旧東海道のドライブ旅(最終回) 大津・髭茶屋追分から京都・三条大橋へ
名神高速道路の下を潜(くぐ)った大津市追分町で国道1号から旧東海道へ入ります。その角にあるKOBAN(大津警察署藤尾交番逢坂山検問所)は現代の関所と言えるかも知れません。
佛立寺(ぶつりゅうじ)を過ぎた分かれ道に立つ道標には「右京道 左宇治道」と彫られているようです。ここが伏見街道との大津追分で「髭茶屋追分(ひげちゃやおいわけ)」とも呼ぶそうです。大坂へ向かう伏見街道(東海道五十七次)は左手に進みます。
三井寺再興の祖である智証大師坐像があるという閑栖寺(かんせいじ)の付近から長い下り坂が続きます。智証大師(ちしょうだいし)の諡号(しごう)で呼ばれる円珍(えんちん)は入唐八家(唐に渡って密教経典を伝えた八人の僧)の一人で空海の甥(おい)に当たります。
旧東海道は国道1号に分断されて直進できません(歩行者は横断歩道橋が利用可)ので三条通(府道143号・旧国道1号)に入りました。適当な場所で右折して旧東海道に戻るつもりでしたが・・・。
左手に入る路地の角に「右 三条大橋、左 旧渋谷道」の道標を見つけました。渋谷道は鎌倉時代に山科から東山を越えて京の六波羅探題(ろくはらたんだい・現在は六原小学校の校庭)近くへ至る主要な道でしたが、その後に三条大橋へ向かう道が旧東海道として重要な街道となったため間道(かんどう)の位置づけになったそうです。
外環三条交差点を右折して山科駅方面へ向かうべきでしたが、車線取りに失敗して通過してしまい、五条の別れ交差点に差し掛かってしまいました。その名前通りに五条の六波羅探題へ向かう渋谷道とのもう一つの追分です。
右手にある京都薬科大学(体育館)の角に山階寺跡(やましなでらあと)の石柱を見つけました。
山階寺は七世紀後半、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ・後の天智天皇)と共に大化改新を成し遂げた藤原鎌足が重病を患(わずら)った際に鎌足の妻が夫の病治癒(やまいちゆ)を祈願して釈迦三尊像を本尊として建立したと伝えらますが、その詳細な場所は分かっていないようです。後に藤原京へ移されて厩坂寺(うまやさかでら)と称(しょう)され、さらに平城遷都とともに平城京へ移転されて興福寺と名付けられました。
東海道本線のガード手前で旧東海道が三条通に合流しました。残念なことに山科で立ち寄る予定だった山科地蔵徳林庵や五条の別れにある右三条道という道標などを見逃(みのが)してしまいました。普段(ふだん)であれば引き返してでも立ち寄るところですが先を急ぐ気持ちが邪魔(じゃま)をしたようです。
東海道本線のガードを潜ったところの右手に天智天皇御陵の入口があります。
参道脇になぜか石造りの日時計がありました。表記から見てかなり古いもののようです。これも気に掛かって調べてみると、日本書紀に中大兄皇子(後の天智天皇)が奈良の明日香に日本で始めて水時計(漏刻)を使用したとあり、1920年(大正9年)にその日(6月10日)が「時の記念日」に制定されましたから、その記念碑かも知れません。
三条通の反対側に細長い公園のような旧京津電気鉄道京津線の廃線区間(山科駅以西)に造られた遊歩道が見えました。写真左手にある門のようなものがその入口です。
旧東海道はこの遊歩道の途中で左に折れます。その先には御陵(みささぎ)一里塚(江戸日本橋より124里)と亀水不動尊があるようですが、先が急がれてそのまま三条通を走ると日ノ岡を過ぎた辺(あた)りから右にカーブする緩やかな上り坂になりました。前方の信号で旧東海道が三条通に左手から合流しているはずです。
下り坂に入って京都市蹴上(けあげ)浄水場を過ぎた蹴上のY字路で三条通は岡崎方面へ向かう白川通と分かれます。三条大橋はもう2km足らずの距離です。
白川橋を越えて東山三条交差点を通過すればいよいよ最終目的地の三條大橋に到着します。
勤皇を訴え全国を旅した高山彦九郎の像は三条大橋の東詰で御所を拝んでいます。
同じく西詰には弥次喜多像もありました。
池田屋騒動の時に付いたのではないかと言われる刀傷が三条大橋の擬宝珠(ぎぼし)に残っています。新選組が長州藩や土佐藩などの尊王攘夷派志士を池田屋に襲撃した事件で、その旅館池田屋は三条大橋から100m余り西にあったようです。
同行してくれた折り畳み式自転車を三条大橋で記念撮影しました。
今回のドライブ旅で2年余りを掛けた旧東海道五十三次を巡るドライブ旅を無事に終えることが出来ました。これにより以前にドライブ旅した京街道と合わせて「東海道五十七次」も完走したことになり、満たされた気分で京都東ICから名神高速道路に入って帰路に着くことにしました。
そして一年前にも夕食に立ち寄った名神高速道路大津SAの叶匠寿庵(かのうしょうじゅあん)でやや遅めの昼食です。私は「牛肉うどん」(1150円)、同行者は「近江牛ひつまぶし膳」(1580円)を注文。いずれも美味しく食べました。
午前中に通過した大津の町が眼下に広がっています。参考までに、中央の薄茶色のビル群が滋賀県庁で、その先にある緑色のビルが矢橋の渡しの港「小舟入」に近い滋賀県警察本部、県庁の左手(左端の高層マンションの手前)は大津宿跡辺りです。
ゆっくり昼食休憩を取った後は、新名神高速道路・東名阪自動車道・伊勢湾岸道路をすべて順調に走行、短い渋滞がところどころで発生する東名高速道路もほぼ一定の速度で乗り切って、日が沈んだ頃には帰宅できました。ちなみに、今回のドライブ旅は総走行距離が約1610km、平均燃費が23.1km/ℓとまずまずの結果です。
<同行者のコメント> 旦那さまが帰宅途中に昼食を食べるのは珍しいと思いましたが、どうも翌日にゴルフの予定が入っていたため早く帰宅したかったようです。高速道路のSAで休憩する回数がいつもより少なかったのもきっとそのために違いありません。
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