カテゴリー「映画・テレビ」の39件の記事

2013年9月29日 (日)

浜町緑道を歩く(後編)

信号のある交差点を横断した場所にある「人形町浜町散歩」案内図には浜町緑道と直行する散歩ルート「日本橋本町深川コース」の門前仲町から新大橋と鎧橋(よろいばし)を経て兜町(かぶとちょう)付近までの一部が地図で表示されています。
 
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ケヤキ(欅)
 
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この先の緑道は植え込みが両側から交互にはみ出しているためジグザグに折れ曲がって見えます。
 
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左手に人口の和流(せせらぎ)が設(しつら)えてありますが節水のためか水は流れていません。
 
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和流は緩(ゆる)やかにカーブしながら先へと続いています。
 
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さらに上流は渓流をイメージさせるように岩が配置されています。
 
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ヒマラヤスギ(ヒマラヤ杉)
 
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ハマヒサカキ(浜姫榊)
 
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和流の反対側に「漢方医学復興之地」碑がありました。明治時代はドイツ医学を範とした医事制度が確立する一方で漢方医学が冷遇され没落していった時代でした。この地で開業した医師・和田啓十郎は衣服や食事にかかる費用を倹約し「医界之鉄椎(いかいのてっつい)」を自費出版するなど漢方医学の復興に大きな影響をもたらしましたそうです。
 
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石で四角く囲まれた井戸のようなものがありました。ここから水が湧き出るのでしょうが、今夏は深刻な水不足ですからやむを得ません。奥には石橋が架かっています。
 
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干上(ひあ)がった和流を振り返ってみました。
 
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ここまでが浜町緑道ですがもう少し先へと歩くことにします。路地の向こう側に消防車が置かれていますので建物の横に出てみると、東京消防庁日本橋消防署人形町出張所であることが分かりました。
 
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広い道路に出ました。反対側に見える建物は久松警察署です。中央区内で神田川と日本橋川に挟まれた墨田川寄り(東部)を管轄する警察署です。
 
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久松警察署前交差点を左折すると人形町交差点まで200mほどですが、警察署の脇に緑道のようなものが伸びているようですからこの交差点を横断しました。
 
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車止めを兼ねた大きなプランターの先には薄緑色に塗られた道が続いています。久松警察署の裏手に久松小学校(右奥の木立)がありますから、通学路として安全が確保されているのでしょう。
 
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左手奥にあるのは中央区立久松区民館
 
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緑色に塗られたガードレール(車止めを兼ねている)の先は普通の路地に変わりました。ここを左折して人形町交差点へ向かうことにしました。
 
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賑(にぎ)やかな人形町交差点に到着しました。
 
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交差点の近くに「人形町の由来」を見つけました。『人形町交差点の北側には江戸時代に歓楽街があり、歌舞伎や人形芝居小屋があったためかなりの人形師が住んでいたことが地名の由来であると』説明されています。
 
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当ブログでは4年前に人形町の老舗料理店「玉ひで」を紹介しています。そして人形町といえば思い浮かぶのが3年前にTBSがテレビドラマ化した人気作家東野圭吾(ひがしのけいご)氏の小説「新参者」です。このテレビドラマが人形町を全国区にしたといっても過言ではないでしょう。この連続ドラマの構成の素晴らしさと主役の阿部寛さんの個性的な演技に惹(ひ)かれて毎回欠かさず見てしまいました。人形町の昔懐(なつ)かしい店舗がいくつも紹介されたことも魅力でした。

その続編とも言える小説「麒麟の翼」が昨年1月に映画化されて、1年後の今年1月にTBS系テレビ局で放送されました。「新参者」の続編ですからこちらにも期待しましたが、連続テレビドラマとは異なり約2時間の中に詰め込まれたためかストーリー展開に大雑把(おおざっぱ)な印象があり、しかも結末に違和感だけではなく虚(むな)しささえ感じました。この映画にはやや失望した私ですが、今回はその中に登場する場所を巡(めぐ)ったのです。ちなみに、「麒麟の翼」は日本橋の欄干(らんかん)中央部にある照明塔装飾品となっている翼(つばさ)を持つ麒麟(きりん)がテーマになっています。

最後に人形町交差点近くにある大観音寺に参拝しましたが、開帳日(毎月17日)ではなく、しかも時間が遅いため「鉄造菩薩頭」(都指定有形文化財)はもちろん、本尊の観音像も拝見できませんでした。そこで、友人たちとの待ち合わせ時間には少し早いのですが、この日の飲み会が開かれるレストラン「カサドール」へ向かうことにします。

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2013年8月10日 (土)

横浜中華街 関帝廟通りで横浜博覧館へ

3階にフードコート「中華味市場」がありましたので、ここで昼食にすることにしました。
 
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白湯(ぱいたん)ラーメン館のほかにも中華麺チャーハン館・飲茶(やむちゃ)館・料理館・デザート・ドリンク館のセルフサービス・カウンターが並んでいます。
 
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オチビちゃんはチャーシュー麺(780円)と芝麻球(ちーまーちゅう、ゴマ団子、1個100円)を選びました。
 
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私は豚角煮白湯麺(塩味)(850円)です。天井にある赤色照明の影響が写真に出てしまいました。
 
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その他に五目チャーハン(680円)と
 
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上海焼きそば(700円)、そして
 
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焼きギョーザ(580円)などをシェアすることになりしました。料理がテーブルに並ぶと量が多すぎたように思われましたが、オチビちゃんとコチビちゃんの食欲に助けられてほぼ完食することが出来ました。その上、二人はデザートのアイスクリームも忘れません。
 
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持参したクーポン券と引き換えにウーロン茶が全員にサービスされたことは良かったのですが、料理の味は可もなく不可もなくと言ったところで横浜中華街の店にしてはやや期待外れでした。
 

一階のダスカマーケットに下りたオチビちゃんとコチビちゃんは「ふくわらいスタンプラリー」のイベント(7月20日-9月1日)を見つけてテンションがさらに上がりました。4つのスタンプを集めるとクーポンとして利用できるようです。もちろん二人の興味は、クーポンではなく、スタンプを集めることそのものです。スタンプ設置場所は横浜大世界に2カ所、横浜博覧館にも2カ所あり、それぞれ2種類のスタンプが置かれていると説明されています。後で知ったことですが、スタンプを4つ集めるとトリックアートの入場料が20%引きになるのですが、順番が後先になったためクーポンとしての利用価値はほとんど無くなっていたのです。
 

横浜大世界だけでスタンプを4つ集められるかどうかは分かりませんので、二人の希望にしたがって計画になかった横浜博覧館へ行くことにしました。人で混雑する関帝廟通りを西へ向いました。
 
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左手のオープンスペースは東屋「会芳亭」(かいほうてい)がある山下町公園です。2000年にリニューアルされたようです。中華街がある山下町は横浜が開港された時に外国人居留地となったエリアで、中国人がはじめて借りた土地に建てられた「会芳楼(かいほうろう)」という劇場と料理屋を兼ねた総合娯楽施設跡がこの会芳亭のある場所だそうです。
 
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天外天」という店名はいかにも中国風です。天外天とは空のまた外、つまり果てしない宇宙のことを指すそうです。四川料理、上海料理、刀削麺(とうさくめん)を提供する中華料理店でした。左前方にある「究極の豚まん雅秀殿」は行列の出来る肉まんの店として知られますが、意外にも栃木県宇都宮市にある会社の店舗でした。豚まんは関西における肉まんの呼び名だと思っていましたが・・。
 
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オチビちゃんが上方を指差していますが・・。右手にある京華楼も四川料理の店で、左手奥に見える龍翔記(りゅうしょうき)は食べ放題の店のようです。
 
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右手にある関帝廟は西暦160年頃の後漢から三国時代にかけて蜀(しょく)の創始者である劉備(りゅうび)に仕えた将軍・関羽(かんう)を祀(まつ)る寺です。後世において神格化され関帝(関聖帝君)となり、商売の神として世界中の中華街に祀られているそうです。映画「レッドクリフ(2008-9年、原題:赤壁)」では曹操(そうそう)の大軍に呉の孫権軍(智将周瑜)とともに戦いを挑んだ劉備軍(関羽将軍と張飛将軍)と天才的な軍師である諸葛亮(しょかつりょう、字(あざな)は孔明)の活躍が描かれています。意外でしたが、主人公は魅力的なリーダーで三国時代に王となる曹操(悪役)と劉備(高潔な人物)・勇猛な将軍の関羽と張飛ではなく、知略を競う周瑜(しゅうゆ)と諸葛孔明(こうめい)の二人でした。
 
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地久門(ちきゅうもん)に行き当たってしまいました。実は、この手前で右に折れるべきだったのですが・・。
 
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アイフォーン(MapFanアプリ)の助けを借りて何とか横浜博覧館に到着。
 
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オチビちゃんとコチビちゃんの二人はスタンプ設置場所がある3階へ直行しました。
 
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その途中、2階で何やら人の行列ができています。そして、「ベビースターランド」の文字も見えます。今年3月にオープンしたこの施設ではベビースターラーメン(おやつカンパニー社)が作られる様子を見学でき、しかもその場で食べることもできるコーナーでした。
 
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製麺から麺揚げまでの製造プロセスを間近で見られるのは、日清食品のインスタントラーメン発明記念館とよく似ています。ただ、こちらは自作することはできません。列が進む方向と説明看板に書かれたプロセスの順番が逆になっているのはややこしいです。
 
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二人はメニューを真剣にながめています。
 
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そして二人ともできたてスナックセット(チョコレート)を選びました。
 
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コチビちゃんに勧められて試食してみるとチョコレートはとても甘い味付けです。
 
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土産物を買っている同行者をしばらく待ったあと、混雑する中華街大通りを歩いて元町・中華街駅へ向いました。
 

<同行者のコメント> 二人ともいっぱい楽しんでくれたようです。中華街で道に迷うとは旦那様らしくありませんね。やはり暑さのせいでしょうか?

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2013年7月 2日 (火)

続・奥の細道疑紀行 上越市高田(後編)

2013_05010635 本町7丁目の交差点を右折すると道の反対側に呉服屋のような店舗が見えました。
 
 
 
 

2013_05010639_2 同行者は気になったようで、「きものの小川」の店内に入って品定めをしています。
 
 
 
   

2013_05010637 南側の歩道に戻った同行者は吉田バテンレースと表示された店の前で足が止まりました。同行者に尋(たず)ねるとバテンレースはドイツで生まれた工芸品で、この店は日本で一番有名なのだそうです。門外漢(もんがいかん)の私にはチンプンカンプン(珍粉漢粉)!
 

これも調べると、横浜に入ってきたバテンレースを明治中期にこの店の先々代などが協力してこの地で製造を始めたそうです。大正時代の最盛期には20軒以上あった業者も戦争や大震災で生産が低下して昭和に入ると3軒だけになり、現在は材料から一貫生産と販売をしているのはこの吉田バテンレースだけになったそうです。

2013_05010638 同行者について店内に入ると意外な写真を見つけました。右の写真に写るのはは連続テレビドラマ「ザ・ガードマン」(1965年4月‐1971年12月)に出演していた俳優の藤巻潤(じゅん)さん、左は「また会う日まで」(1971年)が大ヒットした歌手の尾崎紀代彦さんのようで、この店内で撮影されたものと思われます。

2013_05010640 雨足(あまあし)が強くなってきましたので駐車場へ戻ることにします。雁木が途切れている場所では時々雁木の端で雨宿りする必要がありました。途中、目に留(と)まった雁木とハンギングバスケットを撮影。 
 
 

2013_05010641 車で本町から大手町を経由して本城(もとしろ)町へ向いました。高田城跡(県の指定史跡)は現在高田公園になっています。その中にある高田図書館脇の駐車場に車を停めましたが、本格的な雨になりましたから駐車場は空(す)いています。小降りになったタイミングに濠(ほり)に架かる極楽橋(ごくらくばし)へ向いました。

2013_05010643甲信越にある桜の名所のなかでもトップクラスに位置付けられ、「日本三大夜桜」で知られる高田公園は花散らしの雨のためか、桜の花は見当たりません。代わって菜の花が満開です。堀にそって左手へ歩くと、20年前の平成5年(1993年)に復元された三重櫓(さんじゅうやぐら)が雨に濡(ぬ)れていました。   

堀を背にした説明板には『高田城は明治4年(1871年)に廃城され、陸軍省の所有となり、明治41年に陸軍第13師団は入場したが、その前に行われた土木工事により、土塁(どりゅ)は崩(くず)され、堀の一部は埋められ、二の丸と三の丸の区画は無くなった。本丸跡には師団の司令部(当時の写真)が置かれた』と書かれています。

2013_05010646 本丸跡に入りました。三つ葉葵(あおい)の家紋がある絵図で分かりますが、外堀は自然の河川を利用して作られ、非常に幅が広いことが特徴です。また、天守閣が建築されなかったことと石垣が積まれなかったことも他の平城と異なります。その理由は大阪冬の陣の直前で工事を急いだためと考えられるそうです。

2013_05010645 現在の高田城跡の規模は稲葉正通(まさみち、正往)時代(1685-1701年)の「高田城図間尺」にある数値とほぼ同様であると説明されています。ちなみに、本丸跡の大半は現在上越教育大学の付属中学校として使われています。 
 

2013_05010649 三重櫓へ向かいました。1・2階は展示室として高田藩ゆかりの資料などが観覧できるようです。入場料は大人200円。カメラのレンズに雨粒(あまつぶ)が落ちてしまいました。 
 
 

2013_05010650 見上げた三重櫓
 
 
 
 
 

2013_05010652 3階の展望室に上がりました。
 
 
 
 
 

2013_05010651 高田公園内が一望できました。この写真は西方(高田駅方面)の窓越しに撮影したもの。
 
 
 
 

2013_05010654 次いで向かった師団長官舎は明治期の洋風木造建築物で、上越市が移築・復元したものだそうです。
 
 
 
 

2013_05010655 長岡外史中将は旧陸軍第13師団長であり、上越市が日本のスキー発祥(はっしょう)の地となった基(もとい)を築いた軍人でした。そして、桜の名所100選の地に選ばれ、日本三大夜桜ともいわれる高田公園の桜も同中将が築いたことも説明されています。 
 

余談ですが、長岡外史の後任の師団長となったのが日本騎兵の父といわれた秋山好古(よしふる)で、その弟の秋山真之(さねゆき)は日本海海戦で東郷平八郎大将の配下(先任参謀)として迎撃作戦の「丁字戦法」を考案することでバルチック艦隊を撃滅(げきめつ)した軍人です。つまり、司馬遼太郎氏の長編歴史小説「坂の上の雲」の主人公である松山出身の秋山兄弟なのです。

2013_05010656 正面から見た建物です。車寄せに似た構造の玄関が雪国らしいと思いました。 
 
 
 
 

2013_05010657 内部に入ってまず目についたのは男子応接室。明治・大正時代らしい呼び名です。 
 
 
 
 

2013_05010658 こちらは書斎(手前)と婦人応接室、奥は食堂です。ちなみに、2階は3間続きの和室と子供部屋などがありました。和室は居間や寝室などに使われたのでしょう。 
 
 
 

2013_05010660 最後に立ち寄ったJR信越本線の高田駅(明治19年開業)は城下町らしく城を意識したのか何とも不思議なデザインです。実は、2002年(平成14年)に旧来からの駅舎の前にアーケードを設置して尖(とん)がり屋根を付けただけで、駅舎の内部は旧来のままのようです。
 

これも余談ですが、上越市は約40年前の1971年に直江津市と高田市が合併して誕生したため、港が近い直江津駅、城下町に置かれた高田駅、そして市役所が新設された中間地域にある春日山駅が信越本線に並んでいて、一体感に欠けているように感じられました。この状況は県のレベルですが140年前に津軽藩と盛岡藩(別名南部藩)の支藩(七戸藩・八戸藩など)の領地を中心に発足し、県庁をほぼ中間にある港町の青森に置いた青森県とよく似ています。(続く)

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2013年7月 1日 (月)

続・奥の細道疑紀行 上越市高田(前編)

2013_05010608 雨が降る県道63号を高田地区へ向いました。
 
 
 
 
 

2013_05010610 高田地区の中心部にある会席料理「藤作(とうさく) 別館」で昼食を摂(と)ることにしました。本町通り(県道198号)には駐車できませんので、裏通りにあるコインパーキングに車を停めて裏口から店内に入ります。
 
 

2013_05010612 かなり狭い(正に鰻の寝床のような)通路を入ると半個室へ案内されました。ランチメニューから同行者は若葉弁当(1500円)、私は心積もりしていた「藤作ランチ」(1000円)を注文しました。待つことしばしで、私に玉子豆腐とキンピラゴボウが配膳(はいぜん)されました。茶碗蒸(ちゃわんむ)しみたいに柔らかい豆腐です。 

2013_05010613 次いで焼き魚、玉子焼き、メロンの小片、肉料理などが。
 
 
 
 
 

2013_05010614 同行者には幕の内弁当のような重箱が置かれました。玉子豆腐、刺身、テンプラ、サザエのつぼ焼き、焼き魚、玉子焼き、サヤエンドウ、高野豆腐などと多彩で女性好みのメニューです。それにご飯と味噌汁も付いています。
 
 

2013_05010615 私に刺身の入った器(うつわ)が配膳されたところで何かが変であることに気づきました。同行者と私の注文が逆に受け取られたようです。
 
 
 

2013_05010616 ご飯と味噌汁まで揃(そろ)いましたから、今さら交換する訳にも行きません。私が「逆に配膳されたみたいだね」と言うと、同行者は「そうなのよ。私の料理はみんな量が少ないから変だと思ったわ」と口を尖(と)がらせます。
 
 

2013_05010617 私は食後のコーヒーを飲むことで嵐が過ぎ去るのを待ちました。時間が経つと同行者は料理に納得したようで会計する時に「美味しかったですよ」と言っています。それが契機となって、ご主人と思われる男性が高田の町について詳しく説明してくださいました。 
 

2013_05010620 これが本町通りから見た「藤作 別館」の表玄関です。
 
 
 
 
 

2013_05010619 本町通りに出ると現代の雁木(がんぎ)が続いていました。日本で降雪量が一番多い高田に雁木があることを小学校の社会科で習った記憶があります。「2014年高田開府400年雁木・町家・雪日記」の旗が多数吊(つ)り下げられています。家康の六男・松平忠輝の居城・高田城が築城されて来年が400年目に当るのでしょう。 

2013_05010622 雁木は雨避(あまよ)けにもなりますから車の中に置いたままの雨傘を取りに戻る必要はありません。藤作のご主人から教えられた高田小町にまず立ち寄りました。有力な商家の町屋跡を修復してコミュニティプラザとして利用されているそうです。 
 

2013_05010623 その内部です。土間に足踏み式ミシンが置かれています。右手奥にあるのは蓄音機のようです。
 
 
 
 

2013_05010625 昔懐かしい雪の風景写真です。ちなみ、左は雪で作られた雁木間をつなぐ大きなトンネル、右は昔の雁木(がんぎ)。後者は昭和41年と表示されていますから、ちょうど半世紀前の写真です。
 
 

2013_05010626 内庭には石灯籠と並んで井戸用手押しポンプがあります。 
 
 
 
 

2013_05010627 蔵のギャラリー
 
   
 
 
 

2013_05010628 高い天井にある明かり取り
 
 
 
 
 

2013_05010629 2階からみた土間と囲炉裏(いろり)
 
 
 
 
 

2013_05010631 下小町の辻標には『本町通りは上小町・中小町・下小町の三小町に分かれていた。この下小町には最盛期には旅籠が30軒もあった』と説明されています。
 
 
 

2013_05010633 昔風の雁木も残っています。
 
 
 
 
 

2013_05010632 現役では日本一古いとも言われる映画館「高田世界館」にも立ち寄ってみました。大正5年に常設映画館としてオープンしたそうです。
 
 
 

2013_05010634 「ほかいびと 伊奈の井月」(北村皆雄監督)と題した映画が翌日の5月2日まで5日間上映されているようです。『芥川龍之介に見出され、山頭火に慕われ、つげ義春が漫画に描いた乞食俳人井月(せいげつ)』の文字が見えます。小説家の芥川龍之介と俳人の種田山頭火の名前は知っていますが井月なる人物はさっぱり分かりません。 

調べると、つげ義春の「無能の人」の最後の「蒸発」に登場する俳人の井上井月を描いた映画で、出身地の長岡市、晩年を過ごした恵那市とこの上越市などで上映されているようです。そして、『井上井月は文政5年(1822年)に越後長岡藩士の子として生まれ、勝造または勝之進と称したといわれる。いかなる契機で俳人となったか明らかでないが井月と号した人物』であることを知りました。
 

『長岡を出た井月は、嘉永5年善光寺に来り、伊那へ来たのは安政5年頃であったという。伊那谷にあること30余年、明治20年3月10日上伊那郡美篶村末広太田窪(現在の伊那市美篶末広)の塩原折治(俳号梅関)方で眠るように漂泊詩人井月は往生を遂げた』そうです。ちなみに、「ほかいびと」とは村々を訪ねて人々に「ほかい」(寿ぎ、祝い言)の言葉を唱えて歩くことを生業(なりわい、職業)とした人のことを指(さ)すそうです。(続く)

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2013年5月13日 (月)

続・奥の細道疑紀行 山形自動車道で寒河江市と大江町へ

5年前の2008年9月に思い立って出掛けた東北地方南部のドライブ旅を続けたくなりました。前回は蒲生氏郷と伊達政宗の足跡を探るとともに芭蕉が歩いた「奥の細道」を辿(たど)ってまず那須・白河を巡り、大内宿(会津郡下郷町)・会津若松・米沢を経由、そして山寺(山形市)からは天童・尾花沢・岩出山(大崎市)・仙台と芭蕉とは逆のコースをドライブしました。

今回は尾花沢近くの大石田を再訪して、最上川を下るところから始めることにしました。道路が混雑する連休は避けたいのですが、連休が明けると同居者が毎年支援するボランティア活動(留学生の受け入れ)の準備が本格化しますので、止むを得ず連休の前半を選んだのです。東北で桜が咲き始める時機であり良いタイミングだと思われました。ドライブ紀行を書きながら「立ち寄り先に関連するテーマ」も紹介することにします。

4月28日(日)の早朝に自宅を出発、首都高速中央環状線と同川口線を経由して東北自動車道に入った頃には東の空が白んで来ました。宇都宮を過ぎた上河内SA(自宅から約160km地点)で休憩を兼ねて朝食を摂(と)ることにすると、早朝なのに休日のフードコートは大変な混雑。

2013_05010001 青空が広がる東北自動車道を130km余りを快調に走行して2回目の休憩のため福島松川PAに立ち寄ると桜の花がほぼ満開になっていました。
 
 

福島県の松川と言えば終戦後に松川事件が発生した場所です。1949年(昭和24年)に東北本線で蒸気機関車が脱線・転覆した事件は下山事件や三鷹事件ともに国鉄三大ミステリー事件として知られ、私の好きな作家松本清張氏がノンフィクション「日本の黒い霧」(1960年文芸春秋誌で連載)の題材に取り上げています。

2013_05010006 村田JCTで山形自動車道に入ります。
 
 
 
 
 

2013_05010008 宮城川崎PA付近から見た蔵王の山並みには雲が立ち込めています。
 
 
 
 

2013_05010009 古関PA付近から見える笹谷峠から神室岳(標高1356m)にかけての山々にはまだ雪が残っています。
 
 
 
 

2013_05010010 笹谷峠の下を抜ける笹谷トンネル(長さ3286m)に入ります。
 
 
 
 

2013_05010011 トンネルを抜けて山形市に入ると黒い雲が立ち込めていました。『寒河江(さがえ)→月山雨スリップ注意』の表示が出ています。
 
 
 

2013_05010012 しかしそれもほんのわずかの区間で、高度が下がると青空が戻って来ました。
 
 
 
 

2013_05010014 山形JCTから先は対面通行になりました。中山町はNHK連続テレビ小説『おしん』(1983-1984年)で主人公のおしんが生まれたと設定された集落がありますが、その岩屋地区はかなり山奥に入った場所であり、撮影に使われた建物は鶴岡市の庄内映画村オープンセットへ移設されているようですから通過することにします。

2013_05010017 福島松川PAから125.7km先の寒河江(さがえ)SAが近づきました。このSAにあるETC出口を利用します。寒河江市は前回立ち寄った天童市の西隣にあり、さくらんぼの産地として知られます。
 
 

2013_05010018 ETC出口へ向います。
 
 
 
 
 

2013_05010019 ETC出口を出た場所には桜並木がありました。両側はホテルやフーズセンターなどの施設が並んでいます。
 
 
 
 

2013_05010021 最上川に架かる平塩橋の手前に『牛前の渡し』の説明看板がありました。山形市から鶴岡市へ向う1000年以上の歴史がある六十里越街道の渡船場が50mほど上流にあったそうです。
 
 

2013_05010022 国道458号で隣の大江町へ向いました。目的地は道の駅「おおえ」
 
 
 
 

2013_05010024 ここは『おしん』が筏(いかだ)に乗って最上川を日本海に面した酒田まで下った場所です。
 
 
 
 

2013_05010026 長いドライブのあとに同行者は好物のソフトクリーム『ラ・フランスソフト」を手にしました。さっぱりした甘さが特徴である山形の味覚です。
 
 
 

2013_05010027 最上川の簗場(やなば)は増水していました。
 
 
 
 
 

2013_05010029 最上川越しに葉山(標高1462m)が雲に覆(おお)われています。
 
 
 
 

2013_05010030 ここが『おしん』のロケが行われた藤田地区です。
 
 
 
 
 

2013_05010031 最上川は大きくカーブして、
 
 
 
 
 

2013_05010032 対岸は崖(がけ)がそそり立っています。
 
 
 
 
 

2013_05010034 道の駅へ戻る途中に咲いていた桜の花をアップして撮影しました。(続く)

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2013年2月24日 (日)

二つの高松城を巡る 讃岐高松城址(前編)

岡山駅の7番線プラットフォームへ移動するとほどなく高松駅発のマリンライナーが到着しました。列車名に「快速」が付いている理由は、運賃だけで乗れるのに、急行(あるいは準急)並みに停車駅が限られているためでしょう。前回の記事で紹介したように1号車(高松寄り)は2階建て展望車(上の階がグリーン車・下の階は普通車指定席)です。マリンライナー21号は午前10時23分に「瀬戸の花嫁」(1972年)のメロディに送られて発車しました。
 
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倉敷市の児島地区から瀬戸大橋を渡り始めました。最初の島は香川県坂出市の櫃石(ひついし)島(写真:櫃石漁港)で、風はありますが海は凪(な)いでいるようです。この方面(東方)へ30kmほど行くと映画「二十四の瞳(1954年)の舞台になった小豆島(しょうどしま)があり、その近くには「瀬戸の花嫁」の舞台だといわれる沖島も。学生時代に訪れた小豆島の寒霞渓(かんかけい)は今も覚えています。
 
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瀬戸内海の景色に見とれていると岡山駅を出てからわずか53分で高松駅に到着。駅構内(改札口脇)にある「連絡線うどん」は郷愁(きょうしゅう)を誘(さそ)う名前です。というのは学生時代(半世紀前)にはじめて高松を訪れた時は宇野港と高松港をむすぶ宇高(うこう)連絡船を利用したからです。店名看板の左右に連絡船の写真が掲載されていますが、年代からみて連絡船が廃止された1988年まで使われたこの4隻(せき)ではないと思われます。多分、その前に使われていた鉄道連絡船、鷲羽(わしゅう)丸・眉山(びざん)丸・初代讃岐(さぬき)丸のいずれかでしょう。まだ昼食には早いのですが、この店で讃岐(さぬき)うどんを食べることにしました。
 
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券売機で食券を買ったかけうどん(320円)はシンプルですが、太目のうどんに艶(つや)があって美味しそうです。
 
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私にしては珍しいことですが、出し汁をほとんど飲み切りました。ネギを少し残してご免(めん)なさい。
 
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改札口を出たコンコースからプラットフォームを振り返りました。もうすぐ快速マリンライナーが岡山方面へ引き返すようで、5000系の展望車が写っています。
 
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コンコース内にある抽象的なオブジェが気になりました。東京駅の「金の柱」「銀の柱」と同じ用途も兼ねているのかもしれません。後で調べると、世界的に活躍する彫刻家である流政之(ながれまさゆき)氏が向き合う人をモチーフで製作した作品「だいてんまい」で、その題名は『抱きしめてごらん』を意味する高松弁でした。ちなみに、その手前は広告看板ですが、奇妙な取り合わせだと思います。
 
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駅舎を出たところにある案内地図で確認しました。左手へ進めば学生時代に宇高連絡船(フェリー)で四国に到着した場所です。その宇高連絡船も1988年の瀬戸大橋開業にともない廃止されました。高松港の周辺は「サンポート」として再開発されて巨大な複合施設になっているようです。高松港の様子を見に行きたくもありましたが、あまりの強風にたまらず、目的地へ直行することにしました。
 
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高松駅から200m弱歩いて国道30号の横断歩道を渡ります。案内標識に表示された『玉藻(たまも)公園』の名前は高松城の別名に由来します。
 
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芝生の広場に不思議な形をしたオブジェ、『地表より一森』(井上麦 作)があります。巨大な植物の芽、あるいは動物の突き出た角のような作品は迫力があります。
 
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こちらは「森の王者」(坂本英之 作)
 
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西入口を入ります。入園料は大人200円(65歳以上無料)。左手の石垣は簾櫓(れんやぐら)跡です。
 
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案内看板には『高松城は別名玉藻城ともいい、天正15年(1687年)に豊臣秀吉から讃岐に封じられた生駒親正(いこまちかまさ)が翌年築城した全国にも珍しい水際城(一般には水城)の跡。寛永19年(1642年)に常陸国下館から松平頼重(水戸光圀の兄)が封ぜられて明治に至るまで松平家の居城であった』と説明されています。

真っ直ぐ伸びる遊歩道の右手が二の丸跡です。左前方の石垣は武櫓跡
 
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二の丸跡へ入ります。
 
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史跡に指定されている鞘橋(さやばし)へ出ました。二の丸と本丸を繋(つな)ぐ木製の桁橋(屋根付き)です。ちなみに寸法は、長さ31.04m、幅員3.55m。残念ながら天守閣の復元工事(天守台石垣解体修理工事)のため渡ることができないだけでなく、それに復元工事の完了予定期日も表示されていません。
 
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二の丸の端から見た内堀(うちぼり)に架(か)かる鞘橋と本丸および天守台の石垣
 
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本丸の右端にある矩(かねの)櫓跡の脇(わき)に駅のプラットフォームが見えます。
 
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二の丸の東端に続く石垣沿いに戻ります。
 
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水門の脇に出ました。海から濠(ほり)へ海水を引き込む設備のようです。
 
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反対側にも似た水門があります。内堀の前方は天守台の石垣です。現在は城域の大半が市街地化したため、当時の8分の1程度に狭くなったものの、内堀と中堀(一部)は当時の様子が残っているのだそうです。
 
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(続く)

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2013年1月 2日 (水)

わが家の年末年始(雑感)

明けましておめでとうございます。皆様にとって良い年でありますように心からお祈り申し上げます。お陰様でわが家も平穏な正月を迎えることができました。何事も様式を重んじる私はこの年末年始を例年通りに巣篭(すご)もりの日々を過ごしています。

チビスケくんとチビエちゃんの一家が遊びに来てくれた大晦日(おおみそか)は久しぶりのNHK紅白歌合戦を観ながら過ごしました。小さな2人は同居者との遊びに夢中でしたが、私は初出場の美輪明宏(元丸山明宏)さんの黒一色の衣装と自作楽曲の「ヨイトマケの唄」(1965年)を期待しました。50年近く前の学生時代にテレビ番組で見て鮮烈な印象を受けて以来のような気がするからです。

美輪さんは恰幅(かっぷく)こそ昔より良くなってはいますが、その衣装と歌声は昔のままで、約6分と長いこの歌に聞き入りました。この歌に差別用語が使われているとの理由で長年にわたって民放で放送禁止になっていたことは理不尽な扱いだったと今さらながらに思います。

2007_05140124 もうひとつ印象に残ったのは水森かおりさんが歌った「ひとり長良川」です。飛騨(ひだ)の郡上八幡高山へのドライブ旅を思い出しながら聴いていると、ドレスの大きなスカートがますます巨大になってステージ一杯に広がりました。派手さとは無縁と思われていた水森さんには意外(サプライズ)な演出でしたが、最後にちょっとはにかんだ様に微笑んだことに好感が持てました。それと同時に、割愛された3番の歌詞に登場する飛騨の高山は長良川(分水嶺のひるがの高原が源)と何の関係もないのにと私の詮索癖(せんさくぐせ)が・・。(写真:長良川を見下ろす岐阜城)

2008_09230165 午後11時30分からはテレビ東京で生中継された東急ジルベスターコンサートにチャンネルを切り替えました。藤岡幸夫氏がタクトを振るカウントダウン曲はエルガーの行進曲「威風堂々」ですが、その前に若手のソリストたちもはつらつとした演奏を聴かせてくれました。サクソフォンの須川展也さん、ヴァイオリンの宮本笑里さん、そしてピアノの金子三勇士さんの3名です。続いて演奏されたカウントダウン曲は10数分の長さにもかかわらず、1秒の狂いもなく午前零時に終了したのは見事です。(写真:郡上市の八幡城)

元旦はもちろんお雑煮とお節料理を食べながら実業団のニューイヤー駅伝のテレビ中継を観戦しました。中盤にトップに立ったコニカミノルタが4分近い大差を付けて5年ぶりに優勝。激烈な2位争いの結果、トヨタ自動車九州が2位、1秒差のカネボウが3位、同タイムのホンダが4位でした。下馬評の高かった日清食品と旭化成、そして箱根駅伝のヒーローである柏原竜二さんがメンバーに加わった富士通のいずれもが10位前後と不本意な結果になったようです。

2006_07310049その夜はNHK Eテレでウィン・フィルのニューイヤーコンサート(生中継)と例年通り。一昨年に続いて2回目の指揮をとるフランツ・ウェルザー=メスト氏は上品で安定感があります。選ばれた楽曲は、このニューイヤーコンサートで初めて取り上げられたものが大半でしたが、いずれも十分楽しめました。これは同居者の指摘で気付いたことです。会場に全体に飾られた生花はピンクを基調とする優しい雰囲気で、クローズアップすると申し分なく綺麗ですが、遠景では会場の色調に呑(の)みこまれて見栄えしないことが惜しまれます。(写真:ドイツのハイデルベルク)

2006_07310305 毎年、同居者がこの番組で期待するのはバレーです。最初のオペレッタ曲で登場したダンサーの衣装は、これ以上多彩な組み合わせがないと思われるほどの色使いですが、上品であり綺麗でした。2曲目以降は純白を基調とする衣装になって印象が大きく変わりました。宮殿内の白く豪華な部屋に置かれた調度品には白いレースが掛けられていて、淡い水色の照明が印象的です。登場した5組のダンサーの衣装もよく見ると灰色がかった水色が控えめのアクセントとして様々な形で配(あしら)う演出が心憎いばかりです。(写真:パリのベルサイユ宮殿)

午後10時を過ぎたのでそろそろ寝ようかと思いながら番組表を見ると、「新春全日本なまりうたトーナメント」の番組名が目に入り、そのB級な番組名に惹かれて観ることにしました。全国各地の方言を使って誰もが知っている歌を競うトーナメント形式の余興(よきょう)でした。素人(しろうと)の出演者はいずれも歌が達者で、歌詞に織り込んだ方言も上手く嵌(はま)っており、笑いながらつい引き込まれてしまいました。三日月(絢香)、チャコの海岸物語(サザン)、タッチ(岩崎良美)、飾りじゃないのよ涙は(中森明菜)、ハナミズキ(一青窈)、もう恋なんてしない(槇原敬之)、待つわ(アミン)などが歌われて甲乙付け難(がた)い中、決勝戦で青森弁のプレイバックPart2(山口百恵)を歌った出場者が優勝したことは頷(うなづ)けます。

2012_12250240 1週間ほど時間を遡(さかのぼ)りますが、わが家で恒例にしている川崎大師参りは家族の都合で2回に分かれることになりました。そのため、私と同居者は2回参拝するとともに、年越しそばも大山門前のそば屋さんで同じものを2回ずつ食べることに。私は鴨(かも)南ばんそば、同居者は天せいろそばと、いずれも定番メニューです。参拝の様子は大山門の写真だけにしますが、干支(えと)の置物が12年を掛けて全部揃(そろ)いました。(写真:12月24日の川崎大師)

2013_01010013 この記事は1月2日の箱根駅伝(往路)のテレビ中継を観ながら書いています。第1区で飛び出したトップの東洋大学を第2区で12人抜きをした日本大学が追い抜いて、その2チームが1秒差で第3区に入りました。そして、3位には日本体育大学、4位山梨学院大学、5位駒沢大学と続いています。(写真:12月30日の川崎大師)

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2012年12月 2日 (日)

映画「シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語」を観る

晩秋の雨が降る日にJR川崎駅西口のラゾーナ川崎プラザへ出掛けました。いつもは電車を利用する場所ですが、大きな駐車場があることとこの日の天候を考慮して今回は初めて車を選びました。出掛けた理由はラゾーナ川崎プラザ内にある109CINEMASで映画「シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語」を観るためです。幸町交差点から駐車場の標識を探すとすぐ見つかりました。駐車場入口にあるゲートには2台並んでいるだけですから、上映開始時間を気に掛ける必要はなさそうです。

ゲート付近(屋外)に少し空きスペースがあり、駐車場棟の2-3階にも何台分か空いている場所が確認できますが、何故か10分ほど待たされて入場しました。雨を避けて駐車場棟内へ直進するとそこは満車状態で、しかも階上へ上がる場所が見つかりません。止むを得ずゲート付近に車を停めて、朝から降り続く雨で出来た水溜りを避(よ)けながらラゾーナ川崎プラザの入口まで歩きました。後に知りましたが、ラゾーナ川崎プラザには平面駐車場と立体駐車場が各々2箇所ずつあって、相互に往き来することは出来ないのです。エスカレーターを乗り継いで5階の109CINEMASに到着しました。
 
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インターネットで予約済みですから窓口に並ぶ必要はありません。
 
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今回も『良・席・予・約』を利用して良い席を選んでいますから、端末の指示に従ってクレジットカードを入れれば印刷されたチケットが2枚出てきました。ここではたと気づきました。駐車場料金が2時間まで無料になるサービス券を貰わなくてはなりませんから、10月初めに町田のグランベリーモールにある109CINEMASを利用した時と同様に受付に向うことになりました。
 
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今回選んだ「シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語」の他にも「人生の特等席」「のぼうの城」「北のカナリア」など注目作品が同時上映されています。シルク・ドゥ・ソレイユの予告編をこちらにリンクします。
 
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手続きをすべて終えて同行者はどうしているかと思えば、例によって売店でポップコーンなどを買い込んでいます。
 
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その他にも飲み物と何やら紙に包まれたものも・・。
 
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上映開始時間の15分前になると場内アナウンスがありましたので入場口へ。
 
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ポップコーンを2人で食べながら上映の開始を待ちました。
 
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飲み物は同行者の好きなコーヒーだろうと飲んでみると、意外なことにココアでした。私の言葉に対して、同行者は『たまにはココアも良いでしょう!』と屈託(くったく)がありません。
 
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紙に包まれたものは何と「牛すじ肉入りコロッケ」でした。
 
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ポップコーンを半分も食べないうちに上映が始まりました。導入部は田舎町の薄暗くなった踏切で若い女性(主人公ミア)が列車の通過を待っている。そして主人公が踏み切りを渡って「マーベラス・サーカス」のテント小屋へ向って歩いて行くと、ピエロから空中ブランコ乗りの青年が大きく印刷されたビラを強引に手渡される。

そのビラを見せてテント内に入ると、ほどなくサーカスの花である空中ブランコの演技が始まる。見事な演技だと思われたが演技する青年は戻ってきたブランコを掴(つか)み損(そこ)なって地上に落下する。大変な事故に驚愕(きょうがく)する主人公だが、地面が割れて演技者は大きな穴に吸い込まれてしまう。そして駆け寄る主人公も砂と一緒に地中へと落下して行く。

主人公が気付くとそこは月明りに照らされた見知らぬ砂漠の世界。このワンダーランドにも地上のサーカスとは別のテント群が並んでいる。主人公はブランコ乗りの青年を探して、地上で貰ったビラを見せながらテント群を一つひとつ見て回る。無国籍の音楽が流れるテント内ではオリエントやアラビア風の衣装を纏(まと)った演技者が次々に登場する。なかでも印象的な演技は大きなプールを使ったシンクロナイズドスイミング。

西洋風な雰囲気が漂うと、ビートルズの「ゲット・バック」が流れ、演技もがらりと変わる。重力と上下の方向感覚が失われた世界は見るものを引きこんで行く。3D映画ならではの演出である。さらに乱射される矢の一本が観客の方向に飛んで来て、観客の肝を冷やす演出も使われる。どのシーンもシルク・ドゥ・ソレイユの魅力を惜しみなく見せる。リアル世界の迫力を映画で再現するためカメラワークを駆使して上手く伝える手法も「アバター」や「タイタニック」のジェームズ・キャメロン(制作)と、「シュレック」と「ナルニア国物語」を手掛けたアンドリュー・アダムソン監督ならでは。

最後に主人公はブランコ乗りの青年と再会して二人でロープを使った空中演技(エアリアル・ストラップ)をするシーンにビートルズの「オール・ユー・ニード・イズ・ラブ」が流れるのはやや安易な演出だと思う。それ以上に気になったことはストーリー展開に流れが感じられないこと。このため「シルク・ドゥ・ソレイユ」の公演を観たことがない人には退屈な映画に感じられるかもしれない。同行者は『ディズニーリゾートで観たそのままで素晴らしいわ!』と満足していたのは救いである。

ロビーに出た同行者はハーゲンダッツのアイスクリームを買うことを忘れません。
 
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私は屋上庭園の紅葉を見ながら3D映画を1時間半も観続けて疲れた目を休めました。
 
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地上のルーファ(大屋根)広場にはクリスマスの飾りつけが出来上がっています。
 
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川崎駅東口のビル群が雨に煙っています。
 
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<同行者のコメント> 雨が降る駐車場から水たまりを気にしないで歩く旦那様について行くのは大変でした。今度は屋内の駐車場にしてくださいね。でも映画でシルク・ドゥ・ソレイユの演技をいっぱい見ることができて大満足です。シンクロナイズドスイミングのシーンには日本人スイマーも参加していることがテレビ番組で紹介されましたが、映画の画面ではそのスイマーたちを確認できませんでした。

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2012年10月 5日 (金)

白雪姫と鏡の女王

町田市のグランベリーモールへ出掛けました。国道246号を下って町田市に入り、東名入口交差点の手前で側道にそれて国道16号へと右折し、さらに左手のニトリ脇を入ればグランベリーモールの広大な敷地脇に出ます。案内標識に従ってオアシススクエアC立体駐車場に入りました。このグランベリーモールは4年半前に大山街道巡りをした時に立ち寄った「鶴間の一里塚」から100m足らずと至近です。

2000年にオープンした約100店舗で構成されるこのアウトレットモールは映画館とフードコートも併設されています。車でアクセスするには上述したように国道246号が便利で、駐車場は約1000台と大規模。そして電車を利用する場合は、東急・田園都市線南町田駅の南口を出ると直接(徒歩0分)グランベリーモールに入ることができます。ただし、複数の建物を結ぶ通路は解放空間になっていますから雨の日はちょっと不便かもしれません。

2012_1003ceatec0159 オアシススクエア4階の駐車場から向かったのはその2‐3階にあるシネマコンプレックス「109シネマズグランベリーモール」(スクリーン数は10面)で、9月14日から上映されている「白雪姫と鏡の女王」(字幕版)がお目当ての映画です。公開当初に予想された混雑をやり過ごしてこのタイミングを選びました。
 
2年前に観て面白いと思った「バイオハザードⅣ アフターライフ」の続編である「バイオハザードⅤ リトリビューション」が同時上映されているので少し迷いましたが、衣装を担当した石岡瑛子(えいこ)さんの遺作となったこの映画は外せません。
 

入場料はシニアが1000円、同行者もレディースデイ割引(水曜日)で同じく1000円。大人の通常料金1800円に比べてかなりお徳用です。そして駐車料金が3時間まで無料(109シネマズ利用者の2時間無料サービスを含む)であることも嬉(うれ)しいことです。

2012_1003ceatec01542階にある109シネマズの受付を通り過ぎて「良・席・予・約」の端末(写真左端)に向いました。ネット経由で予約すれば、受付に並ぶ必要がありませんし、好きな席を選ぶことも出来るのです。
 
 
 

2012_1003ceatec0161同行者はConcesion Stand(映画館の売店を意味する米語)でハーゲンダッツのアイスクリームに続いてポップコーンとドリンクも買い込んでいます。気が付いた時にはアイスクリームが半分以下に減っていました。
 
 

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入場を待つ間に同行者は3D映画「シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語」が11月に公開されると知って、そのパンフレット(棚の上段左端)をバッグに押し込んでいました。2年半前に同グループによる公演「ZED(ゼッド)」を東京ディズニーリゾートで観賞したことを覚えているようです。 

この映画は「ナルニア国物語」のアンドリュー・アダムソンが監督を、「アバター」のジェームズ・キャメロンが製作を担当しているようですから期待できます。私は以前の記事で紹介した「のぼうの城」も気になります。

2012_1003ceatec0166 上映10分前になると入館の案内があり、「白雪姫と鏡の女王」が上映されるシアター4へ向いました。通路の角にあるパネルのキャッチコピー「毒リンゴには、もう騙(だま)されない。ハッピーエンドはどちらの手に」が期待を盛り上げます。
 

2012_1003ceatec0168 シアター4の入口にあるポスターを見ると女王が主役のようです。その手に載(の)る白雪姫はなぜかサーベル(洋剣)を構えています。「おとぎの国でバトルが始まる」とは物騒(ぶっそう)です。 
 
 

2012_1003ceatec0175_2 館内が暗くなるとアナウンス と上映予告が延々と続きました。10月下旬に開催される第25回東京国際映画祭で上映される映画の紹介には「シルクドソレイユ3D彼方からの物語」、そして4年振りにクリント・イーストウッドがスクリーン復帰した「人生の特等席」などが続きました。
 

2012_1003ceatec0180 北野武監督の「アウトレイジ ビヨンド」に登場するやくざの台詞(せりふ)を捩(もじ)った注意事項がいくつも流されました。「大声を出さない」「拳銃を持ち込まない」「立たない」などが館内の笑いを誘いました。以下はネタバレになっていますから、結末を知りたくない方は2つ目の☆印までを読み飛ばして下さい。 

                         ☆

上映が始まると、主役だと自称する女王(ジュリア・ロバーツ)が登場して物語の背景を人形劇で説明。この導入部がおとぎ話のストーリー展開に期待を持たせました。最初のシーンは城内の大広間で繰り広げられる人間を使ったチェスゲーム。山形県天童市の人間将棋と同じ趣向(しゅこう)です。そこへ城内の自室に軟禁されていた白雪姫が登場。それを咎(とが)める女王に白雪姫は「18歳の誕生日を迎えたのでパーティに出席しても良いと思った」と答える。

場面が森の中に変わって、馬に乗った王子がお供の者を連れて通りかかると、そこへ黒装束(くろしょうぞく)の何者かが集団で襲(おそ)い掛かる。巨人に見えたのは足の長い(竹馬に乗った)小人の7人組。

父王が森で行方不明になってからは女王の横暴で王国内の住民が困っていることを下女から聞いた白雪姫は城を出て近くの村に入る。一方、女王は自室の隠れ部屋にある大きな鏡に呼びかけて、その中にある別の世界へ入ると、そこには鏡に写ったもうひとりの自分がいる。

白雪姫は森の中で身包(みぐる)み剥(はが)れた上に逆さ吊(づ)りにされていた王子とお供の者を助ける。白雪姫と別れた王子は城に女王を訪ねる。豊かな国の王子だと知った女王は一計を案じて大舞踏会を開催すると言い出す。イエスマンの家来がもう残っているお金はないと言うと、「パンこそ肉だ」と妙な理屈付けで税金をさらに取り立てろと家来に命じる。村にいた白雪姫はその家来が村民に増税を言い渡すのを聞く。

大舞踏会に備えてより美しくなろうとする女王が恐ろしいエステを受けるシーンが延々と続く。大舞踏会にはスワンに仮想した白雪姫とシルクハットに兎の耳を付けた王子がいる。再会した二人は惹(ひ)かれあって踊り続ける。それに気付いた女王は家来に白雪姫を自室に連れてこさせて、「敗北を認めることだ」と言い放つ。しかし、白雪姫がそれを認めないので、白雪姫を森で殺して怪獣の生贄(いけにえ)にするよう家来に命じる。

昨夜の美しい女性は誰かと尋(たず)ねる王子に向って女王はその白雪姫が昨夜森で死んだと告げる。落胆した王子を自室に招いた女王は惚(ほ)れ薬を王子に飲ませる。王様を誘惑する時にすべて使ってしまっていた女王が魔法で手に入れたのは子犬用の薬であったため、王子は女王に惚れはしたが、副作用による異常行動として犬の仕草(しぐさ)をするようになる。

森の小人たちが女王の金(村民から徴収した税金)を奪ったと女王に聞かされた王子は森に出掛けて行く。そこで小人たちに助けられた白雪姫と再会するが、薬がまだ効いていたため、二人はサーベルで戦うことになる。小人たちに手ほどきを受けたばかりで腕前が劣る白雪姫は劣勢であったが、最後には知略で王子に勝利する。女王の魔法(秘薬の効果)を解こうと小人たちはいろいろ試みるが上手く行かない。そして白雪姫は王子にキスをすれば・・と思いつく。(これは原作と正反対の展開である)

魔法の呪縛(じゅばく)から開放された王子は白雪姫とタッグを組んで、白雪姫を殺しに来た女王と戦うことを決心する。女王が繰り出した秘密兵器は羽の生えた竜のような怪獣である。圧倒的なパワーを持ち無敵と思われたその怪獣の胸に見覚えのあるネックレスを見つけた白雪姫が父王からもらった短剣でそこを突くと怪獣は光に包まれて消滅してしまう。そして森で死んだはずの父王が生き返ったのだ。白雪姫は久しぶりに父王と再会する。

ラストシーンは復帰した王の前で白雪姫と王子が結婚する。クローズアップ撮影された白雪姫の象牙(ぞうげ)のような白い肌とブルーネットの(黒い)髪の毛は原作の白雪姫を良く再現している。黒く太い眉(まゆ)も古き良き時代を象徴(しょうちょう)しているようだ。女王役のジュリア・ロバーツはまさに適役で、影の主役を見事に演じきっていました。

追放されたはずの元女王(魔法を使い過ぎたため一挙に年老いた)が結婚式の場に現れて、お祝いにと真っ赤な毒リンゴ差し出すと、白雪姫はその毒りんごをナイフでカットして元女王に渡しながら、「敗北を認めることね」と告げたことはシニカルになり過ぎたと思います。

最後のクレジットの前に映し出されたシーンはインド映画のラストシーンそのままでした。主役が歌い踊る周りに煌(きら)びやかな衣装をまとった人々が群舞するのです。私は「座頭市」(北野武監督)のラストシーン(下駄履きタップダンス)を思い出しました。このシーンはたしかに楽しいのですが、それまでの流れとはまったく異質で、蛇足だったように思います。同行者も同意見で、「グリコのおまけみたい」と言います。

クレジットでは石岡瑛子さんへの謝辞が映し出されました。映画の全編を通じて使われた多くの衣装の豪華さと美しさは期待通り。それに加えて、舞台演劇のような場面展開の分かり易さとコミック風な台詞(せりふ)回しが絶妙であったことも印象に残りました。ちなみに、字幕の翻訳は第一人者の戸田奈津子さんです。

                         ☆

2012_1003ceatec0189 上映が終った時には12時を40分ほど回っていますから、1階のフードコロシアムへ急ぎました。
 
 
 
 

2012_1003ceatec0186 いずれのメニューも500円(ワンコイン)であることがフードコロシアムの売りであるようです。
 
 
 
 

2012_1003ceatec0199 私は東京風ラーメン(醤油)を、同行者はピッツァ(マルゲリータ)とドリンクバー(200円)を注文しました。一人ひとりに大きな札が渡されました。スーパー温泉で渡される腕輪のように料金を精算するためのID(アイディ)カードのようです。 
 

2012_1003ceatec0194 東京風ラーメンの極細ストレート麺は港北ニュータウンのくじら軒の麺によく似ています。味もあっさりしていて味噌ではなく醤油にしたことが正解だったようです。
 
 
 

2012_1003ceatec0195 店内の大釜(おおがま)で焼かれたピッツァ・マルゲリータもチーズがたっぷりで美味しいのですが、甘酸っぱいトマト味がもう少しある方が私の好みです。
 
 
 

2012_1003ceatec0201 帰り掛けにその立派な大釜を撮影しました。
 
 
 
 
 

朝方、時間に余裕を持たせてグランベリーモールへ到着しましたから、駐車場を出る時には3時間20分ほどが経過していました。しかし、映画を観たことで無料サービス時間が延長されて駐車料金は200円(30分相当)で済みました。ちなみに昼食や買い物を合計して2000円を超えると、さらに2時間の無料サービスが加わって都合(つごう)5時間までが無料になるようです。

<同行者のコメント> 以前から来たかった場所です。ずっと前にすぐ近くを通り過ぎたことはよく覚えていますよ。それはそうとして、美しい衣装を見るだけでも楽しくなる映画でした。旦那さまがストーリーを細かく覚えているのには感心しますが、そんな見方をしていて疲れないのかしら?

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2012年9月30日 (日)

ダンスバトル

最近はダンスの人気が復活して何度目かのダンスブームになっています。戦後を振り返ると、進駐軍(駐留米軍の古い呼称)が持ち込んだアメリカ文化を象徴するジルバやフォックストロットなどのカジュアルなダンスに始まって、タンゴやワルツなどの社交ダンス(ソーシャルダンス)、そしてフォークダンスなど様々な種類のダンスが次々にブームとなりました。

私が大学生だった時代にはダンパ(ダンスパーティ)が全盛でした。歌の世界では終戦直後の昭和23年に林伊佐緒(いさお)さんが歌ってヒットした「ダンスパーティの夜」がありました。♪赤いドレスがよくにあう 君と初めて 会ったのは ダンスパーティの 夜だった♪の歌詞が今でも記憶に残っています。そして高校生の頃はフォークダンスでした。舟木一夫さんのヒット曲「高校三年生」で♪フォークダンスの手をとれば甘く匂うよ 黒髪が♪の歌詞を懐かしく思い出します。社会人になった当初も自由が丘などに通いましたが・・・。

時代が20年ほど経過すると映画「ブレイクダンス」(1984年)がブレイクダンスの人気を一気に高めました。若者達がストリートダンスの一種であるブレイクダンスで古いスタイルのダンスに挑戦する話です。そして、その前年の映画「フラッシュダンス」(1983年)ではダンサーを夢見る溶接工(ジェニファー・ビールスが演じた)が踊るブレイクダンスとアイリーン・キャラが歌った主題曲が世界中で人気を集めました。

さらに遡(さかのぼ)ると、ジョン・トラボルタが主演し、ビージーズThe Bee Gees)が主題歌を歌った映画「サタデー・ナイト・フィーバー」(1977年)の大ヒットはストリートダンスの一種であるディスコダンス(ブレイクダンス、レゲエ、ヒップホップなど)を世界中に広めました。詳細には触れませんが、音楽界のスーパースターであるマイケル・ジャクソンも現在のダンスに大きな影響を与えました。

バブル経済の最中にあった1980年代の日本ではディスコ(フランス語のディスコティック)あるいはクラブが社会現象になりました。バブル崩壊後の1990年代前半、ジュリアナ東京に代表されるディスコでボディコンの若い女性たちが派手な扇子を振りながらお立ち台で乱舞してブームはピークを迎えましたが、風俗化したため長続きせず、1994年にジュリアナ東京はファンに惜しまれながら閉店しました。

そして2000年代に入るとTRF SAMさんやDA PUMP KENZOさんなどのスター・ダンサーが登場し、アメリカで活躍するケント・モリ(森健人)さんが注目され、メンバー数を14人へと倍増させたダンス&ボーカルユニットEXILE(エグザイル)の人気もあり、ダンスバトルは街角からテレビ番組(日本テレビ系列のスター☆ドラフト会議、TBSテレビ系列のAsian Ace、テレビ東京系列のDanceTVなど)にも広がりました。

長いイントロが終ってやっと本編です。大阪訪問の目的を済ませたところで予定外でしたが、滞在を伸ばしてオチビちゃんのスケジュールにも付き合うことになりました。数ヶ月前から通い始めたダンス教室での練習です。何ごとにも積極的なコチビちゃんも参加しているそうで、同行者とともに夕方から始まる教室へ同行しました。まずはウオーミングアップを兼ねたストレッチ運動です。
 
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衣装と立ち姿は予想以上に決まっています。
 
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二人が習っているのはヒップホップダンス
 
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先生から直接指導を受けるオチビちゃん
 
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一汗かいたところで短い休憩が入りました。
 
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拳骨(げんこつ)を振り上げた同行者がオチビちゃんに鉄拳制裁(てっけんせいさい)!? 実は、飲み込みが遅いオチビちゃんに振り付けを教えているのです。
 
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練習が再開されました。カメラに気が付いたコチビちゃんは「撮影しないで!」と言っているようです。
 
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コチビちゃんは先生の近くで熱心に取り組んでいます。
 
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先生の説明にもしっかり耳を傾けます。
 
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前列右端の先生に遠い場所に陣取ったオチビちゃんは自信がなさそうで視線を落としています。「もしもし、足が反対ですよ!」
 
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そうこうしている間に調子が出てきたようです。その時、ベビーダンサーも練習に参加! お母さんの手が制止しようと・・。(ここから先はiPhone 4Sで撮影)
 
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うつ伏(ぶ)せのポーズはヨガに似ていますが、この姿勢(しせい)から起き上がるのはかなりきつい動きです。
 
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ターン(回転)が苦手(にがて)だったオチビちゃんは、「最後には出来たね!」と先生に褒(ほ)められて、とても嬉(うれ)しそうでした。

<同行者のコメント> ダンスは出来ないと言っていた旦那さまが若い頃にはダンスパーティに通っていたことを今回はじめて聞きました。それはさておき、子供の頃からダンスを練習できるオチビちゃんとコチビちゃんがうらやましいです。これからもずっと続けてくださいね。

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