横須賀へのドライブ旅 猿島探索(中編)
大蛸(おおだこ)の足のような木の根が大地をしっかり掴(つか)んでいますので、思わずシャッターを切りました。強烈な生命力を感じさせます。
左手に脇道がありますが、そのまま直進するとまた階段がありました。階段上の左側にコンクリートで造られた何かが見えます。案内地図にあった砲台跡だろうと期待しながら階段を上がりました。
右手の草むらにもコンクリート製の四角いものがあります。何かの台のようです。
左手にはかなりの範囲がコンクリートで覆(おお)われていて全貌が見えませんが、大砲ではなく高射砲などが置かれていた場所かもしれません。
大きな広場に出ると奥に古びた建物がありました。 対空監視哨(しょう)として使われていた建物が展望台になったそうです。 ちなみに哨は見張りをすることを意味する漢字です。
近づくと階段が太いチェーンでぐるぐる巻きにされていますから使用禁止のようです。裏手に回ってみると同様に階段はロープが張られていて「立入禁止」の看板も掛けられていました。周囲の立ち木が高いので例え上がったとしても展望は良くないでしょう。
螺旋(らせん)階段ならぬS字階段が下へと続いています。下りてみるとジグザグに折れ曲がった九十九(つづら)折れ階段でした。
かなりの長さがある下り階段が続いたあとに開けた場所に出ました。
遊歩道の左脇に円形の台座のようなものがありますから、これは砲台跡に間違いありません。 事前の調査では24センチ・カノン砲(加農砲)が置かれていたそうです。カノン砲とは砲身(ほうしん)が長くて長射程であるものの重量とサイズが大きい特徴がある車輪の付いた大砲です。
近づいてみると中心部に腐食(ふしょく)したボルトのようなものが円形に並んでいます。高校生の時に観たアメリカ映画「ナバロンの要塞」(1961年公開)に登場したエーゲ海ナバロン島の巨大な大砲(射程60kmの28センチ・カノン砲を搭載した列車砲と思われる)に似たものを想像していた私にはそのコンパクトさが意外です。
すぐ先の右脇にも同様の砲台跡があります。ボルトのことが気になって調べ直すと、明治時代に陸軍が設置したカノン砲用砲台が関東大震災で破損し、移管された海軍が防空陣地として8センチ高角砲(高射砲の海軍呼称))を設置(大戦中に大型化)したことが分かりました。円形に並ぶボルトは高角砲の固定用だったのです。
遊歩道が左右に分かれているため、まず右手へ進むことにすると、またまた下り階段がありました。
最初に立ち寄った場所と同じ様な広場がありました。先ほどの場所に戻ったのかと錯覚(さっかく)するほど景色が似ています。『この辺りは幕末に築かれた卯の崎台場(うのさきだいば)があり、3門の大砲が据えられていた。猿島には他にも台場が2箇所あった』ことが案内看板に説明されています。
先ほど連絡船から見た黄色い釣り船がゆっくり旋回(せんかい)する横に青い帆を持つ白い釣り船がいますから、釣りに適したポイントでしょう。右手には日産自動車の自動車輸送船が浦賀水道の方面に出航して行くのが見えます。煙突の色が青いことから午前中の「軍港めぐり」で見た2隻のうちで左側に停泊していた輸送船のようです。ちなみに写真の中央上にぼんやり見えるのは富津岬にある「明治百年記念展望搭」で、その左手前には第一・第二海堡(かいほ)があるはずです。
これが右手の岩場「オイモノ鼻」です。釣り人が釣り場を求めて歩いていました。
左手にコンクリートで出来た四角いものがありますが関連するような説明は何もありません。これも高射砲の台座でしょうか。
先ほどの釣り船は横向きになったタイミングにもう一度撮影すると船名がはっきり確認できます。
右に方向を転じてズームアップすると防衛大学校がはっきり見え、手前の海上に岩礁(がんしょう)があることが分かりました。(続く)
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