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2013年7月 1日 (月)

続・奥の細道疑紀行 上越市高田(前編)

2013_05010608 雨が降る県道63号を高田地区へ向いました。
 
 
 
 
 

2013_05010610 高田地区の中心部にある会席料理「藤作(とうさく) 別館」で昼食を摂(と)ることにしました。本町通り(県道198号)には駐車できませんので、裏通りにあるコインパーキングに車を停めて裏口から店内に入ります。
 
 

2013_05010612 かなり狭い(正に鰻の寝床のような)通路を入ると半個室へ案内されました。ランチメニューから同行者は若葉弁当(1500円)、私は心積もりしていた「藤作ランチ」(1000円)を注文しました。待つことしばしで、私に玉子豆腐とキンピラゴボウが配膳(はいぜん)されました。茶碗蒸(ちゃわんむ)しみたいに柔らかい豆腐です。 

2013_05010613 次いで焼き魚、玉子焼き、メロンの小片、肉料理などが。
 
 
 
 
 

2013_05010614 同行者には幕の内弁当のような重箱が置かれました。玉子豆腐、刺身、テンプラ、サザエのつぼ焼き、焼き魚、玉子焼き、サヤエンドウ、高野豆腐などと多彩で女性好みのメニューです。それにご飯と味噌汁も付いています。
 
 

2013_05010615 私に刺身の入った器(うつわ)が配膳されたところで何かが変であることに気づきました。同行者と私の注文が逆に受け取られたようです。
 
 
 

2013_05010616 ご飯と味噌汁まで揃(そろ)いましたから、今さら交換する訳にも行きません。私が「逆に配膳されたみたいだね」と言うと、同行者は「そうなのよ。私の料理はみんな量が少ないから変だと思ったわ」と口を尖(と)がらせます。
 
 

2013_05010617 私は食後のコーヒーを飲むことで嵐が過ぎ去るのを待ちました。時間が経つと同行者は料理に納得したようで会計する時に「美味しかったですよ」と言っています。それが契機となって、ご主人と思われる男性が高田の町について詳しく説明してくださいました。 
 

2013_05010620 これが本町通りから見た「藤作 別館」の表玄関です。
 
 
 
 
 

2013_05010619 本町通りに出ると現代の雁木(がんぎ)が続いていました。日本で降雪量が一番多い高田に雁木があることを小学校の社会科で習った記憶があります。「2014年高田開府400年雁木・町家・雪日記」の旗が多数吊(つ)り下げられています。家康の六男・松平忠輝の居城・高田城が築城されて来年が400年目に当るのでしょう。 

2013_05010622 雁木は雨避(あまよ)けにもなりますから車の中に置いたままの雨傘を取りに戻る必要はありません。藤作のご主人から教えられた高田小町にまず立ち寄りました。有力な商家の町屋跡を修復してコミュニティプラザとして利用されているそうです。 
 

2013_05010623 その内部です。土間に足踏み式ミシンが置かれています。右手奥にあるのは蓄音機のようです。
 
 
 
 

2013_05010625 昔懐かしい雪の風景写真です。ちなみ、左は雪で作られた雁木間をつなぐ大きなトンネル、右は昔の雁木(がんぎ)。後者は昭和41年と表示されていますから、ちょうど半世紀前の写真です。
 
 

2013_05010626 内庭には石灯籠と並んで井戸用手押しポンプがあります。 
 
 
 
 

2013_05010627 蔵のギャラリー
 
   
 
 
 

2013_05010628 高い天井にある明かり取り
 
 
 
 
 

2013_05010629 2階からみた土間と囲炉裏(いろり)
 
 
 
 
 

2013_05010631 下小町の辻標には『本町通りは上小町・中小町・下小町の三小町に分かれていた。この下小町には最盛期には旅籠が30軒もあった』と説明されています。
 
 
 

2013_05010633 昔風の雁木も残っています。
 
 
 
 
 

2013_05010632 現役では日本一古いとも言われる映画館「高田世界館」にも立ち寄ってみました。大正5年に常設映画館としてオープンしたそうです。
 
 
 

2013_05010634 「ほかいびと 伊奈の井月」(北村皆雄監督)と題した映画が翌日の5月2日まで5日間上映されているようです。『芥川龍之介に見出され、山頭火に慕われ、つげ義春が漫画に描いた乞食俳人井月(せいげつ)』の文字が見えます。小説家の芥川龍之介と俳人の種田山頭火の名前は知っていますが井月なる人物はさっぱり分かりません。 

調べると、つげ義春の「無能の人」の最後の「蒸発」に登場する俳人の井上井月を描いた映画で、出身地の長岡市、晩年を過ごした恵那市とこの上越市などで上映されているようです。そして、『井上井月は文政5年(1822年)に越後長岡藩士の子として生まれ、勝造または勝之進と称したといわれる。いかなる契機で俳人となったか明らかでないが井月と号した人物』であることを知りました。
 

『長岡を出た井月は、嘉永5年善光寺に来り、伊那へ来たのは安政5年頃であったという。伊那谷にあること30余年、明治20年3月10日上伊那郡美篶村末広太田窪(現在の伊那市美篶末広)の塩原折治(俳号梅関)方で眠るように漂泊詩人井月は往生を遂げた』そうです。ちなみに、「ほかいびと」とは村々を訪ねて人々に「ほかい」(寿ぎ、祝い言)の言葉を唱えて歩くことを生業(なりわい、職業)とした人のことを指(さ)すそうです。(続く)

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