カテゴリー「音楽」の78件の記事

2013年9月28日 (土)

浜町緑道を歩く(前編)

8月下旬のある日、人形町で開かれる友人たちとの定例会に出掛けるために東京メトロ半蔵門線を水天宮前駅で下車しました。実は定例会の前に立ち寄りたい場所があるのです。交差点の角(交番の裏手)にある水天宮は外観からは分かりませんが耐震工事を行うため明治座近くの仮宮に移転しているようです。工事が完了する予定は2016年とのこと。ちなみにチビスケくんの両親はチビスケくんが産まれる前、この水天宮に安産祈願をしたそうです。
 
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新大橋通り(都道50号)を新大橋方面へ歩きました。新大橋は隅田川に最初に架けられ千住大橋と2番目の両国橋(旧大橋)に次いで3番目に架けられた大橋であったことからその名前が付けられました。
 
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首都高速道路の浜町出入口付近に差し掛かりました。
 
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その反対側(北方向)に浜町緑道(はまちょうりょくどう)の入口がありました。浜町緑道は隅田川(旧大川)につながる掘割り(運河)である浜町川を暗渠化(あんきょか、地中化)して造られた緑道で、アーチ型のトンネルが出迎えてくれます。浜町と聞いて私が思い出すのが「明治一代女」(昭和10年)です。その歌詞の冒頭、『浮いた浮いたと浜町河岸に 浮かれ柳の はずかしさ』と登場するのが浜町河岸(はまちょうがし)は隅田川右岸の浜町公園と両国橋の間にあったようです。
 
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浜町緑道の両側には様々な樹木が植えられていますので、余計な説明は省略して名前と写真だけを紹介することにします。最初はカンツバキ(寒椿)です。
 
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キンモクセイ(金木犀)
 
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エゴノキ(野茉莉)
 
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ハナミズキ(花水木)
 
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マテバシイ(全手葉椎)
 
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ヤマブキ(山吹)
 
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クスノキ(楠)
 
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イチョウ(銀杏)
 
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テーブルとベンチがある休憩所
 
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浜町緑道はまだ続きます。
 
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シャリンバイ(車輪梅)
 
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門の外に何やら銅像があります。
 
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回り込んで確認すると武蔵坊弁慶のようです。見栄(みえ)を切っていますから歌舞伎役者でしょう。近くに建てられた看板には、『350年前、現在の人形町のあたりに葺屋町(ふきやちょう)と堺町(さかいちょう)という街があった。当時この街では江戸三座といわれていた芝居小屋のうちの市村座と中村座の二座が歌舞伎を上演しており芝居街と呼ばれていた。緑道の回収に当たって、入口の広場に歌舞伎十八番の内でも人気のある勧進帳(かんじんちょう)の武蔵坊弁慶像をせっちするとともに、その背面に関所風の冠木門(かぶきもん、屋根を持たない門)を設けて江戸情緒(じょうちょ)をかもし出した』と説明されていました。加賀国(現在の石川県の一部)にあった安宅の関(あたかのせき)をイメージしたのでしょう。
 
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トチノキ(栃木)
 
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(続く)

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2013年9月23日 (月)

製品の寿命を考える(三題)

修理に出していたFinePix F770EXRが我が家に戻って来ました。7月下旬に横浜へ出かけた時、ディスプレイ上に「レンズ制御エラー」と表示されるだけで、まったく使えなくなったデジカメです。そこで満身創痍(まんしんそうい)になったため1年余り前に引退させたFinePix F30を緊急避難用として使いながら次に買うべきデジカメの候補をあれこれ比較した結果、同じフジフィルム製のFUJIFILM XF1にしようとすでに決めました。しばらく様子を見ることにして机の上に放置していたFinePix F770EXRは意地を張ったようにその後1ヶ月間も症状が変わらないため、新しいデジカメを購入する前にダメモトで家電量販店を経由して修理に出すことにしたのです。
 

修理が終わったとの電話連絡を受けて向かった家電量販店で店員さんから『部品の交換は不要であり部品を調整しただけなので修理費は不要』と伝えられました。デジカメとともに受け取った修理報告書にはどの部品を調整したのかは記載されていないので釈然(しゃくぜん)とはしませんが、保証期間が過ぎた製品の修理が無料とはありがたいことだと思うことにして、店員さんに根掘り葉掘り問いただすことは止めました。5年前のブログ記事で紹介しましたが、我が家では家電製品を無償で修理してもらうことがなぜか多いのです。エアコン、ドラム式洗濯機、ブラウン管式テレビなどです。決してクレーマーではないのですが・・。
 

と言うわけでFUJIFILM XF1の購入計画はキャンセルすることになりました。1999年に購入したFinePix 2700と2006年のFinePix F30と同様、2012年のFinePix F770EXRもあと5-6年は使うことになりそうです。『嬉(うれ)しくもあり、嬉しくもなし』、つまり嬉し悲しい想いが残りました。
 
                         ☆

 

長年にわたって同じものを使い続ける性癖(せいへき)がある私は自動車を10年以上乗り続けること(最長は17年間、約15万km)にしていますが、もっと長い期間にわたって使い続けているのもがあることに気づきました。それはゴルフクラブです。アメリカに住んでいた時に購入したもので、アイアンは1989年製のマグレガー(MacGregor)、ウッドはキャロウェイゴルフ(Callaway Golf)の新製品であったビッグバーサ(1991年発売)とその弟分を今もそのまま使い続けているのです。
 

ゴルフ仲間からは最新のゴルフクラブにすればスコアが5つくらいは改善できるとアドバイスされているのですが、ゴルフクラブを変えたおかげでスコアが良くなったと言われるのが癪(しゃく)なへそ曲がりの私は今のゴルフクラブへの拘(こだわ)りを捨てられないのです。
 
 
                         ☆

 

最近、苦労させられているものがあります。それは当ブログで何度も記事を投稿したパソコンです。私のパソコン遍歴をかいつまんで紹介すると、1980年頃に職場で使ったコモドール(ComodorePET2001に始まり、自宅用にもMSXパソコンを購入、1989年にはアメリカの職場でアップルのMacintosh SEと衝撃的な出会いがあり、自宅用として1991年に同じアップルのMcintoshsiを購入しました。帰国後は1999年にアップルのiMac、その前後にWindows 95/98 OSを搭載するパソコンが加わり、Window 2000を経て現在はメイン機としてWindows XPのパソコンとサブ用にはWindows 7を搭載するパソコンを使っています。OSとしてのWindowsはアップルのOSのような魅力がなく、製品としての完成度もWindows XPをピークに低下しているように思います。
 

魅力に乏(とぼ)しい上に私を悩ませ続けるのはWindows XPパソコンです。2年ほど前から動作が不安定になりはじめたため、不要なアプリを削除し、使用するアプリは最新版に更新し、ディスクのクリーンアップ/エラーチェク/デフラグ(最適化)およびレジストリエントリの修復もしばしば実行することで何とか動作を安定化させてきました。しかし、1年ほど前からはディスプレイが時々表示しなくなったため外部ディスプレイを接続して何とかしのいできましたが、ついには半年前から音声が出なくなってしまいました。
 

さらに悩ましいのは来年4月にWindows XPのサポートが停止されることが決まっていることです。セキュリティが保たれなくなるため、使い続けることは現実的にできません。そこで意を決しWindows 7パソコンをメインに昇格させるための作業を開始しました。文書や写真などのデータは度重なるハードディスクのクラッシュに懲(こ)りて複数の外部記憶装置に蓄えてありますから、主な作業はメイン機で使用しているアプリのWindows 7対応版を入手してWindows 7パソコンにインストールすること、メールソフトの住所録などをWindows 7パソコンのメールソフトにコピーすること、プリンターやスキャナーのドライバーとユーティリティの変更などです。
 
中には有償で購入しなければならないアプリもありますから費用もかかりますが、できれば年内には移行を完了したいと考えています。Windows OSの度重なる変更のためにこの面倒な移行を余儀(よぎ)なくされた私はその作業をしながら還暦(かんれき)を迎(むか)えたシンガーソングライターのレーモンド松屋さんが2010年に作詞・作曲した「別の貴方(あなた)」を無意識に口ずさんでいました。

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2013年9月 4日 (水)

30周年を迎えた東京ディズニーランド(最終回)

Img_0643 ピーターパンの海賊船には緑色の衣装を着たピーター・パンが中央に立っています。隣りの赤いコート姿はもちろんフック船長。ディズニーでは緑色の衣装が定着していますが原作では茶色い服なのだそうです。 ちなみに名字(みょうじ)のパンはギリシャ神話に登場するいたずら好きの半獣神パーン(Paon)に由来するそうです。

Img_0645 ジーニーは映画「アラジン」に登場するランプの精で、デイパレードではリアルな(アニメ通りの)姿でした。 
 
 
 
 

Img_0653 お城の右端に立つのはアラジンと王女ジャスミンの二人と思われます。
 
 
 
 

Img_0655 青い風船を持つクマのプーさん(黄色い顔と赤色の服)・トラのティガー(茶と黒の縞模様)・ロバのイーヨー(こげ茶色)、そして樽(たる)に入ったハチミツもデイパレードと同じです。 
 
 

Img_0659 アニメ映画「トイ・ストーリー」のキャラクターが大集合しました。主人公のウッディ、ジェシー、バズ・ライトイヤー、ミスター・ポテトヘッド、、ティラノサウルスのレックス、ステゴザウルスのトリクシー、宇宙人のリトルグリーンメンが全部分かりますか? 
 

Img_0661 これはアニメ映画「ファインディング・ニモ」のニモに間違いありません。 
 
 
 
 

Img_0663 タートル・トーク(ディズニーシーのアトラクション)に登場するウミガメのクラッシュがクラゲやヒトデたちと遊んでいます。
   
 
 

Img_0665 アニメ映画「モンスターズ・インク」の主人公である一つ目のマイク(黄緑色)と怖がらせ屋のサリー(青と赤のブチ)
 
 
 
 

Img_0669 シンデレラのスカートがピンク色から青色に変わりました。高い場所にいる魔法使いが魔法の杖(つえ)を振りながら『ビビディ・バビディ・ブー』とおまじないを唱えたからなのです。ちなみに、シンデレラはフランス語で「灰かぶり」を意味するようです。
   

Img_0671 この時計台はロンドンのビッグベンで、その前に立つ人物はシンデレラに求婚する王子様です。
 
 
 
 

Img_0673 舞踏会場(ボールルーム)はお妃(きさき)選びの場所
 
 
 
 
 

Img_0677 カラフルな羽根を持つティンカーベル(ネバーランドに住む妖精)と仲間たちです。撮影のタイミングを失しそうになったため大きくブレてしまいました。
 
 
 

Img_0683 ショーボート(劇場船)にはドナルドとガールフレンドのデイジー、そして子豚(こぶた)などが乗っています。
 
 
 
 

Img_0685 エアシップ(飛行船)にはシマリスのチップとデールが
 
 
 
 
 

Img_0687 ザ・ムーン(月)にはメリー・ポピンズとバート(右端のこうもり傘が付いた小舟)、ピノキオ(左端の星のゴンドラ)、コオロギのジミニー(月に腰掛けている)と人形職人のゼペットなどが乗っています。ちなみに「星に願いを」は映画「ピノキオ」の主題歌です。 私の好きなサッチモ・バージョン映画の原曲(歌クリフ・エドワーズも。 

Img_0689 全部で13セクションあるというエレクトリカルパレード「ドリームライツ」のファイナルはザ・サン(太陽)でした。リロとスティッチ、おしゃれキャットのマリー、プルート(ミッキーマウスのペット犬)などが見えます。最後尾はスポンサーである外資系IT会社のフロートが・・。 
 

Img_0695 エレクトリカルパレードが終了するとシンデレラ城の周辺は静けさを取り戻しました。アイフォーンを使った夜間撮影はかなり厳(きび)しくて、お見苦しい写真を掲載しましたことをご容赦(ようしゃ)ください。 
 
 

Img_0701 人の波がワールドバザールへと向かって行きます。お土産を買いたいという声がグループ内から出たためショップに入りました。私はもっぱら子守をしながら45分ほど休憩することができました。
 
 

Img_0705 午後9時半を過ぎると先ほどまで青色だったシンデレラ城の照明がピンク色に変わっていました。
 
 
 
 

Img_0711 出口付近からワールドバザールを振り返ると、最後の記念写真を撮る人たちでごった返していました。
 
 
 
 

<同行者のコメント> 今回もずいぶん写真を撮りましたね。お疲れ様でした。朝から雨模様で心配しましたが、何とか予定通りに回れたのは、わが家の旦那様以上にメンバーが下調べをしてくれていたからだと思います。おかげ様で小さな子供たちとずっと一緒に過ごす楽しい一日になりました。みなさん、本当にありがとう。(終)

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2013年8月25日 (日)

30周年を迎えた東京ディズニーランド(第6回)

Img_0348_3 通路の反対側にあるCAPTAIN EO(キャプテンEO)はマイケル・ジャクソンが主演し、ジョージ・ルーカスとフランシス・コッポラが製作と監督を担当した3Dスペース・アドベンチャーです。色や音を全く失った暗黒の星へとたどり着いたキャプテンEOと仲間たちが暗黒の女王とその軍隊を相手に闘(たたか)いを挑(いど)む物語です。

小さな子供たちにはまだ早すぎると思われますので入館待ちはせず、その代わりにYouTubeのビデオを紹介することにします。まだ若くて溌剌(はつらつ)としていた20数年前のマイケルをたっぷり楽しんで下さい。

Img_0350 雨がまた降り始めました。アドベンチャーランドへ引き返す途中にシンデレラ城前の特別ステージでアトラクションが行われていることに気づきました。時々空高く吹き上がる水の柱が涼しさを感じさせます。 
 
 

Img_0352 正面なら見やすいと思って移動しましたが、人垣と傘でステージがまったく見えません。左端に「ディズニー夏祭り」の幟(のぼり)が確認できます。巨大な噴水は夏季限定のウォータープログラムのようです。 
 
 

Img_0354 見やすい場所を探しました。「爽涼鼓舞(そうりょうこぶ)」の看板があるステージ上ではミッキーマウス、ミニーマウスとデイジーダックなどのキャラクターとダンサーたちが踊っています。The ENBU(ザ・エンブ)と名付けられた1日4回開催されるダンス・コンテスト(ザ・ホットチャレンジ)でした。

Img_0356 雨が降り続く中、再びアドベンチャーランドに入ります。
 
 
 
 
 

Img_0384 PIRATES OF CARIBBEAN(カリブの海賊)に入ります。ちなみに看板の下にあるKIRINはスポンサー名です。この周辺はルイジアナ州ニューオーリンズの町並みが再現されているそうです。
 
 

Img_0358 迷路のように入り組んだ待ち列の順路(広いキューラインエリア)を少しずつ進みます。壁に飾られた油絵は海賊船の戦いを描いているようです。
 
 
 

Img_0360 薄暗い船着場に入ると、やがて大きなボートが岩壁に横付けしました。そのボートの舳先(へさき)に表示されている"Anne"は女海賊の名前Anne Bonny(アン・ボニー)から採(と)ったのでしょう。   
 
 

Img_0364ボートが出発すると右手に人影が・・。クレール料理を提供するレストランBlue Bayou“(青い入り江)です。庶民的なケイジャン料理と同様にルイジアナにあったフランスの植民地に住んだ人々の料理です。店内の照明は提灯(ちょうちん)とアルコールランプがあるだけですから、とても暗くてアトラクションと一体になっています。 

Img_0366 海賊の強烈なイメージが暗闇の中から現れました。
 
 
 

 
 

Img_0370 海賊だとすぐ分かる人物がランプの灯りに照らされて立っています。気のせいかもしれませんが、あのジョニー・デップに似ています。
 
 
 

Img_0372 ロープでつながれた女性たちは略奪(りゃくだつ)されたのでしょう。左下は鶏(にわとり)のようです。
 
 
 
 

Img_0376 海賊とその飼い犬がいますが、樽(たる)の中から誰かの頭が覗(のぞ)いています。
 
 
 
 

Img_0378 ご機嫌(きげん)そうな海賊が酒を飲んでいます。
 
 
 
 
 

Img_0382 海賊の頭領(とうりょう)と思われる人物が鳥に向って何か話しかけているように見えます。
 
 
 
 

Img_0394_2 オチビちゃんとコチビちゃんがお腹が空いたと言うため、アドベンチャーランドの入口近くにあるCHINA VOYAGER(チャイナボイジャー)に入ることになりました。かつて海賊船で働いていた中国人コックの孫がレシピを受け継いいでつくった中華レストランだそうです。チャイナボイジャーとは「中国の航海者」を意味します。 

Img_0386 スープヌードルのメニューにある坦々麺(辛味噌)、海老入り白湯麺(塩)、チャーシュー麺(醤油)の中から私は海老入り白湯麺(980円)を選びました。これは期待通りの美味しさです。
 
 

Img_0388 さらにチャーシュー麺(980円)も選んで皆でシェアすることにしました。こちらの方は残念ながら私好みの味ではありませんでした。 
 
 
 

Img_0390 オチビちゃんが強く望んだ肉まん(320円)もあります。子供でありながら健啖家(けんたんか)のオチビちゃんとコチビちゃんは麺とともにペロリと平らげました。
 
 
 

午後4時に始まる昼間のパレード「ハピネス・イズ・ヒア」が20分後に近づきましたのでシンデレラ城前の大きなロータリー方面へ移動することにしました。ここでショートブレイクを取ることにして記事の投稿をしばらく休止します。(続く)

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2013年7月 2日 (火)

続・奥の細道疑紀行 上越市高田(後編)

2013_05010635 本町7丁目の交差点を右折すると道の反対側に呉服屋のような店舗が見えました。
 
 
 
 

2013_05010639_2 同行者は気になったようで、「きものの小川」の店内に入って品定めをしています。
 
 
 
   

2013_05010637 南側の歩道に戻った同行者は吉田バテンレースと表示された店の前で足が止まりました。同行者に尋(たず)ねるとバテンレースはドイツで生まれた工芸品で、この店は日本で一番有名なのだそうです。門外漢(もんがいかん)の私にはチンプンカンプン(珍粉漢粉)!
 

これも調べると、横浜に入ってきたバテンレースを明治中期にこの店の先々代などが協力してこの地で製造を始めたそうです。大正時代の最盛期には20軒以上あった業者も戦争や大震災で生産が低下して昭和に入ると3軒だけになり、現在は材料から一貫生産と販売をしているのはこの吉田バテンレースだけになったそうです。

2013_05010638 同行者について店内に入ると意外な写真を見つけました。右の写真に写るのはは連続テレビドラマ「ザ・ガードマン」(1965年4月‐1971年12月)に出演していた俳優の藤巻潤(じゅん)さん、左は「また会う日まで」(1971年)が大ヒットした歌手の尾崎紀代彦さんのようで、この店内で撮影されたものと思われます。

2013_05010640 雨足(あまあし)が強くなってきましたので駐車場へ戻ることにします。雁木が途切れている場所では時々雁木の端で雨宿りする必要がありました。途中、目に留(と)まった雁木とハンギングバスケットを撮影。 
 
 

2013_05010641 車で本町から大手町を経由して本城(もとしろ)町へ向いました。高田城跡(県の指定史跡)は現在高田公園になっています。その中にある高田図書館脇の駐車場に車を停めましたが、本格的な雨になりましたから駐車場は空(す)いています。小降りになったタイミングに濠(ほり)に架かる極楽橋(ごくらくばし)へ向いました。

2013_05010643甲信越にある桜の名所のなかでもトップクラスに位置付けられ、「日本三大夜桜」で知られる高田公園は花散らしの雨のためか、桜の花は見当たりません。代わって菜の花が満開です。堀にそって左手へ歩くと、20年前の平成5年(1993年)に復元された三重櫓(さんじゅうやぐら)が雨に濡(ぬ)れていました。   

堀を背にした説明板には『高田城は明治4年(1871年)に廃城され、陸軍省の所有となり、明治41年に陸軍第13師団は入場したが、その前に行われた土木工事により、土塁(どりゅ)は崩(くず)され、堀の一部は埋められ、二の丸と三の丸の区画は無くなった。本丸跡には師団の司令部(当時の写真)が置かれた』と書かれています。

2013_05010646 本丸跡に入りました。三つ葉葵(あおい)の家紋がある絵図で分かりますが、外堀は自然の河川を利用して作られ、非常に幅が広いことが特徴です。また、天守閣が建築されなかったことと石垣が積まれなかったことも他の平城と異なります。その理由は大阪冬の陣の直前で工事を急いだためと考えられるそうです。

2013_05010645 現在の高田城跡の規模は稲葉正通(まさみち、正往)時代(1685-1701年)の「高田城図間尺」にある数値とほぼ同様であると説明されています。ちなみに、本丸跡の大半は現在上越教育大学の付属中学校として使われています。 
 

2013_05010649 三重櫓へ向かいました。1・2階は展示室として高田藩ゆかりの資料などが観覧できるようです。入場料は大人200円。カメラのレンズに雨粒(あまつぶ)が落ちてしまいました。 
 
 

2013_05010650 見上げた三重櫓
 
 
 
 
 

2013_05010652 3階の展望室に上がりました。
 
 
 
 
 

2013_05010651 高田公園内が一望できました。この写真は西方(高田駅方面)の窓越しに撮影したもの。
 
 
 
 

2013_05010654 次いで向かった師団長官舎は明治期の洋風木造建築物で、上越市が移築・復元したものだそうです。
 
 
 
 

2013_05010655 長岡外史中将は旧陸軍第13師団長であり、上越市が日本のスキー発祥(はっしょう)の地となった基(もとい)を築いた軍人でした。そして、桜の名所100選の地に選ばれ、日本三大夜桜ともいわれる高田公園の桜も同中将が築いたことも説明されています。 
 

余談ですが、長岡外史の後任の師団長となったのが日本騎兵の父といわれた秋山好古(よしふる)で、その弟の秋山真之(さねゆき)は日本海海戦で東郷平八郎大将の配下(先任参謀)として迎撃作戦の「丁字戦法」を考案することでバルチック艦隊を撃滅(げきめつ)した軍人です。つまり、司馬遼太郎氏の長編歴史小説「坂の上の雲」の主人公である松山出身の秋山兄弟なのです。

2013_05010656 正面から見た建物です。車寄せに似た構造の玄関が雪国らしいと思いました。 
 
 
 
 

2013_05010657 内部に入ってまず目についたのは男子応接室。明治・大正時代らしい呼び名です。 
 
 
 
 

2013_05010658 こちらは書斎(手前)と婦人応接室、奥は食堂です。ちなみに、2階は3間続きの和室と子供部屋などがありました。和室は居間や寝室などに使われたのでしょう。 
 
 
 

2013_05010660 最後に立ち寄ったJR信越本線の高田駅(明治19年開業)は城下町らしく城を意識したのか何とも不思議なデザインです。実は、2002年(平成14年)に旧来からの駅舎の前にアーケードを設置して尖(とん)がり屋根を付けただけで、駅舎の内部は旧来のままのようです。
 

これも余談ですが、上越市は約40年前の1971年に直江津市と高田市が合併して誕生したため、港が近い直江津駅、城下町に置かれた高田駅、そして市役所が新設された中間地域にある春日山駅が信越本線に並んでいて、一体感に欠けているように感じられました。この状況は県のレベルですが140年前に津軽藩と盛岡藩(別名南部藩)の支藩(七戸藩・八戸藩など)の領地を中心に発足し、県庁をほぼ中間にある港町の青森に置いた青森県とよく似ています。(続く)

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2013年6月22日 (土)

続・奥の細道疑紀行 柏崎市から上越市へ

2013_05010499 国道352号に入って刈羽(かりわ)村に差し掛かりました。刈羽砂丘がある村ですが、現在は柏崎刈羽原子力発電所が注目されています。しかし、写真を撮るのは憚(はばか)れますので、その敷地を迂回するように曲がる国道352号を走り抜けて柏崎(かしわざき)駅に立ち寄ると、駅前にモニュメント「四季の波」 がありました。

2013_05010500 そのまま国道8号に出て赤坂山公園(市立博物館前)の脇を通過する頃には木立の先に大きく傾いた夕日が隠(かく)れてしまいました。
 
 
 

2013_05010501 鯨波(くじらなみ)海岸に出ると日没(にちぼつ)が近いことが分かります。右手から合流するのが旧北国街道のようです。 
 
 
 

2013_05010502 右前方に米山福浦八景県立自然公園が見えました。柏崎市にある美しい景観の「だるま岩」「聖が鼻」「御野立公園」「番神岬」「鴎が鼻」「松が崎」「猩々洞」、そして「牛が首層内褶曲」の8つをまとめて米山福浦八景と呼ぶそうです。 
 

2013_05010503 北陸自動車道米山ICへの入口を通過しました。米山(標高993m)は信仰の山で三階節(さんがいぶし)に♪米山さんから雲が出た 今に夕立がくるやら♪と歌われています。ちなみに、米山町にはかって北国街道の蜂崎関所と蜂崎宿があり、芭蕉は「たわら屋」に宿泊しています。
   

2013_05010504 芭蕉ケ丘トンネルに入ります。芭蕉と何か関係があるかと思って調べましたが・・。芭蕉が歩いたと思われる旧道は海側へ大きく迂回(うかい)していますから、国道8号は遥(はる)かに走りやすくなりました。 
 
 

2013_05010506 米山トンネルを通過します。こちらも芭蕉ヶ丘トンネルと同様です。 
 
 
 
 

2013_05010510 上越市に入って北国街道の宿場であった柿崎を過ぎる頃には日没(にちぼつ)が迫(せま)っていました。
 
 
 
 

2013_05010528 上越市での宿泊先に選んだ「鵜(う)の浜ニューホテル」には午後6時過ぎに到着しました。日本海の雁子浜(がんごはま)を望む頚城(くびき)砂丘の高台に位置する松林に囲まれた閑静な雰囲気です。その昔、「鵜の池」の近くに鵜の長者が住んでいたという縁起の良い伝説から「鵜の浜」と名付けられたそうです。

2013_05010511 エントランスは夜の佇(たたず)まいです。
 
 
 
 
 

2013_05010524 部屋から海浜の松林を見ていると、旅行前に知ったこの地に伝わる人魚伝説を思い出しました。佐渡ヶ島の娘と雁子浜の若者との悲恋物語です。 
 
 
 

2013_05010513 チェックインが予定より約1時間も遅れたため、温泉に入る前に部屋で夕食をとることにしました。日本海の海の幸をや季節の素材を用いた揚げ物など多彩な内容ですが、ボリュームが控えめで私にはほど良いものでした。
 
 

2013_05010515 後から出された魚料理は酒をたっぷり呑(の)んだためかピンボケ写真に・・。 
 
 
 
 

2013_05010517 食後の休憩を少し取ったあとに風呂へ向いました。小振りな脱衣場は清潔感があります。
 
 
 
 

2013_05010522 内湯の「鵜の湯」は「鵜の浜温泉五号井戸」という源泉のお湯が掛け流しになっています。泉質はナトリウム-塩化物泉(弱アルカリ高張性低温泉)。ちなみに、手前に見えるのはバイブラ風呂(ジャグジー)で、奥のドアは露天エリアへの通路です。 
 

2013_05010523右手にあるサウナも小振り 
 
 
 
 
 

2013_05010526 明かり取りのある半露天風呂「銀河の湯」にもゆったりと入りました。昭和33年に石油の資源開発中に湧出したこの源泉は弱アルカリ性ですから肌にしっとりと馴染(なじ)むようで良く温(あたた)まります。
   
 

2013_05010527 翌朝になって露天風呂の天井(てんじょう)を改(あらた)めて確認すると透明でカマボコ型をしていました。(続く)

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2013年6月21日 (金)

続・奥の細道疑紀行 赤塚の佐潟から出雲崎へ

2013_05010480 佐潟に立ち寄った後は、当初予定していた北国街道(県道2号)ではなく、遅れを取り戻すために海岸沿いの国道402号(日本海夕日ライン)を使って寺泊(てらどまり)へ向うことにしました。このため芭蕉が宿泊した北国街道の弥彦(やひこ)宿は通りません。 
 

2013_05010482 防砂林の中を走りました。
 
 
 
 
 

2013_05010483 越前浜で国道402号は右に折れます。この辺(あた)りの国道402号はこの少し先にある名勝越後七浦の名前をとって「越後七浦シーサイドライン」と呼ばれているようです。 
 
 

2013_05010484 再び防砂林を通過します。新潟県は最北の村上市から西端の糸魚川市まで8つの砂丘が続いていますが、現在通過しているのは西蒲原(にしかんばら)砂丘です。 
 
 
   

2013_05010485 右手の高台に角田岬灯台が見えました。標高482mの角田山に立つ真っ白な灯台は光達距離が19海里(約35km)とのこと。その下(海側)には「判官舟かくし」があるそうです。判官(ほうがん)と呼ばれていた源義経が兄の頼朝に追われ奥州平泉へ逃げ落ちる途中、舟とともに身を隠したといわれている洞穴(どうけつ)です。   

2013_05010486角田山を潜(くぐ)り抜ける 角田トンネルに入ります。 
 
 
 
 
 

2013_05010487 越後七浦シーサイドラインは長岡市寺泊野積(てらどまりのずみ)まで続く13.9kmの海岸道路で、日本海と奇岩が作り出す美しい風景を楽しめます。青森の浅虫温泉で見た裸島暮坪の立岩に雰囲気が似た立岩は撮影し損(そこ)ねました。 
 

2013_05010488 これが「獅子が鼻」のようです。横から見ると獅子(しし)の頭に見えるそうです。獅子はライオンのことですが、狛犬(こまいぬ)のうち角のないものを指すようですから、この場合は後者の方でしょう。 
 
 

2013_05010489 新潟市西蒲区から長岡市へ入り、野積橋北詰交差点を右折して信濃川から分かれた大河津分水路(1922年完成)に架かる野積橋を渡りました。芭蕉は弥彦から峠を越えて、この辺りで海岸に出たのでしょう。 
 
 

2013_05010490 寺泊白岩を通過します。寺泊は伝馬が置かれた北国街道の宿駅であり、古くから漁業が盛んで佐渡へ渡る港町だったそうです。 国分寺が作った無料宿泊所があったことが地名の由来のようです。 
 
 

2013_05010491 佐渡に近い寺泊には現在も佐渡の赤泊(あかどまり)へ行く寺泊フェリーターミナル(佐渡汽船乗り場)があります。ちなみに、佐渡へは距離が少し長くなりますが新潟港から両津(りょうつ)行きと直江津から小木(おぎ)行きのフェリーが出ています。 
 

2013_05010492_2 北限のアオウミガメで知られる寺泊水族博物館もありましたが外観を撮影するだけで通過 
 
 
 
 

2013_05010493 白波が立つ日本海を見ながら柏田崎へ向って国道402号(北陸道)を走りました。和島には道の駅「良寛の里わしま」があるようです。あの良寛(りょうかん)さんが晩年の数年間を和島の木村家で過ごし、貞心尼(ていしんに)と出逢(であ)って和歌の師匠になったのもこの和島の地だったそうです。 

2013_05010494 前方に見えてきたのは良寛さんが生まれた出雲崎(いずもざき)町でしょう。日本海から波が打ち寄せています。
 
 
 
 

2013_05010495 芭蕉が宿泊した出雲崎に入ると「海と夕日の広場」駐車場の案内標識がありましたので車を停めて立ち寄る先を確認しました。この出雲崎は江戸時代に幕府の直轄地(天領)として栄えたそうです。
 
 

2013_05010497 良寛生誕の地(橘屋跡)である良寛堂(新潟県文化財)です。江戸時代に出雲崎の名主の家で生まれた良寛さんが18歳で出家するまで過ごした場所です。
 
 
 

2013_05010496 良寛堂を背にして良寛(りょうかん)の座像がありました。生涯にわたって寺を持たず、40歳頃越後に帰っても質素な生活をしながら庶民に分かり易い言葉で仏法を説いたと言われます。和歌・俳句・漢詩・書などに秀でた良寛さんは72歳で天寿をまっとうされたようです。
    

2013_05010498 交差点から旧北国街道に入って芭蕉園へ足を伸ばしました。芭蕉が宿泊した大崎屋は芭蕉園の真向いにあったと説明されていました。芭蕉は出雲崎で有名な句、『荒海や 佐渡によこたふ 天の河』 を詠(よ)んでいますが、この句とともに佐渡についての芭蕉による記述を彫(ほ)った天河句碑(銀河の序)が後方に見えます。

22 芭蕉は佐渡には渡っていませんから、自分の知識に想像を交(まじ)えて書いたのでしょう。その代わりではありませんが、半世紀前の学生時代に佐渡へ旅行した時の写真を2枚だけ掲載しましょう。まず佐渡金山に近い相川(あいかわ)の夜祭です。ネット検索すると現在の相川祭りの様子YouTubeにアップされていました。 

25 もう一枚は「佐渡おけさ」の舞台です。吊(つ)るされた提灯(ちょうちん)には立波会と表示されています。これもネットで検索するとYouTube現在の立波会を見つけることが出来ました。そして大正時代に正調佐渡おけさを発表したグループであることも知りました。 

 

芭蕉園のすぐ近くに良寛記念館もありますが、遅れを挽回(ばんかい)する必要があるため、立ち寄りを断念することに。国道402号から国道352号に入り、出雲崎魚港と道の駅「越後出雲崎天領の里」を通過、柏崎(かしわざき)へ向います。(続く)

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2013年6月 4日 (火)

小さな竹の橋

この数年、毎年恒例となっている同窓生との食事会に出掛けました。会場は皇居近く、竹橋にあるホテルの12階のレストランです。日が傾いて皇居が夕日に照らされているのを見ながら食事会が始まりました。6年前4年前の記事で少し触れていますが、今回はメインテーマに取り上げます。お堀(大手濠)に影が映るのは昨年5月にリニューアルオープンしたパレスホテルです。
 
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そして桜田門(警視庁)と霞が関から永田町にかけた見慣れた風景です。
 
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とりあえずビールで乾杯したあとに配膳されたのは「シェフ特性4点盛りプチオードブル」
 
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次いで「本日のポタージュ」
 
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アルゼンチンの赤ワイン「サンタ・アナ」を味わっていると窓の外は薄暮(はくぼ)を迎えていました。その景色を見ていると、なぜかハイ・ファイ・セットのヒット曲「スカイレストラン」(1975年)の歌詞とメロディ、そして見事に表現した山本潤子さん(元赤い鳥)の歌声が思い浮かびました。
 
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メインはビーフステーキ「熱々ジューシー鉄板焼ステーキ」です。あえてロースとおろしポンズを選びました。やや小振りで、私にはちょうど良いボリューム。
 
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最後は「特選デザート」とコーヒー(または紅茶)
 
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食べ終わった時には窓の外が夜景に変わっていました。ここでふと気が付きました。毎年見ている東京タワーが見えないのです。5月31日より地デジ放送の電波が東京スカイツリーから送信されるようになっても東京タワーは残っているはずです。つい先日も神谷町から東京タワーをしっかり確認しています。
 
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どうも、現在建設中の虎ノ門ヒルズが東京タワーをちょうど遮る位置にあるようです。「はとバスで東京見物」の記事で紹介したように、東京タワーと東京スカイツリーの両方をよく展望できることが気に入っていたホテルでしたが・・。
 
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近況などを交換する間に今回食事会に出来なかったメンバーに話が及ぶと、幹事さんがその何人かに電話してくれて、予期しない電話座談会になっていました。思わず口を突いて出る方言を使った昔話に花が咲くと半世紀前のことが鮮(あざ)やかに甦(よみがえ)って、気が付けば食事会は3時間に及んでいました。

ピアノの生演奏を聴いていると、昔懐かしいハワイヤンの名曲「小さな竹の橋」の歌詞が思い浮かびます。♪♪小さな橋よ 竹の橋の下 川の水に流れてゆく。あの日の夢も 楽し思い出も 青い水に流れてゆく。永い年も月も 色とりどり。やがては消えてゆく 赤いバラの花びら。小さな橋よ 竹の橋の下 恋も夢も流れてゆく♪♪
 
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大手濠と大手門の周辺はすっかり夜景になっています。
 
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これはレストランの別の窓から見た首都高速都心環状線の神田橋出入り口周辺の様子で、遠方に東京スカイツリーが写っています。
 
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東京スカイツリーが鮮やかな照明に浮かび上がるのは昨年と同じです。手振れに注意しながらズームアップして撮影しました。
 
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酔いが回った友人を最上階(15階)の部屋に送り届けて戻る途中に、明るく照明されたチャペルがいつものように輝いています。
 
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2013年4月19日 (金)

麻布散策 六本木から狸穴へ(後編)

飯倉片町交差点の角から2軒目の建物(1階)にある「麻布台やぶそば」は「神田やぶそば系」を謳(うた)う蕎麦屋ですが、食通の池波正太郎氏が好きだったという創業130年の老舗(しにせ)「神田やぶそば」が漏電による火事で大きな被害が出たとニュースが報じたのは2カ月前のことです。
 
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丸紅のマンション工事現場の脇に急な坂がありますので南方向へ降りてみました。この辺りの麻布狸穴町は南傾面を生かした住宅地として再開発されています。
 
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三菱地所のマンション建設現場沿いに歩くと植木坂と表示されていました。左手に分かれる道は鼠坂(ねずみざか)で狸穴(まみあな)公園へ続いているようです。島崎藤村旧居跡には単身者向けマンションが建設中で石碑などを確認できません。
 
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Atlantic Collection(アトランティック・コレクション)は海外のスポーツカーだけを扱うアトランティックカーズ社(アストンマーチンの正規代理店)のショールームです。ちなみに、アストンマーチンは映画「007シリーズ」の「ゴールドフィンガー」以降、何度も登場した英国が誇るスポーツカーです。
 
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米沢牛専門料理店「雅山(がざん)」は政治家などが利用する高級店です。
 
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外苑東通りの北側にある外務省飯倉公館は海外の首脳・外相との会談や各種会議およびレセプションなどで利用される1971年に完成した施設で、40年前とまったく変わっていないようです。隣接する同じく外務省の外交資料館(白い建物)も昔のまま。
 
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そのまた隣には時代を感じさせる日本郵政グループ飯倉ビル(元郵政本省庁舎)で、麻布郵便局などが入っています。以前の住所は外務省飯倉公館と同様に飯倉町(現在は麻布台)でしたが、外苑東通りを挟んだソ連大使館(現在のロシア連邦大使館)の住所である狸穴(まみあな)が郵政省を指す言葉にもなっていました。
 
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麻布郵便局の向かい側に南へ伸びる狸穴坂(まみあなざか)には『マミとはメスのタヌキ・ムササビ・アナグマの類で、昔その穴が坂下にあったという』と説明されています。東麻布方面へ伸びているようです。ちなみに右側の建物はナミビア共和国大使館。
 
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外苑東通りに戻ると東京タワーが一段と近く見えます。右手に続く白い塀はロシア連邦大使館です。
 
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正門付近には多数の警官が警備しているため内部を窺(うかが)い知ることは出来ませんが、塀(へい)越しに見える建物には大きな変化は見られないようです。こちらは使用されていない(閉鎖された)通用門。飯倉片町交差点の警察車両もこの大使館を警備していたのです。これは40年前から少しも代わらない光景です。
 
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飯倉交差点が近くなると外苑東通りは下り坂になりました。麻布の低地が近づいたようです。ここにも機動隊の青い大型車両が・・。ちなみに麻布(あざぶ)の地名は麻生(あそう)が転じた、あるいはアイヌ語に由来するなどの諸説があって定かではないようです。
 
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桜田通り(国道1号)は三田方面へ緩(ゆる)やかに下って行きます。
 
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飯倉交差点の反対側からユニークな形状をしたNOA(ノア)ビルを眺(なが)めました。1974年に建設されて約40年が経過し、下部のレンガに古代遺跡のような趣(おもむき)が出てきました。このビルが建てられた直後、その異様さに圧倒されたことをよく覚えています。現在、14階にフィージー大使館が入っているようです。
 
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桜田通り(国道1号)の虎ノ門方面も同様に緩やかな下り坂
 
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麻布郵便局の手前まで戻って路地に入りました。昔、東京メトロ日比谷線神谷町駅へ向う時に利用したルートです。雁木坂(がんぎざか)の上に出ました。『階段になった坂を一般に雁木坂と呼ぶ』と説明されています。
 
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階段を下りると突然巨大な建物が出現しました。私がこの道を歩いて職場に通っていた1975年(38年前)に建設された宗教団体「霊友会」の釈迦殿(しゃかでん)です。ちなみに、霊友会は法華(ほっけ)教(大乗仏教の一派)の教えに従う新興宗教団体。
 
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西久保八幡神社に貝塚あるとの案内を見て立ち寄りました。
 
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『西久保八幡貝塚」(縄文時代後期、東京都文化財)は麻布台地の先端にある西久保八幡神社の社殿の裏手斜面に貝塚が形成されている』と説明されていますが、残念ながら裏手には立ち入れないようですから諦(あき)めました。1時間弱の懐かしい散策のあと、昔と変わらない神谷町駅から地下鉄日比谷線に乗って帰宅。
 
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40年前の私は2度の手術を経て1年後に仕事へ復帰した直後、つまり初めての挫折(ざせつ)経験から立ち直ったばかりで、自分の目標に向かってもう一度羽ばたこうと思わせてくれたのが赤い鳥(山本潤子さん)のヒット曲「翼をください」(1971年)でした。そして、麻布で過ごした当時の充実した2年間が私に翼をくれたようです。(終)

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2013年4月18日 (木)

麻布散策 六本木から狸穴へ(前編)

所用で六本木ヒルズへ久しぶりに出掛けました。4月9日(火曜日)のことです。
 
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49階のアカデミーヒルズから西方に伸びる青山通り(国道246号)が真下に見下ろせます。中央が首都高速3号渋谷線の高樹町出入口、そのずっと先に立ち並ぶビルは渋谷ヒカリエやセルリアンタワーなど、そして右上が代々木公園、右手前が南青山(青山霊園)、左端は広尾ガーデンヒルズ(大規模マンション)です。
 
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六本木交差点から六本木ヒルズ方面を振り返りました。3年前に改築された喫茶店アマンド(六本木店)が左端に写っています。40年近く前、この店で同居者と待ち合わせたことを思い出しました。(六本木の地名の由来はこちらの記事を参照して下さい)
 
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その頃、東京メトロ日比谷線の六本木駅あるいは神谷町駅から仕事場へ2年間通った外苑東通り(都道319号)をなぜか急に歩いてみたくなりました。左側の歩道を南東方向へ進むと、三年前に紹介した「つけ麺専門店の三田製麺所(六本木店)」とショットバーのMOTOWN HOUSE が目に入りました。後者はバブルがピークだった1989年に開店した外国人が良く利用する店のようです。
 
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左手の路地を入ると別のブログで4年前に紹介した居酒屋「なまはげ」があります。
 
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反対側の歩道から南西に下る饂飩坂(うどんざか)は『天明年間末(1788年)頃まで末や伊兵衛という、うどん屋があったため、うどん坂と呼ぶようになった。昔の芋洗坂とまちがうことがある』と説明されています。ちなみに後方の高層ビル2棟は六本木ヒルズレジデンス。この坂から都営大江戸線に沿って下ると麻布十番方面に出られます。
 
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饂飩坂の入口付近から見た外苑(がいえん)東通りと東京タワーのクローズアップ
 
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雑居ビル「ROI(ロア)」は40年前の姿のままで存在感を示しています。昨年秋に凄惨(せいさん)な集団暴行死事件が2階にあるクラブで起こったとは信じられません。
 
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六本木5丁目交差点に差し掛かると東京タワーが真正面に見えます。
 
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同交差点の左手奥に小さな六本木三丁目児童遊園を見つけて立ち寄りました。
 
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公園の横を下る狭くて奇妙な路地を見つけました。下まで降りてみましたが坂道の名前は表示されていませんので、ただの抜け道なのかも知れません。この辺りの外苑東通りは尾根のような場所に伸びていますから、四谷の甲州街道(国道20号)と同様に両側がともに下り坂になっています。
 
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六本木5丁目交差点の北東の角に度肝(どぎも)を抜く店”ROPPONGI GRILLがありました。店頭に置かれたエルヴィス・プレスリー似の人形もインパクトを大増幅しています。しかし、”HOTROCKS & BAR”、“WE WILL ROCK YOUGrilled Burgars!Grilled Sticks!などと表示されていて正体不明。あとで調べると、昨年オープンしたアメリカの酒とジャンクフードを提供するバーでした。ちなみに、Happy Hourとはドリンクの割引サービスのことです。
 
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信号のある次の三叉路を左へ入ったところには先ほどの"ROPPONGI GRILL"と対照的な"TEIEN TOKYO"(テイエン トウキョウ)があります。『300坪の敷地を有し、庭園を眺めながらのダイニングができる隠れ家的イタリアンレストラン』(同店のhpより)でした。外観と中味が何やらチグハグだと思った私はイソップ寓話(ぐうわ)「すっぱいブドウ」のキツネかもしれません。立て看板を見ると平日ランチ(パン・サラダ付き)が980円と手頃ですが、残念なことに昼食を済ませたばかりでした。
 
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飯倉片町交差点が近づきました。前方に見える高架は首都高速都心環状線です。
 
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振り返ると何やら奇妙な黄色い施設が見えました。それは以前ニュースで見たドンキホーテの屋上施設「絶叫マシン」(往復型ジェットコースターのハーフ・パイプ)でした。7年前に住民などの反対で延期(事実上の中断)になったはずですが・・。これも調べると、ドンキホーテが振動対策が不十分だとして設計会社を訴えたことに対して東京地裁は先月下旬に約8億5900万円の損害賠償を命じる判決を出したようです。ちなみに、青野と表示された手前の建物は和菓子の老舗(しにせ)「青野総本舗」です。
 
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飯倉片町交差点は都道319号(外苑東通り)と都道415号(高輪麻布線)が交差し、都道415号の上を首都高速都心環状線が通過しています。この風景は40年前も同じでした。飯倉片町(いいくらかたまち)は江戸時代に武家屋敷があった場所で、同じく武家屋敷があった六本木と狸穴(まみあな、現在の麻布台)の間に位置します。ちなみに、飯倉片町は外苑東通りの南側にあった旧麻布区の町名で、都道415号を境界として、現在は六本木と麻布台に分割されています。飯倉とは米あるいは穀類の倉庫があったこと、片町は道路の南側に広がった町であることが名の由来のようです。
 
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こちらが一の橋JCT(高輪)方面
 
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そして、こちら方向は谷町JCT(六本木一丁目)から溜池(ためいけ)へ向かいますから急な下り坂になっています。交差点の両側に機動隊の大型車両とパトカーが待機しているのは、この先にある施設を警備するためでしょう。
 
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(続く)

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