百田尚樹著「風の中のマリア」を読む
2009年3月3日に講談社から発行された本書(約250頁)は先に読んだ「錨を上げよ」(約1200頁)に比べるとコンパクトな長編小説(中編小説)です。題名が似ている人気アニメ「風の谷のナウシカ」のような主人公を思い浮かべながら、森の中をうねって流れる川が描かれたハードカバー本の表紙を捲(めく)りました。見返しには森の地図がモノトーンで簡潔に表示されています。
本文に入ると主人公のマリアは人間ではなくオオスズメバチのワーカー(働き蜂)であることが最初のシーンで説明されました。ちなみに、オオスズメバチ(ヴェスパ・マンダリニア)は日本に生息するハチ類の中で最も強力な毒を持つ上に攻撃性が非常に高く、最強の戦闘能力、つまり巨大な顎(あご)・堅(かた)い牙(きば)・何度でも刺すことができる鋭い針を備(そな)えた蜂です。蜂が主人公と言えば、40年前にヒットしたメルヘンTVアニメ『昆虫物語 みなしごハッチ』(通称;ミツバチハッチ)を連想されるかも知れませんが、百田尚樹さんの小説ですから蜂の世界が極めてリアルに描かれていました。
第一部 帝国の娘
疾風(しっぷう)のマリア
物語は狩に出たマリアが、アシナガバチ(足長蜂)を捕獲(ほかく)して、その肉を巣で待つ幼虫のために持ち帰るシーンから始まる。成虫になったオオスズメバチは肉などの固形物を食べられなくなり、樹液や花蜜(かみつ)が食物の代わりとなるが、最高の栄養源は幼虫が出す唾液(だえき)なのだ。巣の構造もマリアによって詳しく紹介される。
再び狩に出かけたマリアはイナゴを見つけ、大格闘の末にイナゴを仕留めて大きな肉団子に丸めると、それをくわえて舞い上がった。今日二匹目の獲物だ。
生まれながらの戦士
狩に出て4日目のマリアはその日も多くの虫を狩った。アシナガバチ、イナゴ、コガネムシ、アオドウガネが計5頭と大収穫である。6回目の狩りに出かけたマリアはカマドウマ(バッタの一種)を捕獲して肉団子にしたが、強い風と雨を避けるために入ったハンノキの洞(ほら)でミドリシジミ(小さなチョウ)のオスと出会う。自分のような小さなチョウは襲われないことを知っている彼は美しい翅(羽根)をマリアに見せながら「ぼくたちが恋をするのは子孫を残すためです」という。そして、洞の中で嬉(うれ)しそうに飛んだ彼は運の悪いことにクモの巣にひっかかってゴミグモに体液を吸われてしまう。
夜が明けると風雨が止んでいたのでその洞から巣に戻ったマリアは未帰還者が26頭もいることを知る。しかし、羽化(うか)した成虫が28頭もいて帝国は維持されていくのだともアリアは思った。その日も狩に出たマリアは午後に入って狩りのペースが落ちた。体力を消耗したマリアは栄養を摂るため自分たちの帝国が占拠している樹液場がある雑木林に入る。体力を会回復したマリアは丘陵地に入ってアシダカグモを見つけ、小さなベッコウバチが先に狙っていたが、マリアはまんまとそれを横取りする。巣に戻ったマリアに2日前に羽化したクララから「私たちはどうして子供が産めないの」と聞かれた。働き蜂はすべてメスだが一生オスと交尾することはないし、卵を産むこともない。
初めての飛翔(ひしょう)
マリアは羽化した翌日に会った「偉大なる母」アストリッドの言葉に深く感動して終世の忠誠を心の中で誓ったことを回想する。そして飛行訓練が始まった。その日から6日が経って遠い記憶になりつつあった。オオスズメバチのワーカーは最初の1週間で約3分の1が死に、2週間で約半分が姿を消す。3週間生き延びるのは1割もいない。最長に生きても30日余りだ。
秋の深まりとともにワーカーの数が急速に増えて巣作りのスピードが加速し、女王の産卵のペースも上がった。ある日マリアは巣盤で出会った女王アストリッドから、食糧が足りないのはマリアたちの働きが足りないからだと厳しく叱責(しっせき)された。狩に出たマリアが灌木(かんぼく)で翅を休めているとクロヤマアリが「あたしたちアリもあんたたちスズメバチも巣全体で一つの生き物なんだよ。女王バチは卵巣で、ワーカーは手足だ」と声を掛けてきた。
オニヤンマとの激闘でエネルギーを消耗したマリアはクヌギの樹液を求めて雑木林に入ると仲間でない一頭のオオスズメバチがいた。相手は戦う意思を見せず、「樹液がほしいのだったら飲めばいい」とマリアに言う。相手は「ぼくはルーネの息子、ヴェーヴァルトだ。自分の母は偉大な母が亡くなって女王バチになった元ワーカーだ。しかしオスバチと交尾していないから誕生するのはすべてオスバチで、偉大な母が産む新しい女王バチと交尾する。ワーカーの卵巣は偉大なる母が出すフェロモンによって発達しないように抑制されている」と説明すろ。
女王の物語
巣ではこれまでより大きめの育房室が作られ始めた。新しい女王が誕生する準備だ。そしてマリアは偉大なる母のアストリッドから帝国の物語を聞く。アストリッドはワーカーたちとの戦いに生き延びたオスのフリートムントとの交尾したことと、大きな山を三つと大きな川を二つ越えて新しい帝国を創り始めたこと、巣を造る穴をめぐって同じヴェスパ・マンダリアの女王バチ3頭と争ったこと、その穴に作った育房室に卵を産んだこと、巣作りと次々に誕生した娘たちの餌(えさ)を狩るために苦労したことなど。そしてその帝国はいよいよ最後の時を迎えようとしていることをアストリッドは告げた。
第二部 帝国の栄光
襲撃
虫たちは森や野から急速に姿を消しつつあった。今や帝国はピークを迎え、ワーカーは300頭に迫ろうとしていた。ベテランの部類になったマリアにしても寒くなって虫たちが減ったため狩の成果は日毎に落ちて行く。マリアは西の灌木(かんぼく)の丘で草の茎にとまっている一組のオンブバッタを噛み殺す。そのメスは恨(うら)みのこもった目で睨(にら)み付けながら「戦いしかしらない冷酷なメス。一生、恋も知らないで、死んでいく哀れなメス」と言ってこと切れた。
偉大なる母アストリッドはワーカーたちへこれまで以上に大量のエサを集めることを命じた。育房室にいる妹たちに大量のエサを与えることによって女王に育てるためだ。マリアの姉であるドロテアは「今後は狩を集団でやる」とマリアに向って言った。翌朝、マリアは夜明けとともに東の草原を抜け、東の尾根の頂を越えて養蜂場に到着。ミツバチの抵抗を難なく排除したマリアが巣の入り口にエサ場フェロモンを塗りつけると仲間が次々と応援に駆け付けた。
襲撃から2時間が経つとミツバチの反撃はほとんどなくなった。わずか10頭のオオスズメバチが3万を超えるミツバチを虐殺(ぎゃくさつ)したのだ。巣の奥にマリアが進むと大勢のワーカーに囲まれた女王バチがいた。「恥を知りなさい!この悪辣(あくらつ)な略奪者たち!」という女王バチの胴体を遅れて来たドロテアが真っ二つに引き裂いた。
見えない敵
翌日、同じ養蜂場へ行くと巣箱はすべてなくなっていた。人間たちがどこかに持ち去ったのだ。マリアは姉のドロテアと共に北の森のケヤキの洞(ほら)に巣作りするミツバチの巣を目指して飛んだ。巣にいる小さなニホンミツバチの集団は抵抗しなかったが、ミツバチの塊(かたまり、蜂球)は巨大な泥のように不気味に動いて、それに向かったドロテアを包み込む。「翅を振るわせて体温を上げると蜂球(ほうきゅう)の中は摂氏48度にもなって熱死させるのだ」とカメムシが教える。この時期、アストリッドの戦士たちはその他にも多方面作戦を展開して、野山を蹂躙(じゅうりん)していた。
そんなある日、ワーカーの繭(まゆ)の4つに異変が起こった。エゾカギバラバチという寄生虫がイモムシの肉団子を経由して幼虫の体内に浸入したのだ。ワーカーたちの活躍により、アストリッドの帝国の新しい女王バチとなる幼虫たちはどんどん大きくなっていった。クロスズメバチの巣から大量の幼虫とサナギを略取して巣に帰還したマリアは戦いの報告をするためにアストリッドの前に出ると、女王は「あなたは帝国のために本当によく働きました。あなたは私の誇りです。いえ帝国の誇りです」とはじめて労(ねぎら)いの言葉を掛けた。
宿命
ワーカーの死亡数は以前よりはるかに増えていたが、ワーカーの幼虫がそれを上回って羽化したことで、帝国は最大規模の大きさを迎えていた。マリアは妹のロッテから幼虫のなかにオスがかなり混じっていることを知らされる。アストリッドが偉大なる父フリートムントのゲノムを受け継がないオスを生んでいることを意味した。そしてロッテが小さな声で「やるべきことはただ一つ、偉大なる母を殺すこと」と囁(ささや)いて、若い妹たちを引き連れて女王バチのいる巣盤に向かった。マリアもその後を追う。ワーカーの群れは数十頭にふくれあがっていた。
アストリッドはロッテたちを見ても驚かなかった。「あなたがたが何をしにきたのか、わかっています。さあ、あなたたちの務めをはたしなさい!」と言うと、女王の世話係をしているクリスティーンが真っ先にアストリッドに飛びついた。そして他のワーカーたちが続いた・・。「フリームント」とかすかな声で呟(つぶや)いてアストリッドは死んだ。今ここにアストリッドの帝国の女王は消えた。マリアはこの帝国がどうなるのかと思ったが、まだなすことが残っていると思い直した。それは巣の中にいる幼虫たちを未来に向けてはばたく女王バチとオスバチとして送り出すことだ。
死闘
女王バチの存在がなくなった後も、帝国は無政府状態にはならなかった。マリアたちはそれまでと同様に各自のなすべき仕事をこなしていたからだ。しかし一部で変化が訪れていた。若いワーカーの幾頭かが卵巣を発達させ、産卵に向けて体を変化させていたことだ。アストリッドが死んだ2日後にフローラなどが女王フェロモンを出し始めて疑似女王になったことをマリアはロッテから聞く。フローラたちが産むオスには父のゲノムが入った子が半分いるのだ。
新しい育房室で育つ500頭の妹や弟たちはどんどん大きくなって、エサが足りなくなったため、マリアはもう一度、東の尾根を越えて1000頭を超える小型のキイロスズメバチ(ヴェスパ・シミリマ)を遠征(えんせい)できる約100頭で(ねら)狙うことにした。夜明けとともに巣を飛び立ったマリアたちとキイロスズメバチとの一進一退の戦いが続く間に、自らの中に衝動が湧き起るのを感じたマリアは殺戮(さつりく)目的の攻撃へと豹変(ひょうへん)していた。しかし日没が近づいたため一旦撤退。
翌朝、大幅に減少した勢力で出撃したマリアたちが前日と同様の激戦を始めると、昼前には向かってくるキイロスズメバチの数がめっきり減って戦線は巣の周辺のみになった。マリアたちは巣穴を守る戦士たちを次々と噛み殺して巣の中に侵入。女王バチが娘たちの助命を嘆願するも聞き入れられず息絶えた。一方、マリアたちも帝国の8割近い戦力が失われ、マリア自身も自分の命が長くないことを悟(さと)る。
旅立ち
幼虫たちが毎日与えられる大量の食糧で急成長する一方で帝国は戦力面で弱体化していた。寒さが近づくと新女王バチよりも早く新しいオスバチたちが羽化して巣立ちの時を迎えた。これは近親婚を避けるためだ。マリア自身も羽化して30日を越えた。北の森に狩りに出掛けたマリアはセイヨウミツバチにハチミツを奪われて飢え死にしたニホンミツバチの死体を見る。ドロテアを熱殺した小さな戦士たちの死骸(しがい)の山の中にマリアは自分たちの運命を見たような気がした。
しかし、マリアは希望があると思った。帝国を旅立っていったオスバチと、これから旅立とうとする新しい女王バチは、未来を担っているのだ。そして新しい女王バチが次々と羽化して200頭を超え、やがて秋の深まる晴れた朝、第1陣の巣立ちの時を迎えた。朝の冷たい朝霧の中、頭上ではすでに多くのオスバチたちが飛来していた。弱いオスを妹たちに触れさせないことが最後の仕事であり、生涯の最後の戦いだと思ったマリアは空から「妹たちが欲しければ、私を倒しなさい!私はアストリッドの娘、疾風(しっぷう)のマリアよ」と叫(さけ)んだ。
何頭かのオスを倒したあとマリアは新女王バチを追う2頭のオスを見た。まず一頭を噛み殺すが、もう一頭は激しく抵抗してマリアの触角を噛み切る。そのオスから母の名前を聞いたマリアは追いかけることを止めた。ヴェーヴァルトと同じゲノムを持っているかもしれないと思ったからだ。新女王バチは傷だらけのオスバチを胸に抱き、やがて交尾が終わるとそのオスバチは死ぬ。新女王バチは「さよなら、マリア姉さん」と言ってはるか北の空に向けて飛び去った。マリアはわずかに残った力で翅を振るわせて空中に舞い上がった。そしてヴェーヴァルトとお互いの触角を触れ合わせた瞬間に体が震えたのは神様が与えてくれた恋の喜びだったのかもしれないと思い、さらに高く飛ぼうとした時に突然、光が消えて自分の体がゆっくり落下しているのが分かった。
そしてエピローグで後日談(ごじつだん)が簡単に紹介される。
[読後感] スズメバチの生態を忠実にドラマ化した戦士マリアの生涯(しょうがい)は、「みなしごハッチ」とはまったく異次元のものであり、戦闘シーンの描写に衝撃(しょうげき)を受ける読者もあるかも知れません。しかし、最終節の「旅立ち」と「エピローグ」では、それまでに詳説(しょうせつ)された「種の保存」の合理的な知恵(DNA情報)だけではなく、世代を跨(また)いだ生命の大きな流れとして捉(とら)えたこと、さらにはマリアが出会った瞬間に恋したヴェーヴァルトとマリア自身のDNAが間接的にではあっても次の世代に受け継がれたことを百田氏が暗示したことで、穏(おだ)やかな感動が私の心の中を吹き抜けたように感じられました。
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コメント
ブログを見て面白かったのでコメントさせて頂きました(^ω^)
もしよかったら自分のブログも見てくださったら嬉しいです★
http://blog.livedoor.jp/daisukedkc/
ちなみに料理レシピのブログです!!
これからちょくちょく拝見させて頂きます★
よろしくお願いします(^ω^)
投稿: | 2013年7月 3日 (水) 23時49分