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2013年9月11日 (水)

国立科学博物館 科学と技術の歩み

2013_08010062 次いで向かったのは同じ2階にある「科学と技術の歩み」エリアです。私の目を惹いたものは入口近くにある「万年時計」、発明家田中久重氏の代表作品(1851年)です。正式名は万年自鳴鐘(じめいしょう)。ゼンマイを巻くと1年近くも動き続け、太陽と月の動き(最上部)、二十四節気、曜日、十二支まで表示できる優れものです。

2013_08010064 左手に入った「新たな日本の科学技術」コーナーの展示台に乗せられた大きな物体は「クリーンジーゼルエンジン」でした。マツダが開発した燃費が良くて排気ガスがきれいなジーゼルエンジン(SKYACTIV-D)は高圧の燃料噴射器と前に置かれたピストンの形状、および低圧縮比に新しい工夫があるようです。

2013_08010066 「新たな日本の科学技術の発展」コーナーの左奥にオープンリールの磁気テープ記憶装置らしきものが見えますから古い国産の電子計算機のようです。 
 
 
 

2013_08010067この真空管式計数型電子計算機FUJICはレンズの設計計算用として富士写真フ ィルム(現富士フイルム)によって開発され、日本で最初(1956年)に稼働した計数型電子計算機であり、高速で動作する真空管を1700本も使ったことで、計算速度は人手の約2000倍に高速化されたことが説明されています。   

2013_08010068 日本初のリレー計算機ETL-MARKⅡは1955年に電気試験所(現在の電子技術総合研究所)が開発したものだそうです。電話交換機用の主要部品であるリレーを約2万2000個使った計算機です。操作卓の右側には数字だけのキーボード(各桁毎に0から9までのボタンが並ぶ)が見え、後方にリレーが搭載された棚が少し見えます。 

2013_08010070 九元連立方程式求解機(きゅうかいき)と難解な名前がつく機械は複雑な連立方程式が解けるアナログ計算機でした。1936年(昭和11年)にアメリカのウィルバーが考案して製作した情報をもとに東京帝国大学航空研究所員たちが1944年(昭和19年)に製作した国内初の大型計算機械であると説明されています。 

2013_08010071 「近代化の成果」コーナーにあるNE式写真電送装置は現在のファックスの原型といってもよいでしょう。1928年(昭和3年)に京都で執り行われる天皇即位の御大典に向けて毎日新聞の依頼で日本電気(NEC)が提供した国産第一号機でした。東京から大阪へ伝送された馬車の写真が中央に見えます。 

2013_08010074 しゃれたデザインの自動車は国産量産車のさきがけである「オートモ号」(復元)です。1925年(大正12年)製の諸元は、全長3030mm、全幅1212mm、重量450kgの車体に、空冷直列4気筒エンジン(排気量943cc)でした。1924年(大正13年)から市販され、4年間で約300台が製造した後、この会社は1927年に解散しました。

2013_08010077 オートモ号の後継エンジンです。こちらは水冷、四気筒、オーバーヘッド型(OHV)、排気量1521ccとつい最近まで使われていたエンジンの仕様と同じ構成であることは意外でした。ちなみにオートモはAutomobileの略、あるいは開発者の祖先大伴(おおとも)氏に由来するようです。 
 

2013_08010076ダット61型水冷式エンジン(カットモデル)はダット自動車製造が昭和4年-5年頃に生産した自動貨車(トラック)用エンジンです。明治44年に日本で最初の自動車製造会社である快進社(後のダット自動車)が誕生しましたが、ダットの名称は快進社の出資者である、田、青山、竹内各氏の頭文字を組み合わせて作られたそうです。

1931年に日本産業(日産財閥)の鮎川義介がダット自動車の株とダットサン製造の権利を得たことで1932年にダットサンのブランドが誕生しました。ちなみダットサンはダットのサン(息子)を意味して英語名は当初"Datson"でしたが、"son"が損を連想させるため"Datsun"に変更された経緯があります。

2013_08010079 零式艦上戦闘機(通称零戦)は皇紀2600年(1940年)に海軍の制式戦闘機として採用されたため零式と呼ばれ、11型、21型、32型、22型、52型、63型などが約1万機も生産されたと説明されています。この展示品は21型を改造して複座(2座席)の偵察機(ていさつき)とした世界に一機しかない複座型零戦(復元)です。   

2013_08010080 キャノピー(風防)は後方視界を良くするように工夫されています。可変ピッチのプロペラの後ろにある栄(さかえ)一二型エンジン(950馬力)のカウル(覆い)は展示のために取り外されていました。主翼全面にある穴は内蔵された九九式一号20mm機銃用で、胴体下にある流線型の物体は爆弾ではなく増槽(増設燃料タンク)です。

ちなみに現在公開中のアニメ映画「風立ちぬ」の主人公はこのゼロ戦を設計した堀越二郎氏。当ブログでは零戦パイロットをテーマにした百田尚樹著「永遠の0」とニュージーランドの戦争博物館で見た零戦の写真を紹介しています。

2013_08010081 「近代化のはじまり」コーナーには1854年(安政元年)に通商条約を結ぶため再来航した米国のペリーが献上した標準天秤(重量計測器)が展示されていました。 
 
 
 

2013_08010084 「新たな日本の科学技術の発展」コーナーへ戻ると小惑星イトカワに到達して微粒子(びりゅうし)を持ち帰った小惑星探査機「はやぶさ」(模型)の下に長い行列が出来ていました。はやぶさが持ち帰った微粒子を実際に見られる催(もよお)し物がありました。   
 

2013_08010091 カンラン石と呼ぶ鉱物の微粒子は大きさが0.049mmと小さいため顕微鏡を使って見るようです。オチビちゃんととコチビちゃんの二人は制限時間(1分間)まで熱心に見つめていました。(続く)

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