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2013年2月24日 (日)

二つの高松城を巡る 讃岐高松城址(前編)

岡山駅の7番線プラットフォームへ移動するとほどなく高松駅発のマリンライナーが到着しました。列車名に「快速」が付いている理由は、運賃だけで乗れるのに、急行(あるいは準急)並みに停車駅が限られているためでしょう。前回の記事で紹介したように1号車(高松寄り)は2階建て展望車(上の階がグリーン車・下の階は普通車指定席)です。マリンライナー21号は午前10時23分に「瀬戸の花嫁」(1972年)のメロディに送られて発車しました。
 
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倉敷市の児島地区から瀬戸大橋を渡り始めました。最初の島は香川県坂出市の櫃石(ひついし)島(写真:櫃石漁港)で、風はありますが海は凪(な)いでいるようです。この方面(東方)へ30kmほど行くと映画「二十四の瞳(1954年)の舞台になった小豆島(しょうどしま)があり、その近くには「瀬戸の花嫁」の舞台だといわれる沖島も。学生時代に訪れた小豆島の寒霞渓(かんかけい)は今も覚えています。
 
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瀬戸内海の景色に見とれていると岡山駅を出てからわずか53分で高松駅に到着。駅構内(改札口脇)にある「連絡線うどん」は郷愁(きょうしゅう)を誘(さそ)う名前です。というのは学生時代(半世紀前)にはじめて高松を訪れた時は宇野港と高松港をむすぶ宇高(うこう)連絡船を利用したからです。店名看板の左右に連絡船の写真が掲載されていますが、年代からみて連絡船が廃止された1988年まで使われたこの4隻(せき)ではないと思われます。多分、その前に使われていた鉄道連絡船、鷲羽(わしゅう)丸・眉山(びざん)丸・初代讃岐(さぬき)丸のいずれかでしょう。まだ昼食には早いのですが、この店で讃岐(さぬき)うどんを食べることにしました。
 
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券売機で食券を買ったかけうどん(320円)はシンプルですが、太目のうどんに艶(つや)があって美味しそうです。
 
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私にしては珍しいことですが、出し汁をほとんど飲み切りました。ネギを少し残してご免(めん)なさい。
 
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改札口を出たコンコースからプラットフォームを振り返りました。もうすぐ快速マリンライナーが岡山方面へ引き返すようで、5000系の展望車が写っています。
 
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コンコース内にある抽象的なオブジェが気になりました。東京駅の「金の柱」「銀の柱」と同じ用途も兼ねているのかもしれません。後で調べると、世界的に活躍する彫刻家である流政之(ながれまさゆき)氏が向き合う人をモチーフで製作した作品「だいてんまい」で、その題名は『抱きしめてごらん』を意味する高松弁でした。ちなみに、その手前は広告看板ですが、奇妙な取り合わせだと思います。
 
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駅舎を出たところにある案内地図で確認しました。左手へ進めば学生時代に宇高連絡船(フェリー)で四国に到着した場所です。その宇高連絡船も1988年の瀬戸大橋開業にともない廃止されました。高松港の周辺は「サンポート」として再開発されて巨大な複合施設になっているようです。高松港の様子を見に行きたくもありましたが、あまりの強風にたまらず、目的地へ直行することにしました。
 
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高松駅から200m弱歩いて国道30号の横断歩道を渡ります。案内標識に表示された『玉藻(たまも)公園』の名前は高松城の別名に由来します。
 
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芝生の広場に不思議な形をしたオブジェ、『地表より一森』(井上麦 作)があります。巨大な植物の芽、あるいは動物の突き出た角のような作品は迫力があります。
 
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こちらは「森の王者」(坂本英之 作)
 
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西入口を入ります。入園料は大人200円(65歳以上無料)。左手の石垣は簾櫓(れんやぐら)跡です。
 
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案内看板には『高松城は別名玉藻城ともいい、天正15年(1687年)に豊臣秀吉から讃岐に封じられた生駒親正(いこまちかまさ)が翌年築城した全国にも珍しい水際城(一般には水城)の跡。寛永19年(1642年)に常陸国下館から松平頼重(水戸光圀の兄)が封ぜられて明治に至るまで松平家の居城であった』と説明されています。

真っ直ぐ伸びる遊歩道の右手が二の丸跡です。左前方の石垣は武櫓跡
 
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二の丸跡へ入ります。
 
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史跡に指定されている鞘橋(さやばし)へ出ました。二の丸と本丸を繋(つな)ぐ木製の桁橋(屋根付き)です。ちなみに寸法は、長さ31.04m、幅員3.55m。残念ながら天守閣の復元工事(天守台石垣解体修理工事)のため渡ることができないだけでなく、それに復元工事の完了予定期日も表示されていません。
 
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二の丸の端から見た内堀(うちぼり)に架(か)かる鞘橋と本丸および天守台の石垣
 
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本丸の右端にある矩(かねの)櫓跡の脇(わき)に駅のプラットフォームが見えます。
 
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二の丸の東端に続く石垣沿いに戻ります。
 
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水門の脇に出ました。海から濠(ほり)へ海水を引き込む設備のようです。
 
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反対側にも似た水門があります。内堀の前方は天守台の石垣です。現在は城域の大半が市街地化したため、当時の8分の1程度に狭くなったものの、内堀と中堀(一部)は当時の様子が残っているのだそうです。
 
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(続く)

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