カテゴリー「登山」の49件の記事

2013年5月16日 (木)

続・奥の細道疑紀行 清川から羽黒山へ(その1)

2013_05010108 庄内町清川に到着。国道47号から脇道で下へ降りた清川小学校の敷地に「芭蕉上陸の地」碑がありました。芭蕉は本合海から最上川舟運の川港であった清川までの舟旅で「五月雨を あつめて早し 最上川」の句を詠んだといわれることが説明されています。
 

2013_05010107 校舎寄りに松尾芭蕉像とその句碑が並んでいました。ちょっと気になったことは、「早し」を「速し」とすべきではないかということです。念のために調べてみると、昔は現代ほど両者の使い分けが厳密ではなく、現代語でも早馬や早籠(かご)などが慣用句として残っていました。 
 

2013_05010109 さらに右手にある釣瓶(つるべ)井戸と左後方(土留めの脇)に見える榎(えのき)は江戸時代にこの場所にあった清川関所の名残(なごり)だそうです。
 
 
 

2013_05010111 芭蕉の足跡に従って立谷沢川沿いに南下すると、遠くに虚空蔵岳(こくうぞうだけ、標高1090m)と月山(がっさん、標高1984m)が見えました。虚空蔵の名を京都府京田辺市長野県上田市神奈川県伊勢原市栃木県栃木市京都府京都市で見かけましたが、虚空蔵とは宇宙のような無限の智恵と慈悲を持つ菩薩(ぼさつ)のこと。

2013_05010113 県道45号が右に折れる場所に羽黒山の案内標識がありました。直進した県道344号は月の沢温泉で行き止まりになりますから、月山へ向うには県道45号で羽黒山を経由して県道211号(月山高原ライン、約18km)に入る必要があるようです。 
 

2013_05010114 曲がりくねった急坂を上ると雪の壁が現れました。その後ろには桜の花が覗(のぞ)いています。
 
 
 
 

2013_05010115 坂を上り切って鶴岡市に入ると平らな場所に出ました。月山へ向う県道211号との分岐点に月山ビジターセンターと羽黒自然の小径(こみち)がありました。
 
 
 

2013_05010120 月山方面はまだ通行止めですから、後者に立ち寄ることにしました。約1.5kmのバリアフリー自然観察路で、春の雪解けの季節にはミズバショウとザゼンソウが見られると説明されています。
 
 

2013_05010116 湿原には尾瀬にあるような木道が整備されていました。後方の木立の中はまだ雪が積もっています。
 
 
 
 

2013_05010118 水芭蕉(みずばしょう)はサトイモ科ミズバショウ族の多年草です。純白の花のように見えるのは苞葉(ほうば)と呼ばれる葉が変形したものだそうです。ザゼンソウ(座禅草)は時機が遅すぎたのか見ることはできませんでした。
 
 

2013_05010119 ちなみに、松尾芭蕉は芭蕉の木が好きだったことで芭蕉をペンネームにしたと言われます。
 
 
 
 

2013_05010143 県道45号を鶴岡市方面へ1.5kmほど下って、案内標識に従って右折すると石の鳥居が聳(そび)える出羽三山神社の前に出ました。出羽三山神社は月山の月山神社、羽黒山の出羽(いでは)神社、湯殿山(ゆどのさん)の湯殿山神社の総称で、羽黒山に三社の神を併(あわ)せ祀(まつ)る三神合祭殿があるそうです。 

2013_05010144 石の鳥居を潜(くぐ)った随神門(ずいしんもん)の右手前に「奥の細道芭蕉翁来訪の地」の碑が立っていました。その左にある大きな石は「天拝石(てんぱいせき)」で、昔修験者(しゅげんじゃ)が行法(ぎょうほう、修行)を行った場所にあった石と思われると説明されています。 
 

随神門は仁王門として元禄年間に秋田矢島藩主生駒氏が寄進したものとされ、入母屋・銅板葺き・三間一戸で、外壁は朱色に塗られています。明治初頭に発令された神仏分離令により仁王像が随神像と置き換えられて門の名称も変わりました。

2013_05010145 右手に「藤沢周平 その作品と縁の地 羽黒の呪術者たち 羽黒山」の立て看板を見つけました。
 
 
 
 

今回の旅を思い立った理由の一つが藤沢周平氏の作品です。映画化された「武士の一分」(2006年)、「たそがれ清兵衛」(2002年)、「山桜」(2008年)、「花のあと」(2010年)を順に観て来ましたが、今年3月20日にWOWOWで放送された藤沢周平特集番組で、「小川の辺(ほとり)」(2011年)、「蝉(せみ)しぐれ」(2003年)、「隠し剣 鬼の爪」(2004年)を新たに観たことで居ても立っても居られなくなったのです。

2013_05010146 羽黒山の参道が下に向って伸びていました。この杉並木(総数445本)は特別天然記念物に指定されています。
 
 
 
 

2013_05010175 右手に継子坂(ままこざか)と彫られた石碑がひっそりと立っていました。この坂には幼(おさな)い継子にまつわる悲しい言い伝えがあるようです。 
 
 
 

2013_05010148 参道の石段は急峻(きゅうしゅん)な下り勾配(こうばい)になっていて、まるでスキー場のゲレンデやジャンプ台のようです。 
 
 
 

2013_05010149継子坂を下 り切った場所は境内社(けいだいしゃ)が6社も並んでいて神域を感じさせる雰囲気があります。思わず来し方を振り返りました。数えることはしませんでしたが石段は約250段もあったようです。 
 
 

2013_05010150 右に折れた参道はさらに下方へ続くようです。雪解け水で石畳が濡れていますから注意して歩くことに
 
 
 
 

2013_05010151 朱に塗られた神橋(しんきょう)に出ました。日光東照宮の神橋を小振りにしたようなこの橋で祓川(はらいがわ)を渡ります。神橋の向こう側に見えるのは境内社の下居社(しもいしゃ)です。(続く)

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2011年9月10日 (土)

山梨へのドライブ旅 湯村山古墳群

台風12号の影響が無くなるのを待ってドライブ旅に出掛けました。午前5時過ぎに自宅を出発、6時少し前に八王子ICを通過、強雨のために通行止めであったことが嘘のような中央自動車道を快調に走りました。朝食のために立ち寄った談合坂(だんごうざか)SAでは山々にたなびく朝霧と台風一過の晴天ならぬ秋の空がありました。
 
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甲府昭和ICを出て県道5号(甲府南アルプス線、アルプス通り)と県道7号(甲府昇仙峡線)で向かったのは甲府駅の北西約2kmにある緑ヶ丘スポーツ公園(体育館の駐車場)です。200台以上の容量がある広い駐車場は工事のためか屏で仕切られていますが、それでも十分過ぎるほどの余裕がありました。
 
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一番奥に車を停めて青空が眩(まぶ)しい湯村山(ゆむらやま、標高446m)へ向かいます。
 
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山へ上って行く自動車道の両脇にある広いグランドでゲートボールのようなグランドゴルフを楽しむグループが何組か見えました。
 
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「武田の杜」の案内板には湯村山の山頂まで1.3kmと表示されています。
 
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一般車が通行できない遊歩道に入ります。
 
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折れ曲がった山道を300mほど登るとヘアピンカーブの内側に石を積み上げた積石塚古墳がありました。湯村山1号墳です。
 
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約1300年前に造られた古代人の墓で、礫(れき、小石)を積み上げた積石塚古墳は横根町と桜井町に180基余り確認されており、湯村山には
全部で7基の古墳があると説明されていました。
 
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山梨県埋蔵文化財センターのhpによると、山梨県では甲府市横根町と桜井町にまたがる横根(よこね) ・桜井(さくらい) 積石塚古墳群(つみいしづかぐんこふんぐん)があると説明されていました。他の資料を見ると長野県須坂市の八丁鎧塚古墳や長野市松代町の大室古墳群にも見られる古墳の形式です。朝鮮(高句麗)に多く見られる古墳ですから高句麗(こうくり)からの渡来人の影響を受けたのかもしれません。
 
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少し行き過ぎて振り返ると、ただの盛土のように見えました。
 
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遊歩道はなだらかな坂として湯村山の頂上付近まで続いているようです。
 
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湯村山には大きな岩が豊富に有りますから、古代においても積石塚古墳を作るのは造作(ぞうさ)もなかったかも知れません。
 
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湯村山の高みから下りてくる何組かとすれ違いました。早朝の散歩コースとして地元で人気があるようです。
 
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峠のような場所にでると(やぐら)がありました。
 
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説明板によると戦国時代の武田家の烽火台(ほうかだい、ノロシを上げる場所)を再現したものでした。甲斐国(かいのくに、現在の山梨県)をほぼ網羅(もうら)する光通信網の基地局と言うことが出来るでしょう。
 
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舗装が途切れた山道を歩くと湯村山城跡を示す道標がありました。
 
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周囲が明るくなってきましたから山頂は近そうです。
 
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東屋(あずまや)風の休憩所から富士山が望めました。御坂山(1596m)から王岳(1623m)まで続く峰々に遮られる部分が少ないため甲府市の市街地で眺(なが)めるよりも富士山が大きく見えます。
 
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その先にある湯村山城井戸にも立ち寄りました。
 
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小さな水溜まりが井戸のようです。
 
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山頂付近を一周すると先ほどの道標脇へ出ます。駐車場へ下りるまでちょうど1時間のコースでした。(続く)

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2011年7月29日 (金)

日向薬師とクアハウス山小屋「日向の湯」

七沢方面に向かい、県道64号の薬師入口バス停の左手(畑の中)にあるという「新田(しんでん)古墳群」を探しましたが見つけられません。それではと向かった県道をはさんだ反対側(住宅地)にあるはずの「三畝(さんせ)塚古墳」も同様でした。住宅地に立ち入るのはためらわれますので、当て推量で遠景写真を撮りました。
 
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こちらはすぐ近くにある上堤(かみづつみ)水車です。農業用排水路に復元された水車で、この水路も生態系保全(多自然型)機能を持たせていると説明されています。
 
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こちらは少し奥に入った場所で見つけた実蒔原(さねまきばら)古戦場跡(前述)です。
 
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古墳巡りのあとはお決まりの日向薬師(ひなたやくし)に参拝することにしました。七澤神社付近から丘を超えて日向薬師裏の駐車場に到着。
 
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今年から6年をかけて本堂(薬師堂)の大修復が始まっていました。前回の江戸期万治3年(1660年)から350年振り、三度目の大修復とのことで、宝城坊(ほうじょうぼう)であった本堂をすっぽり覆(おお)う鉄枠(てつわく)がほぼ出来上がっています。寺伝では霊亀2年(716年)に行基菩薩が開山したとしていますが、実際の創建はもう少し後の10世紀頃と推定されるそうです。ちなみに、平成7年(1995年)に国の重要文化財に指定されています。
 
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表参道の急な石段です。
 
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鐘楼の脇から左手へ入ったところにある虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)にもお参りしました。智慧(ちえ、物事をありのままに把握して真理を見極める認識力)と功徳(くどく、幸福をもたらす善行)が広大無辺(果てしなく大きいの意)である菩薩様です。
 
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本尊などが移されている宝殿(ほうでん)に参拝しました。
 
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日向川沿いの道に出て山峡に入り、約1.3km走ると「クワハウス山小屋」に到着。
 
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キャンプ・マス釣り・バーベキューが楽しめる施設ですが、天然水の風呂が日帰り温泉として利用できます。
 
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利用料金は大人が800円(入浴割引券を持参すると600円)、落ち着いた雰囲気が気に入りました。
 
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階下にある浴室は小振りで石張りの床に木の壁と天井、そしてタイルの浴槽は清潔感があります。残念なのは渓流に面する窓が小さくてほとんど外が見えないこと。
 
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湯は無色透明で無味無臭、泉質は温泉法上の温泉(メタ珪酸含有)で泉温は18度のようです。館内には水質検査証は掲示されていましたが、なぜか温泉の名前は一切ありません。それはともかく地下から湧く天然鉱泉を加熱したものを完全な掛け流しにしていることは嬉(うれ)しい。
 
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浴室と同じフロアにある無料休憩室でくつろいだあと、階上の入口横にあるレストランに移動しました。大きなストーブには夏だからでしょうか、動物の頭蓋骨(ずがいこつ)や角(つの)が飾られています。
 
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川魚料理やしし鍋を楽しめますが、私は「にじますの塩焼き」、同行者は「伊勢原豚ティーヤ」と「大山豆腐の冷奴」を注文しました。写真撮影を待ち切れずにそれぞれが一口味見してしまいました。
 
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欲張った旅行を常とする私には珍しく、昼食後の早い帰宅になりました。ちなみに、この日の走行距離は125.9km・燃費19.2km/・平均速度17km/hでした。

<同行者のコメント> 2度も同じ場所へ古墳を見に出かける旦那様は変だと思います。山小屋のお風呂は貸切り状態で、トルティーヤを使った豚(とん?)ティーヤと大山豆腐がとても美味しかったです。でも、この温泉は以前に来たことがありますよ。

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2011年6月21日 (火)

三度目の尾瀬登山 山の鼻から鳩待峠を経由して富士見下まで(下)

同行者が冷たいものを買っている間にバスのチケット売り場に向かいました。戸倉から富士見下までの区間は会社が違うようで、戸倉に着いてから切符を買うか、あるいは戸倉から富士見下の駐車場まで歩くようにアドバイスされました。このチケット売り場は関越交通ではなく代替輸送のシャトルバスだったのです。取りあえず戸倉行の乗車券(一人900円)を購入しました。午後2時半の戸倉行きバスに乗る予定でしたが、その一本前の2時発を係員が案内していましたので、善は急げ(?)とばかりにジェラートを抱(かか)える同行者を急(せ)かして乗車しました。ここで「善は急げ」の表現は変ですが、私の旅行ポリシーは「時間待ちをするなら、先へ行ってから」に従ったのです。
 
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新緑が美しい九十九折(つづらお)りの道を20分余り楽しんでいると、見覚えのある「スノーパーク尾瀬戸倉」(尾瀬高原ホテル)の駐車場に到着しました。
 
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富士見下行きの関越交通バスは一日3本しかないことが事前の調べで分かっていますが、何事にも慎重な私は念のためにホテルのフロントで確認することを忘れません。
 
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しかし予定より早く戸倉に到着したため1時間以上も待つ必要があります。同じフロントでタクシーを頼めないかと訊(き)くと、タクシー会社の電話番号は教えてくれましたが、公衆電話を使って自分で交渉するように勧(すす)めるのです。
 
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私にはこの対応が訝(いぶか)しく感じられましたが、言われるままにタクシー会社へ電話を掛けると、「車は全部出払って一台も居ない」とケンモホロロの応対(おうたい)。戸倉には失礼な人が多いと一瞬思いましたが、頭の回転が鈍(にぶ)い「旧式蛍光灯」である私もやっと気付きました。このシーズンには鳩待峠と麓(ふもと)の戸倉をすべてのタクシーがピストン輸送しているのです。富士見下までタクシーで行きたいと言う私は「世間知らず」だったのです。
 
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タクシーを諦(あきら)めた私は、富士見下の駐車場まで歩く体力(気力?)も無く、予定通りバスを利用することにしました。「バスの乗車券は売店で販売している」との貼(は)り紙を見てホテル内の売店に向かいました。しかし私の思い込みから、またもや頓珍漢(とんちんかん)なことを仕出(しで)かします。

対応してくれた女性店員が親切に説明してくれました。「売店で販売するバスの乗車券は鳩待峠行きだけで富士見下行きの路線バスは乗車する時に乗車券を購入(整理券を受け取る)。乗り場はホテルから50mほど離れた表通りにある」ことなどを説明した上で、わざわざホテルの外へ出てバス停の場所を教えて下さいました。さらに丁度(ちょうど)ホテル前に止ったタクシーの運転手にも乗れるかどうかを確認してくれました。しかし相乗り状態でホテルより先(別の駐車場)へ行く旅客が利用するそのタクシーには乗れませんでした。
 
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この親切に礼を述べてバスを待つことにすると定刻の午後3時30分に路線バスがやって来ました。行き先は「富士見下」と表示されていますから間違いありません。
 
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僅(わず)か5分ほどで約3km離れた終点に到着。
 
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乗客が我々2人だったことから運転手さんは「駐車場に車を停めて鳩待峠を経由して来たのか?」と親しげに尋(たず)ねてくれました。戸倉の人達はとても優しいのです。
 
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富士見下駐車場は早朝に到着した時からほとんど変化した様子がありません。
 
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(続く)

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2011年6月20日 (月)

三度目の尾瀬登山 山の鼻から鳩待峠を経由して富士見下まで(上)

12時45分に何事も無かったように山の鼻を出発しました。あとは鳩待峠まで木道をひたすら上るだけです。標準所要時間は90分ですから予定した午後2時半のバスに十分間に合うはずです。
 
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山の鼻にはキャンプする人たちが大勢居ました。
 
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午後になって上昇し始めた気温は何と26.5度! 至仏山は5月7日から6月30日まで植生保護のため登山禁止である旨の張り紙がありました。
 
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ここでも同行者は木道をどんどん進みます。
 
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連理(れんり)の巨木です。
 
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こちらはキリンのようにも見えます。
 
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尾瀬ヶ原へと注(そそ)ぐ一級河川「川上川」の清流です。
 
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熊除(くまよ)けの鐘が木道脇にありました。
 
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そして水芭蕉の群生です。
 
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木道は小川を渡って少しずつ高度を上げます。
 
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こちらのルートにもところどころ雪が残っています。
 
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根が複雑に絡(から)み合った三竦(さんすく)みの木々は身動きが取れません。
 
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午後1時20分に三分のニの距離を過ぎました。山の鼻を出発してからわずか35分しか経過していません。この区間も驚異的なペースです! しかしこの先は胸突き八丁(むなつきはっちょう)の階段が待ち受けていますから油断(ゆだん)できません。
 
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そして木道が急勾配(きゅうこうばい)になったかと思うと、そのあとは長い階段の始まりです。
 
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至仏山が美しい。
 
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石畳(いしだたみ)に変わりましたから鳩待峠に近付いたことが分かります。草臥(くたび)れ切った足が滑らないように注意して一歩ずつ踏みしめながら歩きました。
 
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午後1時50分、ついにゴールの横断幕(おうだんまく)が見えました。本当は出発点を示す横断幕ですが・・。今回の歩行距離は19.8km、所要時間はちょうど8時間でした。
 
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鳩待峠に到着する登山者の列には歓声を上げる人は誰もいません。皆、すっかり疲れ果(は)てたという風情(ふぜい)です。お疲れさま!
 
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(続く)

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2011年6月19日 (日)

三度目の尾瀬登山 竜宮十字路から山の鼻まで(下)

丸く盛り上がった木立が目の前に迫ってきました。
 
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再び真新しい木道の区間に入ります。草原を抜けてまた湿原に入ったようです。
 
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小川に架かる橋を渡る周辺に水芭蕉の群生が広がります。

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ここでも笹が勢力を増しています。

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燧岳(ひうちだけ)はかなり遠くに離れました。

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再び湿原に戻ると至仏山がパッチワークのように水面(みなも)に映ります。

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燧岳とはそろそろお別れです。

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木立のなかに松が増えて来ました。

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樹木と水芭蕉が共生しています。

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せせらぎに水芭蕉が揺(ゆ)れているようです。カッコーの鳴き声が聞こえました。

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至仏山(しぶつさん)は見上げるほと大きくなりました。

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踏み板が傾(かたむ)いて壊(こわ)れそうな木の橋を渡ります。

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左前方で木の間から屋根が透(す)けて見え、山の鼻であることが分かります。

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尾瀬ヶ原の水芭蕉とお別れです。

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尾瀬ロッジへ12時30分に到着。同行者に追いつくことを諦(あきら)めてペースを落としたため、牛首(うしくび)分岐から平均所要時間と同じ40分掛かりました。

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探すまでもなく尾瀬ロッジの入り口に同行者が待っていました。「遅いぞ、武蔵!」と言った佐々木小次郎の表情を想像しましたが、「亀さん、遅いわね!」と言う兎(うさぎ)さんの趣(おもむき)です。小心者の私が安心する間(ま)も与えず、「もう絶対、二度と尾瀬には来ないからね!」と同行者は駄目(だめ)を押します。「この人にはやはり敵(かな)わないな」と思いながら、私が「ふんふん」と適当に相槌(あいづち)を打つのも前回とまったく同じ構図です。(続く)

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2011年6月18日 (土)

三度目の尾瀬登山 竜宮十字路から山の鼻まで(中)

尾瀬ヶ原の草原化が目立ちますが、それでも水辺には水芭蕉の群生を見ることができます。ここの逆さ至仏(さかさしぶつ)も美しい。
 
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枝分かれした木道に人集(ひとだか)りがありました。小川の周辺で水芭蕉を撮影するフォトグラファーたちです。ここでプチ蘊蓄(うんちく)を一つ。日本ではフォトグラファーのことをカメラマンと言うことが多いようですが、本来は写真家と呼ばれていました。またイベント会場でアイドルの周りに群がって写真を撮る若者(なかには中高年者も)はカメラ小僧(こぞう)と呼ばれますが私はうまい表現だと思います。
 
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木道の本線に戻ります。
 
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燧岳方面を振り返ると尾瀬ヶ原のこの辺は草原の風情(ふぜい)です。
 
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至仏山方面も同様。
 
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それでも水辺(みずべ)には水芭蕉が・・。
 
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木道が水溜まりを避(よ)けて折れ曲がっています。
 
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よく整備された木道が続きますが、ちょっと気になるのは福島第一原子力発電所の事故で膨大な復旧と補償のための費用が必要となった東京電力が尾瀬の年間管理費(約2億円)を削減せざるを得ないと発表したことです。尾瀬を環境破壊から護(まも)るため利用者(登山者)も何らかの負担をする必要があるかも知れません。
 
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また草原のような場所を通過します。
 
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丸く盛り上がった木立がさらに近くなりました。逆さ至仏を見つけるとついシャッターを押してしまいます。
 
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燧岳(ひうちだけ)がだいぶ遠くなったようです。
 
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11時50分過ぎに牛首(うしくび、標高1400m))分岐を通過。
 
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竜宮十字路からここまで35分でした。この区間(2.2km)を歩く標準的な所用時間の40分に比べてかなり速いはずですが、何としたことか同行者の姿はここにも見当たりません。まさにマラソンランナーや競歩選手のような驚くべき速さです。
 
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(続く)

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2011年6月17日 (金)

三度目の尾瀬登山 竜宮十字路から山の鼻まで(上)

竜宮十字路のベンチで早い昼食(ブランチ)を食べながら休憩を取りました。
 
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富士見峠から下りて来た木道を直進すると前回東電小屋へ向かったルートに入ります。
 
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草花を撮影したり、熊除(よ)け鈴と合唱する蛙(かえる)の声を録音しながら、雪道の難儀(なんぎ)を忘れさせてくれる楽しい一時(ひととき)を過ごしました。
 
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ちょうど30分休憩した11時15分に竜宮十字路を出発。
 
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この木道を歩くのは3回目です。
 
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同行者は雪道で足を傷(いた)めたと言っていたのに、驚くべき速さで山の鼻へ向かって木道を歩いて行きます。風景と花の写真を撮ることに夢中になっていた私はついに同行者の姿を見失っていました。
 
 
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少しペースを上げて追いつこうとしましたが、原宿や表参道の歩道のように混雑する木道は思うような速さで歩けません。実は私も雪道で踏ん張った足に鈍(にぶ)い痛みを感じ始めていたのです。
 
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冠雪(かんせつ)した至仏山(しぶつさん)が徐々に近づく木道の風景は尾瀬ヶ原の醍醐味(だいごみ)です。木道の奇妙(きみょう)なインターチェンジ(?)を通過。
 
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ここにも水芭蕉(みずばしょう)の群生(ぐんせい)があります。
 
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振り返えると燧岳(ひうちだけ)の勇姿(ゆうし)が少しずつ遠ざかって行きます。
 
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真新しい木道は平成22年の焼印(やきいん)が押してあります。
 
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水芭蕉の姿が消えて笹の野原に変わりました。尾瀬ヶ原の草原化を象徴(しょうちょう)する景色です。しかし、これは自然の摂理(せつり)ですから、残念ながら人間には止められません。
 
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小さな水溜(みずた)まりにも「逆さ至仏」が映えています。
 
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(続く)

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2011年6月13日 (月)

三度目の尾瀬登山 富士見峠から竜宮十字路まで(下)

熊笹(くまざさ)と背の高い樹木がある美しい雑木林(ぞうきばやし)に出ました。
 
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私は空を見上げる余裕も。
 
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清楚(せいそ)な白い花はキクザキイチゲ(菊咲一華)のようです。花の形が菊に似ていることから名付けられたそうです。
 
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視界が開けて木の間から水芭蕉(みずばしょう)の咲く湿原が見えます。
 
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前回は、水芭蕉の群生に惹(ひ)かれて、竜宮十字路からこの辺(あた)りまで来たことを思いましました。
 
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黄色の花はオオバキスミレ(大葉黄菫)かオオバミゾホオズキ(大葉溝酸漿)のようです。花弁と葉の形からみて前者でしょう。
 
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水芭蕉とオオバキスミレが水辺(みずべ)に仲良く共生(きょうせい)しています。
 
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大勢の登山者がベンチで休憩する竜宮十字路へ向かう同行者。写真撮影で立ち止まったため、同行者が追い抜いたのです。遠くに見えるのは景鶴山(左、標高2004m)と与作岳(右、標高1933m)でしょう。
 
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富士見峠の方向を振り返ると、あの雪中行軍(せっちゅうこうぐん)が嘘(うそ)のように穏(おだ)やかな景色がありました。
 
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富士見峠の分岐点を出発してちょうど2時間後の午前10時45分、ついに竜宮十字路に到着。あの雪深い急な下り坂を標準所要時間(2時間)で歩き切ったなんてとても信じられません。
 
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長い連載記事の前半が終ったところで、次回はインターミッション(中間の休憩)の記事を掲載します。


≪お知らせ≫ 

尾瀬登山の記事を書き始めた時に、例年のことですが、アメリカの高校生を受け入れる同居者のボランティア活動が始まりました。及ばずながら私もその手伝い(実際は使い走り)をしていますから、その期間中は同居者だけでなく私も遠出が出来ません。そして時期が符合しましたが、私自身も1箇月近く掛かる在宅仕事を依頼されたのです。したがって「尾瀬登山」(後半)の投稿が終ると旅行記事の投稿は一時休止せざるを得ませんが、旅行以外の記事は出来るだけ書きたいと思います。

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2011年6月12日 (日)

三度目の尾瀬登山 富士見峠から竜宮十字路まで(中)

雪道を黙々と歩きます。
 
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ずっと先導していた同行者が疲れたのか私に交代するように言います。
 
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午前9時25分に中間点の長沢頭(ながさわがしら)に差し掛かりました。
 
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気のせいか雪の量が少なくなったようです。すれ違った男性の登山者が今定番の山ガールには程遠い軽装の同行者を見咎(みとが)めて、「お嬢(じょう)ちゃん、山を舐(な)めたら駄目(だめ)だよ!」と和(にこ)やかに言うのです。同行者は「お嬢ちゃんだって!」と一向にめげる様子はありません。
 
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「これには色々と家庭の事情(事前の打ち合わせが不十分)が有りまして・・」と小心者の私は心の中で呟(つぶや)きます。
 
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そして木の間(このま)から尾瀬ヶ原が見えて来ました。ついに難所を突破したと安堵(あんど)したのも束の間(つかのま)。
 
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本当の難所が待ち受けていました。雪解(ゆきど)け水でぬかるんだ急坂は残雪と相(あい)まって滑(すべ)りやすいのです。
 
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コース取りに細心の注意を払いました。
 
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木道を歩けるようになると本当に楽です。
 
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枝が複雑に広がった倒木(とうぼく)が行く手を塞(ふさ)いでいました。登山者が障害物競争のように身を攀(よ)じって苦戦しています。
 
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同行者は何故(なぜ)か嬉(うれ)しそう。
 
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沢の水音が疲れを癒(いや)してくれます。
 
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木の根道(きのねみち)と大きな岩が転がる岩場道が続きます。
 
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午前10時15分に長沢へ到着。竜宮十字路まであと1kmの地点です。
 
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土場と長沢の間が勾配のきつい難所であったことが地図ではっきり分かります。
 
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美しい苔(こけ)を木の根元に見つけました。
 
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(続く)

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