カテゴリー「趣味」の33件の記事

2013年1月20日 (日)

仙台市の遺跡と公園(前編)

今日は四節季でいう大寒。つまり暦の上では一年で一番寒い日です。夜明け共に起床する習慣がある私ですが、寝床でアイフォーンのラジコでラジオ番組を聴いているうちに午前7時をとうに回ってしまいました。これはいけないと寝床を抜け出して外の様子を確認すると、朝日が眩(まぶ)しい空は雲ひとつない青空が広がっています。

朝食もそこそこに車で出掛けました。行き先は多摩川の河川敷(かせんしき)にあるゴルフ練習場です。雪が残るゴルフ練習場はすでに来場者で一杯であり、待つことを覚悟しましたが、幸運なことに端っこの席が1つだけ空いていました。そう、私は悪運が強いのです(これは私の思い込みで運などは存在しない・・)。

同じ河川敷にある競走馬の練習場で多数の噴水のような散水が行われているのを見ながら2時間近く体を動かしていると、鈍(なま)った身体も少しずつ解(ほぐ)れて行くのが分かりました。3日月連続で上位入賞がかかる今週のゴルフコンペに向けて良いコンディションです。しかし、今週も予想されている降雪が難敵になりそう。これも私の強運で何とかしたいものです。

2013_01180002 さて本題です。一昨日の18日に東京駅で東北新幹線の「はやぶさ1号」に乗車しました。行く先は2年ぶりの仙台です。2年前に仙台駅で「はやぶさ」の試運転車両を見たことで、この機会を待っていたのです。
 
 

2013_01180007 定刻に発車した「はやぶさ1号」は順調に走行して、福島県に入ると前回と同じ様に雪景色が広がりました。山間では視界が悪くなって雪が舞い降りてきましたが、仙台平野に出た頃には青空が戻ってきました。やはり、私は晴れ男なのです。先行車両が仙台駅を出発するまで待たされたため、仙台駅には5分ほど遅れて到着しました。

2013_01180010 仙台駅舎を出るとテラスには脇に寄せられた雪がまだ残っています。
 
 
 
 

2013_01180014 地下通路を5分ほど歩いて仙台市交通局が運営する地下鉄南北線の仙台駅に到着。何の特徴もない改札口には見慣れた切符とカードの投入口がありますが、PASMOSuicaの両方とも使えないことが意外でした。スキップカードという独自のカードが使われているようです。 

2013_01180017 この路線は仙台市で最初の地下鉄として1987年(昭和62年)に富沢-八乙女(やおとめ)間(13.6km)が開通し、1992年(平成4年)の泉中央まで延長されています。泉中央駅は東北自動車道の泉ICの近くです。ちなみに、南北線と呼ばれる理由は現在工事中の東西線(2年後の2015年開業予定)と区別するためでした。

2013_01180137 終点のひとつ手前の長町南駅で下車しました。地上に出るエレベーターに乗って思い出しました。仙台市内のエスカレーターは大阪と同様に右側に整列する習慣であったのです。
 
 

2013_01180021 駅前で「地底の森ミュージアム」の案内看板を見つけました。設置場所に合わせて南北が逆になっていますが、最初の目的地は駅の西方にあるようです。
 
 
 

2013_01180125 楕円形をしたユニークな「地底の森ミュージアム」の建物は雪に埋もれています。綺麗に除雪されたエントランスの坂道を上がりました。
 
 
 

2013_01180024 この穴倉のようなものが入口のようですから、階段を下りました。
 
 
 
 

2013_01180025 「地底の森ミュージアム」の構造が簡単に図解されています。「よみがえる2万年前」と表示された地下と「解き明かされる2万年前」(発掘物)を展示するが地上階、および野外の「氷河期の森」で構成されていることが分かります。入館料(400円)を支払って地階へ向いました。
 

2013_01180029 建物に入った時からメガネが曇ったのは展示物を保護するため館内の湿度を高く保っているからだと説明されました。巨大で薄暗い展示室に何やら異様なものが確認できます。動物園の爬虫類展示場に入ったように無数のワニあるいは大蛇などが群がる光景に似ています。目が慣れてくると朽(く)ちた木材であることが分かりました。 

2013_01180030 2万年前の森と人類の生活跡を発掘されたままの姿で保存・公開していると説明されています。
 
 
 
 

2013_01180031 20分間隔で約10分間のスライドショーがあるので奥の方へ進むようにと係員に促(うなが)されました。ほどなく高い天井からスクリーンが下りて来てショーが始まりました。登場した狩りをする人物は2万年前の古代人のようです。 
 

2013_01180034 3人の男たちが鏃(やじり、矢尻)の修理をしているようです。2万年前の人たちは狩や植物の採集をして暮らしていたと解説が入りました。
 
 
 

2013_01180035 『たき火で暖を取りながら明日の獲物を夢見たのだろう』のテロップが・・。
 
 
 
 

2013_01180038 ショーが終ると明るくなりました。先ほどよりも展示物をはっきりと見ることができます。
 
 
 
 

2013_01180040 クローズアップするとたき火跡と表示されていました。
 
 
 
 
 

2013_01180041 こちらは石器を埋めた穴
 
 
 
 
 

2013_01180044 壁面に富沢遺跡における地下5mまでの断面を確認できる仕組みがありました。
 
 
 
 

2013_01180045 2万年前(旧石器時代)の地層の2m上には5000年前の縄文時代の地層があり、さらに上には弥生時代から現代までの水田の土の層が重なっています。
 
 
 

2013_01180053 横手に回りこみながら地底の様子を観察しました。遺跡の地面が白く見えるのは土中にもともと含まれている成分が結晶化したものと解説されています。そのため結晶化しにくい環境を整える対策を検討しているそうです。
 
 

2013_01180057 この2万年前の木は手で触(さわ)れるそうですが、職員やボランティアガイドが見当たらず、残念ながら諦(あきら)めました。
 
 
 

2013_01180062 階上(中地下)へ向う階段を上りました。(続く)

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2012年12月25日 (火)

カーナビの地図データをアップデートする

今年もあと6日を残すだけになりました。当ブログでは私の行動や日々に感じたことを紹介していますから、当ブログの記事をお読みいただいている方には私の日常がかなり伝わっていることと思います。実のところ、当ブログに時々登場する4人の幼い子供たちが成長する様子をもっと紹介したいところですが、当ブログのテーマから逸脱してしまいますから、出来るだけ掲載することを控えているのです。

2011_08040279 私自身もこの1か月ほどは雑用に追われて温泉を巡るドライブ旅は一時休止の状態であり、最近出かけた近場のトピックスや読後感などを思いつくままに書いてお茶を濁しています。そのついでに、テーマとして余り取り上げないゴルフの近況についても少し触れたいと思います。今年に入って調子を崩してスコアの低迷していたゴルフがなぜか最近になって復調したようです。実は先月に続いて今月の月例会でも上位に入賞できたのです。思い当たる理由は今春から続けている球筋を修正(矯正)する練習です。[写真は伊豆国際カントリークラブ]

しかし夏が過ぎるまでスコアの改善にほとんど繋(つな)がらなかったものが、秋に入ると突然のように球筋が安定することを実感し始めました。練習量と成果の関係は直線的ではなく階段状であるとの私の考えには矛盾しませんが、それだけとは思えませんので、それ以外の要因を考えてみました。実は、この秋からトレーニングジム通いを再開しましたが、そのタイミングに合わせて身体が軽く動くようになったと感じられます。恐らくその両方が相乗効果を生み出したのかも知れません。

2012_12250340 余談はここまでにして本題です。昨年初春、東日本大震災の直前に契約して6月末に納車された現在の車に搭載されているカーナビ(HDDナビ)の地図ソフトは一昨年の秋バージョンであるため、今年5月に開通した新東名高速道路などが表示されないことを不便に感じていました。6か月点検の際に、自動車ディーラーで確認すると有償で地図ソフトを更新してくれるそうです。所要時間は数10分ですが、その費用は何と約1万3千円とのこと。逡巡(しゅんじゅん)する私に担当者は無償で地図データを更新する方法を教えてくれました。

それはトヨタ自動車のマップオンディマンドを利用する方法です。G-BOOKサービスに加入していればネットワーク経由で地図データを適宜(てきぎ)更新できるのですが、iPhoneG-BOOKに対応していないことを理由に私の車は未契約ですから、地図更新DVD(税・送料込1800円)を購入するか、自分のパソコンとインターネットを使って地図更新DVD(あるいはUSBメモリ)を作成することのいずれかです。私は実質的に無償となる後者を選択しました。DVD-R(またはCD-R)を使う場合の3つの手順、(1)マップオンディマンドのサイトから必要なファイルをPCへダウンロード、(2)そのファイルをCDまたはDVDへコピー、(3)カーナビにインストール、を詳細に紹介します。

      トヨタ自動車が運営する自動車ポータルサイトGAZOOにアクセス、PCメールのアドレス(携帯メールは不可)を入力することでGAZOO会員の仮登録を行う。
GAZOOのURL:https://gazoo.com/Members/PreRegisterTerms.asp

      そのメール宛に送付されるGAZOOの会員登録サイト(URL)にアクセスして会員情報を入力すれば正式会員登録が完了する。

      マップオンディマンドのサイト(https://g-book.com/mapondemand/Top.aspx)にアクセスして、会員情報として登録したIDとパスワードを入力する。初回のみ車両情報(車体番号あるいはカーナビのメーカー名/モデル名/ナビの品番/車載器のシリアルナンバー)の登録が必要。ダウンロードサイトにナビのバージョン情報が表示されるのを確認すればログインは完了。

      更新のためにダウンロードする都道府県を1つ以上選択してダウンロード・ボタンを押す。「ファイルのダウンロード」が表示されたら、「保存」をクリックする。「名前を付けて保存」と表示がされたら、パソコンの任意の保存先(例 \Desktop\map)を選択する。ファイル名、ファイルの種類を変えずに「保存」をクリックする。ダウンロードが完了したら「閉じる」をクリックする。

      ダウンロードしたzip形式で圧縮された「map.zip」フォルダをダブルクリックすると、選択した都道府県数プラス1件のファイルが表示されるので、メニューバーの「ファイルをすべて展開」を選択する。「圧縮(ZIP形式)フォルダの展開」が表示されたら、「参照」からパソコンの任意の場所を選択し、「展開」をクリックする。パソコン画面上に「解凍の完了」と表示されたら、「完了」をクリックする。

      任意の場所に作成された「map」フォルダをダブルクリックして、ファイル(DFF形式)が保存されていることを確認する。そして、このファイルを未使用のCD-R/DVD-Rにコピーする。

2012_12250335      地図データをコピーしたCD-R/DVD-Rをカーナビに挿入し、「地図更新場所選択」画面が表示されたら、更新する都道府県を3件まで選択して(3件以下の場合は選択不要)、「更新開始」をタッチすると、地図のコピーが始まる。コピーが完了すると、その旨の表示(文字・音声)があるので、CD-R/DVD-Rを取り出す。そして地図の更新準備が自動的に始まる。

      更新作業はカーナビの電源が入っている状態で数時間を要するが、その間も通常通りにカーナビを使用することができる。更新準備が終わったあと、画面右下に表示される「地図更新」ボタンにタッチすると地図更新が開始される。このプロセスは数10秒で終了する。

2012_12250347       ナビの設定・編集メニューの地図更新を押して更新記録を確認すると最終更新日が表示される。これが更新した日になっていれば地図更新は正常に完了したことが確認できる。尚、都道府県が4件以上の場合は⑦と⑧の操作を繰り返す。 
 

2012_12250336 上記の更新で変更されるのは地図データ(道路情報)だけで、市町村名・タウンページ情報・VICS情報・話題の最新スポット情報は含まれません。また、この更新が出来るのはナビ購入日(サービス利用開始)から3年間だけであり、すべての情報を更新(全更新)するには最初に述べた有償サービスを利用する必要があります。そして全更新した場合は更新日から2年間地図データの更新が可能です。

私の場合は更新作業(上記⑧)に3日ほどを要しました。表示される地図を確認すると新東名高速道路がしっかり表示されていました。パソコン操作に慣れていない方は地図更新DVDを購入すれば間誤付(まごつ)くことはないでしょう。ちなみにG-BOOKには2種類あり、携帯電話を利用する場合は基本料が無料ですが、DCM接続G-BOOK専用通信モジュール+回線契約)する場合は2年目から12,000円/年の基本利用料が発生します。いずれの場合も更新を自動で行うことも出来ますから、今回説明したような面倒な手順を避けたい方には適しているサービスでしょう。

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2012年9月30日 (日)

ダンスバトル

最近はダンスの人気が復活して何度目かのダンスブームになっています。戦後を振り返ると、進駐軍(駐留米軍の古い呼称)が持ち込んだアメリカ文化を象徴するジルバやフォックストロットなどのカジュアルなダンスに始まって、タンゴやワルツなどの社交ダンス(ソーシャルダンス)、そしてフォークダンスなど様々な種類のダンスが次々にブームとなりました。

私が大学生だった時代にはダンパ(ダンスパーティ)が全盛でした。歌の世界では終戦直後の昭和23年に林伊佐緒(いさお)さんが歌ってヒットした「ダンスパーティの夜」がありました。♪赤いドレスがよくにあう 君と初めて 会ったのは ダンスパーティの 夜だった♪の歌詞が今でも記憶に残っています。そして高校生の頃はフォークダンスでした。舟木一夫さんのヒット曲「高校三年生」で♪フォークダンスの手をとれば甘く匂うよ 黒髪が♪の歌詞を懐かしく思い出します。社会人になった当初も自由が丘などに通いましたが・・・。

時代が20年ほど経過すると映画「ブレイクダンス」(1984年)がブレイクダンスの人気を一気に高めました。若者達がストリートダンスの一種であるブレイクダンスで古いスタイルのダンスに挑戦する話です。そして、その前年の映画「フラッシュダンス」(1983年)ではダンサーを夢見る溶接工(ジェニファー・ビールスが演じた)が踊るブレイクダンスとアイリーン・キャラが歌った主題曲が世界中で人気を集めました。

さらに遡(さかのぼ)ると、ジョン・トラボルタが主演し、ビージーズThe Bee Gees)が主題歌を歌った映画「サタデー・ナイト・フィーバー」(1977年)の大ヒットはストリートダンスの一種であるディスコダンス(ブレイクダンス、レゲエ、ヒップホップなど)を世界中に広めました。詳細には触れませんが、音楽界のスーパースターであるマイケル・ジャクソンも現在のダンスに大きな影響を与えました。

バブル経済の最中にあった1980年代の日本ではディスコ(フランス語のディスコティック)あるいはクラブが社会現象になりました。バブル崩壊後の1990年代前半、ジュリアナ東京に代表されるディスコでボディコンの若い女性たちが派手な扇子を振りながらお立ち台で乱舞してブームはピークを迎えましたが、風俗化したため長続きせず、1994年にジュリアナ東京はファンに惜しまれながら閉店しました。

そして2000年代に入るとTRF SAMさんやDA PUMP KENZOさんなどのスター・ダンサーが登場し、アメリカで活躍するケント・モリ(森健人)さんが注目され、メンバー数を14人へと倍増させたダンス&ボーカルユニットEXILE(エグザイル)の人気もあり、ダンスバトルは街角からテレビ番組(日本テレビ系列のスター☆ドラフト会議、TBSテレビ系列のAsian Ace、テレビ東京系列のDanceTVなど)にも広がりました。

長いイントロが終ってやっと本編です。大阪訪問の目的を済ませたところで予定外でしたが、滞在を伸ばしてオチビちゃんのスケジュールにも付き合うことになりました。数ヶ月前から通い始めたダンス教室での練習です。何ごとにも積極的なコチビちゃんも参加しているそうで、同行者とともに夕方から始まる教室へ同行しました。まずはウオーミングアップを兼ねたストレッチ運動です。
 
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衣装と立ち姿は予想以上に決まっています。
 
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二人が習っているのはヒップホップダンス
 
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先生から直接指導を受けるオチビちゃん
 
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一汗かいたところで短い休憩が入りました。
 
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拳骨(げんこつ)を振り上げた同行者がオチビちゃんに鉄拳制裁(てっけんせいさい)!? 実は、飲み込みが遅いオチビちゃんに振り付けを教えているのです。
 
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練習が再開されました。カメラに気が付いたコチビちゃんは「撮影しないで!」と言っているようです。
 
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コチビちゃんは先生の近くで熱心に取り組んでいます。
 
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先生の説明にもしっかり耳を傾けます。
 
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前列右端の先生に遠い場所に陣取ったオチビちゃんは自信がなさそうで視線を落としています。「もしもし、足が反対ですよ!」
 
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そうこうしている間に調子が出てきたようです。その時、ベビーダンサーも練習に参加! お母さんの手が制止しようと・・。(ここから先はiPhone 4Sで撮影)
 
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うつ伏(ぶ)せのポーズはヨガに似ていますが、この姿勢(しせい)から起き上がるのはかなりきつい動きです。
 
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ターン(回転)が苦手(にがて)だったオチビちゃんは、「最後には出来たね!」と先生に褒(ほ)められて、とても嬉(うれ)しそうでした。

<同行者のコメント> ダンスは出来ないと言っていた旦那さまが若い頃にはダンスパーティに通っていたことを今回はじめて聞きました。それはさておき、子供の頃からダンスを練習できるオチビちゃんとコチビちゃんがうらやましいです。これからもずっと続けてくださいね。

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2012年2月11日 (土)

久し振りのカラオケ

五十の手習いで始めたカラオケにのめり込んだ私ですが、最近は旅行や読書、そして頼まれ仕事に時間を奪われてほとんど楽しむ機会が無くなっていました。大阪での仕事を頼まれたついでにオチビちゃんとコチビちゃんの家に泊まると、二人にせがまれて翌日の土曜日はカラオケへ行くことになりました。

すぐ近くのカラオケ店「Round One」(ボーリング・スポーツ・ゲーム等のアミューズメント施設、店舗数110)は大変な混雑で2時間待ちとのこと。それではと向かった別のカラオケ店も子供連れには相応(ふさわ)しくないようですから、二人のお母さんが知っている駅前のカラオケ「JOYSOUND」(ブラザー工業グループ会社が運営する業界第2位のシェア)へ向かうと、こちらも1時間待ちでした。

この数年カラオケ人気が衰えたとも言われますが、やはり週末は予約する必要があるようです。ちなみに店舗数のベストスリーを調べて見ると、1位が「カラオケ本舗まねきねこ」(311店舗)、2位「シダックス」(303店舗)、3位「ビッグエコー」(278店舗、第一興商)と意外な結果でした。

1時間後に案内されたのはちょうど手頃な大きさの部屋です。私はJOYSOUNDに入るのは始めてですが、リモンンはかなりの優れもので使いやすいものでした。二人が歌いそうな曲を適当に入力すると、コチビちゃんは「歌える!」と言ってマイクを握りました。「一年生になったら」(まど・みちお作詞/山本直純作曲)を歌います。
 
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今一年生であるお兄ちゃんのオチビちゃんは「ボク、歌わない」と言いながら、せっせとたこ焼を食べています。
 
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森のくまさん」(馬場祥弘作詞/アメリカの童謡)が続きます。
 
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たこ焼が2皿目になるとオチビちゃんはやおらマイクを握りました。
 
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炎神戦隊(えんじんせんたい)ゴーオンジャーのオープニング・テーマをお母さんがリクエストしてくれたからです。3年ほど前にテレビで放送された「スーパー戦隊シリーズ」の一つに使われた曲です。
 
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子供向きの歌が10曲近く続いたあとに突然、ジーゼル動車(気動車)が走るシーンが登場しました。
 
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「マッチを擦れば おろしが吹いて」の歌詞が表示されるといよいよ私の出番です。無粋(ぶすい)な説明ですが、「おろし」とは冬季に山などから吹き下ろす風のこと。
 
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そうです。最近、私の十八番(おはこ)になった杉本眞人(まさと)さんが5年前に歌ってヒットした「吾亦紅(われもこう)」(ちあき哲也作詞/杉本眞人作曲)。
 
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歌詞の3番は「そう、始めて自分を生きる」で終わります。 
 
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次いでオチビちゃんが歌った「ポケモン言えるかな」(戸田昭吾作詞/たなかひろかず作曲)はまるで早口言葉のようです。
 
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子供たちの歌がさらに数曲続いたあとに私が未練(みれん)がましく2-3曲追加して歌ったところでタイムアップ(time's up)。この日は時間延長が出来ませんでした。(続く)
 
おまけ> カラオケが登場するこれまでの記事: カラオケの効用バンコックで危機一髪ちあきなおみ草津温泉伊香保温泉銀座の史跡探訪池上本門寺秋葉原今昔物語作曲家 杉本眞人南房総八ヶ岳横浜中華街

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2011年5月17日 (火)

アナログ世界への回帰(続編)

LP盤に続いて、何年も埃(ほこり)をかぶっていたドーナツ盤(17cmサイズ)を取り出して、一枚ずつ盤面の状態をチェックしながら聴いてみました。最初の曲は「太陽がいっぱい」(1960年に製作された同名映画の主題曲)のB面の「アフリカの星のボレロ」(1957年に製作されたドイツ映画「撃墜王アフリカの星」の主題曲)、ボンゴのリズミカルな音が何故か哀愁を感じさせます。次いでチャップリンが作曲した「ライムライト」(1952年)のストリングス中心の切ないメロディ、これも映画主題歌の「ブーベの恋人」(1964年製作、ジョージ・チャキリスとクラウディア・カルディナーレが共演)、「シバの女王」は歯切れの良いレーモン・ルフェーヴル・グランド・オーケストラのストリングスと、根暗(ねくら)な若者であった私らしい曲が続きました。

余談になりますが、私はこの「シバ(SABA)の女王」とは旧約聖書に出てくるエチオピアとイエメンの辺りにあったとされるシバ王国の女王だと思い込んでいましたが、1967年にミッシェル・ローランが作曲したこのシャンソン曲「シバの女王」の舞台は北ボルネオにあった小国(現在はマレーシアのサバ州)の方であることを後になって知りました。お粗末(そまつ)の一席!

一呼吸(ひとこきゅう)入れて聴いたのはいつも感無量(かんむりょう)になる「忘れな草」(Vergiss Mein Nicht)。イタリアのテノール歌手、フェルッチョ・タリアヴィーニの歌(イタリア語の曲名;Non Ti  Scordar Di Me)は同名の映画(1959年製作)の感動的なラストシーンを思い出させます。数年前に亡くなったルチアーノ・パヴァロッティズービン・メータ指揮・ローマ歌劇場管弦楽団演奏)も好きです。洋楽が続きましたが、次は上條恒彦さんの「だれかが風の中で」(木枯らし紋次郎の主題歌)、そして弘田三枝子さんがダイナミックに歌う「ロダンの肖像」も登場。私の大好きなザ・プラターズの「ユール・ネバー・ネバー・ノウ」「オンリー・ユー」「煙が目にしみる」「トワイライト・タイム」、ジェームス・ラストの「コンドルは飛んで行く」「サマータイム」で半世紀前の時間が蘇(よみが)りました。ちなみにザ・プラターズの"platter"とは大皿、つまりレコード盤のことです。

次のレコードは何故かフランスに飛んで、映画「太陽がいっぱい」でアラン・ドロンと共演した女優マリー・ラフォレの「赤と青のブルース」(同名映画の主題歌、1960年に製作された映画の原題はサントロペ・ブルース)、そしてアメリカを代表する女性歌手で映画スターのドリス・ディは定番の「センチメンタル・ジャーニー」と「2人でお茶を」(1950年に製作された同名映画の主題歌)、大阪万博(1970年)に来日したセルジオ・メンデスとブラジル66のライブ録音「マシュ・ケ・ナダ」、「第三の男」はもちろんアントン・カラスのチター演奏、映画「グレン・ミラー物語」(1954年)の中に演奏されたグレン・ミラー楽団の「ムーンライト・セレナーデ」と「イン・ザ・ムード」、「鉄道員」(1956年に製作された同名映画の主題歌)、そしてアルバイトをしてギターを買う動機付けになった「愛のロマンス」です。

この「愛のロマンス」は1952年に製作されたフランス映画「禁じられた遊び」に用いられたことで映画のタイトルが曲名のように使われていますが、実は1941年に製作されたアメリカ映画「血と砂」のバック・グラウンド音楽として採用されたヴィセンテ・ゴメスのギター演奏が再度使われたのだそうです。

ほとんどのレコードが映画主題曲ではないかと言われそうですが、高校・大学を通して映画三昧(ざんまい)であった私には当然の選択でした。そして最後に聴いた曲は倍賞千恵子さんの「さよならはダンスの後に」と「下町の太陽」(1963年に製作された同名の映画の主題歌)です。発売されて数年が経過していましたが、上京してこの2枚のレコードを買った頃が懐かしく思い出されます。

当時は社交ダンスダンパ)が流行して、日本の経済が希望に燃えている時代(1日に例えると朝の8-9時頃)でした。その時代を象徴した「下町の太陽」のB面にある「瞳とじれば」(岩谷時子作詞・いずみたく作曲)は結婚する女性が亡き父に話しかける歌で、当時はメロディが好きでしたが、今その歌詞を聴くといつの間にか目頭(めがしら)が熱くなっていました。

我ながら良く整理出来たと思う自室で、半世紀の来し方(こしかた、きしかた)を懐古(かいこ)するとともにアナログ・レコードで音楽を存分(ぞんぶん)に楽しみながら、日々の幸せに感謝しています。

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2011年5月16日 (月)

アナログ世界への回帰

吉祥寺と三鷹へ出掛けた以外は巣ごもり生活をしていたゴールデンウイーク中、同居者からの圧力に屈した形で、3年振りに自室の整理と棚卸(たなおろし)を行いました。先ず不用品の廃棄ですが、アメリカで購入したビデオデッキ(VCR)やビデオテープラックなど埃(ほこり)を被(かぶ)っていたモノを、事前に公的な粗大ゴミ回収に出しました。
 

そして迷いに迷った末(すえ)についに決断しました。アマチュア無線用短波帯SSBトランシーバ(送受信機)の処分です。ちょうど40年前に清水の舞台から飛び降りるような大決断で購入した高額商品(給料の数カ月分相当)であった初代FT-101(1970年に八重洲無線が発売)は知る人ぞ知る「往年の名機」です。アマチュア無線家(ハム)達が「ワンノーワン」と呼んだ、高周波出力増幅を除いてすべて半導体化(当時の呼称はソリッド・ステート)された最初の製品でした。
 

私は垂涎の的(すいえんのまと、欲しくてたまらないの意)であった米コリンズ社製の無線機と似た雰囲気(ふんいき)が好きでした。アメリカに住んでいた時にも現地で活躍してくれたことを今も思い出します。注釈;八重洲無線は合併によりバーテックススタンダード社に社名を変更(子会社に八重洲無線の名前を残す)
 
事前の廃棄作業はここまで順調に進みましたが、おにぎり(お結び)型の初代iMac G3(1999年製)などパソコン類は公的な家電回収の対象外でメーカーに廃棄を依頼しなければならないため(これは言い訳!)、今回は見送ることにしました。
 
初日は堆(うずたか)く積み上げられた紙ファイルなども大鉈(おおなた)を振って処分。不要になった本はもちろんBOOKOFFへ持ち込みました。そして室内のレイアウトも見直して、空間に余裕を持たせるプランを作成。3年前にも同じ廃棄(はいき)作業をしたのですが、気が付けば元の木阿弥(もとのもくあみ)になっていました。パソコンのハードディスク同様、ガラクタを目一杯(めいっぱい)まで詰め込んだ、デジタル世界(ゴミ置き場)に変貌(へんぼう)していたのです。時間を要する作業を黙々とこなしました。
 

そして大仕事にもチャレンジ、部屋全体に敷き込んだカーペットを剥(は)がして、同居者がご親切にも通販で買い求めてくれたピース敷(じき)のマットに交換しました。子供達が自立するまで使っていた部屋をそのまま利用(居抜き?)しましたから、カーペットにはコーラなどの染(し)みが地図のように残っていました。カッターナイフで少しずつ切り取りながら張り替えると、慣れ(学習効果)もあって、意外と簡単にできました。
 

防音とクッションを兼ねた下地材は汚れていませんからそのままとし、部屋の隅にめぐらされたカーペットを固定する釘(フェルトグリッパー工法)もそのまま利用しました。予期せぬ効用でしたが、不要となったカーペットはピースに小分け済みですから、ゴミとして出す時も楽でした。
 
気になったのは昨夏に発生したエアコン室内機の水漏れで濡れたレコードです。トラブルが発生した時にレコード・ジャケットを一枚ずつしっかり拭(ふ)いたはずでしたが、ジャケットの下部にシミが発生するとともに黒いカビが生えているものが数枚見つかりました。そのシミとカビを丁寧(ていねい)に拭き取りましたが、カビの生えた場所は少し傷(いた)んでいますので、補修材と接着剤で慎重に修復しました。さらにレコード本体も取り出して影響がないかを確認、もちろんジャケットの内側も清掃しました。
 

以上の作業に想定外(今年の流行語)の2日間を要したため、3日目になってやっと室内のレイアウト変更に着手しました。アンプやプレーヤーなどのオーディオ機器は操作しやすい場所に置き、音響を考慮してスピーカを当所の場所に戻します。
 

2011_05150028動作を確認するためアンプ(パイオニア製Audio/Visual Stereo Receiver VSX-5900S、海外仕様、1990年購入)の電源を数ヶ月ぶりに入れました。Dolby社の今は懐かしいPro Logic回路(5.1チャンネル・サラウンド機能)を搭載(とうさい)してホームシアターに対応しています。ついでにパソコンの音声出力とも接続しました。
 

2011_05150003 SL-Q6(1983年に購入したテクニスクのレコードプレーヤー)のターンテーブルに前日点検したレコードを載(の)せてスタート・スイッチを押し、アームが持ち上がってレコードの盤面(ばんめん)に下りる瞬間を眺(なが)めます。スピーカから昔通りのクリヤーな音が流れてくると、すべてを忘れて自分一人の世界に入っていました
 

2011_05150009 ターンテーブルの上に載る小さな円盤(紙製)は昔懐(むかしなつ)かしい「ストロボ回転計」です。正(まさ)にアナログ技術そのもので、その縞模様(しまもよう)はアナログの世界を実感させます。
 
 
 

2011_05150018 次のレコードに取り替えました。レコード針を盤面に下ろす前の習慣になっていますが、愛用するナガオカ製レコード・クリーナーで丹念(たんねん)にホコリを拭(ぬぐ)います。シリコンラバーで出来たローラーを盤面上で転(ころ)がすのです。2-3回使うとローラーに埃(ほこり)が付きますから、水洗いをする必要があります。
 

2011_05150012時にはレコード針の先端を専用の薬剤とブラシを使って清掃(せいそう)します。このプロセスは手間が掛かりますが楽しみでもあるのです。予備のレコード針も確保しています。アームに灯(とも)るインジケーター・ランプに仄(ほの)かに照らされたレコード盤の溝が美しいのを見ていると、まささに至福(しふく)の時が!
 

2011_05150004 レコードの山の中から珍しいものを見つけました。「周波数基準レコード」(製作:東芝音楽工業制作、販売:東芝EMI)です。東芝音楽工業から東芝EMIに改名したのが1973年であり、パイオニア製の半自動レコード・プレーヤーPL-25Eを購入したのが1975年でしたから、その時に一緒に購入したのかもしれません。
 

レコード・プレーヤーの回転速度や回転ムラ・ピックアップの周波数特性や感度試験に使われたもので、ホノモータのSN比(雑音レベル)試験を行うことが出来ます。わが家のSL-Q6はダイレクトドライブ方式ですから回転速度や回転ムラをチェックする必要はないため、もう20年以上も再生したことはなかったレコードです。
 

そして久しぶりに「フルートとハープのための協奏曲」(モーツアルト作曲)を再生すると、中学の器楽部でフルートを一生懸命に練習した頃が懐かしく思い出されます。

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2010年10月31日 (日)

映画「心の旅路」(後編)

Part 7

2010_10170150 いつの日かチャールズがスミシーとして戻ってくるかも知れないとジョンは励ますが、嫉妬心を感じる自分がいることを告げるミス・ハンソン。ここで回想シーンになる。弁護士に相談すると失踪して7年が経てば法的には死亡したと看做されるとの説明を受ける。[シカゴ・ピース]
 

2010_10170154 ミス・ハンソンは夫が行方不明になった状況を調べるが不明であったこと、気落ちした自分が病気になって息子が死んだことも説明する。いろいろな職業で収入を得ながら夜学に通って速記を勉強、ジョンの秘書となったこと、そして夫スミシーの死亡が法的に認められたことも。[コロラマ

2010_10170175 結婚式を間近に控えたチャールズとキティは準備のため教会を訪れる。賛美歌を聴きながら表情を曇らせたチャールズを見て聡明なキティはチャールズの心の中に自分ではない誰かが存在することを知る。出会った時から気付いていたことと、今確信したことをチャールズに告げるキティ。[ショッキング・ブルー]

2010_10170178 そして我ままな自分に優しくしてくれたことを感謝しながら自分に対してではなく誰か他の女性への思いを感じると。キティが必要だと言うチャールズに、これまで十分幸せだったことと、旅行に出掛けるつもりであること、そして別れを告げる。[天津乙女

Part 8

2010_10170180 キティが去ったあとチャールズはリバプールへ向う。執事からチャールズが2年前にリバプールから戻った時の状況を聞いたミス・ハンソンも同じリバプールへ。黙って出かけたことをミス・ハンソンに謝罪したチャールズはリバプールに居た理由を思い出そうとする。[ジャスト・ジョイ]
 

2010_10170183 交通事故に遭った時のことを質問しながらミス・ハンソンはチャールズがその質問への連想で記憶を取り戻すのではないかと期待している。宿泊したホテルに旅行用トランクが残っているかもしれないと言うミス・ハンソン。確かにそれは見つかるがチャールズの記憶を取り戻す手掛かりにならないことで落胆するミス・ハンソン。[黒真珠]

2010_10170188 推されて国会議員として政治家デビューしたチャールズ。祝福するミス・ハンソンにチャールズは求婚する。愛情からではなく、あくまでも政治家の有能な秘書として。二人とも同じ「過去の囚人」で良いパートナーになれると説明するチャールズ。ミス・ハンソンは困惑する。[ガーデン・パーティ

2010_10170193 ジョンと相談するミス・ハンソンだが最終的にその提案を受け入れることに。ジョンもミス・ハンソンを愛していたのだ。そして形式だけの優雅な二人の生活が始まり、人々は理想的な夫婦であると賞賛する。バレー「白鳥の湖」を鑑賞しながらあの鍵をまさぐるチャールズ。[レディ・ローズ

2010_10170198 政治家としての地位を駆け上がるチャールズ、そのホステス役として完璧に振舞うマーガレット(ミス・ハンソン)。しかしマーガレットの心は深く沈んで行く。マリー・ルイーズが所有していたネックレスをプレゼントしながら幸せかと聞くチャールズ。[ウイミイ]
 

2010_10170200 自室に戻ったマーガレットは宝石箱のなかからスミシーにプレゼントされた宝石を手にとってスミシーのことを思う。マーガレットのことが気に掛かったチャールズが部屋に入ってくる。安物の宝石だが自分の目の色と同じであり、自分にとって価値あるものだと話すマーガレット。チャールズも心に残る女性が居ることを告白する。[コンフィダンス]

Part 9(最終回) 

2010_10170211 失望したマーガレットは南米へ旅行するつもりだと告げる。チャールズが部屋を出たあとに泣き崩れるマーガレット。旅立ちの日に駅まで見送りに来たチャールズにマーガレットはリバプールから船が出るまでの2日間に大好きだった田舎町へ立ち寄るつもりであると告げる。[マダム・バタフライ

2010_10170221 チャールズは仕事上の問題を解決するために出張すると言う。メルブリッジの電線工場で深刻なストライキが発生したのである。その争議を無事に収拾したチャールズは歓喜に包まれる労働者たちの中を部下に誘われてとあるパブに入る。[グレース・ド・モナコ](グレース・ケリー王妃) 

2010_10170231 その中で労働者たちに感謝されるチャールズ。タバコを切らせたチャールズは始めて訪れたはずの街でなぜかタバコ屋のある場所を知っていた。スミシーが療養所を脱走した時に逃げ込んだ店である。チャールズは自分がこの町に居たことを思い出す。[ブラッシュ・マルラン]
 

2010_10170233 そしてある女性の存在と、群集を避けて隠れた街角の路地も。タクシー運転手に病院の様子を伝えてその所在を尋ねたチャールズは陸軍の療養所に辿り着く。記憶の一端を思い出したチャールズはそれを手繰りながら深い霧の中をメルブリッジの街へと戻る。[ドゥフトボルケ]

 

2010_10170240 マーガレットは思い出深いホテルのロビーから外の霧を見ている。霧は晴れそうねと言うマーガレットにフロント係の女性は良い日になるでしょうと答える。駅へ荷物を運ぶようポーターに指示して自分は歩きたいと言うマーガレットは、フロント係へ自分はこの街に住んでいたことがあると語ったあと、ホテルの女主人のことを訊ねる。[バヤッツオ]

2010_10170245 フロント係は2年前に女主人が亡くなったと答え、先ほど同じことを聞いた紳士が居たと言う。その言葉にさして気を留めずホテルを出ようとしたマーガレットは急に歩を止めてその紳士のことを質問する。その紳士は引退した牧師のことや以前自分が住んでいた教会近くの小さな家を探していたと答えるフロント係。[チェリー・ブランディ]

2010_10170217 小川に架かる石橋からその家に向って感慨深げに歩くチャールズがいる。木戸の軋(きし)み音を確かめ、満開の桜の枝を潜り、ポケットから取り出した鍵で玄関ドアを慎重に開けると見覚えのある室内が・・。そこへマーガレットが現れて木戸越しに「スミシー」と呼びかける。[ピーター・フランケンフェルト]

2010_10170130 おもむろに振り返るチャールズはマーガレットの笑顔を見てすべてを思い出し、「ポーラ」と懐かしい名前を呼び返す。そして桜の下でしっかり抱き合う二人。長かった「心の旅路」のゴールに辿り着いたポーラの輝く表情が画面に大写しとなって“The End”。[ボニー・スコットランド

古き良き時代の映画らしく美男・美女が共演したラブロマンスは原作を分かりやすく変更したことで大ヒットしたそうです。記憶喪失と精神障害者施設での虐待で心身喪失に陥ったスミシーとやり手実業家としてのチャールズを好演したロナルド・コールマン、陽気なショーガールと有能な秘書役を通して優しさと一途さを自然に演じたグリア・ガーソンの二人とともに、キティ役のスーザン・ピーターズも印象に残りました。そして感動的なラストシーンは何度見ても目頭が熱くなりました。ちなみにこの映画は2005年にDVDが発売されていますからTSUTAYAなどでレンタルできます。 

感動的なラストシーンのあとは、もう少しバラの花を楽しんで下さい。

ラフランス            チェシャー            ウィズリー

2010_10170032_2 2010_10170054 2010_10170079
      
ピース              ザ ダーク レディ       せいか
2010_10170083 2010_10170089 2010_10170112
         
エルフ              レベッカ              プリスタイン
2010_10170115 2010_10170121 2010_10170157
      
アンヌ・ブルダ         ロイヤル・ハイネス      ドレスデン
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2010年10月30日 (土)

映画「心の旅路」(前編)

思い立って川崎市多摩区にある「生田緑地ばら苑」に出掛けました。今秋は10月15日(金)から11月7日(日)まで一般に開放されています。私が訪れたのは2日目の土曜日、最盛期には少し早かったようで蕾の品種もかなりありますが、それでも80種ほどが咲き誇っていました。ばら苑の詳細は関連のhpで参照できます。

2010_10170248 4年前の当ブログ記事に掲載した写真は接写機能がないカメラで撮影しましたから、今回はクローズアップ撮影で紹介します。いつも長々と書くブログ記事の箸休めとして、私の記憶に残る古い映画を紹介しながら、気に入ったばらの花を見ていただく趣向としました。映画では桜の花がモチーフですが、桜も同じバラ科ですから・・・。

2010_10170030 紹介する映画は第二次世界大戦中に作られたアメリカのモノクロ映画「心の旅路」(原題はRandom Harvest)、第一次世界大戦が1918年に終了した直後の英国を舞台とする1941年に出版されたジェームズ・ヒルトンの小説を翌年の1942年に映画化したものです。[写真はクイーン マザー]

2010_10170034 原題のRandom Harvestは日本語にするのが難しい言葉(直訳すれば無秩序な収穫)で、これを「心の旅路」とした日本の映画関係者のセンスが光ります。[マダム・ジュールブッシェ]
 
 

2010_10170038 全編を見たい方は13に分かれたPart番号を順にクリックしてご覧下さい。(注、残念なことに現在は削除されています) 字幕や吹き替えはありませんので各Partのあらすじを参考として付記します。[スペルバウンド]
 
 
 

Part 1

2010_10170045 英国中部メルブリッジの軍人精神障害者施設から物語が始まる。戦場で記憶が失われて前線の軍病院から送還され1917年に収容された陸軍少佐(主人公)は言語障害で言葉をうまくしゃべることが出来ない。そして仮の名でスミスと呼ばれている。息子を探しに訪れた老夫婦と面会するが両親ではなかった。[アルブレヒト デューラー ローゼ]

2010_10170049 霧の深い夜、主人公は鍵が開いていた門の通用口から外に出てしまう。街では大戦が終ったことに歓喜する群衆に巻き込まれるがとあるタバコ屋に逃れる。不自然な言動を怪しんだ女主人は施設からの脱走者であることを疑い通報するため店の奥へ消える。そこへ若い女性が現れて逃げることを勧める。[トワイス インナ ブルー ムーン]

Part 2

2010_10170056 物陰に主人公を見つけた女性は元気づけるため仲間が居るパブ(居酒屋)に誘う。そして自分は公演中のショーガールであると語る。ブランデーを楽しんだあと劇場へ戻ると言う女性だが、相変わらず元気のない主人公に同情して劇場の楽屋へと誘う。女性の優しい言葉に心を開き始めた主人公は自分のことを語り始める。[ヘルムット・シュミット]

2010_10170070 女性は彼の仮の名がスミスであると知り、自分を芸名でポーラと紹介、主人公を「スミシー」と愛称で呼んでいいかと聞く。そして楽屋から舞台に続く衣装室からショーを観るように勧める。彼女のコミカルなダンスとスコットランド訛りの巻き舌を強調する歌、そして舞台へ上がって楽しそうに歌い踊る観客を見つめる主人公。[プリンセス・ド・モナコ]  

2010_10170075 女性は相変わらず具合の良くない主人公を居酒屋の2階にあるホテルの自室に連れ帰って看病する。施設には戻りたくないと言う主人公に戻させはしないと言う。看病の効果か主人公はすこしずつ言葉を取り戻し始めるが、パブへ主人公の行方を探す警官が現れる。[プリンセス オブ ウェールズ](ダイアナ妃)

2010_10170087 これ以上自分とマネージャが逃亡者を匿(かくま)えないと考えた女性は、主人公に施設へ戻って治療を受けるように話すが、主人公の強い気持ちを知り一緒に逃げることにする。それを止めようとしたマネージャを主人公は誤って押し倒してしまう。汽車に乗った二人は地の果てを目指す。[スキャボロ フェア](同名の歌は映画「卒業」に登場)

Part 3 

2010_10170092 小さなホテルを見つけた二人。ポーラはパブに長距離電話を掛けてマネージャが無事であったことを知る。すっかり健康を取り戻した主人公に著述の仕事が舞い込んで大喜びする二人。そして愛していることをポーラに告白して求婚する主人公。それを喜んで受け入れるポーラ。[シスター エリザベス]

2010_10170102 結婚した二人はリバプール郊外にある小川沿いの小さな家を見つけて暮らすことに。羊の群れが歩むのどかな田園地帯に建つ小さな家に参列者の車で送られた新婚夫婦が到着する。[サマー・サンシャイン]   
 

Part 4

2010_10170104 音を立てる小さな木戸を開け、満開の桜の枝を潜って、玄関ドアの鍵を開けて家の中に入る二人。そして3年目に男の子を授かって幸せの絶頂にある主人公の元へリバプールの新聞社から電報が届く。正社員に採用するとの知らせである。旅先のラベルが一杯貼られた妻のトランクに慌しく荷造りして明日の夜に戻ると告げる主人公。[加茂

Part 5

2010_10170109 息子にも別れを告げて旅立った主人公はリバプールのホテルから新聞社へ向う途中に車にはねられて気を失う。戦場の回想から正気に戻った主人公は警官に自分の名前はチャールズ・レイニアと答える。日付を訊ねて1920年11月14日であると聞き、3年間が過ぎ去ったことを主人公は知る。[カウンティ・フェア]

2010_10170127 リバプールで自分が何をしているのか、今まで何処に居たのか、何も思いさせない主人公は、とにかく家に戻ることにする。帰宅した主人公は3日前に大実業家の父親が亡くなったことを聞かされる。3年間も失踪していた次男の主人公が豪邸を相続することを兄弟たちは快く思っていない。[ダブル・デライト]

Part 6 

2010_10170135 主人公に関心を持った姪のキティは主人公のことをチャーリーと呼び、自分が18歳になるまで3年間待って欲しいと言う。別れ際、車に乗りながら「休日に招待してくれてありがとう」と周りに聞こえるよう挨拶するキティ。一方、主人公は豪邸での生活に何か満たされないものを感じている。[金閣

2010_10170141 父の跡を継ぎたくないと執事に語りながら主人公はポケットから鍵を取り出し、それを眺めながらリバプールで何をしていたのかを思い出そうとする。歳月が経ち、チャールズに手紙を書き続けたキティは優等生で卒業、魅力的な女性に成長、チャールズは自分の望みとは裏腹に英国産業界のプリンスになっている。[カトリーヌ・ドヌーブ](女優 

2010_10170144 チャールズはキティと話しながら忘れていることを思い出しそうな予感を持つ。キティはチャールズに休暇をとることを勧めながら自分の気持ちを打ち明ける。一人になるとチャールズはまたあの鍵のことが気にかかる。しかし秘書のミス・ハンスンと仕事の話をはじめると実業家の顔に戻る。そして採用に至る過程を秘書に尋ねる。[ローラ81]

2010_10170146 2週間前にある雑誌で産業界のプリンスの記事を読んで募集中の秘書に応募したと語るミス・ハンソン。中部地方メルブリッジにある電線会社の買収案件を報告しながらチャールズの表情をじっと見つめる。しかしチャールズには何ら表情の変化はなく、長期休暇を取りキティと結婚するつもりであると明かし、その手助けが欲しいと言う。[グラナダ]

2010_10170183_2 問われるままにミス・ハンソンは自分が結婚したことがあることと一人息子が亡くなったことを話す。それでもチャールズの表情に何の変化もないことに落胆するミス・ハンソン。2年前に自分を秘書として採用してくれたジョン(ジョナサン)にその悩みを打ち明ける。[オクラホマ](黒ばらの一種、ネイティブ・アメリカンの意) (続く)

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2010年4月 8日 (木)

目黒川と花散らしの雨

所用で目黒雅叙園を訪れました。都内で桜が満開になったと報じられて5日も経った昨日は生憎の雨模様、JR山手線目黒駅から行人坂を下りると3分ほどで施設拡張工事が進む目黒雅叙園に到着。工事のため右手のオフィスビル「ARCO TOWER」寄りの歩道を歩くとテラス越しにまだ満開と言えそうな桜の花が見えます。期待していなかっただけに嬉(うれ)しくなり、所用を済ませたら花見をしようかと思い立ちました。

 

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雅叙園の館内にある季節を演出する飾り付けはもちろん桜の花がモチーフでした。

 

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2時間ほど経ってから目黒川縁(べり)に下りてみました。太鼓橋です。下流方向を見やると両岸の桜並木の花が見事、そして川面(かわも)には「花散らしの雨」で桜の花びらが薄いピンク色の雲のように浮かんでいます。風が吹き寄せたのでしょう。

 

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上流に向って散策することにして目黒新橋へと目黒川左岸を歩きます。

 

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目黒新橋の袂(たもと)で目黒通りを横断、今度は右岸の桜並木に移るとここでも桜の花びらが川面で吹き寄せられ渦巻き形の花筏(はないかだ)を作っていました。

 

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次の橋は「ふれあい橋」、目黒区民センター前の幅の広い歩道橋です。

 

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田道橋を渡ると「ふるさとの川案内」があります。以前、池尻大橋まで花見をしながら目黒川を散策したことを思い出しました。

 

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中里橋から上流を見ると川面に浮かぶ花びらが墨絵のように不可思議な模様(風紋)を描いています。目黒川では雨の花見も一興でした。川に沿ってさらに進むと中目黒に至りますが、夕方に別の予定が入っていますから、ほぼ中間点である目黒と中目黒の境界に架かる中里橋から三田の住宅街を歩いて目黒駅まで戻ることにしました。

 

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2010年2月24日 (水)

春の訪れを告げる花椿

昨日は3月下旬の陽気になり、春を感じさせる柔らかな雲と暖かい日差しの下で、月例のゴルフコンペを楽しみました。その前日のことですが、伊豆へのドライブ旅で時間がなくて見逃した椿の花を求めて、近くの公園まで散歩に出掛けたのです。片道30-40分のルートにアップダウンの坂道が続きますからゴルフの準備運動になったはずですが私のスコアが芳しくなかったのはひとえに練習不足のせいでしょう。

2010_02220013_2 椿(つばき)はその字が示すように春を代表する花木(かぼく)です。昔の人は鰆(さわら)と同様に季節を象徴するものと考えたのだと思いますが、漢字を誤って用(もち)いたため中国語では別の花木をさすようです。椿は鎌倉時代から室町時代にかけて一世を風靡(ふうび)した春の花で、華道や茶道が流行したこの時代に公家、僧侶、武士たちの間で愛され、その時代に栄えた城下町を中心に広まりました。これを東アジアに来た宣教師のカメルさんがヨーロッパに持ち帰ってヨーロッパでもブームになり、この宣教師の名がそのまま花の名前「カメリア」になったそうです。

2010_02220009 日本の椿は藪椿(やぶつばき)が原種で、学名をカメリア・ジャポニカと言うように日本固有種、花が咲く期間は長く、早咲きのものは10月から、遅咲きのものは4月まで観賞できるようです。花が散る時は花びらが一枚ずつではなく花全体がポロリと落ちる特徴があります。また開花した後に出来る実には油分が多くて椿油が採られることも良く知られます。椿の仲間には小振りの花を咲かせる侘助(わびすけ、花言葉は簡素・控えめ)は風情があることから人気があります。広辞苑によれば名前の由来は朝鮮から侘助という人が持ち帰ったことによるとしていますが、茶道のワビ(侘)とスキ(好)の複合語である、あるいは千宗易の下僕の侘助にちなむとする説も。

2010_02220004 花言葉辞典によると椿の花言葉は「理想の愛」「謙遜」、赤い椿は「控えめな愛」「気取らない美しさ」、白い椿は「申し分のない愛らしさ」「理想的な愛情」「冷ややかな美しさ」です。また「つばき」の読み方の由来は「光沢がある」という意味の古語である艶から「艶葉木(つやはき)」と呼ばれたから、葉に厚みがある意味の「厚葉木」、強い葉っぱの木の意味の「強葉木」など多くの説があります。

2010_02220041 椿の花の形は一重が多いのですが八重咲きなど多様、花の色も白色から桃色、そして赤色や紫色まで多彩なことが相まって椿の魅力となっています。上の写真は園内で見つけた形状の異なる4種類の花です。

椿の花で私が連想したのは花椿を商標登録した化粧品会社の資生堂です。椿油が古くから髪の毛を美しくする髪付け油として使われたことと関係があるのではと思って調べてみました。やはり大正4年(1915年)に商標登録された花椿は当時人気商品であった「香油花椿」をモチーフとしてデザインされたそうです。その他にもこの会社が明治5年に銀座で創業した時に出雲との縁を深めようと街路に出雲椿(藪椿)を植えたことでこの通りが「花椿通り」と呼ばれるようになったと言う話もあるようですから、やはり椿と縁の深い会社のようです。

公園内には椿の花が咲き始めていました。2月下旬から3月上旬が最盛期でしょう。

 

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その他にも春の花が咲いています。
 

白梅
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紅梅

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福寿草(ふくじゅそう)
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蝋梅(ろうばい)
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サンシュユ   

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<同行者のコメント> 旦那さまは花の撮影で忙しく公園内を歩き回っていましたが、私はあちこちにある池でカルガモたちがそれぞれつがい(夫婦)で仲良く泳ぐのを眺めていました。昨年の秋に訪れた時と同じ風景です。

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