« 百田尚樹著「モンスター」を読む | トップページ | 続・奥の細道疑紀行 鶴岡市における藤沢周平縁の地を巡る(庄内藩校到道館編) »

2013年5月26日 (日)

続・奥の細道疑紀行 鶴岡市における藤沢周平縁の地を巡る(鶴ケ城木戸跡編)

庄内藩校致道館が開館する午前9時までの時間を利用して庄内藩の藩庁であった鶴ヶ岡城の木戸跡を巡(めぐ)ることを思い立ちました。ホテルで貰った鶴岡市市街地観光ガイドマップには11カ所も表示されているため所要時間を考えて、朝食を終えた午前7時半過ぎにホテルを出発することに。

鶴ケ城の木戸は城をぐるりと取り囲むように配置されていますから、常識的に考えればホテルに一番近い場所から一周すれば良いのですが、その後の行動予定もあります。このため、ホテルから11カ所の木戸跡を回って庄内藩校到道館までを最短距離で一筆書きするコース取りを考えた上で、鶴岡市中心部を縦横に貫く道幅の広い旧国道7号(県道332号、羽州浜街道)と国道345号(金峯街道)を最大限に利用することが時間短縮のためには得策だと考えました。これで私の脳内に最適なコース案が出来上がりました。

2013_05010203 ホテル脇の道路(苗津大山線)沿いに並ぶ富樫実(とがしみのる)氏のモニュメントと彫刻ベンチの作品群を見たあと県道332を東進して山形大学農学部の先で右折、国道332号を南下してNHK鶴岡支局を回りこむように右折、鶴岡北校の南東の角に出ると、「鶴ヶ岡城 高畑口木戸跡」の木柱がフェンスの前に立てられていました。 

2013_05010206 鶴岡北校を半周してさらにコの字型に路地を進んだ十字路脇に次の木戸跡があるはずですが見つかりませんので四方に歩いて探すことにしました。最後に向った東方向は住宅に沿って道が折れ曲がっていて、その奥まった場所でついに「新形町口木戸跡」を見つけました。
   

2013_05010207 西方へ500mほど進むと道は青龍寺川に行き当たって道なりに左へ折れます。その川を渡る道との三差路付近に次の「万年橋口木戸跡」がありました。水路の反対側、住宅の竹塀(たけべい、竹垣)前にその木柱が立っています。近くにある橋の名前が万年橋なのでしょう。
 

2013_05010208 クラシックな消火栓を見掛けましたので一枚撮影しました。気になって調べると「地上式単口消火栓」と呼ばれる種類で、鶴岡市では約300mに一カ所の割合で設置されているそうです。 
 
 

2013_05010209 青龍寺川に沿って南下すると羽黒街道に出る少し手前にある枡形(ますがた)に次の木戸跡があるはずだと探しました。しかし木柱はなく、もうひとつ消火栓が立っているだけです。地図で確認すると確かにこの場所のはずです。ふとブロック塀を見ると看板がありますので近寄ってみると「大山街道口木戸口跡」の案内板でした。   

2013_05010210_2 『鶴ケ城三の丸の中は郭内(くるわうち)といわれて外部との出入り口は11しかなく、これを11木戸と呼び、木戸の通行はなかなか厳しかった。武士は別として、鶴岡の町人もみだりに通ることはできなかった』と説明されています。当時の地図に描かれた道は国道と県道が追加された以外は現在の地図とほとんど同じです。

2013_05010214 羽黒街道に出て200m余り東進した交差点を右折して向った大督寺(だいとくじ)の付近にあるはずの次の「鍛冶町口木戸跡」もすぐには見つけられません。大督寺の塀が途切れた場所にやっと黒い木柱を発見しました。これまで見た標柱よりも塗装の色と文字跡が真新しく見えます。   

2013_05010217 次の交差点を左折して約300m東進し、左折して国道345号(金峯街道)に入るとアートフォーラム前の駐車場に「元曲師町口木戸跡」がひっそりと立っていました。
 
 
 

2013_05010219 鶴丘公園の南東角を右折して県道47号(羽黒街道)を東進すると内川(うちかわ)に架かる鶴園橋に出ますが、その左手前にある鶴岡消防署中央分署の敷地隅に次の「十日町口木戸跡」がありました。藤沢周平氏の小説に登場する「五間川」のモデルとなったのがこの内川と言われているそうです。 

2013_05010220 これが鶴園橋です。江戸初期にこの橋が架けられた時には十日町橋と名付けられましたが、明治に入って架け替えられる時に三日橋や五日橋とともに名称が変更されたそうです。鶴ケ岡城の跡に造られた鶴岡公園がその名の由来とする説があるようです。   
 

2013_05010221 内川の西岸を北上した次の三雪橋(みゆきばし)の近くに「三日町口木戸跡」があり、みゆき通りが鶴ケ城の大手門方面へ伸びています。
 
 
 

2013_05010222 これが朱塗りの三雪橋です。慶長13年(1608年)に時の領主であった最上義光が作ったもので三日町橋と呼ばれていましたが、この橋からながめる鳥海山、月山、金峰山の3つの山の雪がとても美しかったことから、明治9年に当時の県令(県知事)三島通庸(みちつね)が名づけたと言われています。

2013_05010223 千歳橋の袂(たもと)にある「五日町口木戸跡」から見た鶴ケ岡城方面
 
 
 
 

2013_05010224 モダンな千歳橋(旧五日橋、長さ約30m)は富樫実氏の「空(くう)にかける階段」シリーズのひとつでした。名前は縁起の良い言葉の千年に拠(よ)るようです。 
 
 
 

2013_05010225 千歳橋を渡った内川の東岸(三雪橋寄り)に明治の女流作家田沢稲舟(いなぶね)の胸像がありました。あとで調べると、この場所は22年余の波瀾(はらん)の人生を送った彼女の生家前に当たるそうです。
 
 

2013_05010227 さらに北へ進んだ開運橋の袂(たもと)に「荒町口木戸跡」がありました。内川ホットパーク(旧内川公園)の隅(すみ)です。
   
 
 

2013_05010228 同パーク内の枝垂(しだ)れ桜が見事です。
 
 
 
 
 

2013_05010229 勤労者会館と庄内病院の間を通過したクリーニング店「日本の美 西 陣」の前に「代官町口木戸跡」がありました。最初の高畑口木戸跡」からの所要時間は1時間10分で、計画通りの9時まで10分を残して11カ所の木戸をすべて訪れることが出来ました。次は藩校と鶴ケ城を探訪します。(続く)

|

« 百田尚樹著「モンスター」を読む | トップページ | 続・奥の細道疑紀行 鶴岡市における藤沢周平縁の地を巡る(庄内藩校到道館編) »

旅行・地域」カテゴリの記事

ドライブ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 続・奥の細道疑紀行 鶴岡市における藤沢周平縁の地を巡る(鶴ケ城木戸跡編):

« 百田尚樹著「モンスター」を読む | トップページ | 続・奥の細道疑紀行 鶴岡市における藤沢周平縁の地を巡る(庄内藩校到道館編) »