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2013年5月28日 (火)

続・奥の細道疑紀行 鶴岡市における藤沢周平縁の地を巡る(鶴ケ岡城跡)

2013_05010218 交差点を横断して鶴岡公園に向かいました。庄内藩酒井家が約250年来居城とした鶴ケ岡城址に1875年(明治8年)に造られたそうです。山形県随一の桜の名所であり日本さくら名所100選に選ばれています。大正13年に市政が施行されるまで町役場があり昭和13年に移転したことが鶴岡町役場跡の標識に表示されていました。

2013_05010246 県道47号(羽黒街道)に沿って歩くとL字型に折れ曲がった堀端(ほりばた)に出ました。鳥居を建てる時に埋め立てられたため堀が途切れているのは残念ですが、幅が約20mある内堀に満開の桜の花が映っています。平城であり石垣が少なく他の城址と雰囲気が違います。
   

2013_05010247 堀端をさらに歩くと大宝館(たいほうかん)の前に出ました。1915年(大正4年)に大正天皇の即位を記念して建てられたオランダバロック風の窓とルネッサンス風のドームをあわせ持つ擬洋風建築です。1985年(昭和60年)まで市立図書館として利用されましたが、現在は鶴岡出身の著名人の資料館になっていました。

2013_05010248 内堀はさらに西方へ伸びています。橋を渡って公園の中心部へ行く道すがら大宝館に入ってみることにしました。
 
 
 
 

2013_05010249 1階と2階が展示室として無料で開放されていました。1階の奥、2階へ上がる階段の手前に藤沢周平氏(昭和2年~平成9年)の展示コーナーがありました。「藤沢周平の原風景」(鶴岡に息づく作品の世界)として鶴岡市内地図に同氏に縁の地が表示されており、教師をしていた時代のものと思われる写真も飾られています。

館内には明治の文豪・高山樗牛(ちょぎゅう、明治4年~明治35年)や日本のダ・ヴィンチといわれた松森胤保(たねやす、文政8年~明治25年)、明治期の小説家・田沢稲舟(いなぶね、明治7年~明治29年)、昭和期の日本の代表作家・横光利一(りいち、明治31年~昭和22年、終戦時に鶴岡市へ疎開)、旧陸軍中将の石原莞爾(いしわらかんじ、明治22年~昭和24年)など20数名についての展示コーナーが並んでいました。

藤沢周平氏の他に興味を持ったのが石原莞爾陸軍中将です。石原氏は関東軍作戦参謀として旧陸軍大将の板垣征四郎(いたがきせいしろう)とともに満州事変を起して満州を占領しましたが、二・二六事件が発生した時には東京警備司令部参謀として反乱軍を鎮圧しています。その後、関東軍参謀長の東條英機と対立し、同副長を罷免(ひめん)されて予備役として終戦を迎えたことが有利に働いたようで、極東国際軍事裁判においては最終的に戦犯の指名から外れて昭和24年に病死。戦犯に指名されなかった理由は明らかにされていませんが、一緒に満州を占領した板垣陸軍大将の方はA級戦犯として昭和23年に処刑されました。

2013_05010250 護国神社の参道に出ました。本丸御殿御玄関跡と表示されています。
 
 
 
 

2013_05010251 反対側に鶴岡市立藤沢周平記念館のモダンンな建物がありました。建築家の高谷時彦氏の設計で3年前に開館した施設です。入ってみたくはありましたが、大宝館の展示を見ていますから、先へ進むことにしました。
   
 

2013_05010252荘内神社を通過すると北側の内堀に出ました。
 
 
 
 
 

2013_05010253 あやめ園の脇の花筏(はないかだ)が見事です。
 
 
 
 
 

2013_05010254 荘内神社の参道に屋台が並んでいます。この神社は藩祖酒井忠勝を祀(まつ)るために本丸跡に創建されたものです。 
 
 
 

2013_05010255 最初に眺(なが)めた噴水のある内堀で白鳥を発見しました。日本海側にある山形県ならではの光景でしょう。思わずシャッターを切りました。
 
 
 

2013_05010256 桜の花びらが浮かぶ水面に片足立ちする白鳥は口ばしの黄色い部分が狭いことからコハクチョウでしょう。北極圏のツンドラ地帯から約4000kmも離れたこの地まで飛来したとは信じられない優雅さです。   
 
 

2013_05010257 県道47号の南側には真新しい石垣がありました。これは城の雰囲気を演出するために二の丸御角櫓跡に最近造られたものでしょう。調べると、地元では鶴ケ岡城にあった建物を再建する計画があるようです。心なしか桜の若木にも風情(ふぜい)が感じられません。気分転換に鶴岡城の歴史をかいつまんで紹介しましょう。 

この地を支配した会津の上杉氏が関ヶ原の合戦で西軍に加担したことで会津120万石から米沢30万石に減封されると、代わって庄内地方を支配した最上氏が拠点にしていた大宝寺城(大宝館の名の由来?)を鶴ケ岡城と名前を変更したが、その最上氏も元和8年(1622年)にお家騒動が発生したため改易(かいえき、お家断絶)となる。そして旧最上領のうち庄内地方には信濃国松代城より譜代大名の酒井忠勝が入って、鶴ヶ岡城をその本城として大改修して現在に残る縄張りが完成、その形で幕末まで続くが戊辰(ぼしん)戦争で破壊され、明治4年に廃城となる。

2013_05010211 昨日と同様に内堀沿いの県道47号を西方へ走ると外堀の先に大宝館に似た到道館博物館が見えました。その先の信号を左折すると早朝に見かけた大督寺に到着。藤沢周平氏の作品「義民が駆ける」の舞台です。この小説は幕府から国替え(三方領地替え)を命じられた庄内藩(荘内藩とも表記)の反対運動を描いています。 

2013_05010212 大督寺(だいとくじ)の境内
 
 
 
 
 

2013_05010213 大督寺境内の南側には旧荘内藩藩主酒井家墓所がありました。
 
 
 
 

2013_05010215 総穏寺(そうおうんじ)
 
 
 
 
 

2013_05010216 藤沢周平氏の短編集「又蔵の火」に登場した寺です。
 
 
 
 
 

この道(湯田川街道)をさらに南下すれば国道345号に入って次の目的地に行けるはずです。(続く)

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