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2012年5月に作成された記事

2012年5月27日 (日)

新東名ドライブのフォローアップ 上り線(NEOPASA駿河湾沼津)

やはり駐車場内はほとんど満車で、一番奥のエリアだけが空いているようです。数台分の余裕がある駐車スペースに何とか車を停められました。
 
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一際異彩(ひときわいさい)を放(はな)つNEOPASA駿河湾沼津の建物です。
 
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塔(展望台)には鐘が設置されています。
 
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ここが展望台下の入口です。
 
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SA/PAの建物には珍しくエスカレーターがあります。
 
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2階テラスから駐車場と沼津の市街地を展望することは出来ますが、伊豆の山々は霞(かす)んでしまって、今回もほとんど見えません。
 
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展望台へ上がる階段は何の変哲(へんてつ)もありません。
 
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ダン・ブラウンの大ヒットミステリー小説『ダ・ヴィンチ・コード』の舞台となったパリのルーブル美術館にあるガラス製ピラミッドを小型化したようなものの先に鐘が見えます。さっそくその鐘を鳴らして見ました。そちらに気を取られたためルーブル美術館のピラミッドのように下に逆さピラミッドがあるかどうかを確認し忘れたことは残念です。
 
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駐車場の風景をもう一枚
 
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客が溢(あふ)れる横浜ポンパドウル(POMPADOUR)を通り抜けたショッピングエリアにある『たまごや』(三島市にある卵専門店)で『日の出たまごのたまごたっぷりん』(6個入りが1000円)を見つけた同行者は嬉(うれ)しそう。玉子の殻(から)を模(も)した白いセラミック製容器(プレーン)と紅白まんじゅうのように赤い容器(イチゴ味)と白い容器を組み合わせたものを見比べながら、どちらにしようかと真剣に思い悩んでいるようです。
 
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実は新東名を始めて走った時に同行者が浜松PA(下り線)で買って気に入り、帰路も買おうとしましたが、混雑のためPAに入れなくて断念したからです。ちなみに『日の出たまご』とは三島市(箱根西麓)で生産される日の出の太陽ような鮮やかな卵黄に特徴がある玉子でした。

反対側のフードコートへ移動して、沼津港海鮮丼のサマサ(佐政)水産で「まぐろづくし丼」(1100円)を選びました。贅沢(ぜいたく)海鮮丼(1680円)を考えていたのですが、ウニが苦手な同行者の意見を尊重したのです。まだ午後4時過ぎですから一人分を注文して、同行者とシェアして食べました。期待通りの美味しさです。
 
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展望台から見た巨大なフラワーバスケット(植え込み)
 
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NEOPASA駿河湾沼津のメインエントランス付近も撮影
 
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早出(はやで)したこの日は明るいうちに帰宅出来ました。ちなみに、今回のドライブは走行距離が約390km、平均燃費は26.7km/ℓ。
 
<同行者のコメント> 三保ではずっと車の中にいました。少し前に趣味のサークル仲間と一緒に三保園ホテルに宿泊したことがあるからです。今回も旦那さまは狭い路地を走り回って、車がキズだらけになるのではないかと心配するほど! 由比では桜えびづくし、山奥の温泉もとても良かったです。でも、その温泉へ行く途中に見た大きな花瓶のような形をした奇妙なものは紹介しないのですか?(終)

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2012年5月26日 (土)

新東名ドライブのフォローアップ 上り線(清水いはらICから駿河湾沼津SAへ)

「やませみの湯」は新東名の新清水ICに近いのですが、ちょっと考えがあって往路で利用した東名の清水ICを目指しました。しかし国道52号を南下し始めてから気付きました。新東名(連絡路)の『清水いはらIC』から入っても良かったのです。良いアイディアですが、引き返すのも癪(しゃく)ですから、そのまま国道52号を走りました。

国道1号に出て庵原(いはら)交差点から県道75号に入りましたが、県道とは言っても庵原川沿いに伸びる予想以上に狭い道であり、反対方向から山越えをしなかったことは正しい選択だったに違いないと自分の判断の甘さを庇(かば)いました。清水庵原球場近くの交差点を案内標識に従って右折しました。庵原川を渡ってすぐの十字路を案内標識に従って左折すると農道のような坂道が伸びています。

この道で本当に清水いはらICに入れるのだろうかと不安になるほどです。案内標識に従って左折と右折を繰り返す(クランク型のコースを抜ける)とやっと『清水いはらIC』へのアクセス道路がありました。まるで山道のようなアクセス道路脇には古い擁壁(ようへき)と直角に曲がる古い道が見られます。帰宅後に航空写真で確認して分かりました。茶畑に以前からあった農道を活かしてアクセス道路が造られたのです。
 
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大きくUターしながらアクセス道路を上ると目の前に料金所が現れました。料金所はこの周辺で一番高い場所に造られたようで、それまでのアクセス道路とは打って変わった見晴らしの良さです。
 
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新東名(連絡路)の東京方面と名古屋方面(東名経由)の分岐点です。前方に本線が見えますが、急峻(きゅうしゅん)な地形に合わせて本線への接続路は急な下り坂になっています。
 
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一旦下った後に上り坂となった接続路はなだらかに本線へと伸びています。
 
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東京方面と名古屋方面の分岐点である新清水JCTを通過します。写真の左下に見える縞模様(しまもよう)は送風口の写り込みです。
 
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清水PAは今日も混雑しているようです。
 
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しかし、心配は無用で、難なく駐車場に車を停めてNEOPASA清水(上り下り共用)に立ち寄ることが出来ました。
 
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「やませみの湯」の食事処にソフトクリームが無かったことを残念がる同行者のためにアメリカンダイナー「レムソンズ」でソフトクリームを購入しました。500円と高いことに驚きましたが、実物を見てもう一度ビックリ!大きな容器に入ったソフトクリームの下に何とパンが敷かれているのです。パンは要らないと2人の意見が一致。
 
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午後3時過ぎのフードコートは全て開店しています。
 
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「くるまライフ・コミュニティパーク」エリアには前回と同じシボレーのSONICが展示してあります。YAMAHAのコーナーがどうなっているか覗(のぞ)いてみると展示品が変わっていました。オーストリアKTMスポーツモーターサイクル社製のオフロードバイクのKTM 990 Adventure(総排気量999cc)とスーパースポーツバイクのKTM 1190 RC8 R(総排気量1194cc)の2台が展示されています。
 
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UNITED ARROWS
 
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KUSHITANI PERFORMANCE STORE
 
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本線に戻ると前方に黒雲が! フロントガラスには水滴も見られます。
 
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新富士ICを通過
 
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駿河湾沼津SAはFULLと表示されていますから、今回も立ち寄り出来ないかもしれないと心配になりました。
 
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しかしSAへ入るランプウェー(接続路)に前回のような本線まで伸びる長い車列は見られません。
 
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(続く)

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2012年5月25日 (金)

清水・西里温泉「やませみの湯」

静岡県中央部、特に静岡市清水区には天然温泉が少ないのですが、あえて清水区にある温泉を選びました。国道1号を南西方向に5kmほど戻った興津中町交差点から国道52号に入って北上して但沼(ただぬま)交差点を左折、県道75号で興津川(おきつがわ)に沿って山間に分け入りました。清地集落で左手に折れてさらに興津川を遡(さかのぼ)ると新東名の高い高架橋を潜(くぐ)った直後に県道196号へと直進しました。県道75号はこの先で新東名の新清水ICを通過して清水区の中心部へ戻ることが出来ます。

案内板に従って興津川に沿った西里集落のバス停がある交差点を左折すれば約300mで目的地に到着しました。由比漁港からは25kmほどの距離にある西里温泉「やませみの湯」は午前9時30分から営業しています。まだ午前11時を少し回ったばかりですから、この温泉が含まれる清水森林公園やすらぎの森を少し散策することにしました。500mほど先の小さな橋を渡ったところに森林公園管理センターや食事処たけのこなどの施設が立ち並んでいます。
 
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右手の道で見晴らしの良い杉尾山展望台へ行けることを知り早速車を乗り入れましたが、私の車には道幅が狭すぎて、先へ進むことは無理のようですから引き返しました。道路に面した駐車場に車を停めて管理センター脇の小道に入り、鉄骨と木材で造られた「みおくり橋」を渡って対岸の竹林公苑に入りました。多種多様な竹と笹が生息していることが説明されています。
 
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立派なボードウォーク(木道)が続いています。
 
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滝の標識を見つけて草むらの道へと向いました。坂道を数10m登ると小さな滝があります。
 
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ちょっとがっかりしながらさらに登ると立派な滝がありました。私の早とちりでした。
 
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立ち位置を工夫して「西里の滝」の全景を撮影。
 
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もと来た道を戻って「やませみの湯」の広い駐車場に車を停めました。南アルプスの南端に位置するため周囲は高い山々に囲まれています。その先には「やませみ」の像が立っていました。「やませみ」はカワセミ科の鳥で、山地の谷川沿いや湖畔などに留鳥として生息し、横穴を掘って繁殖する全長37.5cmと大きいことが説明されています。
 
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さらに奥へ進むと瓦葺(かわらぶき)の長細い平屋の建物がありました。
 
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清水西里温泉浴場 やませみの湯」の入口には「竹炭の湯」と「竹酢の湯」の看板が立て掛けられています。清水森林公園やすらぎの森の中にある公営日帰り温泉で、料金は3時間までの利用が600円。
 
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受付カウンターを過ぎて右手に入ると浴室への入口があります。
 
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脱衣場は小振りですが清潔感があります。
 
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L字型をした大きな内風呂の浴槽は一部がジャグジーになっていました。利用客が少ない時間帯のようで、一人でゆったりと湯を楽しみました。
 
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カランは6箇所ほどと少ない。
 
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少し温まったあとに露天風呂へ移動すると、周囲に目隠しがありますが、期待した以上に良い眺(なが)めです。この露天風呂は源泉をそのまま使う「ぬる湯」、竹炭を浮かべた「竹炭の湯」(設定温度41度、アルカリイオンを含む)、「竹酢の湯」(設定温度38度、アルカリ体質にする効用がある)の3つが並んでいます。
 
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「ぬる湯」のお湯は薄い茶褐色で感触がさらっとしています。温泉成分が濃いので10分以内に留めるように注意書きがありました。ちなみに泉質は含銅・鉄(Ⅱ)-ナトリウム・カルシウム塩化物温泉(高張性中性低温泉)で、源泉の温度は31度。「ぬる湯」以外は濾過(ろか)・加温されていますから透明で暖かい湯です。

一人だけで露天風呂に入っている時に突然大音量でサイレンが鳴り響きました。まさか津波警報では?こんな山奥まで?! それではダムの放流か? ここは興津川支流の黒川でダムは無いはず。実は正午の合図(時報)でした。

食事処と休憩処も完備しています。早めの昼食(ブランチ)を済ませていますから、休憩処にゆっくり滞在することにしました。うたた寝をしたあとにもう一度湯を楽しむと、午後1時半にもサイレンが鳴りました。今時、サイレンを使う時報は珍しいと思って調べてみると、東海地震に備えて警報に使用される設備のようでした。
 
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大人が落ち着いて温泉を楽しむことができる「やませみの湯」に満足したことで、つい長居(ながい)をしてしまいました。入館して3時間近くが経過した午後2時半頃に早々と帰路へ就(つ)くことに。例によって回を重ねた今回の連載記事の最終回として新東名(上り線)のフォローアップを次の記事で紹介します。(続く)

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2012年5月24日 (木)

由比漁港の桜海老

今回の主目的地である由比漁港の施設が開く午前10時にはまだ時間がたっぷりありますが、『善は急げ』とばかりに同じ清水区内の由比(ゆい)へ向います。三保から国道1号に戻って東海道本線を跨(また)ぎ、静清バイパス(国道1号)の下を潜(くぐ)って興津清見寺町(おきつせいけんじちょう)を通過する時に、3年前に立ち寄った清見寺に立ち寄りました。東海道本線の架線が総門(表門)の奥に見えます。
 
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興津中町で静清バイパスに合流して興津川を渡り、駿河湾沿いを走って東名の高架を潜(くぐ)れば次の目的地は目と鼻の先です。寺尾交差点を左折すれば旧東海道で由比宿に入って行きますが今回は直進、緩く右にカーブした先の信号を右折して由比漁港に入ると海老(えび)のオブジェが出迎えてくれました。すぐ目と鼻の先には東名高速道路が通っています。
 
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左手にはあるのは由比港漁協直売所です。
 
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右折して由比港漁協事務所の手前にある「浜のかきあげや」へ向いました。東名高速道路(写真左手)と国道1号に挟まれた細長い湯漁港には漁を終えた漁船がたくさん停泊しています。東名の後方には景勝の地「(さった)峠」がある薩山(標高244m)が見えます。
 
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お目当ての「浜のかきあげや」は開店時間まで20分ほどあるため、店員さんがまだ準備作業中でした。写真中央が窓口で、右手に飲食用のテラス(屋根付)があります。
 
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由比桜えび 買物・食事マップには由比桜えび通り(旧東海道)と県道富士由比線の両側に60軒近い商店が表示されています。右端に近い旧東海道沿いに有るのが由比宿本陣跡です。
 
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営業時間を確認すると間違いなく10時からでした。店先に吊るされた木札製のメニューはシンプルで、左から「かきあげ丼」「季節の味噌汁」「沖あがり」「かきあげ」の4つのようです。
 
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窓ガラスの左端に貼られた写真入のメニューを確認するとちょっと違う内容でした。「かきあげ丼」(700円)、「由比どんぶり」(700円)、「かきあげそば・うどん」(700円)、「浜のカレーうどん・そば」(700円)、「かきあげ」(300円)、「桜えびのみそ汁」(100円)、「桜えびドーナツ」(250)が並んでいます。こちらが最新メニューでしょう。ここにはない「沖あがり」はすき焼き風郷土料理のようです。
 
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つい最近(5月13日)の静岡新聞の週間ローカル紙が貼られています。読みながら開店時間を待ちました。由比漁港で『今が旬の桜えび』の競(せ)りが行われる様子と富士川河川敷で天日干(てんぴぼ)しする様子が写真で載っています。
 
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同行者は「かきあげ」の作り方の記事が気になったようです。
 
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私は「桜えびドーナツ」が気になります。
 
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開店時間の10分前には3組ほどの客が並んだためか、店員さんが気を利(き)かせて時間を繰り上げて開店してくれました。私は心積もりをしていた「かきあげ丼」と「桜えびのみそ汁」、同行者は好きな「由比どんぶり」とお土産用(みやげよう)の「かきあげ」(2枚)と「桜えびドーナツ」(2袋、計8個)を注文。

「かきあげ丼」は二枚載(の)せられた桜えびの風味とサクサク感が楽しめました。かけられたタレ(垂れ)の味もそれに相応(ふさわ)しい濃厚なものです。
 
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釜揚(かまあ)げの桜えびとシラスが半分ずつ載(の)せられた「由比どんぶり」は刻み葱(きざみねぎ)とたっぷりの山葵(わさび)に加えて、お好みで専用のタレを加えることが出来ます。山葵は半分くらいでちょうど良かったそうです。お互いに味見をしました。最後に食べたサービスの沢庵(たくあん)は昔風の塩分の強いものでした。
 
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こちらはお土産に買った「かきあげ」と「桜えびドーナツ」です。
 
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漁協方面に歩いていました。由比桜海老商工業協同組合の看板には桜海老料理と桜海老の天日干しの大きな写真が貼られています。
 
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漁協事務所付近には「地震だ!津波だ!それ逃げろ」の標語が大きく表示されていました。
 
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(続く)

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2012年5月23日 (水)

東海大学「海の博物館」と清水真埼灯台

東海大学松前球場前を通過して三保半島の先端にある真崎(まさき)海岸に到着しました。真崎地区には東海大学に関係する施設が並んでいます。三保は東海大学が創立された場所なのです。

戦争中の1943年に航空科学専門学校として開校、翌1944年に電波科学専門学校を東京都で開校、終戦の翌年1946年に旧制大学としての東海大学が発足、1950年に新制大学に移行しました。その後、東京都や神奈川県などにキャンパスが作られて全国規模の大学(短大を含む学生数は約3万人)に成長しました。その本部は現在、東京に置かれています。ちなみに名称の「東海」は静岡を意味するとばかり思っていましたが、実はアジアの東海、つまり太平洋であることを今回知りました。

広い駐車場の近くに巨大な船が見えます。津波で流されたわけではなくて、現役を退いた海洋調査船「東海大学丸二世」(1968-1993年)の陸揚げ展示でした。早朝ですから人影はありません。
 
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午前8時を回ったところですから、生きている海の生物だけでなく機械仕掛けの動物(メカニマル)を展示する水族館と海の資源を利用する研究成果が展示されている「海の博物館」(東海大学海洋科学博物館)はまだ開館していません。その手前にはなぜか「恐竜の博物館」(東海大学自然史博物館)もありました。生命の歴史を展示する博物館ですが、あえて恐竜を強調するのはやはり恐竜ブームを意識しているのでしょうか。

 

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どこかで見たような人魚姫像です。説明書きにはデンマークのコペンハーゲン市長の好意で1971年に贈られたものと説明されていました。
 
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その奥には青い色に塗られた潜水艦のようなものが展示されています。Super Echo Ship(次世代内航船)と名付けられた二重反転プロペラ型ポッド推進器はドイツの研究所で開発された電力を利用するものだそうです。つまり電気自動車ならぬ電気船舶で、従来のプロペラよりも効率が10%以上も改善できるそうです。調べてみると、最初の実用船が広島県廿日市市の宮島航路で「みやじま丸」(4代目)として2006年に就航していました。
 
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三保真崎広場にあるグラウンドゴルフ場を迂回(うかい)して先端部まで行くと清水真埼(まさき)灯台(地上高11m)がありました。1936年(昭和11年)の初灯で、1994年(平成6年)に改築されたことが銘版で知ることが出来ました。この海域は清水港の港湾区域で8つの埠頭(ふとう)が並んでいますが、写真に写るのは興津(おきつ)と袖師(そでし)の埠頭群(コンテナーヤード)でしょう。ちなみに清水港は神戸港や長崎港と共に「日本三大美港」の一つに数えられるようです。
 
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先ほど三保飛行場から小さく見えた灯台がかなり近くなりました。調べると、清水港三保防波堤灯台でした。地上高17m、水面から18mの高さがあります。今回は写真撮影していませんが、この灯台の先にある清水港入り口沖の一文字防波堤には清水港外防波堤南灯台(赤色)と同北灯台(白色)もあるようです。南灯台は三保防波堤灯台とほぼ同じ大きさがあり、北灯台は地上高が12mと一回り小さいようです。
 
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その手前には漁船が近く見えます。
 
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対岸の清水埠頭付近には赤く塗られた貨物船が2隻停泊しています。遠方に見える観覧車は清水ICから三保半島へ向う途中に通過したエスパルス・ドリームプラザ(茶色と白色に塗られた建物)の「ドリームスカイ」(地上高52m)ようです。エスパルスとはもちろんJリーグの清水エスパルスのことで、その運営母体である静岡市の物流会社「鈴与」(すずよ)の関連会社「ドリームプラザ」が運営する複合商業施設です。
 
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左手方向にはクレーンが林立する日本軽金属の清水工場を背景に静かな海でカヌーに乗る人たちがいました。
 
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ここ三保海水浴場付近にも浜昼顔(はまひりがお)が咲いていました。
 
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駐車場に戻る途中、グラウンドゴルフ場の入口付近に津波避難ビルが地図と写真入で説明されていました。気象庁のhpを見ると、富士川辺りから南西に伸びる駿河トラフ(溝状の地形)でフィリピン海プレートがその北西にある陸側のプレートの下に沈み込むことで起こると考えられる大規模な「東海地震」(マグニチュード8程度)が近い将来に発生すると考えられると説明されています。ちなみに、駿河トラフは南海トラフとなって四国沖まで続いているのです。
 
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(続く)

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2012年5月22日 (火)

三保の灯台と飛行場

鎌ヶ崎遊歩道を歩く代わりに車で少し先まで走ってみました。当(あ)てずっぽうでしたが、清水三保保育園の脇を抜け、清水羽衣団地付近に出て、羽衣公園から少し北の松原に歩いて入るとビンゴ! 「名勝三保松原の石塔」(大正13年)がありました。
 
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鎌ヶ崎から見る羽衣海岸の砂浜と三保の松原、そして遠景の富士山が美しく調和する景色を描き続けた和田英作画伯(1874-1959年)がキャンパスを広げたのはこの付近で、三保の松原が大正11年に国から名勝の指定を受けたことを記念して石塔がここに建てられたそうです。今は松が生い茂(おいしげ)り、海岸の浸食を防ぐ護岸工事が行われたことで、当時の景観は失われてしまったことは残念です。撮影する時には気付きませんでしたがヘリコプターのようなものが小さく写っていました。
 
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さらに三保半島の先端を目指します。入り組んだ路地で三保園ホテル脇に出て、海岸沿いにある駐車場に車を停めました。三保園ホテルに接して建つのは清水灯台(愛称は三保灯台)です。我が国初の鉄筋コンクリート造りの灯台で、1912年(明治45年)に点灯されたと説明されていました。景観に調和する瀟洒(しょうしゃ)な灯台は2009年(平成21年)に近代化産業遺産に、2010年(平成22年)には土木遺産に認定されたそうです。ちなみに頂部の風見鶏は羽衣の天女でした。
 
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駐車場に戻る途中、甲飛予科練の碑(平成18年建立)に気付きました。昭和19年に清水海軍航空隊が三保に置かれたと碑の案内書きに説明されていました。ちなみに、「甲飛」とは海軍航空隊で1937年(昭和12年)に発足した甲種飛行予科練習生のことで、それまでの予科練習生(後に乙種飛行予科練習生に名称変更)より受験資格(学歴条件)が厳しいものでした。逆光の写真では確認できませんが、この銅像の予科練習生は7つボタンの制服を着ていると思われます。
 
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帰宅後に知りましたが、太平洋戦争が始まると予科練習生の増員のため全国の19箇所に訓練場所が設置されたそうです。三保の部隊はその一つでしたが、翌年(終戦の直前)に解隊されて、訓練生は沼津と下田の突撃隊(海軍特別攻撃隊)に移されたことと、予科練習生の総数は20万人を越えた(その1割近くが戦死した)ことも。予科練をPRする目的で制作された戦意高揚(こうよう)映画「決戦の大空へ」の主題歌「若鷲(わかわし)の歌」にある「七つボタン」は予科練を象徴する言葉でした。
 
三保灯台通りを北へ走りました。 
 
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何やら舗装された広場がありましたので停車して確認すると青い飛行機が置かれています。そして、その奥にはキャンピングカーのような車にアンテナが付いていますから飛行場の管制塔かも知れません。
 
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木立(こだち)の道を100mほど進むと「三保飛行場」の看板がありました。(社)日本飛行連盟赤十字飛行隊と表示されています。
 
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脇道の奥にある駐車場に車を停めました。先ほど見えたのはエプロン(駐機場)のようです。三保飛行場は静岡県と赤十字飛行隊の訓練飛行場で、海岸占有許可標識には救難活動のための飛行場であると表示されていました。
 
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長い滑走路(長さ500m、幅20m)が南東の方角に延びています。調べてみると、清水航空隊のものだとする説明もありましたが、三保には航空機が配備されていなかったようですから、戦後に建設された飛行場だと思われます。
 
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釣り人が大勢並ぶ海岸へと歩いて滑走路の真横まで来ました。残念ながら飛行機が飛来する気配はありません。この飛行場に着陸を試みる飛行機の映像がYouTubeにアップされていました。飛行機の速度が速すぎてゴーアラウンド(着陸復行)したため着陸するシーンはありませんが、三保園ホテルと清水灯台が写っています。
 
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沖合(おきあい)を中型船がゆっくり進んで行きます。船体に「SHIMIZU←→TOI」と大きく表示されていますから西伊豆の土肥港へ向う駿河湾フェリーでしょう。
 
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フェリーボートが出航(しゅっこう)した左手方向を見ると清水港が遠望できました。手前の防波堤の突端(とったん)には小さな灯台が見えます。
 
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足元には浜昼顔(はまひるがお)が咲いていました。
 
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(続く)

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2012年5月21日 (月)

速報 金環日食を撮影する

静岡ドライブ旅の記事を連載中ですが、予定外の記事を急遽(きゅうきょ)掲載することにしました。

何時(いつ)もの様に今朝も5時頃に起床して空気を入れ替えようと窓を開けました。天気予報では曇りのはずですが、雲の合間から青空が少しだけ覗(のぞ)いています。首都圏では金環日食(きんかんにっしょく)を見ることは難しいだろうと悲観的な報道が昨日なされていました。天気の下降局面は進行が少し遅れているようです。テレビを点(つ)けると金環日食の話題で持ちきりです。午前6時頃になると厚い雲と薄い雲が半分ずつ空をシェアして明るさも増して来ました。

ひょっとしたらカメラで撮影できるかもしれないと思った私は早速準備に取り掛かりました。コンパクトデジカメに取り付けるフィルタ作りです。身の回りのものあれこれ思案した末、良いものに思いが至りました。エコ生活のために窓に貼り付けた遮光(しゃこう)フィルムがまだたくさん残っているのです。可視光だけでなく紫外線や熱線も軽減出来ますし、何枚か重ねればフィルタの濃さを調整出来ますから迷わず試してみることにしました。

濃い目のフィルムで2枚重ねと3枚重ねのフィルタを作って試してみました。室内の蛍光灯を見て形が分かるのは駄目(だめ)で、ぼんやり光が見えるくらいがちょうど良いという観賞用メガネの判断基準を聞いたことがありました。2枚半がちょうど良さそうですが、そう言う訳に行きませんから2種類のフィルタを使い分けて撮影することにしました。テレビでは和歌山県串本町や群馬県などで部分日食が観測され始めたと伝えています。そして午前7時近くなると都心部でも雲が取れて部分日食が見られたと報じています。

使い慣れたコンパクトデジカメと即席で製作したフィルタを持って外に出ました。朝日が見える方向を確認すると太陽はまだ見えません。黒い雲が太陽を隠しているようです。その雲が移動するのを待ちました。しばらくすると太陽自身は見えませんが、黒雲から太陽光が地上に降り注ぎ始めました。そして黒雲の間から突然太陽の光が漏れて来ました。何とか撮影できそうです。これまで富士山など御来光(ごらいこう)を撮影した経験が何度もありますか撮影には自信があるのですが、ぶっつけ本番のフィルタが役に立ってくれるかどうかが心配です。

以下に余計なコメントを入れないで撮影した写真を時刻付きで紹介します。

午前7時6分 
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午前7時9分
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午前7時13分
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午前7時19分
2012_052100241
 
午前7時23分
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午前7時27分
2012_05210041
 
午前7時35分(食の最大を迎えた午前7時34分30秒に最も近い)
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午前7時38分
2012_052100831
 
午前7時39分
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午前7時40分
2012_052100871

 
黒雲に邪魔(じゃま)されないタイミングを選んで撮影しました。ここに掲載した写真はいずれも2枚重ねのフィルタを使って撮影したものです。薄い雲に隠れた太陽は比較的上手く撮影できましたが、太陽が雲間から顔を出すと太陽付近がハレーションに似た状態になってしまいました。一方、三枚重ねのフィルタは光量が不足して駄目でした。やはり自己流(じこりゅう)で作ったフィルタの限界でしょう。

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2012年5月20日 (日)

御穂神社と御神木「羽衣の松」

東名高速道路に入って直ぐの清水ICを出ました。寄り道をすることにして、久しぶりの三保の松原へ向いました。国道1号に出て、さらに国道150号で南下、県道199号(三保街道)で清水港を回りこむように走りました。そして静岡銀行三保支店の少し先で案内標識に従い右手の路地に入って左折すると御穂(みほ、美保とも表記される)神社の前に出ました。清水ICから10kmほどの距離です。本殿は国の重要文化財に指定されています。ちなみに、この地方が昔は廬原国(いおはらのくに)と呼ばれていたことから御廬(みいほ)と読まれ、さらには御穂(みほ)になったそうです。
 
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別名が三保大明神(みほだいみょうじん)で、古く(8世紀以前)から国土開発と海の神様として崇(あが)められるとともに天女が舞い降りた「羽衣伝説」縁(ゆかり)の社として名高い」と説明されています。ちなみに主神は大国主命(おおくにぬしのみこと、『日本書紀』では大已貴神(おおあなむちのかみ))とその后(きさき)である三穂津姫(みほつひめ)です。記紀神話の影響で大国主命ではなくその子の事代主神(ことしろぬし)を祀るとする説が生まれたようです。

鳥居の前から道路を挟んで松並木の間を長い木道(長さ約400mの参道)が海岸へと続いています。「名勝三保松原」の石柱脇に「神の道」と表示されていました。
 
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松並木に沿った車道を走ると松原観光センターに出ました。人の気配がほとんどない駐車場に車を止めて羽衣公園へ向う途中にある三保半島の観光案内図でこれから立ち寄る場所を確認。
 
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何気なく見た右手後方に銅像らしきものを見掛けて近づいてみると「漁夫白龍(はくりょう) 」の像でした。羽衣伝説に天女(てんにょ)とともに登場する漁師で、両手で羽衣(はごろも)を抱(かか)えていますが、ちょっとモダン過ぎるように思いました。別の案内看板に謡曲「羽衣」の説明があり、漁師の名は伯梁と表記されています。
 
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私は松本清張氏の長編推理小説「Dの複合」を思い出します。売れない作家が雑誌社に頼まれて日本の民俗説話(浦島伝説や羽衣伝説など)に縁(ゆかり)の地を訪ねる話ですが、羽衣伝説でこの「三保の松原」も登場します。他に滋賀県長浜市の余呉湖(よごこ)・京都府京丹後市・鳥取県東伯郡湯梨浜町なども登場したと思います。ちなみに浦島伝説では京都府宮津市伊根町の宇良神社(浦嶋神社)や長野県上松町の「寝覚の床」などでした。

坂道を上りきるとオブジェと見紛(みまご)うような松が絡(から)み合って立ち並んでいました。
 
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名勝「三保の松原」の案内図です。以前訪れたのは何時(いつ)のことだったかを思い出せません。多分自分の車を買った直後(40年余り前)のことでしょう。
 
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日本の能楽「羽衣」に傾倒したフランスのバレリーナであるエレーヌ・ジュグラリスの功績を称(たた)えて1952年に建てられた「エレーヌの碑」(羽衣の碑)です。憧れの三保の松原を見ること亡くなった彼女の遺言に従って遺髪が碑の下に埋葬されているそうです。左手の石碑には彼女の夫であるマルセル・ジュグラリスの名が見えます。この碑を見ても昔の記憶が蘇(よみがえ)らないのは残念です。
 
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これが御穂神社の御神木「羽衣の松」です。と言っても2010年(平成22年)10月に世代交代した「新・羽衣の松」なのです。
 
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こちらが先代の「羽衣の松」です。かなり衰弱している様子が見て取れました。
 
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その脇に御穂神社の離宮・羽車神社が鎮座(ちんざ)していました。羽車(はぐるま)は祭神の乗り物を指(さ)します。、御穂神社の祭神である大国主命と三穂津姫命が出雲国(いずものくに、現在の島根県)から羽衣の松を憑依(よりしろ、神聖な標識)に降臨(こうりん)され、羽車神社を経(へ)て、松並木(神の道)を通って御穂神社へ鎮座されたと伝えられます。願い事を書いた石が山のように積まれていました。
 
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羽衣海岸の砂浜を波打ち際まで歩くと、空にすっかり溶け込んだような駿河湾に観光釣り船と思われる小舟が多数浮かんでいるのが見えます。
 
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振り返ると「三保の松原」を背景に「先代の羽衣の松」と「羽車神社」が見えました。
 
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「三保の松原」の北方向
 
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同じく南方向
 
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松原の中に戻ると「新三景之碑」がありました。1915年(大正4年)に選ばれた新日本三景は、北海道の大沼(アイヌ語で大きな湖を意味するポロトーを意訳した名称)と大分県中津市の耶馬溪(やばけい)、そして三保の松原の3つの名勝地を指します。ちなみに日本三景は宮城県宮城郡松島町の松島・京都府宮津市の天橋立・広島県廿日市市の宮島です。
 
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鎌ヶ崎遊歩道は「松林の道」と「海の道」の2手に分かれます。いずれでも絶景ポイントの鎌ヶ崎(鎌ヶ先の表記もあり)へ行けるようですが、この日は富士山を見ることが出来そうもありませんから、ここで引き返すことにしました。
 
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富士山ビューポイントの案内看板の写真で我慢(がまん)することに。
 
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駐車場の奥に石碑があります。近付(ちかづ)いてみると「天女の池」(羽車稲荷御神池)跡でした。昔は清水を湛(たた)えた池があったそうですが、砂丘が後退したことで埋(う)もれてしまったことが説明されていました。
 
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(続く)

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2012年5月19日 (土)

新東名ドライブのフォローアップ 下り線(新清水JCT経由清水JCTまで)

天候が不順な日が続く今年の五月ですが、何とか晴れ間を見つけてドライブに出掛けました。今回の目的地は静岡市清水区。新清水JCTから清水JCTまでの清水連絡路を走ってみたくなったのです。それとは別に旬のものを食べたり、気になっている場所を訪れたりと、いつものことですがあれこれ欲張った計画を立てました。

自宅を七つ立ちして東名高速道路に入りました。夜明けまで1時間を切って徐々に空が白み始めた頃、久しぶりに海老名SAに立ち寄りました。いつもは通過することが多いSAは1年前に改装されて東名高速道路のなかでも人気が高いSAのひとつ。朝食にはまだ早すぎる時間ですが、メロンパン・高座豚のカツ・海鮮料理などの人気メニュー以外にも是非食べてみたいと思うものがあったのです。それはゑびな軒の「えび塩ラーメン」(680円)。お腹と相談して同行者とシェアすることに。
 
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桜海老を中心に肉団子・糸とうがらし・水菜・葱(ねぎ)がトッピングされています。先ず出汁(だし)を味わうとエビの風味がかなり強いのです。中細のストレート麺も早朝に食べやすい硬さであり、糸とうがらしのアクセントも良いのですが、水菜とは合わないように感じられ、SAのご当地ラーメンとしては平均的なレベル。つまり、全体のバランスが私の好みでは・・。

駐車場へ戻る途中にこんな表示を見掛けました。
 
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見上げると天井に設置されたカメラのようなものに燕(つばめ)が巣を作っていました。顔を覗かせているのは子燕(こつばめ)のようで、巣の向こう側に親鳥が餌(えさ)を運んで来たようです。
 
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明るくなった空に浮かぶ雲が朝日を受けて輝(かがや)き始めました。
 
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今回は左回りのコースを選びました。足柄SAが近づくと前方に雲のベールに覆(おお)われたような富士山が見えました。頂上付近は朝日に照らされてやや赤みを帯びています。
 
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日の出時間を過ぎたようですから足柄(あしがら)SAにも立ち寄ってみました。雲の合間から朝日が顔を出し始めました。朝靄(あさもや)が幻想的な雰囲気を醸(かも)し出しています。
 
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前回と同様、御殿場JCTから新東名高速道路に入りました。静岡市清水区へ向うのは東名をそのまま走った方が良いのですが、物好きな私はわざわざ新東名経由で遠回りすることにしたのです。
 
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駿河湾沼津SAに立ち寄りました。前回は視界が悪かったので駿河湾と伊豆半島を見たかったのですが・・。前回は眺めただけの築山に登ってみました。薇(ぜんまい)のようにカーブしながら遊歩道が頂上まで続いています。大きな枝垂桜(しだれざくら)が植えられていました。残念なことに今回も薄い雲が伊豆半島方面を覆(おお)っています。
 
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NEOPASA駿河湾沼津の建物を一望。富士山は斜め右方向にあるはずですが、手前の愛鷹山(標高1187m)などが視界を塞(ふさ)いでいるため、このSAからは見ることが出来ません。
 
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しからば長居(ながい)は無用と本線に戻って平坦な道をゆっくり走りました。右手には雲間に飲み込まれそうな富士山が見えます。
 
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次は清水PAにあるNEOPASA清水です。
 
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前回は確認出来なかった富士山ビューポイントを目指すことにしました。やや右寄りの小高い場所です。
 
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途中にある長い歩道橋(上の写真の左端)を過ぎて右手へと登ると展望台がありました。富士山はこの方向ですがついに雲に隠れてしまったようです。
 
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右手方向には駿河湾へ突き出た三保半島(三保の松原)が何とか確認できます。
 
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いよいよ新清水JCTから清水連絡路に入ります。
 
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清水いはらICを通過します。ちなみに「いはら」は清水区の大半とその周辺を含んだ旧庵原郡のことで、現在は地名としては2008年に消滅したため、今は高校や施設の名前に残るだけのようです。
 
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清水JCTを右折して清水IC方面へ向います。
 
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(続く)

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2012年5月13日 (日)

エッセイ集『とは知らなんだ』を読む

面白いタイトルに惹(ひ)かれました。「知らなんだ」の「なんだ」は西日本で使われる古い言葉(今は死語?)で「なかった」を意味します。つまり、この本のタイトルを標準語に改めると「とは知らなかった」になります。著者は日本の方言あるいは歴史に造詣(ぞうけい)の深い人だろうと思いましたが、意外にも明治大学教授鹿島茂氏はフランス文学が専門でフランスあるいはパリについて多くの著作を出版している学者でした。

さっそく近くの本屋さんを梯子(はしご)して探しましたが見つかりません。出版されて2週間後の2月下旬に店内の検索機で調べると「取り寄せが必要」と表示されました。ひょっとしたら図書館の蔵書になっているかとネットで検索しましたが、まだ登録されていません。こうなれば「欲しい時のアマゾン頼み」でAmazon.co.jpにアクセスすると在庫があり、数日後には自宅へ送られて来ました。

『とは知らなんだ』(幻戯書房、2400円+税)は日本語のタイトルに加えて親指と人差し指で輪(飾りメガネ)を作った若い女性のイラストにCest vrai?の文字が描かれています。フランス語で「そうかな?」を意味するようです。本の黒い帯(おび)には「ひざポンの思想、鹿島流考えるレッスン」「訳せないものを無理に訳すと、訳語はかならず誤解を生む。だが、どうやら、文化というものはこの種の誤解の連鎖からも生まれてくるものらしい」の帯文があります。

私が期待した下世話な内容ではなさそうだと思いながら表紙をめくると目次に3つの章に分けられた36のエッセイが並んでいました。第Ⅰ章は「ひげ」「金鯱(しゃちほこ)」「西インド」「クルトンとスープ」「モアイ像」「ロシア式紅茶」「持参金」など多彩です。続く第Ⅱ章には「ピンク色」「青」「コキュ」「恋愛格差社会」「愛」「ロリ顔に巨乳」「Y染色体」「同性愛息子」「蚤(のみ)の夫婦」「ビデ」など色っぽいテーマが並びます。

最後の第Ⅲ章は「就職のパイプライン・システム」「部分対象的善悪二元論」「純粋男系」「謝ってはいけない」「子供がコンビニで買うもの」「英語の発音」「石油枯渇後の日本」「日本式住居表示の謎」などやや理屈っぽいテーマは私好みの内容かもしれません。この章から読むか、最初の章にするか迷いましたが、やはり著者が並べた順に一つひとつじっくり読むことにしました。

 
                         ☆

最初の「ひげは自然か文明か」ではひげが場所によって3つの呼び名(髭・鬚・髯)があることから始めて、頭髪やひげを剃(そ)った古代エジプト人、その支配に反発したヘブライ民族はひげを剃らなかったこと、さらにギリシャ人がひげ文明の象徴になり、ローマではひげを剃るのが普通であったことを一気に説明します。そして東ローマ帝国では再びひげ文化が生まれ、それ以降、ひげ有り文化(ロマン派的)とひげ無し文化(懐古的)がヨーロッパで交替して登場し、ひげが文化や文明の系譜につながるとの見方の楽しさを述べました。

続く「金鯱とルネッサンス」では日本、なかでも名古屋城の天守閣にあるシャチホコとヨーロッパでよく見かける「ドーファン像」(ドルフィン)との類似性に注目した著者が、キリスト教宣教師を介してドーファンがシャチホコになったのではないかとの仮設を立てて検証しました。しかし時代考証から中国起源説(シビがシャチ化したもの)とインド起源説(神話に登場するマカラ)を見出した上で、マラカが中国でのシャチ化に影響を与えたとする考えに著者は賛同します。しかし次の「イルカと名古屋城」ではキリスト教宣教師の陰謀説をあらためて持ち出しました。(内容は省略)

この調子で様々なテーマのエッセイが続きました。そして第Ⅱ章ではフランス文化や恋愛論に疎(うと)い私にとっては難解な話のオンパレードになりましたが、それはそれで「目から鱗(うろこ)が落ちる」のです。

期待した第Ⅲ章は「就職・・」「善悪二元論」「謝ってはいけない(廣田弘毅を引用)」「コンビニ・・」「英語の発音」が特に面白いと思いました。すべてを紹介するには紙面が足りませんので、2つだけ紹介しましょう。

「就職・・」では1990年のバブル崩壊までは日本固有の社会システム(長い時間をかけて希望と現実を擦(す)り合わせて「あきらめ」へと至るシステム)が教育と職業選択だけでなく結婚まで円滑に機能していたが、バブル崩壊後はこのシステムがダウンサイジングし始めて、企業のパイプライン・システムが崩壊したと指摘しました。しかし、団塊世代である親はまだパイプラインの中にいることで、子供の教育パイプライン・システムを連鎖崩壊(れんさほうかい)させなかったため、新しい人材が不良在庫(フリーター・ニート・オーバードクター)として溜(た)まってしまったと解説。さらに結婚システムにおいても同様のことが観察され、負け犬が大量発生したと分析します。
 
                         ☆

『英語の発音』をテーマした「エッツ・アーウァィッ」は、日本における英語教育で「r・l・t・th・f・v」など日本語にはない子音の発音を教えているにも拘(かか)わらず、日本人がネイティブの英米人に通じる発音が出来ないだけでなく、相手の発音も聞き取れない理由を解説します。フランス文学者らしくアメリカン・イングリッシュはフランス語のようにリエゾン(発音しない語末の子音を次語の語頭の母音につなげて発音すること)とアンシェヌマン(発音する語末の子音を同様に次の語の語頭につなげて発音すること)に似た連音現象を伴(とも)なう言葉と化していることを指摘。

Can I have your phone number?は「キャナェ・ハヴョー・フォウン・ナンブゥー」となり、You want to come with us?は「ユー・ワナ・カム・ウェダス」と発音されることと、語末の「t音」や「d音」はほとんど発音されない傾向にあることも挙げました。さらに、これらの子音に続いて母音で始まる単語が来ると連音化して「l(エル)音」として発音されることを、“What about・・?”は「ワラバゥッ」、“What do you like?は「ワルユー・レェク」の例で示します。waterが「ワラー」、not at allも「ノラローゥ」となるのです。また母音の後ろに来る語末のlll音”は半母音化して「ゥ」となることを示し、著者はこれは幼児返りした退化言語であると解釈します。

例示はまだまだ続きます。そして最後にタイトルの「エッツ・アーウァィッ」がIts all rightであることを明かし、この発音の規則を教えておいてくれればいいものをと思うと著者は言います。私もまったく同感です。昔、英会話の先生twenty“が「トゥエニィ」であり、sorry”が「サーウィ」と発音することを教えてくれたことを思い出します。現代の日本人は文字(表記)に捉(とら)われて、しかもローマ字式の発音をすることが最大の問題のようです。最近論議を呼んでいる早期英語教育も英語力のレベルアップになるかも知れませんが、先ずは明治時代の日本人のように原音に忠実である(例えカタカナ表記であっても)ことを重視すれば英会話の能力を大きく向上出来ることでしょう。

そして35番目と36番目のエッセイ「日本の住居表示」は『とは知らなんだ』の最後を飾るのが相応(ふさわ)しい内容で、私にもこんなエッセイが一つでも書けたらと身の程知らずの考えを抱(いだ)かせる優(すぐ)れたエッセイ集でした。速読を旨(むね)とする私ですが、この本を読み終わるまでに2ヶ月以上も掛かってしまいました。

 
                         ☆

『知らなんだ』繋(つな)がりで上記の本には無かった歌についての余談(よだん)を書きます。最近私が注目している「レーモンド松屋」というシンガーソングライターがそのテーマです。

百貨店あるいは牛丼屋のような苗字(みょうじ)に、レーモンドと昔の歌手のようなカタカナの名が付いていることがユニークです。昨年のテレビ番組で偶然聴いた「安芸灘(あきなだ)の風」(2010年)は『きっと来る』のリフレインを多用する歌詞が耳に残り、この歌手の地元である愛媛(えひめ)県西条(さいじょう)市にあるJR予讃(よさん)線壬生川(にゅうがわ)駅を舞台にしたとされ、曲のコード進行が心地(ここち)よい「雨のミッドナイトステーション」(2011年)にも強く惹(ひ)かれました。YouTubeにアップされたこれら2曲はいずれもテレビ東京系で毎週日曜日の早朝に放送される歌番組「洋子の演歌一直線」に出演した時の録画のようです。
 

前者はイントロが戦前にアンドリュー・シスターズがドイツ語を交えて歌ってヒットしたジャズのスタンダード・ナンバー(名曲)Bei Mir Bist Du Shoen(素敵なあなた)のメロディーライン(サビの部分)を連想させるリズム演歌風で、後者は昔のムード歌謡曲のようですが、いずれも歌唱力の素晴らしさが印象に残ります。調べてみると何と59歳になった一昨年に「安芸灘の風」で日本有線大賞新人賞と有線問い合せ賞を、そして昨年も「雨の・・・」で同大賞のロングリクエスト賞を受賞していました。三味線の弱音器を題名にした「しのび駒」(2011年)と霊地四国らしい「森羅万象(しんらばんしょう)」(2012年)も魅力ある歌だと思います。

そして高校時代から40年以上も音楽活動を続けて、インディーズ(自主制作)を経てついに還暦(かんれき)直前にメジャーデビューを果たしたことも知りました。現在は「安芸灘の風」と同様に愛媛県の今治(いまばり)市を歌った「来島海峡(くるしまかいきょう)」(2012年)がヒットし、今年4月には五木ひろしさんに「夜明けのブルース」を提供しています。ちなみに、安芸灘は瀬戸内海西部の愛媛県北西部と対岸の広島県南西部にある海域で、来島海峡はその海域に含まれます。レーモンド松屋さんが団塊(だんかい)世代の星として活躍されることを祈りたいと思います。

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2012年5月10日 (木)

四国・高松への旅 商工奨励館と讃岐民芸館

栗林公園の日本庭園を散策した後は園内にある2つの施設にも立ち寄りました。北庭の檜御殿(ひのきごてん)跡に1899年(明治32年)に建てられた商工奨励館(しょうこうしょうれいかん、旧香川博物館)には香川漆器(しっき)・讃岐かがり手まり・丸亀うちわなどの伝統工芸品やうどんや銘菓など讃岐の味が展示されていました。入口でホーコさんが出迎えてくれます。昔、お姫様の身代(みが)わりになったお側仕(そばづか)えの娘、おマキさん(逸話は省略)を人形にしたものだと説明されていました。
 
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高松張子の虎(讃岐獅子頭も有名)
 
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讃岐彫の両面飾り盆(ぼん)
 
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東隣りにある土蔵造りの讃岐民芸会(さぬきみんげいかん)は奥まった場所にあるためか立ち寄る人が少ないようです。明治時代の蔵を改装したもののようで、讃岐の民芸・民具を中心に木製品や陶磁器、竹工品、金工品、染織物など約3,900点(内990点を常設展示)が収蔵されているそうです。
 
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館内も撮影をして良いとのことで何枚か撮影しました。古民芸館2号館の2階に上がると凧(たこ)が多数展示されていました。蔦紋(つたもん)は松平の家紋(かもん)です。ちなみに丸に三つ葉葵(あおい)は徳川御三家の紋。
 
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左側の凧に昔懐(むかしなつ)かしい児雷也(じらいや)の名前が描かれています。児雷也は妖術使いで大蝦蟇(おおがま)に乗る術が得意技なのです。大蝦蟇・蛞蝓(なめくじ)・大蛇(だいじゃ)が三竦(さんすく)みする関係にあることを小学生の時に少年漫画で知りました。右側の宇治川合戦は源義仲(みなもとのよしなか)を追討するために源頼朝(よりとも)が派遣した源義経(よしつね)が義仲軍を打ち破った戦(いくさ)です。
 
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こちらは勧進帳(かんじんちょう)で、奥州へ向かう義経一行が加賀国にあった安宅(あたか)の関の関守富樫(とがし)左衛門に疑われた時の武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)を描いています。勧進帳は寺院などへの寄付を求める趣意書ですが、今は書かれていないことをアドリブ(即興)で読み上げることを指す言葉にもなっています。
 
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珍しい装飾を見つけました。欄間(らんま)飾りでしょうか。
 
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土釜(どがま)は蓋(ふた)のデザインがユニークです。
 
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1号館には幟(のぼり)や大瓶(おおがめ)が展示されています。幟に描かれているのは黒駒(くろこま)に跨(またが)る源義経と京都・三条大橋の武蔵坊弁慶でしょう。
 
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義経八艘飛(はっそうとび)はもちろん平氏が滅びた壇ノ浦(だんのうら)の戦いです。
 
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時間があれば讃岐民芸館のカフェで中庭を眺(なが)めながら休憩するのも楽しそうです。所用の時間が迫りましたので、民芸館に入る時に見掛けた道標を駆(か)け足で見て回りました。不要(あるいは無用)になって移設された遍路路の道標(遍路石)のようです。民芸館の入口付近には亀の上に載(の)った「こんぴら道」の遍路石があり、指差(ゆびさ)しマークが方向を示しています。
 
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園内順路に近い遍路石には「右 たか松みち」と刻(きざ)まれています。たか松みち(高松道)とは、現在は高松自動車道を指す言葉ですが、昔は高松遍路道(へんろみち)のことで、80番国分寺(綾歌郡国分寺町)・81番白峰寺(坂出市)・82番根香寺(ねごろじ)・83番一宮寺(いちのみやじ)・84番屋島寺(以上高松市)・85番八栗寺(木田郡牟礼町)を結ぶ複数の道を指していました。
 
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同じ遍路石を散策順路側から見ると達筆で読み取り難(にく)いのですが「右 志渡○○」のようです。左側は隠れていますが何か道の名前が刻(きざ)まれています。
 
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「志らみね(白峰)みち」と読めます。
 
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「左 高松道 右 一宮道」は新しいもののようです。一宮道は83番一宮寺へ向う遍路道でしょう。
 
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栗林公園の北東の角(国道11号の脇)にある広場に三木武吉(ぶきち)像がありました。香川県出身の政治家の功績を称(たた)えるため1958年(昭和33年)に一般からの募金で建てられたそうです。台座には鳩山薫書と書かれています。芝公園にある大野伴睦句碑と同じです。ちなみに、名前が良く似ている三木武夫元総理大臣は徳島県の出身で三木武吉氏と親戚ではないようです。
 
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句碑の周囲にはハナミズキが咲いています。1909年(明治42年)に東京市(尾崎行雄市長)からワシントンのポトマック河畔(かはん)に贈られた桜の返礼としてアメリカから贈呈されたハナミズキ(英名:ドッグウッド)を想起するために高松南ロータリークラブが1979年に植えたものでした。
 
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(終)

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2012年5月 9日 (水)

四国・高松への旅 半世紀ぶりの栗林公園(後編)

馬術や弓矢の鍛錬(たんれん)をする場所と伝えられる講武(こうぶ)しゃ(木偏に射と書く字)の脇を通過すると掬月亭(きくげつてい)前に出ました。数奇屋風書院造の茶屋で「大茶屋」とも呼ばれた栗林公園の中心的な建物です。掬月は月を掬(すく)うという意味だそうです。写真では2つの建物がつながっている様子が写っていますが左手にもう一つあるようです。
 
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横手に回ってみました。
 
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右手には小さな「かん翠池(すいち)」があり、鹿鳴原(ろくめいげん)の先には借景(しゃっけい)の紫雲山(しうんざん)が間近に迫(せま)っています。ちなみに「かん」は三水偏(さんずいへん)に函と書きます。
 
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鹿鳴原の右端には石壁(赤壁)を流れ落ちる桶樋滝(おけどいのたき)が見えます。
 
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木立に入った場所には大正天皇お手植松
 
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南湖に沿った楓岸(ふうがん)の坂道を上ります。
 
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掬月亭が南湖に面している様子がよく見て取れますが、茶室は左手の松に隠れて見えません。
 
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石畳(いしだたみ)になった坂道をさらに上ります。
 
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南湖越しに雁行形態(がんこうけいたい)をした掬月亭の全景が見えました。室内では抹茶(まっちゃ)の御手前(おてまえ)が行われているようです。
 
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この木は香川県のモミジの標本木(紅葉前線標本木)であると説明されています。園内には桜と梅の標本木もあるそうです。
 
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南湖に浮かぶ島
 
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掬月亭方面を振り返りました。
 
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楓岸を過ぎると南湖の端を横切る
偃月橋(えんげつきょう)があります。
 

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吹上亭前のせせらぎに咲くカキツバタ(燕子花)
 
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高みの飛来峰(ひらいほう)からは南湖全体と借景の紫雲山が望めます。飛来峰は中国杭州にある名勝地から得た命名といわれるとの説明がありました。
 
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南湖から北湖畔(はん)に出ました。先ほど梅林橋付近から見た芙蓉峰に登ると北湖と借景の紫雲山を一望できました。
 
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北湖を回り込むように進んで北庭に入ると八重桜が盛りを過ぎようとしていました。
 
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百花園跡は高松藩の薬草園だったそうです。さぬき市志度(しど)出身の平賀源内(ひらがげんない)も携(たずさ)わっていたことを知りました。現在は茶園になっています。
 
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商工奨励館の前に出ると花壇(かだん)でハナカイドウが咲いていました。桜と同じバラ科の花です。
 
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栗林公園は期待通りに素晴らしい日本庭園でした。最近注目される「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」で「わざわざ旅行する価値がある」を意味する三つ星に格付けされたことも頷(うなず)けます。これだけ丹念に見て回っても古い記憶が蘇(よみがえ)らないのは半分世紀前の訪問がきっと御座(おざ)なりだったのでしょう。次回は番外編として園内にある商工奨励館と讃岐民芸館を紹介します。(続く)

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2012年5月 8日 (火)

四国・高松への旅 半世紀ぶりの栗林公園(前編)

早めの昼食を済ませて栗林(りつりん)公園へと急ぎました。学生時代に四国を訪れた時に立ち寄ったことだけは覚えていますが、思い出そうとしてもその時の記憶は蘇(よみがえ)りませんので、古い記憶は扠置(さてお)くことにします。栗林公園には東門と北門の2つ門があるようですが東門は観光客が多いだろうと思った私は駅から少し近い北門を選びました。

県道173号を歩いて高徳線のガードを潜ると正面にその北門が見えて来ました。「特別名勝栗林公園」の石柱が目に入りました。
 
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特別名称とは文化財保護法によって指定された名勝の中でも特に価値が高いとされる景観で、富士山天橋立(あまのはしだて)・上高地(かみこうち)・醍醐寺三宝院庭園平城宮東院庭園など全国で35箇所、うち首都圏では六義園(りくぎえん)・小石川後楽園旧浜離宮庭園の3箇所が指定されています。 
 
栗林公園は特別名勝に指定された庭園の中で最大の広さを持つそうです。石清尾山塊(いわせおさんかい)の紫雲山(しうんざん)を背景に6つの池と13の築山を配した江戸時代初期の回遊式大名庭園です。讃岐高松藩初代藩主となった松平頼重(よりしげ)が既存の庭園を整備し、歴代藩主が100年を掛けて下屋敷(現在の庭園)にしたそうです。当時、北門に近い北庭には栗の木が多く植えられて「栗林荘」と呼ばれたことで栗林公園と命名されたようです。
 
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松平頼重は水戸徳川家の長子(ちょうし)として生まれましたが、異母弟の徳川光圀(みつくに、水戸黄門)が水戸家を継(つ)いだため、讃岐(さぬき)高松藩主となりました。これを遺憾(いかん)とした光圀は頼重の長男綱方(つなかた)と次男綱條(つなえだ)を自身の養子とし、実子の松平頼常(よりつね)を兄頼重の養子としたことはテレビドラマ「水戸黄門」でも時々紹介されました。

さて折角(せっかく)訪れた栗林公園ですから、無粋(ぶすい)な解説はこれまでにして、園内で撮影した写真紹介に徹(てっ)したいと思います。同園のhpに掲載されている1時間コースをほぼ踏襲(とうしゅう)しましたので、足りない情報は見どころマップを参照してください。

入場料は大人が400円。チケット売場で栗林公園案内図を手渡れた時に右手へ進むようにアドバイスされました。
 
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案内図の順路は左手の道を指しているのに変だと思いながら言われた通りに右手の道に入るとその理由が分かりました。時期を過ぎた桜並木には花茣蓙(はなござ)が敷(し)き詰(つ)められていたのです。
 
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こちらにはヤブツバキ(薮椿)の花茣蓙も。
 
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すぐ先にある芙蓉沼(ふようぬま)には石梁(せきりょう、石橋)が架けられています。
 
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石梁から左手を見ると芙蓉沼は一面に蓮(はす)が植えられています。初夏には美しい花が咲き乱れるのでしょう。芙蓉沼の名前に疑問を持って調べると、芙蓉の顔(ふようのかんばせ)がハスの花のように美しい顔(美人の顔の形容)であることを知りました。やはり私の悪い癖(くせ)が出てつい脇道にそれてしまいました。
 
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檜御殿(ひのきごてん)跡に順路が続きます。
 
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鶴亀松(別名百石松)です。松の下に少し覗(のぞ)いていますが110個の石で形作られた亀の上に鶴が舞う目出度(めでた)いモチーフを表現しているそうです。
 
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一際目立つのは立ち枯れそうになった松
 
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根上り樫(かし)がありました。「根上り」とは根が地表に出た状態を指す言葉ですが、案内板によれば老松の股(また)の部分に根を下ろして成長した樫の木が、老松の枯れた後に、現在の形になったと説明されています。確かに二股(ふたまた)であった跡が残っています。
 
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北湖に浮かぶ島が水面(みなも)に映(うつ)っています。
 
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北湖で泳ぐ鯉(こい)
 
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通路の左手奥にある背が高い方が屏風(びょうぶ)松で、右手前の低い方が箱松。建物の目隠しに作られたそうです。
 
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梅林橋(別名赤橋)は説明が不要でしょう。
 
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梅林橋付近から見た北湖には2つの島と、その奥に富士を縮景(しゅくけい)した芙蓉峰(ふようほう、富士山の異称)が配されていると説明されています。
 
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夫婦松(めおとまつ)
 
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ぼたん(牡丹)石(奥の方)と見返り獅子(しし、手前)の2つと睨(にら)めっこをしましたが・・・。
 
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鮮やかなピンク色はハナズオウ(花蘇芳)でしょうか。
 
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(続く)

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2012年5月 7日 (月)

四国・高松への旅 瀬戸大橋周辺と讃岐うどん

大阪に立ち寄る切っ掛けとなった今回の旅の主目的地である四国の高松市へと向かいました。高松市は四国遍路の折に2008年1月同年12月の2度立ち寄っていますし、昨年も2月に所用で訪れていますが、いずれも時間の制約で高松市を代表する栗林(りつりん)公園には立ち寄ることが出来ませんでしたので、40数年前の学生時代に一度訪れたことがあるこの公園を今度こそ訪れようと思います。

今回も所用を兼ねた旅ですから、ドライブではなく新幹線を利用することにして、午前8時59分に新大阪駅を出発するJR西日本の「みずほ605号」に乗車しました。
 
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新神戸駅を経て岡山駅までわずか46分、山陽新幹線の到着時刻に合わせてあるため10分弱の乗り換え時間でJR快速「マリンライナー19号」に乗車できました。昨年の高松行きでも同様の組み合わせの列車を利用しています。
 
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自由席でも良いのですが途中で撮影したいものがありますから先頭車両(2階建ての1号車)の指定席を選びました。
 
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瀬戸大橋のほぼ中央に位置する与島(よしま、坂出市)の上を通過。瀬戸大橋の開通で見込まれた観光客向けにオープンされた瀬戸大橋フィッシャーマンズワーフ(旧京阪フィッシャーマンズワーフ)が見えますが、現在閉鎖されて人影はありません。瀬戸大橋は開通した1988年当初は多くの来場者があったそうですが、通行料金が割高であったこととバブル経済が崩壊したため、昨年11月に休業となったようです。
 
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与島とつながる鍋島(なべしま)の鍋島灯台は明治年に設置された洋風灯台(現在は無人)。「予」は「くみする」の意で多くの島が組みになっていることで名付けられたとする説があるそうです。鍋島はもちろん鍋を伏せたような形が名の由来です。無粋(ぶすい)なことに鉄橋の一部が写ってしまいました。
 
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右手にお目当ての瀬戸大橋タワー(坂出市番の州緑町)は頂上部に近い展望台を確認できますが鉄橋の一部が下部を隠しています。高さ132mと定員100名を誇(ほこ)る世界一の回転昇降式タワーで、108mの高さにある展望台から300mほどしか離れていない瀬戸大橋はもちろん、瀬戸内海を360度見渡せるそうです。
 
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瀬戸大橋の開通を記念する博覧会のアトラクションとして1988年に建てられ、その終了後も恒久施設として瀬戸大橋記念公園内で営業を続けているとのこと。営業開始時間の午前9時を過ぎているので期待しましたが昇降式キャビンは下に降りているようです。後で確認すると四国遍路をした時に第78番郷照寺(ごうしょうじ)の鐘楼(しょうろう)脇から瀬戸大橋を撮影した写真にも写っていました。

左手の埋立地にあるコンビナート(三菱化学)で、左端(鉄塔の影)に少し写るのは以前離れ島であった旧瀬居島(せいじま)のようです。
 
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右手に目を転じると白いビルの先に細長いものがもう一つ見えてきました。隣の宇多津町にあるゴールドタワーです。写真では分かりにくのですが、金色のハーフミラーを7000枚以上も貼り付けた高さ158mの高層ビル(展望台は127mの高さ)です。四国の玄関口に建つこのビルも瀬戸大橋の開通に合わせて建てられましたが、2001年には瀬戸大橋フィッシャーマンズワーフと同様に一時閉鎖に追い込まれましたが、経営が変わったことでプレイパーク・ゴールドタワーとして見事復活を遂(と)げたそうです。
 
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讃岐富士の飯野山(標高422m)に見とれているうちに岡山駅から1時間弱で高松駅に到着しました。昨年は季節外れの雪が降っていたことを思い出します。
 
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JR高徳線の徳島行きの気動車に乗るとわずか5分で栗林公園北口駅に着きましたから、新大阪駅を出発して2時間4分しか経過していません。これが車だと阪神高速梅田出入口から鳴門大橋を経由して高松中央ICまでは約190kmの距離で、渋滞が無くても約2時間40分は掛かりそうです。
 
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栗林公園北駅は名前とは不釣合(ふつりあい)な雰囲気で、中野稲荷(いなり)神社駅と呼んだほうが似(に)つかわしいと思われます。この無人駅のホームは右手の階段を上がった場所にあります。
 
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写真でも分かるようにこの駅とお稲荷さんは古墳時代前期(4世紀後半)と推定される姫塚(ひめづか)古墳がある稲荷山(いなりやま、標高166m)の麓(ふもと)に位置しています。この付近には石舟積石塚や北大塚などの積石塚古墳や多数の横穴式石室が点在する石清尾山古墳群(いわせおやまこふんぐん)がありり、高松空港寄りには姫塚古墳より少し古い船岡山古墳もある古墳時代の初めから開けた場所だったようです。
 
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栗林公園北口駅から北東に伸びる路地を歩きました。午前11時を回ったところですが、栗林公園を訪れる前に早めの昼食にすることにしました。マンホールは源平による屋島の戦いにおいて扇の的に矢を当てた那須与一がデザインされています。
 
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八幡通に出ると、石清水八幡宮の末社(まっしゃ)である道祖(どうそ)神社の石柱の向い側に「手打ち 誠うどん」がありました。午前11時の開店時間を過ぎていますが、女将さんらしき人が巨大なタヌキの置物が置かれた店先を掃除しています。外からも見える場所でうどんを打つご主人の姿も。近くの公園を眺(なが)めたりして時間を潰(つぶ)しました。
 
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11時15分頃に軽自動車が店先に停って店内に入る家族連れの客が見えましたので私もその人達に続きました。地元住民のための讃岐(さぬき)うどんの店のようでセルフ方式ではありませんが、「むすび」「いなり」「ちらし」がメニューに入っています。
 
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「かけうどん」は150円と格安で心を惹(ひ)かれますが、私は心積もりをしていた「かしわうどん」(350円)を注文しました。鶏肉(とりにく)と薄目(うすめ)のアゲの他にワカメ・ネギ・ショウガがトッピングされています。先ず味わったイリコ出汁(だし)は私好みの口当たりの良さです。中太麺(ちゅうぶとめん)は讃岐うどんとしてはモッチリ感が少ないのですが濃い目の味付けをした鶏肉との相性が良いものです。そしてワカメの食感も楽しめました。
 
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ちなみに、かしわ(黄鶏)は羽色が茶褐色(ちゃかっしょく)の鶏(とり)を意味しましたが、現在は鶏肉全体を指す言葉になりました。東日本では馴染(なじ)みが薄い呼び方ですが西日本では一般的のようです。

「かしわうどん」に満足して店を出る時に愛想(あいそう)の良い女将(おかみ)さんに気になっていたことを訊(たず)ねてみました。カウンターに並べられた大き目の茶碗蒸(ちゃわんむ)しの器(うつわ)ようなものです。「うどんの醤油(しょうゆ)を入れるものです」と教えて下さいました。
 
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12時に近くなると店内はさらに混み始めました。(続く)

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2012年5月 5日 (土)

大阪の背が高いもん巡り 大阪府咲洲庁舎

えびす町入口から阪神高速1号環状線に入り、本町JCTで阪神高速16号大阪港線へそれて天保山(てんぽざん)方面を目指しました。天保山は港区にある標高4.53mの築山(つきやま)で日本一低い山と言われるそうです。阪神高速の天保山出口から国道172号(みなと通)に出て大阪港咲洲トンネルを潜(くぐ)りました。大阪湾の人口島「咲洲(さきしま)」へ向かう有料の海底トンネル(長さ2200m、通行料金100円)です。

トンネルを出て地下鉄中央線のコスモスクエア駅を回り込むように左折すると、広い道路の前方に高層ビルが見えてきました。一際高い中央のビルが3番目の目的地「大阪府咲洲庁舎」です。大阪で一番(日本で3位)の高さ256mを誇(ほこ)るこのビルは1995年に大阪ワールドトレードセンター(WTC)ビルディングとして建設されましたが、オフィス階(地上52階)の入居率が不振であったため、2010年に大阪府に85億円で買収されて第ニ庁舎(咲洲庁舎、愛称はコスモタワー)となりました。
 
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左手のビルはミズノ大阪本社が入るミズノクリスタルビル(地上31階、高さ147mの複合ビル)、後方は南港コスモプラザビル(地上15階、高さ71mの貸事務所)、右手はハイアットリージェンシー大阪(地上28階、高さ約112mのホテル)です。いずれもこのコスモスクエア地区が大阪市の副都心となることを想定して建てられたようです。

南東の歩道から見上げたコスモタワーは迫力があります。
 
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エントランス周辺には円錐形(えんすいけい)のオブジェが並んでインパクトがありますが、私には巨人向けの健康踏み石にも見えて足裏が痛そう・・。
 
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地下の有料駐車場に車を停めて1階へ上がりました。3階まで吹き抜けになった広大なホール「フェスパ」はバブル期を思わせる仰々(ぎょうぎょう)しさがあります。館内に人影がほとんどないのは、昨年の東日本大震災によって長周期地震動に弱いことが判明したことで、府庁移転案が頓挫(とんざ)したことが影響しているのかも知れません。昔、バビロンにあったと言われるバベルの塔を連想してしまいました。
 
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フェスパの入口(南東角)に近い場所に展望台への入口が表示されています。入場料は大人500円、子供200円。立ち居振る舞い(つまり応対)に好感が持てる係員にエレベーターへ案内されて一気に最上階(52階)まで上がりました。そこからは青空へ登るように演出された長いエスカレーターで55階へ。
 
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大阪で一番高い展望台から楽しめる全方位の眺(なが)めは最高です。通天閣の展望台と同様に大きく傾斜したガラス越しに素晴らしい景色が広がりました。
 
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東の方向を望むと、左手前にドコモ大阪南港ビル(帆船のマストを思わせる高いアンテナ塔)、その先がコンテナーヤード、そして通天閣から確認出来た阪神高速4号湾岸線の港大橋が正面に、その右端から遠方へと視線を移すと建設中の「あべのハルカス」が見えます。天王寺公園の中央にある白いものが通天閣かも・・。橋の左端を延長したところに大阪城らしきものがあり、その左手前は京セラドームでしょう。
 
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そして港大橋から阪神高速で左へ行くと八幡屋公園にある大阪プールのドームが確認できました。その後方に建つ高層ビル(最上部が三角形)はホテル大阪ベイタワーが入るORC200・オーク1番街(地上51階、高さ約200mの複合ビル)で大阪市ではコスモタワー・北浜タワー(地上54階、約209mのマンション)・クロスタワー大阪ベイ(地上54階、約200mのマンション)に次いで4番目に高いビルです。

北東の方向です。右端に写るのは阪神高速5号湾岸線天保山大橋(橋長640m)、手前の観覧車と吊り橋のような斜張橋(しゃちょうきょう)の間にある緑地が天保山のある天保山公園、橋の左後方がユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJのようです。ちなみに斜張橋は、新東名の記事で触れたエクストラドーズド橋と斜材が使われている点は似ていますが、吊り橋に近い構造です。左の此花(このはな)大橋は橋長が540m(延長1.7km)の吊り橋。やはり大阪は今も八百八橋の町なのです。
 
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北方には竹とんぼのようなものがありますので同行者に質問してみると、「レーダーのアンテナでしょ」との即答が返ってきました。さすが私と同じアマチュア無線家ですが、大阪に来ても同行者はボケと無縁のようです。ちなみにこのレーダーはJRC製。左上の白い夢舞大橋の先には舞洲(まいしま)スポーツアイランドの舞洲ベースボールスタジアムが見えます。この夢舞大橋は人工島の夢洲(ゆめしま、大阪市最西端)と舞洲を結んでいます。
 
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展望台の西側にはセミボックス形の展望席が並んでいました。一つのブースに2人掛けのベンチが2つ並ぶ構造です。
 
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大阪湾の対岸には右から西宮市・芦屋(あしや)市、神戸の市街地と神戸港、さらには神戸スカイブリッジでポートアイランドと結ばれる神戸空港(マリンエア)の人口島などを望むことが出来ましたが、通天閣から見えた明石海峡大橋は残念ながら夕靄(ゆうもや)に包まれています。
 
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すぐ近くに見えるのは大阪市立海洋博物館「なにわの海の時空館」のエントランス棟(半球形の建物内は4階建)とその展示棟(円形のガラスドーム)です。2つの建物は海底トンネル(長さ60m)で結ばれているようです。手前の道路は夢洲と咲洲を結ぶ夢咲トンネルへと続いていました。
 
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真下に見えるのは大規模複合施設のアジア太平洋トレードセンターATC)、大型複合商業施設の(タウンアウトレット「マーレ(MARE)」が入っています。岸壁に接岸する船はフェリーのサンフラワー号で、大阪と別府や鹿児島(志布志)を結んでいます。
 
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南西方向に回ると大阪国際見本市会場(愛称はインテックス大阪)の巨大な施設を見下ろせます。日本国内では東京ビッグサイト幕張メッセに次いで3番目に大きい国際展示場です。その奥で異彩(いさい)を放(はな)つ黄色い建物は工作機械用数値制御装置と産業用ロボットで知られるFANUCの関西支店。
 
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いつの間にか空が明るさを失い始めましたから、もう一度西側へ戻って夕日を撮影しました。咲洲と夢洲の間の大阪湾が夕日に映えています。そして遠方のポートアイランド付近もスポットライトを当てられたように輝いています。晴れていればもっと素晴らしい夕景色(ゆうげしき)が見られるのでしょう。ここまで楽しんでいたオチビちゃんとコチビちゃんがくたびれ始めたようですから二人の自宅へと急ぎました。
 
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今回は立ち寄りませんでしたが、JR大阪駅近くの新梅田シティにある梅田スカイビル(地上40階、高さ173m)の空中庭園展望台は屋上の空中庭園にも出られるそうです。次の機会には超高層ビルとしては珍しいその屋外展望台からの景色を楽しみたいと思います。(終)

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2012年5月 4日 (金)

大阪の背が高いもん巡り 通天閣(後編)

東南東には天王寺駅があります。その隣接地で建設中の高層ビルは2014年春に完成する予定の「あべのハルカス」です。百貨店・オフィス・ホテル・美術館などが入る予定の複合ビルです。完成すると地上60階(地上高約300m)の日本一高いビルになるそうです。ちなみに現在の日本一高いビルは横浜ランドマークタワー(地上70階、高さ約296m)です。ハルカス(晴るかす)とは「晴れ晴れとさせる」を意味する古語だそうです。現在の高さは200mを越えたと伝えられます。
 
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壁側(かべがわ)に黄金色の像がありました。ビリケンさんかと思いましたが「夢をかなえるゾウ」(インドの神様ガネーシャ)でした。
 
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同行者が通天閣スカイウォークのポスターを見つけました。2011年から地上75mの高さにある点検用の屋外通路が有料で一般に公開されています。
 
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同行者が仲間を募(つの)るとオチビちゃんとコチビちゃんが希望しましたが、小学1年生以上の年齢制限でコチビちゃんは来年まで待つことになりました。納豆と高いところが苦手(これは冗談!)である私は自主的に辞退。
 
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同行者とオチビちゃんの2人は安全ベルトを装着しました。コチビちゃんとそのお母さんがチェック係です。
 
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東京タワーと東京スカイツリーの展望台と同様、斜めになったガラス窓にカメラを密着させて下を撮影すると2人が現れると思われる通路が何とか写せました。ちなみに通天閣(高さ103m)の設計者は内藤多仲(たちゅう)博士で、東京タワー(高さ333m)や名古屋テレビ塔(高さ180m)も手掛けたタワー設計の第一人者だそうです。ちなみに完成時期は通天閣が1956年、東京タワーが1958年、名古屋テレビ塔は1954年ですから、一番背が高い東京タワーが三男とも言えます。
 
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そして2人が通路に出て来ました。(左側の緑色と黒色の人物)
 
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90度移動するとビリケン像らしきもの(正しくはスカイビリケンのテンちゃん)が見えます。ここで希望者は記念撮影をしてもらうのでしょう。
 
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さらに90度移動した2人はすっかり慣れたのか高所を楽しんでいるようです。オチビちゃんは何かを指差しています。後で聞くと、スパワールドの隣りで撤去されつつあるジェットコースターのことをガイドに聞いていたそうです。調べてみると、2007年まで営業していた遊園地「フェスティバルゲート」の跡地でした。
 
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無事に生還(せいかん)したお兄ちゃんをコチビちゃんが出迎えました。
 
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エレベーターへ向かう同行者たちと別れて私は階段を下りました。
 
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スカイウォークへの入口があります。もちろんドアは閉まっていますから安全。スカイウォークを紹介するビデオをYouTubeで見つけました。ココをクリックすると見られます。
 
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踊り場には様々な言葉が貼り紙に書かれて下りる人を激励(げきれい)してくれます。
 
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400段の階段を一気に下りると3階に出ました。売店横には「ルナパークジオラマ」があり、その中央に初代通天閣の模型がありました。確かに新世界の雰囲気。
 
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その反対側にお目当てのビリケン(BILLIKEN)さんが安置されています。通常は5階展望台のビリケン神社に置かれているようですが、工事のため暫定的(ざんていてき)に3階へ移されたようです。
 
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そこに説明されている由来は意外なものでした。アメリカの女流美術家E.I.HORSMAさんが奇怪(きかい)な神様の姿を夢見て1908年(明治41年)に創った像で、当時アメリカで大流行、その像を明治45年新世界にあったルナパークにビリケン堂を造って安置したことが説明されていました。行方不明になっていたものを探し出して現在の場所に安置したことも。注釈;通天閣のhpでは1980年(昭和55年)頃に木彫で復元したと説明されていますが・・。

そして通天閣を後にしましたが、大事なものを見忘れて、またもや画竜点睛(がりょうてんせい)を欠いてしまいました。戦前の関西棋士(きし)界を代表する坂田三吉さんを顕彰(けんしょう)して1969年(昭和44年)に建てられた王将碑です。通天閣への入口とは反対側の広場にあったようです。ちなみに坂田三吉(阪田とも表記)さんは日本将棋連盟から最高位の名人・王将の称号を贈られたことと、通天閣が登場する村田英雄さんのヒット曲「王将」でも知られます。(続く)

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2012年5月 3日 (木)

大阪の背が高いもん巡り 通天閣(前編)

上町筋(うえまちすじ)を上本町6交差点まで南下して千日前通り(府道702号)へと右折、下寺町交差点を左折して阪神高速1号環状線に並行する松屋町筋(大阪市道天神橋天王寺線)を南下、公園北口交差点を右折して国道25号に出て、さらに恵美須東交差点を左折した春日通りの正面に通天閣が見えてきました。

 
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この辺りは難波(なんば)と天王寺(てんのうじ)の間にある新世界という名前の繁華街で庶民的な雰囲気があります。1903年(明治36年)に開催された博覧会の会場に選ばれたこのエリアには西洋風建築やメリーゴーラウンドなどが造られたことから新世界と呼ばれるようになったそうです。
 

フランス・パリの凱旋(がいせん)門周辺を模(も)したように通天閣から放射状に6本の道が伸びていますが、南に伸びる通天閣南本通りには「たこ焼」や「串かつ」などの店の派手な装飾と自転車の多さが目につきました。遠くに天然温泉「スパワールド」の看板も見えます。そして、あのキン肉マンが新世界100周年記念事業の公式キャラクターに選ばれていました。
 
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通天閣の北側にある新世界元祖串かつ「だるま」(通天閣店)には長い行列が出来ています。本店(新世界総本店)は先ほどの繁華街を入った場所にあるようです。
 

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北西方向に伸びる通天閣本通は恵美須(えびす)交差点に抜ける繁華街で、沖縄料理、中華料理、韓国料理、インド料理などのエスニックな飲食店が多いようです。そしてアーケードがあるためか他の通りとは異なる雰囲気があります。
 
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現在の通天閣は高さ103mで1953年に建設された2代目。初代は1912年にルナパークに建てられたパリの凱旋門の上にエッフェル塔を載せたような愉快なタワーだったそうです。ちなみに通天閣の名は「天に通ずる高い建物」を意味するとのこと。
 
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すぐ近くの駐車場に車を停めて通天閣へ向かいました。前方に停(と)まる派手なマイクロバスは新世界(通天閣下広場)と日本橋駅や難波(なんば)駅を結ぶ無料送迎バス(30分間隔)でした。その先にちょっと見えるのは通天閣の下部です。
 
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通天閣の入口には「40分待ち」の看板が見えます。奥のエレベーターまで20-30人ほどなのにそんなに待つことが疑問です。エレベーターを待つ間に辺りを見回すと下り専用の階段を見つけました。私には大事なチェックポイントです。もう一つの貼り紙で混雑の原因が分かりました。2階にチケット売り場があるのです。そして残念なことに5階(91m)の展望台は工事中であることも知りました。
 
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10分近く待って「円形エレベーター」で2階へ上がることが出来ました。そこには大変な混雑が・・。さっそくチケットを購入して時計回りの長い行列の最後尾に並びました。さきほど見た繁華街の先にスパワールド 世界の大温泉の全景が見えます。「世界最大級」と銘打っているところが大阪らしいと思います。
 
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最初のコーナーを曲がるとコンビニでも売られている駄菓子の「うまい棒」や東京・日本橋人形町の人形焼きを真似た「ビリケン人形焼カステラ」などが売られていました。オチビちゃんは「うまい棒」を眺めているようです。
 
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こちらは話題の「面白い恋人」。札幌の有名なクッキー「白い恋人」の物真似(ものまね)だとの指摘を受けた大阪の新名物です。
 
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ビリケンの串カツ屋には「ソースの二度づけ禁止!!」と大阪(厳密には新世界)らしい注意書きがあります。ソース容器を共有した時代の名残なのでしょう。
 
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伊香保温泉でも見掛けた昔懐かしいホウロウ看板が4枚飾られています。あれから探し続けて5年が経過した大村(こん)さんのオロナミンCドリンクの看板を通天閣の2階で見つけた私は思わず感涙(かんるい)に咽(むせ)んでしまいました!
 
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「ビリケンの盃にコインがみごとに入れば、あんたはめっちゃラッキーになれるでぇ〜♪」と書かれた「ビリケンの泉」です。これもローマの有名な観光地「トレビの泉」を捩(もじ)っています。
 
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やっと展望台行きのエレベーターに乗れることに。ここまで38分掛かっていますから入口の表示はかなり正確でした。
 
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エレベーターの天井には兎(うさぎ)ではなくビリケンさんが月に居る姿が映し出されています。
 
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4階の展望台(86m)から北方の大阪城方面を望みました。黒っぽいクリスタルタワーの壁面を背景に大阪城が浮き出て見えます。右手は大阪ビジネスパークのビル群。
 
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西方のUSJに近い天保山(てんぽうざん)方面には阪神高速16号大阪港線と高層ビルの大阪府咲洲(さきす)庁舎(中央の高いビル、約8kmの距離)などがはっきり確認できます。右手は六甲山(標高931m)の山並み、阪神高速の橋に隠れていますがその右端に明石海峡大橋がわずかですが覗(のぞ)いています。そして咲洲庁舎の左側にある山は淡路島の篝場山(かがりばやま、標高244m)でしょう。
 
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(続く)

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2012年5月 2日 (水)

大阪の背が高いもん巡り 大坂城(後編)

売店で休憩をすることにしました。焼きそばやホットドッグを食べた後、オチビちゃんとコチビちゃんはレモンソーダを仲良く飲んでいます。
 
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天守閣へ向かう途中で駅員姿の大道芸人が昔懐かしいマジックリングの手品を披露(ひろう)していました。
 
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大阪城と上田城は友好城の関係であることを知りました。真田幸村を通じて深い間柄があると説明されています。当ブログでは上田城の記事で関が原の戦いと大阪城冬の陣・夏の陣における真田幸村の活躍に触れています。
 
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残念石は大阪城築城の時に小豆島で切り出された石材が使用されずにそのまま石切り場に残されていたものが、昭和56年に大阪と小豆島の青年会議所が協力して大阪城へ運んで設置されたことが説明されていました。
 
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天守閣を見上げて撮影しました。
 
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いよいよ天守閣に入ります。風俗図屏風(ふうぞくずびょうぶ)にみるテーマ展「世情」が開催されているようです。
 

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石段を上がった場所に号砲(ごうほう)を見つけたオチビちゃんとコチビちゃんがそれに跨(またが)った時に係員に注意されてしまいました。保護者が側に居ないと思われたようです。(写真は省略)

オチビちゃんは兜(かぶと)を被(かぶ)って戦国武士の扮装(ふんそう)したいと言い出して、大きな鹿の角が付いたものを選びました。
 
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陣羽織(じんばおり)を羽織(はお)ったところです。
 
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コチビちゃんはもちろんお姫様に扮(ふん)します。(写真は省略)
 

最上階(8階)から南西方向に大手門と西の丸庭園、そして大阪府警察本部(左後方)と大阪府(右後方)など大阪市の中心部が見えます。県警本部の左隣りのユニークな形をした建物は大阪歴史博物館です。
 
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左回りに進むと、金の鯱(しゃちほこ)が手の届きそうな距離に見え、その先にはレンガ造りの旧大阪市博物館と木立包まれた豊國神社・白玉神社の境内があります。その先にある白い鉛筆のように細長いのはメゾン・ド・ヴィレ大阪城前(マンション)、右隣がKKRホテル大阪、鯱の左後方にあるのは一番櫓(やぐら)、木立の先にある茶色の屋根にオレンジの壁が目立つ建物は森ノ宮遺跡跡に建てられた高床式(ピロティ方式)の劇場「森ノ宮ピロティホール」です。
 
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大手門の南東にある六番櫓(ろくばんやぐら)をズームアップすると、難波宮跡と茶色い高層マンションのD
グランセ上町台ハイレジデンス(地上28階)の左横に通天閣(つうてんかく)が小さく見えました。後方の山は大阪府と和歌山県の境界にある和泉葛城連山(いずみかつらぎさん)でしょう。
 
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こちらは無線塔が針鼠(はりねずみ)の針(毛)のように林立する生駒山(いこまやま、標高642m)。大阪府と奈良県の各テレビ局(FM COCOLONHK FM奈良を含む)の送信塔が別々に建てられているため8基(奈良県側にも4基)の塔が並んでいるのです。ただし大阪にある他のFM局(3局)は大東市の河内飯盛山(標高314.3m)に送信所があるようです。そして放送局の送信所だけでなくNTTや官公庁などの無線中継所も多数ある生駒山は正(まさ)に「電波銀座」なのです。
 
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オチビちゃんとコチビちゃんは初代と2代目の大阪城模型と大阪城の歴史を説明するビデオ・ブースを何ヶ所も梯子(はしご)しながら熱心に見入っていました。後でオチビちゃんに聞くと説明の内容は良く分からないがビデオは面白かったとのこと。
 

桜門へ戻る途中、内濠に出た時に北方を見やると内濠に大阪ビジネスパークのクリスタルタワー(地上37階、高さ約157m)の影が写っていました。右隣の細いビルはOBPパナソニックタワー(地上38階、高さ約157m)とTWIN21 MIDタワー(地上38階、高さ約157m)、その手前は松下IMPビル(地上26階、高さ約125m)でしょう。
 

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オチビちゃんとコチビちゃんは元気そうですから、2つ目の「大阪の背が高いもん」へ案内することにしました。
 
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(続く)

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2012年5月 1日 (火)

大阪の背が高いもん巡り 大阪城(前編)

ゴールデンウイークに入りました。高速道路や観光地はどこも大変な混雑のようですから、わが家は例年通りに遠出を避けて自宅でのんびりと過ごしています。ゴルフ練習場やスイミングへ出かけたり、最近始めたトレーニングジム通い、時には近くの店に美味しいものを食べに出かけたりと、結構充実した毎日が続いています。そして身体を動かすことが好きでヨガやダンス教室へ通っている同居者もトレーニングジムに同行するようになったことで張り合いが出た私はランニングマシンで走ること(まだジョギングレベル)もできるようになりました。

こうした日常生活はさて置き、連休前に大阪を訪れた時の出来事を紹介します。小学2年生になったオチビちゃんが歌う「♪大阪にはうまいもんがいっぱいあるんやで♪」(大阪うまいもんの歌)の歌詞が印象に残りました。お手本の歌はこちら。「大阪にはうまいものと珍しいものが一杯ある」と言う主旨(しゅし)の歌詞にヒントを得て、「大阪には背の高いもんがいっぱいあるんやで」をテーマに大阪市内にある背が高いもの(せぇたかのっぽ)を巡(めぐ)ることにしました。

オチビちゃんとコチビちゃんは遠くから見ただけでまだ大阪城を訪れたことがないと2人のお母さんから聞き、地元で暮らす2人を案内することにしました。大阪城を何度も訪れている私は「大阪造幣局の桜の通り抜け」「大阪城物語」「大川・中之島の橋梁群」の記事で大阪城を紹介しています。下の写真は今年1月に撮影した乾櫓(いぬいやぐら)と大阪ビジネスパークのビル群。
 
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阪神高速13号東大阪線の森之宮出口を出て難波宮跡脇を通過し、法円坂交差点と馬場町交差点を通過して大阪城公園内にある大阪城駐車場に車を停めました。ここが満車の場合には少し東にある森ノ宮駐車場でも良いでしょう。何故か「森之宮」と「森ノ宮」の表記が混在しています。ちなみに「森之宮」の地名は森之宮神社、正式名称は鵲森宮(かささぎもりのみや)に由来するそうです。

駐車場から南外濠(みなみそとぼり)に沿って歩きます。修学旅行の団体が列をなして歩く頭上では桜並木がほとんど葉桜になっていました。
 

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濠では亀が甲羅干(こうらぼ)しをしています。
 
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南外濠を大きく回り込んで玉造(たまつくり)口跡を左に折れると八重桜が綺麗に咲いていました。写真撮影する人達が大勢います。
 
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一行は桜門を目指します。
 
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蓮如上人(れんにょしょうにん)袈裟(けさ)がけの松に立ち寄りました。蓮如上人はこの地に大阪御坊(後の石山本願寺)を造った本願寺中興の祖(ちゅうこうのそ)です。
 
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その西側には「南無阿弥陀仏」の石柱が建てられて、大阪(石山)本願寺の跡であることを示す唯一の史跡になっています。
 
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内堀沿いに広々とした経路が続きます。高層マンションのグランドメゾン大手前タワーが正面に見えます。
 
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豊臣秀吉を祀(まつ)る豊國(ほうこく)神社です。
 
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前方に桜門が見えて来ました。桜門の左右に位置するのは竜虎石(右は竜石、左が虎石)と呼ばれるそうです。
 
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オチビちゃんが右手の空堀(からぼり)を眺(なが)めています。
 
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桜門を入った正面にある巨大な石は大阪城第1の巨石蛸石(たこいし)で36畳敷相当の大きさ(推定重量130トン)があるそうです。名前の由来は左下角(すみ)に見える石から鉄分が沁(し)み出て出来た模様が蛸に似ていることによるそうです。
 
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枡形(ますがた)を抜けます。
 
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突然、天守閣が現れました。現在の天守閣(高さ54.8m)は3代目です。初代はもちろん豊臣秀吉が造ったもの(高さ約40m)で、2代目は1620年に徳川秀忠が天守閣(約58m)と城全体を立て直しましたが約40年後に天守閣は落雷で消失、1931年(昭和6年)に3代目が再建され、平成の大改修を経て現在に至っています。
 
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大阪万博のタイムカプセルと満開の枝垂(しだれ)桜を入れて天守閣を撮影。
 
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武者姿と一緒に写真を撮る人は海外からの観光客のようです。
 
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(続く)

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