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2013年11月24日 (日)

古代日本への旅 森将軍塚古墳を探訪(その1)

上越新幹線上田駅で「しなの鉄道」に乗り換えて6駅目の屋代(やしろ)駅で下車しました。所用で長野方面を訪れた機会を利用して以前から関心を持っていた古墳を訪ねることにしたのです。千曲(ちくま)市循環バス(東部線)を利用してその古墳がある科野の里歴史公園へ向かうことも考えましたが、本数が少ないことから約1.5kmの距離を歩くことにしました。ちなみに、千曲市内を散策する方は駅のレンタサイクル(料金は2時間500円)を利用しても良いでしょう。
 
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屋代駅から逆コの字型のルートを20分ほど歩き、科野(しなの、信濃の古い呼び名)の里ふれあい公園を通過すると、午前9時20分頃に千曲市森将軍塚古墳館に到着しました。小高い場所に森将軍塚古墳と思われるものがはっきり見えます。
 
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森将軍塚古墳は古墳時代(4世紀)に築かれた前方後円墳で、信州の当時の呼び名「科野(しなの)の国」の大王の墓とされます。森将軍塚古墳は「森」(地名)にある「偉い人」(将軍)のお墓という意味だそうです。ちなみに、現在も森の地名が屋代駅から千曲駅にかけての地域に残っています。古墳館に隣接して長野県立歴史館があり、有明山の古墳群を合わせて「科野の里歴史公園」を構成しています。
 

入り口脇の壁にはイギリスのストーン・ヘンジ(環状列石)やメキシコのテオティワカン(太陽のピラミッド)など世界の巨大遺跡のパネルが並んでいます。午前9時に開館していますが他に来訪者はなく、受付の女性が親切に説明してくれました。入館料200円、古墳見学バスとの共通券は500円であるとのこと。古墳を見に来た私はもちろん後者のチケットを券売機で購入しました。古墳館と古墳見学のどちらを先にするかとの質問に、私は「小雨が本格的な雨にならないうちに古墳を見たい」と答えると、バスの手配をしてくれて置き傘を使うことも勧められました。
 
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入口付近に停まっていた見学バス(マイクロバス)に運転手さんが乗り込むと私一人を乗せて急な坂を登り始めました。曲がりくねった山道が続きますから、徒歩で登るのは大変そうです。5分もしないうちに有明山の中腹にある森将軍塚古墳の降車場に到着しました。
 
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「何分後に迎えにくれば良いか」との質問に私が、「有明山将軍塚古墳にも行って見たいから1時間後にお願いします」と答えると、さらに上にある車返しまでマイクロバスに乗車することを勧められました。
 
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案内標識にしたがって獣道(けものみち)のような尾根道を登ると50mほど高い場所に「有明山山頂0.6km、15分」の標識とともに有明山将軍塚古墳の案内板が立っていました。
 
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有明山将軍塚古墳は石棺(せきかん)などが埋め戻されたため、現在は内部を見ることができません。『全長33m(36.5m)、後円部は径17m(30m)、高さ2.5m(7m)、前方部は幅10m、長さ16.5m、高さ1mとされ、6世紀代の築造と考えられる』と説明されています。ちなみに、( )内は1999年に行われた最新の範囲確認調査の結果です。
 
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前方後円墳の形は崩れていて、2つの小山が何とか確認できるだけです。前方部と思われる場所まで歩いて振り返りましたが、残念ながらはっきりとした形状を見ることはできません。
 
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車返しまで戻る途中にマイクロバスの乗り場が眼下に確認できました。
 
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そして、尾根伝いの小径をさらに降りると左手の木立の間から森将軍塚古墳が見えてきました。
 
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林を出ると巨大な古墳が目の前に広がりました。長野県最大の前方後円墳(墳丘の全長が100m)であるこの森将軍塚古墳は復元されて一般公開されているのです。長野県における前方後円墳としては最初期にあたる古墳時代前期(4世紀末)に造られ、信濃国の前身・科野(しなの)の首長の墳墓と目される。昭和46年(1971年)に国の史跡に指定され、昭和56年(1981年)から平成4年(1992年)までの11年をかけて葺石(ふきいし)を貼(は)るなどして築造当時の姿に復元されたそうです。神戸市垂水区の五色塚古墳と雰囲気がよく似ています。
 
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千曲市内にある他の古墳と併せて埴科古墳群(はにしなこふんぐん)とも呼ばれているそうです。
 
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曲がった尾根上に築造されたことによって左右対称ではなく、後円部が楕円形に近いのです。古墳ができた時の様子を推定してきれいに復元されており、墳丘(ふんきゅう)は葺石(ふきいし)で覆(おお)われ、三重の埴輪列のほか、墳頂(ふんちょう)には形象埴輪(けいしょうはにわ)が配されていました。平野部から130-140mの高さにある狭隘(きょうあい)で急斜面の有明山尾根上にあるため、後円部は楕円のようになり、前方部と後円部では中軸線が20度ばかり違っているのが大きな特徴です。
 
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展望台から見た森将軍塚古墳です。前方部にはパワーショベルがあって左半分のエリアで何かの工事が行われているようです。
 
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右手にある階段を下りることにします。
 
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前方部に置かれた埴輪(はにわ)をズームアップすると、何種類か異なる形状のあることがはっきり見てとれます。
 
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前方部の側面に出ました。葺石(ふきいし)の様子がはっきり分かります。上方は傾斜がゆるくなっているようです。
 
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森将軍塚古墳の埴輪(はにわ)には朝顔形、壺(つぼ)形、家形、円筒(えんとう)など儀礼的なものを型どった埴輪がたくさん立て並べられており、埴輪棺(はにわかん、5世紀時代のお墓)も12基出土したと説明されています。
 
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これがその埴輪棺のようですがレプリカでしょう。
 
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後円部は一段と高くなっています。
 
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(続く)

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