« 映画「シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語」を観る | トップページ | コリン・パウエル著「リーダーを目指す人の心得」を読む »

2012年12月 8日 (土)

百田尚樹氏の時代小説「影法師」を読む

本書は小説現代の2009年8月号から2010年4月号に連載されたものに加筆して2010年5月20日に講談社から発行されたハードカバーで、下級武士の遺児が筆頭国家老にまで出世するサクセスストーリーの影に数え切れないほど多くの人々の意志や期待があったことを描いた百田尚樹氏の時代小説です。奇妙なタイトル「影法師」(かげぼうし)の意味を広辞苑(第二版補訂版、昭和51年12月1日発行)で調べると『障子や地上などにうつった人の影』と説明されています。
 

「影法師」のタイトルとともに英語で“The Shadow”と大きく白抜きされた黒地の表紙を捲(めく)りました。非常に長い記事になったことをご容赦下さい。
 

                         ☆
 
序章は主人公名倉彰蔵(なくらしょうぞう)が3箇月前に50歳で茅島(かやしま)藩の江戸家老から筆頭国家老に抜擢(ばってき)されて江戸から国許(くにもと)へ20数年ぶりに戻ったシーンで始まる。20数年前に不始末を仕出かして藩を逐電(ちくでん、行方をくらますこと)した竹馬の友の磯貝彦四郎が城下に近い浦尾で3年前に目撃されたことを目付けから聞いた彰蔵は直ちに配下の若党(若い侍)に調べさせる。そして彰蔵は3日後に彦四郎が2年前に病死していたとの報告を受ける。
 

2010_07160174 第1章から主人公の回想の形で40数年前(主人公は当時7歳)の出来事が詳しく紹介される。戸田勘一(かんいち)と名乗っていた彰蔵が父の千兵衛と妹の千江(ちえ)とともに猿木川(さるきがわ)での釣りから戻り、城下にさしかかった時に起きた悲劇からである。上士(上級武士)に行き逢(あ)った下士(下級武士)の千兵衛と二人の子供は道の脇で土下座するが、上士はその作法に言い掛かりをつけて、口答えをした勘一に向って刀を抜く。子供を守るために千兵衛も刀を抜いて上士の腕を切るが、足の不自由な千兵衛は濡れた土で体勢を崩し、上士の家来たちに殺されてしまう。
 
 
勘一と千江を助けてくれた磯貝家で勘一は彦四郎と運命の出会いをする。藩の重役達の評定(ひょうじょう)で、千兵衛を殺した上士は半年間の蟄居(ちっきょ、自宅や一定の場所に閉じ込めて謹慎させること)に、御徒歩組(おかちぐみ、徒歩で戦う下級武士)の戸田家は20石の家禄(かろく)を半知(はんち、知行を半分にすること)にして捨扶持(すてぶち、役に立たない者へ捨てるつもりで与える給料や生活費)として支給されることが決まった。(筆者注;米20石を現在の価値で言えば100万円相当と思われる)
 
                         *
 
6年後にシーンが移る。13歳になった勘一は朝暗いうちに起き出して城下はずれの寺(自宅から約1里)まで走る。その境内で木刀を使って素振りを半刻(約1時間)近く稽古(けいこ)することを日課としているのだ。ある朝、勘一は住職から8歳の時から通う私塾の塾長が勘一を藩校に入れたがっていることを聞くが、本人にその気はない。城下の西にある町人の長屋に向った勘一は竹籤細工(たけひございく)職人の五郎次の家を訪ねる。2年前から竹籤細工を習っているのは家計を助ける手内職の技を身に付けておきたいとの考えによる。
 
2010_02280285 藩校のことが気になる勘一の様子を見咎(みとが)めた五郎次に問われて藩校の話をすると、「人には天命というものがある。もし、天が藩校に行けと命じているなら、お前は行くことになる。そうでなければ行かない。それだけのことだ」とだけ五郎次は言う。自宅に帰ると母は明石塾長が勘一に藩校に入ってほしいと言ってきたと言うので、勘一が断ったと答えると母はほっとした顔をする。勘一の父、千兵衛も下士としてはじめて藩校に入ることを許されたこと、成績が優秀で江戸への遊学が決まったこと、そしてある夜、藩校からの帰りに複数の何者かに闇討ちされて足に大怪我を負ったが犯人は分からずじまいだったことを母は話す。これを聞いた勘一は母が翻意(ほんい)を請(こ)うにもかかわらず藩校に入ることを決める。
 
予期した通り上士の子弟たちに勘一は暴力を振るわれるが負けてはいない。何度も暴力沙汰(ざた)が続くうちに勘一の剣幕に圧倒されたそれら子弟たちは勘一に手が出せなくなる。ある日、藩校内で勘一は背の高い痩(や)せた少年から声を掛けられる。相手が磯貝彦四郎と名乗ったことで勘一は7歳の時のことを思い出した。彼は勘一と同い年で、御馬廻役(おうままわりやく)を務める家禄(かろく)が100石の中士(中級武士)の二男であった。彦四郎は藩校一の秀才と言われ、城下の剣術道場でも大変な腕を持つという評判だった。それほどの男でありながら、彦四郎には驕(おご)るところは微塵(みじん)もなく、二人は妙に馬が合った。
 
                         *
 
2010_06190412 勘一は彦四郎を通じて藩校内で多くの同輩と馴染むようになる。うだるような暑い夏の日に彦四郎に誘われた勘一と同輩たちは猿木川へ向う。雨のために増水した猿木川を見て皆が尻込みするなか、彦四郎は泳げない勘一に自分の泳ぎを見せてやるといって、猿木川に飛び込む。川の中ほどまで力強く泳いだ彦四郎は急に泳ぎに異変をきたした。勘一は下流の橋の上から彦四郎を掴(つか)まえようとするが、着物に縛(しば)った刀に彦四郎の手がわずかに届かない。勘一は何を思ったか袴(はかま)を脱いで川に向って飛び込んだが、泳げない勘一は彦四郎に助けられることになる。
 

しばらくして勘一は彦四郎から剣術道場に誘われる。しかし勘一は返事が出来ない。道場に支払う束脩(そくしゅう、謝礼)がないためだ。ある夜、母に問われて剣術道場へ通うことに未練があることを告げると、母は意外にも「剣術道場へ通いなさい」と言う。母は嫁入りに持ってきた着物(千江の嫁入りのためにとっておいたもの)を売って金を工面(くめん)した。剣術道場に通うようになっても朝の素振りを続ける勘一に寺の和尚は変わった練習方法を教える。
 

                         *
 

藩内で40年ぶりに百姓一揆(ひゃくしょういっき)が発生した。茅島藩では何年も財政が行き詰っていて全藩士の禄米(ろくまい)が一律2割借り上げ(実質的な減額)となっていたが、この年は稲の出来が良くないのだ。出仕(しゅっし、仕官)の身ではない勘一は自分の判断で城下の門へ向う。一揆(いっき)の代表者(首謀者)である万作という若者(20歳代)と町奉行成田庫之介の息詰まる対決を勘一は間近で見る。ついに町奉行は城門を開けよと命じたため、藩士たちにどよめきが広がった。一触即発の張りつめた空気の中を万作と5千人の農民は堂々と城下に入った。勘一は万作の中に侍の心を見る。一揆の一行は城代家老に直訴状を手交(しゅこう、手渡す)すると、万作ら7人の者を残して未明に城下を出た。
 

一揆が起ってから15日後に、万作たちの要求がほぼ通って、年貢(ねんぐ)は従来の4割4分から3割9分5厘とされた。さらに前年の不納米が免除され、穀物改めも廃止された。勘一は町奉行成田庫之助が自裁(じさい、自決)したことを知る。双方に多数の死人が出れば、藩の改易(かいえき、取り潰し)もありうることを成田は考えたのである。つまり、自らは切腹する覚悟をした開門の決断であった。勘一は「今宵(こよい)の出来事をしっかりとみておけ」と成田に言われたことを覚えている。まもなく万作たち一揆の首謀者とその家族は処刑された。
 

                         *
 

2009_09060263 勘一は16歳で元服したが藩から出仕の報せは一向に来なかった。藩の上覧試合に勘一が通う剣道場から4名が選ばれることになり、なぜか中位の勘一が4番目に選ばれた。上覧試合の当日になってそれまで定例であった木刀ではなく竹刀(しない)で行われることになった。それは上士の木谷要之助に有利な変更と見られた。勘一は最初に対戦した相手の速さに負けてしまう。最終戦まで勝ち残った彦四郎と木谷要之助の試合は木刀で行われることになる。彦四郎の軽業(かるわざ)のような身体の動きに翻弄(ほんろう)された木谷が額に彦四郎の一撃を受ける直前に審判の声で彦四郎の勝ちが決まった。
 

彦四郎の屋敷に招(まね)かれた勘一と同輩たちは下女の娘「みね」の存在を知る。勘一は胸が高鳴った。半年後に出仕の沙汰が勘一に届く。意外なことに御徒組ではなく郡奉行付与力の下役という役職であった。与力の見習いのようなもので、中士以上の家からという不文律があっただけに、その沙汰は勘一を驚かせた。使者は、ここだけの話だと断り、勘一の出仕に関しては藩主昌国公直々のお声がかりと聞いていると言った。同じ頃、彦四郎も出仕することが決まった。こちらは町奉行所与力助役という役職だ。与力は世襲が多くて珍しかった。まして彦四郎は嫡男(ちゃくなん)ではない。
 

こうして勘一と彦四郎が同時期に世に出るが、この後二人の人生は大きく違いが出るのである。城下のはずれの通りで勘一は偶然「みね」に出会った。しばらくしたある日、勘一は城下で彦四郎とばったり会い、誘われて彼の屋敷に赴いた勘一は「みね」と言葉を交わす機会を得る。「みね」のいない場所で彦四郎は自分の兄が「みね」を妾(めかけ)にしたがっていることを勘一に呟(つぶや)く。年が明けて彦四郎が押し込みの3人を斬って城下を沸かせる快事があり、彦四郎の名声は一気に上がった。
 

                         *
 

妹の千江を御徒組30石の高崎甚五郎に嫁がせた勘一は城下でまたもや「みね」とばったりと会う。勤めの話を聞きながら勘一の襟(えり)から黒い糸が出ているのを見つけた「みね」は顔を近づけて白い歯で糸の結び目の上を噛(か)む。これを見た勘一は胸の鼓動(こどう)が「みね」に聞こえないかと恐れた。「みね」は彦四郎が先年の武功が認められて与力助役から与力になったことを告げる。その日から勘一は恋に苦しめられ、周囲の者が驚くほどに痩(や)せた。勘一は町奉行所の彦四郎を訪ねて自分の本心を明かすと彦四郎は頷(うなず)いた。数日後、彦四郎の兄である磯貝又左衛門からの遣(つか)いが勘一の家を訪れ、「みね」を戸田家の嫁にする儀(ぎ)を勘一の母に伝えた。「みね」は下士の養女となったうえで婚姻の届出が藩に出されて受理された。
 

2009_03070029 勘一は以前からずっと考えていた「大坊潟干拓の覚書」に取りかかった。大坊潟は城下の北西5里にある大きな汽水湖(きすいこ、海水が混ざった湖)である。代官の浅尾弁蔵の理解を得て郡奉行所に提出され、藩の執政会議の席まで届いたが、藩主の流れをくむ筆頭国家老の滝本主税(ちから)が強行に反対したらしいことを勘一は与力から聞く。藩主への直訴を勘一から明かされた彦四郎はしばらく思いとどまるようにと畳の上に手をつき、頭を下げた。「お前はいずれこの国にとってなくてはならぬ男になる。一時の短慮で命を失うような真似はやめてくれ。磯貝彦四郎の頼みだ」と言われて、勘一は「彦四郎、頭を上げてくれ。わかった」と言うしかない。
   

2011_05220009 中士の名倉家(250石)の養子として名倉彰蔵となった戸田勘一は代官として干拓事業の調査(試干拓)を進めていたが、江戸上がり(江戸勤務)を命ぜられる破格の出世をする。藩主昌国公直々のお声ががりで、側用人(そばようにん)として登用されたのである。28歳の時だった。その頃、彦四郎は御役もなく、元の部屋住みの身で不遇をかこっていた。5年前に起ったある出来事がきっかけだった。それは二人が関わった上意討ち(じょういうち、主君の命を受けて罪人を討つこと)である。
 

                         ☆
 
ここから先は彰蔵が様々な人から話を聞くことで自分が知らなかったことや誤解していたことを明らかにして行きますが、ネタバレになりますので書くことを控えます。『天網恢恢(てんもうかいかい)疎(そ)にして漏らさず』(天の網はひろく、その目はあらいようだが、悪人を漏らすことなく捕える)の言葉が彰蔵の考えを象徴しているようです。そして、『影法師』がこの小説で意味することを結末まで読んで知りました。少しずつ明らかにされる事実を読み進むと、「永遠の0」と同様に、私は気持ちが高ぶるのを禁じられませんでした。それは私の人生においても主人公の経験と重なることが少なからずあったように思われたからですが、心を静めるために堀内孝雄さんの同名曲「影法師」(1993年日本歌謡大賞受賞曲)を口ずさんでしまいました。
 
2010_07160397 細かいことが気になる私は、架空と承知しながら、茅島藩の所在を読後に考えてみました。8万石の小藩であること、城下から10里ほど離れた湊町の浦尾は天領があるとともに北前船の寄港地であること、北国街道で江戸へ向う彰蔵(勘一)一行が信濃の追分宿から沓掛(くつかけ)と軽井沢の2つの宿場を抜けて碓氷峠(うすいとうげ)を越えたこと、などを考え合わせると上越(じょうえつ)市直江津(なおえつ)の近くにあった高田藩がモデルのように思われます。  
 
掲載した写真は本書と直接関係ありませんが、上から群馬県の四万川(しまがわ)・栃木県足利市の「足利学校」・京都府八幡市の「流れ橋」・熱田神宮宝物館の巨大な刀・大田区の野鳥公園・千葉県山武(さんむ)市の田圃(たんぼ)・長野県軽井沢町から見た浅間山です。
 
                        ☆
 
中途半端な記事だと感じた方は、この時代小説に使われた難解な言葉を掲載しますので、気分転換にその読みと意味を考えてみて下さい。
 
精悍(せいかん): 顔つきや態度に勇ましく鋭い気性が現れていること
労咳(ろうがい): 肺結核
卒塔婆(そとば): 木材で作った墓
中間(ちゅうげん): 非武士身分の奉公人(奴と小者の間)
邯鄲(かんたん): 直翅(ちょくし)目カンタン科の昆虫
斟酌(しんしゃく): 相手の事情や心情をくみとること
不惜身命(ふしゃくしんみょう): 死をもいとわない決意
尚武(しょうぶ): 武道・武勇を重んじること
禍々(まがまが)しい: 悪いことが起こりそうである
慙愧(ざんき): 自分の見苦しさや過ちを反省して心に深く恥じること
金打(きんちょう): (武士)誓いの印として刀の刃または鍔(つば)を打ち合わせること
誼(よしみ): 親しい関係
烏金(からすがね): 日歩で借りて翌日にすぐ返すという条件の高利の金
徒士(かち): 騎乗を許されない下級の武士
框(かまち): 窓や障子などの周囲の細長い枠
誰何(すいか): 相手が何者かわからない時に呼びとめて問いただすこと
三和土(たたき): たたき固めて仕上げた土間
韜晦(とうかい): 自分の本心や才能・地位などをつつみ隠すこと
自家薬籠中(じかやくろうちゅう): 自分の薬箱にある薬のように思うままに使えること
膂力(りょりょく): 筋肉の力。うでの力
鄙(ひな): 都市部から離れた地
懸想(けそう): 恋い慕うこと
慷慨(こうがい): 世間の悪しき風潮や社会の不正などを怒り嘆くこと
棒手振り(ぼてふり): 魚・青物などをてんびん棒でかついで売り歩くこと
僥倖(ぎょうこう): 思いがけない幸い
怯懦(きょうだ): 臆病で気が弱いこと
股立(ももだち): 袴(はかま)の腰部の左右側面のあきを縫い止めた所
裂帛(れっぱく): 帛(きぬ)を引き裂く音
祐筆(ゆうひつ): 文筆に長じている者。また一般に文官
傲然(ごうぜん): おごり高ぶって尊大に振る舞うさま
矜持(きょうじ): 自分の能力を優れたものとして誇る気持ち
抉る(えぐる): 刃物などを深く刺し入れ回す。物事の隠れた面を鋭く追及する
不埒(ふらち): 道理にはずれていてけしからぬこと
畏(かしこ)まる: 受け入れる言葉
隠棲(いんせい): 俗世間を逃れて静かに住むこと
落魄(らくはく): 落ちぶれること、沈淪(ちんりん)すること
剣戟(けんげき): 刀剣による戦い
滂沱(ぼうだ): 雨の降りしきるさま。涙がとめどもなく流れ出るさま
跪(ひざまず)く: 地面や床などに膝をついて身をかがめる
咆哮(ほうこう): 猛獣などがほえたけるこ

|

« 映画「シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語」を観る | トップページ | コリン・パウエル著「リーダーを目指す人の心得」を読む »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 百田尚樹氏の時代小説「影法師」を読む:

« 映画「シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語」を観る | トップページ | コリン・パウエル著「リーダーを目指す人の心得」を読む »