西国街道巡り(その6) 伊丹市南西部
手作り感が溢れる木製の常夜灯には「西国街道 美しい大鹿村街道」とあります。

西国街道は閑静(かんせい)な住宅街の中を続きます。そして前方に一際(ひときわ)瀟洒(しょうしゃ)な建物が見えて来ました。

兵庫県の「人間サイズのまちづくり賞」を受賞したモダンな和風建築である大鹿交流センターの前には大鹿の真新しい石碑がありました。大鹿村(現伊丹市大鹿)の中ほどに一里塚があり、村の西には伊丹から中山・有馬へ向う街道が通っており、酒造りが盛んであったことが詳しく説明されています。

古い道標は表面の風化が激しく、しかも光線の具合が良くないため写真では読み難いのですが、大鹿東口の新しい道標で説明されていた昔の道標のようです。四面に「すぐ京、すぐ中山有馬、すぐ西宮、すぐ大阪」と書いてあります。ちなみに「すぐ」とは「真っすぐ」を意味するそうです。

「大鹿の旧地名(明治の中頃)」の説明看板には坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)に由来する大鹿の地名の由来が説明されています。

保養所の雰囲気がある立派な建物の前に三菱電機労働組合北伊丹支部が寄贈した西国街道の詳細な地図が街道脇に立っていました。

京都府に接する大阪府島本町から兵庫県西宮市までの西国街道が分かり易く表示されています。上下(南北)が逆になっているのは南向きに設置された地図と西国街道との位置関係に配慮したからでしょう。

西国街道とは関係ありませんが、30年以上前に尼崎市(JR福知山線塚口駅前)にある三菱電機伊丹製作所を仕事で訪れたことを思い出しました。尼崎市に在(あ)りながら伊丹製作所と呼ばれていることが今でも不思議です。
伊丹警察署前を通過した稲野小学校前にある古い道標に「すぐ中山小濱」「すぐ西之宮」「すぐ京都」「すぐ尼ヶ崎大坂」と彫られています。横の歌碑「芦のやのこやのわたりに 日は暮れぬ いづち行くらむ 駒にまかせて」を詠(よ)んだ能因法師(のういん)法師のことを調べると平安時代中期の僧侶で歌人としても知られる人でした。

小さな公園の前に立つ長勢橋(ちょうぜいばし)の新しい道標です。昆陽寺が1km先に迫りました。この場所は元治元年(1864年)に起こった蛤御門(はまぐりごもん)の変(禁門の変とも呼ばれる)で幕府軍(京都守護職であった会津藩主松平容保の兵)に敗走した長州勢がここで踏み留まって戦ったと伝えられます。

西国街道の昆陽(こや)宿跡を探しているうちに昆陽寺の山門に到着してしました。国道171号への合流に気を取られたために見過ごしたようですが、後で確認するとラウンドワンと住友電工の施設の裏手(この辺り)に案内板があったようです。

昆陽寺は行基大僧正が創立した畿内49院の一つで、行基の作と伝えられる薬師如来が本尊であるため本堂は薬師堂とも呼ばれます。左後方に少し写るのは行基堂。

本堂の裏手には四国八十八ヶ所霊場石仏と西国三十三ヶ所霊場石仏あります。

昆陽寺から約1.5km北北東にある昆陽池は行基が指導して造成された大規模な農業用溜池(ためいけ)です。ちなみに現在の池は後年になって拡張されたもので、日本列島を模した人工島があるそうです。(続く)
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