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2013年2月に作成された記事

2013年2月25日 (月)

二つの高松城を巡る 讃岐高松城址(後編)

水門の案内看板には『高松城は、北が海、三方に濠をめぐらし海水を引き入れた日本三大水城の一つとして名高く、完全に海水を濠に取り入れた城は高松城だけである』と説明されています。日本三大物語の記事では書き漏らしましたが、日本三大水城とは高松城に加えて、今治城(愛媛県)と中津城(大分県)のようです。

これも奇妙なオブジェです。クリスマスツリーあるいは交通整理のために使われるコーンを巨大にしたようにも見えます。
 
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頂部を拡大すると大きなバインダークリップで留められた「TAMAMOn」(高松城のマスコットキャラクター?)と「TAMAMO」(向かい合う2人の顔?)のパネルがあるだけで、このオブジェが何を意味するのかは不明です。頂部以外は無数の松ぼっくり(松かさ)を使って作られています。
 
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内苑御庭(ないえんおにわ)脇に出ました。左奥は重要文化財の月見櫓(つきみやぐら、着見櫓とも表記)と水手御門です。案内看板に『玉藻とは柿本人麿(かきのもとひとまろ)が詠んだ「玉藻よし」』という讃岐国の枕詞(まくらことば)をとったこの辺りの地名である』と説明されています。
 
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内苑御庭に入ります。
 
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藩主の住居であり政庁でもあった披雲閣(ひうんかく)を横から見ました。アプローチの飛び石が意外に質素です。
 
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と思いましたが、こちらが玄関でした。重要文化財に指定されていますが、これは明治初期に建て直されたもので、江戸時代には倍の規模があったそうです。
 
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桜御門跡を抜けて桜の馬場と旭門へ向います。写真撮影用の三脚かと思って桜御門跡を振り返りましたが測量用の機材のようです。
 
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中掘を眺(なが)めました。
 
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艮櫓(うしとらやぐら)は、『元々は北東(丑寅)に築かれた本瓦葺(ほんがわらぶき)・入母屋造りの三重・三階の隅櫓(すみやぐら)で昭和25年(1950年)に重要文化財に指定され、昭和40年頃に旧太鼓(たいこ)櫓跡に移築・復元された』と説明されています。
 
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ここが枡形(まずがた)のある旭門(あさひもん)で、その奥に中掘に架(か)かる旭橋が見えます。
 
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引き返して桜の馬場へ出ました。
 
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天守台越しにサンポートのシンボルタワー(茶色い建物)が望めます。四国で一番高い建物(30階、151.3m)だそうです。ちなみに右側の白い建物はJRホテルクレメント高松でしょう。
 
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豪華な枝振りの枝垂(しだ)れ柳
 
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この内堀と右手の中掘を繋(つな)ぐと思われる小さな通水口があります。
 
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内堀沿いに少し戻ると石垣の積み直し工事が終了した天守台の様子と先ほど反対側から見た鞘橋を見ることができました。それにしても復元イメージ図はちょっと・・。
 
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「まつぼっくり収集ぼっくす」を発見! 来園者が松ぼっくりを集めて「松ぼっくりツリー」を天守閣と同じ高さ(約26.6m)にしようという壮大なプロジェクトであったことがやっと分かりました。
 
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鞘橋と二の丸跡の石垣
 
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西入口に戻りました。
 
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「天守閣復元祈願」のお土産は「鯛願城就(たいがんじょうじゅ)ステッカー」など多彩です!
 
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西入口を出た右手にある「石あかりロード」は面白い演出です。高松市東部の牟礼町(むれちょう)で採取される庵治(あじ)石の置き行灯(あんどん)を並べたものでした。牟礼町といえば四国霊場の第85番八栗寺がある場所です。
 
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讃岐国の高松城は黒田官兵衛(孝高)が縄張りしたとも伝えられる水城ですが、外堀はもちろんのこと中掘の大半と内掘も少し埋め立てられて、往時の規模は想像するしかありません。

ちなみに、讃岐高松藩の第2代藩主松平頼常(まつだいらよりつね)は水戸光圀(みつくに)の長男です。その背景は、三男でありながら兄頼重(よりしげ)を差し置いて第2代水戸藩主になった光圀が兄頼重に配慮し、その次男綱條(つなえだ)を自らの嗣子(しし、家督を継ぐための養子)として、第3代水戸藩主にしたことにあります。ちなみに先に嗣子とした頼重の長男綱方(つなかた)は水戸徳川家の家督(かとく)を相続する前に没(ぼっ)しています。テレビドラマ「水戸黄門」では光圀が高松を訪れて頼常に対面するシーンがありましたが、史実としてはありえないことでしょう。

ここで備中国と讃岐国にあった2つの高松城を巡る旅は終わりです。水に縁のある両城を一気に巡(めぐ)ったため慌(あわただ)しい旅でしたが、1年半前から温(あたた)めていたこの奇抜(きばつ)な計画を実行できたことで心が十分満たされました。残った時間を使って高松市内をもう少し散策します。(エピローグへ続く)

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2013年2月24日 (日)

二つの高松城を巡る 讃岐高松城址(前編)

岡山駅の7番線プラットフォームへ移動するとほどなく高松駅発のマリンライナーが到着しました。列車名に「快速」が付いている理由は、運賃だけで乗れるのに、急行(あるいは準急)並みに停車駅が限られているためでしょう。前回の記事で紹介したように1号車(高松寄り)は2階建て展望車(上の階がグリーン車・下の階は普通車指定席)です。マリンライナー21号は午前10時23分に「瀬戸の花嫁」(1972年)のメロディに送られて発車しました。
 
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倉敷市の児島地区から瀬戸大橋を渡り始めました。最初の島は香川県坂出市の櫃石(ひついし)島(写真:櫃石漁港)で、風はありますが海は凪(な)いでいるようです。この方面(東方)へ30kmほど行くと映画「二十四の瞳(1954年)の舞台になった小豆島(しょうどしま)があり、その近くには「瀬戸の花嫁」の舞台だといわれる沖島も。学生時代に訪れた小豆島の寒霞渓(かんかけい)は今も覚えています。
 
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瀬戸内海の景色に見とれていると岡山駅を出てからわずか53分で高松駅に到着。駅構内(改札口脇)にある「連絡線うどん」は郷愁(きょうしゅう)を誘(さそ)う名前です。というのは学生時代(半世紀前)にはじめて高松を訪れた時は宇野港と高松港をむすぶ宇高(うこう)連絡船を利用したからです。店名看板の左右に連絡船の写真が掲載されていますが、年代からみて連絡船が廃止された1988年まで使われたこの4隻(せき)ではないと思われます。多分、その前に使われていた鉄道連絡船、鷲羽(わしゅう)丸・眉山(びざん)丸・初代讃岐(さぬき)丸のいずれかでしょう。まだ昼食には早いのですが、この店で讃岐(さぬき)うどんを食べることにしました。
 
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券売機で食券を買ったかけうどん(320円)はシンプルですが、太目のうどんに艶(つや)があって美味しそうです。
 
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私にしては珍しいことですが、出し汁をほとんど飲み切りました。ネギを少し残してご免(めん)なさい。
 
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改札口を出たコンコースからプラットフォームを振り返りました。もうすぐ快速マリンライナーが岡山方面へ引き返すようで、5000系の展望車が写っています。
 
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コンコース内にある抽象的なオブジェが気になりました。東京駅の「金の柱」「銀の柱」と同じ用途も兼ねているのかもしれません。後で調べると、世界的に活躍する彫刻家である流政之(ながれまさゆき)氏が向き合う人をモチーフで製作した作品「だいてんまい」で、その題名は『抱きしめてごらん』を意味する高松弁でした。ちなみに、その手前は広告看板ですが、奇妙な取り合わせだと思います。
 
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駅舎を出たところにある案内地図で確認しました。左手へ進めば学生時代に宇高連絡船(フェリー)で四国に到着した場所です。その宇高連絡船も1988年の瀬戸大橋開業にともない廃止されました。高松港の周辺は「サンポート」として再開発されて巨大な複合施設になっているようです。高松港の様子を見に行きたくもありましたが、あまりの強風にたまらず、目的地へ直行することにしました。
 
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高松駅から200m弱歩いて国道30号の横断歩道を渡ります。案内標識に表示された『玉藻(たまも)公園』の名前は高松城の別名に由来します。
 
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芝生の広場に不思議な形をしたオブジェ、『地表より一森』(井上麦 作)があります。巨大な植物の芽、あるいは動物の突き出た角のような作品は迫力があります。
 
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こちらは「森の王者」(坂本英之 作)
 
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西入口を入ります。入園料は大人200円(65歳以上無料)。左手の石垣は簾櫓(れんやぐら)跡です。
 
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案内看板には『高松城は別名玉藻城ともいい、天正15年(1687年)に豊臣秀吉から讃岐に封じられた生駒親正(いこまちかまさ)が翌年築城した全国にも珍しい水際城(一般には水城)の跡。寛永19年(1642年)に常陸国下館から松平頼重(水戸光圀の兄)が封ぜられて明治に至るまで松平家の居城であった』と説明されています。

真っ直ぐ伸びる遊歩道の右手が二の丸跡です。左前方の石垣は武櫓跡
 
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二の丸跡へ入ります。
 
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史跡に指定されている鞘橋(さやばし)へ出ました。二の丸と本丸を繋(つな)ぐ木製の桁橋(屋根付き)です。ちなみに寸法は、長さ31.04m、幅員3.55m。残念ながら天守閣の復元工事(天守台石垣解体修理工事)のため渡ることができないだけでなく、それに復元工事の完了予定期日も表示されていません。
 
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二の丸の端から見た内堀(うちぼり)に架(か)かる鞘橋と本丸および天守台の石垣
 
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本丸の右端にある矩(かねの)櫓跡の脇(わき)に駅のプラットフォームが見えます。
 
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二の丸の東端に続く石垣沿いに戻ります。
 
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水門の脇に出ました。海から濠(ほり)へ海水を引き込む設備のようです。
 
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反対側にも似た水門があります。内堀の前方は天守台の石垣です。現在は城域の大半が市街地化したため、当時の8分の1程度に狭くなったものの、内堀と中堀(一部)は当時の様子が残っているのだそうです。
 
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(続く)

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2013年2月23日 (土)

iPhone 5用ライト二ング-USBケーブルを考察する

2013_02230015 1か月前に購入したiPhone 5の魅力はiPhone 4S並み(新たなワクワク感がなく期待外れ)ですが、その使い勝手には十分満足しています。これまでのiPhone 4Sなどよりも少し大きく(長く)なった画面をはじめ、より薄く(軽く)なった本体は携行(けいこう)時はもちろん、片手で使用しても手に負担がかかりません。

2013_02230019 上記以外にも従来のiPhone(初期モデルから4Sまで)と変わった点がいくつかあります。イヤフォン用ジャックが本体の左上部から左下部へ移動し、下部のコネクターが従来のiPhone・iPod・iPadに共通して使われた30ピンのドック・コネクターから大幅に小型化された8ピンのライト二ング(Lightning)コネクターに変わったことが目立ちます。ちなみにライトニングの名称は、人気長編アニメ映画「カーズ」(原題:Cars)に登場する主人公のファーストネームと同じで、稲妻(いなずま)を意味します。

2013_02230029 そして、iPhone 5とほぼ同時期に発売されたiPod nanoiPod touch(第5世代)・iPadRetinaディスプレイモデル)・iPad miniもこのライトニング・コネクターに変更されているようです。

大幅にピン数が減少した理由は次の通りです。従来の30ピンのドック・コネクターはステレオオーディオ出力・ビデオ出力・シリアル接続送受信ポート・USB接続送2013_02230047受信ポート・FireWire(IEEE1394)接続送受信ポート・電源、接地など多彩なインターフェースを持っていましたが、8ピンのライトニング・コネクターでは、アナログ形式のインターフェースが削除され、すべてデジタル・インターフェースに統一されたからです。

そして、ライトニング・コネクター(プラグ側)は表裏の方向性がないリバーシブルですから、表裏を確認しなくても良いことは便利です。一見して分かるように、このプラグには両面とも8ピンの電極が付いていますが、iPhone 5の本体側にあるリセプタクルを覗(のぞ)き込むと電極は片側だけにあることが確認できました。電極の横(長細い面)にある小さな窪(くぼ)みは抜け防止用でしょう。

コネクターが大きく変わったことで従来のiPhone・iPod・iPad用リセプタクルと互換性がありませんから、アップル社はライトニング-30ピンアダプタおよび各種変換ケーブルなどのアクセサリ(オプション)を提供しています。見た目にはちょっと不恰好(ぶかっこう)になりますが、手持ちのドック-USBケーブルなどの使い回しができて、ドック・コネクターがある機器(例えばBose社のSoundDock)とライト二ング・コネクターを持つiPhone 5などを接続することも可能です。

これで「一件落着」かと思われましたが、実は未解決の問題が潜(ひそ)んでいました。ライトニング・コネクターにはチップ(電子部品)が組み込まれていて、アップル純正品やアップル認定品でないと正常に機能しないことがあるそうですから、ライトニング・ケーブルなどの互換製品(非認定品)を安易に購入することは当面控(ひか)えるのが良さそうです。

もう一つの問題は意外にもライトニング-USBケーブルのもう一方の端(はし)にあるUSBコネクターにありました。それは、上記のような電気的な問題ではなく機構的な不具合で、PCなどのUSBポートに挿入(そうにゅう)すると抜けなくなることがあるのです。購入直後にPCiTunesを使って行ったデーのタ同期時には発生しなかったのですが、2回目にUSBコネクターを挿入したところ、固くて抜けなくなってしまいました。富士山頂でデジカメの2段式レンズ筒(つつ)が曲がって動かなくなった時と同様に、あれこれ試みてやっと抜き取ることに成功。ネットでこの問題を検索してみて、同様のトラブルを経験したユーザーが結構いることを知りました。

所用の折りに渋谷のアップルストアに立ち寄って、スタッフに現物を見せながら症状(不具合)を説明し、どうすれば良いかを尋(たず)ねました。そうすると、そのスタッフは展示デモ用MacBookUSBポートにコネクターを挿入して問題はないという。そこで、同じiPhone 5に付属するACアダプターとの挿抜(そうばつ)でも少し硬(かた)いと訴えると、それは一応認めてくれました。さらに、「iPhone 4Sに付属したケーブルのUSBコネクターではこの問題は発生しない」と粘(ねば)ると、他のスタッフの意見を聞いてくれましたが、似たようなコメントです。そして「解決策はiPhone 4S用のケーブル(ドック・コネクター)にライトニング-30ピンアダプタを付けるか、USBのオスメス変換コードを使うことだろう」とアドバイスされました。いずれも納得できる解決策ではありません。

埒(らち)が開(あ)かないためにその日は引き下がりました。帰宅後、アップルのホームページ(Appleサポートコミュニティ)を確認すると、『USBコネクターの抜け防止用の穴が従来のコネクターより深いことが原因』『Windows PCの場合はサポートが期待できない』『Appleはこの問題を認識しており、影響を受けるユーザーには交換対応を行っているようだが、改良型(?)はまだ提供(発売)されていない』などが分かりました。アップルストアにおけるスタッフの応対が何とか理解(納得ではない)できます。

2013_02230006 写真は手前がiPhone 5用の新しいUSBコネクター、奥が従来のもの(iPhone 4S用)。穴の深さが違うだけではなく、白い部分の長さも明らかに前者が短く、引き抜く時に指で保持し難(にく)くいのです。その他の寸法には差がないようです。

そこで、新しいライトニング-USBケーブルが発売されるまでの暫定策(ざんていさく)をアップルストアで助言された方法以外にいくつか考えてみました。

●深すぎる穴を何かで埋める(薄い素材を両面テープで張り付けるのが良いかも・・)
USBコネクターを上手く引き抜くテクニックを習得する(PCを壊す恐れがある)
●外すための専用工具を探してみる(何だかな~)
PCと接続しない(データの同期が出来ない致命的な欠陥がある)
Windows PCをアップル製PCに変える(iMacと昨年決別したばかりの私にはツライ)
LogitecGriffinなどから先月発売されたアップル認定ケーブルで試す(”Made for iPod iPhone iPad”の表示を必ず確認すること)
●アップルに苦情メールを送る(これまでの経験をみれば効果はない!
iPhone 5の使用を止める(死んでも出来ない!?)

これら名案(迷案)の中からどれを選ぶべきかを現在思案中です。

2013_02230028 P.S. 本件とは関係ありませんが、iPhone 5本体(裏面)の艶(つや)消し塗装部や周囲(エッジ部)の塗装が傷つきやすいことは気にしないことにして、iPhone 4Sに装着している保護ケースなどは使っていません。

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2013年2月19日 (火)

二つの高松城を巡る 備中高松城址(後編)

今は公園のもう一つの駐車場になっている場所から西沼越しに今渡って来た橋を眺(なが)めました。
 
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西沼の外周に出てみました。木枯(こが)らしが冷たく、雲が出てきたことが気に掛かります。そして遠くに見える大きな鳥居も気になりました。
 
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直進して埋立地に入っても何もなさそうですから、本丸跡へ戻ると、先ほどは何気(なにげ)なく通り過ぎた小さな洞(ほこら)を見つけました。清水宗治公の首塚です。
 
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本丸跡から城址公園全体が見渡せました。
 
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春になると花菖蒲(はなしょうぶ)が咲くという池を渡ります。
 
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三の丸跡と思われる場所に造られた少し小高くなった場所から本丸方面を望みみました。何の説明もありませんから池を造成する時に出た土砂を使って深堀跡に造られた築山(つきやま)なのかもしれません。遠方に見える三上山(標高202m)の周辺には宇喜多忠家や羽柴秀勝などの諸将が布陣していたようです。
 
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資料館が開くまで冷たい風に吹かれながら50分以上も待つのは大変ですから、舟橋の南まで戻って東方面へと歩きました。秀吉や黒田官兵衛が陣取った場所は前方の山であろうと目算(もくさん)を立てたのです。何やら白いものが降ってきました。牡丹雪(ぼたんゆき)のようです。
 
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大きな用水を渡ります。地形から見て、当時 この辺(あた)りが沼沢(しょうたく)であったことは容易に想像できます。
 
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県道241号に出ると鳥居が一層大きくなりました。近くにあった案内地図には『大鳥居』とだけ表示されています。そこで閃(ひらめ)きました。駅の看板で見かけた3km北にある最上稲荷総本山(正式名称:最上稲荷山妙教寺)の一の鳥居でしょう。
 
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案内標識に従い左折して集落内の路地に入りました。長い石段の上にある箱崎宮は清水宗治公の検死役を務めた堀尾茂助(吉春)の陣地で、秀吉やその参謀(さんぼう)である黒田官兵衛(かんべえ)はずっと高い場所に居たようですから、無謀な思いつきは断念して、さらに先へと歩くと「蛙(かわず)が鼻築堤跡」に出ました。黒田官兵衛が秀吉に進言したとも言われる水攻めのために築かれた堤防がわずかに残る場所です。
 
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現在は高松城水攻め史跡公園として綺麗(きれい)に整備されていました。公園内にあった秀吉軍の詳しい布陣図を見ると黒田官兵衛は堀尾茂助の直ぐ隣であり、秀吉だけが常昌院近くの石井山で高みの見物を決め込んでいたことを知りました。迂闊(うかつ)でした。ちなみに、左端に写るハシゴのようなものは「高松城跡の高さ表示板」(楕円形は銘盤)で、横木風のプレートは上から築堤(8.4m高)・本丸の最上段(7.0m)・本丸上段(6.5m高)・本丸中段(6.0m高)・本丸下段と二の丸の高さを示し、高松城がすっかり水没したことを分かりやすく示しています。
 
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水攻め築堤跡の調査結果も紹介されています。前方の溝は発掘跡です。
 
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築堤の上に登ってみました。当時、基底部は約24m、頂上部でも約12mの幅があったそうです。
 
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公園の全景です。雪がだんだん強く降り始めてカメラでもはっきり捉(とら)えられるようになりました。
 
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ずっと憧(あこが)れていた女性と始めてデートした時のようにもう少しこの地に留まりたい気持ちはありましたが、黒田官兵衛の陣跡を探しに戻ったり大鳥居に立ち寄らないで、国道180号の歩道を経由して備中高松駅へ戻ることにします。
 
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とは言っても、根っからの拘(こだわ)り症である私は、岡山駅へ戻る吉備線の車窓から箱崎宮のある小山と最上稲荷の大鳥居を一緒に撮影して、次の目的地へ向かいました。沿線の景色を見ているとなぜか長谷川きよしさんの40年以上前のヒット曲「別れのサンバ」(1969年)が思い浮かびます。
 
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(もう一つの高松城へ続く)

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2013年2月18日 (月)

二つの高松城を巡る 備中高松城址(前編)

新大阪から山陽新幹線に乗りました。新幹線を利用した理由は日帰りの一人旅だからです。同行者は大阪でのんびりしたいとのことで止むを得ません。私にとって今回の関西旅行における最も興味のある場所を駆け足で巡る電車のひとり旅は半世紀近く前の学生時代に戻ったようです。

JR岡山駅で吉備(きび)線に乗り換えました。吉備線は岡山駅と総社(そうじゃ)駅を結ぶJR西日本の鉄道です。ちょうど総社行きのジーゼル車がプラットフォームで待っていました。
 
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ドアの脇にある開閉用ボタンは珍しい機能です。とは言っても昔は手でドアを開け閉めしたものですが・・。午前8時を回ったばかりの車内が通学途中の高校生たちでいっぱいなのは沿線に高校が2つあるからでしょう。
 
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ジーゼル車らしくエンジンが唸(うな)りを上げて発車しました。最初の備前三門駅を過ぎると町並みが途切れて田園風景が広がりました。備前一宮駅や吉備津駅など歴史を感じさせる名前の駅と山陽自動車道の下を過ぎると岡山駅から約20分で備中高松駅に到着。最初の目的地である備中高松城のほかに日本三大稲荷の一つと言われる最上稲荷(さいじょういなり)総本山の案内も見られます。
 
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駅舎は意外なほど平凡なものでした。
 
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しかし駅前広場には「まほろばの里 備中高松」として大きな観光案内看板があり、この地を治めたとされる皇族の吉備津彦命(きびつひこのみこと)を祀(まつ)る吉備神社なども説明してあります。ちなみに、この地域は吉備国の中心地であった場所で、総社には吉備国が備前国・備中国・備後国・美作国に分かれた際には備中(びっちゅう)国の国府が置かれました。案内看板は吉備線に合わせたためか、南北が逆になっていて間誤付(まごつ)きました。
 
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この地図を頭の中で180度回転させて私は歩き始めました。もちろんアイフォーン5の地図ナビを念のためにクリックして、最初のチェックポイント(目印)である「城跡道踏切」を渡ります。
 
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真っ直ぐ伸びる農道に気になる名前の橋がありました。「舟橋(ふなはし)」とは羽柴(豊臣)秀吉との開戦直前に掘られた外濠(そとぼり)に舟を並べて造られた橋(長さ約64m)のことで、敵が攻めてきた時には舟を撤去できる仕組みだったことが説明されています。今は幅が数mの農業用水路に架かるコンクリート橋になっていて、横に水門らしきものが見えます。
 
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その用水路を左手に追うと公園のようなものが見えました。この一帯が高松城の南側にあったという深沼の跡かもしれません。100mほど先の左手に駐車場がありましたから、その先が高松城址(じょうし)公園のようです。朝日に長く伸びた私のシルエットが写り込んでしまいました。
 
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城址公園を訪ねる前に植え込みに「清水宗治公自刃跡」の案内表示に従ってみることにしました。
 
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途中、「ごうやぶ遺跡」の名前に惹(ひ)かれて畦道(あぜみち)を歩きました。小さな遺跡だと思いながら畦道を引き返すと、『城主清水宗治の後を追って家臣たちが自死した場所といわれる』との解説を読んで理解できました。
 
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直ぐ先にある妙玄寺の墓地に一際立派な墓石がありました。『清水宗治公自刃之址』の石柱で確認できます。ここは三の丸跡の外れに当たる場所だったようです。
 
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駐車場に戻って「国指定史跡備中高松城跡 附水攻築堤跡」の案内看板を読みました。織田信長の命で羽柴(豊臣)秀吉が毛利氏の領土を攻めた『中国役(えき)の主戦場になった高松城』の位置付けと沼沢を天然の外堀として利用した石垣のない土城であったことが詳しく説明されています。3万の軍勢(宇喜田勢約1万を含む)でこの地域を攻めた秀吉は攻めあぐねた高松城の周囲に長さ約2.6kmの堤防を12日間で築き、梅雨で増水した足守川の水を引き入れて水攻めを行ったこととその後の顛末(てんまつ)が解説されています。

当ブログでは中国役の前哨戦(ぜんしょうせん)となった播磨(はりま)国の三木城攻めを『三木城址を訪ねる』で、そして毛利方が毛利輝元(もうりてるもと)を大将とする約4万の大軍を足守川のすぐ南まで派遣しながら忠臣清水宗治を見殺しにしたことなど高松城水攻めの顛末を『播磨灘物語を読む』で紹介しています。

駐車場から高松城址公園に入ったところに円形をしたモニュメントのようなものを見つけました。秀吉による高松城水攻めを周囲の山に陣取った秀吉軍(宇喜田忠家や加藤清正などの兵)に取り囲まれた高松城を空から見下ろす演出がなされた水攻め図案内板です。今風にはGoogle Earth(またはGoogle Map)と言えるでしょう。水攻めに遭った高松城が白っぽく色付けされています。もちろん秀吉は特等席(高松城の東方にある石井山の頂上)で見物したことは言うまでもありません。
 
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二の丸跡に造られたなまこ壁が美しい資料館が開館する午前10時まで残念なことにまだ1時間以上もあります。
 
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岡山県の書家・大原桂南氏が詠(よ)んだ『高松城懐古』の詩碑がありました。『身を殺し衆を救う又誰か儔(つれだ、連れ立)つ』で始まる漢詩(七言絶句)は清水宗治公のことを偲(しの)んで詠(よ)まれたものです。
 
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コンクリート製の橋を渡って本丸跡へ向います。城址公園が整備された時にこの池が造成されると自然に蓮(はす)が生えてきたことで「宗治蓮」と呼ばれるようになったことが書かれていました。千葉県検見川市の2000年以上前の落合遺跡から出土した古代蓮の種が開花した大賀蓮(おおがはす)の例がありますから1582年(430年前)に水没した場所にあった蓮が再生したとしても不思議ではないでしょう。
 
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本丸跡にある清水宗治公の辞世(じせい)の歌碑には、『浮世をば今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔(こけ)に残して』と刻(きざ)まれていました。
 
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本丸跡の奥にある橋を渡ります。この写真にも私のシルエットがしっかり登場。
 
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(続く)

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2013年2月14日 (木)

フィギュアスケーターを目指せ!(後編)

2013_01280368 2人が乗り物で遊んでいる間に私は真冬の園内に咲く花を探しました。そしてピンク色のバラが咲いているのを見つけました。 
 
 
 

2013_01280370 こちらは黄色いバラ
 
 
 
 
 

2013_01280396 遊園地の施設紹介が長くなり過ぎましたから、ここで打ち止めにしましょう。コチビちゃんのスケート教室が始まる午後4時が近づきました。
 
 
 

2013_01280397 アイスリンク内でスタンバイするコチビちゃん(右端)
 
 
 
 
 

2013_01280398 これは転ぶ(尻餅をつく)練習です。氷上に手をついてはいけません。
 
 
 
 

2013_01280400 「輪っか」を持ってペンギン歩きする練習は姿勢を正す目的でしょう。 
 
 
 
 

2013_01280403 今度は体重を左右に移動させながら左右の片足でゆっくり滑っています。 
 
 
 
 

2013_01280406 後ろから見ると屁っ放(へっぴ)り腰です。もう少し腰を落としましょう。半世紀近く前の学生時代に少しだけ室内アイスリンクで遊んだ記憶が蘇(よみがえ)りました。
 
 
 

2013_01280409 コチビちゃんが練習している間も「カード迷路 ぐるり森大冒険2」でカードを集めていたオチビちゃんの戦果
 
 
 
 

2013_01280411 日が沈んで電気照明が点灯された午後5時半からオチビちゃんが練習します。なお、フラッシュの使用を控えたために画質が悪いことをご容赦(ようしゃ)下さい。 
 
 
 

2013_01280412 立ち姿がまだぎこちないオチビちゃん
 
 
 
 
 

2013_01280414 調子が出て来たようです。
 
 
 
 
 

2013_01280415 でも危ないよ!
 
 
 
 
 

2013_01280416 腰を落として!!
 
 
 
 
 

2013_01280420 スピードが上がってきたようです。
 
 
 
 
 

2013_01280424 疲れたところで全員が一休み
 
 
 
 
 

2013_01280429 身体に力は入っていますが、真っ直ぐ滑ることが出来ています。 
 
 
 
 

2013_01280439 効き足を前方に伸ばしながらエッジで氷面を削ってストップするテクニックを覚えたあとは足を開閉させながら進む練習です。 
 
 
 

2013_01280442 だいぶ様になってきました。
 
 
 
 
 

2013_01280445 練習後にコーチから「次回は終了テストがある」と説明されました。数種類の項目はかなりのレベルが要求されるようです。ちょっと心配しましたが、後日になってお父さんから半分くらいの項目に合格できたことを聞きました。当日、アイスリンクへ早めに行って事前練習したことが奏功(そうこう)したようです。オチビちゃん、良かったね!

『ひょっとしたらオチビちゃんとコチビちゃんが羽生結弦(はにゅうゆづる)さんと浅田真央さんのような選手になるかも・・』と私の妄想(もうそう)が膨(ふく)らみました。

<同行者のコメント> たった4回の練習で上手に滑るようになるなんてコーチの方は指導がうまいのですね。コチビちゃん、いくつもの課題に合格できておめでとう。

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2013年2月13日 (水)

フィギュアスケーターを目指せ!(前編)

今朝のラジオ番組にゲストとして出演された鷲津名都江(わしづなつえ)さんの話を聴きながらこの記事を書いています。以前のブログ記事で紹介したように、鷲津さんは目白大学外国語学部英米語学科の教授(英文学、特にマザーグースの研究)をなさっていますが、子供の頃は小鳩くるみの芸名で童謡歌手だった方です。当時、松島トモ子さんや酒井和歌子さんとともに子供向け雑誌の表紙を飾っていたことを思い出します。一番印象深いことは鷲津さんがテレビアニメ「アタックNo.1」の主題歌を初期の頃に歌い、かつ主人公鮎原(あゆはら)こずえの声も担当されたことです。

さて、本題です。オチビちゃんとコチビちゃんの2人はヒップホップダンスを続けるかたわら、最近はアイススケートの短期教室(1時間x4回)にも通っているそうです。ダンスの練習風景を見たのはちょうど4か月前でしたから、今はかなり上達したと期待して、再度見学することにしました。

2013_012800052人が立っている位置が前回はずっと最前列だったものが、たまたまかも知れませんが、今回は後方に並んでいることが少し気になります。
 
 
 

2013_01280015 準備運動が始まりました。
 
 
 
 
 

2013_01280019 オチビちゃんは後方にいるコーチの存在を気にしているようです
 
 
 
 

2013_01280021 コチビちゃんは前列に移動したようです。そして1時間のレッスンが続きました。これからも練習を継続して欲しいものです。
 
 
 

2013_01280308 翌日、出かけた先は大阪を代表する遊園地の一つである「ひらかたパーク」です。ここでアイススケートの短期教室が開催されているのです。
 
 
 

2013_01280311 せっかくの機会だと、教室が始まるまでの時間を楽しむため、のりもの乗り放題のフリーパスを購入しました。
 
 
 
 

2013_01280313 風が冷たい遊園地内のPalm Walkは人影もまばらです。 
 
 
 
 
 

2013_01280317カード迷路 ぐるり森大冒険2」に入るようです。乗り物ではありませんから別料金。入り口で棒状のものを手渡されたようです。
 
 
 

2013_01280319 約10分後に二人が出てきました。迷路で棒状のものに集めたポイントを使ってゲームを楽しんでいます。そしてゲームの成績に応じて様々なカードを集められる仕組みのようです。 
 
 

2013_01280322 回転ブランコでは目を瞑(つむ)っています。
 
 
 
 
 

2013_01280326 次に乗ったのは自動車型コーヒーカップ?でも名前が怖(こわ)いです。
 
 
 
 

2013_01280328 ワンピース(海賊)が好きなオトビちゃんはこれなら平気の平左!その姿をお母さんがビデオ撮影中
 
 
 
 

2013_01280335 こちらは木馬
 
 
 
 
 

2013_01280338 空飛ぶダンボ
 
 
 
 
 

2013_01280344 Circuit-2000
 
 
 
 
 
 

2013_01280354 西洋風のたらい舟
 
 
 
 
 

2013_01280362 ミニ汽車にも乗りました。何かを見つけたオチビちゃんの人差し指が写っていました。
 
 
 
 

2013_01280375 メリーゴーラウンドの2階席にある木馬に乗るコチビちゃんとカメラに気付いて顔を隠すオチビちゃん
 
 
 
 

2013_01280376 この遊園地のキャラクター?一緒に写真を撮ってくれました。 
 
 
 
 

2013_01280382 アンパンマンのハッピースカイではそれぞれが好きなキャラクターのゴンドラを選んでいます。
 
 
 
 

2013_01280385 ミニ新幹線
 
 
 
 
 

2013_01280386 ANIMAL TRAIN
 
 
 
 
 

2013_01280388_2ミツバチハッチには2人仲良く

(続く)

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2013年2月 8日 (金)

石の宝殿古墳と天然温泉「鳥飼の里温泉」

淀川を挟む寝屋川市(北河内地域)と茨木市(北摂地域)を訪ねました。寝屋川市の名前は容易に想像できるように市内を流れる一級河川寝屋川に由来しますが、高野街道を旅する人たちに提供された宿泊施設が寝屋(ねや)と呼ばれたことが発祥のようです。また昔話「鉢被(はちかづ)き姫」の舞台になった場所でもあります。

1年近く前に寝屋川市の最北部(成田町)にある成田山不動尊(大阪別院)にお参りしたことはありますが、同市東部地域の道には不案内でしたから、カーナビに「石の宝殿古墳」と入力しましたがヒットしません。それではと、近くの高良(こうら)神社の名称を入れるとこれは見つかりました。私は府道20号を利用しましたが第2京阪道路の寝屋川北ICが今回の目的地に近いようです。

カーナビの指示に従って府道20号から高台にある交野(かたの)市の星田地区に入る道を辿(たど)ると、いつの間にか目的地を行き過ぎてしまいました。高良神社は谷を下った場所にあるようです。元来た道を府道20号まで戻って反対側から再挑戦しましたがやはり見つけられません。

困った私はiPhone 5を使ったネット検索をして、近くに寝屋川市の埋蔵文化財資料館があることをで見つけました。さっそく、その所在地へ向かうと、そこには寝屋川市役所東市民センターがありました。
 
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来訪者が居ないことタイミングにセンターの方へ資料館の場所を尋(たず)ねると、その方が気の毒そうな顔を見せながら、「今日は月一回の休館日です」と教えてくれました。そして案内された右手奥にはシャッターが下ろされた資料館がありました。

ここで尋(たず)ね方が間違っていたと気付いた私は「実は石の宝殿古墳へ行きたいのです」と伝えると、事務所に戻って市内地図を使ってルートを詳しく説明した上に、その地図をお土産(?)にとプレゼントしてくださいました。寝屋川公園にも古墳があることも教えていただきました。

市街地の地図があればもう迷うことはありません。狭い路地でどこまで進めるか分かりませんので、駐車できる場所に車を停めて(同後者を駐車係に残して)歩くことにしました。「ねや川 文化と歴史のみち」の案内標識には「石室殿コース」が表示されています。上部のキノコのようなものは「鉢かづき姫」のようです。
 
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極楽寺(ごくらくじ)の直ぐ先にある明光寺(みょうこうじ)には鉢かづき姫が案内看板を持って立っていました。明光寺十三仏板碑(じゅうさんぶついたび)と首なし地蔵の説明が書かれています。その奥には雷神石(らいじんせき)の石柱も立っています。後で知りましたが、境内にある雷神石は古墳の家型石棺(いえがたせっかん)を利用して弘治三年(1557年)に造られたものだそうです。
 
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高良神社に到着しました。明治時代初期に地元の地名を付けて打上(うちあげ)神社と呼ばれるようになったそうですが石柱に刻(きざ)まれた名前は以前のままです。寝屋川市には秦(はた)一族(朝鮮半島からの渡来人)に因(ちな)む地名が多いそうですが、高良は高麗(こうらい)が訛(なま)ったものだとする説があるようです。
 
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参道を進んだ場所にある国史跡石宝殿古墳の案内板には、(古墳時代)後期の古墳で、底石は長さ約3m・幅1.5m、蓋石は長さ約3m・幅3.3m・高さ1.5mの巨大な花崗岩(かこうがん)をくりぬいて墓室としていることと葬者(被葬者のことか?)はこのあたりに勢威(せいい)をもった豪族と思われることが書かれていました。古い石柱に「石ノ宝殿」の名が読み取れます。急な坂道を50mほど上りました。
 
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一段高い場所は開けていました。7世紀中頃の築造と考えられている「石の宝殿古墳」は国の史跡に指定されています。
 
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説明にあったように主体部の横口式石槨(せっかく)は2つの石を組み合わせて構成されています。
 
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石槨の内部を覗(のぞ)くと、かなり狭い印象ですが、その迫力は奈良県明日香村にある石舞台古墳を想起させます。
 
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右前方からの外観です。左側が羨道(せんどう)部、右側が石槨部です。
 
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右後方から見た様子
 
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左側の様子
 
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府道20号(東高野街道)に出て、変則的な交差点を寝屋川公園方面に向かうと、JR学研都市線(正式名称は片町線)の西側に広大な寝屋川公園が見えました。公園内にあるという古墳にも立ち寄りたいところですが、午前11時半になっていますから、次の目的地へ向うことにしました。
 
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第2京阪道路の下を潜(くぐ)って府道18号から国道170号(外環状線)に入りました。石津元町交差点を直進、府道19号の淀川新橋で淀川を渡り、高槻(たかつき)市南端部をかすめて茨木(いばらき)市に入れば200m程で次の目的地に到着。天然温泉「鳥飼(とりかい)の里温泉」ですが、併設されるお好み焼きと鉄板焼き「新撰組(しんせんぐみ)」の看板が目立ちます。
 
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ちょうど正午になりましたが昼食の前に温泉を楽しむことにしました。平日の大人は入浴料が580円とリーズナブル(手頃で納得できる価格)です。
 
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脱衣場は平凡ですが清潔感があります。
 
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内風呂は気泡湯、電気風呂、ボディーストロング(マッサージ効果がある)、寝湯、エステ湯(ジェットバス)、水風呂がコンパクトに配置され、さらにサウナは高温・低温・冷凍(-10度)の3種類がありました。高温サウナはかなり熱く、冷凍サウナに長居は禁物(きんもつ)でした。露天風呂エリアは33.3度の源泉をそのまま使う信楽(しがらき)焼きの壺湯(2箇所)と檜(ひのき)風呂、加熱された岩風呂(せせらぎ湯)・歩行浴・イオウ岩塩の湯がゆったりレイアウトされています。加温と非加温の湯を交互に楽しみました。すべての風呂で使われているのは地下980mから毎分630ℓも湧(わ)き出す弱アルカリ性の単純温泉だそうです。

受付で渡されたプラスッチク製の器具は内風呂から露天風呂へ出るドアの鍵あるいは把手(とって)と呼ぶべきものでした。
 
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入浴後にはロビーの奥にある新撰組で昼食です。私は大阪らしいホルモン焼きうどん(630円)に挑戦することにしました。
 
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同行者はピリ辛(から)チゲラーメン(680円)が気になったようです。
 
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オチビちゃんとコチビちゃんのお母さんは豚・イカ・海老玉のお好み焼き(500円)を選び、大阪ではお好み焼きを店側が焼いてくれることが多いため何気なく通常のテーブル席に座って待ちました。しかしお好み焼きは自分たちで焼く仕組みであることを知り、やおらお好み焼き台のある座敷席へ移動することに。
 
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「上手(うま)く焼けるかな?」と言うお母さんの手元を心配しながら見ていましたが、美味(おい)しそうに焼きあがりました。
 
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私が挑戦したホルモン焼きは歯応えがあり過ぎて苦労しましたが、いずれのメニューも期待以上の美味しさです。鳥飼の里温泉の湯と新撰組での昼食に満足した私は、忘れ物をするという失敗を仕出かしたため、電話で確認した上で引き取りに行く羽目(はめ)に! 朝の出だしから最後まで苦労の多い日でした。

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2013年2月 6日 (水)

サプライズ!

オチビちゃんとコチビちゃんの両親が私と同行者をイタリアンレストランでの昼食に誘ってくれました。イタリア料理が私の好物であることを知っているのでしょう。もちろん、喜んでその申し出を受けました。場所はつい2日前に訪れたばかりの山手幹線(京都府道284号)沿いで、しかも八幡洞ヶ峠交差点から約1.5kmの距離です。

山手幹線沿いのエリアは最近開発された場所で、洒落(しゃれ)た戸建住宅・ショップ・レストランが道路沿いに並んでいます。1年余り前にはアメリカのコストコ(正式名称はコストコホールセール)がこのエリアに出店したことでアメリカの地方都市と似た雰囲気が感じられる魅力に溢(あふ)れたエリアです。

唯一の難点を挙げれば、朝夕に発生する渋滞です。その理由は信号機が多い(脇道から合流する車がある)ことが挙(あ)げられるでしょう。ちなみに、この山手幹線は八幡市の八幡洞ヶ峠交差点と木津川市(現在は京田辺市三山木地区まで開通)を結ぶ府道(都市計画道路)で、第2京阪道路および京奈和道路と交差し、JR学研都市線の松井山手駅や大住駅へのアクセスが良い主要道路です。

沿線には前回の記事で紹介した摂南大学、隣接する大阪工業大学、京田辺市多々羅都谷(たたらみやこだに)に同志社大学と同志社女子大学の京田辺キャンパスがあり、枚方CC・田辺CC・大住ゴルフガーデンなどの娯楽施設も存在しています。

例によって前置きが長くなりました。さて、そのレストランの名前は「Luce Santluciaルーチェサンタルチア)」の松井山手店です。阪神エリアで人気のイタリアンレストラン「ドルチェモスカート」の8店舗目となる姉妹店として5年前にオープンしたようです。ほぼ一杯になった駐車場から向った建物は南欧風の設(しつら)えで、人気が高いため予約が必要なのだそうです。
 
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天井が高い店内に入るとブルーのタイルで装飾された大きな窯(かま)が目に入りました。落ち着いた雰囲気の客席も紹介したかったのですが、テービル席がすべて満席ですから写真を撮影することを控(ひか)えました。
 
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セットメニューではなく複数の単品料理を6人でシェアすることになり、私は好きなカルボナーラを避けて「タコとイカのシーフードパスタ(トマトソース系)」を、同行者は「タラコパスタ」を選びました。前者は大人向きのガーリックとオリーブオイル味ですから子供には向きませんが、後者は明太子が好きな子供たち2人に大人気です。
 
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オチビちゃんとコチビちゃんはこの店で一番人気と言われるマルゲリータ・ピッツアと好きな飲み物の写真をメニューで指差しました。大きな窯(約500度の高温)で焼かれたピッツアは外側がカリカリ、内側がモチモチで、コルニチョーネと呼ばれる耳の部分は歯応(はごた)えを感じるほど。
 
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この店の売りのひとつであるフランスパン(名前はバケッ塔、ピサの斜塔をイメージ、長さ約30cm)は、ビアマグに立てるのではなく、子供向けに小分けして貰(もら)ったようです。
 
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私の飲み物はアルコールではなくマンゴージュース
 
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食事が一段落したタイミングにオチビちゃんとコチビちゃんが突然歓声を上げました。大きなケーキがテーブルに運ばれて来たからです。2人が大好きなイチゴとブルーベリーで飾られたケーキ上には小さなカードとローソクが2本立てられていました。
 
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この日に誕生日を迎えた私のため2人の両親が企画してくれたサプライズで、前の週に誕生日を祝って貰ったばかりのコチビちゃんとの合同誕生会にもなっていました。カードに書かれたコチビちゃんの名前は掲載に当って処理してあります。ローソクに点火して全員で♪Happy Birthday to You♪を歌いましたが、この歌で誕生日を祝って貰うなんて、アメリカに居た20年以上前の数年間を除けば、ずっと無かったことです。本当にありがとう。
 
<同行者のコメント> これまで何度も前を通過して素敵な雰囲気のレストランだと思っていました。料理は期待通りに美味しかったです。誕生日おめでとう。

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2013年2月 5日 (火)

洞ヶ峠とラーメン一蘭(京都八幡店)

国道1号を利用して京都市と大阪市の間を移動する時に何度も通過した場所です。京都府(八幡市)と大阪府(枚方市)の境界にある洞ヶ峠(ほらがとうげ)は交差点の名前(案内標識)で認識していましたが、以前のブログ記事で紹介したように、『洞ヶ峠を決め込む』が日和見することを意味するようになったこの場所をこの目で確認して見たくなりました。写真は大阪府側から見た八幡洞ヶ峠交差点
 
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唐突な話ですが、高野街道(こうやかいどう)とはかつて京や大坂から高野山への参詣(さんけい)道として用いられた多くの街道の総称で、東高野街道(京が起点)、中高野街道(大阪市平野区が起点)、下高野街道(大阪市内が起点)、西高野街道(堺が起点)の4ルートがありました。狭義の高野街道はこれら4つの高野街道が合流する河内長野市と高野山を結ぶ街道であり、私も高野山へお礼参りした時には高野街道に沿う国道371号を利用しています。

洞ヶ峠を通る東高野街道は石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)がある京都府八幡(やわた)市の男山(おとこやま)麓(ふもと)にある八幡科手(やわたしなで)で京街道(大阪街道)と分かれて松花堂(しょうかどう)庭園脇を抜けて南下、枚方市高野道に入り、同市田口(国道1号の出屋敷交差点付近)方面へ向い、交野(かたの)市・寝屋川市・東大阪市・八尾市を経由して河内長野市に至っていたようです。

松花堂庭園を過ぎた東高野街道は右手に折れて枚方市高野道へ向うのですが、このエリアは綺麗に区画整理された住宅地になっていますから、私はそのまま直進して国道1号(京浜国道、枚方バイパス)の八幡南山交差点を横切り、さらに府道284号(山手幹線)を横断して摂南(せつなん)大学薬学部のキャンパスへ出ました。しかし尾根伝い(京都府と大阪府の境界)の小道は途切れており、残念ながら枚方市高野道を通る東高野街道へは行けません。
 
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念のため摂南大学キャンパス付近で洞ヶ峠の名前(案内看板など)を探しましたが見当たらないのです。ひょっとしたら、宅地開発や枚方バイパスの建設で洞ヶ峠はもう無くなってしまったのかも知れません。
 
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本来ならば、先ほどの住宅地まで戻って再挑戦すべきですが、すでに昼時を過ぎていますから、昼食にすることにしました。府道284号(山手幹線)で国道1号の八幡洞ヶ峠交差点に出て右折しました。
 
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この交差点のすぐ近くに真っ赤な看板が賑(にぎ)やな蝦茶(えびちゃ)色に塗られた建物が見えました。これが「一蘭(いちらん)」の京都八幡店です。「天然とんこつラーメン専門店」「元祖赤い秘伝のたれ発祥 昭和35年創業」「こだわりたい美味しさがある」「24H 年中無休」とキャッチコピーのオンパレードです。2012年4月26日に京都府内で2番目の店として開店したそうです。
 
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ラーメンの一蘭は福岡県福岡市に本社を置くラーメンチェーン店で、九州から関東地方へ進出したあとは愛知県と関西地方にも出店して、現在全国に約30店舗を展開しているようです。
 
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メニューはとんこつスープのラーメンだけですですが、食券は基本のラーメン(790円)とラーメン+替玉(950円)、半熟塩ゆでたまご(100円)、替え玉(160円)、半替え玉(100円)、ごはん(230円)、小ごはん(100円)、追加ネギ(4倍量)、チャーシュー(150円)、きくらげ(100円)などと多彩過ぎるため、面食(めんく)らってしまいました。
 
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このようなメニュー構成は讃岐うどんチェーン店のシステムと似ていますが、一蘭のさらにユニークな点は味の濃さ・こってり度・にんにく・ねぎ・チャーシュー・秘伝のたれ・麺のかたさを入店時に手渡された用紙で選択する必要があることです。
 
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初体験の私は無難な選択にしましたが、記入し終わると同時に同行者が叫(さけ)びました。「全部同じだわ!」と。似たものカップルと言うべきか、ラーメンの食べ歩きで味覚の好みが似てきたのか・・。単純計算をすると9000分の1の確率になります。まあ、偶然の一致ですが、同行者の喜ぶ顔を見ながら水を差すことはないと考えて、「本当だ。すごいね!」と言っておきました。これが大人の対応というものです。

カウンター席は隣との間に取り外しが可能な仕切り(パーティション)があり、前方には簾(すだれ)が半分下がっています。配膳されるとこの簾が下まで降ろされて、店員の顔を一切見ないでラーメンを食べられるのです。その上、カウンターの右上に呼び出しボタンがあり、替玉を追加したい時も無言で注文出来ることは驚きです。
 
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箸袋(はしぶくろ)でも追加注文が出来る徹底振り
 
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見た目にもはっきり分かる「とんこつラーメン」には唐辛子(とうがらし)ベースの秘伝のたれがトッピングされています。とんこつラーメンと言っても比較的あっさりした味のスープはとろみがあって細いストレート麺によく絡(から)み合います。そして赤い秘伝のたれの辛(から)さが全体の味を引き締める役割を果たしていて私好みのラーメンです。
 
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帰りがけに店の奥を覗(のぞ)くと、同じ様なカウンター席がもう2列並んでいました。
 
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駐車場のように空き席がディスプレイで確認できることも便利です。
 
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同行者はと振り返ると入口脇のショップで品定めをしていました。自宅でも一蘭のラーメンを味わうことが出来る麺とたれのセットです。問われるままに私は「釜だれとんこつ」(スープx3食、わた麺x6食)と「汁なしとんこつ(5食セット)」を薦(すす)めました。「天神西通り店限定」の文字に惹(ひ)かれたのです。
 
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ちなみに、わた麺とは生麺のような一蘭の麺のことでした。スープよりもわた麺の数が多いことは奇異でしたが、替玉あるいは大盛り用にするためと説明されています。
 
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一蘭のラーメンに大満足した私は洞ヶ峠探索の興味が薄れてしまい、その続きはまたの機会に譲(ゆず)ることにしました。お粗末(そまつ)の一件。
 
<同行者のコメント> 洞ヶ峠を見つけられなくて残念でしたね。でもラーメンがとても美味しくて、お土産を食べたオチビちゃんとコチビちゃんが喜んでくれたこともとてもうれしかったわ!

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2013年2月 1日 (金)

アイフォーン5を車載カメラとして活用する

昨年9月に発売されたアイフォーン5(iPhone 5)がわが家にも登場しました。これまでiPhone 4S(ソフトバンク)とガラケイ(NTTドコモ)の2台持ちをしていましたが、店頭で即日購入できるようになったタイミングにMNP(携帯番号のポータビリティ制度)を利用して後者をiPhone 5(ソフトバンク)へ切り替えたのです。これにともないiPhone 4Sは名実ともに同居者のものになりました。

2013_02010002 iPhone 5は機能的にみればiPhone 4Sとほぼ同じです。違う点は少し縦長(横幅は同じ)で薄くなり、重さが約20%軽くなったことで、かなり持ちやすくなりました。CPUA6チップに進化(高速化)し、通信回線として3Gはもちろん、最新のLTELong Term Evolition)も利用できますから、より高速のデータ転送が可能になったことが魅力です。そしてテザリング(モデム)機能があることもiPhone 5を選んだ理由のひとつです。購入直後にiPhone 4Sでも使っているELECOM社製の保護フィルム(スムースタッチ)を貼り付けました。

以上のようにiPhone 5は優れた製品と言えますが、気になる点もあります。まず、iPhone 3GiPhone 4Sを購入した時のようなワクワク感がないことです。確かに機能は改善されていますが、アップルらしい魅力が追加されていません。そしてドックコネクタ(Lightningコネクタ)がこれまでのものより大幅に小型化されて互換性がなくなりました。裏表の方向性がないことは便利ですが・・。枝葉ですが、裏面のデザイン(上下がベルト状に表と同じ艶ありで中央部は艶消し)であることと、耳にフィットし易いイヤフォン(イヤーパッド)の形状は気に入っています。

2013_01280033 そこでiPhone 5の私なりの活用法を考えました。それは車載カメラとしての利用で、もちろんiPhone 4Sにも応用できます。必要なものはiPhone 5(あるいはiPhone 4S)と車載フォルダー、そして専用のワイヤレスリモコンの3つ。車載ホルダーはiPhone 5/iPhone 4S用であればどんなものでも良いと思います。ただホールド部がiPhone5/iPhone 4Sのカメラ撮影を邪魔しない形状であることが必要です。私は量販店でたまたま目にしたオウルテック(Owltech)社の製品を選びました。

2013_01280067 ワイヤレスリモコンはLogitec(ロジテック)社製の「カメラリモコン」(1980円)を購入。もともとは集合写真や自分撮りをするためのiPhone4S/iPhone 5用リモコンですが、前方撮影・フラッシュ撮影・連写撮影・動画撮影など多彩な機能を持っています。App Storeからアプリの「カメリモ」をiPhone 5にダウンロードして起動、リモコンの横にある小さなボタンを押してiPhone 5とペアリング(約10mまでのワイヤレス接続が可能)すれば準備完了。あとはリモコンの全面にある大きなボタンを撮影したい時に押せば良いのです。ちなみにワイヤレスはBluetooth4.0規格を採用。

2013_01280035 フロントガラスの形状(傾斜)に応じてフォルダーの最適な設置場所を選ぶことがポイントです。そのためには実際走行しながらトライアル・アンド・エラー(試行錯誤)すると良いでしょう。もちろん運転の邪魔にならない場所にすることは必須です。私は左端に設置することにしてカメラの視界が最も良い場所を探りました。下部よりも上部がよさそうに思えましたが、傾斜したフロントガラスのためにボンネットが写り込むため、真ん中辺(あた)りがベストポジションでした。ただ同乗者からは目障(めざわ)りだとの苦情が出ており、次回は右端(運転席側)も試したいと思います。

試撮(ためしど)りした写真から抜粋(ばっすい)して、当ブログ記事でこれまで何度も紹介した大阪までのドライブコースを改めて紹介します。

Img_0018 空が明るくなるタイミングに合わせて朝食を摂(と)った新東名高速道路浜松SAの駐車場内で車載フォルダーを使ってiPhone 5をフロントガラスに設置しました。本線に入ると前方の山上に風力発電用施設が確認できました。ちなみに写真の下部にある丸い斑点(はんてん)はダッシュボードにある部品がフロントガラスに映り込んだものです。

Img_0020 トンネル内でも問題なく撮影できました。
 
 
 
 
 

Img_0022 浜松いなさJCTでいなさ連絡路に入ります。新東名高速道路が来年になって東海環状自動車道豊田東JCTまで延長されると、このルートを利用する必要が無くなります。   
 
 

Img_0024 三ケ日(みっかび)JCTで東名高速道路に入ります。
 
 
 
 
 

Img_0026 東名高速道路は中央分離帯と路肩のスペースが新東名高速道路よりも狭いことが分かります。
 
 
 
 

Img_0030 豊田JCTで入った伊勢湾岸自動車道は片側3車線でゆったりとしています。名古屋にも木場があることを今回はじめて知りました。 
 
 
 

Img_0031 水色に塗られた橋は名港東大橋
 
 
 
 
 

Img_0032 白い橋は名港中央大橋
 
 
 
 
 

Img_0033 赤い橋は名港西大橋
 
 
 
 
 

Img_0036 左手に見えるのはナガシマスパーランド(旧長島温泉)のジェットコースター(ホワイトサイクロンとスチールドラゴン) 
 
 
 

Img_0039 鈴鹿の山並みが近付きました。
 
 
 
 
 

Img_0041 四日市JKTで東名阪道に入ります。近い将来(2018年頃)には伊勢湾岸道が新名神高速道路と直接結ばれると、新東名高速道路・伊勢湾岸自動車道・新名神高速道路が実質的に直結されることになります。 
 
 

Img_0044 亀山JCTから新名神高速道路に入ると鈴鹿の山間部に分け入ります。前方に見えるは鈴鹿ンネル(下り3960m)です。 
 
 
 

Img_0046 鈴鹿トンネル内
 
 
 
 
 

Img_0047 新名神高速道路の開通済区間で唯一のSAである土山SAを通過 
 
 
 
 

Img_0048 前方に甲賀(こうか)市信楽町(しがらきちょう)の山並みが広がっています。 
 
 
 
 

Img_0049 甲南IC/PA
 
 
 
 
 

Img_0051 ユニークなデザインが目を惹(ひ)く近江大鳥橋(おうみおおどりばし) 
 
 
 
 

Img_0052 大津連絡路(草津田上IC-草津JCT間)を経て草津JCTで名神高速道路に入ります。
 
 
 
 

Img_0054 瀬田東JCTで京滋バイパスに反(そ)れれば20km弱で第2京阪道路に入りますから、ここで車載カメラによる撮影を打ち切ることにしました。 
 
 
 
 
<同行者のコメント> アイフォーン5を手に入れて良かったですね。でも専用の車載カメラを買った方が・・。ところで、道路の写真ばかり撮っていて楽しいですか?

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