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2012年6月に作成された記事

2012年6月30日 (土)

渋谷ヒカリエ

10日余り前のことです。東京駅の新幹線ホールで関西へ向う留学生達を見送りました。昨年と同様に同行者の口から「もうお昼ね!」と外食を催促する言葉が・・。昨年は東京駅の駅ナカで適当な店が見つからず、大井町のラーメン店「江戸一」になりましたから、今年もラーメン店では意外性がなく面白くありません。心積もりをしながら山手線の外回りに乗りました。

「どこまで行くの?」と聞く同行者に向かって私は素直に渋谷だと答えると、「渋谷?もしかしてヒカリエ?」と同行者の勘(かん)が冴(さ)えていました。TRICK(トリック)の主役である超天才マジシャン山田奈緒子の決め台詞、「全部すべて、まるっとスリっとゴリっとエブリシングお見通しだ!」と言わんばかりです。

JR渋谷駅の東口を出ると目の前に「渋谷ヒカリエ」(地上高182.5m、地上34階)が聳(そび)えていました。レゴブロックで組み立てたような建物は、工事中には何度か見たことはありましたが、訪れるのは今回が初めてです。高層階のオフィスには横浜ベイスターズを買収したDeNAと人気アプリLINEで知られるNHN Japanなど今絶好調のIT企業が入っているそうです。ちなみに施設名称の「ヒカリエ」は『渋谷から未来を照らして世の中を変える光になる』と言う願いに由来するとのこと。
 
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渋谷ヒカリエに向う歩道橋が見えますが、なぜか手前半分はサイズが小さいようです。この歩道橋へどこから入るのかを事前に確認していなかったため、渋谷駅東口の隣にある東横のれん街に入って、2階へ上がる階段を探しましたが見つかりません。
 
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それではと向かった東急東横線の改札口付近で見つけました。渋谷ヒカリエが出来る前にあった東急文化会館へ向う歩道橋(現在は通行止め)の隣に新しい歩道橋があります。床材が仮のもののように見えますから、歩道橋そのものも仮設かもしれません。
 
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渋谷ヒカリエは地上4階までが吹き抜けになっていて開放感を持たせており、しかも各階の様子を見ながらエスカレーターでフロア間を自由に移動することが出来ます。
 
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3階にあるロビー風のスペースから向かい側の建物が良く見渡せます。
 
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東急デパート側を見ると古い歩道橋と並行する地下鉄銀座線の線路が見えました。古い歩道橋が使われない理由が不明ですが、それを考えると夜も眠れなくなりそうですから止めることにします。
 
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左手の東急東横線渋谷駅、東口のバス停、先ほど渡った歩道橋が一望できます。
 
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後方の首都高速の先にあるビルはセルリアンタワー(地上41階、東急ホテルが入居)と2010年11月にオープンした渋谷区文化総合センター大和田(12階の丸い施設はコスモプラネタリウム渋谷、コニカミノルタプラネタリウム社の投映システムを使用)。ちなみに東急文化会館最上階にあった五島プラネタリウムの機材(カールツァィス社製投影機)なども引き継がれたのだそうです。

エスカレーターは4階までのようですからエレベーターに乗り換えます。
 
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シースルーのエレベーターですが渋谷の路地裏(ろじうら)しか見えません。
 
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7階のレストラン街では、いくつかの候補店の混み具合を見て、「鉄板焼お好み焼 かしわ」を選びました。
 
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内装と囲炉裏風の客席は純和風
 
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同行者とシェアする旨(むね)を店員さんに伝えて「ねぎ鶏そば」(1300円)を注文しました。鶏薬膳スープ、鶏麦めし、酢橘醤油とろろが付いています。ついでにワインも!
 
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麦ごはん
 
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ねぎがたっぷりトッピングされた「ねぎ鶏そば」の中味が気になります。
 
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半分以上食べた状態
 
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鶏薬膳スープ
 
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私の選択(店とメニュー)が意外だったようで、同行者は「珍しいわね!」とのコメントを残して近くのカフェ「La LOBROS(ラ・ロブロス)」の店員さんに声を掛けています。
 
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その間、私はレストラン街を見て歩きました。「茶寮 伊勢藤次郎」「Bar Espanol LA BODEGA(スペイン料理)」「ビストロ&バー タコニョッキ(フランス・イタリア料理)」「Rice People, Nice people(野菜とハーブの料理)」「コート・ド・ルージュ ロティ(フランス料理)」「博多 うま馬(ラーメン)」「博多漁家磯貝 しらすくじら」「Cafe&Grill SIZZLe GAZZLe(アメリカンダイナーのグリル料理)」などのハイカラな店が並んでいます。

こちらはハワイアンの「Kailua Weekend(カイルア・ウィークエンド)」
 
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アジアとラテンをミックスした「FLOWERS Common(フラワーズ コモン)」
 
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ハンバーガーの「EAT(イーエーティー)」
 
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9階のヒカリエホールまで上がると新宿の高層ビル群が望めました。
 
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地下3階まで下りると渋谷ヒカリエの正面入口の風情があります。
 
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その先は地下鉄の駅へと続いていました。
 
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尚、今回は名古屋へのドライブ旅(帰路)と同様に従来のデジカメ(FinePix F30)で撮影しました。

<同行者のコメント> 留学生たちがスケジュールを終えて予定通りにアメリカへ帰国しました。渋谷ヒカリエは思いがけない立ち寄りで、駆け足になってしまいましたから、もう一度ゆっくり出かけてみたいです。

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2012年6月25日 (月)

テレビドラマ「波の塔」を観る

松本清張氏の長編小説「波の塔」がテレビドラマ化されて6月23日にテレビ朝日で「松本清張没後20年特別企画」として放送されました。映画化やテレビドラマ化されるのはこれで何度目でしょうか。今回は沢村一樹(いっき)さんが新任検事の小野木喬夫(たかお)役、羽田(はだ)美智子さんが被疑者の妻である結城頼子(ゆうきよりこ)役で共演すると知り、前回(5年半前)のテレビドラマより期待しながら観ました。しかし導入部から原作とはかけ離れたドラマ設定が続きました。
 

2010_05060067 時代設定は原作と同じ昭和30年代の高度経済成長期ですが、青木ヶ原の樹海で小野木が汚職事件につながる疑いがあった殺人事件を捜査中に頼子と出会った(原作では都内で観劇中)こと、高級官僚の娘である田沢輪香子(りかこ)が京都の寺(原作では上諏訪に近い古代遺跡)で小野木と偶然出会ったことなど、原作から変更した必然性が私には理解できません。(写真は茅野市の尖石遺跡)
 

2010_11210340 そして序盤の展開を端折(はしょ)り過ぎたため、松本清張氏一流のストーリー展開の緻密(ちみち)さが感じられません。深大寺のシーンになって軌道に乗ったかと思いましたが中盤の展開もやはり慌(あわただ)しいもので、三鷹多摩川縁を訪れるシーンはカットされていました。一方、身延山に近い下部温泉の旅館で台風に遭遇するシーンは妙にリアルに演出されたため、二人が現実から逃避して心の安らぎを求めるかのように各地を旅する原作のモチーフが希薄化されてしまいました。(下部温泉の下流にある身延橋と身延駅付近を富士川対岸から望む)
 

2007_06280031 終盤では父を守ろうとする輸香子が二人の関係を父と親しい新聞記者に告げるのも原作には無いことです。原作では、結城の弁護士がドラマでもあったように検察側へ直接圧力を掛けただけで、輪香子は別の意味で存在感を示しています。また頼子が検察の取調室に居るシーンでは、小野木がプレゼントしたペンダントを付けているのは安易な演出であり、彼女が夫の行状(ぎょうじょう)を詳しく説明する下りや、それに対する小野木の態度も不自然でした。(小野木と頼子が出会った場所は建て替えられる前のこちらです)
 

2010_11210254 配役では沢村一樹さんは適役です。魅力的な女優の羽田美智子さんも頼子役に相応(ふさわ)しいと言いたいところですが、それにはちょっと存在感があり過ぎる(樹海の日陰だけに生育するギンリョウソウが似合わない)ように思われました。そして原作のラストシーンのように小野木が東京駅で頼子を待つこともなく、新宿駅から山梨県の青木ヶ原樹海へ向った頼子を小野木が探すことにしたため、ひとり自殺することで自らの運命を成就(じょうじゅ)させようとした頼子の揺れ動く心が視聴者によく伝わらなかったようです。冒頭から原作にないギンリョウソウ(銀竜草)を登場させたことも同様です。(本栖湖越しに見た青木ヶ原と富士山)

 
2007_11240012これらの演出は50年後の現代人に理解させるための苦肉の策かもしれませんが、「どこへも行けない道ってあるのね。道があるからどこかいけるかと思ったけど」と多摩川縁で頼子が呟(つぶや)いた言葉がないことも物足りません。頼子の夫で政治ブローカー、結城庸雄(ゆうきつねお)役の鹿賀丈史(かがたけし)さんの好演が印象に残りました。強面(こわおもて)で不気味な人格だけでなく、蔑(ないがし)ろにしながら実は愛している妻の心が自分から離れて行く状況に「海千山千」の悪人がうろたえるシーンは良かったと思います。(二子玉川駅近くの兵庫島)

 
今回のドラマはそれなりに時代考証もしっかりしていて製作者の意気込みが感じられましたが、松本清張氏らしく「波の搭」と象徴的な題名(他にも「砂の器」「ゼロの焦点」「Dの複合」「霧の旗」など)を付けた同氏の考えに十分迫ったとは思われず、ストーリー展開をナレーションで説明する手法にテレビドラマの限界を感じたのです。やはり松本清張氏の40年以上に亘(わた)る呪縛(じゅばく)から私はもはや逃れられないようです。興味を持たれた方は原作をお読みになることを是非お薦めします。

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2012年6月24日 (日)

名古屋尽くしのドライブ旅 帰路の新東名

ツインアーチ138の駐車場をから一宮方面へ戻ることにして国道22号を時間調整しながら名古屋市街地に向けてゆっくり走りました。ここからは予備用のデジカメ(従来のもの)に交換して撮影しています。
 
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午後5時を少し回ったタイミングで到着した「世界の山ちゃん」の長者町店でチビスケくんとチビエちゃんのお父さんが「幻の手羽先」を買いました。箱の中を見せてもらうと予想以上に大量の手羽先が詰まっています。
 
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名古屋高速の東新町入口へ向う途中の錦三丁目交差点の角で「世界の山ちゃん」の錦三(きんさん)大津店を見かけました。名古屋エリアだけでも「世界の山ちゃん」は34店舗(全国には計74店舗)もあるそうです。
 
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錦通大津交差点の角、観覧車がある「サンシャイン サカエ」の2階にはAKB48が初めて地方進出して名古屋で結成されたSKE48の本拠地「SKE48劇場」があることを芸能通の同行者が教えてくれました。最近の総選挙では15人がベスト64に入る大躍進を遂(と)げています。ちなみに、大阪のNMB48からは5人が選出されたそうです。
 
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東新町入口から名古屋高速道路に入りました。写真は鶴舞(つるまい)南JCTを通過する時に撮影したものです。ちなみに地元名古屋では鶴舞公園の鶴舞だけは命名の経緯から「つるま」と呼ぶそうです。
 
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伊勢湾岸自動車道と東名高速道路を経て新東名に入って浜松SANEOPASA浜松で休憩することにしました。
 
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私は元祖浜松ぎょうざ石松(石松餃子)で餃子単品(10個、525円)を注文しました。下り線で食べた餃子より大きくてしっかりした味が私の好みに合います。
 
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好きな餃子とミニ丼のネギトロ丼(380円)の組み合わせはほど良いボリューム
 
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本当は鶏三和(とりさんわ)の名古屋コーチン親子丼(880円)を食べたかったのですが、長い待ち行列を見て今回は諦(あきら)めることにしました。
 
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チビスケくんとチビエちゃんはお母さんがMiniストップで買ったと思われるおにぎりと海苔巻き、そしてお父さんからもらったラーメンも
 
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お母さん自身はバルボアのポークカレー(並、650円)
 
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そしてお父さんは「中華の鉄人」で細切りチャーシュー麺(780円)を注文
 
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チビスケくんはKidsコーナーでお得意のボルダリング(フリークライミングの一種)に汗を流します。
 
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YAMAHAMUSIC SPOT HAMAMATSUではビデオでモノマネの清水みち子さんが「夏の歌シリーズ」と題して井上陽水さんの「少年時代」(その1その2)、桃井かおりさんの「七夕 」(たなばた)、「夏の思い出」などを歌いました。
 
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ピアニストの斉藤雅弘さんは「親子で楽しむピアノ名曲コンサート」として「雨だれ」と「革命」(その1その2」を演奏
 
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中央に置かれたグランドピアノは自動演奏が出来るもので、曲に合わせて鍵盤が動きました。
 
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私が音楽を楽しんでいる間にすぐ近くのドライバーズスポット天神屋ではチビスケくんとチビエちゃんがお母さんの手助けでシャワーを浴びていました。
 
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以前から店内がどうなっているかに興味がありましたので、初めて店内へ入ってみました。土産物の他にも、静岡おでんや地産地消のトッピングが並んでいる様子は、現代の茶屋の雰囲気を演出しているようです。
 
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シャワーを利用した人にはオデンが無料でサービスされたことで2人のお母さんは大喜びでした。
 
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浜松SAからは2人のお父さんが運転してくれましたので私は助手席ナビゲーターに戻りました。その後も順調に走って午後11時過ぎには帰宅。今回もいつものように欲張った内容のドライブ旅になりました。(終)

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2012年6月22日 (金)

名古屋尽くしのドライブ旅 ツインアーチ138(後編)

ツインアーチ138を出て138タワーパークで遊ぶことにしました。チビスケくんとチビエちゃんは赤いボールに向って一目散ですが、私はイベント広場の野外ステージで開催されているライブコンサートで道草を食うことにしました。イベント『138 Ventures』ではその名前の通りに昔懐かしいスタイルのエレキグループが演奏しています。若いメンバーも混じってはいますが今流行りの「親父バンド」のようです。ここから掲載する写真はいずれもアイフォーンで撮影したものです。
 
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次々とザ・ベンチャーズの曲が続くなかで、時には加山雄三さんの曲も混じりました。「蒼い星屑」だったと思います。ザ・ベンチャーズ(冒険を意味する)は1959年に結成されたエレキギターを中心に編成されたアメリカのバンドで、1960年代に入って度々来日したこともあって日本でも大変な人気がありました。指をスライドさせながら「テケテケテケ」と弾(ひ)くクロマティック・ラン奏法に特徴がありました。
 
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ダイヤモンドヘッド」「10番街の殺人、パイプライン、スターズ・オン・ギターズ」などのヒット曲を飛ばしましたが、アメリカでの人気は低下しましたが、日本ではカラオケにおけるデュエット曲の定番である「二人の銀座」、「北国の青い空」や、当ブログの京都紹介記事で触れた「京都の恋」と「京都慕情」、大阪紹介記事で引用した「雨の御堂筋」なども好きな曲です。
 
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親父バンドの演奏が終ったのを潮(しお)に大芝生広場へ移動してチビスケくんとチビエちゃんを探すと、2人は大きな赤いボールと格闘していました。そして、2人のお父さんはアシスト係で大奮闘中です。所定時間が過ぎたため、2人は少し離れたフワフワドームへ移動します。
 
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日差しが強いため、ドームの周辺部の温度が上がったようで、子供達は頂上付近に集まって遊んでいます。説明をつけないでチビスケくんとチビエちゃんの親子を写した写真を何枚か紹介します。
 
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遊び疲れた2人は木陰を探して移動することにしました。右手後方に見えるのは改修工事中の「希望の塔」です。
 
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近くの東屋(あずまや)は超満員で入れないため、さらに奥の「子どもの街」へ向いました。チビスケくんは途中にあった滑り台でちゃっかり遊んでいます。
 
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「子どもの街」は立派な山小屋のような建物ですが、椅子やベンチなどはまったく置かれていません。木道に腰を下ろして休憩しました。

ツインアーチ138の近くにある休憩所で喉を潤したあと、駐車場へ向う途中に見かけた石の標識には「三派川(さんぱせん)地区センター」と表記されています。
 
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「三派川」とは木曽川およびそれから分かれて流れる南派川(なんぱがわ)と北派川(ほっぱがわ)の総称でした。派川(はせん)は横浜ベイクォーターの記事で紹介したように川の分流を意味します。
(続く)

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2012年6月21日 (木)

名古屋尽くしのドライブ旅 ツインアーチ138(前編)

日差しが強すぎるため正門前駐車場へ戻って次の目的地に向いました。私が希望したツインアーチ138です。一宮市の北端にあるこのタワーへ向う途中に、チビスケくんとチビエちゃんのお母さんの希望で「世界の山ちゃん」の長者町店に立ち寄りました。名古屋城から南へ1km余りの距離です。立ち寄った店は残念ながら午後5時の営業でしたので、「幻の手羽先」は帰路に買うことにして、まずはツインアーチ138を目指しました。
 
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名古屋高速6号清須線に入れば一宮市(尾張国一宮の真清田神社がある)の中心部近くまで一気に行けますが、一宮市街地から先はいずれにしても国道22号を走ることになりますから、高速道路の下に伸びる国道22号(片側3車線の快適な道路)を通しで走ることにしました。名古屋第二環状自動車道の清洲JCTと名神高速道路の一宮ICを抜けて、西島町五交差点で右斜め前方にそれました。

一直線の狭い県道150号を3km余り走ると前方に特徴のあるツインアーチ138が大きく見えて来ました。ツインアーチ138のある138タワーパーク(光明寺公園)の駐車場は大変な混雑ですので、少し歩かなければならないことを承知で、西側の駐車場に車を停めました。
 
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県道の下をカラフルな絵が描かれたトンネルで抜けました。
 
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光明寺(こうみょうじ)公園を半周するサイクリングロードがありました。サイクリングロードからツインアーチ138の方向に向います。ちなみに光明寺は、東京の深大寺と同様に、近くにある寺(1300年以上前の白鳳年間に創建された古刹)の名前であるとともにこの地区の地名にもなっています。また家康が元康から改名したのもこの寺が関係していると伝えられます。
 
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公園の緑地(イベント広場)には鴨(かも)を模(かたど)ったと思われる巨大なトピアリーがいくつも並んでいます。
 
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ツインアーチ138を真下近くで見上げました。エレベーターシャフトの脇に非常階段が付いていることが確認できます。
 
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券売所で入場券(大人500円、4歳以上の幼児100円)を購入
 
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ツインアーチ138の入口です。名前の138は東京スカイツリーの634(武蔵)と同様に高さを示すとともに地名の一宮(いちのみや)と語呂(ごろ)を合わせているのです。
 
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138タワーパークは木曽川・長良川・揖斐川の木曽三川が有する広大なオープンスペースと豊かな自然環境を活用した国営木曽三川公園(愛知・岐阜・三重県の9箇所を含む広域公園)の一つで、そのシンボルであるツインアーチ138は2つの双曲線と中央のエレベーターシャフトが木曽三川を象徴しているそうです。当ブログでは3年半前に岐阜県海津市にある国営木曽三川公園センターを紹介しています。

138タワーパークキャラクタの「ミズリン」は水をイメージさせる外見と分かり易いネーミングが良いと思います。
 
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エレベーターで高さ100mの展望台に上がりました。東海北陸自動車道が木曽川を渡って北へと伸びています。
 
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南方の伊勢湾方面の説明図です。左から東山スカイタワー・名古屋市街・JRセントラルタワーズ・三菱電機稲沢製作所のSOLAE(ソラエ、高さ173mのエレベーター試験搭)・一宮市街・鈴鹿山脈養老山脈が表示されています。この地域が濃尾平野です。
 
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約20km離れた名古屋駅前のビル群をズームアップ
 
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木曽川支流の南派川(なんぱがわ)に架かる橋は手前から県道150号の渡橋と東海北陸自動車道の木曽川本川橋です。その先で南派川が木曽川に合流しているのが見えます。遠方のツインビルはJR岐阜駅前の高層マンションのようです。
 
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少し右手を見ると金華山と山頂の岐阜城が間近に見えます。
 
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東側の眼下には138タワーパークが見渡せます。右下のイベント広場脇に先ほど見たトピアリー、セントルイスゲートの先の大芝生広場では大きな赤いボールを使う遊び場や滑り台などの遊具が見え、さらに希望の搭へと続きます。左手はお花畑でしょう。左上に見える川は木曽川支流の南派川(なんぱがわ)です。
 
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トピアリーをズームアップ
 
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「紙飛行機を飛ばそう!」の立て看板がありました。
 
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チビスケくんとチビエちゃんの両親と一緒に非常階段を少し下りてみました。ここから紙飛行機を飛ばすようですが、折角のカメラチャンスにも拘(かかわ)らずカメラのバッテリーがここで切れてしまいました。残念!
 
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(続く)

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2012年6月20日 (水)

名古屋尽くしのドライブ旅 名古屋城(後編)

天守閣最上階からの展望を楽しんだあとは階段を降りながら展示品を見て回りました。先ず尾張藩主の年表が目に入りました。初代藩主の義直は徳川家康の九男。そして最後の藩主となった17代の慶勝は会津藩主松平容保(かたもり)・桑名藩主松平定敬・高須藩主松平義比とともに高須松平家四兄弟の一人です。
 
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面白いことに慶勝は尊王攘夷派(新政府側)で、容保と定敬は強硬な佐幕派として最後まで新政府軍に抵抗しましたが、後に許されて両藩が禄高は減らされたものの斗南藩と桑名藩として再興できたことは、関ヶ原の戦いにおける真田家と同じ深慮遠謀によるものだったのかも知れません。 
 
この三人についての説明は不要でしょう。
 
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名古屋城天守閣の構造模型
 
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石垣用の石を運ぶ「力試し」の遊びです。まだ1歳半のチビエちゃんが早速チャレンジしました。
 
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お兄ちゃんのチビスケくんが助っ人(すけっと)として参加
 
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戦災で天守閣が焼損したため「焼損鯱」は頭の部分だけが何とか形を留(とど)めています。すぐ近くに金鯱に使用された金の量は慶長小判17,975枚分だったことが説明されていました。
 

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尾張徳川家が養子を迎えた時のお膳はさすがに豪華なものです。
 
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出口まで進みました。
 
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橋台を戻る時に振り返って大天守閣を撮影
 
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後方から見た金鯱をズームアップして写しました。
 
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歩き疲れたチビスケくんとチビエちゃんのために茶屋で休憩することにして、冷たいものを私が購入しました。左下が白玉抹茶(しらたままっちゃ)ぜんざい(480円)、右下は焼きたての金シャチ焼きと北海道ミルクの濃厚ソフトクリームを組み合わせた金シャチワール(420円)、上の皿には私の大好きな五平餅がいつの間にか半身(はんみ)になっています。
 
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熱々の金シャチ焼きをもう一つ買いに行っている間の出来事です。
 
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本丸御殿の工事現場を右手に回り込んだところから大天守閣の全景を撮影しました。
 
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内堀の内側にある東南隅櫓の脇を抜けて表二之門を出ると前方に「名古屋名物きしめん」の立て看板が目に入りました。名古屋城きしめん亭です。
 
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奥のテーブル席で注文したものが出来上がるまで木陰の涼しさを楽しみました。元気一杯のチビスケくんは竹垣(たけがき)の近くにいる野良猫に興味を示しています。
 
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注文したお城セット(890円)は冷たいきしめんの他にも味噌ダレの串揚げ・金シャチ焼き・お稲荷さん(稲荷寿司)・山菜の小鉢などと多彩な内容です。6人でシェアして美味しく食べました。
 
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正門を出る手前の総合事務所付近で人だかりがありましたので行ってみると、名古屋市の公式キャラクター「ハチ丸」がいました。2日前の夕食後に見た名古屋弁の自動販売機に描かれていたキャラクターの本物(?)でした。
 
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駐車場へ戻る途中に見かけた看板です。「名古屋城 登城コース」のネーミングが面白いと思います。
 
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名古屋城から退城する前に例によって薀蓄(うんちく)です。鯱(しゃちほこ)の起源については当ブログの記事、エッセイ集『とは知らなんだ』で紹介しています。現在の鯱は北側の雄が高さ2.621m・南側の雌は高さ2.579mで、いずれも18金の金板が40kg以上も貼り付けられているそうです。ちなみに金の鱗(うろこ)を盗もうとした盗賊が何人もいたとのことですが、有名な石川五右衛門については作り話のようです。(続く)

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2012年6月19日 (火)

名古屋尽くしのドライブ旅 名古屋城(前編)

前日の梅雨のような天候が一転して翌日は晴天になりました。行く先を相談した結果、チビスケくんとチビエちゃんのお母さんの希望で、まず名古屋城に立ち寄ることにしました。久屋大通り(100m道路)に回り道をして、その中央分離帯に立つ名古屋テレビ搭(高さ180m)を車中から一行に紹介しました。名古屋テレビ搭は日本で初めての集約電波搭は現存するタワーとしては最古参で、通天閣の記事で触れたように東京タワーの兄貴分に当ります。
 
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名古屋能楽堂に隣接する正門前駐車場に入り、強い日差しを避けるため地下駐車場に車を停めました。地上に出て横断歩道を渡ると名古屋城正門前に出ました。観覧料は大人が500円、中学生以下は無料です。正門の屋根にも小さな鯱(しゃちほこ)が載っているのが見えます。
 
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正門を入って西之丸に入った左手にある総合事務所の手前に巨大な金の鯱(しゃちほこ)が展示されています。チビスケくんとチビエちゃんは興味津々でご対面です。右手に本丸御殿復元100円募金箱がありました。その横にある「た中ちくご守石」は田中筑後守忠政の刻銘石碑(こくめいせきひ)です。
 
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西の丸展示館で何かも催し物があるようですが、天守閣を先に見ることにして有名な「かやの木」の脇を抜けて内堀沿いの道に出ると前方に天守閣が見えました。
 
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大天守閣と小天守閣を連絡する橋台(きょうだい)の左右に作られた防備用の剣塀(つるぎべい)は前回訪れた時にも紹介しています。名古屋城は名古屋台地の上に築かれたため、この内堀は築城当時から水のない空堀だったようです。
 
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内堀を回りこむと扇勾配(おうぎこうばい)の技法で築かれた名古屋城天守閣の石垣積みの説明がありました。
 
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旧国宝名古屋城天守閣が昭和34年に再建された時に天守閣の北側へ移された天守閣基礎石を見ながら東へ歩くと、「石垣の刻銘」の説明があります。正門脇で見た石もその一つでした。左前方に天守閣へ入る不明門(別名あかずの門)が見えます。
 
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不明門を潜(くぐ)ったところで振り返ってみました。
 
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小天守閣付近から工事用の塀が伸びていました。前回訪れた時には礎石(そせき、土台石)だけが並んでいた本丸御殿で復元工事がこの塀の中で始まっているようです。
 
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小天守閣の入口脇に「よみがえれ名古屋城本丸御殿」の案内板があり、復元イメージ図が描かれていました。
 
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チビスケくんは真っ先に小天守閣へと入って行きます。
 
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追い付いた同行者と一緒に橋台(きょうだい)を通って天守閣へ向います。ちなみに左右に見えるのが剣塀(つるぎべい)です。
 
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大天守閣の地階に入るとガラスケース内に金の鯱(しゃちほこ)の模型が展示されていました。
 
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1階からエレベーターに乗って5階へ移動、さらに階段で最上階(7階)にある展望台に上がると名古屋市内が一望できました。南西方面を写したこの写真には、正門(左下)と西の丸、右端に外堀も少し見えます。遠くには青空を背景にした名古屋駅周辺のビル群がはっきりと確認できます。
 
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黒っぽいビルはトヨタ自動車が入るミッドランド スクエア、その左手の捻り飴(ねじりあめ)のようなビルがモード学園のスパイラルタワーズ、右手の円柱形のビルがJRセントラルタワーズ、その右手が駅から少し離れた名古屋プライム・セントラルタワーと駅の少し北方にあるルーセントタワーのようです。

南南東方面には三の丸跡に立ち並ぶ官庁街の先に先ほど脇を通過した名古屋テレビ搭が見えます。
 
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東南東には東山動植物園内にある東山スカイタワーを遠望することも出来ました。
 
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真東を見ると水を湛(たた)えた外堀と二の丸(右手)の先に名古屋高速1号線の先に名古屋ドームが確認できました。
 
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さらにズミームアップすると名古屋ドームの遠方に小牧・長久手の戦いがあった長久手市方面が見えます。新しく入手したデジカメの望遠能力(光学ズーム20倍)は中々のものです。
 
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北方向を望むと遠くの金華山山頂(クレーンの延長線上)に岐阜城が小さく見えました。茶色いマンションの後方に見える曲線状の白い構造物は一宮市の木曽川縁(べり)にあるツインアーチ138でしょう。
 
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(続く)

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2012年6月17日 (日)

名古屋尽くしのドライブ旅 名古屋風の結婚式とタイガーカフェ東桜店

宿泊するアパホテル名古屋栄で朝食を済ませて、今回のドライブ旅の主目的である結婚式に出席するためその会場へ向いました。アパホテルを利用するのは今回が始めてです。宿泊料金が安くて会場に近いことが最大の理由ですが、ビジネスホテルにしては珍しい屋上展望風呂があることや、バラエティに富んだ朝食ビュフェも魅力的でした。
 
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同行者は朝食の後、1階のレストランで目ざとくあるものを見つけました。「アパ社長カレー」と「アパ社長ラーメン」です。ネーミングがユニークですが、パッケージに印刷された名物社長の顔は何度かテレビ番組で見た記憶があります。
 
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東栄通りを北へ向えば広小路に面した会場に近いのですが、「世界の山ちゃん」の本店を確認するために途中で東方向へ折れました。朝の10時過ぎですからまだ開店していません。
 
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「世界の山ちゃん」を過ぎて左手にある裏口から入った名古屋東急ホテルは立派なホテルでした。写真は広小路側から見たエントランスです。
 
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ホテルのロビーは4階まで吹き抜けになっていて、ヨルダンにある世界遺産のペトラ遺跡にある宝物殿(エル・カズネ)のような建物があります。ちなみにペトラは砂漠の交易地として紀元前1000年頃から栄えたアラビアにおける代表的な古代都市で、ローマ帝国に併合されるまで1000年以上の長きに亘(わた)って繁栄したそうです。そして映画「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」(1989年)のロケ地になりました。
 
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このアトリウムラウンジでも結婚式が行われるようです。同ホテルのhpにはここで教会式・人前結婚や音楽挙式などが選択できると説明されています。もちろんチャペルで行われる教会式と婚儀殿で行われる神式の結婚式など多彩な挙式メニューが用意されていました。

熱田大神(草薙の剣を祀る熱田神宮の祭神)を祀(まつ)る神殿で神式の結婚式が厳かに執り行われました。結婚式で雅楽の生演奏が使われるのは私にとって始めての経験でした。豪華な披露宴会場に集まった大勢の参加者は新郎新婦の会社関係が2割強、学生時代の友人が3割強、親戚が半数弱のバランスです。出席できなかった友人達はビデオでお祝いのメッセージを伝える演出は今風と言えるでしょう。
 
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最初にサーブされた料理の「オマールエビとズワイ蟹のモザイク仕立て ブロッコリームース」は見た目にも涼やかで綺麗で、味ももちろん上品なものでした。
 
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名古屋の結婚式に参列して思い出しました。昔のテレビドラマシリーズ「名古屋嫁入り物語」です。1989年から1998年まで10作が制作されたドラマでは、植木等さんと愛知県出身の女優山田昌さんが生粋(きっすい)の名古屋人夫婦を演じました。

昔ながらの親掛かり(親がすべてを決めて費用も負担する)の名古屋式の結婚を題材にしたドラマでは、この夫婦が話す名古屋弁とともに名古屋の風習を楽しみながら観ました。娘が3人居ると身上(しんしょう、財産)を無くすと言われた時代です。植木等さんは隣の三重県出身とされますが、名古屋市で生まれたそうですから、名古屋弁も自然だったように覚えています。

閑話休題(かんわきゅうだい)。ポタージュスープ、ムール貝の赤ワインソース、グレープフルーツシャーベットに続いたメインは「牛フィレ肉のステーキ」がトリュフ香るマッシュルームのデュクセルを乗せて旬の温野菜と共に出されました。これらの料理、特に美味しいステーキ、に心を奪われた私はいつものように写真撮影することを忘れて・・。本当は料理ばかり撮影することは失礼に当ると思ったのです。
 
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3時間余りと長めの披露宴が終ったあとは親族がアトリウムラウンジに集まってお茶を飲んだことも名古屋的な慣習かもしれません。久しぶりに会った親族が、結婚式と披露宴の話はもちろん、その他の四方山話(よもやまばなし)にも花が咲きました。

ホテルに戻って楽な服装に着替えたあとは夕食にちょうど良い時間になり、チビスケくんとチビエちゃんの両親がこの日も店を選んでくれました。栄から歩いて10分ほどの東区東桜1丁目にある「タイガーカフェ東桜(ひがしさくら)店」です。名古屋東急ホテルから北へ向い、東海テレビ本社脇を抜けた愛知県芸術劇場とNHK名古屋放送局の裏手にありました。
 
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南欧風カフェにはテラス席がありますが、チビスケくんとチビエちゃんが一緒ですから、奥のボックス席を選びました。
 
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カジュアルな雰囲気のタイガーカフェはランチ&ティータイムから本格的フレンチディナーまで楽しめる店のようです。
 
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重めの昼食のあとですから軽いメニューにすることにして、私は自分用のエビスビール(700円)および皆でシェアするシーザースサラダ(650円)とニース風サラダ(700円)を、2人のお母さんは自家製スモークサーモン(900円)とピッツア(1000円)を選びました。これはスモークサーモンです。
 
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ピッツアも撮影しましたが新しいカメラに不慣れのため、フラッシュを使用しなかったこともあり、ピンボケかつ露出不足のお粗末な写真になってしまいました。
 
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2種類のサラダ(右下)、スモークサーモン(右端)、ピッツアと一緒に2種類のパンも美味しく食べました。
 
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いわゆる名古屋グルメではありませんが美味しい料理と大人の雰囲気を提供するタイガーカフェは名古屋市内を中心に5店舗展開されているようです。(続く)

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2012年6月15日 (金)

名古屋尽くしのドライブ旅 山本屋総本家

名古屋の中心部、中区栄地区にあるホテルにチェックインしました。夕食には何か名古屋らしいものを食べようと相談して、名古屋を代表する老舗デパートの松坂屋に向いました。本館の9階にある味噌煮込みうどん専門店の「山本屋総本家松坂屋店」です。
 
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チビスケくんとチビエちゃんの両親が選んでくれたこの店の本店は名古屋市科学館に近い中区栄3丁目にあるそうです。暖簾に「元大須」と表示されていますから、大須が発祥の地なのでしょう。あとで調べると大正14年の創業でした。愛知県下だけでなく、東京の神田と人形町にも店舗がありました。

枝豆(315円)と恵比寿ビールは助手席ナビゲーターの特権です。
 
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おでん(一皿三品、420円)は見た目には真っ黒でグロテスクですが、味はあっさりしていて美味しいのです。チビスケくんとチビエちゃんもちょっとためらった後は大好きな枝豆と交互に食べました。
 
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2人のお母さんと私の2人は「かしわ入煮込みうどん」(1501円)を注文。蓋(ふた)をしないで煮込まれたうどんは蓋をして配膳されました。
 
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蓋を取ってもしばらくグツグツと煮立った状態が続きまのので、店員さんに教えられたように穴のない蓋(取り皿の役目)に移して食べました。一石二鳥のアイディアです。
 
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岡崎の八丁味噌(赤)をベースに名古屋産の白味噌をブレンドした合わせ味噌とカツオ、シイタケ、コンブ等で作った出汁(だし)に、たまり醤油(しょうゆ)とみりんで味付けした割下(わりした)だそうです。この濃(こ)くのある(辛くない)味噌と歯ごたえのある麺が絶妙にバランスしています。このうどんは、良く言えばしっかりした腰のある麺ですが、始めて食べる人にはまだ中まで火が通っていない硬い麺だと感じられるでしょう。うどん好きのチビスケくんとチビエちゃんはお母さんから分けてもらったうどんの固さを気にせずにたくさん食べていました。

この店で仕入れたプチ薀蓄(うんちく)です。生のうどんを直(じか)に煮るのが「煮込うどん」で、茹(ゆ)でてから煮るのが「鍋やきうどん」だそうです。ちなみに土鍋は煮え方が遅くても冷め方も遅い信楽(しがらき)焼だそうです。

一方、2人のお父さんは名古屋コーチン入りの「かれー煮込みうどん」(1501円)を注文。かなり時間が掛かってから配膳された外見からは美味しさが窺(うかが)えません。それほど辛(から)くなかったそうです。
 
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私は知りませんでしたが、これも名古屋名物の一つだったようです。煮込みうどんが鍋やきうどんと異なるように、かれー煮込みうどんは全国区のカレーうどんと別物なのです。念のため調べてみると食品メーカーの東洋水産が「カレー煮込みうどん」を販売している地域は東海・北陸地方でした。

同行者は「海老おろしきしめん」(1942円)を選びました。冷たい中広麺白波に海老の天麩羅とおろしが上手くマッチしています。こしと張りのある、煮くずれのしない、ふっくらとした美味しいきしめんです。煮込みうどんは麺が固いことから好き嫌いが分かれるかも知れませんが、このきしめんは万人向きと言えるでしょう。うどん好きのチビスケくんとチビエちゃんは両方とも気に入ったようで、わんこ蕎麦よろしくお代わりを重ねました。
 
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当日はサービスデイとのことで抹茶アイスクリームが4人分サービスされました。子供達用に2つだけバニラに変更してもらうことに。
 
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巨大な薬味入れがテーブルに置かれていました。長さが60センチほどもある「すす竹製」で、真中で区切って一方が一味で、もう一方が七味が入っています。チビスケくんが興味をもったため、手が届かない場所に移したため写真を撮り忘れたのは残念でした。

地下の駐車場へ向う途中に奇妙なものを見つけました。自動販売機に「話そみゃー! 名古屋ことば」と大きく表示されているのです。
 
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この「名古屋ことば」自動販売機は商品を購入すると名古屋ことば(名古屋弁)が聞こえてくると説明されています。ちなみに矢野きよ実さんは名古屋市大須出身で地元のテレビやラジオで活躍しているローカルタレント(名古屋弁で話すパーソナリティ)です。その名古屋ことばを上手く録音できましたが、ファイルのサイズが1MBを越えたためアップロードできないのが残念です。
 
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自販機の下部には、なごやジョウの「エビザベス」、やっとカメの「だなも」、ねがいボシの「かなえっち」、400年の旅人の「ハチ丸」と4つのご当地キャラクターが描かれています。
 
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当ブログで名古屋弁についての記事を読まれた方はお分かりになったと思いますが、名前の意味が理解できない方のためにこれらのキャラクタを解説します。

「名古屋ジョウ(嬢)」は名古屋生まれの若い女性のうちで裕福な家庭のお嬢さまを指します。お洒落でブランド品に関心が高く、独特のファッションと髪型(名古屋巻き)に特徴があります。「エビザべス」は名古屋嬢をもじったキャラクターで、お城(名古屋城)の身体を持ち、頭(屋根)には名物のエビフライと金の鯱(しゃちほこ)が載(の)っています。

やっとカメの「だなも」は「久しぶりですね」を意味する名古屋弁の「八十日だなも」を洒落(しゃれた)たものでしょう。このカメさんは物知り博士だそうです。

「ハチ丸」は、尾張(おわり)徳川家の合印(あいじるし)で、名古屋市の市章にもなっている丸八印をもじった名称で、名古屋市の公式マスコットです。NHKEテレ)の子供向け番組に登場する「おじゃる丸」(1000年前の平安時代貴族の子供)に似ていますが、歴史は少し新しく名古屋が開府(名古屋城が着工)した徳川時代初期であることを「400年の旅人」と表現したのでしょう。風呂敷包みが定番の持ち物です。

「かなえっち」はハチ丸の風呂敷に入っている願いが叶(かな)う星形キャラクター(ねがいボシ)です。(続く)

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2012年6月14日 (木)

名古屋尽くしのドライブ旅 リニア・鉄道館(後編)

日本最大級のジオラマは東海道新幹線沿線を再現したもので、新幹線・在来線・超電導リニアの鉄道模型が走行し、「鉄道の24時間」を20分間で演出しています。
 
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名古屋駅周辺およびJR東海名古屋工場、さらには名古屋港水族館に隣接するシートレインランド(観覧車がある)はデフォルメして拡大されてます。
 
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こちらは「リニア・鉄道館」(右下のソーラーパネルが並ぶ建物)と金城埠頭(きんじょうふとう)の「名古屋港オープン・エア・パーク」(屋外コンサートが開催中)のようです。
 
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超電導リニア展示室には超電導に関する様々な展示が並んでいました。
 
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入場券に付いていた抽選券が当選しましたが、残念ながら新幹線シミュレータ「N7000」(下の写真)ではなく、在来線シミュレータ運転の方です。利用券(100円)を別途購入しました。
 
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スタッフから「初めての人は見習い編あるいは練習編を選んでください」とのアドバイスを受けた私は練習編を選びました。ずっと昔、マック用の鉄道シミュレータでしばしば遊んだことがあり、本当は達人編を選びたかったのですが・・。
 
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のぞみ行きを選択
 
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操作手順の説明を受けて早速「出発進行」、ひだ駅に向います。
 
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ひだ駅に到着します。
 
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しなの駅を発車
 
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最初のうちは慎重に運転していましたが、慣れるに従って運転が荒っぽくなったようで、最後ののぞみ駅では停車位置を少しオーバーしてしまいました。それでも終了証を貰えましたが、成績が何と60人中で29位とは情けない・・。
 
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やはり当選したチビスケくんのお父さんもチビスケくんと一緒に挑戦しています。結果を聞くと、「111人中で1位」と得意気です。でも終了証を見ると「次は練習編で」と書かれています。見習い編を選んでいたのです。
 
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2階へ上がると展示された車両が一望できました。
 
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チビスケくんとチビエちゃんは現在はまっているプラレールで遊び始めました。
 
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歴史展示館の前を通過
 
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平日のためか入場者が少なく快適な館内を約2時間かけてゆっくり楽しんだ後は1階の出口へと向かいました。
 
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(続く)

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2012年6月13日 (水)

名古屋尽くしのドライブ旅 リニア・鉄道館(前編)

新東名から東名を経由して伊勢湾岸自動車道に入りました。刈谷ハイウェアオアシスで休憩したあと名港中央ICで一般道に出ました。この日の立ち寄り先として名古屋港水族館とリニア・鉄道館の2箇所が候補でしたが、チビスケくんの希望で後者が選ばれました。JR東海が運営する「リニア・鉄道館」は東海道新幹線を中心に、在来線から超電導リニアまで39両の実物車両が展示されているそうです。

名港中央ICを出て最初の信号を右折して、案内表示に従ってすぐ左折すると「リニア・鉄道館」の大きな駐車場に入りました。JRと大きく表示された建物が目的地のようです。
 
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建物の脇に117系電車の「東海ライナー」と小型のケ90形軽便鉄道用蒸気機関車が展示されています。
 
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右手の入口に向います。
 
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入館料は大人1000円、2歳以上の幼児(200円)です。
 
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左手に展示室への広々とした入口があります。
 
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シンボル展示室に入ると「C62型式蒸気機関車」「300X」「MLX01-1」が並んでいました。左端のC62は東海道本線の特急つばめを牽引した大型蒸気機関車で、1954年(昭和29年)に記録した最高速度129km/hは狭軌における蒸気機関車の世界記録のであったと説明されています。
 
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中央の300XはJR東海の955形新幹線で1996年(平成8年)443km/hの新記録を達成した車両です。
 
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そして右端のMLX01-1は愛・地球博に展示された超電導リニアでした。
 
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奥の広い展示場には左から300系323形・同322形・100系123形・0系21形・クハ381(右端に写る振り子式電車)が並んでいました。その右にはモハ52(流電)も続きますが、パノラマ撮影に不慣れなため、切れてしまいました。
 
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小豆(あずき)色の電車は左がモハ1、右がED11です。前者は木製の通勤電車で、後者は東海道本線の東京~国府津間電化と横須賀線の電化に備えて1923年(大正12年)に米ゼネラル・エレクトリック社から輸入された小型電気機関車でした。
 
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ED18形式電気機関車は東海道本線の電化に備えて1923年(大正12年)にイギリスから輸入された1040形を飯田線向けに改造したものでした。
 
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C57形式蒸気機関車は旅客列車を牽引する目的で1937年から製造されました。ちなみに展示されている機関車はお召し列車にも使用されたそうです。
 
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一番奥には古い車両が13種類展示されていました。
 
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なかでも目立つのは1959年(昭和34年)に作られたオヤ31形式建築限界測定車で、車体の周囲に接触式のセンサーを搭載し、走行しながら建築物の支障確認が出来る構造になっていると説明されていました。まるでハリセンボンのようです。
 
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300系の後ろにあるのは愛称がドクターイエロー、正式名称は922形(T3)新幹線電気軌道総合試験車です。0系新幹線をベースに作られた、走行しながら架線・信号・軌道の検査・測定を行う試験車はチビスケくんのお気に入りです。
 
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(続く)

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2012年6月12日 (火)

名古屋尽くしのドライブ旅 三度目の新東名

所用で名古屋に出掛けました。今回はチビスケくんとチビエちゃんの一家と一緒ですから、朝の出発はかなり遅めの午前9時です。そして2人のお父さんが車を出してくれて久しぶりの助手席ドライブになりました。
 

曇天のため富士山は見えないだろうと諦(あきら)めていましたが、今回で3度目となる新東名に入って駿河湾沼津SAで休憩した頃から青空が広がり始めて、富士市のビューポイント付近を通過する時には雲間から富士山が顔を出してくれました。ちなみに、今回から撮影に使うカメラが同じフジフィルム製のFinePix F770EXRに変わっています。
 
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新富士ICを通過してトンネルに入りました。
 
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清水PAに差し掛かった時に撮影した写真の左端にUFOが2機写っていました。静岡県には航空自衛隊の浜松基地などがありますから、飛行訓練中のジェット戦闘機かもしれません。そして清水は横田空域の南西端に位置していますから、あるいは米軍機かもしれません。
 
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新清水JCTに差し掛かりました。この写真にもUFOが2機! よく見るとフロントガラスの写り込み!?
 
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浜松SAで昼食目的の休憩を取ることにしました。音に敏感なチビスケくんはアートモニュメント「風の童子」に興味津々のようです。
 
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NEOPASA浜松に入ると大変な混雑でしたが何とかテーブル席を見つけられました。
 

チビスケくんとチビエちゃんは大好物のオンパレードです。「天つるり」のざるうどん(並盛、390円)をメインにサイドメニューは唐揚げ(1串、130円)と牛肉コロッケ(120円)が並んでいます。
 
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2人のお父さんとお母さんは「浜北軒」の味玉らーめん(750円)を選びました。見るからに美味しそうです。
 
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サイドメニューの浜松餃子(390円)はトレー上で福笑いのようにレイアウトされています。一個(切れ)だけ味見をさせてもらいましたが、ちょっと小振りで具も少なく私にはもの足りません。
 
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私は同行者とシェアすることを考えて「うな濱」の鰻(うなぎ)と桜海老(さくらえび)のばらチラシ(あおさ汁付、1390円)を選択。こちらは期待通りの美味しさです。
 
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そしてサイドメニューは鰻の焼おにぎり(600円)。焼きすぎたのか外側が硬(かた)くて、しかもご飯と鰻の風味があまり感じられないのは残念でした。
 
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食後は「Kids コーナー」で2人はお気に入りのボルダリング(フリークライミングの一種)で遊びます。チビスケくんは登頂に成功して大満足、そしてチビエちゃんも負けじと頑張りました。
 
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遊んだあとは手洗いを忘れません。
 
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(続く)

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2012年6月 7日 (木)

「蒲田行進曲」縁の地を尋ねる(後編)

アロマプラザの中に入って隣のアプリコへ抜けると、床の上に四角い石が並べられていました。屋外の植え込みに設置された松竹橋のレプリカは1986年(昭和61年)に公開された映画「キネマの天地」(山田洋次監督)の撮影用セットとして製作されたものですが、こちらは平成に入ってから長年の所有者(保管者)から大田区へ寄贈された本物の松竹橋(親柱)だと説明されていました。
 
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地階へ下りると待ち合わせ用の椅子が並ぶロビーに松竹キネマ蒲田撮影所のジオラマ(復元模型)が置かれています。1999年に松竹の鎌倉シネマワールドから寄贈されたものだそうです。これは配置図です。
 
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正門付近に守衛所・逆川(さかさがわ)・松竹橋が分かり易く再現されています。そして門の正面にある大きな建物がNo.1スタジオで、その左奥にNo.2スタジオ、ずっと奥に本館、No.1スタジオの真後ろにグラスステージ(屋根をガラス張りにした撮影所)が並んでいます。
 
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敷地の左手(東側)中ほどに小さな「蓋(ふた)なしの池」が再現されています。
 
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手前は右から食堂・衣装部・男優大部屋・幹部俳優部屋・大幹部俳優部屋、右手中ほどの白い建物は現像部、その左は本館、右上は女優大部屋です。
 
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屋外セット
 
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目立たない場所に松竹キネマ蒲田撮影所があった場所(黄色く表示された台形のエリア)を現在の地図に重ねて図解してありました。周辺の道路は大きくは変わっていないようです。
 
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この地図を参考にして周辺を歩いてみることにしました。西側の並木道が南へ真っ直ぐ伸びています。
 
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その先にアプリコの建物と一体感を持たせ太田区立本蒲田公園がありました。
 
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公園内の「少女の休日」像(松本正一郎作)
 
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さらに直進すると環状八号線(環八)に出てしまいました。これでは行き過ぎですから戻ることに。ちなみに遠くに見える青い鉄橋は東海道本線と京浜東北線を跨(また)ぐ跨線橋(こせんきょう)です。
 
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セブンイレブンのある交差点を本蒲田公園に沿って東方向へ進みます。
 
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さらに本蒲田公園に沿い左折して北上します。
 
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駐車場の入口付近に池があったと思われますが、もちろんその面影はまったく残っていません。
 
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駐車場の出口を過ぎて振り返ってみました。
 
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アロマスクエアの北側にある植え込みには休憩用の椅子(いす)が多数並んでいます。こちらの植え込みも松竹橋のレプリカがあった周辺と同様に迷路のような散策路が作られています。
 
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蒲田駅東口に戻って、プラットフォームの下に作られた地下連絡通路を歩いているとタイムトンネルを抜けるような不思議な感覚に包まれました。
 
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後先になりますが事前に調べた参考情報を紹介しましょう。今回のテーマである「蒲田行進曲」は松竹キネマ蒲田撮影所の所歌でした。その原曲はルドルフ・フリムルが1925年(昭和元年)のミュージカル「放浪の王者」の中の「放浪者の歌(Song of the vagabonds)」として作曲し、その旋律(せんりつ)に堀内敬三氏が歌詞を付け、1929年(昭和4年)の映画「親父とその子」で主題歌となったそうです。そして川崎豊と曾我直子のデュエットでコロンビアからレコードが発表されました。

しかし一般に知られるようになったのは1982年に公開された映画「蒲田行進曲」(深作欣二監督、つかこうへい原作・脚本)に使用された松坂慶子・風間杜夫・平田満の3人によるカバーソングでしょう。松竹の蒲田撮影所が舞台ですが、その撮影は京都の東映撮影所で行われたそうです。映画「新撰組」の撮影にまつわる映画スターの倉岡銀四郎(銀ちゃん、風間杜夫)と大部屋俳優ヤス(平田満)、そして銀ちゃんの恋人だった女優水原小夏(松坂慶子)が登場する映画でした。

周辺工場の騒音が撮影(録音)に支障をきたし始めた蒲田撮影所に代わって昭和11年(1936年)に松竹大船撮影所が開設されたため、蒲田撮影所は閉鎖されました。大船撮影所は松竹の経営が悪化したのため平成12年(2000年)に売却され、その跡地は鎌倉女子大学に売却されて同大学のキャンパスになっているそうですから、機会があればそちらも訪れてみたいと思います。(終)

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2012年6月 6日 (水)

「蒲田行進曲」縁の地を尋ねる(前編)

大田区蒲田(かまた)を訪れたついでに以前から立ち寄ってみたいと思っていた場所に向うためにJR蒲田駅の西口に出ました。本当は東口に出るべきなのですが、ちょっと回り道をしてみたくなったのです。
 
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右手に続く線路沿いの道を歩きました。東口側へ抜ける地下道もありますが、さらに先へ進みました。
 
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京浜東北線の電車が発車する時にあのメロディが流れました。蒲田行進曲です。
 
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前方に見えたもう一つの地下道を利用しました。写真では見えませんが左側に一段低くなった車道があります。昔は開かずの踏切があった場所です。
 
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地上に出ると駐輪場に自転車がぎっしり並んでいます。この辺りは自転車天国のようです。
 
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右手に折れると下町の雰囲気に溢(あふ)れる商店街がありました。
 
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少し歩いた左手の路地には映画「砂の器」(松本清張原作)の舞台になったトリスバーもこんな雰囲気の場所にあったかもしれないと思わせる飲み屋が並んでいます。ちなみに同作品は蒲田駅西口に近い蒲田操車場(電車区)も登場しますから、そのトリスバーは西口付近にある設定だったのでしょう。
 
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そんなことを考えながら歩いていると蒲田駅東口に出ました。駅前の小公園には以前撮影したモヤイ像があります。
 
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駅ビルに沿って路地を抜けると大田区役所前に出ます。
 
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奇妙なオブジェは「マイファミリードリーマー」(1998年中岡慎太郎作)でした。
 
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区役所の正面に伸びる道の先に高層ビルが見えます。
 
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ニッセイアロマスクエア(地上18階、地下3階)は高砂(たかさご)香料工業の工場跡地を大田区と日本生命が共同で開発して998年に竣工した複合ビルです。ちなみに「アロマ」の名は高砂香料にちなんで付けられたようです。
 
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ここに高砂香料工業の工場が出来る前(大正時代から昭和初期まで)、この地にあった松竹キネマ蒲田撮影所跡を尋(たず)ねるのが目的です。「松竹キネマ」は松竹映画の古い社名で、近くにある案内板にその説明文を見つけました。ちなみにキネマは映画を意味するキネマトグラフ(独語Kinematograph)の略で、シネマはフランス語Cinematographeの略、英語ではPictureまたはMivie、あるいはFilmとも呼びます。
 
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アロマスクエアへ向うアプローチの右手にある植え込みの中に「松竹橋」(レプリカ)を見つけました。大正九年二月と表記されています。 
 
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松竹キネマ蒲田撮影所の入口にあったという橋を再現したものでした。先ほど見た説明文に添付された写真にも少し写っていました。ちなみにこの橋が架かっていたのは正門前を流れていた逆川(さかさがわ)と呼ばれる小川だったようです。

区役所から伸びる道の延長線上にありますから、レプリカ(複製)はほぼ元の位置に再現されたのでしょう。
 
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右手に進むとアロマスクエアに接するアロマプラザに行き当たりました。
 
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その右手にある中層のビルは太田区民ホール「アプリコ」(地上5階地下1階)です。公募で選ばれたこの愛称は区の花である梅の英語名(Japanse Apricot)をイメージしたものだそうです。
 
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(続く)

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2012年6月 3日 (日)

ノンフィクション本 『マネー・ボール』を読む

2003年に米国で発売されてベストセラーとなったマイケル・ルイスのノンフィクション本Money Ball(副題;The Art of Winning An Unfair Game、不公平なゲームに勝利する技術)の日本語訳『マネー・ボール』(副題;奇跡のチームをつくった男、2004年講談社刊)を遅蒔(おそま)きながら読みました。

テキサス・レンジャーズで大活躍するダルビッシュ有投手(5月27日現在、ハーラーダービーのトップとなる7勝目を挙げた)や5月29日に大リーグ(タンパベイ・レイズ)へ昇格して立て続けに2本のホームランを放った松井秀喜選手に触発されただけではありません。実は同居者が毎年やっているボランティア活動の事前準備を手伝う(パシリ役)ため、私も連休明けから3週間ほど自宅に足止めされていたからです。

本書は米メジャーリーグの貧乏球団であったオークランド・アスレチックスのビリー・ビーンGM(ゼネラルマネージャー)が独自の手法を用いて強豪チームを作り上げていく様子を描いた実話に基づくノンフィクションで、昨年には映画化もされています。ちなみに、原書の副題にあるArtは芸術や美術ではなく、洗練された技術と言う意味です。そして、Unfair(不公平)は米国憲法が保障する権利を侵害することであるとしてアメリカ人が一番嫌う言葉です。

題名の『マネー・ボール』は2000年頃には大リーグ球団の財力に大きな格差が出来てしまったことで、良い選手はお金をたくさん持つ球団に引き抜かれる事態が頻発して、『野球はスポーツではなく金銭ゲームになった』と球団オーナー達が嘆くようになった状況を象徴する言葉でした。2002年には年俸総額がトップのニューヨーク・ヤンキースの3分の1の年俸総額(大リーグでほぼ最下位)で、アスレチックスが大リーグで最高の勝率を上げるまでを描いています。

アメリカの大リーグに詳しくない方のためにアスレチックス球団とこの本の主人公ビリー・ビーンについて簡単に説明しましょう。アメリカンリーグ西地区に所属するこのプロ野球チームはワールドシリーズ制覇9回を誇るリーグ屈指の名門球団でした。地区優勝は2006年まで累計14回ありますが、リーグ優勝は1990年が最後で、ワールドシリーズ優勝から1989年以降は遠ざかっています。オーナーが潤沢な資金を投じたことでアスレチックスは1991年の総年俸は全球団で1番高く、1988年から1990年まで3年連続でワールドシリーズに進出しています。

しかしそのオーナーが1995年に亡くなったことで球団は売却されて、新しいオーナーは運営費を大幅に削減することを決めたのです。ビリー・ビーンがアスレチックスのゼネラルマネージャーのサンディ・アンダーソンの補佐役としてフロントに入ったのはこの直前の1993年で、大リーガーとしての将来を嘱望されたこともあるビリーはここでフロントとして大きな転身を遂(と)げるのです。

1997年にはゼネラルマネージャーに就任、ビル・ジェイムズが考えた画期的な野球理論をベースに、補佐役(ハーバード大学出身の研究開発部長)のポール・デポデスタのデータを活用して許された予算内で勝利数を最大化する手法を練り上げて、2001年から2002年にかけてのドラフト会議やトレードで実践して大きな成果を上げる状況が詳細に説明されます。

ちなみに、オーランド・アスレチックスが属するアメリカンリーグ西地区にはテキサス・レンジャーズ(ダルビッシュ有投手・上原浩治投手・建山義紀投手)、シアトル・マリナーズ(イチロウ外野手・岩隈久志投手・川崎宗則内野手)、ロサンゼンス・エンゼルス(高橋尚成投手)も所属しています。またアスレチックスを見習うために東北楽天ゴールデンイーグルズが2009年に業務提携しており、2012年にはアスレチックスはシアトル・マリナーズとの開幕試合を日本で行っています。

 

前置きが長くなりましたので、さっそくこの本の内容を紹介します。

                         ☆

第1章「才能という名の呪い」は有り余る才能に恵まれたビリー・ビーンが高校を卒業する時にニューヨーク・メッツに誘われて大学進学とどちらを選ぶかを迷いながらも契約する経緯を説明。第2章「メジャーリーガーはどこにいる」は20年後の2002年夏に移って、アスレチックス球団のゼネラルマネージャーとなったビリー・ビーンがドラフト会議を直前に、前年の失敗を反省して、選手の選考方針をスカウト全員を前に徹底する様子が具体的に描写される。

第3章の「悟り」は時間が戻って、ビリーがメッツに大きな期待を持たれて入団する場面とその後の状況が描かれる。野球に打ってつけの身体だが、感情の起伏が激しい性格は野球向きでなかったため、成績を挙げられず、メジャーリーガーになるどころかミネソタ・ツインズへトレードされる。そこでビリーはメジャーと3Aを行ったり来たりしながら、デトロイト・タイガースへ、最後はオークランド・アスレチックスへと渡り歩いた。そして自ら望んでスカウトに転進する。

第4章「フィールド・オブ・ナンセンス」では野球に新しい考えを持ち込んだビル・ジェイムズが紹介される。そのポイントと思われるのは次の2つ。『守備力の評価はエラー数を比較して、エラーが少ないほど優秀とされるが、野球におけるエラーと言う概念が審判の主観に基づいて判断を下す参考意見の記録である。(中略)エラーをするのは何か的確なことをした場合に限られるのでエラー数は意味をなさない』『バント・盗塁・ヒットエンドランなどの戦略はいずれも自滅行為に近く、恥をかくのを避けたいという全て共通の意図を持っている』

第5章「ジェレミー・ブラウン狂想曲」ではビリー・ビーンのドラフト会議における駆け引きの巧みさを詳しく解説して、20名の指名候補リストから3名獲得すれば上出来なところを13人も獲得する成果を紹介する。他球団が欠点があるとして見送った選手の中から見込みがあるものを選んで指名したのである。

第6章「不公平に打ち勝つ科学」でビリーの戦略が詳しく解説される。『打率より出塁率(アウトにならない確率)が何より大事。野球チームの成功にもっとも寄与する機能はどんな形であれ出塁することだ』『得点期待値の考えで打撃や捕球がどんな意義をもつかは場面に応じて客観的に決まる』『新しいコンピュータシステムを使えば、他のどんな方法よりも正しく選手の真価をつかめる』『チームの勝利にとっては守備力よりも攻撃力がはるかに重大であるというかねてからの信念がコンピュータによって裏打ちされた』など多岐(たき)に亘(わた)る。

第7章「ジオンビーの穴」は出塁率が高く、球界で1・2を争う攻撃力を持つジオンビー一塁手が抜けたあとの補充方法を解説。出塁率にだけに着目して3人の選手を安い金額で獲得したのである。第8章「ゴロさばき機械(マシン)」は捕手一筋のハッテバーグを一塁手として入団させるために行った他球団との駆け引きと、内野守備コーチが6週間で彼を先発一塁手として仕立て挙げる様子が描かれる。

                         ☆

第9章「トレードのからくり」ではトレード期間が終了する7月30日の前日まで選手を獲得するためにビリーが競合チームのゼネラルマネージャー相手に使った手練手管(てれんてくだ)とその成果を解説。第10章「サブマリナー誕生」ではサイドスローから下手投げ(サブマリナー)に転向したブラッドフォードの成長を解説。他球団からは見向きもされなかった投手だ。シカゴ在住の野球データの面白さの虜(とりこ)になった弁護士ボロス・マクラッケンの仮設も紹介した。『ホームラン以外のフェア打球は、ヒットになろうとなるまいと、投手には無関係で、実はただの運である』とする記事を読んだアスレチックスのフロントは新しい投手評価法を確立するべきだと考える。

第11章「人をあやつる糸」では20連勝という歴史的な記録が掛かった試合を実況中継風に解説する。11-0でアスレチックスが大量リードして記録更新は確実と思われた試合がいつのまにか11-11と同点に追い付かれた9回裏にハッテバーグの打球は快音とともにはるか右中間へ一直線に飛んでいく。球はフェンスを越えてスタンドの上段に突き刺さった。

第12章「ひらめきを乗せた船」ではビリー・ビーンに転機が訪れます。2002年のプレイオフではビリーのやり方が通用しないと外部者はもちろん、レギュラーシーズンをそのやり方で戦ったアスレッチックスの選手も疑問を持っていた。その結果はアスレチックスが2勝3敗で敗退した。得点はレギュラーシーズンを少し上回ったものの、失点が多かったのが敗因で、大博打(だいばくち)あるいは運が試合を大きく左右するのはポストシーズンがレギュラーシーズンと異なる点なのです。球団オーナーが自分の価値を十分評価していないこともビリーは不満に思う。

このような状況ではあったが、トロント・ブルージェイズの新しいオーナーとなったロジャーズ・コミュにケーションズ社(筆者注;カナダの大手通信会社)は全球団の中で最も赤字が多いことに不満を覚えて、球団を独立採算にすることにした。これを実現するために新しいゼネラルマネージャーを採用することにして、いろいろ探した結果、ビリー・ビーンが率いるアスレチックスを見習うことにする。

長期契約を結んでいるビリー本人を引き抜くのは難しいので、ポールに当るが断られたため、選手管理部長のJ.P.リッチアーディと契約する。J.Pはポールに相当する人物が必要であるとのビリーの助言に従ってキース・ローという28歳のハーバード卒業生を雇う。野球経験は無いが興味深い文章を野球サイトに寄稿していた人物である。そして古株スカウト25人を解雇した上でチームメンバーの改革に取り組んだ。

ブルージェイズの大胆な梃入(てこい)れを見て、一部の他球団も安くて強いチームを作れることに気付き始めた。ボストン・レッドソックスもその一つで、ビル・ジェイムズを球団運営担当の上級コンサルタントとして雇い入れた。そしてゼネラルマネージャーにビリー・ビーンと全球団のゼネラルマネージャーとしては最も高額の報酬で合意する。後任はポール・デボスタ。後は契約するだけの段階になってビリーはボストン・レッドソックスからの申し出を断ってアスレチックスに残ることを決めた。自分の真価を世間に知ってもらいたいという望みが適(かな)ってしまったからである。そしてその傍らにはこれまでと同様にポールが居た。

                         ☆

エピローグではビリーが見込んで獲得したデブのジェレミー・ブラウンとドラフト1位のニック・スウィッシャーがルーキーチームから1Aへ昇格、そこで大活躍したジェレミーは2002年のドラフト指名選手のなかでただ一人2003年にメジャーチームの春季キャンプに参加する。そして10月の試合では本塁打を放ったにも係わらず全力疾走して転倒、それまでのように体格ではなく、一生懸命さに好感を持った同僚選手たちに笑われるシーンで幕を閉じる。

解説文でスポーツジャーナリストの二宮清純氏が引用するように、著者のマイケル・ルイスは『プロ野球をやる人々の王国と、プロ野球について考える人の共和国の対立』と看破(かんぱ)し、ビリー・ビーンは幸いなことにメジャーリーガーとしての成功体験がなかったこと、球界を支配していた迷信(めいしん)を駆逐(くちく)して科学する(何よりも出塁率を重視する)方法を確立した。ビリー・ビーンが戦っているのはマネーでもなければヤンキースでもない。教典と化した『過去の知性』である。しかし最先端のセオリーもいつかは『過去の知性』と化すと二宮氏は指摘する。

名前も知らない数多くのアメリカ大リーグ選手が登場するこの本は日本人には馴染み難(にく)さを感じさせますが、既成概念に囚(とら)われず、客観的なデータを重視した選手評価とチーム作りの考えを通して、読者に他分野にも共通する考え方を示唆する良質な本でした。

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