続・奥の細道疑紀行 上越市高田(後編)
本町7丁目の交差点を右折すると道の反対側に呉服屋のような店舗が見えました。
同行者は気になったようで、「きものの小川」の店内に入って品定めをしています。
南側の歩道に戻った同行者は吉田バテンレースと表示された店の前で足が止まりました。同行者に尋(たず)ねるとバテンレースはドイツで生まれた工芸品で、この店は日本で一番有名なのだそうです。門外漢(もんがいかん)の私にはチンプンカンプン(珍粉漢粉)!
これも調べると、横浜に入ってきたバテンレースを明治中期にこの店の先々代などが協力してこの地で製造を始めたそうです。大正時代の最盛期には20軒以上あった業者も戦争や大震災で生産が低下して昭和に入ると3軒だけになり、現在は材料から一貫生産と販売をしているのはこの吉田バテンレースだけになったそうです。
同行者について店内に入ると意外な写真を見つけました。右の写真に写るのはは連続テレビドラマ「ザ・ガードマン」(1965年4月‐1971年12月)に出演していた俳優の藤巻潤(じゅん)さん、左は「また会う日まで」(1971年)が大ヒットした歌手の尾崎紀代彦さんのようで、この店内で撮影されたものと思われます。
雨足(あまあし)が強くなってきましたので駐車場へ戻ることにします。雁木が途切れている場所では時々雁木の端で雨宿りする必要がありました。途中、目に留(と)まった雁木とハンギングバスケットを撮影。
車で本町から大手町を経由して本城(もとしろ)町へ向いました。高田城跡(県の指定史跡)は現在高田公園になっています。その中にある高田図書館脇の駐車場に車を停めましたが、本格的な雨になりましたから駐車場は空(す)いています。小降りになったタイミングに濠(ほり)に架かる極楽橋(ごくらくばし)へ向いました。
甲信越にある桜の名所のなかでもトップクラスに位置付けられ、「日本三大夜桜」で知られる高田公園は花散らしの雨のためか、桜の花は見当たりません。代わって菜の花が満開です。堀にそって左手へ歩くと、20年前の平成5年(1993年)に復元された三重櫓(さんじゅうやぐら)が雨に濡(ぬ)れていました。
堀を背にした説明板には『高田城は明治4年(1871年)に廃城され、陸軍省の所有となり、明治41年に陸軍第13師団は入場したが、その前に行われた土木工事により、土塁(どりゅ)は崩(くず)され、堀の一部は埋められ、二の丸と三の丸の区画は無くなった。本丸跡には師団の司令部(当時の写真)が置かれた』と書かれています。
本丸跡に入りました。三つ葉葵(あおい)の家紋がある絵図で分かりますが、外堀は自然の河川を利用して作られ、非常に幅が広いことが特徴です。また、天守閣が建築されなかったことと石垣が積まれなかったことも他の平城と異なります。その理由は大阪冬の陣の直前で工事を急いだためと考えられるそうです。
現在の高田城跡の規模は稲葉正通(まさみち、正往)時代(1685-1701年)の「高田城図間尺」にある数値とほぼ同様であると説明されています。ちなみに、本丸跡の大半は現在上越教育大学の付属中学校として使われています。
三重櫓へ向かいました。1・2階は展示室として高田藩ゆかりの資料などが観覧できるようです。入場料は大人200円。カメラのレンズに雨粒(あまつぶ)が落ちてしまいました。
高田公園内が一望できました。この写真は西方(高田駅方面)の窓越しに撮影したもの。
次いで向かった師団長官舎は明治期の洋風木造建築物で、上越市が移築・復元したものだそうです。
長岡外史中将は旧陸軍第13師団長であり、上越市が日本のスキー発祥(はっしょう)の地となった基(もとい)を築いた軍人でした。そして、桜の名所100選の地に選ばれ、日本三大夜桜ともいわれる高田公園の桜も同中将が築いたことも説明されています。
余談ですが、長岡外史の後任の師団長となったのが日本騎兵の父といわれた秋山好古(よしふる)で、その弟の秋山真之(さねゆき)は日本海海戦で東郷平八郎大将の配下(先任参謀)として迎撃作戦の「丁字戦法」を考案することでバルチック艦隊を撃滅(げきめつ)した軍人です。つまり、司馬遼太郎氏の長編歴史小説「坂の上の雲」の主人公である松山出身の秋山兄弟なのです。
正面から見た建物です。車寄せに似た構造の玄関が雪国らしいと思いました。
内部に入ってまず目についたのは男子応接室。明治・大正時代らしい呼び名です。
こちらは書斎(手前)と婦人応接室、奥は食堂です。ちなみに、2階は3間続きの和室と子供部屋などがありました。和室は居間や寝室などに使われたのでしょう。
最後に立ち寄ったJR信越本線の高田駅(明治19年開業)は城下町らしく城を意識したのか何とも不思議なデザインです。実は、2002年(平成14年)に旧来からの駅舎の前にアーケードを設置して尖(とん)がり屋根を付けただけで、駅舎の内部は旧来のままのようです。
これも余談ですが、上越市は約40年前の1971年に直江津市と高田市が合併して誕生したため、港が近い直江津駅、城下町に置かれた高田駅、そして市役所が新設された中間地域にある春日山駅が信越本線に並んでいて、一体感に欠けているように感じられました。この状況は県のレベルですが140年前に津軽藩と盛岡藩(別名南部藩)の支藩(七戸藩・八戸藩など)の領地を中心に発足し、県庁をほぼ中間にある港町の青森に置いた青森県とよく似ています。(続く)
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