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2013年9月に作成された記事

2013年9月29日 (日)

浜町緑道を歩く(後編)

信号のある交差点を横断した場所にある「人形町浜町散歩」案内図には浜町緑道と直行する散歩ルート「日本橋本町深川コース」の門前仲町から新大橋と鎧橋(よろいばし)を経て兜町(かぶとちょう)付近までの一部が地図で表示されています。
 
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ケヤキ(欅)
 
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この先の緑道は植え込みが両側から交互にはみ出しているためジグザグに折れ曲がって見えます。
 
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左手に人口の和流(せせらぎ)が設(しつら)えてありますが節水のためか水は流れていません。
 
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和流は緩(ゆる)やかにカーブしながら先へと続いています。
 
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さらに上流は渓流をイメージさせるように岩が配置されています。
 
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ヒマラヤスギ(ヒマラヤ杉)
 
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ハマヒサカキ(浜姫榊)
 
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和流の反対側に「漢方医学復興之地」碑がありました。明治時代はドイツ医学を範とした医事制度が確立する一方で漢方医学が冷遇され没落していった時代でした。この地で開業した医師・和田啓十郎は衣服や食事にかかる費用を倹約し「医界之鉄椎(いかいのてっつい)」を自費出版するなど漢方医学の復興に大きな影響をもたらしましたそうです。
 
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石で四角く囲まれた井戸のようなものがありました。ここから水が湧き出るのでしょうが、今夏は深刻な水不足ですからやむを得ません。奥には石橋が架かっています。
 
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干上(ひあ)がった和流を振り返ってみました。
 
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ここまでが浜町緑道ですがもう少し先へと歩くことにします。路地の向こう側に消防車が置かれていますので建物の横に出てみると、東京消防庁日本橋消防署人形町出張所であることが分かりました。
 
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広い道路に出ました。反対側に見える建物は久松警察署です。中央区内で神田川と日本橋川に挟まれた墨田川寄り(東部)を管轄する警察署です。
 
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久松警察署前交差点を左折すると人形町交差点まで200mほどですが、警察署の脇に緑道のようなものが伸びているようですからこの交差点を横断しました。
 
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車止めを兼ねた大きなプランターの先には薄緑色に塗られた道が続いています。久松警察署の裏手に久松小学校(右奥の木立)がありますから、通学路として安全が確保されているのでしょう。
 
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左手奥にあるのは中央区立久松区民館
 
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緑色に塗られたガードレール(車止めを兼ねている)の先は普通の路地に変わりました。ここを左折して人形町交差点へ向かうことにしました。
 
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賑(にぎ)やかな人形町交差点に到着しました。
 
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交差点の近くに「人形町の由来」を見つけました。『人形町交差点の北側には江戸時代に歓楽街があり、歌舞伎や人形芝居小屋があったためかなりの人形師が住んでいたことが地名の由来であると』説明されています。
 
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当ブログでは4年前に人形町の老舗料理店「玉ひで」を紹介しています。そして人形町といえば思い浮かぶのが3年前にTBSがテレビドラマ化した人気作家東野圭吾(ひがしのけいご)氏の小説「新参者」です。このテレビドラマが人形町を全国区にしたといっても過言ではないでしょう。この連続ドラマの構成の素晴らしさと主役の阿部寛さんの個性的な演技に惹(ひ)かれて毎回欠かさず見てしまいました。人形町の昔懐(なつ)かしい店舗がいくつも紹介されたことも魅力でした。

その続編とも言える小説「麒麟の翼」が昨年1月に映画化されて、1年後の今年1月にTBS系テレビ局で放送されました。「新参者」の続編ですからこちらにも期待しましたが、連続テレビドラマとは異なり約2時間の中に詰め込まれたためかストーリー展開に大雑把(おおざっぱ)な印象があり、しかも結末に違和感だけではなく虚(むな)しささえ感じました。この映画にはやや失望した私ですが、今回はその中に登場する場所を巡(めぐ)ったのです。ちなみに、「麒麟の翼」は日本橋の欄干(らんかん)中央部にある照明塔装飾品となっている翼(つばさ)を持つ麒麟(きりん)がテーマになっています。

最後に人形町交差点近くにある大観音寺に参拝しましたが、開帳日(毎月17日)ではなく、しかも時間が遅いため「鉄造菩薩頭」(都指定有形文化財)はもちろん、本尊の観音像も拝見できませんでした。そこで、友人たちとの待ち合わせ時間には少し早いのですが、この日の飲み会が開かれるレストラン「カサドール」へ向かうことにします。

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2013年9月28日 (土)

浜町緑道を歩く(前編)

8月下旬のある日、人形町で開かれる友人たちとの定例会に出掛けるために東京メトロ半蔵門線を水天宮前駅で下車しました。実は定例会の前に立ち寄りたい場所があるのです。交差点の角(交番の裏手)にある水天宮は外観からは分かりませんが耐震工事を行うため明治座近くの仮宮に移転しているようです。工事が完了する予定は2016年とのこと。ちなみにチビスケくんの両親はチビスケくんが産まれる前、この水天宮に安産祈願をしたそうです。
 
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新大橋通り(都道50号)を新大橋方面へ歩きました。新大橋は隅田川に最初に架けられ千住大橋と2番目の両国橋(旧大橋)に次いで3番目に架けられた大橋であったことからその名前が付けられました。
 
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首都高速道路の浜町出入口付近に差し掛かりました。
 
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その反対側(北方向)に浜町緑道(はまちょうりょくどう)の入口がありました。浜町緑道は隅田川(旧大川)につながる掘割り(運河)である浜町川を暗渠化(あんきょか、地中化)して造られた緑道で、アーチ型のトンネルが出迎えてくれます。浜町と聞いて私が思い出すのが「明治一代女」(昭和10年)です。その歌詞の冒頭、『浮いた浮いたと浜町河岸に 浮かれ柳の はずかしさ』と登場するのが浜町河岸(はまちょうがし)は隅田川右岸の浜町公園と両国橋の間にあったようです。
 
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浜町緑道の両側には様々な樹木が植えられていますので、余計な説明は省略して名前と写真だけを紹介することにします。最初はカンツバキ(寒椿)です。
 
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キンモクセイ(金木犀)
 
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エゴノキ(野茉莉)
 
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ハナミズキ(花水木)
 
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マテバシイ(全手葉椎)
 
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ヤマブキ(山吹)
 
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クスノキ(楠)
 
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イチョウ(銀杏)
 
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テーブルとベンチがある休憩所
 
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浜町緑道はまだ続きます。
 
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シャリンバイ(車輪梅)
 
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門の外に何やら銅像があります。
 
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回り込んで確認すると武蔵坊弁慶のようです。見栄(みえ)を切っていますから歌舞伎役者でしょう。近くに建てられた看板には、『350年前、現在の人形町のあたりに葺屋町(ふきやちょう)と堺町(さかいちょう)という街があった。当時この街では江戸三座といわれていた芝居小屋のうちの市村座と中村座の二座が歌舞伎を上演しており芝居街と呼ばれていた。緑道の回収に当たって、入口の広場に歌舞伎十八番の内でも人気のある勧進帳(かんじんちょう)の武蔵坊弁慶像をせっちするとともに、その背面に関所風の冠木門(かぶきもん、屋根を持たない門)を設けて江戸情緒(じょうちょ)をかもし出した』と説明されていました。加賀国(現在の石川県の一部)にあった安宅の関(あたかのせき)をイメージしたのでしょう。
 
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トチノキ(栃木)
 
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(続く)

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2013年9月23日 (月)

製品の寿命を考える(三題)

修理に出していたFinePix F770EXRが我が家に戻って来ました。7月下旬に横浜へ出かけた時、ディスプレイ上に「レンズ制御エラー」と表示されるだけで、まったく使えなくなったデジカメです。そこで満身創痍(まんしんそうい)になったため1年余り前に引退させたFinePix F30を緊急避難用として使いながら次に買うべきデジカメの候補をあれこれ比較した結果、同じフジフィルム製のFUJIFILM XF1にしようとすでに決めました。しばらく様子を見ることにして机の上に放置していたFinePix F770EXRは意地を張ったようにその後1ヶ月間も症状が変わらないため、新しいデジカメを購入する前にダメモトで家電量販店を経由して修理に出すことにしたのです。
 

修理が終わったとの電話連絡を受けて向かった家電量販店で店員さんから『部品の交換は不要であり部品を調整しただけなので修理費は不要』と伝えられました。デジカメとともに受け取った修理報告書にはどの部品を調整したのかは記載されていないので釈然(しゃくぜん)とはしませんが、保証期間が過ぎた製品の修理が無料とはありがたいことだと思うことにして、店員さんに根掘り葉掘り問いただすことは止めました。5年前のブログ記事で紹介しましたが、我が家では家電製品を無償で修理してもらうことがなぜか多いのです。エアコン、ドラム式洗濯機、ブラウン管式テレビなどです。決してクレーマーではないのですが・・。
 

と言うわけでFUJIFILM XF1の購入計画はキャンセルすることになりました。1999年に購入したFinePix 2700と2006年のFinePix F30と同様、2012年のFinePix F770EXRもあと5-6年は使うことになりそうです。『嬉(うれ)しくもあり、嬉しくもなし』、つまり嬉し悲しい想いが残りました。
 
                         ☆

 

長年にわたって同じものを使い続ける性癖(せいへき)がある私は自動車を10年以上乗り続けること(最長は17年間、約15万km)にしていますが、もっと長い期間にわたって使い続けているのもがあることに気づきました。それはゴルフクラブです。アメリカに住んでいた時に購入したもので、アイアンは1989年製のマグレガー(MacGregor)、ウッドはキャロウェイゴルフ(Callaway Golf)の新製品であったビッグバーサ(1991年発売)とその弟分を今もそのまま使い続けているのです。
 

ゴルフ仲間からは最新のゴルフクラブにすればスコアが5つくらいは改善できるとアドバイスされているのですが、ゴルフクラブを変えたおかげでスコアが良くなったと言われるのが癪(しゃく)なへそ曲がりの私は今のゴルフクラブへの拘(こだわ)りを捨てられないのです。
 
 
                         ☆

 

最近、苦労させられているものがあります。それは当ブログで何度も記事を投稿したパソコンです。私のパソコン遍歴をかいつまんで紹介すると、1980年頃に職場で使ったコモドール(ComodorePET2001に始まり、自宅用にもMSXパソコンを購入、1989年にはアメリカの職場でアップルのMacintosh SEと衝撃的な出会いがあり、自宅用として1991年に同じアップルのMcintoshsiを購入しました。帰国後は1999年にアップルのiMac、その前後にWindows 95/98 OSを搭載するパソコンが加わり、Window 2000を経て現在はメイン機としてWindows XPのパソコンとサブ用にはWindows 7を搭載するパソコンを使っています。OSとしてのWindowsはアップルのOSのような魅力がなく、製品としての完成度もWindows XPをピークに低下しているように思います。
 

魅力に乏(とぼ)しい上に私を悩ませ続けるのはWindows XPパソコンです。2年ほど前から動作が不安定になりはじめたため、不要なアプリを削除し、使用するアプリは最新版に更新し、ディスクのクリーンアップ/エラーチェク/デフラグ(最適化)およびレジストリエントリの修復もしばしば実行することで何とか動作を安定化させてきました。しかし、1年ほど前からはディスプレイが時々表示しなくなったため外部ディスプレイを接続して何とかしのいできましたが、ついには半年前から音声が出なくなってしまいました。
 

さらに悩ましいのは来年4月にWindows XPのサポートが停止されることが決まっていることです。セキュリティが保たれなくなるため、使い続けることは現実的にできません。そこで意を決しWindows 7パソコンをメインに昇格させるための作業を開始しました。文書や写真などのデータは度重なるハードディスクのクラッシュに懲(こ)りて複数の外部記憶装置に蓄えてありますから、主な作業はメイン機で使用しているアプリのWindows 7対応版を入手してWindows 7パソコンにインストールすること、メールソフトの住所録などをWindows 7パソコンのメールソフトにコピーすること、プリンターやスキャナーのドライバーとユーティリティの変更などです。
 
中には有償で購入しなければならないアプリもありますから費用もかかりますが、できれば年内には移行を完了したいと考えています。Windows OSの度重なる変更のためにこの面倒な移行を余儀(よぎ)なくされた私はその作業をしながら還暦(かんれき)を迎(むか)えたシンガーソングライターのレーモンド松屋さんが2010年に作詞・作曲した「別の貴方(あなた)」を無意識に口ずさんでいました。

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2013年9月21日 (土)

都心のビルを探索:虎ノ門から神谷町へ(後編)

愛宕神社の参道入口にさしかかりました。5年前に訪れた場所で、隣には放送の開始以前からの歴史とラジオ・テレビ放送に関連する貴重な遺産を展示するNHK博物館があります。
 
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参道を少し進むと「出世の石段」があります。前回訪れた時にはこの石段を恐る恐る降りたことを思いだしました。
 
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100mほど先には愛宕トンネルへと続く道がありました。東京23区内で最も高い自然の山である「愛宕山」(標高約26m)を堀りぬいた23区内唯一の「山岳トンネル」で、昭和5年(1930年)に竣工した当時の姿をとどめながら、80年もの歴史を刻んでいるそうです。全長はわずか76.6m、幅は9mですが歩道が両脇に2.5mずつあるので車道は4mしかなく、愛宕下通り側からの一方通行路になっています。左手にあるタワーのようなものは愛宕山山頂に上るエレベーター(20011年に建設)です。
 
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愛宕グリーンヒルズ愛宕フォレストタワー前の広い歩道は並木が整備されていますが、残念なことに駐輪場となっているため美しい景観が台無し・・。
 
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その先にある青松寺(せいしょうじ)は曹洞宗(そうどうしゅう)の寺院。太田道灌(おおたどうかん)が文明8年(1476年)に創建した時には現在の千代田区麹町(こうじまち)辺りにありましたが、徳川家康による江戸城拡張に際して現在の場所に移転したそうです。ちなみに、この境内にあった獅子窟学寮は他の曹洞宗の寺にあった学寮と合併して駒沢大学の基になったようです。
 
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愛宕グリーンヒルズ愛宕MORIタワーは地上42階(地上高186.76m)のオフィス棟
 
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愛宕MORIタワーの角を右折して坂道を上がると、先ほど前を通過した愛宕グリーンヒルズ愛宕フォレストタワーが良く見えます。地上42階(地上高157.26m)の高層マンションです。
 
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反対側には東京タワーが見えて来ました。
 
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坂道の頂上付近まで進んでもビルとビルの間から覗(のぞ)いて見えるだけです。
 
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桜田通り(国道1号)に出ました。円弧型にカーブするオランダ大使館の建物(左)とオランダヒルズ森タワーの間から東京タワーが良く見えます。
 
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何か様子が変だと感じたのでズームアップしてみました。足場と防御用ネットが設置されて縞模様を作り出していたのです。後で調べると、東京タワーではおおむね5年ごとに行われる再塗装工事が行われていました。来年2月頃までこの工事は続くそうです。
 
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最上部と特別展望台の間にもちがう形状の足場が組まれています。最上部の細い部分(NHKの地アナ送信用アンテナがあった場所)は東日本大震災で折れ曲がったため、新しいものと交換されるとともにFM東京(TOKYO FM)の送信アンテナが設置されたばかりです。これも調べると、アンテナの下の太くなった部分(民放の地アナ送信用アンテナが取り付けられていた場所)の補強工事が行われているそうです。こちらの工事は来年の12月までの予定とのこと。
 
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北方向に聳(そび)えるのは20128月に竣工したアークヒルズ仙石山森森タワー。地上47階ダテの複合棟(事務所・店舗・住宅)です。虎ノ門5丁目と六本木1丁目にまたがって建てられました。左隣は六本木ファーストビル、後方に少し見える水色の建物は六本木1丁目にあるオフィスビルの泉ガーデンタワー(地上45階、地上高201m)。
 
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横断歩道橋に上がって桜田通りを望むと虎ノ門ヒルズが良く見えました。
 
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虎ノ門で忘れてはならない建物はホテルオークラ東京です。神谷町駅からテレビ東京の入り口前を通過して坂道を上った場所(虎ノ門2丁目)にあります。このホテルは大倉財閥の2代目当主であった大倉喜七郎氏によって1962年(昭和37年)に開業した名門ホテルで、帝国ホテルホテルニューオータニとともにホテルの御三家と呼ばれたそうです。喜七郎氏は戦前に帝国ホテルを経営していましたが、戦後の財閥解体にともなってその経営から離れたため、帝国ホテルを超えるホテルを造る目的でこのホテルオークラを開業したそうです。画龍点睛(がりょうてんせい)を欠きますからホテルオークラ東京の写真も紹介したいところですが、残暑の中を歩き続けて疲れが溜まりましたので神谷町駅から帰宅することにしました。下の写真は4年前にホテルオークラ東京を友人たちと訪れた時に撮影した古いものです。
 
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(終)

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2013年9月20日 (金)

都心のビルを探索: 虎ノ門から神谷町へ(前編)

所用で虎ノ門へ出掛けました。東京メトロ銀座線の虎ノ門駅で下車、霞が関3丁目にある文部科学省に近い11番口から地上に出ました。

歩道脇にレンガ造りの碑を見つけました。工部大学校跡碑と表示してあります。工部大学校とは聞きなれない名称ですが、隣に設置された説明版には『明治6年(1873年)工業分野における日本人の人材育成を目的として工学校が工学寮内に開校し、同10年(1877年)には工学寮が工部大学校と改称されました。しかし同校は明治19年(1886年)に帝国大学と合併してその工科大学となりました。現在の東京大学工学部の前身です』と書かれていました。
 
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虎ノ門と霞が関の境界となる外堀通り(都道405号)の緩(ゆる)やかにカーブする坂道を上り、東京娯楽部ビルの角を右折しました。
 
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右手前方にひときわ高いビルが見えます。日本初の超高層ビルとなった霞が関ビルです。1968年に竣工したこのビルは地上36階(地上高147m)と、それまで建築基準法で高さが31mに制限されていた時に建てられた他のビルを圧倒する高さだったのです。
 
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その隣に建つのは金融庁などが入る中央合同庁舎第7号館(西館)です。2007年に竣工したこのビルは地上38階(地上高176m)で、その奥に少しだけ覗いているのは同東館(地上33階、地上高156m)。
 
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こちらは目的地の新霞が関ビルです。くの字型に折れ曲がった20階建のこのビルは1987年に竣工しました。霞が関ビルと新霞が関ビルは名前が良く似ていますが、所有者は全く別の組織です。
 
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用件を済ませてから元来た道を引き返すと、前方にひときわ細長い(消しゴム型)のビルが東京クラブビル(左)と特許庁のビル(右)に挟(はさ)まれるように見えました。
 
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外堀通りに出ると左遠方に上部が斜めに切り取られたようなビルが見えました。虎ノ門ヒルズなのかもしれません。
 
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正面のビルはJT(日本たばこ産業)の本社ビルです。1995年に旧本社跡地で竣工した地上35階(高さ169.7m)のこのビルは18階以上をJT本社が使用し、5-17階が貸室(テナントオフィス)となっています。ビルの周りには広いパブリックスペースが確保してあります。屋上に載(の)る変わった形をした(景観にマッチしていない)ものは緊急時発着場(ヘリポート)のようです。
 
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その隣には虎の門病院があります。国家公務員共済組合連合会が昭和33年(1958年)に設置し、現在も運営する総合病院です。
 
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桜田通り(国道1号)に出ました。江戸時代初期に江戸と京都を結ぶ東海道が整備されるまでは、この虎ノ門と平塚市の中原を結ぶ中原街道(都道2号)が利用されていたそうです。この中原街道は虎の門と五反田の間が桜田通り(国道1号)となったため、五反田から先が現在も残っています。
 
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桜田通りを100mほど歩くと左手に見えて来ました。桜田通りから少し奥まっていますが、虎ノ門ヒルズの外観がほぼ出来上がっていました。地上高247mは東京ミッドタウン ミッドタウン・タワー(248m)に次ぐ東京都内2番目の高さですが、最高部は2555mになるとのこと。ちなみに、地上52階のうち、47-52階に入るホテルが米ホテルチェーン大手のハイアット・ホテルズの「アンダーズ」、37-46階が住居フロア、6-35階がオフィスフロア、1-4階が商業フロアとのこと。
 
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低層階の部分はまだ足場が組まれていて竣工は2014年の予定だそうです。森ビルのhpには『虎ノ門から新橋を結ぶ「幻のマッカーサー道路」と呼ばれる環状2号線の再開発計画。立体道路制度の活用により建築物の中を環状2号線が貫通する計画』と説明されています。幻のマッカーサー道路と呼ばれるのは俗説に基づいているようです。この区間は2014年度中に開通するそうです。
 
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ちなみに環状2号線は完成している江東区有明-豊洲区間(3km)に続いて晴海・勝鬨(かちどき)・新橋が開通すると、既存の外堀通り(都道405号)とつながって千代田区神田佐久間町まで約14kmの長さになります。2020年に開催される東京オリンピックの会場を串刺(くしざ)しにする道路ですから注目されますが、7年後までに全線が開通するのでしょうか。

敷地の周囲を歩いて異なる角度(南側)から撮影しました。ガラス窓越しに5階ごとの階数表示が確認できますが、10階の表示の「0」が外れています。
 
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工事用の白い塀には虎ノ門ヒルズの概要と環状2号線道路の様子が写真付きで説明されていました。

 
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虎ノ門ヒルズの外周に沿って南東の角まで歩くと愛宕下通り(都道301号)の愛宕1丁目交差点に出ました。
 
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(続く)

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2013年9月14日 (土)

国立科学博物館 地球環境の変動と生物の進化:地球の生い立ちから人類の誕生まで(後編)

2013_08010134_2 「水に戻った四肢動物」コーナーには古生代後期に両生類から進化した竜弓類と単弓類は陸上へと生活の場を広げましたが、水中生活へ還(かえ)っていくものたちがいたそうです。吊り下げられた巨大な骨格標本(右)は陸生のオオトカゲが白亜紀中頃に海生となったティロサウルス・プロリゲルで、全長が15mもあるそうです。 

2013_08010135 中生代の水性爬虫類(はちゅうるい)と新生代の水性哺乳類(ほにゅうるい)は2億年の時間を経(へ)て同じような姿形に収斂(しゅうれん、差がなくなる変化)進化したそうです。大部分が絶滅した前者はワニ・カメなど、後者はクジラの先祖に近いバシロサウルス・ケトイデス(写真左上)や現生するクジラ・イルカ・カバなどがいます。

2013_08010128「陸上を支配した哺乳類」コーナー(写真右側)には両生類から進化した単弓類が三畳紀後期(2.3億年前)に真の哺乳類を誕生させたと説明してあります。初期の哺乳類はネズミほどの大きさでしたが、白亜紀末(6500万年前)には新生代を支配する有蹄類(ゆうているい、牛や馬の先祖)や霊長類などもあらわれたそうです。 

2013_08010130北アメリカで出土したコロンビアマンモスです。マンモスはアフリカに出現したあと、ユーラシアに進出し、北アフリカで進化したものであると説明されていました。マンモスの手前に見えるのは重脚目のアルシノイテリウム(植物食動物)でマンモスと同様にゾウの近縁と考えられているそうです。巨大な角があることでサイにも似ています。

いよいよ人類(ホモ・サピエンス)が登場しました。ちなみにホモ・サピエンスはホモ(人)とサピエンス(考える)を組み合わせた言葉。人類は類人猿との共通祖先から約1000万年前に分かれたと考えられているそうです。まずオランウータンと別れ、次いでゴリラと別れ、約600万年前のアフリカでチンパンジーと共通の祖先から別れたそうです。ですから人類は決してチンパンジーが進化したものではありません。

2013_08010131「よみがえる私たちの祖先(そせん)」では化石や石器という証拠を解剖学(かいぼうがく)と考古学(こうこがく)の知識にもとづいて比較研究することによって、身体の特徴や精神活動が推測され、さらに想像力を加味して復元が完成すると説明されています。
 

2013_08010132 アフリカで進化を続けて猿人(上の写真の左端、チンパンジー的な特徴を残す)から原人(同じく左から2番目、脳が増大し足が長い)となった人類の祖先は180万年前にアフリカを出てユーラシア大陸の各地へ向いました。そして北京原人やジャワ原人などになり、さらには旧人(同じく右端、ネアンデルタール人など)へと進化したのです。

現在の人類(ホモ・サピエンス)の祖先は約20万年前以降(5-20万年前)に同じアフリカで旧人から新人(しんじん、クロマニヨン人など)へと進化し、すぐれた思考能力によって約5万年前から急速に世界中へ広がっていったそうです。ほんの数万年前には一つの集団であったホモ・サピエンスはアフリカ大陸から氷河期で海面が下がって陸続きであった5大陸(オーストラリアやニュージーランドなどを含む)へと広がり、1万数千年前にアラスカを経由してアメリカ大陸へと渡って行ったことが解説されていました。

現代人の外見(体格・顔立ち・肌の色など)は人種によって大きく異なりますが、この数万年間に生活環境に適応したためであり、すべての人種が一つの集団から発生した(注;上記した旧人たちがそれぞれ新人へと進化したのではない)ことが多くの人種の遺伝子(DNA)調査でも裏付けされているそうです。

2013_08010133「化石から知るホモ・サピエンスの進化」「考古遺物が語る現代人的行動のルーツ」と表示された場所には旧人と新人の頭蓋骨(ずがいこつ)、食用された貝、旧石器時代から新石器時代にかけての石器、小さな貝を使った世界最古のネックレス、天然の顔料、ダチョウの卵の殻(から)などが展示されていました。

2013_08010136 午後5時が近付くと閉館の案内があったため科学博物館の出口へ向かうと、THEATER 360の入口前に出ました。通常のプラネタリウムが半球であるのに対して、このプラネタリウムは全球(下側の半球もある)の中心付近からあらゆる方向のスクリーに映る映像が音声付きで見られる優れものです。これはまたの機会に・・。 

2013_08010138 国立科学博物館は館内が飲食禁止でしたから、上野駅に向かう途中で東京文化会館内にあるカフェHIBIKIに入ることにしました。「パンダコパンダ コラボカフェ」とあるのはやはり上野公園です。 ちなみに「パンダコパンダ」は1972年に中国からパンダが上野動物園に贈られた時に制作されたアニメ映画のことでしょう。 

2013_08010140 入口を入ったところで注文をする仕組みになっていました。店内は細長いスペースにテーブル席が20数席並んでいます。残暑が厳しいため店内の数倍もある外のテラス席には人影はありません。 
 
 

2013_08010143 オチビちゃんとコチビちゃんが選んだのはもちろんパンダづくしで、パンダコパンダ肉まん・あんまんセット(500円)、パンダコパンダ40thパンケーキ(280円)、パンダミルクパン(280円)。手前にあるのは私の大事な燃料(エネルギー源)であるドラフトビール(500円)です。 
 

2013_08010144 オチビちゃんの飲み物はオレンジフロート(600円)で、
 
 
 
 
 

2013_08010145 コチビちゃんもやはり同じものを選びました。
 
 
 
 
 

2013_08010146 コチビちゃんはパンダコパンダ40thパンケーキを上手に切り分けています。左端にあるのはメープル風シロップ&マーガリンの容器です。東京ディズニーランドで見かけた容器と同じディスペンパックで、シロップとマーガリンを一緒に、片手で、手を汚さないで、しかも量を調整することもできる優(すぐ)れものです。 

パンケーキはスクランブルエッグやベーコンなどを添(そ)えて朝食として食べるのが普通で、ホットケーキのように生地に砂糖が入っていないものを指します。しかし、このパンケーキにはなぜかシロップとマーガリン(バターの代用)が添えられているのです。私の判断基準には合いませんが、フライパンで焼いたものはクレープなども含めてすべてパンケーキと呼ぶこともあるそうです。そう言えば東京ディズニーランドのグッドタイム・カフェでパンケーキにクリームとジャムが添えられていたことを思い出しました。

"HIBIKI"で30分あまり休憩(きゅうけい)しているうちに陽が傾いて強烈だった陽光も少し弱まったようですから上野駅へ向かうことにしました。

<同行者のコメント> たんけん広場は面白い実験道具がいっぱいあって二人とも時間を忘れて遊んでいました。そして恐竜のコーナーも何とか見られてよかったと思います。それにしても旦那さまは写真をいっぱい撮りながら、難しい説明をメモしていたことにはいつもながら感心させられました。□

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2013年9月13日 (金)

国立科学博物館 地球環境の変動と生物の進化:地球の生い立ちから人類の誕生まで(前編)

2013_08010110 地下2階へ移動すると、「地球環境の変動と生物の進化 -誕生と絶滅の不思議-」の看板が迎えてくれました。最初の「46億年の散歩道」コーナーでは『地球は同じ太陽系の惑星とともに46億年前に誕生し、40億年前に地球の海中で誕生した生命は地球環境の変遷とともに進化し、ついには人類が誕生した』 との説明がありました。

2013_08010111 熱帯雨林(レインフォレスト)のような風景がスクリーン上に映し出されています。
 
 
 
 

2013_08010112 「化石が語る地球の歴史」のコーナーです。地球誕生時の出来事は隕石(いんせき)や月の石を調べるとその成り立ちと形成年代が分かると解説されています。
 
 
 

2013_08010113 「シマシマが地球の過去を解き明かす」とは地球環境のリズミカルな変動が地層の断面や生物の生存痕(せいぞんこん)に残される記録は地球と生物との関わりを解き明かすことに役立っているそうです。 
 
 

2013_08010115 「化石が語る地球の歴史」では地層にふくまれる化石が過去の地表環境の変遷(へんせん)と生物進化をあらわす証拠(しょうこ)であると説明されています。
 
 
 

2013_08010116 プランクトンや小さな海底生物の殻(から)などの小さな化石は微化石(びかせき)と呼ばれ、地層の年代の決定や過去の地球環境の復元によく用いられていることが紹介してありました。 
 
 

2013_08010118 「最古の生命化石」の言葉が目を惹(ひ)きました。先カンブリア時代(20数億年前)の生物はほとんどバクテリアなどの微生物であり、光合成をする微生物の活動でストロマトライトが形成され、大気中に酸素が放出されたそうです。またバクテリアは海底のところどころで膜状に広がり、その痕跡は地層の表面に残されているそうです。 

2013_08010119 「海で起こった爆発的な生物の進化」コーナーに入ります。 
 
 
 
 

2013_08010120 三葉虫(さんようちゅう)は古生代に大繁殖した節足(せっそく)動物の1群で、この時代の浅海(せんかい)を最初に征服(せいふく)した動物だそうです。頭部に奇妙なツノやトゲを持つものなど形態的に実に多様であり、古生代の海の王者と呼ばれるほど繁栄したものの、古生代の末(2.5億年前)には絶滅したそうです。 

2013_08010122 カンブリア紀前期(5.3億年前)に背骨をもつ動物である魚類があらわれて、顎(あご)・四肢(しし)となる骨格・肺(はい)など陸上へ進出した子孫たちが持つ多くの特徴を獲得して多様化していったそうです。そしてデボン紀(4億年前)には現代の魚類の祖先だけではなく、両生類の祖先も出揃(でそろ)ったようです。 

2013_08010123 グロテスクな顔をしたポトリオレピスなどの板皮魚類(ばんひぎょるい)の多くはデボン紀(4.1億年前に)に現れ、デボン紀末までに絶滅。頭部と胸部が皮骨でできた外骨格でおおわれているが、その後ろは次第に細くなっています。板皮魚類は軟骨魚類(サメやエイなど)の祖先に近縁(分類上近い関係)であると説明されています。 

2013_08010124 オルドビス紀中期(4.6億年前)に植物は現在より酸素の少ない陸上へと進出し、石炭紀(3.5億年前)には胞子で繁殖するシダ植物が大森林を完成。やがて乾燥に強い種子を持つ裸子(らし)植物、さらに白亜紀中期(1億年前)には花を咲かせ実をむすぶ被子(ひし)植物が森林を作る主役となって動物との関係を築いたそうです。 

2013_08010125 オルドビス紀に出現した原始的な陸上植物はデボン紀前期(4億年前)に多様に発展、デボン紀の中期に出現したシダ植物や前裸子(ぜんらし)植物はデボン紀後期(3.7億年前)に森林を形成。石炭紀は石炭が地球規模で形成された時代であり、中生代には裸子植物のイチョウやソテツ、針葉樹などが森林を構成したとのこと。

2013_08010126 アンモナイトは古生代シルル紀末期から中生代白亜紀までおよそ3億5000万年にわたって海洋に広く分布し繁栄した頭足類の一つで、全ての種が平らな巻き貝の形をした殻を持っているのが特徴。現在も生息するオウムガイに似た巻貝だったようで、真珠と同じ成分を持つため宝石に指定されてアンモライトと呼ばれています。   

2013_08010127 両生類のエンセファロケファルスです。約3億2000万年前の石炭紀後期に両生類の中でもっとも進化したグループからもっとも原始的な単弓類(たんきゅうるい、後に哺乳類を生み出す)ともっとも原始的な爬虫類(はちゅうるい)がほぼ同時に出現したそうです。(続く)

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2013年9月12日 (木)

国立科学博物館 地球環境の変動と生物の進化(恐竜編)

2013_08010093 「たんけん広場」に長居をしすぎたこととイトカワの微粒子を見るために長い時間待ったため閉館時間が迫ってきました。急いで地球館の地下1階へ向かいました。恐竜が多数展示されている「地球環境の変動と生物の進化」コーナーです。 
 

2013_08010094 バンビラプトルなどの獣脚類は竜盤類の恐竜の一分類群で、その多くは羽毛を有していたことが分かってきたそうです。鳥類の祖先も獣脚類の恐竜のデイノニクス類から進化したと考えられています。ちなみに恐竜の祖先は無脊椎動物と魚類を経て進化した両生類ですが、同じ両生類を祖先として生まれた哺乳類から人類が誕生しました。 

2013_08010095 左手に大きな恐竜の骨格標本がありました。ヒパクロサウルス(鳥盤目・鳥脚亜目・ハドロサウルス科)は白亜紀後期(約8000万年前)に北アメリカに生息した全長約7.5mの草食恐竜です。下に少しだけ背中が写っているのはその子供と思われます。   
 

2013_08010096 大きな頭と口を持つティラノサウルス(竜盤目・獣脚亜目・ティラノサウルス科)は白亜紀後期(約6600万年前)に北アメリカに生息した肉食恐竜。 
 
 
 

2013_08010097 頭部だけの展示です。
 
 
 
 
 

2013_08010098エウオプロケファルスは鳥盤目・鎧竜亜目・アンキロサウルス科です。白亜紀後期(約8000万年前)に北アメリカに生息した全長約6-7m)の草食恐竜。 
 
 
 

2013_08010107エウオプロケファルスの復元図
 
 
 
 
   

2013_08010099ステゴサウルスは鳥盤目・剣竜下目・ステゴサウルス科です。ジュラ紀後期(約1億5000万年前)に北アメリカに生息した全長6-7m)の植物食恐竜。 
 
 
 

2013_08010102ティラノサウルスの後ろ姿から腰骨と後足が発達していることが分かります。 
 
 
 
 

2013_08010100アパトサウルス(竜盤目・竜脚下目・ディプロドクス科)の頭部と長い首です。ジュラ紀後期(約1億5000万年前)に北アメリカに生息した全長約18m(推定)の植物食恐竜は体重が24-32トン(推定)と重いため陸上を歩くことができず、湖沼に住んでいたと考えられるそうです。 
 

2013_08010101同上の胴体と脚
 
 
 
 
 

2013_08010103 パキケファロサウルス(鳥盤目・堅頭下目・パキケファロサウルス科)は白亜紀後期(約6600万年前)に北アメリカに生息していた全長約2.9m(推定)の石頭恐竜(植物食恐竜)で、名前の通り前頭部に特徴があります。 
 
 

2013_08010106 トリケラトプス(鳥盤目・角竜下目・ケラトプス科)は白亜紀後期(約6600万年前)に北アメリカに生息した全長約6m(推定)の植物食動物。 
 
 
 

2013_08010108 恐竜が大好きなオチビちゃんとコチビちゃんは真剣に解説を読んでいます。実は、この二人は去年の夏に横浜で開催された恐竜展にも出かけています。
 
 
 

2013_08010109 肉食恐竜の歯についても勉強しています。(続く)

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2013年9月11日 (水)

国立科学博物館 科学と技術の歩み

2013_08010062 次いで向かったのは同じ2階にある「科学と技術の歩み」エリアです。私の目を惹いたものは入口近くにある「万年時計」、発明家田中久重氏の代表作品(1851年)です。正式名は万年自鳴鐘(じめいしょう)。ゼンマイを巻くと1年近くも動き続け、太陽と月の動き(最上部)、二十四節気、曜日、十二支まで表示できる優れものです。

2013_08010064 左手に入った「新たな日本の科学技術」コーナーの展示台に乗せられた大きな物体は「クリーンジーゼルエンジン」でした。マツダが開発した燃費が良くて排気ガスがきれいなジーゼルエンジン(SKYACTIV-D)は高圧の燃料噴射器と前に置かれたピストンの形状、および低圧縮比に新しい工夫があるようです。

2013_08010066 「新たな日本の科学技術の発展」コーナーの左奥にオープンリールの磁気テープ記憶装置らしきものが見えますから古い国産の電子計算機のようです。 
 
 
 

2013_08010067この真空管式計数型電子計算機FUJICはレンズの設計計算用として富士写真フ ィルム(現富士フイルム)によって開発され、日本で最初(1956年)に稼働した計数型電子計算機であり、高速で動作する真空管を1700本も使ったことで、計算速度は人手の約2000倍に高速化されたことが説明されています。   

2013_08010068 日本初のリレー計算機ETL-MARKⅡは1955年に電気試験所(現在の電子技術総合研究所)が開発したものだそうです。電話交換機用の主要部品であるリレーを約2万2000個使った計算機です。操作卓の右側には数字だけのキーボード(各桁毎に0から9までのボタンが並ぶ)が見え、後方にリレーが搭載された棚が少し見えます。 

2013_08010070 九元連立方程式求解機(きゅうかいき)と難解な名前がつく機械は複雑な連立方程式が解けるアナログ計算機でした。1936年(昭和11年)にアメリカのウィルバーが考案して製作した情報をもとに東京帝国大学航空研究所員たちが1944年(昭和19年)に製作した国内初の大型計算機械であると説明されています。 

2013_08010071 「近代化の成果」コーナーにあるNE式写真電送装置は現在のファックスの原型といってもよいでしょう。1928年(昭和3年)に京都で執り行われる天皇即位の御大典に向けて毎日新聞の依頼で日本電気(NEC)が提供した国産第一号機でした。東京から大阪へ伝送された馬車の写真が中央に見えます。 

2013_08010074 しゃれたデザインの自動車は国産量産車のさきがけである「オートモ号」(復元)です。1925年(大正12年)製の諸元は、全長3030mm、全幅1212mm、重量450kgの車体に、空冷直列4気筒エンジン(排気量943cc)でした。1924年(大正13年)から市販され、4年間で約300台が製造した後、この会社は1927年に解散しました。

2013_08010077 オートモ号の後継エンジンです。こちらは水冷、四気筒、オーバーヘッド型(OHV)、排気量1521ccとつい最近まで使われていたエンジンの仕様と同じ構成であることは意外でした。ちなみにオートモはAutomobileの略、あるいは開発者の祖先大伴(おおとも)氏に由来するようです。 
 

2013_08010076ダット61型水冷式エンジン(カットモデル)はダット自動車製造が昭和4年-5年頃に生産した自動貨車(トラック)用エンジンです。明治44年に日本で最初の自動車製造会社である快進社(後のダット自動車)が誕生しましたが、ダットの名称は快進社の出資者である、田、青山、竹内各氏の頭文字を組み合わせて作られたそうです。

1931年に日本産業(日産財閥)の鮎川義介がダット自動車の株とダットサン製造の権利を得たことで1932年にダットサンのブランドが誕生しました。ちなみダットサンはダットのサン(息子)を意味して英語名は当初"Datson"でしたが、"son"が損を連想させるため"Datsun"に変更された経緯があります。

2013_08010079 零式艦上戦闘機(通称零戦)は皇紀2600年(1940年)に海軍の制式戦闘機として採用されたため零式と呼ばれ、11型、21型、32型、22型、52型、63型などが約1万機も生産されたと説明されています。この展示品は21型を改造して複座(2座席)の偵察機(ていさつき)とした世界に一機しかない複座型零戦(復元)です。   

2013_08010080 キャノピー(風防)は後方視界を良くするように工夫されています。可変ピッチのプロペラの後ろにある栄(さかえ)一二型エンジン(950馬力)のカウル(覆い)は展示のために取り外されていました。主翼全面にある穴は内蔵された九九式一号20mm機銃用で、胴体下にある流線型の物体は爆弾ではなく増槽(増設燃料タンク)です。

ちなみに現在公開中のアニメ映画「風立ちぬ」の主人公はこのゼロ戦を設計した堀越二郎氏。当ブログでは零戦パイロットをテーマにした百田尚樹著「永遠の0」とニュージーランドの戦争博物館で見た零戦の写真を紹介しています。

2013_08010081 「近代化のはじまり」コーナーには1854年(安政元年)に通商条約を結ぶため再来航した米国のペリーが献上した標準天秤(重量計測器)が展示されていました。 
 
 
 

2013_08010084 「新たな日本の科学技術の発展」コーナーへ戻ると小惑星イトカワに到達して微粒子(びりゅうし)を持ち帰った小惑星探査機「はやぶさ」(模型)の下に長い行列が出来ていました。はやぶさが持ち帰った微粒子を実際に見られる催(もよお)し物がありました。   
 

2013_08010091 カンラン石と呼ぶ鉱物の微粒子は大きさが0.049mmと小さいため顕微鏡を使って見るようです。オチビちゃんととコチビちゃんの二人は制限時間(1分間)まで熱心に見つめていました。(続く)

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2013年9月10日 (火)

国立科学博物館 たんけん広場(後編)

2013_08010027これはトムソンリング装置です。台の下にあるコイルを貫通した鉄棒にアルミ製のリングがはめられています。そのコイルに電流が流れると電磁誘導でリングにも電流が流れて(互いに反発する磁界が生じて)リングが跳び上がります。マイクに向かって大声を出したり手を叩いたりすると電流を流すスイッチが入るようです。 

2013_08010030 これは空気の流れ(ベルヌーイの定理)を利用した風船シュートゲームです。ベルヌーイの定理とは飛行機の翼に揚力が働くことなど流体のエネルギーが保存されるとする定理です。向きが変えられる送風口には風の強弱ボタンも付いていますが、これらをコントロールしながら風船をゴール(上のリング)に通すことはなかなか難しいようです。 

2013_08010032 続いてコチビちゃんもスタートします。よく狙って風船を持ち上げましょう。
 
 
   
 

2013_08010036 これは滑車と力のつりあいを体験する装置です。オチビちゃんが動滑車側にぶら下がっていますから同行者は半分の力で引っ張ることができます。逆にすればちょうど釣り合うと思うのですが・・。 
 
 

2013_08010041 こちらのコンビはバランスが取りやすい使い方をしています。どちらが重いかな?
 
 
 
 

2013_08010038 これはチェーンブロックという重いものを持上げることができる装置を使って自分自身を楽に持ち上げることができる装置でした。 
 
 
 

2013_08010042 オチビちゃんでも上手く使えないようで同行者から説明を受けています。
 
 
 
 

2013_08010043 これは2つの動滑車(および2つの定滑車)を利用して自分を持ち上げる装置です。赤いロープとオチビちゃんが載(の)るブランコが2つ動滑車を経由してつながっていますから体重とブランコの重さの1/5の力で自分が乗るブランコを持ち上げることができます。ちなみに別の人がロープを引っ張る時には1/4の力になります。 

2013_08010044 ガラスケースの右端にあるドラムは静電気発生装置のようです。ハンドルを回してドラムを回転させるとブラシと擦(こす)れて静電気が発生します。発生装置につながれた導線を伝わる静電気でモーターが回ったり振り子が揺(ゆ)れたりしました。   
 

2013_08010048 サウンドループという装置です。イヤホンを耳につけて、それと接続された卓球のラケットのようなもの(コイルがに取り付けられている)を左側にある電気信号(音楽)が流れている大きなループに近づけると、電磁誘導で小さい方のコイルにも電気信号が流れてイヤホンで音楽を聞くことが出来ます。 

2013_08010049 その原理が図解して説明されていました。硬い表現をすれば「磁気誘導通信」です。コイルに流れる電流が磁界(磁力)となって、別のコイルを横切ると元と同じ電気信号(この場合は音楽)に戻るのです。これ原理はSUICAカードや携帯電話に内蔵される非接触ICカード(FeliCa)、そして走行する電車との通信にも利用されています。 

2013_08010050 何を思ったのか同行者が遊び始めました。磁石を静かに近づけるとランプが・・・。
 
 
 
 

2013_08010051 磁石を動かすことで変化する磁気(磁界)の強さが電気に変わる仕組み(発電機の原理)を体験する装置です。
 
 
 
 

2013_08010054 強力な磁石に吸い寄せられる金属製の鎖で磁力の強さを体感できます。
 
 
 
 

2013_08010058 これは強力(高圧)な電気を放電させてアークを発生させる装置です。アークが発する熱で温められた周辺の空気に押されてアーク自身の位置が少しずつ上昇して行く様子が不思議でした。 
 
 

2013_08010060 こちらは光の三原色実験装置です。R(赤)・G(緑)・B(青)の3種類の光(ライト)を重ねてスクリーンに投影した時の色の変化が見られます。ライトが壁に映る場所を変えたり、ライトの強さを変えたりして試すことで、影になった部分の色がどうなるかも確認することができます。
   

この他にも「手回し発電機」など多数のアトラクションがありましたが、一カ所で遊びすぎたようですから、次の展示会場へ向かうことにしました。(続く)

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2013年9月 9日 (月)

国立科学博物館 たんけん広場(前編)

2013_08010005 8月の初旬のことですが、JR上野駅の公園口改札を出て上野公園に入りました。おチビちゃんとコチビちゃんの二人が大好きな科学博物館へ行くためです。目的地の国立科学博物館(National Museum of Nature and Science)は東京文化会館と国立西洋美術館の間を抜けた右手にありました。 

2013_08010137 1930年に建設されたこの建物(上野本館)は目黒の自然教育園と同じ独立行政法人が運営しています。以前使われていたというこの正面玄関は閉鎖されていました。上空から見ると飛行機の形をしているようです。なお順路の関係でこの写真は帰路に撮影したものです。 
 

2013_08010006 門の右手に蒸気機関車(D51)が展示してありました。昭和14年に製造されたこのD51は東海道本線・山陽本線・その他で活躍し、昭和50年に北海道追分機関区で休車するまで約216万km(地球を約54周)を走行したと説明されています。 
 

2013_08010008 右端にコチビちゃんとお母さんが歩いています。オチビちゃんは同行者とともにかなり先行して建物に入ろうとしています。
 
 
 

2013_08010009 日本館と地球館の2つの展示館があるようです。常設展示の入館料は大人が600円ですが、高校生以下は無料でした。今回は地球館を中心に見て回ることにして3階から下の階へと降りながら回るためにエスカレーターを使って地球館の2階まで上がると、子供たちで溢(あふ)れた「たんけん広場」が見えました。 

2013_08010010 音・光・力・運動・電気・磁気などの物理現象を体感することができる施設のようですから予定を変更して入ることにしました。入口付近にあった「まぼろしの壁」という展示装置の仕組みが理解できなかったオチビちゃんが次に向かった場所には何かのハンドルがあります。
 

2013_08010011 そのハンドルを回すと歯車で動力が伝えられるようです。歯車の下には60kgの重りが見えます。
   
 
 
 

2013_08010012 実は巨大な竹とんぼを飛ばす装置でした。ハンドルをまわして引き上げた重りが下へ降りる時のエネルギーがチェーンを介して竹トンボ(長さが1.5mのプロペラ)の軸を回転させて勢いよく上に飛びあがりました。 
 
 

2013_08010015 コチビちゃんも挑戦します。
 
 
 
 
 

2013_08010013 こちらはレールの上を転がる玉の速さがレールの傾き具合(直線的・カーブ・折れ曲がり)でどのように違うかを実験する器具です。大阪市立科学館にも同様のものがありました。一番早いレールの曲がり形状を求めるには力学と数学の知識が必要ですが、その答えはジェットコースターや高速道路などに見られるクロソイド曲線です。 

2013_08010014 屈曲した鏡では体の一部が大きく伸び縮します。
 
 
 
 
 

2013_08010016 これはジャイロの性質を体感するアトラクションです。高速で回転する車輪を両手に持って傾きを変えようとしますが、なかなか上手く出来ません。ジャイロ効果は自転車やオートバイに応用されています。私が子供の頃には円盤が回転している間は決して倒れない地球ゴマと呼ばれるコマがあったことを思い出しました。 

2013_08010022 コチビちゃんも神妙な顔をして試しています。
 
 
 
 
 

2013_08010021 アーチ構造の実験です。石材に恵まれたメソポタミア、エジプト、ギリシャなどで地下構造物としてこの技術が採用されましたが、古代ローマで発展してコロセッオ水道橋などの建築物に使われました。江戸時代初期には中国を経由してこの技術が日本に導入され、最初に造られたアーチ型石橋は長崎の眼鏡橋のようです。 

2013_08010024 明治時代に入ると東京駅丸の内駅舎有楽町駅舎旧万世橋駅舎など多くのレンガ造りの建築物に採用されました。説明パネルを使ってお母さんがオチビちゃんにアーチ構造を説明しています。 
 
 

2013_08010026 コチビちゃんもアーチ作りに成功して得意満面の笑(え)みを浮かべています。(続く)

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2013年9月 4日 (水)

30周年を迎えた東京ディズニーランド(最終回)

Img_0643 ピーターパンの海賊船には緑色の衣装を着たピーター・パンが中央に立っています。隣りの赤いコート姿はもちろんフック船長。ディズニーでは緑色の衣装が定着していますが原作では茶色い服なのだそうです。 ちなみに名字(みょうじ)のパンはギリシャ神話に登場するいたずら好きの半獣神パーン(Paon)に由来するそうです。

Img_0645 ジーニーは映画「アラジン」に登場するランプの精で、デイパレードではリアルな(アニメ通りの)姿でした。 
 
 
 
 

Img_0653 お城の右端に立つのはアラジンと王女ジャスミンの二人と思われます。
 
 
 
 

Img_0655 青い風船を持つクマのプーさん(黄色い顔と赤色の服)・トラのティガー(茶と黒の縞模様)・ロバのイーヨー(こげ茶色)、そして樽(たる)に入ったハチミツもデイパレードと同じです。 
 
 

Img_0659 アニメ映画「トイ・ストーリー」のキャラクターが大集合しました。主人公のウッディ、ジェシー、バズ・ライトイヤー、ミスター・ポテトヘッド、、ティラノサウルスのレックス、ステゴザウルスのトリクシー、宇宙人のリトルグリーンメンが全部分かりますか? 
 

Img_0661 これはアニメ映画「ファインディング・ニモ」のニモに間違いありません。 
 
 
 
 

Img_0663 タートル・トーク(ディズニーシーのアトラクション)に登場するウミガメのクラッシュがクラゲやヒトデたちと遊んでいます。
   
 
 

Img_0665 アニメ映画「モンスターズ・インク」の主人公である一つ目のマイク(黄緑色)と怖がらせ屋のサリー(青と赤のブチ)
 
 
 
 

Img_0669 シンデレラのスカートがピンク色から青色に変わりました。高い場所にいる魔法使いが魔法の杖(つえ)を振りながら『ビビディ・バビディ・ブー』とおまじないを唱えたからなのです。ちなみに、シンデレラはフランス語で「灰かぶり」を意味するようです。
   

Img_0671 この時計台はロンドンのビッグベンで、その前に立つ人物はシンデレラに求婚する王子様です。
 
 
 
 

Img_0673 舞踏会場(ボールルーム)はお妃(きさき)選びの場所
 
 
 
 
 

Img_0677 カラフルな羽根を持つティンカーベル(ネバーランドに住む妖精)と仲間たちです。撮影のタイミングを失しそうになったため大きくブレてしまいました。
 
 
 

Img_0683 ショーボート(劇場船)にはドナルドとガールフレンドのデイジー、そして子豚(こぶた)などが乗っています。
 
 
 
 

Img_0685 エアシップ(飛行船)にはシマリスのチップとデールが
 
 
 
 
 

Img_0687 ザ・ムーン(月)にはメリー・ポピンズとバート(右端のこうもり傘が付いた小舟)、ピノキオ(左端の星のゴンドラ)、コオロギのジミニー(月に腰掛けている)と人形職人のゼペットなどが乗っています。ちなみに「星に願いを」は映画「ピノキオ」の主題歌です。 私の好きなサッチモ・バージョン映画の原曲(歌クリフ・エドワーズも。 

Img_0689 全部で13セクションあるというエレクトリカルパレード「ドリームライツ」のファイナルはザ・サン(太陽)でした。リロとスティッチ、おしゃれキャットのマリー、プルート(ミッキーマウスのペット犬)などが見えます。最後尾はスポンサーである外資系IT会社のフロートが・・。 
 

Img_0695 エレクトリカルパレードが終了するとシンデレラ城の周辺は静けさを取り戻しました。アイフォーンを使った夜間撮影はかなり厳(きび)しくて、お見苦しい写真を掲載しましたことをご容赦(ようしゃ)ください。 
 
 

Img_0701 人の波がワールドバザールへと向かって行きます。お土産を買いたいという声がグループ内から出たためショップに入りました。私はもっぱら子守をしながら45分ほど休憩することができました。
 
 

Img_0705 午後9時半を過ぎると先ほどまで青色だったシンデレラ城の照明がピンク色に変わっていました。
 
 
 
 

Img_0711 出口付近からワールドバザールを振り返ると、最後の記念写真を撮る人たちでごった返していました。
 
 
 
 

<同行者のコメント> 今回もずいぶん写真を撮りましたね。お疲れ様でした。朝から雨模様で心配しましたが、何とか予定通りに回れたのは、わが家の旦那様以上にメンバーが下調べをしてくれていたからだと思います。おかげ様で小さな子供たちとずっと一緒に過ごす楽しい一日になりました。みなさん、本当にありがとう。(終)

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2013年9月 3日 (火)

30周年を迎えた東京ディズニーランド(第10回)

日がとっぷり暮れたため、次にどのアトラクションへ行くかアイディアが続出しました。ウエスタンランドで蒸気船に乗る、トムソーヤ島いかだ(夕刻まででNG)、ジャングルクルーズ、ファンタジーランドでピーターパン空の旅、ピノキオの冒険旅行などの中から「ジャングルクルーズ」が選ばれました。この日で初めてとなる船のアタラクションを楽しみたくなったのです。

Img_0564 ウエスタンランドを横切ってアドベンチャーランドに入りました。ジャングルクルーズの乗り場は午後の早いうちに乗ったウエスタンリバー鉄道のすぐ隣です。辺りは真っ暗ですが看板だけは照明されていることで何とか確認することができました。 
 

Img_0566 建物の中に入っても照明がほとんどなくて薄暗いのです。アマゾン川、ナイル川、イラワジ川、ガンジス川などをボートに乗って熱帯のジャングルに挑むアトラクションで、突然水を吹き上げる象や襲いかかるカバ、そして先住民との遭遇などが楽しめると説明されています。
 

Img_0585 風がほとんど入らない蒸し暑い迷路のように折れ曲がった通路に並んで20分ほど待ちました。思ったよりも小さな船は30人ほどで満員になり、やっと出発しました。聞きなれない動物や鳥の鳴き声だけが暗闇の中に響きます。「カリブの海賊」よりも暗くて人影のようなものが時々見えるだけなのです。 

Img_0588 選択を誤ったかなと思う間もなく、軽妙(けいみょう)で愉快(ゆかい)なスキッパー(船長)さんのトークが漫談家の綾小路(あやのこうじ)きみまろさんのように面白いのです。とは言ってもディズニーランドですからゲストに失礼な発言は一切ありません。立板に水のような船長さんの面白いガイドで船内に笑い声が響きました。 

Img_0592 石垣にツタがはっているようですが・・。
 
 
 
 
 

Img_0595 これはサルでしょうか?
 
 
 
 
 

Img_0601 人と小象が並んでいるのがランプの灯りで見えました。夜のジャングルクルーズはジャングルの様子がほとんど見えず、スキッパーさんの楽しい独演会に終始しましたが、こんな楽しみ方があっても良いでしょう。 
 
 

Img_0605外に出ると、昼間に見たチキルームの高い塔も各階の赤色灯で何とか存在が確認できるだけです。
 
 
 
 

Img_0609 シンデレラ城前の大きなロータリーに面したクリスタルパレス・レストランが見えてきました。人ごみのためこれ以上は進めないようですから、その横の道路に場所を確保しました。ロータリーから数mも離れています。
 
 

Img_0611 写真撮影ができる場所をさらに探してクリスタルパレス・レストランの前に出ました。少し小高くなっていてライトアップされたシンデレラ城の全景がよく見えます。
 
 
 

Img_0613 午後8時を過ぎてシンセサイザーが奏でるファンファーレが響きました。しばらくすると遠くからエレクトリカルパレード・ドリームライツのフロートが近づいて来るのが見えます。コースはデイパレード「ハピネス・イズ・ヒア」と同じで、ホーンテッドマンションの横を出発してロータリーまで到着するには数分長くかかりました。 

Img_0615 最初に現れたのは、蝶のように見えましたが、ピノキオに登場するブルーフェアリーでした。ブロンドの髪の毛に、青い目、水色のドレス、そして背中にはチョウのような半透明の羽根がある美しい妖精です。先に星がついた魔法の杖(つえ)を持つところから、別名「星の女神」とも呼ばれるそうです。 

Img_0617 光の騎士(きし)たち続きました。手振れ写真になったことはアイフォーンに免じてご容赦下さい。
 
 
 
 

Img_0619DREAM Lightsと大きく表示されたミッキーのドリームライツ・トレインの客車の乗るのはミッキーとミニー、機関車の運転手は愛犬のプルートです。
 
 
 

Img_0621 瞬時に色と文字が変わりました。
 
 
 
 
 

Img_0625 「不思議の国のアリス」のレディバグ(てんとう虫)
 
 
 
 
 

Img_0629 いたずらそうな顔をしたネコは「不思議の国のアリス」のチェシャネコ
 
 
 
 

Img_0633 カメのように見えるのは同じくカタツムリのMs.スネイル
 
 
 
 
 

Img_0635 背中が緑色をしているのは同じくMr.スネイル
 
 
 
 
 

Img_0637 アニメと実写を組み合わせた映画「ピートとドラゴン」のドラゴンとピート(ドラゴンの首につかまっている)   
 




Img_0641そして白雪姫が登場しました。残念なことに、「七人のこびと」たちのフロートは2年前のリニューアルで取りやめになったため見ることが出来ませんでした。(続く)

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2013年9月 2日 (月)

30周年を迎えた東京ディズニーランド(第9回)

Img_0490 コチビちゃんが欲しがっていたポップコーン用スーベニアバケットをシンデレラ城の裏手にあるキャッスルカルーセル前で見つけました。赤地に白い水玉模様のスペシャル・バージョンで、なかなか見つからなかったのです。9月からはハピネス・バルーンをモチーフにしたバルーン形のバケット(ピンク色)も販売されるようです。

Img_0498 ハニーポップコーンがいっぱい入ったバケットを肩から下げてポーズをとるコチビちゃんはご満悦(まんえつ)です。よく見るとミニーちゃんのリボンの形をしていました。もちろんチビエちゃんにも同じものをプレゼント。オチビちゃんとチビスケくんは中味にしか興味がないようです。
 

Img_0518 トゥモローランドの巨大なドーム型の建物に入るスペースマウンテンに到着しました。アストロブラスターのすぐ近くの建物です。 
 
 
 

Img_0496 もちろんファストパスで予約してあります。
 
 
 
 
 

Img_0500 正面のエスカレーターで入口へ向かいました。
 
 
 
 
 

Img_0502 通路を左手へ向かった場所に入口がありました。
 
 
 
 
 

Img_0504 振り返るとスペースマウンテンの前は順番を待つ人たちで溢れています。
 
 
 
 

Img_0506 警告が物々しくて手ブレが生じてしまいました。
 
 
 
 
 

Img_0508 内部に入って暗い通路を進みました。
 
 
 
 
 

Img_0510 宇宙船を連想させる巨大な物体(緑色に光る先頭と操縦席の窓が見える)と暗い空間が目の前に広がりました。宇宙ステーションを演出しているのです。
 
 
 

Img_0512 しかし乗船口だけは照明があって足元を確認できるように配慮されています。上から見るロケットは6人乗りの車両が2両連結されたジェットコースターそのものです。ちなみに乗船できるのは身長が102cm以上で、乗船中は写真撮影ができません。
 

ロケットが急上昇して光に包まれると重力の感覚がおかしくなりました。暗闇の中で上下左右に振り回されていると目眩(めまい)を覚えそうです。私には目眩の前歴(耳石の影響)があり、その体験が頭をよぎって思わず顔を伏せてしまいました。停止したロケットから何とか降りた私に向かって同行者は笑いながら、「ずっと俯向(うつむ)いていたでしょう。まっすぐ前を見ていたほうが怖(こわ)くないわよ」というのです。何を言われても構いません。ジェットコースターが大好きな同行者と違って、私はガジェットのゴーコースター程度が限界なのです。スペースマウンテンは私の人生において最初で最後の本格的なジェットコースター体験になることは間違いありません。

Img_0520 ファンタジーランドのホーンテッドマンションへ戻るとまだ長い待ち行列があり、ファストパスを予約してありませんから、30分近く待つことになりました。999の幽霊たちが住んでいる呪われた建物です。
 
 

Img_0526 20人ほどがまとまって入った部屋で館の解説が始まると前方に幽霊が現れました。
 
 
 
 

Img_0530 次の部屋には何の変哲もない肖像画が掛かっているだけです。 
 
 
 
 

Img_0532 しかし、それが徐々に長く伸びて・・・。
 
 
 
 
 

Img_0534 いよいよメインショーを見るためにアストロブラスターで乗ったものと似たコーヒーカップ状の乗り物(左側の黒いもの)に乗り込みました。乗り物の下にはレールのようなものが見えます。ちなみに定員は3名です。
 
 

次々と幽霊が現れますが、日本人には西洋の幽霊がどれも同じように見えて、少しも怖(こわ)くはありません。それでも隣に座るオチビちゃんは私の手を握ったまま固く目を閉じていました。オチビちゃんの問いに答えて「もうすぐ終わりだよ」と言うとやっと薄目を開けたようで出口付近の様子を詳しく描写してくれました。

Img_0536 シンデレラ城の方へ戻りました。子供たちの希望にしたがって乗り物に乗ることにしたのです。午後6時を過ぎると陽が西の空に沈み始めました。
 
 
 

Img_0546 バンドオルガンの音色に合わせて走るキャッスルカルーセルのきれいな白馬にコチビちゃんと並んでまたがっていると、まるでパレードに登場したキャラクターになったような気がします。 
 
 

Img_0556 すぐ隣にある空飛ぶダンボでは友達のティモシーマウスが空を飛ぶダンボを指揮しています。運転席のボタンを押すとスタージェットと同様に自在に上昇したり下降することもできました。 
 
 

Img_0562 乗車中は撮影できませんので、着陸して降りる直前に1枚だけ撮影しました。(続く)

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2013年9月 1日 (日)

30周年を迎えた東京ディズニーランド(第8回)

Img_0440 映画「アラジン」に登場するランプの精「ジーニー」(世界最強の魔人)はラクダ型カルーセルに乗り、棒の上には魔法のランプがあります。 
 
 
 

Img_0442 魔人ダンサーズ
 
 
 
 
 

Img_0444 サルのアブーが変身した象のフロートにはアラジン(白い服)とジャスミン(青い服)が乗っています。
 
 
 
 

Img_0446 アラビア風の衣装を着たダンサーたち
 
 
 
 
 

Img_0448 「塔の上のラプンツェル」に登場する主人公のラプンツェル(ディズニー・プリンセス)は木馬のカルーセルに乗っています。そして妖精たちがそのあとに従います。
 
 
 

Img_0450 美しい白鳥のフロートがベル(美女と野獣)、オーロラ姫(眠れる森の美女)、シンデレラを乗せて登場
 
 
 
 

Img_0452 妖精(ようせい)のフロート
 
 
 
 
 

Img_0454 てんとう虫に乗った妖精
 
 
 
 
 

Img_0456 蝶になったアオイモムシのカルーセルの乗るアニメ映画「不思議の国のアリス」の主人公アリス
 
 
 
 

Img_0458 そしてマッド・ティーパーティー(風変わりなお茶会)のダンサーたち
 
 
 
 

Img_0460 同じく、お茶会に登場するマッドハッター(いかれ帽子屋)と彼のおもちゃのフロート
 
 
 
 

Img_0466 巨大なクイーン・オブ・ハート(ハートの女王)
 
 
 
 
 

Img_0468 「プーさんの夢のユニット」の先頭は森の仲間である働き者のラビット 
 
 
 
 

Img_0470 蜂ダンサーズ
 
 
 
 
 

Img_0472 はちみつポットのフロートに乗るプーさんと、トラのティガー、ブタのピグレット(小さなツボに頭が入っている)、ロバのイーヨー(最後部で写っていない)たち 
 
 
 

Img_0474 ミュージカル映画「メリー・ポピンズ」の主人公で魔法が使えるメリー・ポピンズは風ではなく木馬野かルーセルに乗っています。 
 
 
 

Img_0476 メリーの古い親友で何でも屋の大道芸人バートも
 
 
 
 
 

Img_0478 30周年コスチューム姿のドナルド、そしてデイジーとチップ、後ろには大きなミニーも見えます。
 
 
 
 

Img_0480順番が遅れているメリ ー・ポピンズのお掃除ダンサーズは意図的な演出?   
 
 
 
 

Img_0482 パレードの真打(しんうち)として最後に登場した高さ12mの気球が載るフロートの高い位置には30周年記念のコスチュームを着たミッキーとミニーが、そして風船を支える大きなグーフィー、後ろに向かって手を振るドナルドもいます。 
 

その後ろになぜかスポンサー企業(最大手の携帯電話会社)のフロートが続きました。ちなみに、このパレードは長さが約500mもあり、ディズニーのキャラクターたちが途切れることなく目の前を通過する所要時間は約15分でした。(続く)

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