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2013年10月15日 (火)

足柄街道を走る 万葉公園と足柄明神社

県道78号(足柄街道)へ戻ってさらに西を目指しました。写真で左手に入る道は夕日の滝への向かう市道です。T字路の角には「金太郎のふるさと南足柄市」のことばとともに万葉公園の案内標識があります。気温が27度に上昇するなかを、九十九折れになった県道を上りきると静岡県小山町との境界(県境)に到着しました。
 
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大きな岩でできた歌碑の解説に目が止まりました。足柄地方の労働民謡であったようで、若い男女の恋愛感情を歌ったものだそうです。
 
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万葉広場入口の標識には足柄峠まで0.7kmと表示されています。
 
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万葉公園は細長い形をしているため入口がいくつもありましたが、駐車場のある入口(案内図のほぼ中央に示されている)を見つけました。
 
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足柄峠の案内看板には東国と京(西国)を結ぶ要路であったことが詳しく説明されています。日本武尊(やまとたけるのみこと、やまとたける)の言葉「あづまはや」は東(あずま)と吾妻(あずま)をかけているのでしょう。
 
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円盤の上に足柄万葉公園から見える場所が示されていました。東南東には足柄平野(酒匂川)から江ノ島・相模湾・三浦半島・房総半島など、南方向には箱根の明神ヶ岳(1169.1m)・大涌谷(おおわくだに)・金時山(標高1212.5m)箱根連山、西南西には愛鷹山(あしたかやま、標高1188m)、西南西には富士山(標高3776m)、北西方向には籠坂峠(かごさかとうげ)など。
 
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園内の東屋(あづまや)付近から聞こえる人の声に誘(さそ)われて向かいました。双眼鏡で遠くを眺(なが)めているようです。
 
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素晴らしい展望が開けていました。左端に写るお結び型の山は矢倉岳(標高870m)です。遠くに見えるのは開成町と大井町でしょう。
 
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この歌碑は万葉仮名(まんようがな)で書かれていますので、すぐ近くにある説明看板の内容をそのまま引用します。『足柄(あしかり)の御坂畏(みさかかしこ)み 曇夜(くもりよ)の 吾(あ)が下這(したば)へを 言出(ことで)つるかも』(万葉集巻14.3371)の大意は、『足柄の神の御坂を越えて行くとき、峠の神に手向(たむ)けして恐れかしこまるあまり、人の秘さねばならない恋人の名前までつい告白してしまった。人に云(い)うべきじゃないことだのに』と解説されていました。
 
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先ほどのグループの誰かが声を発すると同時に全員が立ち上がって双眼鏡で何かを熱心に見ています。失礼とは思いましたが、漏(も)れ聞こえてくる言葉から「野鳥を観察するグループ」だと分かり、邪魔(じゃま)してはとその場を離れることにしました。
 
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県境の尾根に続く足柄街道を進むと静岡県小山町(おやまちょう)に入ります。そして、いよいよ最終目的地の御殿場市が15kmに近づきました。
 
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その標識に隠れていた足柄明神社の案内看板が目に止まりました。書かれた由来は、『東国平定の帰りに食事をしている日本武尊を白い鹿になって襲って撃ち殺された坂の神は坂東人(ばんどうびと、関東地方の人)の誇りを守った古代の英雄である』とあります。ちなみに、坂東とは足柄峠と碓氷(うすい)峠の坂から東の地域、つまり関東地方の古称(こしょう)です。私の好きな平将門(たいらのまさかど)の心意気や時代小説「のぼうの城」の主人公成田長親(ながちか)が、忍城(おしじょう、埼玉県行田市)の開城を迫(せま)る石田三成の使者長束正家(なつかまさいえ)に放った、『戦いまする。坂東武者の槍の味、存分に味わわれよ』の台詞(せりふ)が思い浮かびました。
 
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足柄明神社の鳥居は平凡な明神(みょうじん)鳥居ですが、なぜか柱だけが朱(しゅ)に塗られています。鳥居の色は朱または白木のいずれかにすべて塗るはずですが・・。
 
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足柄城の明神曲輪(くるわ)空堀跡
 
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足柄明神の石祠(ほこら)は思ったよりも質素です。それは天慶3年(940年)に創建されたとされる足柄明神社が2度の遷座(せんざ、御神体を移すこと)を経て苅野に移転して足柄上郡18ケ村の鎮守(ちんじゅ)になりましたが、明治6年(1873年)に矢倉(現足柄)神社が足柄明神を祭神から消して日本武尊と入れ替えたことで、氏子(うじこ)から抜けた矢倉沢村の人々が足柄明神社を再建した経緯があるためでした。
 
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手作り感に溢(あふ)れる絵馬が多数掛けられています。
 
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ここからも足柄平野がよく見渡せます。
 
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足柄街道(県道78号)に戻ると、足柄明神社の案内看板の先に「竹之下合戦史跡」の標柱がありました。
 
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竹之下合戦の名称から何も思い浮かばない私は気になって調べることに。竹ノ下(たけのした)の戦いは南北朝時代の建武2年1335年)に足利尊氏(あしかがたかうじ)勢と箱根峠に陣を進めた新田義貞(にったよしさだ、正式名は源義貞)勢の別動隊(義貞の実弟脇谷義助の軍)の間で行われた合戦でした。後醍醐(ごだいご)天皇が建武(けんむ)政権に反旗を翻(ひるが)して鎌倉を占領した足利尊氏を討つため新田義貞を派遣しますが、それに失敗したことで建武政権が崩壊し、2人の天皇(つまり2つの朝廷)が並立する南北朝体制が始まる切っ掛けになった合戦でした。(続く)

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