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2013年4月12日 (金)

百田尚樹著「錨を上げよ」を読む

本年度の「本屋大賞」を百田(ひゃくた)尚樹さんの最新作「海賊とよばれた男」が受賞したことを知ったのは百田さんの長編小説「錨(いかり)を上げよ」(2010年11月講談社発行)の上巻をちょうど読み終えた3日前の4月9日でした。「錨を上げよ」の題名に惹(ひ)かれて二部構成の本(上下巻計約1200頁)を手に取った時は百科事典のような分厚(ぶあつ)さに圧倒されました。同じモチーフ(創作の動機となる思想)で2作目を書かない主義の百田さんの作品ですから、内容はまったく見当がつきません。当ブログは読んだ順に「RING」(2010年)、「永遠の0(ぜろ)」(2006年)、「Box!」(2008年)、そして「影法師」(2010年)を紹介しています。

表紙には水面に漂(ただよう)う丸太が一本描(えが)いてあることから海の物語かもしれないと考えながら表紙を捲(めく)った上巻の目次には第一章から第三章まで章題が並んでいました。今回の記事はこれまで以上に長くなりましたから、下巻(第4章以降)だけをお読みいただいても本書の魅力が伝わると思います。

                         ☆

第一章 進水

終戦間もない大阪で生まれた少年の回想で始まる。主人公の作田又三(さくたまたぞう)が昭和30年に大阪市東淀川区(淀川の北部エリア)で生まれ、後に同志社大学法学部を中退して放送作家になる経歴は作者自身とほぼ同じだが、本書は決して自叙伝(じじょでん)小説ではない。当時の時代模様(もよう)や大阪の街の様子、家族や親族のこと、そして時代がかった主人公の名前の由来などが作者らしい精緻(せいち)な文体で詳(くわ)しく紹介さる。(私のように近い世代には懐かしい記述である)

小学校時代の又三は、一年生の時から勉強に興味がなく、教師を苛立(いらだ)たせるやんちゃ(いたずら好き)で喧嘩(けんか)に明け暮(く)れる日々、近所に住むユニークな大人との係(かか)わり、出来の良い2人の弟たち、竜之介(りゅうのすけ)・剣之助(けんのすけ)との対比が描かれる。中学に入ってもこの状況はエスカレートするばかりで不良少年のレッテルを貼(は)られた。中学を卒業すると同時に就職する生徒がいる中、主人公は創立間もない府立南方(みなみがた)商業高校に最低点でやっと合格する。文部省のモデル校(実はモルモット校)にはなぜか体育科があり、商業科生徒と体育科生徒の間の対立が詳しく描かれる。

生徒会と応援団を牛耳(ぎゅうじ)る体育科生徒との確執(かくしつ)、ゴルフ場でのアルバイトで手に入れた中古の単車(オートバイ)を乗り回した時の警察官や暴走族とのトラブル、夏休みに行った長野県へのツーリング(遠出)では予想もしない単車盗難や様々なトラブルに巻き込まれて東京まで逃げるはめに。東京に着いて間もなく所持金を盗まれて困っている時に声を掛けてきたヤクザ(借金取立屋)にその手伝いをさせられる。一般人相手の取立てだけでは工場のスト破りの助っ人にも駆りだされたが、労働者たちの反撃に遭(あ)って命からがら大阪まで逃げ戻る。

第二章 出航

単調な高校生活に戻った主人公は学生運動家になった中学時代の同級生と再会して彼が属する勉強会に参加するようになる。メンバーのほとんどは大阪の名門公立高校の一つである高津高校の生徒たちで、主人公はメンバーの一人である女子高校生西村芙美(ふみ)に恋をする。リーダーの森山との対抗心から自校の制服撤廃(てっぱい)を校長に直談判(じかだんぱん)することを思いついた主人公が向った校長室からはあっけなく追い払われたため、生徒会に働きかけて全校生徒にアンケートを行わせ、百パーセントの支持を得た署名入り嘆願書(たんがんしょ)を学校側に提出するがこれも簡単に却下(きゃっか)されてしまう。職員室に乗り込んだ主人公は学年主任の言葉で頭にきて椅子(いす)を蹴っ飛ばしたため1週間の停学(これで2度目)を喰(く)らってしまう。その上、西村芙美に冷たく振られてしまう。

悪友に誘われて窃盗(せっとう)に手を貸すが警察にあっけなく捕まってしまう。主人公は初犯であったため少年法の中の「不処分」で済んだが30日の停学になったため落第が決定した。新学年に剣道部に入部した主人公は夏休みに入ったあたりから大学へ行きたい気持ちが芽生(めば)える。弟の竜之助が有名校である北野高校へ通い出して京大理学部を目標に受験準備を始めたことに刺激されたのだ。しかし剣道部員が他校生徒と喧嘩して対外試合自粛(じしゅく)が校長から命じられたため校長に抗議(こうぎ)するが受け入れられず、校長の机をひっくり返してまたもや1週間の停学に。

停学が解けて学校に戻ると普通科が主導する生徒会が様々な改革を学校側に受け入れさせていたが、制服問題だけは3年生の心情的な反対にあって進まないため、生徒会長池原法子(のりこ)が主人公に3年生を説得して欲しいと頼んできた。主人公は3年生が次回は賛成すると読んで何もしないが2回目のアンケート調査ではその通りの結果が出て、主人公は池原法子と仲良くなるが・・。二学期に入って主人公が就職活動に巻き込まれている間に池原法子との関係は壊(くず)れてしまう。一度目の就職試験では面接者と口論して不採用、12月にやっと学校が薦(すす)めてくれた中堅スーパーマーケットへの就職が決まった。

第三章 挫折(ざせつ)

就職したスーパーではしつこい性格の店長と衝突した。5月の終わり頃にアルバイトとして来た大阪音楽大学1年生の武藤伊都子(いつこ)の可愛さに惹(ひ)かれた主人公はレストランでの食事に誘(さそ)うが、それが店長の耳に入って大目玉を食らう。しつこく言い寄られたと伊都子が訴えたからである。給料を使い果たしてしまった上に、度重(たびかさ)なる遅刻により有給休暇が無くなり、給料が遅刻時間に応じて減らされてしまったことで頭にきた主人公は、周囲の大学生の楽しそうな様子を見て大学へ行きたい気持ちが異常にまで膨(ふく)らんだこともあって、その会社を辞めてしまう。そして医学部の学生と称して家庭教師のアルバイトをしながら受験勉強に没頭(ぼっとう)する。家庭教師先の姪(めい)である短大2年生の中田百合子(ゆりこ)と出会った主人公はその奔放(ほんぽう)さに惹(ひ)かれて深い関係になるが、デート代のために新聞配達のアルバイトを加えたため受験勉強に身が入らない。そして金持ちの気儘(きまま)さを持つ百合子にあっさりと振られてしまう。

土方作業のアルバイトを始めた主人公は目標であった15万円の貯金が出来ると両方のアルバイトを辞(や)めて師走(しわす)の半ば過ぎから本格的に勉強に専念した。関学(関西学院大学)と同志社大学を滑り止めに受験して同志社から法学部の合格通知が来た。さらに参考書を徹底的に丸暗記した主人公は同じアパートの大学生たちに公言していた東大の一次試験を受けるがあえなく不合格になる。しかし、これが幸いして同志社の入学金納付日に間に合った。有名私立大学でも国立一期校(当時)の合格発表前に納付日を設定していたからだ。そして大学生としての生活が始まったが・・・。

過激派の活動と学園紛争、下宿での生活、主人公が加入したサークル「ヨーロッパ文学研究会」の裏の顔(左翼思想グループ)とマドンナである英文科4回生(年生の関西風呼称)加納佐和子(かのうさわこ)への憧(あこが)れと深刻なトラブル、そして大学への失望、大学祭での出来事、合コンで知り合った短大生の井本早苗(いもとさなえ)や小野田純果(じゅんか)との短い恋、小学校の同級生池田明子との一夜、そして同じアパートの友人と出掛けた東北旅行、父の急死などが続く。3回生になった主人公は7月の初めのある日、心の中の留め金(とめがね)が外れて、一切を投げ出して京都発東京行きのハイウェイバスに乗り込んだ。

第四章 漂流 (注;この章から下巻)

もう二度と大学へ戻るつもりのない主人公は池袋にある麻雀(まーじゃん)屋で雑用係のアルバイトを見つけ、朝の喫茶店で知り合ったホストクラブに勤める坂本弘のアパートに居候(いそうろう)をする。様々なアルバイトも長続きはしない。まるで労働の嫌(いや)さを一つひとつ確認するために仕事を続けているようなものだ。赤提灯(あかちょうちん)で声を掛けられた右翼団体の男から自分の運送会社に入らないかと誘(さそ)われた主人公がその運送会社へ顔を出すと、早速入隊書に署名と血判(けっぱん)まで押させられた。月給は15万円と魅力的だが、仕事を終えた後の「教練」は辛(つら)かった。運送業務のほかに装甲車仕立ての宣伝カーに乗って都内を街宣(がいせん)することもあるのだ。区会議員の補欠選挙では選挙応援だけでなく対立候補の選挙活動妨害や凶器を用いた乱闘が予定されると聞かされた主人公は給料の前借を頼んで5万だけ貰(もら)うことに成功し、襲撃の前夜にそこから逃げた。

2月の初めには足立区千住のパチンコ屋に住み込みのアルバイトを見つけて採用される。その主人が『何にも当りの枠(わく)は数が決まっている』と確率で物事を捉(とら)えようとすることは、最初のアルバイト先(麻雀屋)の主人が運命を個人的なものとして捉えようとすることと根本的に違うものだった。2度目の給料を貰った主人公はパチンコ店を飛び出してしまう。

次いで見つけたのは秋葉原にあるレコード店。クラッシクレコード売り場のレジ係は退屈(たいくつ)な仕事ではあったが、小さいながらも人生の足場を作りたいと思っていた主人公は音楽に関心が高まり名曲や作曲家についての本を読み、5月に入る頃にはクラシックレコードに詳(くわ)しくなり、少しずつ客の数と売上が増えた。棚の並べ方やジャンルの区分のやり方も工夫(くふう)した。すると売上ははっきりと上昇して返品と仕入れも任されるようになり、次いで準社員扱いで主任の肩書きももらい、中古品と称した値引き販売で売上がさらに増えた。外国レコードの輸入も計画した時にはアルバイトの慶応大学4年生依田聡子(よださとこ)が手伝ってくれたことと円高の進行で輸入の仕事は順調に進んだ。しかし聡子とのデートと祖母の葬儀(そうぎ)が重なり連続休暇を取ったことから社長と口論になってしまう。それにもかかわらず聡子は主人公へ何も告げずアメリカに居る婚約者の元(もと)へと去った。

第五章 

レコード店を辞めた主人公はしばらくぶらぶらしていたが、3月に入って近くの大衆食堂でオホーツクのテレビ報道番組を観ている時に不思議な衝撃(しょうげき)が体の中を走るのを感じた。心の中で誰かが「錨(いかり)を上げよ!」と叫(さけ)んだのだ。アパートをひき払った主人公は北海道の根室(ねむろ)に向う。しかし、海に乗り出すチャンスはなかなか見つからない。そんな時に耳にしたのがウニの密漁船だ。主人公は痩(や)せ型美人の白武久子が経営する小さな喫茶店「帰郷」を休憩場所として利用していたが、そこで会った密漁人の法月(のりづき)義男からソ連が占有する貝殻島(かいがらじま)という場所と月に30万円を保証するとの言葉を聞いた主人公の気持ちは決まった。

納沙布(のさっぷ)にある法月の家に投宿しながら密漁の際の作業について細かい説明を受け、出漁の準備、船上での仕事を耳にタコが出来るほど聞かされた。主人公たちはソ連の警備艇が居ないタイミングを見計らって出漁を繰り返した。突然現れたソ連の警備艇に追い回されることは何度もあったが、用心深い法月の判断と操舵(そうだ)で逃げ切る。7月に入ってウニ漁が中断された時には10数回の出漁で150万円以上の金が溜(た)まっていた。そしてウニ漁は9月の終わりに再開して翌年の2月半ばまで続いた。しかし春になった時に法月が一方的に漁の終了を宣言した。前妻と復縁することになったことで昆布漁業権を回復したからだ。

そこで主人公は密漁を自分でやることにすると、これが面白いように当たった。海上保安部の陸上部隊に検挙されたが口を割らなかったことで罰金1万円を支払うことで放免(ほうめん)される。10月だけでも6度出漁して主人公の手元には600万円以上の金が入ったことで仲間を連れて豪遊したが、それでもその年の暮れには700万円を超える金が手元に残された。翌年には貝殻島より遠い水晶島へも船を繰(く)り出した。水揚(みずあ)げは多かったがソ連警備艇に追い回されることも増えた。さらに環境が変わったことでヤクザたちによる密漁船のグループ化が行われて主人公たちもその渦(うず)に巻き込まれた。

第六章 停泊

東京で商社に勤め始めた弟の竜之介に会ってから大阪に戻った主人公は母名義の口座に300万円を移すが、自身の生活は相変わらずの調子で足のリハビリを兼ねて通ったビリヤードや賭博(とばく)ゲーム機に200万近くを費(つい)やし、挙句の果(あげくのは)てに競馬と競輪に凝(こ)ったことで都合(つごう)500万円もの金を無くしてしまった。そんな生活の中、ビリヤード場で働いていた宇野保子(やすこ)と知り合い、その素朴(そぼく)さと純真さに惹(ひ)かれて半年後に入籍、これまでに無かった平穏(へいおん)で楽しい生活が始まった。

仕事を探していた主人公はフリーのテレビ放送作家をしている昔の友人柿本健男(たけお)に仕事を手伝うように誘われる。慣(な)れない仕事ではあったが、一所懸命(いっしょけんめい)やったことで次第に仕事が増えて、一流企業の中堅社員並の収入を得るようになる。妊娠した保子は流産をしたため、ビリヤード場を辞(や)め、気分転換にジャズダンスを習い始める。主人公に仕事を世話してくれた柿本は段々仕事が無くなり、慰安旅行で出掛けた和歌山・白浜の旅館での宴会時に偽善者のプロデューサーを糾弾(きゅうだん)する騒動(そうどう)を起す。柿本を大阪まで連れ帰った主人公は深夜の自宅マンションで信じられない光景を目撃する。

第七章 抜錨(ばっぴょう)

妻保子の裏切りに我慢(がまん)が出来ない主人公は保子が泣いて許しを乞(こ)うても決心は揺(ゆる)るぐことはなく離婚する。放送作家の仕事を一切辞(いっさいや)めた主人公はひょんなことから頼まれ仕事で出掛けたタイのバンコックにおいても波乱に満ちた日々を8ヶ月間も過ごす。(筆者注;また唐突な展開だが主人公に青春を総括させるために設定された場であろう) そして大阪に戻った主人公は、今は売れっ子の放送作家になった柿本健男、平凡なサラリーマンになった元全共闘闘士の飯田勝行、初恋の池田明子と邂逅(かいこう)し、さらに1年後には探し求めていた保子にも会うことができた。(詳細についてはあえて伏せる)

そして、『人生は生きるに値するものだという強い思いに胸を貫かれた。人生の長い航海は、これから始まるのだ』の短い言葉で気が遠くなるほど長い話は終る。

                         ☆

<読後感> これまで読んだ百田尚樹さんの小説とは異なり、果てしなく流れる時間を追い続ける先の読めないストーリー展開だけでなく、破天荒(はてんこう)な主人公の行動と際限(さいげん)ない男女間の愛と憎(にく)しみが溢(あふ)れていて、村上春樹さんの作品と共通する点を見出(みいだ)しながら読みました。それは本書が25年ほど前に書かれた処女作をベースに改題されたものだからかもしれません。

本書を読むまではまったく異なる作風だと思っていた百田さんと村上さんの作品に私が感じた類似点(上記)と相違点を少し乱暴ですが整理したいと思います。まずモチーフ(創作の動機となる思想)に関して、冒頭で述べたように百田さんは常に新しいモチーフで異なるテーマの長編小説を、村上さんはご自身のモチーフを少しずつ発展させながら村上流の長編小説を書き続けているように思われます。あえて言えば、前者はデジタル的、後者はアナログ的にモチーフを変化させていると言えるかもしれません。

もう一つは読み手と主人公の間に設定される距離です。主人公に一人称で語らせることが多いのは二人に共通しますが、百田さんは小説で設定された空間へ巧(たく)みに読み手を誘(さそ)い、村上さんは読み手に適度な距離から主人公を俯瞰(ふかん)させることが多いのです。つまり、村上作品はしばしば現実(リアル)空間と想像(イマジナリー)空間を同時進行的に展開して読み手に時空を超えた2つの世界を同時に見せますが、百田さんはリアリティに富んだ精緻(せいち)な描写(びょうしゃ)で読み手を限りなく主人公の近くまで引き寄せるように思われるのです。

いずれも魅力的な作家ですが、私には百田さんの小説の方が読後の居心地が良い(心が平穏でいられる)のです。この次は「風の中のマリア」と「モンスター」、そして最新作「海賊とよばれた男」へと読み進みたいと思います。しかし、今日(12日)午前0時に村上春樹さんの長編小説「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(文芸春秋)が発売されたことが朝のテレビニュースで報じられたことで、私には嬉(うれ)しくも悩(なや)ましい選択肢(せんたくし)がまたひとつ加わりました。

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