続・奥の細道疑紀行 清川から羽黒山へ(その2)
神橋(しんきょう)を渡りながら右手を見ると「須賀の滝」の前に境内社の岩戸分神社(左)と祓川神社(右)があり、その間に不動明王(ふどうみょうおう)も見えました。ちなみに、昔の参拝者はこの祓川(はらいがわ)で身を清めたそうです。
祓川に架かる趣(おもむき)のある石橋を渡って滝へ向うと、正面に不動明王がはっきり確認できました。
須賀(すか)の滝は高さと水量があって見ごたえがありますが、何と人工的に造られた滝でした。羽黒山中興の祖と呼ばれた天宥別当(てんゆうべっとう)が造った8kmの水路で月山山麓(さんろく)より水を引いたもので、当初は不動の滝と呼ばれたそうです。参道に石を敷き、杉並木を整備したのも天海僧正に師事した天宥でした。
実は神橋を渡った先の参道はまだ雪に覆(おお)われていて歩くのさえ難儀(なんぎ)な状態なのです。
樹齢一千年以上といわれる天然記念物「爺杉」(じじすぎ)(樹高48.3m、樹齢1000年以上)
爺杉の脇から左手に伸びる石畳(いしだたみ)の先に国宝の羽黒山五重搭が見えます。
近づいてもう一枚撮影しました。『承平年間(931-938年、説明板には1050年前と記述)に平将門が建立したと伝えられるが、1372年(応安5年、説明板には約620年前と記述)に再建され、昭和41年3月国宝に指定された』ことが説明されていました。
均整(きんせい)がとれた美しい姿を右手方向から眺(なが)めながら、3年前に平将門縁の地を訪ねた時のことを思い出しました。
左手にある詩人西條八十(さいじょうやそ)氏の歌碑には『五十路の夏にわけのぼる 羽黒の峰の梅雨雲や また見んことのあるやなしやと ふり返りゆく山つゝじ』と刻(きざ)まれていました。私には草書体の文字が難解であるためネット検索で確認しました。
一の坂の途中にある境内社の大直日(おおなおび)神社には『祭神大直日神は諸々(もろもろ)の禍事(まがごと)を直し正して善(よ)き方に導き賜(たま)う神なり』と説明されていました。
蛸(たこ)の足のように大地を掴(つか)む杉の根を見て高尾山の「たこ杉」を思い出しました。
一の坂はまだまだ続きます。社務所前で貰った周遊ガイドには二の坂と三の坂を経て三神合祭殿までの石段2446段を登るには片道1時間と書かれていますから、早々と決断して引き返すことにしました。駐車場で待つ同行者も気掛かりで・・。
杉木立の間から見た五重塔は室生寺の五重塔と雰囲気(ふんいき)が似(に)ています。
二の坂と三の坂には雪が残っていないだろうと思いましたが、山中に続く参道は何があるか分かりませんから、不本意ですが楽で安全な方法を選ぶことにしました。(続く)
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