三度目の隅田川クルーズ(前編)
ニュージンランドから友人が何度目かの来日をしました。今回は夫人を同行していますので、友人が前回の来日時に乗って気に入ったという水上バスによる隅田川(すみだがわ)のクルーズをまず案内することにしました。別の機会に同行者と一緒にユニークな形をした水上バス「ヒミコ」に乗船したことを当ブログで紹介しています。今回は隅田川に架かる橋を主テーマとして紹介したいと思います。
今回は浜離宮恩賜庭園(はまりきゅうおんしていえん)から乗船することにしました。8月30日の園内には残暑が厳(きび)しく、しかもキバナコスモスが見られるだけですから園内を散策しないで水上バス乗り場へ直行しました。東京都観光汽船が運行する水上バスは浅草までの乗船料金が720円、乗船時間は約45分です。朝一番の便である「竜馬」号は午前10時30分に浜離宮を出航すると、浅草へ向かう前にまず日の出桟橋(ひのでさんばし)に立ち寄るため隅田川を南下しました。

左前方にレインボウブリッジが見えてきました。

日の出桟橋を出航して隅田川を遡(さかのぼ)り始めました。右手に東京海洋大学の純白の練習船「汐路丸」(しおじまる)が見えます。ちなみに全長は49.93m、総トン数425トン。

浜離宮の水門付近まで戻(もど)った時に東京都公園協会が運営する水辺ラインの「あじさい」号とすれ違いました。

浜離宮越しに東京タワーが見えます。その左手の高層マンションはアクティ汐留(地上56階、高さ190.25m)、右手の2棟は東京ツインパークス(地上47階、高さ165m)、右端は日本通運本社ビル(地上28階、高さ136.51m)、中央の遠方に見えるのは六本木ヒルズです。

築地市場(つきじしじょう)では競(せ)りがとっくに終わったようで閑散(かんさん)としています。その岸壁には黄色い船が2隻停泊していました。

最初に潜(くぐ)る橋は勝鬨橋(かちどきばし)です。1940年(昭和15年)に架けられた中央部が開閉式になっている珍しい橋です。名前の由来は日露戦争において旅順陥落(りょじゅんかんらく)祝勝記念で設置された「勝鬨の渡し」に由来するそうです。ちなみに勝鬨とは戦争などに勝利したした時に挙(あ)げる鬨(とき)の声(大勢で一緒に叫ぶ声)です。道路の交通量が増加したことで1970年末に開閉したのが最後になったそうです。勝鬨橋の後方で一際目立つ色をした建物は興和住生築地ビル(地上23階)で住友生命の本社機能が入居しています。

佃大橋(つくだおおはし)は撮影のタイミングを失してしまいました。

斬新(ざんしん)なデザインの吊(つ)り橋は中央大橋(1993年竣工)

現在の永代橋(えいたいばし)は1926年(大正15年)に竣工(しゅんこう)した橋ですが、最初の永代橋は元禄(げんろく)11年(1698年)に架けられました。赤穂浪士(あこうろうし)が吉良邸(きらてい)に討(う)ち入ったあと、完成して4年しか経っていない永代橋を渡って泉岳寺(せんがくじ)へ向かったそうです。

タグボート(曳船)が貨物を搭載(とうさい)したバージ(艀、はしけ)を牽引(けんいん)して隅田川を下って行きます。

隅田川大橋は首都高速9号深川線の高架橋と一体化して造られています。

清洲橋は1928年(昭和3年)に竣工した美しい吊り橋で、土木学会の土木遺産に指定されています。そして2007年には勝鬨橋・永代橋と共に国の重要文化財(建造物)に指定されました。

これは前回の記事「浜町緑道を歩く」で簡単に紹介した新大橋です。何度も架け替えられて、現在の新大橋は1977年(昭和52年)に架け替えられた2径間連続斜張橋です。

両国橋は1904年(明治37年)にそれまでの木製の橋から上部構造がある鉄製の曲弦トラス3連桁橋に架け替えられましたが、1932年(昭和7年)に現在の橋(3径間ゲルバー式鋼鈑桁橋)に架け替えられて上部構造のないすっきりした橋になりました。

(続く)
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