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2013年10月18日 (金)

足柄街道を走る(最終回) 御殿場市温泉会館

直進すると県道365号(金太郎富士見ライン)に入りますが、足柄街道(県道78号)にしたがって左折しました。道幅の狭い山道をドライブするのは私の楽しみのひとつです。途中、2台ほどの対向車と出会いました。少しでも幅の広い場所を選ばないとすれ違うことができないのです。
 
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赤坂古道は足柄峠に至る古道のひとつですが足柄古道の一部かもしれません。ちなみに赤坂の名は昔このあたりから須恵器(茶碗や壷)を造るのに使う赤土が取れたことで名づけられたそうです。石畳を敷き詰めてきれいに整備されています。
 
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足柄街道の脇に建つ「唯念上人の大名号塔」の説明文には、『天保元年(1830年)に小山町上の奥野さわの唯念寺(ゆいねんじ)を開いた唯念上人(ゆいねんしょうにん)の筆による日本一の大きな石佛(高さ3.8m、幅1.5m)である。飢饉(ききん)と疫病の流行で苦しむ農民の心を救おうと念仏を唱え祈願を行った。地元の人たちも力を合わせて大きな石に上人の書いた南無阿弥陀仏の名号を彫り、栗の木沢のこの地に建てて上人とともに悪疫退散(あくえきたいさん)と極楽往生を祈った。天保10年(1839年)のことである』とあります。力強い文字に圧倒されました。
 
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JR御殿場線の足柄駅を過ぎて御殿場市内に入ると雲が切れて富士山の中腹が見え始めました。私の念力がやっと通じたようです。
 
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足柄街道(県道78号)で市役所北交差点まで下りたあと、左折して国道138号(御殿場バイパス)を箱根山の乙女(おとめ)峠方面へ進む計画でしたが、市街地を走っても面白くありませんから近道をすることにしました。東名高速道路の下を潜(くぐ)った直後に左の脇道へ入り、東名の足柄SAを回り込む形で東名をもう一度潜(くぐ)って東山湖(ひがしやまこ)の脇に出ました。

国道138号(箱根裏街道、乙女道路)の坂を上って、Lala GOTENBAホテル&リゾートの少し手前を左の脇道に入ると最終目的地の「御殿場市温泉会館」に到着しました。富士カントリークラブに隣接する場所です。施設に接する第1駐車場が満車でしたので、手前の第2駐車場に戻って駐車しました。「温泉会館」へ歩く途中に富士山が見えるスポットを見つけました。偶然でしたが、トンボ(蜻蛉)が富士山の上(?)を飛んでいる様子が写っています。
 
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午後4時過ぎに平凡な平屋の施設に入りました。(この写真は帰る時に撮影)
 
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市営の温泉なので料金は500円(3時間、割引券で50円引き)とリーズナブル。午後10時まで営業(毎週月曜休み)しているようです。
 

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館内の構造は一般的な日帰り温泉です。受付の左手は売店になっており、その先に浴室、和室(8畳x4室)、大広間(78畳)などが並んでいました。
 
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通路の左手前にある浴室の脱衣場は広くありませんが清潔感がありました。高台にあるこの施設の風呂は内風呂のみです。御殿場乙女温泉(乙女1号・2号・3号)の湯は透明でわずかにヌルヌル感のあるナトリウム泉-塩化物・硫酸塩泉・アルカリ性単純温泉で、泉温41.6度)。加水無し、加温有り、濾過循環(ろかじゅんかん)と消毒有りと表示されていました。
 
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大きな浴槽の西方向は全面ガラス張りで、浴槽からでも富士山と御殿場市街が正面に見えますから、夕日が沈む様子を見ながら夜景になるのを待つのが最大の贅沢(ぜいたく)でした。
 
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風呂から上がって大広間(休憩室)に向かいました。南西側には先程通過した風車のある御殿場美華ガーデンがゴルフ場越しに見えます。
 
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余談です。私が最初に購入した車で箱根エリアをよくドライブした昭和40年代の後半に「まわるスカイレストラン ムーラン乙女」(昭和48年開業)として注目を浴びましたが、20年以上前に閉店して廃墟(はいきょ)になっていた記憶があります。ちなみにムーランはフランス語で風車を意味します。そしてムーラン・ルージュ(赤い風車)と言えばパリにある有名なレビュー劇場です。調べるとそのムーラン乙女は5年前に改装され御殿場美華ガーデンとして営業を再開したようです。富士山を見ながら気軽に食事を楽しむのに適したドライブイン(ショップ&レストラン)でしょう。

閑話休題(かんわきゅうだい)。右手に視線を戻すと御殿場の市街地が一望できます。
 
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富士山にふたたび雲が掛かり始めました。
 
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煌(きら)びやかな御殿場の夜景が広がりました。
 
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休憩室(大広間)から見る富士山はカメラを望遠にしないと電線が視界の邪魔(じゃま)になることが残念です。富士山が暗闇(くらやみ)に包まれてしまう前にもう一度温泉に入ることにしました。
 
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数年前に温泉会館が閉鎖されるとの噂が流れましたが、現在は民間業者に委託されて営業しており、客の入りも良いことからその心配は当分なさそうです。食事処(レストラン)はありませんが、売店では土産物から弁当などを売っており、隣の調理場がそば・うどん・ゆで卵(50円)・丼物(どんぶりもの)などを提供していますから、大広間(78畳の休憩室)と和室(8畳4室)を利用して軽い食事をすることができます。地元御殿場の「みくりやそば」(500円)と「みくりやうどん」(500円)がお勧めのメニューのようです。ちなみに、みくりや(御厨)とは神の台所を意味しますが、ここでは御殿場地方の古い地名(明治22年の合併で誕生した御厨町、現在の御殿場市)を指すようです。

富士山の景色と温泉を2度も楽しんだあとはゆっくり休憩すろことにしました。そして、都合2時間あまり滞在したあと、走りなれた東名高速道路を利用して帰路へ。久しぶりに足柄街道のドライブを楽しむとともに、私の予知眼(よちがん)が健在であることを確かめることができた楽しい1日になりました。

<同行者のコメント> 以前行ったことがある場所へまた出かけるという旦那様にはあきれました。でも今回は雪の中でなかったことが良かったと思います。はじめて訪れた日帰り温泉はお湯がなめらかで、しかも浴槽から富士山が真正面に見えたこともうれしいことでした。そういえば、これまで富士山を見に出かけた時に曇っていると、雲間から顔を出してほしいと祈祷師(きとうし)さんみたいに祈っていましたね。

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2013年10月17日 (木)

足柄街道を走る 足柄関所跡と足柄城址(後編)

遊歩道入口を見つけました。深い窪地(くぼち)を通過するようです。
 
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そこは
空堀跡でした。
 
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空堀を過ぎた二の郭(くるわ)は二の丸に相当します。
 
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ここにも足柄峠から見える山々がコンパス上に表示されています。足柄峠城址公園で一番のビューポイントと思われます。
 
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北西方向には雲が立ち込めていて富士山の姿はありません。自宅を出発する前、私の予知眼(よちがん)には青空に美しく映(は)える富士山が見えましたので、万葉公園に立ち寄るあたりからこの場所から見る富士山を楽しみにしていたのです。それに、今回の記事「足柄街道を走る」の目玉に位置づけていましたから、富士山が見られないことは画竜点睛(がりょうてんせい)を欠(か)くことにもなります。ちなみに、右端に写る山並は山梨県との県境にある大洞山(おおほらやま、標高1383m)と思われます。その左端には山中湖へ抜ける籠坂峠(かごさかとうげ)があるはずです。
 
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南に目を転じると金時山(標高1213m)がはっきり見えます。その手前に少しだけ見えるのは猪鼻砦跡(いのはなとりであと)がある尾根のピークでしょう。地蔵堂からの登山道はこの地点を経由して金時山へ至(いた)ります。戦国時代には足柄城とともに小田原城にとっての重要な防衛拠点だったようです。
 
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二の廓から三の郭へ向かいます。
 
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空堀跡にはサンショウバラ(バラ科)が大きく成長していました。花期は5月下旬から6月上旬のようです。
 
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三の郭の表示
 
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ススキ(薄)が秋を演出しています。
 
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遊歩道は林の中に入って行くようですから、ここで引き返すことにします。
 
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一の郭まで戻りました。休憩所の左奥にある足柄街道の上に架かる歩道橋を確認すると、こちら側も通行止めになっていました。
 
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足柄街道に停めた車に戻りました。T字路を左手に進むと金時林道(終点に駐車場有り)を経由して金時山へ登れるようですが、今回の最終目的地を目指して足柄駅方面へ下りることにします。
 
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足柄街道の緩(ゆる)やかな下り坂を快調に走っていると、路肩に「金太郎富士見ライン」の標識が目に入りました。歴史を感じさせる足柄街道に比べて今風で分かりやすいネーミングですが、私にはちょっとベタ(ありきたり)な感じがします。足柄峠(正式には県道78号との分岐点)と小山町を結ぶ県道365号に付けられた愛称でした。ですから、足柄街道(県道78号)にこの標識を立てるのは厳密にはフライイングでしょう。
 
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次いでこんな標識も見つけました。当ブログの愛読者は「あれだな!」とお分かりになったと思います。3年前に日本ロマンチック街道をドライブした時に、四万(しま)温泉から長野原町へ向う途中の暮坂峠(くれさかとうげ)で見つけた標識と同じです。
 
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やはり矢印の先にはマンホールがありました。そして、その蓋(ふた)にはNTTの前身である日本電信電話公社(略称:電電公社)の公式マーク(公社章)が描かれています。ちなみに、このマークは電信(Telegraph)と電話(Telephone)の頭文字をデフォルメしたものです。ちょっと、気づきにくいのですが、2つのTに囲まれた部分がサービス(Service)のSになっているそうです。現在の公式マーク(ロゴ)は民営化される時に採用された「ダイナミックループ」と呼ばれます。(暮坂峠の記事にその写真を掲載)
 
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日がだいぶ傾いて来ましたから、先を急ぐことにしましょう。(続く)

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2013年10月16日 (水)

足柄街道を走る 足柄関所跡と足柄城址(前編)

足柄峠(標高759m)に到着しました。昔は足柄坂と呼ばれていたそうです。「あづまはや(吾妻はや)」は前回の記事で紹介したように、日本武尊(やまとたける)が叫んだという「あゝ我が妻よ」を意味します。説明看板には倭健命(やまとたけるのみこと、日本武尊)の説明と足柄峠にまつわる歴史年表が書かれていました。ちなみに、倭健命は古事記による表記で、日本書紀では日本武尊となっています。
 
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その横にある足柄城の説明看板には後北条氏によって築城された戦国時代の出城であると書いてありました。ちなみに、後北条氏とは相模国の小田原を中心として栄えた北条早雲に始まる戦国大名のことで、鎌倉時代の北条氏と区別するために「後~」を冠しています。看板の左手に小道がありますが、通行止めの標識が置かれています。残念ですが諦(あきら)めることに。
 
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この峠は昌泰2年(899年)に古代の足柄関が設置されたと推定される場所です。標柱の前にある「おじぎ石」は、昔旅人がこの石に手をつき、おじぎをして通行手形を見せたことで名付けられたそうです。左手に映画「乱」のセット(城門)を使って関所の門が再現されていたようですが、私としたことがなぜか気づきませんでした。『心ここに在(あ)らざれば・・・』であったのかもしれません。
 
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街道の反対側にある足柄山聖天堂は弘法大師開基と伝えられます。ちなみに本尊は大聖歓喜双身体像です。右手には熊にまたがる金太郎の石像が見えます。
 
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T字路に行き当ると、正面に新羅三郎義光吹笙之石碑がありました。
 
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新羅(しんら)三郎義光(本名源義光)は源頼義の三男(八幡太郎義家の弟)で、奥州の乱(後三年の役)で清原武衡(たけひら)を相手に苦戦する兄義家(よしいえ)に助力するために官を辞して奥州に向かう途中、足柄峠のこの大石の上で笙(しょう)の秘曲をその師匠である豊原時秋の息子に教えたとの言い伝えがあるそうです。笙は雅楽に用いる管楽器で、パイプオルガンを小さくしたような縦笛(たてぶえ)のことです。粗忽(そこつ)な私は新羅(しらぎ)の名から渡来人と早とちりしてしまいましたが、実は近江国の新羅明神(大津市の三井寺)で元服(げんぷく)したことで付けられた通称でした。

足柄城址と刻(きざ)まれた大きな石碑脇の階段を上って足柄城址へ向かいました。
 
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現在は足柄峠城址公園として整備されています。
 
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公園の一番手前のエリアが一の郭(くるわ、曲輪とも表記)でした。一の郭は江戸時代の城における本丸に相当します。
 
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『玉手ヶ池は底知らずの池または雨乞(あまご)い池といわれ、底は小田原に通じているともいわれており、また干ばつ続きの折には池の水をかき回して雨乞いをすれば必ず雨が降ると言い伝えられている。池の名称は足柄峠の守護神、足柄明神姫玉手姫から付けられたものである』と説明してありました。
 
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木立の中に入って池の様子を撮影
 
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これは洒落(しゃれ)で建てられた看板と思われますが、表示された「足柄峠笛祭り」は新羅三郎にちなんだ小山町の祭りのようです。毎年の余興(よきょう)でこの看板が「相模之国南足柄領」に変わることもあるそうです。
 
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大きな石碑に書かれた文字は逆光のためよく読めません。
 
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横に回り込むと読みやすい文字で、『全貌(ぜんぼう)を裾野(すその)まで見せて余(あま)すなし 不二は悠然(ゆうぜん)と天ささげたつ 蝶介』と書かれていました。後で知ったことですが、歌人で小説家の生田蝶介(いくたちょうすけ)氏が戦時中小山町へ疎開した時に作った歌の碑のようです。
 
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来し方を振り返ってみました。左手が玉子ヶ池の説明看板(池は木立の中)と中央の奥に休憩所があるだけです。
 
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標高が700mを超える場所から富士山の展望を楽しむことができる緑地公園として整備されたのでしょう。(続く)

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2013年10月15日 (火)

足柄街道を走る 万葉公園と足柄明神社

県道78号(足柄街道)へ戻ってさらに西を目指しました。写真で左手に入る道は夕日の滝への向かう市道です。T字路の角には「金太郎のふるさと南足柄市」のことばとともに万葉公園の案内標識があります。気温が27度に上昇するなかを、九十九折れになった県道を上りきると静岡県小山町との境界(県境)に到着しました。
 
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大きな岩でできた歌碑の解説に目が止まりました。足柄地方の労働民謡であったようで、若い男女の恋愛感情を歌ったものだそうです。
 
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万葉広場入口の標識には足柄峠まで0.7kmと表示されています。
 
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万葉公園は細長い形をしているため入口がいくつもありましたが、駐車場のある入口(案内図のほぼ中央に示されている)を見つけました。
 
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足柄峠の案内看板には東国と京(西国)を結ぶ要路であったことが詳しく説明されています。日本武尊(やまとたけるのみこと、やまとたける)の言葉「あづまはや」は東(あずま)と吾妻(あずま)をかけているのでしょう。
 
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円盤の上に足柄万葉公園から見える場所が示されていました。東南東には足柄平野(酒匂川)から江ノ島・相模湾・三浦半島・房総半島など、南方向には箱根の明神ヶ岳(1169.1m)・大涌谷(おおわくだに)・金時山(標高1212.5m)箱根連山、西南西には愛鷹山(あしたかやま、標高1188m)、西南西には富士山(標高3776m)、北西方向には籠坂峠(かごさかとうげ)など。
 
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園内の東屋(あづまや)付近から聞こえる人の声に誘(さそ)われて向かいました。双眼鏡で遠くを眺(なが)めているようです。
 
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素晴らしい展望が開けていました。左端に写るお結び型の山は矢倉岳(標高870m)です。遠くに見えるのは開成町と大井町でしょう。
 
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この歌碑は万葉仮名(まんようがな)で書かれていますので、すぐ近くにある説明看板の内容をそのまま引用します。『足柄(あしかり)の御坂畏(みさかかしこ)み 曇夜(くもりよ)の 吾(あ)が下這(したば)へを 言出(ことで)つるかも』(万葉集巻14.3371)の大意は、『足柄の神の御坂を越えて行くとき、峠の神に手向(たむ)けして恐れかしこまるあまり、人の秘さねばならない恋人の名前までつい告白してしまった。人に云(い)うべきじゃないことだのに』と解説されていました。
 
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先ほどのグループの誰かが声を発すると同時に全員が立ち上がって双眼鏡で何かを熱心に見ています。失礼とは思いましたが、漏(も)れ聞こえてくる言葉から「野鳥を観察するグループ」だと分かり、邪魔(じゃま)してはとその場を離れることにしました。
 
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県境の尾根に続く足柄街道を進むと静岡県小山町(おやまちょう)に入ります。そして、いよいよ最終目的地の御殿場市が15kmに近づきました。
 
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その標識に隠れていた足柄明神社の案内看板が目に止まりました。書かれた由来は、『東国平定の帰りに食事をしている日本武尊を白い鹿になって襲って撃ち殺された坂の神は坂東人(ばんどうびと、関東地方の人)の誇りを守った古代の英雄である』とあります。ちなみに、坂東とは足柄峠と碓氷(うすい)峠の坂から東の地域、つまり関東地方の古称(こしょう)です。私の好きな平将門(たいらのまさかど)の心意気や時代小説「のぼうの城」の主人公成田長親(ながちか)が、忍城(おしじょう、埼玉県行田市)の開城を迫(せま)る石田三成の使者長束正家(なつかまさいえ)に放った、『戦いまする。坂東武者の槍の味、存分に味わわれよ』の台詞(せりふ)が思い浮かびました。
 
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足柄明神社の鳥居は平凡な明神(みょうじん)鳥居ですが、なぜか柱だけが朱(しゅ)に塗られています。鳥居の色は朱または白木のいずれかにすべて塗るはずですが・・。
 
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足柄城の明神曲輪(くるわ)空堀跡
 
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足柄明神の石祠(ほこら)は思ったよりも質素です。それは天慶3年(940年)に創建されたとされる足柄明神社が2度の遷座(せんざ、御神体を移すこと)を経て苅野に移転して足柄上郡18ケ村の鎮守(ちんじゅ)になりましたが、明治6年(1873年)に矢倉(現足柄)神社が足柄明神を祭神から消して日本武尊と入れ替えたことで、氏子(うじこ)から抜けた矢倉沢村の人々が足柄明神社を再建した経緯があるためでした。
 
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手作り感に溢(あふ)れる絵馬が多数掛けられています。
 
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ここからも足柄平野がよく見渡せます。
 
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足柄街道(県道78号)に戻ると、足柄明神社の案内看板の先に「竹之下合戦史跡」の標柱がありました。
 
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竹之下合戦の名称から何も思い浮かばない私は気になって調べることに。竹ノ下(たけのした)の戦いは南北朝時代の建武2年1335年)に足利尊氏(あしかがたかうじ)勢と箱根峠に陣を進めた新田義貞(にったよしさだ、正式名は源義貞)勢の別動隊(義貞の実弟脇谷義助の軍)の間で行われた合戦でした。後醍醐(ごだいご)天皇が建武(けんむ)政権に反旗を翻(ひるが)して鎌倉を占領した足利尊氏を討つため新田義貞を派遣しますが、それに失敗したことで建武政権が崩壊し、2人の天皇(つまり2つの朝廷)が並立する南北朝体制が始まる切っ掛けになった合戦でした。(続く)

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2013年10月14日 (月)

足柄街道を走る 夕日の滝

地蔵堂の前に戻ってその左脇を抜ける道に入りました。
 
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今回は通過しましたが、前回(2005年1月18日)立ち寄った金太郎の生家跡です。童謡で知られる金太郎は平安時代の侍、坂田公時(さかたのきんとき)の幼名とされます。丹波国大江山で鬼退治をした源頼光(みなもとのよりみつ)の家来で、四天王のひとりと言われています。ちなみに、その鬼たちの頭領(とうりょう)は酒呑童子(しゅてんどうじ)と呼ばれました。
 
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民家が点在する山間(やまあい)の細い道を進むと棚田が点在しています。
 
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前回は猪(いのしし)の毛皮が干(ほ)してあったのを思い出しました。そして強烈な獣臭(けものしゅう)も・・。
 
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地蔵堂から1kmほどで「夕日の滝バンガロー」に行き当たりました。
 
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その駐車場に車を停めて案内標識に従ってバンガローの外周を歩きました。通行止めになっていますが、金時山の登山道が右手に続きます。
 
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バンガロー・エリアを抜けると内川には朱色の橋が架かっています。
 
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記憶にありませんので8年前の写真を確認すると当時は木製の小さな橋でした。前回訪れたのは1月中旬であり、雪が積もる難儀(なんぎ)な道を滝壺(たきつぼ)まで歩いたことを思い出します。
 
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橋を渡った正面に金太郎の歌碑がありました。見たことがあるように思われましたが、念のために調べてみると、平成18年度(2006年度)に建てられたことが分かりました。私の記憶もあまり当(あ)てにならないようです。
 
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その隣には「見守り地蔵」が並んでいます。こちらも最近造られたものでしょう。
 
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「夕日の滝」への順路に飛び石が敷かれている様子は8年前とまったく同じです。古い橋の写真(3つ上)と見比べて見てください。
 
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もちろん、この木の根道も変わっていません。
 
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木立の間から「夕日の滝」が見えてきました。
 
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夕日の滝」の全景です。案内看板には『この滝は酒匂川(さかわがわ)の支流内川にかかっており高さ約23m、幅約5mです。夕日の滝という名称は、夕日に映えるその美しさからきているようですが、説によると毎年1月15日に太陽が滝口の中央に沈むのでその名が付けられたと伝えられています』と書かれています。
 
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望遠で撮影した滝口
 
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歩きにくい岩場を滝壺(たきつぼ)の近くまで降りて、滝壺を含めた「夕日の滝」の全景を撮影しました。
 
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こちらは8年前にほぼ同じ場所から撮影した写真です。冬場だったせいか滝口付近がすっきりしていました。
 
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橋まで戻った時、右奥に野外ステージのようなものがあることに気づきました。
 
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橋の上から「夕日の滝」がある内川の上流方向を眺(なが)めました。
 
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下流方向にはバンガロー(キャンプ場)の炊事場(すいじば)が見えます。
 
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駐車場まで戻って、次の目的地へ向かいました。(続く)

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2013年10月13日 (日)

足柄街道を走る 足柄古道と万葉うどん

走りなれた国道246号を西へ走りました。丹沢山塊(さんかい)の主峰である大山(おおやま、標高1252m)が近づくと厚木市に入ります。そして伊勢原市と秦野市を過ぎると丹沢山塊の縁(ふち、へり)に沿(そ)って少しずつ高度を上げて行きます。さらに大井町で国道246号から県道78号(足柄街道)へそれて南足柄市(みなみあしがらし)に入りました。竹松交差点では「金太郎のふる里」の大きな標識に乗る金太郎と熊が来訪者を出迎(でむか)えてくれます。
 
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竜福寺交差点を直進して県道723を南西へ進むと7年前の記事で紹介した大雄山最乗寺に至(いた)りますが、今回は右折して県道78号を西方へ走りました。
 
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南足柄市役所のある関本を通過すると足柄街道(あしがらかいどう)はしだいに市街地を抜けて行きます。
 
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足柄街道(あるいは足柄道)は箱根越えのルートができるまでは東海道の本道(江戸と沼津を結ぶ主要道路)で、江戸時代から大山詣(もうで)をする人々が利用したため大山街道(正式名称は矢倉沢往還)とも呼ばれました。矢倉沢往還(やぐらざわおうかん)のルートを踏襲(とうしゅう)する県道78号に沿って平安時代の足柄街道である足柄古道が残っているようです。ちなみに往還は主要な街道を意味しますが、矢倉沢往還は五街道ではありませんから、厳密にいえば脇往還(わきおうかん)です。

県道726号との交差点付近にあるという矢沢往還(東海道の脇街道)の矢倉沢関所(脇関所)跡に立ち寄ることにしました。交差点を左折して集落に入ると、2つの道X字型に接しています。谷側の道に「足柄道」の標識を見かけました。ちなみに、この近くには矢倉沢の地名と矢倉岳(標高870m)の名が残っています。
 
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民家越しに現代の東海道である東名高速道路を望むことができます。
 
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おおよその見当にしたがって左手方向へ緩(ゆる)やかな下り坂を100mほど歩くと、
 
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足柄道に沿った末光邸の門脇に矢倉沢関所跡の石碑と標柱がありました。
 
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足柄街道(県道726号)に戻って、さらに西進すると「足柄古道入口」バス停がありました。古道らしい細い道が上方に続いています。
 
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矢倉沢を過ぎて急なS字カーブを抜けると地蔵堂トンネルに入ります。内川に架かる橋の手前を左折すると足柄街道の旧道に入るようです。
 
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地蔵堂トンネルを抜けて小さな川を渡ったところを「夕日の滝」の案内標識に従って左折して集落に入ると地蔵堂の前(海抜415m)に出ました。
 
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この地蔵堂には神奈川県指定重要文化財である室町時代末期の作と伝えられる厨子(ずし)と南北朝から室町時代の作とされる木造地蔵菩薩立像があるそうです。
 
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地蔵堂の角を右に折れると、最初の目的地である「足柄古道 万葉うどん」に到着しました。ここにも「足柄道」の標識があります。
 
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8年半前の2005年1月に「夕日の滝」を見に訪れた時に立ち寄った店です。その時の写真で確認すると店舗の屋根は藁葺(わらぶ)きでしたが、現在はきれいに葺き変えられています。
 
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店内に入ると内装は以前のままのように思われます。
 
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テラス席も変わっていないようです。
 
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『毎月11日は「めんの日」で、うどんの大盛りサービスがある」と貼(は)り紙されています。残念なことに、この日は8日でした。尤(もっと)も、大盛りを食べ切る自信はありませんが・・。
 
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麺台(めんだい、うどんを打つ台)を見ることができます。
 
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私は今回もこの店いち押しの「スパイシー特製カレーうどん」(920円)を選びました。同行者に「とろろうどん」(720円)、「ざるうどん」(500円)、「きのこうどん」(870円)などを勧(すす)めたところ、おでん(130円/本)にするとのこと。同行者はおでんの定番である大根に加えて、ゆで玉子、こんにゃく、昆布巻きをセルフサービスで選びました。お裾分(すそわ)けにあずかった私は控(ひか)えめの味噌味でおいしく食べました。
 
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「カレーうどん」は合わせ味噌のようにも見えるカレーの大きな塊(かたまり)と刻(きざ)みネギがトッピングされており、「よくかき混ぜるように」とアドバイスされました。うどんのお替りは1杯100円ですから、もし足りなければ追加すればいいでしょう。
 
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同行者はちょっと味見をしただけでしたので、ピリ辛(から)の味噌味に食欲をそそわれた私がほとんどを食べる結果になりました。再訪する価値が十分ある美味(おい)しいうどんでした。(続く)

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2013年8月20日 (火)

30周年を迎えた東京ディズニーランド(第1回)

オチビちゃんとコチビちゃんたちが今回期待していることは何と言っても東京ディズニーランド行きです。両親はオチビちゃんが生まれる直前に訪れていますが、もちろん二人にはその記憶がありません。そこで、二人の両親の発案でチビスケくんとチビエちゃんの一家も誘って総勢10人でグループ旅行をすることになりました。

その東京ディズ二―ランドは今年4月に開園30周年を迎えたそうです。同居者は子供会の行事で開園した頃に訪れていますから、4人の幼い子供たちを別にすれば、東京ディズニーランドに始めて入園するのは私だけのようです。とは言っても、シルク・ドゥ・ソレイユの公演ZEDや周辺のオフィシャルホテルで開催された催し物に参加するため舞浜駅とモノレール「ディズニーリゾートライン」は何回か利用しています。それに、当ブログの8年前の記事に書いたようにカリフォルニア州(アナハイム)にあるディズニーランドとフロリダ州(オーランド)にあるディズニーワールドには20数年前に家族旅行で行ったことがあります。

2013_07290044 地元での盆踊りが終わった翌日(7月最後の月曜日)、2つのグループに分かれて湾岸道路を東に走りました。手前の都心環状線が混雑していたため私の車が10分ほど先行して到着。屋上駐車場に車を停めて入場ゲートへ向いました。
 

2013_07290048 東京ディズニー・リゾートを一周するモノレール「ディズニーリゾートライン」の下を潜(くぐ)り、東京ディズニーランドホテルの脇を通過します。このモノレールは東京ディズニーシーがオープンした2001年に開業した約17分で4駅を巡る環状線です。 
 

2013_07290047 この日は天気予報通りにあいにくの小雨模様です。入場チケット(ワンデイパスポート)は事前に購入してありましたから、チケット売り場に並ぶ必要はありません。
 
 
 

2013_07290050 スムーズにゲートを通過して人の流れに乗るようにワールドバザールへ向います。ワールドバザールはその名前の通りにヴィクトリア様式の建物が軒(のき)を連ねる古きよきアメリカの町並みが再現されて、20数軒のショップとレストランが入っています。
 

2013_07290051 1日中小雨が降る続きそうですからショップでレインコートを購入することにしました。用意の良いチビスケくんとチビエちゃんだけは自分のレインコートを持参していましたが、残りの8名も園内を身軽に移動するには持参した傘ではなくレインコートが必要でした。
 

2013_07290053 ウォルト・ディズニーとミッキー・マウスが並ぶ場所はシンデレラ城が展望できて人気のフォトスポットです。2人の名前の上にパートナーズ”(相棒)と表示されるこのブロンズ像はミッキー・マウス誕生65周年記念でアメリカのディズニーランドに置かれたものと同じものが1998年に開園15周年を記念して設置されたそうです。

2013_07290054 その左手にあるパークインフォメーションボードの近くでオチビちゃんとチビスケくんは何やら面白そうなものを発見しました。ミッキーの手のようです。
 
 
 

2013_07290059 コチビちゃんとチビエちゃんも参加
 
 
 
 
 

2013_07290060 右手方向へ歩いてトゥモローランドへ向いました。オトビちゃんがぜひ入場したいと言っていたバズ・ライトイヤー(映画「トイストーリー」の主人公格)のアストロブラスターがあるからです。しかし開園して20分が経過しており、アストロブラスターにはすでに長い行列が出来ていました。最後尾の係員が90分待ちと説明しています。

2013_07290065 入園したら直ちにファストパスの予約を行うべきでした。予約すれば人気アトラクションでも長い行列に並んで待つ必要がない便利な仕組みです。ただし2時間の間隔を空けないと次の予約ができませんからアトラクションや乗り物をうまくスケジューリングする必要があります。午後1時-2時のファストパスが手に入りました。

2013_07290066 チビスケくんのお母さんがアイフォーンで乗り物の待ち時間をチェックしてくれました。その情報を参考にして同じトゥもローランドにあるスタージェットへ向いました。
 
 
 

2013_07290068 雨の中で待つこと10数分でエレベーターに乗る順番が回ってきました。“GANTRY LIFTと日本人に馴染みのない言葉で表示されています。プチ薀蓄(うんちく)ですが、GANTRYとは鉄枠あるいは搭を意味し、LIFTがイギリス英語ではエレベーターのことを指します。
 

2013_07290070 前の組が飛行機に乗ると回転し始め、乗客はアップダウン用ボタンを使って高さを自由に調整できる仕組みがありました。
 
 
 

2013_07290071 GRAND CIRCUIT RACEWAY(グランド・サーキット・レースウェイ)は2人乗りのレーシングカーを運転して曲がりくねったコースに挑戦できるアトラクションです。年齢制限や身長制限はありません。
 
 

2013_07290072 4つのレーンに次々到着するレーシングカーに乗り込めばガソリンエンジンンの迫力ある爆音とともにレーシングカーは小気味よく走り始めました。オチビちゃんにはアクセルペダルが少し重すぎるようで時々アシストしましたがオチビチャンは最後までがんばって運転しました。
 

2013_07290067 隣のトゥーンタウン(漫画の町)にはミッキーとその仲間が住んでいます。ちなみに、tooncartoon(漫画・アニメ)の省略形です。とりあえず反時計方向に巡(めぐ)ることにしました。 
 
 

2013_07290077 最初にあるグーフィーのペイント&プレイハウスは長い待ち行列が出来ていて誘導係から60分待ちと伝えられたことでスルーすることに。
 
 
 

2013_07290079 こちらはトゥーンレイク(湖)に浮かぶドナルドのボートです。小さな子供が内部やデッキを探検できる構造になっていました。残念ながらここではドナルドに会うことは出来ません。   
 
 

2013_07290078 船首にはドナルドが確認できます。参考情報ですが、今回使用したデジカメは引き出しの中で眠っていたFinePix F30です。この1年間余り愛用してきたFinePix F770EXR横浜中華街の記事で触れたように故障したままなのです。(続く)

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2013年7月 3日 (水)

続・奥の細道疑紀行(最終回) 割烹温泉「上越の湯」

直江津の宿を出立(しゅったつ)した芭蕉は高田に2泊したあと直江津に戻って五智国分寺居多(こた)神社に参拝し、そして日本海沿いに歩いて名立(なだち)を経て富山県境に近い糸魚川(いといがわ)へ向いました。一方、私たちの「奥の細道」を辿(たど)る今回のドライブ旅は上越市が終着点です。上信越自動車道の上越高田ICに入って約300km走れば自宅に帰着できますが、長旅の疲れを癒(いや)すため芭蕉のルートに倣(なら)って直江津方面に戻ることにしました。

2013_05010661 国道18号(上新バイパス)に入って北陸自動車道の上越ICにほど近い割烹(かっぽう)温泉「上越の湯」に到着しました。バイパス道路が開通した田園地帯に平成6年(1994年)11月にオープンした大規模複合施設「上越ウイング・マーケットセンター」(45,000坪の土地面積と11000坪の売り場面積)の一角にありました。 

2013_05010665 2011年2月に経営が変わって再オープンした日帰り温泉「上越の湯」は24時間・年中無休営業で、平日料金の大人600円(3時間利用は300円)には岩盤浴の利用も含まれています。なお、館内着・タオルセットは別料金(500円)や宿泊パック(朝食付き)は平日料金が3500円のようです。 

2013_05010666 脱衣場には大型のロッカーが並んでいて使いやすい。
 
 
 
 
 

浴室に入ると薄暗い照明に大浴場・ジャグジー・寝風呂・露天風呂・座り湯など多彩な浴槽が並んでいて、温泉を楽しむためには良いのですが、インテリアデザインがいまひとつで楽しさは中位(ちゅうくらい)です。東屋(あずまや)がある露天風呂は壁際にあるため窮屈(きゅうくつ)に感じました。しかし、高温サウナ・低温備長炭(びんちょうたん)サウナ・ブラックシリカ岩盤浴の3種類がありサウナ好きに向いています。

淡黄緑色(透明)である温泉の泉質はナトリウム-塩化物・炭酸水素温泉(低拡張アルカリ性低温水)で、25.3度の源泉が約42度に加温されています。弱アルカリ性ですから肌に柔らかい湯でした。

2013_05010664 窓がないため全体的に薄暗く、広いロビーにはリラクゼーション、韓国式あかすりエステ、韓流ほぐし処など各種のボディケアのサービスに加えて、食事処が3か所もあることで「割烹温泉」と珍しい呼び方をしているのでしょう。私にはスーパー銭湯というよりも昔のヘルスセンターの趣(おもむき)が感じられました。

なかでも珍しいと思ったのは個室レンタルルーム(料金は800円/時間)が50室ほど並んでいたことです。テレビや寝具なども備えられていて休憩だけでなく宿泊にも利用できるようです。

2013_05010663 フロント脇の広い休憩コーナーで30分ほど身体のほてりを冷ましました。フードコーナーもあってのんびりできる場所です。休憩だけであればリクライニングシートがあるリラックス室、またはごろ寝コーナーが良いでしょう。   
 
 

2013_05010667 「上越の湯」の建物を出た同行者は車に戻る途中に犬を見つけて駆(か)け寄りました。 
 
 
 
 

2013_05010671 「湯~太郎」という名の犬でした。
 
 
 
 
 

2013_05010668 金網で囲まれた犬小屋は細長くて、「湯~太郎」は人影を見ると短距離ダッシュのように犬小屋内を往復しています。よくみるとパットゴルフ場であった施設を犬小屋に流用しているようです。 
 
 

2013_05010675 雨はほぼ止(や)んだようですから出発することにします。上越ICから北陸自動車道に入りました。約4km先にある上越JCTで上信越自動車道にそれました。直進すると芭蕉が向かった名立・富山方面です。
 
 

2013_05010680 山間(やまあい)に入った上信越自動車は上越高田ICを通過し、妙高(みょうこう)高原を越えると、信州中野IC(147km付近)に差し掛かりました。3年半前に北信濃のドライブ旅をした時に利用したICです。先ほどまでの曇天はすっかり青空に変わっていました。   
 

2013_05010683_3須坂長野東ICを過ぎた長い下り坂を走りながら信州の景色を楽しみました。
 
 
 
 

2013_05010684 「131.1kmポスト」の電光表示板には都内で10kmの渋滞が発生したことを表示されています。
 
 
 
 

2013_05010685 長野ICを通過します。北信濃のドライブ旅で帰路に着いた時を思い出しました。
 
 
 
 

2013_05010686 更埴(こうしょく)JCTで上信越自動車道は左にカーブします。夕日がまぶしく逆光写真になってしまいました。
 
 
 
 

2013_05010689 坂城(さかき)ICに差し掛かると日がかなり傾いてきたことが分かります。
 
 
 
 

2013_05010690 上田菅平ICも順調に通過。3年前に日本ロマンチック街道をドライブした時にこの近くを通過しています。 
 
 
 
 

2013_05010692 東部湯の丸ICを過ぎた場所からみる雲は赤く染まっています。
 
 
 
 

2013_05010698 佐久小諸JCTに差し掛かりました。ここは直進します。ちなみに、中部横断自動車道はまだ一部区間しか開通していませんが、将来は新東名高速道路の新清水JCTまで伸びるそうです。 
 
 

八風山トンネルで長野県と群馬県の県境を越えると日がとっぷり暮れていましたので、写真撮影は止めて、運転に専念することにしました。急な下り坂を一気に走って松井田妙義IC・下仁田IC・富岡IC・吉井ICを通過すると上信越自動車道の東端に位置する藤岡PAに到着。このPAには藤岡ICとハイウェイオアシスららん藤岡(道の駅ふじおか)が併設されていて、関越自動車道に入る藤岡JCTは目と鼻の先ですから、ここで休憩を兼ねた夕食にすることにしました。長い導入路は伊勢湾岸道路の刈谷ハイウェイオアシスと似ています。

到着したのが午後7時を少し回ったところで、ほとんどの店が閉まっていました。やっと見つけた派手な外装の「東京とんこつラーメン翔(しょう)」に恐(おそ)る恐る入りました。トンコツ・味噌・醤油の3種あるなかから同行者の意見をいれて味噌ねぎらーめん(780円)と焼きギョーザ(330円)を注文しました。

2013_05010703 味噌ねぎらーめんは中太縮れ麺に、チャーシュー、メンマ、ネギ、海苔(のり)がトッピングされています。スープはしつこさのない豚骨ベースで、チャーシューは柔らかく美味しいのは良いのですが、麺が柔らかくてスープの味も店構えの割には平凡でした。店名に「東京」とあるのは江戸味噌を使っているからなのでしょう。 

2013_05010704 焼きギョーザは小振りですが、その味はまずまずでした。つまり、飛び込みで入ったラーメン店としてはいずれのメニューも及第点(きゅうだいてん)だったと思います。 
 
 
 

藤岡JCTから走りなれた関越自動車道に入ると、所々で車の輻輳(ふくそう)はありましたが、終点の練馬ICまでほぼ順調に走行できました。しかし、環状8号は夜半になっても混んでいて・・。それはさておき、山形県・秋田県(南端)・新潟県を巡(めぐ)る今回のドライブ旅は、下調べを十分行ったことで、予定したスポットをほぼ計画通りに回ることができました。ちなみに、総走行距離は約1380km、平均燃費は23.0km/リットルでした。

<同行者のコメント> 高田を訪れるとは知りませんでした。昼食を食べた藤作のご主人に高田の見どころを説明していただいたことで、高田バテンレースの店に寄ることができたのはとてもうれしかったです。でも、旦那様に誘われるまま春日山城の本丸跡と天守閣跡まで登ったところ、思いのほか大変な山登りですごく疲れましたが、最後に温泉へゆっくり入ったことで生き返りました。

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2013年7月 1日 (月)

続・奥の細道疑紀行 上越市高田(前編)

2013_05010608 雨が降る県道63号を高田地区へ向いました。
 
 
 
 
 

2013_05010610 高田地区の中心部にある会席料理「藤作(とうさく) 別館」で昼食を摂(と)ることにしました。本町通り(県道198号)には駐車できませんので、裏通りにあるコインパーキングに車を停めて裏口から店内に入ります。
 
 

2013_05010612 かなり狭い(正に鰻の寝床のような)通路を入ると半個室へ案内されました。ランチメニューから同行者は若葉弁当(1500円)、私は心積もりしていた「藤作ランチ」(1000円)を注文しました。待つことしばしで、私に玉子豆腐とキンピラゴボウが配膳(はいぜん)されました。茶碗蒸(ちゃわんむ)しみたいに柔らかい豆腐です。 

2013_05010613 次いで焼き魚、玉子焼き、メロンの小片、肉料理などが。
 
 
 
 
 

2013_05010614 同行者には幕の内弁当のような重箱が置かれました。玉子豆腐、刺身、テンプラ、サザエのつぼ焼き、焼き魚、玉子焼き、サヤエンドウ、高野豆腐などと多彩で女性好みのメニューです。それにご飯と味噌汁も付いています。
 
 

2013_05010615 私に刺身の入った器(うつわ)が配膳されたところで何かが変であることに気づきました。同行者と私の注文が逆に受け取られたようです。
 
 
 

2013_05010616 ご飯と味噌汁まで揃(そろ)いましたから、今さら交換する訳にも行きません。私が「逆に配膳されたみたいだね」と言うと、同行者は「そうなのよ。私の料理はみんな量が少ないから変だと思ったわ」と口を尖(と)がらせます。
 
 

2013_05010617 私は食後のコーヒーを飲むことで嵐が過ぎ去るのを待ちました。時間が経つと同行者は料理に納得したようで会計する時に「美味しかったですよ」と言っています。それが契機となって、ご主人と思われる男性が高田の町について詳しく説明してくださいました。 
 

2013_05010620 これが本町通りから見た「藤作 別館」の表玄関です。
 
 
 
 
 

2013_05010619 本町通りに出ると現代の雁木(がんぎ)が続いていました。日本で降雪量が一番多い高田に雁木があることを小学校の社会科で習った記憶があります。「2014年高田開府400年雁木・町家・雪日記」の旗が多数吊(つ)り下げられています。家康の六男・松平忠輝の居城・高田城が築城されて来年が400年目に当るのでしょう。 

2013_05010622 雁木は雨避(あまよ)けにもなりますから車の中に置いたままの雨傘を取りに戻る必要はありません。藤作のご主人から教えられた高田小町にまず立ち寄りました。有力な商家の町屋跡を修復してコミュニティプラザとして利用されているそうです。 
 

2013_05010623 その内部です。土間に足踏み式ミシンが置かれています。右手奥にあるのは蓄音機のようです。
 
 
 
 

2013_05010625 昔懐かしい雪の風景写真です。ちなみ、左は雪で作られた雁木間をつなぐ大きなトンネル、右は昔の雁木(がんぎ)。後者は昭和41年と表示されていますから、ちょうど半世紀前の写真です。
 
 

2013_05010626 内庭には石灯籠と並んで井戸用手押しポンプがあります。 
 
 
 
 

2013_05010627 蔵のギャラリー
 
   
 
 
 

2013_05010628 高い天井にある明かり取り
 
 
 
 
 

2013_05010629 2階からみた土間と囲炉裏(いろり)
 
 
 
 
 

2013_05010631 下小町の辻標には『本町通りは上小町・中小町・下小町の三小町に分かれていた。この下小町には最盛期には旅籠が30軒もあった』と説明されています。
 
 
 

2013_05010633 昔風の雁木も残っています。
 
 
 
 
 

2013_05010632 現役では日本一古いとも言われる映画館「高田世界館」にも立ち寄ってみました。大正5年に常設映画館としてオープンしたそうです。
 
 
 

2013_05010634 「ほかいびと 伊奈の井月」(北村皆雄監督)と題した映画が翌日の5月2日まで5日間上映されているようです。『芥川龍之介に見出され、山頭火に慕われ、つげ義春が漫画に描いた乞食俳人井月(せいげつ)』の文字が見えます。小説家の芥川龍之介と俳人の種田山頭火の名前は知っていますが井月なる人物はさっぱり分かりません。 

調べると、つげ義春の「無能の人」の最後の「蒸発」に登場する俳人の井上井月を描いた映画で、出身地の長岡市、晩年を過ごした恵那市とこの上越市などで上映されているようです。そして、『井上井月は文政5年(1822年)に越後長岡藩士の子として生まれ、勝造または勝之進と称したといわれる。いかなる契機で俳人となったか明らかでないが井月と号した人物』であることを知りました。
 

『長岡を出た井月は、嘉永5年善光寺に来り、伊那へ来たのは安政5年頃であったという。伊那谷にあること30余年、明治20年3月10日上伊那郡美篶村末広太田窪(現在の伊那市美篶末広)の塩原折治(俳号梅関)方で眠るように漂泊詩人井月は往生を遂げた』そうです。ちなみに、「ほかいびと」とは村々を訪ねて人々に「ほかい」(寿ぎ、祝い言)の言葉を唱えて歩くことを生業(なりわい、職業)とした人のことを指(さ)すそうです。(続く)

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2013年6月24日 (月)

続・奥の細道疑紀行 上越市直江津

2013_05010550 佐渡行きフェリー乗り場である佐渡汽船のターミナルビルに立ち寄りました。佐渡汽船は新潟港と寺泊港およびこの直江津から佐渡行きの定期船を運行している会社です。ちなみに、新潟港-両津港間だけで運行されるジェットフォイルは水中翼(フォイル)とウォータージェットを組み合わせて時速80kmで高速走行できる船です。

2013_05010551 直江津(なおえつ)港は新潟港や酒田港と同様に北前船で栄えた港町ですが、現在はいずれも地理的な利点を活かしてロシアや韓国との貿易港になっているようです。
   
 
 

2013_05010552 県道468号を西へと走って到着した五智国分寺は芭蕉も立ち寄った名刹(めいさつ)です。名前にあるように越後国分寺の寺籍を継ぐとされる寺で、上杉謙信によって再興されたと伝えられるようです。
 
 

2013_05010553 直江津の史跡を巡る「心のふるさと道」の案内看板を見て次の目的地を確認
 
 
 
 

2013_05010554_2 安国山の山号が寺額に大きく書かれた山門(仁王門)
 

 
 
 
 

2013_05010555 山門を潜(くぐ)って参道を歩くと左手に芭蕉句碑『薬欄にいづれの花を くさ枕』がありました。 芭蕉が高田を訪れた時に詠(よ)んだ句と説明されています。
   
 
 
 

2013_05010556 歌碑のようですが読めません。
   
 
 
 
 

2013_05010557平成9年(1997年)に鎌倉時代の本堂をモデルとして建て直された本堂は新しく感じられます。ちなみに、本尊は大日如来(国の重要文化財)を中心に、阿弥陀如来、薬師如来、宝生如来、釈迦如来を含む五智如来(ごちにょらい)は密教の金剛界五仏のことで、京都の東寺(教王護国寺)講堂にも安置されています。 

2013_05010558撫で佛(なでぶつ)の「びんづる(賓頭盧)尊者」は釈迦(しゃか)の弟子で、十六羅漢(らかん)の筆頭と伝えられます。長野の善光寺でたっぷり撫(な)でましたから、ここではお参りするだけにしました。
 
 

2013_05010559慶応元年(1865年)に上棟(じょうとう)された三重搭は県指定有形文化財です。
 
 
 
 

2013_05010560 アングルを変えてもう一枚
 
 
 
 
 

2013_05010561 JR直江津駅(北口)はモダンなデザインですが、以前の山小屋風駅舎に比べると味気ないと思います。ちなみに、この駅はJR東日本とJR西日本の境界駅です。 
 
 
 

余談です。直江津の地名は直江荘と呼ばれた荘園に造られた港(津)を意味しますが、直江の由来は真っ直ぐな海岸線やアイヌ語(海と河口の間にある集落)がなまったなど諸説があって定かではないようです。また直江といえば直江兼続(かねつぐ)が思い浮かびますが、兼続はこの地に所領を持っていた豪族直江家の婿養子(むこようし)になったことで直江姓になっています。そして直江津は有名な説話「山椒大夫(さんしょうだゆう)」、つまり童話「安寿と厨子王(ずしおう)」の舞台として、後鳥羽上皇の怒りを買った浄土宗開祖法然(ほうねん)上人の弟子であった親鸞(しんらん)が流された場所としても知られます。

2013_05010562 直江津駅の周辺で芭蕉が宿泊した旅籠(はたご)古川屋を探しましたが見かりません。あれこれ調べた結果、このコインパーキングが古川屋の跡地であることが分かりました。300年以上の歴史がある古川屋は昨年1月に廃業したことで建物が取り壊されたようです。
 

2013_05010563 芭蕉はここで『文月や 六日も常の 夜には似ず』の句を読んだと伝えられます。その前にある道路を見ながら当時の北国街道の宿場周辺を想像してみました。
 
 
 

2013_05010564 県道185号を南下した直江津の郊外にある春日神社に立ち寄りました。
 
 
 
 

2013_05010565春日山城の名前の由来と なった「春日神社」は天徳2年(958年)に春日山の山頂に創建され、永徳1年(1381年)に春日山城の築城に際して現在の地に移築されたそうです。 
 
 

2013_05010566 石の鳥居の先に伸びる参道は急な石段となって拝殿へと続いていました。藤原北家の流れを汲(く)む上杉氏の家督(かとく)を継(つ)いだ長尾景虎(かげとら、後の上杉謙信)は、武神・毘沙門天(びしゃもんてん)の熱心な信仰家であり、藤原氏の氏神にあたる春日神社に厚い信仰を寄せたと伝えられています。

2013_05010567春日神社を過ぎると県道180号は山間(やまあい)に入って行きます。長かったドライブ旅もいよいよ終盤に差し掛かりましたので4回目の小休止を取ることにします。
 
 
 

<同行者のコメント>初めて訪れた新潟市は思っていたよりも大きな都市でした。それにしても、芭蕉は日本海の海岸線にそってずいぶん歩いたものだと感心します。上越市のホテルは静かな松林の中にあって温泉をたっぷり楽しむことができましたが、新発田市でチャーシューが一杯入ったラーメンを無理して食べたため、夕食に出された海鮮料理を食べるのが大変でした。(続く)

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