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2013年10月 7日 (月)

浅草散策

隅田川の桟橋から浅草水上バス乗り場の脇に造られた階段を上り、東武スカイツリーラインの浅草駅を右手に見ながら横断歩道を渡りました。この日は8月末(30日)にもかかわらず、熱波が押し寄せてきたため気温は30度をゆうに超えたため、商店の前を通過すると店内から漏れる冷気に感謝しながら雷門(かみなりもん)まで歩きました。

正式名称は「風雷神門」(ふうらいじんもん)というのだそうです。それは門の右側に風神、左側に雷神が置かれていることによるのでしょう。現在の雷門は昭和35年(1960年)に竣工(しゅんこう)した比較的新しいもので、門の中央に吊り下げられた大きな提灯(重量が700kg)は松下幸之助氏が寄進したもとのこと。写真では分かりませんが、11月中旬までの予定で改修工事が行われていました。
 
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仲見世(寺院の門前町で土産を売る商店街)に並ぶ商店を覗(のぞ)きながら歩きました。友人の奥さんは日本の小物や絵葉書が気に入ったようで熱心に選びます。
 
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仲見世の北端には仲見世通りと交わる伝法院通りが左右(東西)に伸びています。伝法院(でんぽういん)とはこの通りを左手に入ったところにある浅草寺の本防(ほんぼう、住職の住む坊)です。この場所からは木立に遮(さえぎ)られて見ることができません。
 
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右手(東方向)の伝法院通りの先には東京スカイツリーがよく見えます。
 
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友人の奥さんはこの舞妓(まいこ)さんの絵皿も気に入ったそうです。
 
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宝蔵門(ほうぞうもん)の前に差し掛かりました。現在の門は大谷重工業とホテルニューオータニ創始者の大谷米太郎氏の寄進により復興再建された浅草寺の山門(仁王門)で、内部三層のうち上部二層に近代的防災設備を施した什宝物(じゅうほうぶつ)を収蔵する室が設けてあるそうです。大きな提灯には小舟町と書かれています。日本橋小舟町奉賛会より平成15年(2003年)に奉納掛け換えされたものだそうです。
 
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宝蔵門を潜(くぐ)ると巨大な本堂(観音堂)が現(あらわ)れました。昭和33年(1958年)に再建された現在の本堂は鉄筋コンクリート製の本瓦葺(ほんかわらぶ)きで、間口は34.5m・棟高(むねたか)は29.4mさそうです。大きな提灯は平成16年(2004年)に東京新橋組合が修復奉納したという新橋大提灯(重さ約600kg)です。新橋ではなく「志ん橋」と表記されています。
 
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浅草寺は飛鳥時代(628年)に隅田川で漁師が引き上げた観音像(聖観世音菩薩)を祀ったことが由来であることが浅草寺のhpに詳しく説明されています。ちなみに、浅草寺は坂東三十三観音札所の第13番です。
 
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本堂に参拝するため石階段を上がると右手に東京スカイツリーが見えました。
 
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振り返ると参道を行き来する人たちと石階段で記念撮影するグループが・・・。左手に少し見えるのはお水舎(みずや)で、手水舎(ちょうずや)とも呼ばれる参拝者が身を浄(きよ)めるために手水を使う施設です。
 
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本堂脇の石段を西方向へ降りると奥の空き地で何やら舞台装置のようなものを組み立てています。ちょっと気になりますが、今回は2人も同行者がいますから、確認することは諦(あきら)めました。
 
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影向堂(ようこうどう)の境域に阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)がありました。元禄6年(1693年)に建立されたこの唐銅(からかね、青銅)製の像はもともと本堂裏築山にあったものを平成6年(1994年)の境内整備にともなって現在の場所に移されたそうです。
 
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浅草観音温泉の建物が間近に見える場所に三匠句碑(さんしょうくひ)がありました。江戸時代前期を代表する俳句三匠である西山宗因(そういん)・松尾芭蕉(ばしょう)・榎本其角(えのもときかく)の句碑が並んでいます。宗因の句「ながむとて 花にもいたし 頸(くび)の骨」は新古今集にある西行の和歌「ながむとて 花にもいたく・・・」からとった句であると説明されています。そして芭蕉の句は「花の雲 鐘は上野か 浅草か」、其角の句は「ゆく水や 何にとどまる のりの味」が選ばれていました。
 
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五重塔(ごじゅうのとう)と東京スカイツリーを一緒に(ツーショットで)撮影してみました。この五重塔は本堂や雷門などと同様、昭和30年代に再建されたものです。
 
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浅草寺の境内(けいだい)を出た右手にある浅草木馬館は大衆演劇場です。8月公演は劇団炎舞(えんぶ)による「大衆演劇と豪華舞踏絵巻」が出し物でした。「特別講演」と表示されていますから、何かを記念する公演だと思われます。同劇団のhpによると、座長の橘炎鷹(たちばなえんおう)が花形スターである同劇団は全国各地を回って人情劇()・喜劇()・剣劇(任侠もの)などの時代劇を公演しているそうです。
 
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ちなみに大衆演劇における舞踊(ぶよう)は演歌や流行歌に合わせて役者が踊るショーを指します。下の看板に描かれている女姿は座長が演じるお蔦(つた)と思われます。つまり、泉鏡花(きょうか)作「婦系図(おんなけいず)湯島の白梅(しらうめ」」が演目(えんもく)なのでしょう。木馬館の左手に少しだけ写るのは浪曲定席(ろうきょくじょうせき)の木馬亭(もくばてい)。定席とは常設の寄席(よせ)を意味するそうです。

明治時代後期から戦後にかけて日本を代表する歓楽街であったという浅草六区や庭園が国の名勝に指定されている伝法院も案内しようと考えていたのですが、折からの熱波で気温が35度を超えた(アイフォーンで確認)ためか、友人の足取りが重くなってしまいました。コーヒー店でしばらく休憩(きゅうけい)したあとは、浅草散策を打ち切り、地下鉄を利用して別の場所へ移動することにします。

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