和田秀樹著「テレビに破壊される脳」を読む
刺激的なタイトルに惹(ひ)かれて2012年5月に徳間書店から発行されたソフトカバー本「テレビに破壊される脳」を読みました。著者は受験・学力・人生などをテーマに多くの本を書いている精神科医で、評論家や受験アドバイザーとしても活躍する多彩な人物のようです。
本書は「テレビの大罪」(2010年新潮社刊)の続編で、『あなたの脳のソフトがテレビに書き換えられていく!』のキャッチコピーに興味を持ちました。『依存症を悪化させ、子供の学力を蝕(むしば)み、さらに東日本大震災の被害を拡大し続けているテレビの実態とは。これを知ったら、もうスイッチは入れられない』と折り返しの言葉が続きます。
著者はまえがきで述べる。先の「テレビの大罪」は話題にはなったもののテレビが一向に変わろうとしないのは、依存症に陥り易いアルコールやパチンコなどの業界が大口のスポンサーであることと、それらの広告がWHO(世界保健機構)の勧告にも拘(かかわ)らず野放しになってマインドコントロールマシンとして機能していることを指摘する。そして、自分自身、あるいは自分の子供だけでも、その弊害から脱出する方法を提唱することが本書を書いた目的であると明かす。
第1章「死をまねくテレビの洗脳」では、アルコール飲料のCMが依存症を蔓延させていることをデータを引用して糾弾する。そして、それは『本人の意志が弱いから』ではなく、すでに正常な判断が出来なくなっており、本人は飲むのを止めようとする意思を貫くことは出来なくなってしまうと指摘し、肝障害や肝臓癌のような深刻な健康被害を生み出す原因になっているという。パチンコについても同様の弊害がることと、震災報道が被災者にフラッシュバックを誘発していることを詳説する。
第2章「不幸をばらまき続ける日本のテレビ」では、少ないチャンネル数が選択の自由を奪っていることを諸外国の状況と比較して解説する。無意味な地デジ化、知識人のためのチャンネルがない、反論できない者を叩いて民衆の溜飲(りゅういん)を下げる、子供の学力低下を促す「バカ礼賛」と学力軽視、バカなコメンテーターが世論を動かす、異なる意見は排除される、などを列挙した上で思考回路が退化すると結論付ける。
第3章「テレビに脳が書き換えられる」では、テレビはいかに脳のソフトを書き換えるか、不適応思考のパターンを作り出す恐怖(二分割思考、将来のことを勝手に決め付ける占い・相手の気持ちや考えていることを勝手に決め付ける読心(とくしん)、過度の一般化、選択的抽出、~すべき思考、情緒的理由付け、レッテル貼り、肯定的な側面の否定、破局視)、認知的成熟度が退行する怖さ、テレビの洗脳手口に気をつけろ、テレビが社会的制裁を行う恐ろしさ、正義の味方を歓迎するテレビ脳、多角的な見方を封殺して洗脳する手法、を詳しく解説。そして、劣化するNHKの罪にも言及して視聴率に捉われない良質な番組提供を期待する。
第4章「テレビ脳からいかにして脱するか」では、子供1人でテレビを観せてはいけない、新聞や本など他のメディアを子供に与える、テレビの世論誘導に警戒せよ、一方的な情報はまず疑え、テレビが利用する「権威」は怪しい、テレビで「なるほど」と感じたら危険だと思え、コンプレックスにつけこむ情報に気をつけろ、テレビを観るときは親子で話す、テレビ侵けは反知的生活の証拠、数学的な考えがテレビ脳から身を守る、などを提案する。最後に、Win-Winの発想でテレビの陰謀に勝つとして、ステレオタイプな区分けを止める、討論番組の必要性、インターネットを活用することの有用性を強調した。
筆者はあとがきで情報が一面的になることを危惧(きぐ)してセカンドオピニオンを求めることを提唱する。つまり、疑う能力やメディアリテラシーを学校で教えない日本ではとくにインターネットや辞典などで調べる習慣を付けるように助言した。
[読後感] テレビに対する敵愾心(てきがいしん)すら感じられる強烈な考えが、読み易い文章というオブラートに包まれてはいるものの、読み手に強烈なメッセージを伝えます。第1章の「アルコールへの依存の件(くだり)」はそれを自覚する私の耳には痛いのですが、私が漠然(ばくぜん)と感じていたテレビの負の側面(テレビ放送は必要ですか?の記事)をデータに基づいて明快に指摘する良書でした。
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