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2012年11月に作成された記事

2012年11月29日 (木)

神宮外苑の銀杏並木

所用で神宮外苑(がいえん)に出掛けたついでに、聖徳記念絵画館前の銀杏(いちょう)並木を歩いてみたくなりました。前回訪れたのは3年前の11月27日で銀杏の紅葉にはほぼベストのタイミングでした。今回は1週間ほど早い11月22日であるため紅葉には少し早いかもしれないと思いながら、青山通りを東京メトロの神宮外苑駅付近から赤坂方面へ向って歩きました。

青山2丁目交差点から色付いた銀杏並木が一直線に伸びているのが見えました。この銀杏並木は大正12年(1923年)に作られたそうです。青山通りから樹高順に146本の銀杏が植えられたのは遠近法による演出を考慮したことによるそうです。
 
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今回も前回と同様に右手の歩道を歩きます。歩道の両側に続く銀杏の木は日当りの違いなのか左右で紅葉の進み具合に大きな差があります。
 
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車がいないタイミングを見計らって車道に出てみると定番の風景がありました。左側の並木の方がさらに鮮やかに色付いています。
 
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前回と同様に「神宮外苑いちょう祭り」(今年は11月17日から12月9日)が絵画館前の噴水池と軟式野球場周辺で開催されていますので、その会場にも立ち寄ることにしました。今年は16回目なのだそうです。ちなみに銀杏並木は港区北青山ですが噴水池から先は新宿区の霞ヶ丘(かすみがおか)町です。

銀杏の紅葉を意識したようにテントや幟(のぼり)は黄色い配色がなされています。
 
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全国のうまい物を出展する多数の模擬店の中から私が注目した店を10カ所ほど紹介します。最初は見覚えのあるキャラクターが描かれた「宮崎鶏炭火鉄板」とNHK全国コロッケコンクールで金賞を受賞した「昭ちゃんコロッケ」(山口県山口市)です。
 
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その隣の「甲府鶏もつ煮」は第5回B‐1グランプリを獲得しています。
 
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名古屋名物はもちろん「手羽先唐揚げ」「味噌串カツ」「天ムス」ですが五平餅とみたらし団子もありました。
 
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秋田県大仙市から来た百姓一喜(スーパー百姓集団)は「秋田こまちのおにぎり」を前面に出して、「百姓鍋」「炊きこみめし」「枝豆黄金みそ」「漬物」などを販売しています。
 
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八尾百貨店(秩父市)の店では「ちちぶ名物味噌おでん」「手づくりこんにゃく」「秩父の梅酒」などとともに、国産のいちょうの木で作った「いちょうの木のまな板」などが並べられています。材質が均一で碁盤などにも使われる銀杏で作られた俎板(まないた)は高級品とされます。
 
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テント張りのテーブル席でB級グルメを楽しむ人たちは皆冬の出(い)で立ちです。
 
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八戸の「せんべい汁」は地元の伝統的な料理だそうですが、B級グルメグランプリでしばしば入賞している強豪です。今年10月に北九州市で開催された『第7回ご当地グルメの祭典!B‐1グランプリ』でゴールドグランプリを獲得しました。
 
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「石巻焼きそば」は『あとかけソースで二度おいしい』と謳(うた)っています。
 
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「厚木シロコロ」は第3回B‐1グランプリを獲得しています。
 
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そしてB級グルメの定番(第1回と第2回のB‐1グランプリで連勝)である「富士宮やきそば」などの店も続きます。
 
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富士吉田名物「吉田のうどん」は富士山の五合目で食べたことがあります。
 
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こちらの「富士桜高原麦酒(ビール)」は代表的な地ビール(山梨県富士河口湖町)
 
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噴水の近くから青山2丁目交差点方面を望みました。
 
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復路は銀杏並木の反対側を歩きます。
 
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見上げるとまた違った雰囲気が感じられます。
 
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歩道脇には銀杏のカーペット(茣蓙、ござ)が敷き詰められています。
 
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振り返ってもう一枚撮影しました。
 
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銀杏が紅葉しつつある状態のグラデーションはそれなりに綺麗ですが、やはり次週(11月末)から次々週(12月初め)にかけてがこの銀杏並木の見頃でしょう。

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2012年11月25日 (日)

飛騨のバス旅(後編)

白川郷の入口に到着しました。雪山を背景に入母屋(いりもや)屋根が特徴である合掌造(がっしょうづく)りの民家が良く似合います。受け売りですが、「合掌造り」の名称は手を合わせたように三角形に組む丸太の組み構造に由来するようです。
 
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白川郷はこれで2回目です。と言っても、31年前(1981年8月)に家族連れで同じ白川村の御母衣(みぼろ)ダムを見学するドライブのついでに昼食のために立ち寄っただけで、記念になる写真は2-3枚しか残っていません。当時は東洋一のロックフィルダム(岩石と土砂を積み上げて建設するダム)と呼ばれた御母衣ダムに比べて白川郷の合掌造り集落はそれほど有名ではなかったのです。

 

合掌造りの食事処「基太(きた)の荘」に立ち寄りました。
 
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中に入ると囲炉裏(いろり)のある部屋を抜けた広間に案内されました。
 
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昼食が既に用意されていました。朴葉(ほうば)味噌焼と虹鱒(にじます)の甘露煮(かんろに)、そして堅豆腐(かたどうふ)と山菜などが並ぶお膳は期待通りです。ちなみに豪雪地帯に多い堅豆腐は荒縄で縛(しば)っても崩れない堅さがあるそうです。
 
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白川八幡神社に参拝して、天然温泉立ち寄り湯「白川郷の湯」、どぶろく風ソフトクリーム、川魚を捕まえる竹製の漁具、日露戦争戦没者の慰霊碑、水舟(飛騨特有の水槽)、木挽(こび)き人形などを見物しながらメインストリートを歩くと四辻に出ました。
 
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その先には有名な和田家住宅がありました。この家屋(3階建ての母屋・土蔵・便所)および土地は国の重要文化財で、代々庄屋を務めた和田家が現在も居住されていますが、内部を有料(大人300円)で見学できます。
 
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岩山の紅葉が綺麗です。
 
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萩町交差点を過ぎたY字路で国道360号の方向にそれると『萩町城跡(集落展望台)徒歩上り15分、下り5分』の表示がありました。先ほど見た岩山を回り込むように急な階段を上ります。
 
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山登りのような急峻な上り坂を息を切らせて登り切ると「世界遺産白川郷合掌造り集落」の石碑が出迎えてくれました。
 
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掘切(空堀)を過ぎた城山(萩町城跡天守閣)展望台から見た白山連峰の三方崩山(標高2059m)
 
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右端の雪山が三方岩岳(標高1736m)、中央やや左寄りが野谷荘司山(標高1797m)、写真には写っていませんが、さらに左手には間名古の頭(標高2124m)・剣ケ峰(標高2677m)・御前峰(標高2702m)などがあると説明されています。
 
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同じ展望台から見た白川郷集落
 
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復路は緩(ゆる)やかな舗道を下りた和田家住宅の裏手から、たわわに実る柿の木越しに、先ほどまでいた展望台を見上げました。
 
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30-40年に一度行われるという珍しい茅葺(かやぶき)屋根の葺き替え作業を見ることができました。
 
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こちらは四辻を西通りに入って真横から見た作業風景です。
 
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西通りの反対側にある民家の屋根付近の固定構造
 
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西通りをさらに先へ進むと庄川に架かる吊り橋の「であい橋」に出ました。対岸のせせらぎ公園駐車場へとコンクリート舗装されたような橋(長さ107m)が伸びています。平成5年に完成したこの橋は2003年に土木学会デザイン賞を受賞しています。
 
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横から見るとコンクリート製床板をその中に埋められたケーブルで支える構造ですから通常の吊り橋のようにロープで視界を遮(さえぎ)られないことが特長です。そして人が歩くと微(かす)かに揺(ゆ)れる吊り橋の感覚を味わうこともできます。
 
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「基太の荘」の駐車場に近い飛騨川縁(べり)からは障害物がないため白山連峰(三方岩岳と野谷荘司山)が良く見えます。横一直線に伸びる白っぽいラインは東海北陸自動車道で、その10数km先(上流)に御母衣ダムがあります。
 
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帰路は白川郷ICから東海北陸自動車道に入って、郡上市の「ひるがの高原SA」で最初の休憩を取りました。西方に見えるダイナランドスキー場と高鷺スノーパークのゲレンデはすでに白く雪に覆(おお)われていますが12月下旬に営業を開始するようです。SA内の建物前に郡上八幡で見た水舟と似た物が置かれていました。
 
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余談です。写真に写る大日ケ岳(標高1709m)に降った雨水はこのひるがの(蛭ヶ野)高原にある分水嶺で庄川と長良川に別れて、それぞれ日本海(富山湾)と太平洋(伊勢湾)に注(そそ)いでいます。

 

30kmほど南下した郡上八幡IC付近から4年前に訪れた郡上八幡の町並みと八幡城が夕日に照らし出されているのが一瞬でしたがはっきり見ることができました。
 
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SAで最後の休憩をした後は一路ゴールを目指します。写真は今年6月に訪れたばかりの「ツインアーチ138」(愛知県一宮市浅井町)です。
 
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名神高速道路に合流する一宮JCTが近付くと夕陽が養老山脈とその後方の鈴鹿山脈に沈む直前でした。
 
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(終)

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2012年11月24日 (土)

飛騨のバス旅(中編)

前夜はカラオケの後にもう一度(三度目の)風呂に入ったため就寝したのが午前1時過ぎになり、翌朝に目覚(めざ)めたのはいつもより遅い午前6時でした。さっそく朝風呂にしようと臨川閣3階の「下留の湯」へ向ってロビーを抜けると天皇皇后両陛下が宿泊された時の写真が多数掲示されていました。
 
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大きな階段が臨川閣の2階へ続いています。すぐ手前のロビーでは朝市の準備が行われていました。
 
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「下留の湯」の説明書きには、源泉は市内幸田ポンプ所から送られていること、泉質がアルカリ性単純温泉(pH9.18)、温度調整のために水道水を加水していることが表記されています。一番新しい臨川閣にある「下留の湯」は他の2つよりも今風の開放感に溢(あふ)れた風呂でした。
 
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朝市の様子を見るためにロビーへ戻りました。
 
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これはロビーに展示されていた昭和4年に源泉が掘削(くっさく)された頃からの古い写真です。
 
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朝食は1階のレストランでバイキング料理。これまで経験したことがないほど多彩な料理が所狭しとならんでいるため、終戦直後に生まれた私はつい手が出すぎて、普段の朝食の倍以上も食べてしまいました。出発まではまだ時間が1時間以上もありますから、前日は薄暗くなって展望が楽しめなかった飛泉閣9階の「展望大浴場」へ上がってみました。飛騨川に架かる朱塗りの下呂大橋の先にある白鷺橋にチャップリンと林羅山の銅像が確認できました。
 
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真下には山水閣1階の「野天風呂」(円形の屋根)と温水プール(ガラス製の屋根)が見え、左側の窓からは前回宿泊した下呂観光ホテルが低い山の中腹に確認できました。
 
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飛泉閣9階には教会と見紛(みまご)う廊下が真っ直ぐ伸びています。明かり取りのガラス屋根からはシャンデリアが下がっていて独特の雰囲気を醸(かも)し出していました。
 
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通路を抜けた「展望大浴場」付近からは下呂駅が見下ろせました。
 
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出発時間の少し前にホテル正面に停まるバスを確認してから敷地内の紅葉を求めて散策すると、臨川閣から高山本線の方向に伸びる紅葉並木を見つけました。
 
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別のアングルからもう一枚撮影しました。
 
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ほぼ定刻の午前9時を少し回った頃にバスはホテルを出発しました。飛騨川に沿ってさらに北上すると国道41号(益田街道)は高度を上げて行きます。最高地点と思われる地点を通過したようで、視界がだんだん開けてきました。国道41号(高山バイパス)の上岡本町南交差点から高山駅方面に向かった高山グリーンホテルに隣接する飛騨物産館が最初の目的地です。

 

高山代官所の御門を模(も)した平成の陣屋門が入口です。ちなみに高山は江戸時代初期に天領(幕府直轄領)となりました。金銀銅や木材などの資源が豊富であったことがその理由とする見方があるようです。そして飛騨(古くは斐太)の地名は山々が襞(ひだ)のように重なり合っていることによるとする説が有力です。
 
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門を入ったところに「さくらの足湯」がありました。飛騨高山温泉「天領の湯」と表示されています。
 
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館内に入ると「さるぼぼ神社」の参道に沿って町屋風の「高山おみやげ商店街」が並んでいました。ちなみに「さるぼぼ」は安産と子供の健康を願って各家庭で手作りされる人形だそうです。この商店街で売られている飛騨の味覚は飛騨甘栗・山柿・手焼きせんべいなど前日立ち寄った美濃加茂SAとほぼ同じです。私は栗と柿のお菓子、そしてほう葉焼きなどを土産に買った後は飛騨らしいものを選んで撮影しました。
 
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見覚えがあるこの人形が「さるぼぼ」です。
 
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ゲンコツ飴の実演販売には人だかりができていました。試食させてもらうと川崎大師ののど飴とは対照的な柔らかい芋飴(いもあめ)で、私にとって懐かしい味です。館内には貸切露天風呂の「天領湯屋」とタイ古式マッサージの「茶久羅」もありました。
 
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国道41号からインターチェンジが工事中の高山清見(きよみ)道路に入りました。高速道路かと思いましたが、長野県松本市(中央自動車道長野線・松本J.C.T)を起点に飛騨地方の山岳地帯を経て福井県福井市(北陸自動車道・福井北J.C.T)に至る延長約160kmの中部縦貫道路(自動車専用の一般国道)の一部でした。飛騨清見(きよみ)ICから片側1車線の東海北陸自動車道に入ると道路脇の山肌には雪が積もっています。
 
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(続く)

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2012年11月23日 (金)

飛騨のバス旅(前編)

新幹線で名古屋駅に到着しました。例によって新幹線ホームにある住吉で昼食に「きつね入りきしめん」(410円)を食べました。ちなみに、これまで「かき揚げ玉子入りきしめん」(550円)と「かけきしめん」(350円)を同店で味わっています。今回も期待通りの美味しさでした。
 
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今回の旅の目的は貸切バスで友人たちと飛騨をのんびり巡(めぐ)ることです。バスが出発するとビールを飲みながら四方山話(よもやまばなし)に花が咲きました。最初の休憩地は東海環状自動車道の美濃加茂SAです。ちなみに美濃とは岐阜県南部にあった旧国名ですが、その由来は青野(現在の大垣市青野町周辺)・大野(同じく揖斐郡大野町周辺)・各務野(同じく各務原市周辺)を総称した三野であるとされます。
 
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私の好きな五平餅(ごへいもち)を売る店が目に入りました。
 
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館内には飛騨牛、栗きんとん、手焼きせんべい、山柿など美濃と飛騨の名産品が並んでいます。
 
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このSAは隣接する日本昭和村の駐車場にも繋(つな)がっています。この施設は昭和初期の里山をイメージしてつくられたテーマパークだそうですが、同じ岐阜県の恵那市には日本大正村もあるそうです。私は愛知県犬山市にある明治村を訪れたことはありますが・・。
 
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美濃加茂SAと一体になった美濃加茂ICを出て国道41号(美濃加茂バイパスと益田街道)へ入って、木曽川支流の飛騨川に沿って遡(さかのぼ)ります。5年半前に中山道を巡るドライブ旅の途中に下呂温泉へ立ち寄るために利用した国道です。美濃白川四季彩街道とも呼ばれるようです。
 
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白川町に入って白川口を過ぎて飛騨川の左岸に渡った場所にある「道の駅美濃白川」で休憩です。
 
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白川町の味覚や特産品を中心に展示販売されています。ちなみに白川町は東濃ひのきの産地であり、白川茶と白川ハムでも知られるそうです。
 
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私は珍しい「ほう葉寿し」に目を惹(ひ)かれました。
 
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道路の反対側にある野菜村(青空市場)「チャオ」も覗(のぞ)いてみることにしました。『まめなかね』(お元気ですか)、『よってかんかね』(お寄りになりませんか)、『かってってぇ』(買って行ってください)などの岐阜弁(美濃弁)が書かれています。
 
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新鮮そうな地産の野菜類などが売られていました。
 
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白川町では車窓から飛騨川の上麻生ダム名倉発電所七宗発電所を眺(なが)めながら飛騨(岐阜県北部)に入った下呂(げろ)市金山町でも大船渡ダム下原発電所下原ダム瀬戸発電所を見ていると中山七里に差し掛かりました。中山七里は飛騨川、別名益田(ました)川沿いに約7里(28km)続く景勝の地です。この辺(あた)りまで北上すると紅葉が鮮やかになってきました。いつもなら車を留めて写真を撮(と)るところですが、バスに乗った時に飲み始めたビールと友人との会話(いずれも今回の目的)が止まりません。

 

日が傾き始めた午後3時半過ぎに県道440号にそれると見覚(みおぼ)えのある町並みに出ました。下呂温泉です。前回も渡ったことがある橋を渡ってJR高山本線の下呂駅へ向い、さらに左折するとこの日の宿泊地である水明館に到着しました。
 
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下呂温泉に前回立ち寄った時には予約が取れずに別のホテルに宿泊した私には一度は宿泊してみたい憧(あこが)れのホテルです。ロビーでチェックインしました。
 
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部屋で浴衣に着替えて早速山水閣1階の「野天風呂」(龍神の湯)と飛泉閣9階の「展望大浴場」へで日本三名泉に数えられる湯をハシゴして楽しむと夕食が待っていました。まず刺身を食べ終わると、左手前にある千切り大根、あるいは大根の桂剥(かつらむき)を細長く切ったようなものを鍋に入れるように教えられました。実は細いうどんでした。鍋の次は小鉢に箸(はし)が移ります。
 
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飛騨牛のほう葉焼きの写真は食べ終わってからの撮影になりました。
 
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次いで配膳された鉢も箸が進んで撮影する前に残り少なくなっていました。
 
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大根の煮付け
 
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デザートのフルーツ
 
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美味しくてほど良いボリュームの夕食に満足した後は、幹事役の提案に賛同して、カラオケで夜半まで盛り上がりました。(続く)

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2012年11月16日 (金)

三浦半島南端部をドライブ(後編)

振り返ると東京湾には釣り船が多数見られます。後方で一際高い山は鋸山(のこぎりやま)でしょう。
 
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房総半島の南端部です。平坦な半島であることが良く分かります。
 
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北方に目を転じると間口漁港と岩礁に設置された間口港灯台が見え、遠方には久里浜にある東京電力横須賀火力発電所の煙突群が立ち並んでいます。燃料タンクもはっきりと確認できました。
 
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灯台入口付近には深く抉(えぐ)れた海岸線が迫っています。小道が見えますから下まで降りられるようですが・・。
 
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県道を引き返します。丘の上にある神奈川県水産技術センター八浦原受信所には水平ログペリ(中央にある魚の骨のようなアンテナ)と水平ダブレット系(クモの巣のようなアンテナ)など短波の広い周波数帯に対応できるアンテナ群が並んでいます。アマチュア無線家には垂涎の的(すいえんのまと)です。みうら・宮川フィッシャリーナの手前でも似た施設を見かけましたが、そちらは同じ組織の大乗送信所でした。
 
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想定した午前9時10分前に三崎漁港「うらり」の駐車場に戻りました。駐車場に停まる車の数が少し増えて、「うらり」の前に開店を待つ人たちがいます。9時には数分ありますので並んで待とうかと思うと、店員さんが「どうぞ」と店内に案内してくれました。
 
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「うらり」内の店をザーッと見て回ったあとは遅めの朝食です。前回、昼食に利用した鮪料理専門店「鮮味楽
」は昼と夜の営業ですから、午前9時に開店する駐車場脇の食事処「魚音」(うおおと)に入りました。三崎港の仲買業者が経営する店の一つです。1階は厨房とテーブル席が8席だけですが2階にはテーブル席がさらに14席ありました。
 
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私は「ひつまぶし」のように茶漬けでも食べられる一風変わった名前の「丼づけ」(945円)に惹(ひ)かれましたが、悩んだ末にオーソドックスな中トロと釜揚げシラスの「三崎丼」(1260円)に決めました。シラスが中トロの下にも敷き詰められていること期待しましたが・・。箸休めのマグロの煮付けは濃い目の味が懐かしい。
 
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同行者は「まぐろの三種盛り合わせ」(1260円)を選びました。新鮮な大トロ・中トロ・赤身がちょうど良いボリュームで盛られています。
 
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朝食のお預けを食った同行者もやっと機嫌が直ったようです。この日は正午から法要があるため三浦市を訪れたのですが、粗忽(そこつ)な私が食堂の開店時間を読み誤ったため、中途半端な状況に陥ってしまいました。そこで時間調整の目的でもう一度県道215号で剣崎から金田漁港を経て三浦海岸沿いに走り、さらに国道134号で横須賀市に入って野比(のび)まで走りました。三浦海岸ではカイトサーフィンを楽しむ人たちを見ながら午前11時前には三浦霊園に到着。前回は法要が始まる15分前に到着して同行者の顰蹙(ひんしゅく)を買いましたが、今回は逆に余裕を見過ぎたようです。

法要後のお斎(とき)は三浦海岸にある料理店です。朝からマグロをたっぷり食べた上、さらに多彩な海鮮料理を楽しみました。今回も酒が飲めないのは残念ですが、これだけは止むを得ません。日が翳(かげ)り始めた午後4時過ぎに最後の目的地を目指しました。午前中に場所を確認した横須賀市野比にある野比温泉です。上り坂の道路脇に塀のように建つ細長い建物が印象的です。
 
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左半分は2階建てで右半分は3階建てと変則的な建物です。隣の業務スーパー野比店と共用の駐車場に車を留めてガラス製のドアを開けて中に入ると奥行きの短いロビーがありました。受付で利用料(大人1000円)を払いました。午後6時以降は700円で利用できるようです。
 
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階段を上った3階に男湯があります。ちなみに女湯は階段を下りた1階のようです。
 
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脱衣場は極めてシンプル
 
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浴室もやはり細長く、手前に洗い場があり、奥に長方形の浴槽が配置されていて、一昔前の公共の温泉施設のようにシンプルです。シャーベット調の3色のタイルが貼られた壁面は正に三色アイスクリームのようで、私には微妙な配色に見えました。浴槽の左手奥には陶磁器製の大きなタヌキの置物が飾られています。ベルギー・ブルッセルの小便小僧のように・・・。

その手前には岩組みの真ん中から飛び出たパイプから湯が流れ落ちています。何だろうと思いましたが。どうも打たせ湯のようです。浴槽の奥から湯が勢い良く流れ込んでいて、その勢いを弱めるための仕切りが浴槽内にあります。常連客はそのエリアで湯を楽しんでいますが、一見客の私は遠慮しました。申し訳のように設置された小さなサウナにも入ってみました。こちらのサイトに浴室内の写真が掲載されていましたのでリンクされていただきました。

泉質はナトリウム-炭酸水素塩冷鉱泉(源泉温度18.6度)で弱アルカリ性(PH8.7)・低張性。ちなみに旧泉質名では純重曹泉です。茶褐色で透明をしてヌメリがある湯は正直に言って期待以上でした。

湯から上がってロビーで休憩しました。壁に額縁に入れられた新聞記事を読むと、『1984年に横須賀の食料品卸会社が地下水を汲み上げるための井戸を掘ったところ、弱アルカリ性の冷温泉と分かり、源泉から300m離れた現在の場所に日帰り温泉施設を建設。湧出量は毎分41リットル』であることが書かれていました。
 
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下駄箱の脇からロビーを撮影しました。この手前(1階)には休憩所(大広間)があって当日は某大手企業の宴会が開かれていました。
 
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<同行者のコメント> この日は朝からマグロ尽くしで大満足でした。早朝から走り回らなくても午前9時に三崎漁港へ着けば良いと思いますが・・。旦那さまは立ち寄り先をいっぱい考えていたようですね。帰りは大変な渋滞に巻き込まれてしまいました。

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2012年11月15日 (木)

三浦半島南端部をドライブ(前編)

今年1月以来の三浦半島ドライブです。前回は観音崎・久里浜・三浦海岸を巡りましたので、今回は三崎漁港周辺を中心にドライブすることにしました。最初に向ったのは三崎漁港です。6年前に訪れた場所です。到着目標の午前7時を10分ほど回った頃、三崎港産直センター「うらり」に隣接した駐車場に到着しました。
 
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「うらり」では開店の準備作業が始まったばかりのようです。私は午前7時に開店するとばかり思っていましたが、それは朝市が開かれる日曜日だけであることを到着後に知りました。周辺の食堂を何軒か確認すると、判で押したように「うらり」の開店時間に合わせて午前9時からの営業になっています。
 
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どうするべきかを考えながら「うらり」の周辺を散策しました。隣は三崎マリーンセンターとその交流広場です。
 
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ウッドデッキのある「ゲストバース」(駐船場)に係留された純白のヨットと青森丸(青森県立八戸水産高等学校の練習船)が見えます。後者は鮪延縄(まぐろはえなわ)漁業と烏賊(いか)一本釣り漁業、航海・機関の運用などの実習に使われているようです。
 
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「朝ごはんはどうするの?」と不機嫌そうな同行者の声が聞こえますので、食堂探しのドライブに出掛けることにしました。三崎港の周辺にある店は可能性がなさそうですし、城ケ島大橋を渡った城ヶ島は何度も訪れていますから、海岸沿いに油壺方面に向かうことに。道が行き当たる公園付近の殺風景な空き地から富士山が見えることを知り、ビューポイントを探しながらさらに進んで小さな漁港で最初のポイントを見つけました。
 
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隣のヨットハーバーから見る富士山も絵になります。
 
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ズームアップ(光学20倍)するとまた違った雰囲気です。
 
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京急油壺マリンパークの手前にある京急油壺観潮荘に立ち寄ってみました。ひょっとしたら朝食サービスが有るかも知れないと思ったのですが、営業は午前11時からとの説明にすごすごと引き下がりました。意を決して午前中の計画を大きく変更して、朝食の前に三浦半島南端部(三崎・南下浦エリア)をドライブすることに。

県道215号を東に進み市街地を抜けると三浦半島らしく大根畑が広がります。
 
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その風景には不釣合いな2基の巨大な風車が目に飛び込んで来ます。宮川公園内にあるこの施設は三浦ウインドパーク株式会社(日本風力開発株式会社の子会社)が運営しています。頂上部にMICONと表記されていますが、これはデンマーク・ミーコン(NEG-Micon)社製の製品であることを示しています。
 
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発電能力は一基当り400kW(約300世帯分の消費電力)で、直径31mFRP(繊維強化プラスチック)製ローター3枚羽とオーソドックスなものです。ちなみに設備の設置は三浦市、NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)、ニチメンが共同で設置したもので、NEG-Micon社は同じデンマークのVestas社に買収されています。

公園の奥にある木製の展望台からヨットハーバーが見えました。みうら・宮川フィッシャリーナはプレジャーボート(ヨットやモーターボート)が停係泊できるポンツーン(浮き桟橋)です。ちなみに、「フィッシャリーナ」とはフィッシュ(魚)とアリーナ(劇場)を組み合わせた造語のようです。
 
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視界の右端から長く延びた黒い岩礁(がんしょう)に純白の灯台が見えます。小さな灯台ですが色のコントラストが綺麗です。城ヶ島東端(安房崎)にある安房埼(あわさき)灯台のようです。宮川公園には、未舗装ですが駐車場があり、トイレと遊戯施設もありますから家族連れに適した場所だと思います。
 
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県道215をさらに東進して毘沙門(びしゃもん)トンネルを抜けました。波打ち際に毘沙門洞窟(どうくつ)があるようですが、順路が複雑で時間がかかりそうですから、同行者の反応を気にしてこの鍾乳洞(しょうにゅうどう)に立ち寄ることは諦(あきら)めました。剣崎(つるぎさき)小学校の前を通過して大きなカーブを抜けた信号の手前の交差点を標識に従って右折しました。道幅がだんだん狭くなって車のすれ違いが出来なくなりましたので、対向車が来ないことを念じながら500m余り走ると、前方に侵入禁止を示すような標識が見えます。

車のすれ違いが出来る場所に車を留めて(同行者を車内に残して)歩くことにしました。逆光が眩(まぶ)しい右前方に剣崎(つるぎさき)灯台が見えました。
 
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急な上り坂の道を歩きます。
 
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右手の丘の上に巨大なアンテナが見えます。頂上部に大きな帽子(正式名称は容量環、同調周波数を低くしてアンテナ本体を短くするトップ・ローディング機能がある)を被(かぶ)った中波ラジオ放送の送信アンテナにも見えます。基部付近が太くなっていますからアンテナ長を短くするコイル(ベース・ローディング)でしょう。
 
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調べると海上保安庁剱埼DGPS(デイファレンシャルGPS)局の受信アンテナでした。無線方位信号所(レーマークビーコン、電波灯台あるいは中波無線標識)にも使われていましたが、GPS(全地球測位システム)が普及したことで、平成21年4月10日に廃止されたそうです。

その右手にある林越しに富士山が見えました。
 
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入口の案内看板には明治政府が1871年(明治4年)に設置した、対岸の洲埼(すのさき)灯台と対で東京湾の入口(浦賀水道)を表していると説明されています。海水面から灯火までの高さは41mあるそうです。
 
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剣埼灯台を正面(入口側)・南側・北東側から3点撮影しました。
 
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灯台の頂上部にあるものは南北指示器と風見鶏(かざみどり、鶏をかたどった風向計)のようです。(続く)

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2012年11月 9日 (金)

小説「Box!」を読む

私が読んだ百田尚樹氏の2冊目の小説は「Box!」(2008年太田出版)で、ミルキイ・イソベ氏の装丁は茜(あかね)色の夕空にも見えるインパクトがあるものです。ソフトカバーの表紙を捲(めく)った中表紙の次頁には、『Box [baks] [名詞]  [動詞] ボクシングをする』と辞書のような表現がありました。
 
                         ☆

大阪のJR環状線に乗る高校教師の高津耀子(ようこ)がいる。ドア付近の床に車座になって大声で話しながら喫煙をする6人の若者たち(少年5人と少女1人)を睨(にら)み付ける耀子の視線に気付いた少女が、いきなり耀子に向かって怒鳴り声を上げながら携帯電話で耀子を撮影して、「一斉配信したろーっと」と言うので耀子は携帯を取り上げた。そして少年の一人が耀子の胸元を掴(つか)んだ時、「お前ら、やかましいんじゃ!」と背後から声がした。タバコをくわえた少年の一人がその声に向かって行ったが、突然、両膝を折るように床にしゃがみ込み、そのまま前のめりに倒れた。

2009_09050537次の瞬間には二人の少年も床に倒れていた。残る二人もそれぞれ、床に転がり、仰向けに倒れた。西九条駅に着いてドアが開くと野球帽をかぶった少年とその連れが電車を降りた。「風が吹き抜けたみたい」と耀子は思った。そして翌週、恵比須(えびす、浪速区の地名)高校で1年生(特進クラス)の英語の授業中に野球帽をかぶった少年と一緒だったもう一人の少年が特待生の木樽優紀(きたるゆうき)であることに耀子は気付いた。木樽は野球帽の少年が同じ1年生(体育科)の鏑矢義平(かぶらやよしへい)であることと、彼がボクシング部員であることを告げる。

2012_04220294木樽に誘われた耀子は鏑矢の試合(インターハイ大阪府予選のフェザー級準決勝)の応援に出かけて、ボクシングの試合を観戦しながら、同じ高校の保険体育担当でボクシング部監督の沢木からボクシングの基礎知識を教えられる。何試合かあとに鏑矢が気楽な様子でリングに上がる。そして1分も経過しないうちに2度のダウンを奪いRSCreferee stop contest、プロのTKOに相当)で呆気(あっけ)なく勝利する。そして鏑矢は翌日の決勝戦でも前年のインターハイで16位に入った選手を圧倒して優勝する。

2009_09050516 木樽は中学時代の悪友に女友達の前で殴られて惨(みじ)めな思いをしたことで、ボクシングを始めることを決意して強引に入部する。そして耀子もひょんなことから自校のボクシング部の顧問を引き受けることになる。そして、木樽と学年でトップの成績を競う病弱な丸野智子がボクシング部を見学した後、マネージャーになりたいと申し出て木樽などの部員と耀子を驚かすが、顧問の沢木はこれを認めた。こうして恵比寿高校ボクシング部の人間模様が出来上がった。

これらの登場人物たちが高校の部活動としてのボクシングに取り組む様子が、百田尚樹氏らしくボクシングの練習風景と詳しい解説、そしてラジオ中継のような試合説明を交えて細分化された章立てで続く。その軸をなすものは天才的な鏑矢の強さだが、ボクシングを始めた木樽が基本の構えから左ジャブ・右ストレート・その組み合わせのワンツー、そして左フックなどを一つずつ地道に学んで行くプロセスと自発的な早朝の猛練習が丹念に描かれる。

2012_04220306 鹿児島で開催されたインターハイに自信満々で出場した鏑矢は1回戦が2ラウンドでRSCO勝ち(15ポイント差によるレフリーストップ)、2回戦もポイント勝ちをするが、3回戦ではノーラキングの選手にRSC負けを喫(きっ)する。前夜に意気投合した他校の女子生徒と一緒に食べ過ぎて体重がオーバーし、翌朝に減量したためスタミナを失くしてしまったのだ。しかし、箕面(みのお)市で行われた国体の合同練習では、階級が一つ上(ライト級)で、しかも1年生でインターハイ・国体・選抜の3つの全国大会に優勝した玉造高校の稲村とのスパーリング(実戦形式の練習)でアッパーと左フックによって稲村を倒す。

山梨県で開催された国体で鏑矢は1回戦に1ラウンドRSC勝ちでベスト8に進出するが、2回戦では予想外なことにポイント負けの判定が出る。フットワークを使う相手に対して鏑矢は大振りになって、空振りが多く、優勢ではあったものの手数の多い相手にポイントで大差を付けられたのである。次いで開催された選抜予選(秋の総体)に鏑矢は稲村と同じライト級へ強引に転向して参加。1回戦に判定勝ちして、決勝戦で52連勝中の稲村と対戦する。激しく打ち合う試合になるが、2ラウンドで稲村から立て続けにボディを打たれた鏑矢は足が止まり、3ラウンドに入ると慎重に攻める稲村に捕まり、2度目のダウンを奪われて試合は終了する。

2012_04220301 終盤の第21章に入ると物語りは大きく展開する。選抜予選が終ると鏑矢がクラブに来なくなったのだ。そして久しぶりに会った木樽に向って、「もう飽きたんや。ほんで、俺、サッカーやろうと思てるねん」という。事実、鏑矢は退部届けを出す。だが沢木監督はなぜか引き留めない。12月の半ばを過ぎた頃に、木樽は鏑矢がたった2ヶ月でサッカー部も辞めたことを知る。その頃、木樽はボクシングのスタイルの改造を試みていた。鏑矢を真似たインファイトで戦うファイタースタイルを止めて、沢木監督から勧められていたボクサースタイル(背中を伸ばしたアップライトで戦うスタイル)に変えたのである。この改造は成功であり、マスボクシング(寸止めで行うパンチの練習)で先輩たちを圧倒するようになる。

2012_08270214年が明けた1月に行われた新人戦が初試合(デビュー戦)である木樽は、緊張のあまり試合開始早々に棒立ちとなり右フックをテンプル(側頭部)に受けてダウンを奪われるが、落ち着きを取り戻してジャブを連打し、早い右を当ててスタンディングカウント(ノックダウン扱い)を奪い、さらに教科書のようなワンツーでこのラウンド2度目のダウンを取った。RSC勝ちだ。翌日の決勝戦でも落ち着いた戦い振りの木樽は、玉造高校のエース候補の戦い方を2ラウンドまで見た上で、3ラウンドにワンツーと右ストレートで2度のダウンを奪って勝利する。沢木監督は驚いた表情でリングを眺め、応援に来ていた鏑矢は口をぽかんと開けたままになる。

2012_01300083マネージャー丸野の死がきっかけとなって鏑矢は4ヶ月ぶりにボクシング部に戻り、木樽は沢木監督から新しい練習方法で指導を受ける。5月のインターハイ予選では稲村が全日本選手権(大学生や社会人が対象)に出場するため不出場となり、決勝に進んだ木樽はボディフックを使って鏑矢の動きを止めた第2ラウンドに左フックとオーバーハンドの右で鏑谷をマットに沈めた。木樽のインターハイ出場が決まったのである。そして二人は淀川の河川敷で早朝練習を一緒にするようになる。鏑矢は木樽のスパーリング相手を買って出るとともに、中学時代にボクシングを習ったジムでも猛練習を始めた。稲村は全日本選手権の大阪予選で大学生4人を破って全国大会への切符を手に入れる。そして木樽はインターハイ近畿選手権で3戦すべてにRSC勝ちして優勝した。

最終章の第30章「惨劇」は6月に開催された国体大阪予選の決勝戦で壮絶な試合が次々に展開され・・。
 
私は惨劇という言葉からあしたのジョーの矢吹ジョーと力石徹との一戦を思い出してハラハラしながら読み進みました。そしてエピローグでは10年後の耀子を通して後日談が紹介されて、爽(さわ)やかな風とともにエンディングを迎えます。

                         ☆
 
[
読後感] 「永遠の0」と同様に長い小説(585頁)を巧みなストーリー展開に惹(ひ)かれて読み切りました。ボクシングの難しい用語解説と試合描写が見事であり、大阪弁の会話を入れたことも大きな魅力ですが、やはり幼馴染(おさななじ)みの高校生二人の友情とボクシングの魅力(怖さ)が印象に残りました。そして、サイエンス(science、科学)がボクシングの攻撃・防御技法(ワザ)も意味することをこの小説で知りました。

余談です。高校で演劇部に所属していた私は熱心に打ち込んだつもりでしたが、半世紀後の今になって振り返ると、もし鏑矢と木樽のような情熱を持って演劇に没頭していればとの思いにとらわれてしまいました。しかし、ブログ記事を書くことや企業の若い人たちに講義すること、そして時にはカラオケを熱唱することで、自己表現する楽しさを味わうことが凡庸(ぼんよう)な私に向いていると思い直しました。

写真はこの小説に登場した場所から私が連想した谷町の生国魂(いくくにたま)神社JR環状線森ノ宮駅四天王寺新世界通天閣御堂筋大川(旧淀川)です。

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2012年11月 5日 (月)

公園散策

秋晴れの平日にチビエちゃんを連れて近くの公園へ出掛けました。わが家から歩いても行ける近さですが、チビエちゃんが自分の家から歩くには遠すぎるために、車で迎えに行きました。来月、2歳になるチビエちゃんは自宅を出た瞬間から、「お母さんはどこ?」を連発しています。「お母さんはお家でご飯を作っているのよ」と同行者から説明されても納得できないようでしたが、途中のコンピニで好きなジュースやゼリーを買ってもらうと、半ベソだったチビエちゃんの機嫌が少し直ったようです。

2012_10300067 そして公園に着くと元気よく歩き始めました。
 
 
 
 
 

2012_10300064園内は秋の風情に溢(あふ)れていました。稲架(はさ)に刈り取られた稲が干してあります。稲木(いなぎ)あるいは稲架(いねか)けとも呼ばれます。
 
 
 

2012_10300068 ススキ(薄)の穂が微風(そよかぜ)で寂(さみ)しそうに揺(ゆ)れています。
 
 
 

 

2012_10300069 カマキリ(蟷螂)は夏が過ぎて足取りが重くなったようです。ちなみにカマキリの寿命は1年ほどで、自然環境では越冬することはほとんどないそうです。
 
 
 

2012_10300071 私の好きな忘れな草が咲いていました。季語が春であるように花期は春ですが、これは四季咲きのモナミブルーのようです。青系にはピントが合いにくいためか、後ピンになっています。前回の記事では白い花を紹介しました。 
 

2012_10300078 チビエちゃんが橋の上から池を指差しています。
 
 
 
 
 

2012_10300079 やがて橋の下からは鴨が静かに現れました。
 
 
 
 
 

2012_10300085 ミゾソバ(溝蕎麦)は水辺に生えるタデ科タデ属の一年草で、『タデ喰(く)う虫も好きずき』のヤナギタデに近い植物のようです。 
 
 
 

2012_10300086 チビエちゃんは落ち葉を拾い集めながら歩いています。
 
 
 
 
 

2012_10300088 白い椿の花は白鳩椿(しらはとつばき)あるいは白玉椿(しらたまつばき)かもしれません。
 
 
 
 

2012_10300091 チビエちゃんはドングリ(団栗)の実が気に入ったようで、せっせと集めて同行者に手渡しています。
 
 
 
 

2012_10300092 この赤い実はクコに似ていますが・・。
 
 
 
 
 

2012_10300098アザミ(薊)の花にミツバチがとまっています。
 
 
 
 
 

2012_10300100 杜鵑草(ほととぎす)の花 は何度見ても斑点(はんてん)と表面の毛がユニークです。 ちなみにユリ科ホトトギス属の多年草。 
 
 
 

2012_10300103 関屋の秋丁字(せきやのあきちょうじ)は紫蘇(しそ)科の植物です。調べると、「関屋」とは昔の関守(関所を守る役人)の家のことで、関所の近くに咲いていたからこの名になったと伝えられるようです。花の先端の上唇のはねあがり部分が少しとがっていている(西日本に多い秋丁字はこれが尖っていない)のが特徴とのこと。

2012_10300105チビエちゃんはベンチで一休みです。まだお茶を飲まないチビエちゃんはジュースを飲みながらお赤飯(せきはん)のおにぎり(御握り)をペロリと平らげました。なぜか小豆(あずき)を指でつまみ出します。私はお赤飯のおにぎりが不思議な存在だと思います。外側に海苔(のり)が巻いてなく、塩にぎりのように具(ぐ)も入っていないからです。

余談です。Wikipediaによると、おにぎりのことを東日本ではお結(むす)びと呼ぶ、両者は形が違う(三角形と俵型・丸型)などの諸説があるそうです。そう言えば、日本昔話には「おむすびころりん」や「サルカニ合戦」(おにぎり)の両方が登場します。そして現代のコンビニでも、セブンイレブンとミニストップは全国的に三角形のものをおにぎり、俵型と丸型のものをお結びと呼んでいますし、ローソンとサークルKサンクスでは理由は分かりませんがおにぎりが多い(お結びは少数派)ようです。そして、ファミリーマートだけがお結びに統一しています。

2012_10300110 菊芋 (きくいも)の花にもミツバチが・・。
 
 
 
 
 

2012_10300111赤とんぼを激写
 
 
 
 
 

2012_10300114キバナ(黄花)コスモスも私の好きな花です。
 
 
 
 
 

2012_10300108チビエちゃんはまだ疲れを知らないように歩いていますが、ちょうど1時間が経過しましたので、そろそろ帰宅するタイミングでしょう。
 
 
 

<同行者のコメント> チビエちゃんはかなり会話が出来るようになって、車に乗る時も降りる時も「○○が先」と自己主張します。私が「降りる時はバーバが先よ」と言うと口をとがらせて不満顔に。でも歩くことも得意ですから楽しい公園散歩になりました。

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