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2013年3月13日 (水)

名古屋の古墳群探訪 鶴舞公園とその周辺の古墳(後編)

鶴舞(つるま)公園の一番奥(東端)にある竜ヶ池(たつがいけ)とそこに浮かぶ浮見堂(うきみどう)は静かな佇(たたず)まいです。3月下旬になれば染井吉野が華(はな)やかに彩(いろど)るのでしょう。
 
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「あじさいの散歩道」を横切って石碑脇から小路に入りました。鶴舞公園の南東角を切り取ったような鶴舞小学校に沿って続きます。
 
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椿(つばき)が咲く小路の先に最初の目的地があるようです。
 
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市道の向こう側に史跡「八幡山古墳(はちまんやまこふん)」の石碑が見えます。『御器所(ごきそ)台地に築かれた東海地方で最大(全国でも有数)の円墳。直径82m、高さ10m、濠(ほり)の幅は平均して約10m、周堤が市道と支店残っている。築造年代は5世紀中頃と推定される。この北方にある名古屋工業大学構内一本松古墳(前方後円墳)があり、吹上ホールのあたりにかけて築かれた一群の古墳の中心の古墳と考えられる』と説明されています。ちなみに御器所の地名は熱田神宮が祭礼に使う土器を制作していた場所であることが由来とされるようです。
 
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「八幡山古墳」の航空写真と周辺の地図
 
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周濠(しゅうごう)の様子
 
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立ち木が密集していますが、今は落葉しているため、円墳の形状が確認できます。
 
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桜の古木で縁取(ふちど)られた円形の周濠が続きます。
 
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当たり前のことですが、円墳はどの方角から見ても同じ形をしています。
 
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市道の歩道を200mほど北へ歩くと名古屋工業大学の正門前に出ました。この日は土曜日ですから構内に立ち入ることが出来るかどうか分かりませんが、何ごとにも臆(おく)することのない私は左手にある守衛所へ向いました。
 
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「古墳を見せてもらいたい」と申し出ると、守衛さんは「どうぞ、どうぞ」と拍子抜(ひょうしぬ)けするほどの気楽さで許可してくれました。記帳など無粋(ぶすい)なことを求められなかったのは私の人相風体(にんそうふうてい)によるのだろうと思いながら構内へ入ると、国立大学とは思えないポップな色使いの校舎が正面に聳(そび)えています。手前の円形歩道橋はニュートンリング(光の干渉縞)と呼ばれるそうです。今は大学入試(物理)に出題される問題のようですが、私の高校時代の教科書には・・。
 
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教えられた通りにクランク型のコースを辿(たど)りました。自転車が多いキャンパスです。行き当たった所にある案内図で左手奥に古墳があることをしっかり確認。
 
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白い椅子が何脚も置かれた公園のような場所に古墳がありました。『一本松(いっぽんまつ)古墳は標高15mの台地上に営まれた古墳で、5世紀後半に三段築成され、全長70-80m、南西に前方部を置く前方後円墳であったともいわれているが、現在では直径34m、高さ8mの円墳状である。周囲を整備した際に多数出土した円筒埴輪(えんとうはにわ)は同大付属図書館と名古屋市博物館に保管されている』と正面の看板に説明されています。
 
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左手に回り込むと古墳の上部に石垣のようなものが確認できました。これが三段築成の名残でしょうか。
 
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反対側まで移動すると円墳状とはいってもかなり歪(いびつ)な形をしています。
 
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一周する少し手前に石段がありました。上れるようです。
 
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迷わずその石段を登ると頂上が近付きました。
 
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期待とは裏腹に頂上部は何もない場所でした。後で知りましたが、この古墳に登った学生は単位を落とすとの迷信があるそうです。この古墳が少しも荒れていないのはそれが理由なのかもしれません。知恵者が流した都市伝説なのでしょう。
 
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階段脇にある石柱に『一本松・・・』と刻(きざ)まれているようですが、表面がかなり風化しているため読めません。石柱の裏側には『昭和十三年三月』とあるようです。大学構内も見て回りたくなりましたが、挙動不審(きょどうふしん)を咎(とが)められるといけませんから、元来た道をそのまま引き返し、守衛さんにお礼を言って正門を出ました。
 
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名工大前交差点を渡った北東の入口から鶴舞公園へ戻りました。入口に近い場所にある「秋の池」の畔(ほとり)にはハゼノキやモミジなどが多く、秋には紅葉が美しいそうです。
 
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鶴舞公園は「さくら名所100選」の地でした。
 
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当ブログは「さくら名所100選」から、会津若松市鶴ヶ城公園・栃木市太平山県立自然公園・前橋市赤城南面千本桜・埼玉県長瀞(ながとろ)上野恩賜公園井の頭恩賜公園・横浜市三ツ池公園小諸城址懐古園・伊東市桜の里・京都市嵐山・同醍醐寺笠置山自然公園・大阪市造幣局大阪城公園奈良公園を紹介しています。
 
楽器の音に誘われて公会堂に立ち寄ると小学校バンド演奏会が開催されていました。記念撮影をする風景を無断で撮影させてもらいました。半世紀前に中学校で音楽部(器楽部)の部長をしていた時のことを懐(なつ)かしく思い出します。
 
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茶臼山(ちゃうすやま)古墳があったという近くの吹上ホール(吹上公園)へも足を伸ばしたいところですが、現在は古墳の面影(おもかげ)がまったく無いそうですから、次の目的地へ移動することにしました。
 

余談です。吹上(ふきあげ)とは変わった地名だと思い調べると、古代には伊勢湾がこの近くまで迫っていて、海風で砂がこの辺りまで吹き上げられたことが由来だとする説があるようです。(熱田編に続く)

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コメント

ご指摘をありがとうございます。投稿して6年経過するまで貴コメントを見過ごしていて失礼しました。遅まきながら訂正致しました。

投稿: ブログ管理者 | 2019年4月28日 (日) 10時23分

鶴間公園ではなく鶴舞公園です。読み方は「つるま」ですが。(名古屋市の公示による)

投稿: | 2019年4月27日 (土) 14時21分

八幡山古墳は「はちまんやまこふん」です。こんな昔から書いてあるものがいまだそのままになっているのにびっくり。地図上で真南にあたる御器所八幡宮の奥宮がかつてあったことからはちまんやまです。

投稿: | 2019年4月27日 (土) 14時19分

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