西国街道巡り(その5) 池田市から伊丹市へ
中休みが長めになってしまいました。それでは西国街道巡りのドライブ旅に戻ります。箕面線の踏み切りを渡って本線に入った国道171号を西進し、住吉交差点から亀の森の交差点から西国街道を逆に辿りました。
西国街道を逆方向に辿(たど)ったのは正光寺に立ち寄りたかったのです。中納言石と夜泣き石があると聞いたからですが、徒歩で探しても正光寺の入口を見つけられませんでした。カーナビの表示で見当をつけていましたから簡単に見つかるだろうと高をくくってナビ機能があるiPhone 4Sを携行しなかったのが失敗でした。私の勘ピューターは西国街道の度重なる「一方通行地獄」によってオーバーヒートを起してしまったようです。
亀の森の交差点まで引き返しましたが、無情にも西国街道はここにも侵入禁止の標識があるため、すぐ近くのある亀之森住吉神社に参拝して心を静めることにしました。

ちなみに全国各地にある住吉神社は住吉三神である底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)を祀(まつ)っています。これらの神は海の神あるいは航海の神とされます。そして地名の亀の森は、このあたりが海であった昔に、小島だったと伝えられることに因(よ)るようです。
神武天皇は東征時に行宮を各地で創設したと伝えられますから、ここもその一つかもしれません。神武東征とは神武天皇が日向を出発して、宇沙(大分県宇佐市)、岡田宮(北九州市)、阿岐国(広島県)の多祁理宮(たけりのみや)、吉備国(岡山県)の高島宮を経て辿(たど)り着いた浪速国(なにわのくに)の白肩津(しらかたのつ、現在の東大阪市)で大和豪族の抵抗に遭(あ)ったため、紀伊国(和歌山県)の熊野へと迂回して、ヤタガラス(八咫烏)の案内で入った大和を征服したとする古事記や日本書紀に書かれた神話です。
熊野権現(熊野三山に祀られる十二所権現)を祀る駒の森十二社にも立ち寄る予定でしたが、日が傾いて来ましたので通過することにして、国道171号の新開橋(しんかいばし)交差点に差し掛かりました。

当ブログでは新宿中央公園内にある熊野十二社に参拝したことを紹介しています。西国街道はここから南西へと下がりますが猪名川(いながわ)に掛かる橋がありませんので、国道171号をそのまま進んで兵庫県伊丹(いたみ)市に入ると、猪名川の軍行橋に差し掛かりました。明治時代末期に陸軍の演習のために架けられたことから付けられた名前のようです。

見晴らしの良い橋の上から六甲山の山並みが良く見えます。

軍行橋を渡り終えた交差点から堤防上の道へと左折して南下した萱野1丁目交差点で西国街道は右手に分かれました。
JR福知山線の踏切を渡ります。7年前に7kmほど南の尼崎駅に差し掛かった快速電車が脱線してマンションに激突する大事故が発生した路線です。

清和源氏発祥の地とされる多田(ただ)神社(川西市)へ向う多田街道との分岐点には「従是多田神社一里半」と表示された道標「辻の碑」が立っています。

北園1丁目交差点で府道13号と交差すると急な坂に差し掛かりました。

両側から木の枝が覆(おお)い被(かぶ)さる様から暗闇坂(くらやみざか)と名付けたいところですが正式名称は「伊丹坂」とごく平凡なものでした。次の目的地である昆陽寺(こんようじ、こやでら)まで3.1kmと表示されています。

伊丹坂の頂上手前に「伝和泉式部の墓」の案内を見かけて立ち寄ることにしました。鋭角の脇道に入るのは大変です。

住宅地の奥に小さなお堂に守られた墓石「五輪塔」がありました。

大鹿東口にある真新しい道標の右側には大きく西国街道と彫られています。

(続く)
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