続・奥の細道疑紀行 鶴岡市から酒田市へ
国道345号で鶴岡市の市街地に入りました。到道館の少し手前で右折して内川を渡り切った場所に次の目的地がありました。
鶴岡市の老舗そば処「東京庵」(大正2年創業)は海鼠壁(なまこかべ)の外観が印象的です。店舗と内川の間にある駐車スペースがちょうど空いたところでしたので、そこへ車を停めさせてもらいました。店の方によれば川の対岸にも駐車場があるそうです。店先に原付が停まっている理由はあとで分かることに・・。
午前11時半を少し過ぎたところでしたから落ち着いた感じの店内は空いていました。メニューには、丼もの、うどん、そば、などが数え切れないほどならんでいます。私は定番の「中華そば」(600円)を、同行者は「天ざる」(1150円)を注文して待つ間、窓際に飾られたサイン色紙を眺めると良く知る名前が並んでいました。
樫山文枝さん、淡路恵子さん、奈良岡朋子さん、仲代達矢さん、平幹二郎さんなど新劇の女優と俳優です。その先には照英さん、左とん平さん、篠田三郎さん、犬塚弘さん、などが続きます。店内には大正時代のモノクロ写真も飾ってあり、当時の東京庵は西洋料理やビアホールもあるモダンな店だったようです。
気になっていた店名の由来を女将(おかみ)さんに尋(たず)ねると、「東京で開店したことでこの名前を付けた」と教えて下さいました。メニューにも経緯が詳しい説明があります。その間も出前を依頼する電話がひっきりなしに入っていることが厨房(ちゅうぼう)から聞こえる声で分かりました。
「中華そば」は透明感のある醤油出汁に軽く縮れた麺が入って、チャーシュー(2枚)、シナチク(たっぷり)、海苔、刻(きざ)みネギがトッピングされた昔懐かしいラーメンそのものです。スープはやや濃い目の醤油味ですが、麺に絡(から)むとちょうど良い塩梅になります。チャーシューは色が薄い割にはしっかり味付けされていました。
コッテリ系のラーメンに食傷気味な私には幸楽園の「中華そば」と同様にこの鶴岡ラーメンに満足しました。
同行者もソバとテンプラに満足そうです。味見をさせてもらうとサクサク感あります。その旨を伝えると、「揚げたてばかりではなく、作り置きも混じっている」、と辛口(からくち)のコメントが返って来ました。見た目で分かるように平打ちの細麺は更科系のようですから、その味見はスルーすることに!
内川東岸の川端通りに入りました。鶴園橋の袂(たもと)に古い石柱が立っていました。江戸時代は十日町橋と呼ばれていたそうです。夜には欄干(らんかん)にライトが灯(とも)されるようです。
川端通りを北上すると藤沢周平氏を代表する作品「蝉しぐれ五間川」の案内看板がありました。藩のお家騒動に翻弄(ほんろう)される下級武士の息子、牧文四郎の半生を通して人の生き方を描いた小説(2005年映画化)です。ちなみに五間川は内川の古い名前。後方の黄色い花はレンギョウ(モクセイ科)のようです。
「鶴ケ岡城と城下町」(江戸時代後期)の絵図を興味深く眺(なが)めました。左上に鶴ケ岡城の大手門と二の丸御角櫓、左下に藩校到道館、中央部には十日町口通り、内川に架かる三日橋(現三雪橋)、三日町口番所、三日町木戸門、内川の対岸には人通りの多い町屋らしき家並みが描かれています。
右下に書かれた「通り丁」の表現は初めて見ます。丁とは、現在でも銀座四丁目の使い方があるように、市街地を分けたものを指しますから、「通り丁」は家並みを分ける道路を指すのでしょう。この通りは地元で「銀座通り」と呼ばれているようです。
国道345号と県道332号を経由して国道7号線に入りました。鶴岡市本田からは通称三川バイパスとなって20km先の酒田市へ向います。全線が暫定的に2車線になっているため対向車に注意しながら走りました。ちなみに、4車線化される時期は決まっていないそうです。
鳥海山が少し近づきましたが、私は路肩に等間隔に並ぶ白いパイプ(上の写真にも写っている)が気になります。幟(のぼり)でも立てるのでしょうか。
東大町交差点を左折した県道40号で酒田市役所の脇を抜けて坂道を上って日和山(ひよりやま)公園に向かいましたが、駐車場は一杯で、交通整理をする人に促されて坂道を下ると村社稲荷神社の前に出ました。どんな由緒がある神社かは分かりませんが記念に写真を撮影。旧高野浜(こうやのはま)の標識がありました。
後で確認すると、高野浜は旧町名(現在は北新町)であり、稲荷神社の中に「弘法大師の腰掛石」というのがあったようです。
陸橋の上から見た鳥海山です。幾筋にも分かれる線路は酒田港への引込み線(酒田港線)でした。
反対方向は最上川の河口を利用した酒田港です。江戸時代初期に最上川の舟運と北前船で発展した港です。大正時代になって羽越本線が開通すると鉄道輸送にしゅろくとなって停滞しました。1974年に大型船舶に対応できる酒田北港が開港して大陸との外国航路の港に変身しているようです。
酒田港の岩壁まで行ってみました。この日(4月29日)は祭日のためか人影はありません。 先ほど通過した日和山公園の大混雑とは好対照です。
こちらはその名も鳥海丸、山形県立加茂水産高等学校の漁業実習船です。東日本大震災による津波で宮城県石巻市の住宅街へ打ち上げられた4代目鳥海丸の後継船(5代目)でした。その頃は5代目も石巻港に停泊していましたが大震災が発生する直前の3月8日に酒田港へ到着していたため、危うく難を逃れたそうです。
鶴岡市内を丹念に訪ねて回った後、酒田市へ無事到着することが出来ましたので、2回目の小休止にしたいと思います。
<同行者のコメント> 藤沢周平さんのおかげで鶴岡市内をくまなく見学できました。それに一か月遅れで2回目のお花見ができたことも良いのですが、木戸跡の標識をひとつ残らず見て回るのはずいぶん変わった趣味だと思いますよ。いったいどこまで前もって調べていたのですか?(続く)
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