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2013年1月に作成された記事

2013年1月26日 (土)

和田秀樹著「テレビに破壊される脳」を読む

刺激的なタイトルに惹(ひ)かれて2012年5月に徳間書店から発行されたソフトカバー本「テレビに破壊される脳」を読みました。著者は受験・学力・人生などをテーマに多くの本を書いている精神科医で、評論家や受験アドバイザーとしても活躍する多彩な人物のようです。

本書は「テレビの大罪」(2010年新潮社刊)の続編で、『あなたの脳のソフトがテレビに書き換えられていく!』のキャッチコピーに興味を持ちました。『依存症を悪化させ、子供の学力を蝕(むしば)み、さらに東日本大震災の被害を拡大し続けているテレビの実態とは。これを知ったら、もうスイッチは入れられない』と折り返しの言葉が続きます。

著者はまえがきで述べる。先の「テレビの大罪」は話題にはなったもののテレビが一向に変わろうとしないのは、依存症に陥り易いアルコールやパチンコなどの業界が大口のスポンサーであることと、それらの広告がWHO(世界保健機構)の勧告にも拘(かかわ)らず野放しになってマインドコントロールマシンとして機能していることを指摘する。そして、自分自身、あるいは自分の子供だけでも、その弊害から脱出する方法を提唱することが本書を書いた目的であると明かす。

第1章「死をまねくテレビの洗脳」では、アルコール飲料のCMが依存症を蔓延させていることをデータを引用して糾弾する。そして、それは『本人の意志が弱いから』ではなく、すでに正常な判断が出来なくなっており、本人は飲むのを止めようとする意思を貫くことは出来なくなってしまうと指摘し、肝障害や肝臓癌のような深刻な健康被害を生み出す原因になっているという。パチンコについても同様の弊害がることと、震災報道が被災者にフラッシュバックを誘発していることを詳説する。

第2章「不幸をばらまき続ける日本のテレビ」では、少ないチャンネル数が選択の自由を奪っていることを諸外国の状況と比較して解説する。無意味な地デジ化、知識人のためのチャンネルがない、反論できない者を叩いて民衆の溜飲(りゅういん)を下げる、子供の学力低下を促す「バカ礼賛」と学力軽視、バカなコメンテーターが世論を動かす、異なる意見は排除される、などを列挙した上で思考回路が退化すると結論付ける。

第3章「テレビに脳が書き換えられる」では、テレビはいかに脳のソフトを書き換えるか、不適応思考のパターンを作り出す恐怖(二分割思考、将来のことを勝手に決め付ける占い・相手の気持ちや考えていることを勝手に決め付ける読心(とくしん)、過度の一般化、選択的抽出、~すべき思考、情緒的理由付け、レッテル貼り、肯定的な側面の否定、破局視)、認知的成熟度が退行する怖さ、テレビの洗脳手口に気をつけろ、テレビが社会的制裁を行う恐ろしさ、正義の味方を歓迎するテレビ脳、多角的な見方を封殺して洗脳する手法、を詳しく解説。そして、劣化するNHKの罪にも言及して視聴率に捉われない良質な番組提供を期待する。

第4章「テレビ脳からいかにして脱するか」では、子供1人でテレビを観せてはいけない、新聞や本など他のメディアを子供に与える、テレビの世論誘導に警戒せよ、一方的な情報はまず疑え、テレビが利用する「権威」は怪しい、テレビで「なるほど」と感じたら危険だと思え、コンプレックスにつけこむ情報に気をつけろ、テレビを観るときは親子で話す、テレビ侵けは反知的生活の証拠、数学的な考えがテレビ脳から身を守る、などを提案する。最後に、Win-Winの発想でテレビの陰謀に勝つとして、ステレオタイプな区分けを止める、討論番組の必要性、インターネットを活用することの有用性を強調した。

筆者はあとがきで情報が一面的になることを危惧(きぐ)してセカンドオピニオンを求めることを提唱する。つまり、疑う能力やメディアリテラシーを学校で教えない日本ではとくにインターネットや辞典などで調べる習慣を付けるように助言した。

[読後感] テレビに対する敵愾心(てきがいしん)すら感じられる強烈な考えが、読み易い文章というオブラートに包まれてはいるものの、読み手に強烈なメッセージを伝えます。第1章の「アルコールへの依存の件(くだり)」はそれを自覚する私の耳には痛いのですが、私が漠然(ばくぜん)と感じていたテレビの負の側面(テレビ放送は必要ですか?の記事)をデータに基づいて明快に指摘する良書でした。

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2013年1月22日 (火)

仙台市の遺跡と公園(後編)

2013_01180110開放感のある窓から外を見ると氷河期の森が復元されていました。 
 
 
 
 

2013_01180114 「地底の森ミュージアム」を紹介した新聞記事(2012年11月17日)
 
 
 
 

2013_01180116 建物から外に出ると、雪に覆(おお)われた氷河期の森の植物が広がっていました。
 
 
 
 

2013_01180117 氷河期の森の植物
 
 
 
 
 

2013_01180119 除雪された散策路を歩きます。
 
 
 
 
 

2013_01180120 先ほど「氷河期の森」を展望したパノラマウインドウが見えます。
    
 
 
 

2013_011801212013_01180122 にも立ち寄りました。    
 
 
 
 
 

2013_01180123 振り返ってみました。
 
 
 
 
 

2013_01180124 出口へ向います。
 
 
 
 
 

2013_01180126 ミュージアムに隣接する水田にこんな看板が立っています。この地域は弥生時代から現代まで、ずっと水田として利用されてきた土地だそうです。
 
 
 

2013_01180127 長町南駅に戻って地下鉄で仙台駅へ向いました。
 
 
 
 
 

2013_01180139仙台駅から市バスを利用して立町小学校前バス停で下車しました。次の目的地は青葉区立町にあるラーメン二郎(仙台店)です。噂通りに入店待ちの行列が出来ていました。ちなみに、ラーメン二郎の本店は東京都港区三田にあります。   
 

2013_01180142 広瀬通りに面した子の店は晩翠通りのとの交差点から200m近く西寄りです。
 
 
 
 

2013_01180144 列の先頭が近くなりました。店先の張り紙に食券を購入して待つようにと書かれた張り紙があることに気付きました。一際目立つ黄色い看板はラーメン二郎のトレードマーク。 
 
 

2013_01180149 それではと店内に入って券売機で小ラーメン(650円)を購入すると、昔懐かしいプラスチックの食券が出てきました。ちなみに小ラーメンは青色。
 
 
 

2013_01180146 15分余り待ったところで店内に呼び込まれました。L字形のカウンターには10席余り。ニンニクを入れるかどうかと聞かれましたが、午後の予定がありますから、ニンニク抜きを選びました。赤いカウンターのシンボルカラーです。 
 

2013_01180147 配膳されたモヤシがてんこ盛りのラーメンを見て私はビックリ。モヤシとキャベツは注文時に言えば減らして貰えたのです。麺が見える頃にはお腹が満たされて、厚いチャーシュー2枚と麺を半分ほど食べたところでギブアップ。スープも若者向きの脂肪分が多いコッテリ系で・・。「残して御免なさい」と店員さんに謝って裏口から店を出ました。 

2013_01180152 腹ごなしに広瀬川の方面に歩いて横断歩道橋を渡ると西公園に出ました。
 
 
 
 

2013_01180154 西公園は江戸時代に武家屋敷であった場所でしたが、明治8年に市内で最も古い桜ヶ岡公園(さくらがおかこうえん)公園として開園しました。後に市の東に「榴岡公園」が作られた時に桜ヶ岡公園は西公園とされたそうです。 
 

2013_01180156 巨大なこけしは東北らしいですね。
 
 
 
 
 

2013_01180157西公園の北端にC60-1号蒸気機関車が展示されています。東北本線や常磐線で特急列車を牽引した東北地方に最も馴染みの深い機関車であったと解説されていました。ここらで時間切れになりました。()

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2013年1月21日 (月)

仙台市の遺跡と公園(中編)

2013_01180064 階下の展示と同じものを覗(のぞ)ける装置が並んでいます。
 
 
 
 

2013_01180068 肉眼でも見下ろすことができます。
 
 
 
 
 

2013_01180070 富沢遺跡の調査状況
 
 
 
 
 

2013_01180074 常設展示場「解き明かされた2万年前」へ上がります。
 
 
 
 
 

2013_01180076 日本鹿の親子(剥製)が出迎えてくれました。
 
 
 
 
 

2013_01180077 人類の遺跡と広がり
 
 
 
 
 

2013_01180079 頭蓋骨の進化(変化)
 
 
 
 
 

2013_01180080 2万年前の環境と人類
 
 
 
 
 

2013_01180082 キャンプ跡復元
 
 
 
 
 

2013_01180083 遺跡付近の地形
 
 
 
 
 

2013_01180085 たき火跡は語る
 
 
 
 
 

2013_01180087 ナイフ形石器
 
 
 
 
 

2013_01180089 復元された石核
 
 
 
 
 

2013_01180091 石器の作り方
 
 
 
 
 

2013_01180093 石器の使用痕(こん)
 
 
 
 
 

2013_01180094 謎の小さな穴
 
 
 
 
 

2013_01180095 石器の材料
 
 
 
 
 

2013_01180097 2万年前の富沢の樹木
 
 
 
 
 

2013_01180100 特別企画「青銅器の美」展
 
 
 
 
 

2013_01180101 銅鐸(どうたく)は青銅製祭器(音を鳴らす鐘)で、その起源は中国の銅鈴(どうれい)や朝鮮半島の小銅鐸にあるとされるそうです。時代と共に見る道具へと変化して、花器としても使われたことや、その分布は近畿地方を中心に、西は九州北部まで、東は長野県に留まっていることが説明されています。 

2013_01180106 こちらは銅鼓(どうこ)と呼ばれる東南アジアに広く分布する儀礼用の道具 
 
 
 
 

2013_01180107 銅鏡は弥生時代に中国や朝鮮半島から伝わり、古墳時代を通じて宗教・祭祀用具として使われたそうです。
 
 
 
 

2013_01180108 教筒(きょうづつ)
 

(続く)

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2013年1月20日 (日)

仙台市の遺跡と公園(前編)

今日は四節季でいう大寒。つまり暦の上では一年で一番寒い日です。夜明け共に起床する習慣がある私ですが、寝床でアイフォーンのラジコでラジオ番組を聴いているうちに午前7時をとうに回ってしまいました。これはいけないと寝床を抜け出して外の様子を確認すると、朝日が眩(まぶ)しい空は雲ひとつない青空が広がっています。

朝食もそこそこに車で出掛けました。行き先は多摩川の河川敷(かせんしき)にあるゴルフ練習場です。雪が残るゴルフ練習場はすでに来場者で一杯であり、待つことを覚悟しましたが、幸運なことに端っこの席が1つだけ空いていました。そう、私は悪運が強いのです(これは私の思い込みで運などは存在しない・・)。

同じ河川敷にある競走馬の練習場で多数の噴水のような散水が行われているのを見ながら2時間近く体を動かしていると、鈍(なま)った身体も少しずつ解(ほぐ)れて行くのが分かりました。3日月連続で上位入賞がかかる今週のゴルフコンペに向けて良いコンディションです。しかし、今週も予想されている降雪が難敵になりそう。これも私の強運で何とかしたいものです。

2013_01180002 さて本題です。一昨日の18日に東京駅で東北新幹線の「はやぶさ1号」に乗車しました。行く先は2年ぶりの仙台です。2年前に仙台駅で「はやぶさ」の試運転車両を見たことで、この機会を待っていたのです。
 
 

2013_01180007 定刻に発車した「はやぶさ1号」は順調に走行して、福島県に入ると前回と同じ様に雪景色が広がりました。山間では視界が悪くなって雪が舞い降りてきましたが、仙台平野に出た頃には青空が戻ってきました。やはり、私は晴れ男なのです。先行車両が仙台駅を出発するまで待たされたため、仙台駅には5分ほど遅れて到着しました。

2013_01180010 仙台駅舎を出るとテラスには脇に寄せられた雪がまだ残っています。
 
 
 
 

2013_01180014 地下通路を5分ほど歩いて仙台市交通局が運営する地下鉄南北線の仙台駅に到着。何の特徴もない改札口には見慣れた切符とカードの投入口がありますが、PASMOSuicaの両方とも使えないことが意外でした。スキップカードという独自のカードが使われているようです。 

2013_01180017 この路線は仙台市で最初の地下鉄として1987年(昭和62年)に富沢-八乙女(やおとめ)間(13.6km)が開通し、1992年(平成4年)の泉中央まで延長されています。泉中央駅は東北自動車道の泉ICの近くです。ちなみに、南北線と呼ばれる理由は現在工事中の東西線(2年後の2015年開業予定)と区別するためでした。

2013_01180137 終点のひとつ手前の長町南駅で下車しました。地上に出るエレベーターに乗って思い出しました。仙台市内のエスカレーターは大阪と同様に右側に整列する習慣であったのです。
 
 

2013_01180021 駅前で「地底の森ミュージアム」の案内看板を見つけました。設置場所に合わせて南北が逆になっていますが、最初の目的地は駅の西方にあるようです。
 
 
 

2013_01180125 楕円形をしたユニークな「地底の森ミュージアム」の建物は雪に埋もれています。綺麗に除雪されたエントランスの坂道を上がりました。
 
 
 

2013_01180024 この穴倉のようなものが入口のようですから、階段を下りました。
 
 
 
 

2013_01180025 「地底の森ミュージアム」の構造が簡単に図解されています。「よみがえる2万年前」と表示された地下と「解き明かされる2万年前」(発掘物)を展示するが地上階、および野外の「氷河期の森」で構成されていることが分かります。入館料(400円)を支払って地階へ向いました。
 

2013_01180029 建物に入った時からメガネが曇ったのは展示物を保護するため館内の湿度を高く保っているからだと説明されました。巨大で薄暗い展示室に何やら異様なものが確認できます。動物園の爬虫類展示場に入ったように無数のワニあるいは大蛇などが群がる光景に似ています。目が慣れてくると朽(く)ちた木材であることが分かりました。 

2013_01180030 2万年前の森と人類の生活跡を発掘されたままの姿で保存・公開していると説明されています。
 
 
 
 

2013_01180031 20分間隔で約10分間のスライドショーがあるので奥の方へ進むようにと係員に促(うなが)されました。ほどなく高い天井からスクリーンが下りて来てショーが始まりました。登場した狩りをする人物は2万年前の古代人のようです。 
 

2013_01180034 3人の男たちが鏃(やじり、矢尻)の修理をしているようです。2万年前の人たちは狩や植物の採集をして暮らしていたと解説が入りました。
 
 
 

2013_01180035 『たき火で暖を取りながら明日の獲物を夢見たのだろう』のテロップが・・。
 
 
 
 

2013_01180038 ショーが終ると明るくなりました。先ほどよりも展示物をはっきりと見ることができます。
 
 
 
 

2013_01180040 クローズアップするとたき火跡と表示されていました。
 
 
 
 
 

2013_01180041 こちらは石器を埋めた穴
 
 
 
 
 

2013_01180044 壁面に富沢遺跡における地下5mまでの断面を確認できる仕組みがありました。
 
 
 
 

2013_01180045 2万年前(旧石器時代)の地層の2m上には5000年前の縄文時代の地層があり、さらに上には弥生時代から現代までの水田の土の層が重なっています。
 
 
 

2013_01180053 横手に回りこみながら地底の様子を観察しました。遺跡の地面が白く見えるのは土中にもともと含まれている成分が結晶化したものと解説されています。そのため結晶化しにくい環境を整える対策を検討しているそうです。
 
 

2013_01180057 この2万年前の木は手で触(さわ)れるそうですが、職員やボランティアガイドが見当たらず、残念ながら諦(あきら)めました。
 
 
 

2013_01180062 階上(中地下)へ向う階段を上りました。(続く)

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2013年1月16日 (水)

上田市の北国街道を探訪する(後編)

2013_01110108 柳の木が多かったこの通りには旅籠屋や商家が軒を連ねており、呉服屋だけでも25軒あったそうです。この格子戸(こうしど)の家もその一軒だったのでしょう。
 
 
 

2013_01110109 針灸院(しんきゅういん)の建物も立派です。
 
 
 
 
 

2013_01110110 長野県内屈指のそば処として有名な十割そば屋「おお西」の店先にはなぜか秦(中国)にある始皇帝(しこうてい)の墓に埋納された兵馬俑(へいばよう)が置かれています。中国・北京の骨董品店で見かけたものとそっくりの形をしていますが、色が綺麗ですからフェイクではないかと思います。昼食にはまだ早過ぎますからスルーすることに。

2013_01110111 「おお西」の脇に「保名水」(ほうめいすい)がありました。保命とは命を長く保つことを意味します。明治14年に海禅寺の湧水を木管で引いたものが現在も湧(わ)き出ていました。ちなみに、この路地は江戸時代に海禅寺の参道だったそうです。 
 

2013_01110112 この参道とは反対方向へと北国街道は左折しますが、直進すると約150m先に明治時代初期に造られた上田大神宮があります。 
 
 
 

2013_01110117 交差点の角にあるのは信州味噌のなかで独自の味を守る武田味噌を販売する菱屋(ひしや)の店舗(てんぽ) 
 
 
 
 

2013_01110121 橋の上から武田味噌醸造の蔵と菱屋を振り返りました。
 
 
 
 
 

2013_01110122 北国街道はさらに西方へと延びています。
 
 
 
 
 

2013_01110124 下紺屋町で北国街道と分かれて上田城方面へと向います。
 
 
 
 

2013_01110128 反対方向(北)には太郎山(標高1164m)が見えます。
 
 
 
 
 

2013_01110130 二の丸通りを南下した上田市消防本部ではちょうどレスキュー隊の訓練が行われていました。
 
 
 
 

2013_01110134 加舎白雄(かやしらお)の句碑に気付きました。石に刻(きざ)まれた『人恋し灯(火)とぼし頃を櫻(桜)ちる』は代表作のひとつのようです。俳句に疎(うと)い私は上田藩士の次男として江戸で生まれた白雄が与謝蕪村(よさぶそん)と並び称される江戸時代中期の俳人(はいじん)であることを今回初めて知りました。 

2013_01110135 『そうだ城下町、行こう』は何処(どこ)かで聞いたことのあるキャッチコピーです。
 
 
 
 

2013_01110136 上田城への入口(大手門跡)を見ながら左折します。
 
 
 
 
 

2013_01110141 上田市でも仙台市と同様にガス灯を見かけました。現在でも定時になると点灯(点火プラグでガスに点火)されることが説明されていました。
 
 
 

2013_01110145 上田市役所の角(交差点脇)で上田藩主屋敷跡の案内表示を見つけて右折しました。突き当たりは県立上田高校ですから案内標識に従って左折すると堀端(ほりばた)に出ました。 
 
 

2013_01110148 東側に回り込んだ場所にある上田藩主居館表門および土塀・濠・土塁は市指定文化財です。居館(屋敷)の跡地は県立上田高校になっていたのです。
 
 
 

2013_01110155 明治21年(1888年)に上田駅が開設される時に海野町や原町と駅を結ぶために造られた道路沿いの松尾町を経由して上田駅に戻りました。
 
 
 

2013_01110156 12時を少し回っていますから前回も利用した駅ビル内にあるラーメン店「武士」(もののふ)へ入りました。前回は定番の醤油ベースの「幸村」を食べましたから、豚骨ベースの「左近」と味噌ベースの「道山」(どうざん)のいずれにするかを迷った末に信州味噌を使った「道山」を選びました。 

2013_01110162 10分以上待った「道山」はややコッテリした味の味噌ラーメンで、肉厚のチャーシューも食べ応えがあって期待通りです。2年前から気になっていた「道山」の名前ですが、私の推測通りに斉藤道三織田信長の義父)から取ったことを今回店員さんに確認できたことも収穫でした。 

これまでの訪問では時間の制約から訪れることが出来なかった場所を2時間余り散策しながら、上田市の別の魅力をたっぷり楽しむことが出来ました。そして腹ごしらえも十分にしましたから、午後の仕事に万全の状態で臨(のぞ)めそうです。(終)

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2013年1月15日 (火)

上田市の北国街道を探訪する(中編)

2013_01110068 歩道に立てられた幟(のぼり)に文字が一杯書かれていることに気付きました。『城下町の中で海野町(うんのまち)が発展するにつれて旅籠や商家などが増加し、海野町から南に折れる街道筋に出来た横の町であることから横町と呼ばれたことと、横町とその先に続く鍛治町は寺が多いのは城下町防備のためだったこと』が説明されています。

2013_01110069 そのためか、この交差点には横町と海野町の標識が設置されていることが私には不思議に思えます。北国街道は左折して海野町に入りました。 
 
 
 

2013_01110079 鼠小路(ねずみこうじ)の名がある路地を見掛けました。江戸時代初期にはこの先が下級藩士の町であったため町人町との境には高塀(たかべい)があり袋小路になっていたそうです。しかし、江戸時代後期にこの道が開けられて中道新道と名付けられたものの、鼠が食い破ったというしゃれで鼠小路とも呼ばれたことが説明してありました。 

2013_01110080 高市神社は撫(な)でる方向により、右から左であれば悪運を払い、左から右に撫でれば良運を寄せる、「運の石」がありました。私は「銀座の柳二世」の看板の方が気になります。長野県中野市にある中山晋平記念館の庭で「銀座の柳」を見たことを思い出しました。
 

2013_01110081 国道141号と交差する中央2交差点から正面にNTT東日本のビルが見えます。北国街道はこの交差点で国道141号となって北へ向います。建物の影には雪が大量に残っていました。 
 
 

2013_01110082 南の上田駅方面を望みました。
 
 
 
 
 

2013_01110083 北へ折れた北国街道は原町に入りました。この原町も海野町と同様に古い商人町だそうです。遠方には太郎山(標高1164m)へと続く山並みが見えます。 
 
 
 

2013_01110084 上田市のセブンイレブン店舗は真田氏の家紋である六文銭(六連銭、むつれんせん)と騎馬武者をモチーフとした装飾があります。 
 
 
 

2013_01110087 北国街道上田宿の問屋跡
 
 
 
 
 

2013_01110088 池波正太郎真田太平記館に到着
 
 
 
 
 

2013_01110089 休憩を兼ねて入ることにしました。「剣の天地」展が開催されているようです。入館料は300円でした。
 
 
 
 

館内では写真撮影をできません。2階の常設展示室には時代小説を得意とした小説家の池波正太郎氏(1990年没)の自筆原稿や愛用した万年筆、さらにスクラップノートなどが多数展示した池波正太郎コーナーと代表作である真田太平記のコーナーがありました。一階に降りた企画展室では池波正太郎氏の小説に縁の地の説明と写真が並んでいて、瀬田の唐橋など訪れたことがある場所を含めて興味深く見て回りました。

2013_01110094 草の者(忍者)の世界をカラクリ絵で紹介する忍忍洞を抜けて館外へ出ると真田太平記の世界を映像で紹介するシアターでは「上田攻め」(17分)を鑑賞。
 
 
 

2013_01110095 風間完氏の挿絵原画を展示するギャラリーが並んでいました。私は池波正太郎氏の作品は鬼平犯科帳や剣客商売、そして仕掛人・藤枝梅安をテレビドラマとして観ただけですが、熱烈なファンには垂涎(すいえん)の場所でしょう。 
 

2013_01110090 真田太平館を出たところにある「幸村浪漫絵図ウォーキングトレール」で順路を再確認
 
 
 
 

2013_01110100 足軽鑓衆(やりしゅう)の町へと続く中央3交差点を左折して柳町へ向います。 
 
 
 
 

2013_01110102 北国街道柳町は宿場町の雰囲気がよく保存されているようです。
 
 
 
 

2013_01110103 その入口で縁結び水掛け地蔵と水琴窟(すいきんくつ)を見つけました。水琴窟は期待通りの澄んだ音色が楽しめました。
 
 
 

2013_01110104 「蔵囲衣」(くらがこい)は人形や季節の花々を布で作る「つるし飾り」などを展示販売する店です。蔵囲衣とは変わった名前ですが、蔵が多い町並みと蔵衣装(歌舞伎の貸衣装)などをイメージしたのかもしれません。
 
 

2013_01110105 「遊布」(ゆうふ)は綿やウールなどの天然素材の布にこだわった自然布の店であり、隣家の大きな看板に表示された「亀齢」(きれい)は岡崎酒造(江戸時代前期1665年創業の造り酒屋)の銘酒(めいしゅ、上等の酒)でした。右手の家にも立派な卯建(うだつ)が・・。
 

2013_01110107 岡崎酒造の軒先(のきさき)には茶色く変色した杉玉(酒林、さかばやし)が吊(つ)るされています。(続く)

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2013年1月14日 (月)

上田市の北国街道を探訪する(前編)

2013_01110032 所用があり長野新幹線を利用して長野県上田市へ出掛けました。前回の訪問からほぼ2年ぶりです。上田駅の改札口を出る右手前で真田三代戦国絵巻が来訪者を迎えてくれます。
 
 

2013_01110033 駅前には寒風で煽られる池波正太郎真田太平記館の垂れ幕の前に雪の塊が残っていて長野県であることが実感できます。いずれも前回訪れた2年前と模様替えされています。
 
 

2013_01110035 その先には案内標識に鉄道と上田市の関係が簡潔に説明されていました。
 
 
 
 

2013_01110036 駅前のロータリーを抜けて新幹線に沿う道を東南方向へ歩きました。500mほど先の交差点角に笠原工業常田館(ときだかん)製糸場の案内看板があります。笠原工業は明治初期に同じ長野県の下諏訪で創業した製糸工場で、明治33年のこの地に常田館製糸場を設立した歴史ある会社です。

案内看板には明治・大正時代に蚕都(さんと)と呼ばれていた上田地域の製糸工場がほぼそのまま残っていることが説明されていました。道を挟んで明治41年(1908年)に建てられた製糸記念館常田館と表示された木造2階建ての建物があります。ここには古い時代の資料が展示されているそうで、事前に電話で見学を申し込みましたが、残念ながら3月20日までは冬季休館中とのことでした。

2013_01110041 笠原工業の前を北東方向へ伸びる坂道を上がると右手の傾面に昭和天皇皇后行幸啓記念植樹と表記された木柱が立っているのを見つけました。
 
 
 

プチ薀蓄(うんちく)です。行幸(ぎょうこう、みゆき)は天皇陛下が外出されることを意味しますが、行幸啓(ぎょうこうけい)の方は天皇皇后両陛下が一緒に外出されることを指します。表記された昭和39年5月に上田市だけを訪問されたのかと思って確認すると、茅野市八子ヶ峰(ちのしやしがみね)で開催された全国植樹祭の折のようです。目的地が複数ある場合は巡幸(じゅんこう)あるいは巡幸啓と呼ばれるはずですが・・。

2013_01110048 国道141号の常田2丁目交差点を過ぎて丁字路(ていじろ)に行き当たりました。左右に伸びる細い道が北国街道です。右手(南東方向)にある枡形の手前に神社らしきものが見えます。けやきの大木があることでも知られる上田城鎮守の科野(しなの)大宮社のようですが、スケジュールの都合で立ち寄ることは諦(あきら)めました。

時間が許せばその300mほど北にある藤本つむぎ工房へ立ち寄って本格的な手織り機を使って上田紬(つむぎ)の製作を体験しても面白いと思います。

2013_01110047 左手方向へ北国街道(中常田通り)を歩きます。北国街道とは江戸時代における北陸道のことで、この上田市を通る北国街道は軽井沢の追分(中山道の追分宿)から直江津(新潟県)までの区間です。
 
 

2013_01110050 街道筋に相応しい古い建物には簡単な袖卯建(そでうだつ)のようなものが左手に確認できます。
 
 
 
 

2013_01110052 常田毘沙門(びしゃもん)堂跡が目に留まりました。佐久間象山先生勉学之地の石碑に惹かれて立ち寄ることにしました。佐久間象山(さくましょうざん)については志賀高原の記事で簡単に紹介しています。
 
 

2013_01110051 境内で作業をしていた方が碑文は佐久間象山の自筆であることを教えて下さいました。大学入試の国語に漢文を選んだ私ですが、難し過ぎて一向に読めません。あとで調べるとこれは「活文禅師追福之碑」で、活文禅師(かつもんぜんじ)は象山の先生でした。ちなみに追福(ついふく)とは死者の冥福(めいふく)を祈ることを意味します。 

2013_01110053 北国街道はさらに真っ直ぐ伸びていました。前方に見える山は上田市の北西にある虚空蔵山(標高1077m)でしょう。その頂(いただき)には白く雪が残っています。
 
 
 

2013_01110054 左手にある立派な蔵とイメージを合わせた様なモダンな建物が面白いと思いました。
 
 
 
 

2013_01110055 右手にも蔵のある住宅があります。ゴミ袋が整列して・・。 
 
 
 
 

2013_01110056 県道79号に行き当たった北国街道は右に折れます。
 
 
 
 
 

2013_01110057 道幅の広い県道は北国街道の雰囲気が失われてしまっています。 
 
 
 
 

2013_01110058 右手に曹洞宗(そうとうしゅう)の天照山日輪寺がありました。この寺は天文14年(1545年)に真田氏の祖とされる海野幸義(うんのゆきよし)が開基(かいき、創立者)となり用山光受大和尚が開山したのが始まりと伝えられるそうです。正面に見えるのは普門閣(ふもんかく)と呼ばれる観音堂で、左手では建物の工事が行われています。 

2013_01110060 山門前に6体の地蔵が祀られています。六地蔵といえば、これまでも伊勢原市弘明寺観音(解説付き)、そして京都・伏見の六地蔵宿などで六地蔵にお参りしたことがあります。
 
 

2013_01110065 すぐ先にある真言宗の海堂山宗吽寺(そううんじ)は上田藩主松平氏の時代には祈願所であったそうです。
 
 
 
 

2013_01110066 県道の向かい側に新しい六地像石幢(せきどう)があります。日輪寺で見た六地蔵と関係があるのかと早とちりしそうになりましたが、場所から考えて宗吽寺に実物があることに気付くべきでした。石幢とはインドで始まった石の表面に表した旗印で仏殿の前に建てたものでしたが、日本では地蔵信仰と結びついたそうです。(続く)

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2013年1月 9日 (水)

大宮の鉄道博物館(後編)

2012_12260120午後3時から転車台に載せられた蒸気機関車を回転させるショーが始まるようです。機関手と転車台の操作員が持ち場にスタンバイし、ショーの開始を待つ観客も1階だけではなく2階にも見られました。
 
 

ちなみに転車台とは後退が自由に出来ない蒸気機関車などを方向転換させる設備ですから、方向転換の必要ない電気機関車(またはジーゼル機関車)や電車が一般的になった現在はほとんど廃止されたため貴重な存在になっています。

2012_12260124 定刻になると女性司会者が現れました。簡単な説明のあとに転車台が徐(おもむろ)に回転を始めました。
 
 
 
 

2012_12260127 転車台が半回転して蒸気機関車がこちらを向きました。右端に写る女性は安全を確認する役目のようです。
 
 
 
 

2012_12260130 走行しない蒸気機関車に機関手が乗っている理由が分かりました。汽笛を鳴らすためです。そして司会者の説明でこの機関車は石炭を燃やして蒸気を作れないために汽笛を鳴らすために空気を利用していることを知りました。空気を送るパイプと汽笛を捜査するレバーが確認できます。 

2012_12260131 パークゾーンにあるミニシャトル乗り場へ向う途中に見かけた1290型蒸気機関車(愛称:善光号)は鉄道建設工事用にイギリスから輸入されたものです。日本初の私鉄であった日本鉄道(明治39年に国有化)で使用されたあとに廃車になり、神田の交通博物館に展示されていました。ずっと昔のことですがそこで見た記憶があります。

2012_12260140 ここがミニシャトルの乗り場です。名前は大宮駅と鉄道博物館駅を結ぶ電車のニューシャトルから取ったのかもしれません。ミニシャトルの後方に見えるのは敷地内に展示される455系交直流両用電車・モハ454形式「フレンドリートレイン」です。主として団体客が食事をするために開放しているようです。

2012_12260137 博物館北駅との間約230mを往復して博物館中央駅に戻りました。
 
 
 
 

2012_12260165 走行中のミニシャトル
 
 
 
 
 

2012_12260141やっとミニ運転列車に乗れる午後4時が近付きました。自分で列車を運転して「万世橋」「飯田町」「汐留」「両国橋」駅を巡ることのできる体験展示で、線路の総延長は1周約300mです。
 
 

2012_12260143 こんなに遅い時間になったのは入館して直ぐに昼食を取ったことで整理券を貰うことを忘れてしまったため。気付いた時にはこの時間帯しか残っていませんでした。
 
 
 

2012_12260145 利用料金は200円で3名まで利用できるのですが、子供が2人の場合は4名まで乗車できると教えられて、同行者も同乗することになりました。二人のお母さんは外でビデオを撮りたいそうです。
 
 

2012_12260148ホームに停車中の205系「武蔵野線」に案内されました。その他にはE231系高崎線、253系成田エクスプレス、205系埼京線車両、209系京浜東北線車両、E257系あずさ、251系スーパービュー踊り子もありますが、好きな車両を選ぶことは出来ません。
 

2012_12260150 信号が青に変わって出発進行
 
 
 
 
 

2012_12260161 途中からコチビちゃんも前の席に移って景色を楽しんでいます。でも運転手のオチビちゃん途中駅での停車をうっかり忘れてしまい、武蔵野線の特急電車(?)になってしまいました。
 
 

2012_12260172 まだ物足りないというオチビちゃんに催促されてシミュレータホールに戻りました。午後4時をかなり過ぎていたため蒸気機関車D51シミュレータの整理券配布は残念ながら終了していました。迫力ある汽笛と大きく振動する蒸気機関車に乗って運転して見たかった私は心残りで・・。
 

2012_12260181 オチビちゃんとコチビちゃんは二人とも200系新幹線電車を選びました。
 
 
 
 

2012_12260178 最高速度210km/時の迫力を体験できます。
 
 
 
 
 

2012_12260168 指定された速度をオーバーするとATCブレーキが自動的に作動します。 
 
 
 
 

2012_12260188 コチビちゃんも新幹線に挑戦
 
 
 
 
 

2012_12260169 こんな指示がでました。
 
 
 
 
 

電車の運転を堪能(たんのう)した二人は満足してくれたようです。日が沈んで暗くなり始めた駐車場を後にして首都高速埼玉新都心線新都心西(入口)へ向いました。帰路の首都高速は都内に入ると夕方の自然渋滞があり、さらに中央環状線から3号渋谷線に合流する大橋JCTで大渋滞が発生していました。

参考情報です。この施設は昨年6月に訪れた名古屋のリニア・鉄道館(JR東海)とよく似ており展示されている車両数も30数両とほぼ同じですが、あえて比較すれば敷地の関係で名古屋の施設の方が広くてゆったりとしています。一方、この施設はラーニングゾーンが充実しており、蒸気機関車のシミュレータがあることも魅力でした。料金が全く同じであるように甲乙付けがたいと思います。

<同行者のコメント> 往復とも首都高は大変な渋滞。でも二人との会話を楽しむことができましたから苦にはなりませんでした。鉄道博物館のシミュレータに夢中になっている大人たちに驚きましたが、旦那様も本当は運転したかったのですね。

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2013年1月 8日 (火)

大宮の鉄道博物館(中編)

2012_12260055天車台に乗る貴婦人の愛称を持つ蒸気機関車の先頭部にはSister Museum Partnership 2012.12.19の表示があります。これはイギリス国立鉄道博物館との間で姉妹館として提携関係を最近結んだことを表しているのです。
 
 

2012_12260056直流電化区間各線で1980年代まで活躍し、高い人気を誇ったこのEF58形式電気機関車は東海道本線が全線電化された1956年11月19日に上り「つばめ」を牽引した機関車だそうです。
 
 

2012_12260058 「あさかぜ」は1956年から2005年まで東京駅-下関駅・博多駅間を東海道本線・山陽本線・鹿児島本線経由で運行していたJR(国鉄)の寝台特急列車です。私が一時期嵌(はま)っていた西村京太郎氏のサスペンス小説「寝台特急あさかぜ1号殺人事件」(2003年)などに登場したことを覚えています。

2012_12260060 東京オリンピックの開催(1964年10月10日から24日)に合わせて1964年10月1日に開通した東海道新幹線の初期に使用された21型式(0系)新幹線電車です。
 
 
 

2012_12260064 こちらは東北・上越新幹線用として最初に使われた222型式新幹線電車(1982年製造)
 
 
 
 

2012_12260066 オレンジ・カラーが鮮やかな中央線通勤電車(クモハ101形式電車)横の運転体験コーナーでコチビちゃんがチャレンジ中
 
 
 

2012_12260075 2階に上がると鉄道歴史年表の長大な展示がありました。鉄道開通140周年を記念する特別展示とともに東京駅丸の内駅舎の復現モデルも展示されています。
 
 
 

2012_12260080 2階の奥にあるラーニングゾーンに入りました。鉄道の特徴であるレールと車輪の関係(点接触)を動展示で上手く体験させていました。赤い矢印がその場所を示しています。
 
 

2012_12260081 オチビちゃんが車輪のない箱を動かそうとしますが重くてなかなか動きません。奥には車輪が付いた箱や車輪付きの箱とレールの組み合わせなどがあって容易に比較ができます。
 
 

2012_12260095 コレクションゾーンのライブラリーも覗(のぞ)いてみました。これは新幹線の車両内部を見ることが出来る仕掛けです。 
 
 
 

2012_12260098 私は昔の客車に使われた椅子を懐かしく見ました。学生時代に北海道まで旅行した時に利用した蒸気機関車に牽引された客車の椅子に似ているようですが、それよりも上等な椅子かもしれません。
 
 

2012_12260099 ゴザが敷かれた椅子は見たことがありません。
 
 
 
 
 

2012_12260100こちらは畳縁(たたみべり)が付いていますから畳敷(たたみじき)きでしょうか。
 
 
 
 

2012_12260105 次は模型鉄道ジオラマです。ショーは始まっていましたが係員が入るように促(うなが)してくれました。風景や建物などが精密な模型で再現されています。説明は聞き逃しましたが、これは昼間あるいは薄暮のシーンでしょうか。 
 

2012_12260106 夜中になって照明が大きく変わりました。
 
 
 
 
 

2012_12260108 朝のシーンでショーが終りました。
 
 
 
 
 

2012_12260109 二人が期待する屋外施設「てっぱくひろば」へ向いました。特急「あさま」(東京‐長野間)と同「とき」(上野‐新潟間)が展示されています。 
 
 
 

2012_12260111 東北新幹線の最新電車E5系を模(かたど)ったスライダーで遊ぶコチビちゃん
 
 
 
 

2012_12260112 雲梯(うんてい)も得意です。
 
 
 
 
 

2012_12260115 京浜東北線の運転席に座るオチビちゃん

(続く)

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2013年1月 7日 (月)

大宮の鉄道博物館(前編)

先月下旬にオチビちゃんとコチビちゃんが遊びに来ている間に二人が興味を持ちそうな場所として鉄道博物館を選びました。オチビちゃんは幼稚園に通っていた2年ほど前に京都の梅小路蒸気機関車館へ遠足で出掛けたことを話してくれました。実は以前から私も行きたいと思っていた場所であり、大阪府に住むオチビちゃんに先を越されたのはちょっぴり残念でした。

大宮にある鉄道博物館への交通手段としてまずJRを考えました。JR大宮駅からニューシャトルで一駅先の鉄道博物館駅(旧大成駅)に隣接しており、所用時間が1時間半弱とまずまずです。しかし大人数であることから車で出掛けることを決めました。首都高速を利用すれば鉄道博物館から約4kmの埼玉新都心線新都心西(出口)まで1時間弱で行けることも魅力でした。

2012_12260001 しかし池尻IC付近で故障した大型トラックが車線を塞いでいたため大変な渋滞が発生し、鉄道博物館の駐車場まで約2時間も掛かってしまい、開館時間(午前10時)を予定した到着が1時間も遅れてしまいました。年末の平日であったことで駐車場は閑散としていました。
 

2012_12260003広々としたエントランスは大量の来場者に備えた設計なのでしょう。しかし駐車場と同様に人影は疎(まば)らです。自動販売機で購入した入場券は大人1000円、小中高生500円、幼児200円。
 
 
 

2012_12260006 入館すると右手奥に展示エリア(ヒストリーゾーン)への入口がありますが、午後のスケジュールを考えて、すぐ近くにあるレストラン「日本食堂」で早めの昼食にすることにしました。レストランと言っても開放感があるカフェテリアです。小さな二人はもちろんお「子様セット」(750円)と期間限定の「昔懐かしいオムライスセット」(750円)、私は名前に釣られて「懐かしの食堂車のカツカレー」(850円)、同行者と二人のお母さんは期間限定「列車乗務員賄い丼ハチクマライス」(650円)と「中華風あんかけご飯」(600円)を選びました。いずれも名前通りの美味しさです。

2012_12260020 日本食堂を出た真ん前にある「シミュレータホール」に入りました。D51シミュレータの整理券は午後4時までの分がすでに配布済とのことであり、整理券が要らない他のシミュレータの待つ行列を確認している間にオチビちゃんは「205系山手線シミュレータ」が気に入ったようで並んでいます。30分以上待ったのちに順番が回って来ました。

2012_12260010 3つのスクリーンに映し出される山手線沿線の映像はリアルです。並びながら良く観察していたのかひとりで運転を始めました。ただ駅で停車するタイミングが掴(つか)めないようです。この鉄道博物館はJR東日本グループの運営ですから、209系京浜東北線シミュレータ、211系高崎線シミュレータ、200系新幹線シミュレータも並んでいます。

2012_12260026 エレベータを利用して最上階から見て回ることにしました。最初は半円形をした屋上展望台です。すぐ横を通過する東北新幹線を間近で見ることができる特等席で、通過時刻表が設置されています。鉄道マニアと思われる少年が約20分後に特別な列車が通過することを教えてくれましたが、寒風の冷たさにギブアップして階下に降りました。

2012_12260037 屋上ほど視界は良くありませんが、実は3階展示室(ラーニングホール)の大きな窓からも新幹線の車両を見ることが出来たのです。
 
 
 

2012_12260022 コチビちゃんが何かを見つけました。スクリーンがぶれて写っているようですが、三次元(3D)画面なのです。電車がレールの上を走る様子が様々な角度から眺めることができる優れものでした。コチビちゃんは姿勢を変えて視界が変化する様子を楽しんでいます。
 

2012_12260030 次は蒸気機関車の仕組み説明
 
 
 
 
 

2012_12260029 そして動力がどのように伝わるかの説明
 
 
 
 
 

2012_12260035 電気機関車の仕組みも
 
 
 
 
 

2012_12260036 パンタグラフの動きも確認することが出来ます。
 
 
 
 
 

2012_12260038 反対側のヒストリーゾーンへ向います。
 
 
 
 
 

2012_12260039 3階からヒストリーゾーンの1階と2階を見下ろしました。
 
 
 
 
 

2012_12260040 2階へ降りるとポケットモンスターの巨大なステンドグラスがありました。ポケモンの大ファン(全国ポケモン図鑑を熟知するマニア)であるオチビちゃんは熱心に眺めています。 
 
 

2012_12260043 手摺(てすり)越しに1階の展示エリアを撮影
 
 
 
 
 

2012_12260045 展示される車両の王者ともいえるC57形式135号蒸気機関車が転車台(ターンテーブル)に載せられています。
 
 
 
 

2012_12260047 階下に降りるとプラットフォーム脇に停車する蒸気機関車があります。その説明板を見ると、『1872年(明治5年)に新橋-横浜間が開通した時にイギリスから導入された10両の蒸気機関車の1両』とあります。これの貴重な展示品「一号機関車」は国指定の重要文化財(1997年指定)でした。

2012_12260049 新橋~横浜間の鉄道施設についての説明を読んでこの区間が開通して140周年であることを知りました。 
 
 
 
 

2012_12260050 その右手にある蒸気機関車は7100型弁慶号で、1880年(明治13年)に北海道最初の鉄道である幌内鉄道で使われたものでした。ちなみに1号機は義経号で、こちらは2号機だそうです。私は神田にあった交通博物館(旧鉄道博物館)で見たことがあります。(続く)

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2013年1月 2日 (水)

わが家の年末年始(雑感)

明けましておめでとうございます。皆様にとって良い年でありますように心からお祈り申し上げます。お陰様でわが家も平穏な正月を迎えることができました。何事も様式を重んじる私はこの年末年始を例年通りに巣篭(すご)もりの日々を過ごしています。

チビスケくんとチビエちゃんの一家が遊びに来てくれた大晦日(おおみそか)は久しぶりのNHK紅白歌合戦を観ながら過ごしました。小さな2人は同居者との遊びに夢中でしたが、私は初出場の美輪明宏(元丸山明宏)さんの黒一色の衣装と自作楽曲の「ヨイトマケの唄」(1965年)を期待しました。50年近く前の学生時代にテレビ番組で見て鮮烈な印象を受けて以来のような気がするからです。

美輪さんは恰幅(かっぷく)こそ昔より良くなってはいますが、その衣装と歌声は昔のままで、約6分と長いこの歌に聞き入りました。この歌に差別用語が使われているとの理由で長年にわたって民放で放送禁止になっていたことは理不尽な扱いだったと今さらながらに思います。

2007_05140124 もうひとつ印象に残ったのは水森かおりさんが歌った「ひとり長良川」です。飛騨(ひだ)の郡上八幡高山へのドライブ旅を思い出しながら聴いていると、ドレスの大きなスカートがますます巨大になってステージ一杯に広がりました。派手さとは無縁と思われていた水森さんには意外(サプライズ)な演出でしたが、最後にちょっとはにかんだ様に微笑んだことに好感が持てました。それと同時に、割愛された3番の歌詞に登場する飛騨の高山は長良川(分水嶺のひるがの高原が源)と何の関係もないのにと私の詮索癖(せんさくぐせ)が・・。(写真:長良川を見下ろす岐阜城)

2008_09230165 午後11時30分からはテレビ東京で生中継された東急ジルベスターコンサートにチャンネルを切り替えました。藤岡幸夫氏がタクトを振るカウントダウン曲はエルガーの行進曲「威風堂々」ですが、その前に若手のソリストたちもはつらつとした演奏を聴かせてくれました。サクソフォンの須川展也さん、ヴァイオリンの宮本笑里さん、そしてピアノの金子三勇士さんの3名です。続いて演奏されたカウントダウン曲は10数分の長さにもかかわらず、1秒の狂いもなく午前零時に終了したのは見事です。(写真:郡上市の八幡城)

元旦はもちろんお雑煮とお節料理を食べながら実業団のニューイヤー駅伝のテレビ中継を観戦しました。中盤にトップに立ったコニカミノルタが4分近い大差を付けて5年ぶりに優勝。激烈な2位争いの結果、トヨタ自動車九州が2位、1秒差のカネボウが3位、同タイムのホンダが4位でした。下馬評の高かった日清食品と旭化成、そして箱根駅伝のヒーローである柏原竜二さんがメンバーに加わった富士通のいずれもが10位前後と不本意な結果になったようです。

2006_07310049その夜はNHK Eテレでウィン・フィルのニューイヤーコンサート(生中継)と例年通り。一昨年に続いて2回目の指揮をとるフランツ・ウェルザー=メスト氏は上品で安定感があります。選ばれた楽曲は、このニューイヤーコンサートで初めて取り上げられたものが大半でしたが、いずれも十分楽しめました。これは同居者の指摘で気付いたことです。会場に全体に飾られた生花はピンクを基調とする優しい雰囲気で、クローズアップすると申し分なく綺麗ですが、遠景では会場の色調に呑(の)みこまれて見栄えしないことが惜しまれます。(写真:ドイツのハイデルベルク)

2006_07310305 毎年、同居者がこの番組で期待するのはバレーです。最初のオペレッタ曲で登場したダンサーの衣装は、これ以上多彩な組み合わせがないと思われるほどの色使いですが、上品であり綺麗でした。2曲目以降は純白を基調とする衣装になって印象が大きく変わりました。宮殿内の白く豪華な部屋に置かれた調度品には白いレースが掛けられていて、淡い水色の照明が印象的です。登場した5組のダンサーの衣装もよく見ると灰色がかった水色が控えめのアクセントとして様々な形で配(あしら)う演出が心憎いばかりです。(写真:パリのベルサイユ宮殿)

午後10時を過ぎたのでそろそろ寝ようかと思いながら番組表を見ると、「新春全日本なまりうたトーナメント」の番組名が目に入り、そのB級な番組名に惹かれて観ることにしました。全国各地の方言を使って誰もが知っている歌を競うトーナメント形式の余興(よきょう)でした。素人(しろうと)の出演者はいずれも歌が達者で、歌詞に織り込んだ方言も上手く嵌(はま)っており、笑いながらつい引き込まれてしまいました。三日月(絢香)、チャコの海岸物語(サザン)、タッチ(岩崎良美)、飾りじゃないのよ涙は(中森明菜)、ハナミズキ(一青窈)、もう恋なんてしない(槇原敬之)、待つわ(アミン)などが歌われて甲乙付け難(がた)い中、決勝戦で青森弁のプレイバックPart2(山口百恵)を歌った出場者が優勝したことは頷(うなづ)けます。

2012_12250240 1週間ほど時間を遡(さかのぼ)りますが、わが家で恒例にしている川崎大師参りは家族の都合で2回に分かれることになりました。そのため、私と同居者は2回参拝するとともに、年越しそばも大山門前のそば屋さんで同じものを2回ずつ食べることに。私は鴨(かも)南ばんそば、同居者は天せいろそばと、いずれも定番メニューです。参拝の様子は大山門の写真だけにしますが、干支(えと)の置物が12年を掛けて全部揃(そろ)いました。(写真:12月24日の川崎大師)

2013_01010013 この記事は1月2日の箱根駅伝(往路)のテレビ中継を観ながら書いています。第1区で飛び出したトップの東洋大学を第2区で12人抜きをした日本大学が追い抜いて、その2チームが1秒差で第3区に入りました。そして、3位には日本体育大学、4位山梨学院大学、5位駒沢大学と続いています。(写真:12月30日の川崎大師)

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