池尻大橋を散策 そして西郷山公園へ
西郷山公園の西側入口に到着しました。こちらの公園が西郷従道邸跡だと思っていましたが、実は西郷邸は菅刈公園から西郷山公園にかけての広大な敷地を有していたのです。
落差が約20mある人口滝には残念ながら水が流れ落ちていません。
公園の東側入口の直ぐ先にガウディが設計したカサ・ミラに雰囲気が似た建物が・・。
好奇心に抵抗できずに旧山手通りの西郷橋側へ回り込んでみるとゴジデザインハウス(アパレル企業・伊太利屋の企画製造部門)でした。
西郷山公園内に戻ると、高台の中心部に公園の由来が説明されていました。
その脇には鹿児島県伊集院町(いじゅういんちょう、平成の合併により現在は日置市)から寄贈された「いすの木」がありました。
珍しい名前に興味をもって調べると、マンサク科の常緑高木である「いすの木」は蚊母樹あるいは柞と表記され、材が堅(かた)くて重いことから柱・机・櫛(くし)などに用いられるそうです。伊集院町には昔から「いすの木」が多く、「いすの木」で作られた倉(院)「いすいん」があったことから、「いじゅういん」と呼ばれるようになったことも知りました。私が当て推量した「椅子(いす)の木」ではなかったことは残念! ちなみに西郷従道の兄、西郷隆盛は伊集院家から妻を迎えていますが、伊集院町から「いすの木」が寄贈されたのは「鹿児島つながり」だけのようです。
地面にある表示によれば富士山・目黒川・丹沢山はこの方向にあるようです。
西郷山公園を出て目黒川の千歳橋(ちとせばし)まで歩きました。
上流方向を一枚撮影
「目黒川お花見会」の立て看板がある3階建ての立派な桟敷席で花見が夜半まで催(もよお)されるのでしょう。
(続く)
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コメント
伊集院町に生まれ育ちました。
思わず釘付けになり、心がほんのり、泣いてしまいました。
ある文献を抜粋、引用、添付します。
西郷隆盛の血統は「ユタノン家」、「ユタモノ家」といわれ、ユタの頭領格の家系である。西郷家は菊池の降将西郷九郎秀範が鹿児島伊集院に移り住んだのが始祖である。
天文一一年(一五四二)種子島に鉄砲が伝来した際、ユタ衆頭領・岩屋梓梁は買い入れた鉄砲二丁のうち一丁を伊集院に持ち帰った。同地に五千人の人々を動員し水車動力を利用した鉄砲製造基地を建設した。その生産責任者が西郷正勝だった。
天文一九年、島津貴久が鉄砲火力の力により伊集院城から鹿児島城に進出したとき、伊集院の鉄砲製造鍛冶屋衆の優秀者を鹿児島城下甲突川畔の鍛冶屋郷(合計二百家)に移住させてから、鹿児島に西郷家が根付いた。
本来西郷家は日置伊集院家の祭祀を掌る役割だったが、さらに火を使う鍛冶を業とするに及んで一種の霊能力者、易断党と見られるようになった。
西郷隆盛の本妻は伊集院須賀夫人。
子爵の伊集院兼寛の姉が伊集院須賀夫人。島津斉彬が上級貴族の伊集院須賀夫人を紹介。伊集院須賀夫人は目を見張るほどの美貌で美人だった。伊集院との深い関係と、西郷隆盛が伊集院夫人に一目惚れし、毎日口説いた、とある。
伊集院家は皇室一門の日本最高歌人の【紀貫之】の血筋。1度途絶え、島津家がお公家の伊集院姓を名乗り復活。又、豊臣秀吉の家臣の伊集院忠棟や徳川家康が調停した「庄内の乱」の伊集院忠真などの歴史がある。
この史実をモデルにしたのが漫画が【はいからさんが通る】で、伊集院少尉は白亜の大屋敷に住むイケメン。父親は薩摩藩士の伊集院伯爵。伊集院家は美人で大金持ちのイメージが定着していく。
東京にも、イスの木々が植えられて、感動しました❤何か伊集院家と関係ないのに、私の街、伊集院の分身が生きている感じがして、感銘しました♪
いつか、東京の西郷山公園のイスの樹も、
見てみたいですね★
投稿: 伊集院忠真 | 2016年9月12日 (月) 18時17分