 
 

2012_03240451 除雪作業中の表示が出ています。
 
 
 
 
 

2012_03240456 走行車線も白くなり始めたと思うと、車の外気温計が0度に下がっていました。そして「速度落とせ ユキ」の表示も出されていました。 
 
    


2012_03240461 十和田ICを通過、案内標識が読みにくくなりました。前方を車を荷台に載せた大型トラックがゆっくり走っています。いつもであれば直ちに追い越すのですが、この時ばかりは天の助けと車間距離を保って追従(ついじゅう)することに。シャーベット状の雪をタイヤで飛ばしてくれますから、後続車は運転がし易(やす)いのです。 

2012_03240464 そのトラックはいなくなったあと除雪車に追いつきました。その跡を付いて行けば安心だと思ったのも束の間、親切にも除雪車に道を譲(ゆず)られてしまいました!
 
 
 

2012_03240466 鹿角八幡平(かづのはちまんたい)ICを通過。前方からフロントガラスへ向けて、まるで弾丸(だんがん)のように飛んでくる雪がこの写真に写っています。 
 
 
 

2012_03240467 合流地点で別の除雪車が一時停止しています。マラソンのペースメーカーではありませんが、雪道では除雪車に先導して欲しいのですが・・。
 
 
 

2012_03240468 八戸自動車道で事故、東北自動車道も安代-松尾間で除雪作業中と表示されています。
 
 
 
 

2012_03240471 八戸自動車道との分岐点である安代(あしろ)JCTです。
 
 
 
 
 

2012_03240472 前方に車列が出来たと思えば、外気温は氷点下にまで下がりました。
 
 
 
 

2012_03240474 岩手山SAで休憩を兼ねて降雪の様子を見ることにしました。大きな轍(わだち)の跡が出来て、SA内は非常に歩きにくくなっていました。
 
 
 

2012_03240476 岩手県を南下するに従って雪の量は少なくなり、前沢・平泉ICに差し掛かる頃には路面の雪はすっかりなくなり、空も明るくなり始めました。前方中央に見える城が気になりました。後で調べると、本物の城ではなく衣川(ころもがわ)城の観光用模擬天守(1970年に岩手国体を記念して建てられた衣川収蔵庫懐徳館)でした。

2012_03240479 栗原市の金成(かんなり)PAの名前に興味を惹(ひ)かれて立ち寄ってみました。立看板の説明を読むと、『このPA一帯は遠い昔、砂金で栄えたところで、奈良東大寺大仏造営に献上され、商人の金売吉次(かねうりきちじ)はその黄金で藤原文化を支えた。藤原秀衡(ひでひら)のもとへ義経を連れて来た人物である』と説明されています。

2012_03240480 青空になった頃には日が沈み始めました。
 
 
 
 
 

2012_03240481 それにも拘(かかわ)らす外気温も5度まで上昇しました。 
 
 
 
 

2012_03240484 仙台市の中心部まで約10kmの地点にある富谷(とみや)JCTは塩釜(しおがま)方面へ行く仙台北部道路との分岐点です。仙台市の市街地に近いICでは日もとっぷり暮れてしまい、渋滞を心配した仙台宮城IC付近と仙台南IC付近も車の量は増えましたが何とか通過、真っ暗な山道を走りました。 

2012_03240487福島県に入りました。当初から予定していた国見SAでちょっと遅めの夕食です。私はそれほどお腹(なか)が空いていませんので、トンカツを食べたいという同行者と相談して、もう一品は軽いメニューにしました。わらび餅(もち)セット(400円)です。アイスクリームが付いていて美味しいのですが、同行者はわらび餅の量が少ないと・・。

2012_03240493 味見をさせて貰(もら)っていると、もう一つの番号を呼ばれました。カウンターで受け取った会津ソースかつ丼(1050円)は予想以上のボリュームがありましたが、2人掛(が)かりで何とか食べ切ることができました。「ちょうど良かったわね!」と言う同行者は立ち直りが早いのです。 

福島県内の真っ暗な東北自動車道を順調に走って栃木県に入りました。宇都宮ICに近づくと綺麗(きれい)な夜景が見えました。後は埼玉県内で渋滞が発生しないことを祈るだけです。その祈りが通じたのか、それほどの混雑には遭(あ)わないで首都高速に入り、江北(こうほく)JCTを右折して中央環状線を快調に走りました。予定よりも速いペースですから雪による遅れも取り戻せそうです。しかし「好事(こうじ)魔多し」の諺(ことわざ)通りに、池尻(いけじり)JCTに差し掛かったところで突然渋滞が発生し、片側1車線の2重ループ内でノロノロ運転が続きました。

JCTの出口で接触事故でも起きたのかと思いましたが、混雑する首都高速3号渋谷線との合流点で発生した自然渋滞でした。中央環状線は池尻JCTまでしか完成していませんから、2車線の中央環状線を走って来た車は池尻JCTで1車線に絞(しぼ)られて、混雑する渋谷線に合流するしかないのです。渋滞が発生するのは当然のことかも知れません。中央環状線が大井JCTまで一日も早く延長されることを願うばかりです。
 
最後に、今回のドライブ旅の総走行距離は約1930km、平均燃費は22.9kmでした。燃費が今ひとつの結果になったのはやはり雪の所為(せい)だったようです。
 
<同行者のコメント> 雪が積もる高速道路ではとても怖い思いをしました。路肩に横転している車を見たからです。それでも平気で運転する旦那様は何を考えているのでしょうか。そうそう、ずっと前のことですが、雪が積もる蓼科の山道でスリップしたことを今でもよく覚えていますよ。でも、旦那様が選んでくれたいくつもの温泉に入ることができたことは良かったです。同じ青森でも温泉の湯はそれぞれ違うのですね。(終)

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2012年4月11日 (水)

東北ドライブ旅2012春 三内温泉と青森ラーメン

2012_03240412 三内丸山遺跡から東北自動車道の青森IC方面へ800mほど走った青森IC脇の交差点を左折して、さらに200mほど走った左手にそれらしき施設が見えました。三内(さんない)温泉です。かなり古い建物には「自然の霊泉長命を寿(ことほ)ぐさんない温泉」の看板が掛けられています。   

2012_03240421 ガラス戸を開けて館内に入ると左手に新しい券売機が2台並んでいます。入浴券は大人が390円と地元銭湯と同額の格安料金です。 
 
 
 

2012_03240422北国ならではの二重ドア構造ですが、2つ目のガラス戸はこの建物全体の雰囲気に似つかわしくない自動ドアになっています。 
 
 
 

2012_03240420自動ドアを通過した場所にある受付に入浴券を渡してロビーに入りました。右手の食堂と宴会場に入る廊下や2階に上がる階段もありますがこのエリアは営業していないようで立ち入れません。左に折れた場所になぜか洒落(しゃれ)た公衆電話ボックスがありました。携帯電話を持たない年配の入浴客が連絡用に使うのでしょう。

2012_03240413 大浴場と表示されたガラス戸の先は脱衣場かと思いましたが、ホールのような広い場所になっていました。
 
 
 
 

2012_03240418 これも北国らしく大型の暖房機が2台設置されています。その間に立派なスピーカー付きテレビ台(シアターラック)が置かれていますが、それに載るべきテレビなどが見当たりません。故障したのでしょうか。枝葉(しよう)なことが気になるのは私の悪い癖(くせ)なのです。 
 

2012_03240419 反対側には応接間に使われるようなソファーが並んでいます。ここまで観察したことから、三内温泉が以前はヘルスセンターだったのではないかという気がしてきました。
 
 
 

2012_03240415 男湯と表示されたドアを入ると、やっと脱衣場にたどり着きました。ここでも立派なストーブが部屋を暖めてくれています。雪の三内丸山遺跡を歩き回って冷えた身体が徐々に温まります。
 
 

2012_03240417 ガラス越しに利用客が途切れた浴室を撮影しました。浴室内に充満した湯気ではっきり写っていませんが、女湯との間にある大きな壁(屏)から湯がとうとうと浴槽へ流れ落ちています。泉質は含硫黄-ナトリウム-塩化物泉(硫化水素型)、源泉の温度46℃で、地下750mから汲み上げた湯をそのまま掛流しているようです。

長方形の大きな浴槽の周辺の床は踏み固めた雪のように凸凹しています。濃厚な硫黄(いおう)成分がこびり付いて模様を描いているのです。埼玉県にある白寿の湯(現在の神流川温泉湯郷白寿)の赤茶色とは好対照の白っぽい色です。黄緑色をした熱目の湯に気を付けながら浴槽にそっと入りました。浴槽の底がざらついていることが少し気になりました。草津温泉の西の河原露天風呂でも同様の経験をしています。熱い湯で上(のぼ)せてないように浴槽を出て一旦身体を休ませました。そして、もう一度浴槽に浸(つ)かりながら硫黄臭(いおうしゅう)のある硫黄泉をたっぷり楽しみました。

2012_03240424 身体が温まったところで、ちょっと遅めの昼食です。今回のドライブ旅では海鮮料理を中心に選んできましたから、最後はラーメンにすることにしました。青森にはご当地ラーメンと言うものは無かったようですが、最近はサッポロラーメンをベースとした「青森味噌カレー牛乳ラーメン」なるものを地元のラーメン店グループPRしているようです。

2012_03240425 そのラーメンを出す店は市内に何軒かあるようですが、青森市の中心部も久しぶりに訪れてみたくなり、にも行ってみたくなり青森駅近くのラーメン専門店「味のサッポロ浅利」へ向かいました。正面に見えるピラミッド形をした建物は青森県観光物産館「アスパム」で、電線が地下化されていてすっきりした町並みは好感が持てます。 

味噌ラーメンのルーツのひとつと言われる札幌「満龍」の流れを汲む「味の札幌 札幌館」が青森店を出したところ、青森では札幌ラーメンの評判が芳(かんば)しくなかったため、青森の人たちに受け入れて貰うために改良して生まれたのが「青森味噌カレー牛乳ラーメン」で、「浅利(あさり)」の店主はその2番弟子に当たるそうです。近くの有料駐車場に車を停めました。後で知ったことですが、向かいのホテルサンルートの駐車場を利用してこの店の押印を貰えば、1時間無料のサービスを受けられたのです。

2012_03240426 目的の店はホテルアベスト青森の隣にあるメゾン丸藤の1階にありました。赤い看板に「分店」の文字があります。ちなみに本店は20年近く前に閉店しており、1番弟子の店「味の札幌大西」も同じ通りにあります。奥に細長い店内に伸びる細長いカウンター席はほぼ万席でしたが、幸運に奥の方に2-3席が空いていました。

2012_03240430 私は始めての店で注文することにしている「塩ラーメン」(650円)を、そして同行者には有無を言わさず「味噌カレー牛乳ラーメン」(750円)を勧(すす)めました。両方の味を楽しみたかったからです。
 
 

2012_03240439 手狭な店内の壁には所狭(ところせま)しと色紙が貼(は)られています。
 
 
 
 

2012_03240429 額に入った色紙は有名な人のものと思われますが・・。
 
 
 
 
 

2012_03240438次々と注文が入りますから、ご主人と奥様の二人だけで作るのには時間がかかるようです。待つうちに段々期待が高まりました。それに、午後1時を大分回って空腹感も最高潮に達し、「ついに発売」のキャッチフレーズのある「味噌カレー牛乳ラーメン」のPRプスターが目の前にも貼ってあるのです。 

2012_03240434 先に配膳された「塩ラーメン」のスープは見た目に醤油ラーメンのような色をしています。さっそく味わうと、私好みのさっぱり系ではありませんが、中太の縮れ麺と濃(こ)くのあるスープが上手く絡(から)んでいます。塩ラーメンなどを注文した私はやはり他所者(よそもの)だったようで、この店は札幌味噌ラーメンの店なのです。

2012_03240435 期待した「味噌カレー牛乳ラーメン」は、もやし・わかめ・チャーシュー・シナチクとバターが載せられた白味噌系のラーメンに見え、これでコーンがあれば味噌バターラーメンの風情。味噌とカレーは相性が良く、バターの風味が加われば美味しくないはずはありません。インパクト指向がある最近のラーメンとは一線を画したマイルドなラーメンでした。

2012_04110075 同行者も気に入ったようで、お土産に「味噌カレー牛乳ラーメン」(麺と味噌のセット)を何パックも買い込んでいます。写真は帰宅後に撮影したものです。
 
 
 

2012_03240441除雪された雪が歩道にまだ残る青森市の中心部を後にして帰路につきました。(続く)

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2012年4月10日 (火)

東北ドライブ旅2012春 三内丸山遺跡(後編)

2012_03240383 三内丸山遺跡の説明板に名称が書かれていたこの北盛土は『竪穴住居などを掘った土や、炉の灰・焼け土、土器などの生活廃棄物を約1000年間にわたって繰り返し捨てた結果、小山のようになった場所で、この周辺一帯に何層にも重なって拡がっている』と説明されています。
 

2012_03240384 順路に従って左にカーブすると「子供のお墓」にでました。先行していたガイドツアーの一行に保存ドームで追いつきました。説明版には『この周辺ではこれまで約550個の埋設土器が集中して見つかっている』と書かれています。 
 

2012_03240386 ドームの中心にある四角い穴のそこには発掘調査された時のままの埋設土器が並んでいるのを見ることが出来ます。ガイドさんから子供のお墓は住居に近い場所 にまとめて作られたことと、白い部分は後の時代に造られたお墓であるとの説明を受けました。 
 

2012_03240389 すぐ近くにある別の保存ドームには大型掘立柱建物跡が収容されていました。『直径が約2m、深さ約2mの柱穴が3個ずつ2列に配列されており、中には直径約1mのクリの木の柱が入っている。柱の中心の間隔はすべて4.2mとなっている』ことが説明されています。ちなみに4.2mは縄文尺(35cm)のちょうど12倍に当たります。

2012_03240392 保存用ドームの中には、写真が少しピンボケになってしまいましたが、6個の穴が整然と並んでいました。中には柱の一部が残っている穴も見られます。
 
 
 

2012_03240390 水が入っていない穴に近づいて撮影しました。黒い炭のように見えるものが柱の一部です。その他の穴にはネジ山のようなものが確認できますから水抜きのホースあるいは配管の穴かもしれません。
 
 

2012_03240393 外に出ると再現された六本柱建物(大型掘立柱建物)が間近に聳(そび)えています。三内丸山遺跡の象徴とも言える建物です。黄色い雨具を着たガイドさんと比較すればその大きさが分かります。
 
 

2012_03240396 下から見上げた大型掘立柱建物です。「物見やぐら」や「お祭りの施設」などを目的とした大規模な建物があったと推測されたことから、想像で復元 されたものです。使われている巨大な材木はロシアから輸入されたものであるとガイドさんが説明してくれました。
 

2012_03240398 ガイドツアーの一行は次に先ほど我々が立ち寄った大型竪穴住居に案内されました。少し掘り下げられた土間は冷暖房の効果があり、中二階 には梯子(はしご)などを使って昇り降りしたのであろう、などの説明が2度目の立ち寄りの成果です。 
 

最後に「環状配石墓」の説明を受けた後、途中から割り込んだガイドツアーの一行とともに縄文時遊館の「時遊トンネル」へ戻りました。

2012_03240399 「模型の間」には三内丸山遺跡の大きな復元模型が展示されていました。隣の「縄文シアター」では三内丸山遺跡のビデオを鑑賞した後は、「さんまるミュージアム」に入りました。三内丸山遺跡から出土した重要文化財503点を含む総数1687点の遺物が展示されているそうです。
 

2012_03240400 最初のコーナー「縄文人のくらしをひもとく」では縄文人の家族が出迎えてくれました。農耕・狩猟・採集をする生活であったことを表(あらわ)しているようです。後方の母親と娘はクリの木を植えています。木の実の採集だけでなく、一部では栽培も始まっていたようです。
 

2012_03240401 「マダイ(真鯛)の骨」が展示されていますから、縄文人は海で釣りをして捕(つか)まえていたのでしょうか。あるいはモリで突いていたのでしょうか。現代でも日本人にはお祝いに欠かせないこの高級魚が縄文時代から食用に利用されていたことを始めて知りました。
 

2012_03240402 マダイの捕獲方法の答えかどうか分かりませんが、釣り針(左上と左下)と銛頭(もりかしら、中央下)が展示されています。いずれも重要文化財で、動物の骨を加工して作られたものでした。
 
 

2012_03240403 こちらは石槍(いしやり、重要文化財)
 
 
 
 
 

2012_03240404 土器展示ステージには縄文土器が数え切れないほど展示されています。
 
 
 
 

2012_03240405 これは厚さ約2メートルの盛土の表面をはぎとった土層(地層の断面)です。年代毎に様々なものが積み重なっている様子を一目で見ることができます。
 
 
 

2012_03240406 貴重な漆塗(うるしぬ)り土器(重要文化財)が三内丸山遺跡から出土したことは漆塗りが中国から輸入された技術ではない証左(しょうさ)だと説明されていました。
 
 
 

2012_03240407 私が一番興味を持った展示は縄文人の衣服(再現)です。シンプルですがセンスの良いもので、隣に展示されている装飾品もそうですが、人間の美意識は数千年前から余り変わっていないようです。
 
 

2012_03240408 最後のコーナーは「村の変遷」
 
 
 
 
 

2012_03240409 ヒスイや黒曜石(こくようせき)、石斧(いしおの)素材、アスファルト、コハクが北海道を含む東日本各地から三内丸山遺跡へと運ばれたことが説明されていました。地図にはヒスイの産地である糸魚(いとい)川と黒曜石で有名な長野県の和田峠や霧ヶ峰の地名なども表示されています。 

2012_03240411 縄文時代中期の大型板状土偶(重要文化財)です。
 
 
 
 
 

2012_03240410 北東北と南北海道に多数ある遺跡や貝塚が一つひとつ説明されています。青森県だけでも三内丸山遺跡の他に、小牧野(こまきの)遺跡・是川(これかわ)石器時代遺跡・長七谷地貝塚(ちょうしちやちかいづか)・亀ヶ岡(かめがおか)石器時代遺跡・田小屋野(たごやの)貝塚・二ッ森(ふたつもり)貝塚が含まれていました。

その他にも、昨日訪れた下北半島の尻屋崎には浜尻屋貝塚がありました。今も住む人が少ない最果ての地に古代から人が生活していたことに驚きを感じました。しかし人間が大集団で暮らし始め、やがて都市を建設するのは農耕が中心となる弥生時代以降のことですから、縄文時代の人々が小集団で生活したことを不思議だとは言えないでしょう。逆に三内丸山遺跡が縄文時代に大規模に拡大して1000年以上に亘(わた)って続き、そして消え去ったことの方が謎と言えるのかも知れません。(続く)

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2012年4月 9日 (月)

東北ドライブ旅2012春 三内丸山遺跡(前編)

2012_03240352 今回のドライブ旅はいよいよ最終日。ここまでは予想以上に順調なドライブ旅でしたが、やはり早春の青森ですから、朝早く起きてみると雪が降っていました。前日と同様、朝食の前後に温泉を楽しんでからホテルを出発しました。昨夕まで綺麗に除雪されていたホテルの車寄せにも雪が吹き込んでいますから難儀なドライブになりそうです。

2012_03240353 当初の計画では八幡宮の近くにある「むつ湾展望台」に上がることにしていましたが、それは諦(あきら)めて、県道269号を経由して国道4号(青森東バイパス)で青森市の中心部を目指しました。欧州街道図によれば奥州街道はこの県道に沿っていたようです。ちなみに奥州街道浅虫宿の本陣は現在、旅館「柳の湯」となっているようです。

2012_03240356 平新田付近で国道7号バイパスにそれて、青森自動車道に沿って走りました。「環七八ツ橋」の文字を見ると都内を走っているように感じられます。
 
 
 

2012_03240357 青森自動車道の青森中央ICを過ぎると、国道7号は青森自動車道と離れて、東北新幹線のガードを(くぐ)ります。その直前にある立体交差を下りて右折すると目の前に立派な建物が現れました。「三内丸山(さんないまるやま)遺跡」の名称が表示されています。ちなみに三内と丸山はともに地名(青森市大字三内字丸山)です。

2012_03240358 この「縄文時遊館(じょうもんじゆうかん)」は特別史跡「三内丸山遺跡」の入口になっています。私が降りしきる雪を撮影している間に雪国に慣れていない同行者は傘をさして先へと歩いて行きます。 
 
 

2012_03240361 館内には出土品などを展示する「さんまるミュージアム」が平成22年7月9日にオープンしていました。
 
 
 
 

2012_03240362 遺跡への入口(縄文時遊館の出口)である「時遊トンネル」にある案内図を見るとかなりの広さがあることが分かります。残念なことに遺跡のガイドツアーは数分前に出発してしまったようです。 
 
 

2012_03240363 遺跡を巡る遊歩道に入るとすぐに「環状配石墓と道路跡」の説明版がありますが、こちらも残念なことにすべてが雪に覆(おお)われて見ることはできません。例え雪がなくても埋め戻されてしまったようですから・・。(精神衛生にとても良いイソップ寓話の「すっぱいぶどう」的な思考です)  

2012_03240364 遊歩道はずっと先まで除雪されていていますから歩きやすくて助かります。
 
 
 
 

2012_03240365 三内丸山遺跡の説明板には『縄文時代前期から中期(約5500年前から約4000年前)にかけての多くの貴重な遺跡群や遺物が発見されたのです。発掘調査で約580棟の竪穴(たてあな)住居跡・10数棟の大型竪穴住居跡・100棟を超える掘立柱建物跡・多量の遺物が廃棄された泥炭層などが発見されている』と書かれています。

2012_03240366 雪原のなかに住居跡らしきものが見えてきました。
 
 
 
 
 

2012_03240367 一番目立つ建物は復元された大型竪穴住居(長さが約32mで幅が約9.8m)でした。
 
 
 
 

2012_03240369 右手に入り口がありますが、当時の入り口は不明なのだそうです。 
 
 
 
 

2012_03240370 大きな建物は19本の太い柱で支えられ、内部には中2階が入口側の上部に設けられています。
 
 
 
 

2012_03240371 一番奥には囲炉裏(いろり)の跡と思われる円形にたくさんの石が並べられています。
 
 
 
 

2012_03240372 この掘立柱建物は高床式ですから倉庫なのでしょう。
 
 
 
 
 

2012_03240373 少し離れた場所に六本柱建物跡が見えます。
 
 
 
 
 

2012_03240375 泥炭層は当時のゴミ捨て場だったそうです。『船着き場のようなものがあったのではないかと考えられる』との説明を興味深く読みました。
 
 
 

2012_03240376 こちらの掘立柱建物には入り口も再現されています。
 
 
 
 
 

2012_03240379 振り返るとさきほど見た大型竪穴住居は半分雪に埋もれています。
 
 
 
 

2012_03240381 一般竪穴住居と表示された建物は、雪に覆われて、まるで「かまくら」のように見えます。
 
 
 
 

2012_03240382 隣の堀立柱建物には丸太で作られた階段が再現されています。当時の建物には様々なバリエーションがあったようです。(続く)

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2012年4月 7日 (土)

やっと春が訪れました

青森へのドライブ旅はまだ続きますが、2回目の休憩記事として都内の桜が花開いた様子を紹介します。ちょうどタイミングが良いことに私が都心を訪れた翌日(4月6日)に都内で桜が満開になったことがニュースで報じられました。

2012_04050200_2 2日続けて出掛けた六本木ヒルズにあるグランドハイアット東京(ホテル)での所用を済ませて外へ出ると、車寄せの先に桜が咲いているのが見えました。それは六本木ヒルズの「レジデンス」を外周する桜坂通りのようです。ちなみにクリスマスのイルミネーションが有名なけやき坂通りは森タワーとレジデンスの間を抜けています。

2012_04050201 さくら坂通りでは桜の若木がかなり生長して見応(みごた)えのある桜並木となっていました。さくら坂と言っても福山雅治さんのヒット曲「「桜坂」(2000年)とは何の関係もありません。新治市民の森の記事で紹介したように田園調布近くにある旧中原街道の桜坂がその舞台とされます。 

2012_04050202 左手には高層マンションの「レジデンス」が並び、その間から森タワーも覗(のぞ)きます。
 
 
 
 

2012_04050204緩やかな下り坂は左へカーブしながら続いています。
 
 
 
 
 

2012_04050205 右手には遊具が並ぶさくら坂公園がありました。場所柄でしょうか国際色豊かな親子連れが遊んでいます。来し方(きしかた)を振り返って撮影しました。
 
 
 

2012_04050206 次いで右に曲がります。前方に見えるのはオフィス・住宅兼用の六本木ヒルズゲートタワーです。
 
 
 
 

2012_04050207 六本木交差点へ向う芋洗坂(いもあらいざか)に入ると区立六本木中学校の正門から校庭の桜と森タワーが見えましたので、月並(つきな)みのアングルですがもう一枚撮影しました。
 
 

2012_04050213 六本木交差点の角に喫茶店Almond(アマンド)が戻りましたが、2年前に建て替えられた店舗は風情が無くなっていました。実は30数年前、この近くのオフィスに2年間通っていたことで、同居者との待ち合わせに利用したバブル時代を象徴するこの店を1980年代の歌(その1その2)とともに懐(なつ)かしく憶(おも)っていたのですが・・。 

地下鉄に入って思い立ちました。六本木駅からは日比谷線で3駅目の中目黒駅付近の目黒川の桜並木です。花見にはまだ早い3月初旬に目黒駅近くの目黒川へ立ち寄っていますが、今が目黒川の花見にちょうど良い時期だと思ったのです。

2012_04050241_2 中目黒駅は改札を出た場所が人で溢(あふ)れていました。山手通りの横断歩道で信号待ちする人たちです。私としたことが悪い時期に来てしまったようです。桜まつりは4月8日(日)に開催され、ライトアップは4月1日から10日まで行われていると大きな横断幕に表記されています。人波に押されるように目黒川縁(べり)へと歩きました。

2012_04050218 日の出橋は花見客(撮影マニア)たちが鈴なりになっていました。 
 
 
 
 

2012_04050216 東横線の橋桁下に見える目黒川の上流方向です。小さな階段式魚道が確認できました。水が汚れているとされますがボラ・スズキ・アユなどが生息しているそうです。 
 
 
 

2012_04050217 下流方向でも桜がたわわになって川面に近づいています。右岸では中目黒桜祭りの会場が設営されているようですから行ってみることにしました。
 
 
 

2012_04050222 この場所「合流地点遊び場」は、6年前に目黒の太鼓橋(たいこばし)から池尻大橋まで目黒川を約3km遡(さかのぼ)って桜並木を楽しんだ時、たくさんの人達がシートを敷いて花見をしていた場所です。
 
 

2012_04050224さらに下流の宝来橋から日の出橋方面(上流方向)を眺(なが)めました。 
 
 
 
 

2012_04050225対岸(左岸)の歩道です。中目黒マンションの1階は店舗になっています。 
 
 
 
 

2012_04050226 目黒川に支流の蛇崩川(じゃくずれがわ)が合流する地点を撮影したあと、日の出橋を過ぎると花見客が急に増えて来ました。ちなみに蛇崩の変わった名前は世田谷区との境界に近い場所にあった地名で、崖崩(がけくず)れのことを意味するようです。 
 

2012_04050227 Aloha Table & Good Days Malasada がオープンを間近に最後の仕上げ作業に入っていました。開放的なテラス席、Barスペース、ラウンジ風のテーブル席、プライベート感のあるソファー席など多彩な空間を提供するそうです。ちなみにグッデイズ・マラサダはワイキキに本店を構えるレストラン「アロハテーブル」のスイーツブランドだそうです。

2012_04050229 次の別所橋から見た下流方向
 
 
 
 
 

2012_04050230 同じく上流方向の桜橋
 
 
 
 
 

2012_04050236 ついでに中目黒駅に停車中の東急東横線の電車も
 
 
 
 
 

2012_04050239 その電車は渋谷駅へ向けて出発しました。渋谷駅と言えば、2012年度に東横線渋谷駅が地下化されて東京メトロ副都心線と相互直通運転が予定されています。そして新渋谷駅と直結する予定の「渋谷ヒカリエ」が一足先の4月26日にグランドオープンします。
 

最後に、今や桜ソングの定番(ていばん)であり、桜並木と友達の旅立ちをモチーフにした楽曲、森山直太朗さんの「さくら」(2003年)を紹介しましょう。

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2012年4月 5日 (木)

東北ドライブ旅2012春 下北半島(後編)

2012_03240301 最高地点は過ぎたようですからもう安心です。
 
 
 
 
 

2012_03240303 と思ったのも束(つか)の間で、国道はさらに高みへと上って行くようです。 
 
 
 
 

2012_03240304 仏ヶ浦へのアクセス道路は入口が雪を積み上げてブロックしてありました。遊覧船による海からの観光も4月下旬まで待たなければならないようです。佐井村牛滝集落への分岐点を通過すると、やっとなだらかな下り坂の道になります。   
 

2012_03240305 国道338号と県道253号の分岐点に差し掛かりました。事前に調べたところ、佐井村とむつ市の境界付近にあるこの分岐点から先の国道338号は冬期通行止めのようでした。このまま国道338号を約30km南下すれば、むつ市脇野沢にある牛首岬の沖合約800mにある鯛島(たいじま)が見られるのですが・・。

鯛島はその名の通りに鯛の形をした島で、陸奥(むつ)弁天島灯台が置かれています。地元では約1200年前に蝦夷征伐(えぞせいばつ)にこの地を訪れた征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)と村娘の悲恋伝説が地元に残っているそうです。

2012_03240306 ひょっとしたら国道338号はこの先も通行できるのではないかと思いましたが、私の期待は見事に裏切られました。道路は除雪した雪が積み上げられて、雪上車でもなければ侵入することは出来そうにありませんので、今回は諦(あきら)めることにして、むつ市河内を目指して山道(県道253号)へと車を乗り入れました。 

2012_03240307 前方に雪のトンネルが見えます。地図で確認すると川に架かる橋のようです。屋根付きの橋とは雪国ならではです。調べてみると、スノーシェルターと呼ばれるものでした。  
 

 

2012_03240309 道の駅「かわうち湖」は雪の中に閉じこめられていました。ダム湖であるかわうち湖も雪に覆(おお)われています。 
 
 
 

2012_03240311 本州最北のダムである川内ダムの脇に差し掛かりました。青森県が1994年に完成させた利水と防災を目的とするダムです。 
 
 
 

2012_03240312 通り過ぎると重力式コンクリートダムの全景がよく見えます。この日はわずかですが放水されていました。
 
 
 
 

2012_03240313 湯野川温泉(県道46号)との分岐点です。水上勉氏の小説「飢餓(きが)海峡」に描かれた温泉地だそうです。青函連絡船洞爺(とうや)丸の事故が登場する推理小説です。1962年に週刊朝日に連載され、翌年に単行本が出版され、その後に映画化やテレビドラマ化されています。 

2012_03240316 県道は綺麗(きれい)に除雪されていますが・・。
 
 
 
 
 

2012_03240317 川内町の中心部付近で陸奥湾(むつわん)に行き当りました。右折すれば鯛島へ行くことができますが、片道20km近くもありますから、時間の制約から立ち寄るのはやはり無理でしょう。
 
 

2012_03240318国道338号を東進しました。海上自衛隊の基地を通 り過ぎると大湊(おおみなと)です。JR大湊線の踏切を渡った大湊港の脇に「斗南(となみ)藩士上陸の地」の碑がありました。
 
 

明治元年に戊辰戦争(会津戦争)で敗れた会津藩は取り潰(つぶ)されましたが、同2年に旧藩主松平容保(かたもり)の嫡男(ちゃくなん)・容大(かたはる)は家名存続が許され、陸奥国斗南(青森県むつ市)に斗南藩(となみはん、3万石)の藩主となりました。しかし明治4年(1871年)の廃藩置県によって斗南藩は斗南県となってしまいます。ちなみに斗南は中国の漢詩にある北斗以南から名付けられたようです。

2012_03240319 大湊港と下北半島最高峰の釜臥山(かまふせやま、標高878m)を撮影しました。山頂には展望台が見えます。
 
 
 
 

2012_03240322 尻屋崎へ向かう途中に県道6号ですぐ近くを通過したいわきグランドホテルへ向かいました。丘の上に建つ眺望の良い立地です。
 
 
 

2012_03240323 この日最後の目的地はこのホテルにある斗南(となみ)温泉。宿泊客だけでなく、日帰り客も利用することが出来ます。私は「斗南」の名前が気に入りました。そして同行者も「美人の湯」を気に入ってくれるはずだと思ったのです。 
 

2012_03240333 1年余り前にリニューアルされたため、ホールと受付カウンターは真新しくてゆったりした空間です。ホテルからの通路があるようで、浴衣を着た宿泊客は専用の入り口へ向かいます。日帰りの利用料金は平日500円とリーズナブル。成分表には、泉質がアルカリ性単純泉、泉温は40度と表示されています。 

2012_03240331ちょうど他に利用客がいないタイミングでしたので撮影させていただきました。浴室はそれほど広くはありませんが、釜臥山が目の前に見えます。 
 
 
 

2012_03240330 掛け流しの大浴場の右手には小振りの電気風呂があり、左手にはサウナも配置されています。
 
 
 
 

2012_03240328 ガラス越しに見えた露天風呂も大浴場と同様に横に長い形状で、雪見風呂の風情が楽しめました。柔(やわ)らかく爽(さわ)やかな湯ですが、アルカリ性の温泉ですから滑(なめ)らかな感触もあります。宿泊客用ドアの先には宿泊客専用の浴室があるようです。
 

日が傾いてきましたから浅虫のホテルへ戻ることにしました。往路とほぼ同じルートですが、夕方の国道279号は所々で車が滞(とどこお)り、小湊から浅虫に入る区間は渋滞が発生していました。

2012_03240338 前夜より少し遅い午後7時半頃に夕食です。この日は海の幸が中心のメニューでした。当然かもしれませんが、連泊客には同じメニューを続けて出さない気遣(きづか)いがありました。 
 
 

2012_03240339 見た目だけでなく、味も私好みです。
 
 
 
 
 

2012_03240341 昼食に大間で海鮮丼を堪能(たんのう)していますが、胃にやさしい魚料理を様々な味付けで楽しみました。やはり、この日もうどんはスルー。
 
 
 

2012_03240346 抹茶塩(まっちゃしお)やレモンもちょっと変わった風味になります。そしてデザートはカシスと浅虫の美味しい水で出来たプルプルの水ゼリー。これもさっぱりしていて美味しく食べ切りました。 
 
 

この夜はホテルの温泉を利用しないで早めに就寝しました。翌日(最終日)は今回の青森旅行を思い立つに至る最大の理由となった青森市内のある場所を訪問します。

<同行者のコメント> 雪が積もる下北半島へドライブするなんて信じられません。尻屋崎では八戸ナンバーの車に乗った年配のご夫妻がひと組のみで、大間崎でも一人旅の青年を見かけただけでした。マグロの刺身を食べてほっとしていたら、雪山の奥深くへ入ってしまい、ちゃんと帰れるかすごく心配になりました。そして何とかむつ市の中心部まで戻った時、泊まっているホテルへ戻れると思ったのもつかの間で、旦那さまは別のホテルへ向かいました。でも美人の湯はお風呂が綺麗でお湯もとても良かったです。(続く)

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2012年4月 4日 (水)

東北ドライブ旅2012春 下北半島(中編)

2012_03240255 県道266号にそれて大畑町に入り、さらに国道279号に合流しました。 
 
 
 
 

2012_03240256 野辺地町から続く国道279号は大畑町の中心部を抜けますが、新しく出来た大畑バイパスの方はそれを大きく迂回(うかい)しています。この国道は北海道の函館まで続きているのです。とは言っても下北半島北端の大間町と函館市の間は海上国道なのですが。 
 

2012_03240257風間浦村の下風呂温泉郷を通過します。大間温泉と桑畑温泉に次いで本州で3番目に北に位置する温泉のようです。
 
 
 

2012_03240260 本州最北端の大間(おおま)崎に到着しました。こちらにもインターネット上のライブカメラが設置されています。
 
 
 
 

2012_03240258 「こヽ本州最北端の地」碑(写真では文字が読みにくいのですが)の右後方に見えるのは本州最北端の島である弁天島です。
 
 
 

2012_03240259 ズームアップして弁天島を撮影しました。白と黒に塗り分けられているのは本州最北端の大間埼灯台です。灯台の手前に島の名前の由来と思われる神社が見えます。これも本州最北端の・・。函館市汐首岬は17.5kmの距離にあり、その後方の渡島(おしま)連峰もかなりハッキリ見えます。釣り船を利用すればこの島に渡れるようです。

2012_03240261 「まぐろ一本釣の町 おおま」のマグロモニュメントはマグロの一本釣りをイメージしています。
 
 
 
 

2012_03240262 石川啄木の歌碑もありました。『東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて 蟹とたわむる』の詩が大間と結びつかないのです。歌碑の裏側に「東海の小島」は大間の弁天島を指すと思われるとの説明を見つけました。函館市の大森浜とする説もあるようですが、いずれにしても東海という言葉が意外です。 

2012_03240264 啄木歌碑の近くに天童よしみの「みちのく慕情」の歌謡碑もありました。下北と大間崎の地名が登場しますからご当地ソングのようです。私がカラオケで歌うことがある山本譲二さんの「みちのくひとり旅」と八代亜紀さんのレコード大賞受賞曲「雨の慕情」(作詞:阿久悠作詞、作曲:浜圭介)を足して二で割ったようなタイトルです。

ちなみに天童よしみさんの歌では「珍島(チンド)物語」が好きです。この歌とは関係ありませんが、元寇の際に高麗軍(三別抄)が追い詰められて珍島に立て篭(こも)って抗戦したことで蒙古(もうこ)軍の日本来襲が遅れたとの解説をNHKのドキュメンタリー番組で観た記憶があります。現在は韓国の人気観光地になっているようです。閑話休題(かんわきゅうだい)。

2012_03240263 その向かえに「かもめ食堂」の看板を見て、同じような食堂が多数立ち並んでいて選択を迷っていた私は、迷わずこの店に入ることにしました。オチビちゃんとコチビちゃんのお母さんが好きな映画と同じタイトルです。昨年11月に駒沢公園で開催された東京ラーメンショーでも「かもめ食堂」を選んでいます。

2012_03240265 店内は普通の食堂ですが、3面の壁に貼られた色紙の枚数が尋常(じんじょう)ではありません。一番目立ったのは俳優松方弘樹さんの色紙と写真でした。大間で有名な食堂のようです。
 
 

2012_03240266 ホテルで朝食をしっかり食べていますから、私は「うに・いくら・まぐろのミニ3点」(1000円)、いつもご飯を余り食べない同行者は迷った末に「まぐろの刺身」(1200円)を選びました。
 
 

2012_03240271 前者は小振りの丼(どんぶり)です。たっぷり載(の)った具は食べ堪(ごた)えがあって、私には十分なボリュームでした。カジュアルな盛りつけは漁師町の食堂らしく、その味はもちろん申し分ありません。イカのわた和(あ)えも添(そ)えられていて大満足でした。 
 

2012_03240274 後者はマグロの量が少ないように見えましたが同行者にはちょうど良かったようです。前の日に八戸で食べた刺身料理のボリュームが少なかったことを残念がった時とは対照的な反応です。 
 
 

2012_03240280 少し南にある大間漁港に入ると連続テレビ小説「私の青空」のロケ地(なずなの勤務先)の表示が目に入りました。連続テレビ小説は観たことがありませんので、なずなさんの勤務先と言われてさっぱり分かりませんが、NHKの番組ですからなんとなく察しは付きます。
 

2012_03240281 その目の前に停泊しているのは、大きな電球がたくさん吊り下げられていますから、いか(烏賊)釣り船のようです。以前、函館の湯ノ川温泉に宿泊した時にも沖合にいか釣り船の漁り火(いさりび)を見たことがあります。20年以上前にはニュージーランドの首都ウエリントンの港で日本のいか釣り船を見たことも思い出しました。

2012_03240276 ちなみにニュージーランド近海は津軽海峡など日本近海と同様にスルメイカ(鯣烏賊、真イカ)の豊かな漁場なのです。大間漁港にはその他にもたくさんの釣船が停泊していました。マグロの一本釣り船だけでなく、観光釣船も多く含まれているのかも知れません。 
 

2012_03240285 佐井村の集落を抜けた「がんかけ公園」の巨大な願掛岩(海抜103m)を振り返って撮影しました。2つの岩は「男がんかけ」(左)と「女がんかけ」(右)と呼ばれて人々の信仰の場になって来たようです。現在は津軽海峡に沈む夕陽の名所なのだそうです。
 

2012_03240289 国道338号が高度を上げると長後と思われる集落が見えて来ました。
 
 
 


2012_03240291_2 曲がりくねってアップダウンのある山の雪道を走ると「仏ヶ浦駐車帯500m先」の表示が見えます。これ以上積雪量が増えないことを祈りながら慎重に走りました。
 
 
 

2012_03240298 最高点を過ぎて左にカーブした場所に展望台のある仏ヶ浦駐車帯がありますので、もちろん立ち寄ることにしました。 
 
 
 

2012_03240294 展望台に上がると木の間から「仏ヶ浦」の全景が望めます。
 
 
 
 

2012_03240293 駐車場にある地図で確認すると、下北半島の西海岸線でほぼ中央に位置しています。
 
 
 
 

2012_03240292 そしてここにも「下北かるた巡り」が立っていました。(続く)

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2012年4月 3日 (火)

東北ドライブ旅2012春 下北半島(前編)

2012_03240210 浅虫観光ホテルを出て国道4号線(土屋バイパス)を北上すると左手に裸島が見えて来ました。名前通りに草木がほとんど生えていない岩だけのユニークな形をした島なのです。海のモニュメントバレーと言えるかも知れません。 
 

2012_03240223 国道は青い森鉄道に沿って大きく右へカーブして山間部へ入って平内町の小湊へ向かい、再び陸奥湾沿いの道で野辺地(のへじ)町へ入り、県道243号にそれて最初の目的地を目指します。しかし予期しなかった「戊辰戦争史跡」の案内表示板を見掛けて急遽(きゅうきょ)立ち寄ることにしました。 

戊辰(ぼしん)戦争と青森の地がすぐには結びつきません。左手の路地に入るとすぐ右手の公園のような場所に「県史跡野辺地戦争 戦死者の墓所 専用駐車場」の標札が立っていますが、積雪のため路肩に車を停めました。例によって同行者には駐車係として居残ってもらいます。

2012_03240218 雪をかき分けて進むと「野辺地戦争戦況図」がありました。『明治元年(1868年)9月22日夜半、小湊に集結していた津軽軍180人は3隊に分かれて野辺地を夜襲し、笹館から大橋付近まで軍を配置した南部藩と川を挟んで銃撃戦になった』と説明されています。
 

2012_03240219 『しかし遊軍が夜間の山中で道に迷ったため、戦いに参加出来ず、津軽軍は多くの戦死者を出して敗走した。墓石は戦いの翌年に弘前藩(ひろさきはん)によって建てられたもので、戦死した津軽軍の兵士(40名以上)のうち27名の名が刻(きざ)まれている』と続きます。
 

現在の青森県は明治元年当時南部藩(正式名称は盛岡藩)から別れた八戸潘などと津軽藩(弘前など旧津軽郡)の領地であり、官軍側の津軽藩が奥羽越列藩同盟側の八戸藩と盛岡藩の領内に攻め寄せたのが野辺地戦争と呼ばれたことを今回始めて知りました。会津藩と庄内藩のことは会津若松城を訪れた時の記事で紹介しています。

余談ですが、戊辰戦争は良く知られる鳥羽・伏見の戦いから江戸開城までの段階と、東北戦争および箱館戦争の3つに分けることができ、明治新政府がいずれの戦争にも勝利して終結しました。10年ほど前に北海道を旅行した時に箱館戦争(五稜郭の戦いとも呼ばれる)で蝦夷地に旧幕臣を移住させようとした旧幕府軍の徳川家海軍副総裁榎本武揚や新選組の土方歳三たちが立て籠もった函館の五稜郭(ごりょうかく)を訪れています。ちなみに箱館の地名は明治時代になって函館に変更されました。

2012_03240212 野辺地港近くの漁業協同組合前に雪に覆(おお)われた「浜町の常夜灯」が見えます。30cmほど積もった雪の中を常夜灯まで歩きました。『1827年(文政10年)に野辺地の廻船問屋・野村治三郎によって建てられた。関西の商人・橘屋吉五郎の協力を得て海路運ばれてきたものである』ことが説明されています。

2012_03240215『江戸時代、大坂と蝦夷地を結ぶ日本海航路(北前船)は、物資輸送の大動脈であった。野辺地湊はこの航路への盛岡藩の窓口であった』と続きます。現存する日本最古とも言われる常夜灯から県道の方向を撮影しました。 
 

2012_03240216 雪原に私が往復した足跡が残りました。
 
 
 
 
 

2012_03240217 県道の脇に「遠見番所跡」の標識が立っています。『外国船を発見・監視するために南部藩によって設置された施設』でした。 
 
 
 

2012_03240224 国道279号(はまなすライン)に入って北上すると恐山(おそれざん)周辺の冠雪(かんせつ)した朝比奈岳(あさひなだけ、標高874m)・大尽山(だいじんやま、標高828m)・釜臥山(標高878m)などが望めました。鉄塔のようなものが並んでいます。風力発電の施設かもしれません。 

2012_03240226 JR大湊線の踏切を渡る手前(横浜町との境界付近)で風力発電の風車が並んでいるのが見えました。陸奥湾と太平洋の間に細長く伸びる下北半島は素人目にも風力発電に適していそうです。調べてみると、野辺地町・横浜町・六ヶ所村・東通(ひがしどおり)村・むつ市など下北半島の多くの市町村に風力発電施設がありました。

2012_03240230 横浜町では除雪した直線的な道路が続きます。中央線を示す標識があるのはやはり雪国ならではでしょう。
 
 
 
 

2012_03240232 ジェットコースターのようなアップダウンもありました。
 
 
 
 
 

むつ市の市街地に入ってむつバイパスを経由し、標識に従って県道6号に入ります。隣の東通(ひがしどおり)町のカーブが多い道を走るとやがて海岸が近づいて直線的な道路に変わりました。岩屋集落付近で海岸線に出ました。津軽海峡のようです。

2012_03240236 三菱マテリアルの巨大な工場を通り過ぎると尻屋岬港が見えました。次の目的地はもう直ぐです。山を回り込むようにカーブするとゲートが見えました。尻屋崎(しりやざき)への入口ですが3月末まで通行できません。しかも尻屋埼灯台までは3.7kmもありますから遠望することは出来ないのです。 

2012_03240237 尻屋埼灯台と寒立馬(かんだちめ)を見るために遥々(はるばる)ここまで走ってきたのに残念です。看板の説明を読むと寒立馬は下北半島に生息した小振りの野生馬「野放し馬」で、岩手県の南部馬を祖先とし、明治に入って外来種と交配により改良されたことが説明されています。「アタカ」と言う場所に越冬放牧場があるとも書かれています。

2012_03240241 県道6号をさらに走ってその終点にある尻屋集落に入ると放牧場の案内があり、それに従って路地を抜けると広い道が続き、右手に放牧場がありました。
 
 
 

2012_03240242 柵(さく)が廻(めぐ)らされていて内部に入ることはできませんが、幸運なことに数十メートルの距離に20-30頭の寒立馬がいくつかの群れをなして雪が溶けて顔を出した牧草を食(は)んでいます。
 
 

2012_03240240 はるばる来た甲斐(かい)がありました。雪を背景にした寒立馬をぜひ見たかったのです。こちらにも寒立馬の由来が詳しく説明されていました。
 
 
 

2012_03240243 道は尻屋埼灯台の方へ続いていますので200mほど走ると先ほどと同じようなゲートがあります。車を停めて歩行者用ゲートを抜けて雪がほぼ溶けた道をしばらく歩いてみました。 
 
 

2012_03240244 はるか彼方の海岸に何かが見えます。尻屋埼灯台かも知れないと一瞬思いましたが、よく見ると鉄塔のようで糠(ぬか)喜びでした。この地点から見えるのは尻屋崎の手前にある藤石崎(ふじしざき)です。写真の右端に写る岩島は岸島のようです。
   

尻屋埼灯台は明治時代初頭(1876年、明治9年)に東北地方で始めての灯台として設置されました。レンガ造りの灯台としては日本一の高さのようです。尻屋埼灯台の写真はこちらで見ることができます。ちなみに尻屋埼灯台からの景色が第二管区海上保安本部のライブカメラで見られます。

2012_03240250 引き返す途中、同行者は「下北かるた」の看板を見つけました。下北半島の各地に同じような看板があることが地図で表示されています。
 
 
 

2012_03240251 尻屋集落へ戻る道です。前方に桑畑山(標高400m)が迫って見え、海岸に近いのに山奥に入ったような景色です。こうした場所をゆっくり走るのもドライブの醍醐味(だいごみ)なのです。 
 
 

2012_03240252 尻屋岬港から津軽海峡と下北半島の山々です。野辺地町から見る景色とはまた違った雰囲気がありました。(続く)

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2012年4月 1日 (日)

『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』を読む

青山学院大学福岡伸一教授が著(あら)わした本(2009年に木楽舎出版された254頁のエッセイ集)に興味を持って早速読んでみました。プロローグの『生命現象とは何か』で著者は恩師であるハーバード大学のジョージ・シーリー博士が先輩から受け継いだ遺伝子データの研究とアメリカの大学における研究費獲得の大変さを解説し、生命現象とは何かを考えるに至った経緯を振り返りました。本書の本文は以下の通り、8つの章で構成されています。

第1章 脳にかけられた「バイアス」 -人はなぜ「錯誤」するか-

ベイラー大学のアンンガー博士が1970年頃に追及した記憶物質(ペプチド)が誤りであったことと、その研究に先立つこと20年前にルドルフ・シェーンハイマーという科学者によって生命現象が絶え間ない分子の交換の上に成り立っていること、つまり動的な分子の平衡状態の上に生物が存在しうることが明らかにされていたと言う。食べ物に含まれる分子が瞬く間に身体の構成要素となり、また次の瞬間にはそれは身体の外へ抜け出ていくことを見出し、そのような分子の流れこそが生きていることだと明らかにしていたのである。常に代謝回転し続ける物質を記憶媒体にすることなどできるはずがないと著者は指摘する。私たちが「記憶の想起」と呼んでいるものも一時点での平衡状態がもたらす効果でしかないともいう。そして記憶が細胞の外側(細胞と細胞との間)、つまり神経細胞(ニューロン)がシナップスでお互いに結合されて神経回路を作っており、それは経験・条件付け・学習・その他さまざまな刺激と応答の結果として形成され、刺激によって生じる信号が繰り返し回路を流れると、回路はその都度強化されると解説する。たとえ、個々の神経細胞の中身のタンパク質分子が合成と分解を受けてすっかり入れ替わっても、細胞と細胞とが形作る回路の形はほぼ保持される。前述のアンガ-博士が追及したペプチドと呼ばれる分子は記憶物質ではなかったが、脳内(神経と神経の間)の情報伝達物質であったと続ける。

『時間どろぼうの正体』(歳をとると1年が早く過ぎる)は実際の時間経過に自分の生命の回転速度がついていけないことによると分析する。『人間の脳に張りついたバイアス』ではこの時間感覚だけでなく、この世にある事物に対して、その実際のありようとは違った感じ方をしてしまうとして空耳(そらみみ)や空目(著者の造語)を挙げ、それらは人類が過去何100万年もの間、生き延びていく上でとても大事だったという。しかし、それらが逆にマイナスに作用することが在りうるとして、いくつかの事例を挙げる。そしてヒトの脳が錯覚をするメカニズムを解説する。胎児期、脳ができはじめる時、神経細胞は四方八方に触手を伸ばして手当たり次第連結を作り出し、できる限り複雑な回路網を作るが、母胎からこの世界に生まれ出ると、この回路網は多様性に満ちた世界と折り合いをつけて「刈り取られ」あるいは「強化され」ていくのだ。このプロセスこそが実社会へ出る前に学校で「学ぶことが必要である」理由として、生物学的制約から自由になるために私たちは学ぶのだと強調する。ヒトの目が切り取った「部分」は人工的なものであり、ヒトの思考が見出した「関係」の多くは妄想でしかないという。私たちは脳のほんのわざかしか使っていないと言われるが、それは世界のありようを「ごく直感的にしか見ていない」ということと同義語だと解説、「直感に頼るな」とアドバイスする。

第2章 汝(なんじ)とは「汝の食べた物」である -「消化」とは情報の解体-

西洋の諺(ことわざ)が文学的な比喩(ひゆ)として的確であるだけでなく、生物学的にきわめて正確な表現であることを沖縄の野国貝塚で発掘されたイノシシ(アグー豚の先祖)の骨と骨を繋(つな)ぐコラーゲンというタンパク質に含まれる炭素の同位体分析で解説。(詳細は略)次の「食物は情報を内包している」では人が食べ物を口に入れることでタンパク質を摂り続けなければならない理由を詳しく説明する。そして消化とは食物を小さく砕くことではなく、タンパク質(情報)を解体してアミノ酸(アルファベットの一文字)にすることに本当の意味があるという。そして「人は考える管である」では、人の原形はミミズと同じで口と肛門が付いた一本の管であるとして、消化器官に沿って分布する神経ネットワーク(末梢神経)によって生命活動がコントロールされているとの見方を示した。消化管壁を通して体内に入ったアミノ酸は細胞内に取り込まれて新たなタンパク質に再合成され、新たな情報をつむぎだす。同時に細胞は自分自身のタンパク質を常に分解して捨て去っており、合成と分解との動的な平衡状態が「生きている」ということであり、生命とはそのバランスの上に成り立つ「効果」であるからだという。著者は身体の中の特定のタンパク質を補うために、外部の特定のタンパク質を摂取することはまったく無意味な行為であることを、コラーゲンやグルタミン酸などを例にとって詳しく説明する。

第3章 ダイエットの科学 -分子生物学が示す「太らない食べ方」-

「ドカ食いとチビチビ食い」によるダイエット効果の大きな違いを人の脂肪貯蔵のメカニズムから考察する。詳細には触れないが、「朝昼夕にカロリーバランスを維持した規則正しい食事」が良いとことを強調する。「ドカ食い」は膵臓(すいぞう)からインシュリンを過剰に分泌させ、血中のブドウ糖を脂肪として脂肪細胞に蓄える作用を促進すると説明する。栄養諸容量を確保できるほとんどの現代人はカルシウムやビタミンなどをサプリメントで補給する必要はまったくないという。ただし、タンパク質(アミノ酸)は貯蔵できないので成人は1日当り60グラムを摂取する必要があると繰り返し指摘した。

第4章 その食品を食べますか?-部分しか見ない者たちの危険-

「消費者にも責任がある」の項では価格だけを判断材料にして安いものしか買わない消費者に警鐘を鳴らす。食品の価格差には合理的な理由があるだろうという。つまり消費者が商品そのものと同時に「情報や安心を買う」という意志表示をしなければ、食の問題は解決しないだろうと、「狂牛病」「食品添加物」「遺伝子組み換え食品」の事例を挙げて説明する。「全体は部分の総和ではない」として生命の仕組みと機械のメカニズムが異なるとの考えで、生命現象では機械と違って、全体は部分の総和以上の何ものかであるという。著者はそれが「時間」に由来する「生気のようなプラスα」であると考える。つまりプラスαとは生物のパーツとパーツの間にはエネルギーと情報がやりとりされていることであるという。言い換えれば、生命現象とはエネルギーと情報が織り成す「効果」であると規定する。

第5章 生命は機械仕掛けか?-ES細胞の不思議-(省略)

第6章 ヒトと病原体の戦い -イタチごっこは終わらない-(省略)

第7章ミトコンドリア・ミステリー -母系だけで継承されるエネルギー産出の源-

「私たちの体内にいる別の生物」の項では人に限らず動物と植物の細胞には「ミトコンドリア」と呼ばれる生命体が存在し、エネルギーを生産しているという「ミトコンドリアの細胞共生説」を説明する。ミトコンドリアの体内にDNAが確認されたことをその理由に挙げる。また植物の細胞にある葉緑体も同様な共生生物であるという。細胞内にこれらが取り込まれた証左(痕跡)として二重の細胞膜の存在を挙げる。最後にミトコンドリアのDNAが卵子を通じて受精卵の中で分裂し増殖することを説明し、そのDNAは全人類の共通の祖先がアフリカにいたことを示唆しているという。

第8章生命は分子の「淀み」 -シェーンハイマーは何を示唆したか-

生命体は「可変でありながらサステイナブル(永続的)なシステム」であることが実験によって科学的に実証された。アミノ酸にアイソトープ(同位体)を使って標識をつけてマウスに食べさせてその行方をトレースすると、瞬(またた)く間に全身に散らばり脳・筋肉・消化管・肝臓・膵臓・脾臓・血液などありとあらゆる臓器や組織を構成するタンパク質の一部となったことが確認されたのである。人などの個体は感覚として外界と隔てられた実体として存在するように思える。しかし筆者は、ミクロのレベルでは、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかないという。つまり私たちの身体は分子的な実体としては、数ヵ月前の自分とはまったく別のものになっているのであり、「生命とは動的な平衡状態にあるシステムである」と結言する。

本書は「動的平衡」という難しい概念を分かり易く説明する良書でした。何の脈絡もなく「ゆく川の水は絶えずして、しかももとの水にあらず」という鴨長明(かものちょうめい)が移りゆくもののはかなさを語った随筆「方丈記」の書き出しを思い出します。

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