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2013年12月

2013年12月31日 (火)

珠玉のクロアチア旅行(その10) ドゥブロヴニクの旧市街Ⅱ

ドゥブロヴニクの旧市街は東西が約500m、南北が約600mで、楕円形に近い城壁に囲まれていますから、縦横(気まま)に歩き回ってもそれほど時間がかかりません。歩いた順路をそのままなぞると分かり難くなると思いますから、西側から東側の順に説明することにします。

プラツァ通りを挟んで大噴水の反対()側にあるフランシスコ会修道院は外からは窺(うかが)い知れませんが美しい中庭と博物館などもあるようですから入ってみることにしました。路地のような通路の奥に博物館の入口がありました。入館料は大人30クーナ(約500円)です。
 
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入口の上(アーチ部)にある紋章が目に入りました。調べると左上に見える十字架の前で交差する腕はフランシスコ会の会章で、右下の十字を組み合わせたものはエルサレム十字(十字軍がエルサレムに赴いた際に用いた紋章)のようです。
 
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13世紀から続くとされる歴史の長い(ヨーロッパで3番目に古い)薬局「マラ・ブラッチャ(Mala Braca)」内は撮影禁止でした。入口のガラス窓に描かれた蛇は平和と医療を象徴する「カデューシアスの杖」(世界保健機構のマークにも使われる)に似ていますが、この場合は杖ではなくて盃(さかずき)のように見えます。これも調べると、ギリシャの薬局でも同じ蛇と薬盃の組み合わせが用いられているそうです。同行者は「あとでもう一回来たい」と念を押します。人気があるゴールドクリーム(Gold Krema)などを買いたいのだそうです。ちなみに、ハーブの香がするオーガニック保湿クリームは57クーナ(約1000円)のようです。
 
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二重柱が中庭を取り囲む美しい回廊(ロマネスク・ゴシック様式)にはスプリットのディオクレティアヌス宮殿の地下室と同様に交差ヴォールト(アーチが交差する構造)が採用されています。
 
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現地のガイドさんが俯瞰図(ふかんず)を使って旧市街を説明してくれました。
 
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フランシスコ(フランチェスコ)会の創設者として知られるイタリアのカトリック修道士、聖フランニョ(フランツ)の生涯がアーチの半円形部にフレスコ画で描かれていました。終戦直後に生まれた私はフレスコ画から帝銀事件(1948年)を連想してしまいます。
 
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回廊の丸窓から鐘楼の上部が見えます。博物館内は残念ながら撮影禁止でした。
 
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プラツァ通りを東へ歩きます。前方に見える尖塔(せんとう)はルジャ広場にある時計塔です。
 
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300mほど歩くとルジャ広場に行き当たりました。正面にモダンな印象がある時計搭(1444年建造)が聳(そび)えています。左手に少し見えるのは元税関・保税倉庫であったスポンザ宮殿です。
 
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右手にある18世紀に建てられたバロック様式の聖ヴラホ教会はドゥブロヴニクの守護聖人、聖ヴラホを祀(まつ)る教会です。ファサードの中央上で聖ヴラホの像が町を見守っていました。
 
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教会前のルジャ広場に立っているのは中世の伝説の騎士「ローランド」のレリーフを配した石柱です。ローランドはフランク王国(現在のフランス)がイスラム帝国(サラセン)に占領されていたイベリア半島を奪還(だっかん)しようとした戦い「レコンキスタ」の初期に活躍した人物で、キリスト教世界では自由の象徴とされます。そして、彼の右手の肘(ひじ)から手首までの長さ(51.2cm)が布などの商取引に使われていたそうです。
 
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台座にその長さが示されていました。
 
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ルジャ広場を右手に折れると旧造船所(現在はレストランのタベルナ・アルセナル)と旧総督邸(現在は文化歴史博物館)が並んでいました。左端の建物(本警備隊)の壁龕(壁のくぼみ)には美しい「オノフリオの小噴水」が見えます。こちらの噴水は8角形をした水槽(お椀型)の各面に飾られた顔の彫刻から水が出るようです。
 
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旧総督邸は中世のドゥブロヴニクにあったラグーザ共和国の総督が住んでいた邸宅です。ラグーサ共和国は、イタリアのアマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネチアなどと共に5つの海洋共和国に数えられ、15世紀から16世紀にかけてに発展した都市共和国でしたが、ナポレオンに征服されたのちにオーストリア帝国に併合されました。「オパティアの朝」の記事でその後の経緯に触れています。
 
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その先には大聖堂(カテドラル)がありました。12-14世紀に建てられたこの大聖堂は1667年の大地震で倒壊し、18世紀になって再建されたバロック様式の建物です。
 
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大聖堂の裏手にあるグンドゥリチ広場で開かれている青果市場は土産物やお菓子類を売る露店で賑(にぎ)わっています。広場を見下ろすのはクロアチアの詩人イヴァン・グンドリッチ像(1892年)です。
 
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同行者は興味津々でこんなお菓子を買いました。味見をすると見た目通りにやや甘めです。
 
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ルジャ広場へ戻る途中、正面のスポンザ宮殿とスルジ山、右手の時計搭・旧総督邸、左手の聖ヴラホ教会をまとめて撮影しました。スポンザ宮殿の上部にも守護聖人ヴラホの像が見えます。
 
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(続く)

2013年12月30日 (月)

珠玉のクロアチア旅行(その10) ドゥブロヴニクの旧市街Ⅰ

ホテルを出発して旧市街へ向いました。丘の高みを越えると昨夕バスが渡った吊(つ)り橋が見えてきました。巨大な客船が何艘(そう)も停泊しています。
 
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細い道を抜けて旧市街の入口付近に到着。この一帯に旧市街を訪れる人たちが利用するバス停が並んでいます。
 
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旧市街の西側にあるピレ門の前(石像の噴水がある)は観光客で混雑しています。
 
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バスが来た方向を振り返ると旧市街の北端にあるミンチェタ要塞(写真右端)があり、後方の山がホテルからも見たスルジ山があります。朝食後にホテルの敷地内を散策した時には青空に映(は)えていたスルジ山に曇が迫っていることが少し気掛かりです。
 
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昔は跳(は)ね橋であった石橋を渡った先にあるのが旧市街へのメインゲートであるピレ門
 
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上部にはドゥブロヴニクの守護神である聖ヴラホのレリーフがあります。
 
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ピレ門を潜(くぐ)った先の壁にあるのも聖ヴラホでしょう。
 
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順路にしたがって左手のスロープを下ります。
  
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振り返って見たピレ門
 
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ドゥボルヴニク旧市街の地図(現在地は②)
 
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その右側にある地図には内戦で破壊された建物が表示されています。▲印は直撃弾で屋根が破壊された家、赤い長方形は全焼した家屋、△印は榴散弾(りゅうさんだん、多数の散弾を内蔵する砲弾)で被害を受けた屋根、●印は路上への直撃弾を示しています。旧市街のほとんど全エリアが戦災に遭(あ)ったことが分かります。
 
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城壁の上にクロアチアの国旗がたなびいています。
 
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小さな門を抜けて「アドリア海の真珠」と呼ばれる旧市街に入ります。
 
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旧市街にはメインストリートであるプラツァ通りが長く伸びています。右手にできている人だかりの中心では黒いベレー帽をかぶった男性が Souvenir Hearts of Dubrovnik for Luck and Loveと表示された赤いハート型の看板を示しながら小さなハート型ペンダントを売っていました。
 
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その横にある円柱状の施設は1438年に設置されたオノフリオの大噴水。12km先の水源から引かれた水が16面に取り付けられた顔のレリーフの口から噴出す仕組みだそうです。
   
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レリーフのひとつに近づいて撮影。残念なことに、この時は水が出ていませんでした。
 
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左手の聖救世主教会の脇にある階段で城壁の上に出られるようです。
 
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階段の最上部をズームアップするとスルジ山に上るロープウェイと山頂の十字架が見えました。
 
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かなりの高さがある城壁の上を歩いている人が見えます。
 
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(続く)

2013年12月29日 (日)

珠玉のクロアチア旅行(その9) ドゥブロヴニクの朝

翌朝は少し寝坊したため起床した時には午前6時を少し回っていました。午前7時からカフェテリアで利用できる朝食まで時間がありませんので、朝の散歩は朝食後にして15分ほど前に地階のカフェテリアに下りました。誰もいないため広いロビーを散策しているうちに人の列がカフェテリアの入口に出来ていて、その人数が多くなったためなのか5分ほど前にカフェテリアがオープンしました。

朝食のバイキングで私はちょっと欲張りすぎてしまいました。
 
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同行者はと見るとずいぶん控(ひか)えめな内容で・・。
 
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朝食に満足したあとは庭に出てみることに。カフェテリアの横にテラス席への出口があります。
 
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テラス席脇を抜けると予想したように庭へ下りる階段がありました。海に浮かぶ右手の島はコロチェップ島Kolocep Island)、中央の白い建物は海岸沿いのバラマール ドゥブロヴニク プレジデント ホテル(Valamar Dubrovnik President Hotel)のようです。
 
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振り返って見たヴァラマールラクロマリゾートの建物(中央部)。客室の多くは二手に枝分かれて右手に伸びるエリアです。
 
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右手の植え込みの先にオレンジ色の屋根が印象的なリゾートホテルが見えます。
 
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朝日を受けたプールがアドリア海と同じマリンブルーに輝き始めました。
 
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左手の岩礁(がんしょう)にある建物が気になってズームアップ
 
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テラスの先端部からもう一度見た右手方向。遠くに見える海岸沿いある国道8号で昨夜ドゥブロヴニクに入ったのです。
 
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階段を下りるとヴァラマールラクロマリゾートは巨大なコンクリートの塊(かたまり)に見えます。
 
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庭の散策路に案内地図がありました。白い建物はやはりバラマールドゥブロヴニク プレジデント ホテル、右手にあるのはアーゴシーホテル(Argosy Hotel)とティレナホテル(Tirena Hotel)でした。
 
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晩秋ですが手入れがされているために色とりどりの美しい花が咲いています。
 
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ブルーベリーの実が熟しています。クロアチアではブルーベリー、ラズベリー、ブラックベリーなどベリー系フルーツをジュースにしたり、サラダに入れたり、リキュールにしたりと様々な方法で楽しむようです。
 
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赤と白の花も
 
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ラベンダーの清楚(せいそ)な花です。クロアチアではスプリットに近いフヴァル島が有名のようです。
 
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宿泊棟から見たスルジ山(左手前)。旧市街はその右手前にあるはずです。ちなみに、後方の山並みは隣国ボスニア・ヘルツェゴヴィナとの国境です。
 
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昨日到着した時には暗くてよく分からなかったホテルの正面(ファサード)と車寄せです。
 
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少し離れるとファサードにまた違った雰囲気が感じられます。
 
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(続く)

2013年12月28日 (土)

珠玉のクロアチア旅行(その8) スプリットからドゥブロヴニクへ

スプリットを出発して南東方向に約230km離れたドブロヴニクへ向いました。ドゥブロヴニクの旧市街(世界遺産)は今回の旅行における最大のハイライトです。
 
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国道8号は海岸線に出ると陽光に照らされたアドリア海が輝いています。それと向かい合うようにダルマチアらしい岩山が続いています。余談ですが、ディズニーが半世紀前に製作したア二メ映画「101匹わんちゃん(1961年)に登場した白地に黒い斑点(はんてん)があるダルメシアン犬はこのダルマチア地方原産とされます。
 
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国道8号は地中海沿岸らしい美しい住宅の中を抜けて行きます。
 
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岩山の山麓が急傾斜で海に沈みこむダルマチア式海岸のカーブに沿ってずっと続いています。
 
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紺碧(こんぺき)のアドリア海にクルーザーが描く白波の軌跡が美しいコントラストを織りなしています。沖合にはダルマチア式海岸の特徴である細長い島々が並んでいました。
 
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地中海性気候のクロアチアではオリーブ、ザクロ、イチジクなどの果樹に加えてブドウ畑もよく見られます。有名なワインの産地でもあるのです。
 
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国道8号は片側一車線ですがよく整備された道路です。
 
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保養地のようにも見える美しい集落
 
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その集落を通り過ぎると人家のないエリアに変わりました。
 
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国道8号は海岸線を離れて内陸へと入って行くようです。
 
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湖の畔(ほとり)に出ました。
 
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道路が平地に下りると鉄道の線路が近づきます。
 
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高台に上がると平野が見渡せました。水路にはさまれた畑はまるで畝(うね)のように見えます。
 
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ふたたび海沿いに出ました。
 
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山並みに風力発電施設が並んでいます。
 
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遠くにボスニア・ヘルツェゴヴィナとの国境検問所が見えてきましたが、それを写真撮影することは禁止されています。隣国に入っても景色は同じように見えます。
 
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ネウム(Neum)のドライブインで休憩です。私は階下にあるスーパーマーケットに入りました。目当てはもちろんクロアチアのワイン。予備知識なしにディンガチ(Dingac)2009を選びました。ドブロヴニク近くのペルジェサク(Peljesac)半島で作られた赤ワインで、赤いラベルに描かれたロバが気に入ったのです。
 
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折りしも夕日が島影に沈みました。
 
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再び国境を通過してクロアチアの飛び地であるドゥブロヴニクに入りました。湾を跨(また)ぐ橋を渡り、グルージュ湾にあるドゥブロヴニク・フェリー・ターミナルに停泊するクルージング用巨大客船の脇を通過して丘の上に向かいました。リゾートホテルが立ち並ぶラバット地区の西端にあるヴァラマール・ラクロマ・リゾートへちょうど午後6時に到着。
 
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モダンな外観に合わせて部屋もすっきりしています。ドゥブロヴニクのダウンタウン(市街地)まで距離があるため夕食は室内で簡単に済ませました。
 
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(続く)

2013年12月26日 (木)

貴船もみじ灯篭(後編)

貴船神社本宮袂(たもと)にある鳥居茶屋に入りました。奥宮へ向う時にその店先で見かけた「みたらしだんご」が記憶に残っていたことも影響しました。食事あるいはお茶のいずれかを聞かれましたが、意味が良く飲み込めず食事と答えると奥の小上(こあ)がりに案内されました。ちなみに、鳥居茶屋は貴船川の川床を夏期の間だけ別館「真々庵」(しんしんあん)として営業しているようです。

私はあゆそば(1500円)を注文しました。価格が高いのは席料が含まれているのでしょう。私の好きなニシンそばよりあっさりした味でした。
 
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オチビチャンたちの両親は貴船そば(900円)
 
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オチビチャンは名物の鮎(あゆ)茶漬けとお造り(1900円)が気に入ったようです。箸袋(はしぶくろ)に書かれた四文字は「即味心也」と同じ意味でしょう。
 
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コチビちゃんはうなぎ丼並(2300円)を選びました。同行者は二人のサポート役に・・。店員さんに訊(たず)ねて分かりましたが、食事をする客はみたらしなど茶席のメニューを注文できないそうです。そこで、店を出る時にみたらし団子を別に買い求めました。
 
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本宮の鳥居(二の鳥居)も先ほどとは雰囲気が違います。
 
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本宮の参道石段も灯篭に淡く照らし出されています。
 
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本宮の門を入った右手後方に見える建物は龍船閣(休憩所)です。
 
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本宮本殿
 
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御神水は自由にいくらでも汲(く)んで持ち帰ることができます。弱アルカリ性の水で、これまでに一度も枯れたことがなく、とても美味しい水のようです。脇に「神水五則」と呼ぶべき説明が書かれていました。
 
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前回訪れた時にも紹介した水占齋庭(みずうらゆにわ)、「水占みくじ」ができる場所です。
 
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隣り合った人の水占い結果
 
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本殿下にも篝火(かがりび)があって参拝者が・・。後方に見える木は御神木の桂(かつら)です。樹齢400年で樹高が30mあるそうです。ちなみに、結社(ゆいのやしろ)と奥宮の境内にも桂の大木がありました。
 
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参道の石段を下ります。
 
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青竹を切っただけのシンプルな灯篭
 
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貴船川沿いに灯篭が続きます。
 
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貴船川の川床にある灯篭群
 
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船形の灯篭
 
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貴船臨時バス停(乗り場)に到着
 
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鞍馬電車で「もみじのトンネル」を通過
 
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出町柳駅に張られた「紅葉だより」を見ると11月29日現在、貴船神社が「見頃すぎ」ですが京都市の中心部では紅葉がちょうど「見頃」のようです。
 
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<同行者のコメント> 夜になると洛北はやはり寒いですね。オチビちゃんとコチビちゃんは和太鼓の演奏を楽しんだあと、京都の美味しい料理を食べて大満足だったようです。

2013年12月25日 (水)

貴船もみじ灯篭(中編)

今回の主目的はもみじ灯篭10周年を記念して開催される「奥宮奉納全国太鼓まつり」に参加することなのです。ちょうど主催者の挨拶(あいさつ)が終るところでした。
 
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和太鼓の演奏が始まりました。最初は東京(青山)のグループのようです。
 
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最前列のベンチに空きスペースを見つけて移動。正面から見るとユニフォームに WE TAIKO と書かれています。
 
 
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躍動感にあふれるパフォーマンス
 
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2番目のグループが登場して京都のグループと紹介されたと思います。ユニフォームに書かれた「鏡花水月」は儚(はかな)い幻(まぼろし)、あるいは感じ取れても説明できない趣(おもむき)をたとえる言葉です。きびきびした演奏をそのまま聴いていたかったのですが、じっとしていると底冷えが身体の芯(しん)まで凍(し)みるようで、席を立って本殿にお参りすることにしました。
 
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船形石(ふながたいわ)にある忌火(いむび)は新しく火鑽(ひきり)できった神聖な清い火で、境内の照明などに用いられます。そして夢守火参り(むすびまいり)とは万物を生み出す意味を持つ産霊(むすび)や、すべての縁を結びつける結びに通じるとされ、忌火で点けたロウソクに夢を託してご加護(かご)を願う作法です。貴船神社では本宮・結宮・奥宮の順にお参りした後に夢守火参りをするのが正しいとされるようです。献火(けんか)ロウソクは本宮で購入(100円)できます。
 
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奥宮本殿と船形石の間にある竹の容器に灯(とも)された夢守火です。
 
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本殿前の献灯台にロウソクを捧(ささ)げても良いと説明されていました。
 
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奥宮本殿
 
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ベンチに戻ると次のグループに交代していました。
 
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こちらは最初に登場したグループのようです。
 
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いよいよトリ(主任)のグループが登場。ネクタイを締(し)めたユニークな出(い)で立ちの大阪を中心に活躍するトリオは学生時代の太鼓部仲間だったそうです。最初の一打で圧倒されてしまいました。
 
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2曲目は女性が2人参加
 
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3曲目はまた最初の編成に戻りました。 
 
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そして2曲目と同じ編成に変化すると、5人の演奏に一層熱が入ります。しかし、1時間を過ぎてファイナル曲が近づいたところで、オチビちゃんとコチビちゃんが寒いと言い出したため、太鼓まつりの会場を後にすることにしました。
 
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門を出たところにある篝火(かがりび)で全員がしばし暖(だん)をとりました。
 
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暗闇の参道に灯篭が続く幻想的な光景
 
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貴船川には噴水が・・
 
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小さな滝と緋毛氈(ひもうせん)の茶席も
 
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本宮の参入口にある篝火でも手焙(てあぶ)りをするオチビチャン
 
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(続く)

2013年12月24日 (火)

貴船もみじ灯篭(前編)

京都の出町柳駅から叡山(えいざん)電車の鞍馬線・鞍馬(くらま)行きに乗車、終点の一つ手前の貴船口(きぶねぐち)駅へ向かいました。山間(やまあ)いの鞍馬・貴船エリアでは紅葉の見頃を過ぎていますが、「貴船もみじ灯篭(とうろう)」の最終日(11月30日)ですから、オチビちゃんの家族と一緒に出掛けることにしました。
 
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5年半前、貴船へ出掛けた時に駐車する場所で困ったので今回は電車を利用することにしたのです。
 
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加茂川の支流 鞍馬川沿いの二ノ瀬駅にはまだ紅葉が残っていましたが、市原~二ノ瀬駅間にある250mにもわたる「もみじのトンネル」は残念ながらほとんど枯葉になっていました。
 
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貴船口駅に到着
 
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駅前バス停で貴船行きの京都バスに乗ります。
 
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貴船バス停で下車し、後は徒歩で貴船(きふね)神社方面へ向いました。帰りのバスは300mほど貴船口駅寄りの貴船臨時バス停から乗車することになると書いた立て看板があります。なぜだかは分かりません。同行者はバス停と橋の間に見かけた小さな売店でくずもちと草もちを購入。店先に置かれた深緑色のベンチが少し写っています。
 
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食事処の河鹿(かじか)や「たつみ」の前を通過。落ち葉が積もる貴船川の清流にも灯篭(とうろう)が多数置かれています。
 
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京都花灯路(はなとうろ)と書かれた路傍(ろぼう)の行灯(あんどん)にはすでに火が入っています。京都花灯路は平成15年3月から東山地域で始まったイベントのようです。この露地行灯(ろじあんどん)は嵯峨(さが)・嵐山地域でも12月に開催されているそうです。ちなみに、灯篭と行灯は使用目的(前者は宗教的、後者は実用的)に合わせて用いられる呼び名ですが実質的には同じ照明器具です。
 
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鞍馬寺西門へ向かう橋の袂(たもと)を通過すると貴船(きふね)神社に到着。長い石段の参道は前回参拝した時となにも変わっていません。今回の主目的はここではなくて貴船神社の奥宮ですから立ち寄らないで先へ進みました。
 
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店先で「みたらしだんご」を売っている鳥居茶屋は若い人たちで満席状態
 
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川の中の灯篭も紅葉の装(よそお)い
 
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貴船神社の境内にある高床式の休憩所、龍船閣には龍が描かれた大きな懸垂幕(けんすいまく、タペストリー)が掛けられています。
 
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裏手にある参道入口の先に急な坂が待っていました。料理旅館貴船ひろやや貴船茶屋などが続いています。
 
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貴船神社中宮結社(ゆいのやしろ)を通過すると点灯された行灯が並んでいました。上述の定義にしたがえば貴船では灯篭と呼ぶべきなのでしょう。
 
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料理旅館兵衛の店先に置かれた水瓶(みずがめ)には薄氷(うすごおり)が
 
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料理旅館左源太(さげんた)の灯篭はユニーク
 
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バスを降りてから約20分後の午後4時半少し前に奥宮(おくのみや)の参道入口に到着しました。
 
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玉砂利が敷き詰められた長い参道が続きます。左手にある貴船特有の貴船石「つつみが岩」は大昔、鞍馬・貴船が海底火山であった頃、火山の活動によって流れ出した溶岩が海水で冷やされ固まり、これがいくつも重なって枕状になったものだそうです。
 
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和泉式部(いずみしきぶ)縁(ゆかり)の思ひ川に架かる朱色の小橋を渡ってさらに歩くと奥宮が見えてきました。ここが元々貴船神社だった場所だそうです。
 
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すでにライトアップされた門の両脇に篝火(かがりび)が焚(た)かれています。
 
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(続く)

2013年12月22日 (日)

珠玉のクロアチア旅行(その7) スプリットの世界遺産Ⅴ

その他にも面白い装飾が目に入りました。
 
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シーリングファンと天井照明
 
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レモンが実っています。
 
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私は白ワインとサーモンと車海老のグリーンパスタ(70クーナ、約1200円)、同行者はオレンジジュース+鶏と野菜のサラダ(50クーナ、約850円)を注文しました。
 
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グリーンパスタはフェットチーネ・コン・スピナーチ(ほうれん草入り平型ロングパスタ)のようです。腰があるパスタが適度に味付けされたスープと絡(から)み合って期待通りの美味しさですが、私にはボリュームが過大で・・。
 
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ぶつ切り野菜(トマト、キュウリ、ナス、パプリカなど)のオリーブオイル和(あ)えに鶏肉をトッピングした地中海風サラダです。鶏肉はやや強めの塩加減ですが、野菜と組み合わせるとほど良い味になって食べやすいものでした。パスタとサラダを二人でシェアしても昼食には十分なボリュームです。
 
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レプブリカ広場付近に戻った時に花壇脇に停まっている巡回バスのようなものに気づきました。狭いスプリット市街に巡回バスは要るのかは疑問です。しかし、よく見ると“PARK SUMA MARJAN”と表示されていますから、半島の西端部にあるマルジャン森林公園行きシャトルバスでしょう。
 
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レプブリカ広場の前にはバイクやスクーターが多数停めてありました。路地が多い市街地では二輪車が便利な乗り物なのでしょう。
 
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プロムナードの全景(宮殿方向)
 
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早朝に歩いたマルモントヴァ通りに入って別ルートで宮殿の北門へ向います。
 
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私の勘ピューター(生体ナビ)が魚市場の先を右折するように指示しました。右手の建物にある大きな握りこぶしの親指から噴水(ふんすい)が飛び出ています。日本では女握り(めにぎり、おんなにぎり)と呼ばれる下品な仕草(しぐさ)ですが、欧米では邪視祓(じゃしばら)いの効果が信じられているそうです。つまり、これを向ける人は相手が邪視持ち、あるいは悪魔と見なしているという意思表示になるようです。ちなみに、邪視(じゃし、evil eye)とは物事を正しく見ないこと、あるいは人や物に災厄(さいやく)をおこす神秘的な力をもつ目を意味する言葉です。
 
350 

手水鉢(ちょうずばち)のようなものに噴水の水が吸い込まれて行きます。これを手で受けると自ら邪視持ちであると認めたことになりますから、絶対にしてはいけないのでしょう。
 
351 

かなりの幅がある路地ですから間違いないようです。
 
349 

前方に噴水のある大きな公園が見えました。宮殿の北側にあるストロスマエロフ公園Strossmayerov park)です。鐘楼から見た尖塔はその一画(東側)にある美術館Galeriya Umjetnina、The Gallery of Fine Arts)の一部であると知りました。この美術館は14世紀から現代に至るまでのクロアチアの絵画や彫刻作品を所蔵しているそうです。
 
352   

壺(つぼ)から流れ落ちる水
 
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後方から見るとそうめん流しの竹樋(ちくひ)にも似ています。その先には宮殿の北門も。
 
354 

水が流れ落ちる反対側は鳩たちの水呑(の)み場になっているようです。左端に美術館が少しだけ写っています。
 
355 

宮殿のペリスティル(列柱)広場を抜ける時、ジュピター神殿と向かい合う建物にクロアチアを象徴する店を見つけました。“CROATA”(クロアタ)はネクタイの老舗(しにせ)であるポトマック社のブランド名です。ザダルでもこのロゴを見かけました。ちなみに、クロアチアはネクタイ発祥の地だそうです。
 
285 

ふたたび海岸通りに出ました。岩壁に巨大な双胴船(カタマラン、Catamaran)が停泊しています。アドリア海のリゾートアイランドであるフヴァル(Hvar)島などへ航行する高速クルーザーと思われます。
 
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スプリットの記事を終えるこのタイミングで2回目の小休止です。(続く)

2013年12月21日 (土)

珠玉のクロアチア旅行(その7) スプリットの世界遺産Ⅳ

鐘楼の左手に回り込むと大聖堂との位置関係がよく分かりました。
 
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鐘楼の装飾は翼を持つライオンが裸の人間を抱きかかえているように見えます。ザダルの記事で紹介したように翼があるライオンはヴェネチア共和国の象徴(つまり守護聖人の聖マルコ)であり、ライオン(もしくはライオンの要素)は地中海沿岸などで権力や王の象徴あるいは守護神なのです。
 
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古代ギリシャで生まれた建築様式のひとつであるコリント式の柱頭飾りには様式化された2段のアカンサスの葉が見られます。そしてアカンサスの葉の上に渦巻きがあることもその特徴です。古代ローマ(ローマ帝国)では古代ギリシャ文明に対する憧(あこが)れが強かったため、古代ローマにおいてもギリシャ風の建築様式が多く用いられています。
 
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遺跡の破片をテーブル代わりにした露店
 
316 

近寄ってみると銅板細工のようです。
 
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東門(銀の門)方面へ歩きました。
 
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東門を出た宮殿東隣の広場には野菜や果物を売る露店が並ぶ青空市場があります。
 
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KAWASAKI 3Pのポスターを見かけました。私がとっさに思った日本製のオートバイではなく、クロアチアの首都ザグレブ出身のパンク・ロック・グループのことでした。
 
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サイケデリックなラッピングバスが走っています。
 
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海岸通りに向う途中に長く続く青空市場には花屋と衣料品店などの露店が並んでいます。
 
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プロムナード(リヴァ)に入りました。
 
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プロムナードに屋外レストランやカフェが続きます。
 
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スプリットの観光案内所のようです。
 
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同行者がアイスクリーム屋を見つけました。
 
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そして甘そうなメニューを選びました。
 
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海岸沿いのプロムナードをさらに西方へ歩いて右手の路地に入りました。昼食にと考えていたレストランを探すためです。路地が交差する場所にTrattoria Tinel(トラットリア・ティネル)がありました。スプリットで人気があるクロアチア料理店のひとつのようです。ちなみに、Trattoriaはイタリア語で料理店を意味します。
 
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店内は地味な外観とは違って地中海風の明るい雰囲気です。
 
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左手には同行者が気に入りそうな落ち着いた雰囲気のテーブル席もあります。
 
344 

迷っているとウエートレスが奥のテラス席はどうかと尋(たず)ねてくれました。その雰囲気を見て迷わず決めました。布製の日除け、観葉植物、古井戸、宮殿風の柱などが気に入ったのです。店先の歩道にテラス(TERRACE)と書かれた大きな案内板が立っていた理由が分かりました。
 
334 

(続く)

2013年12月20日 (金)

珠玉のクロアチア旅行(その7) スプリットの世界遺産Ⅲ

ディオクレティアヌス宮殿の中庭だったペリスティル(列柱)広場に戻りました。先ほどは鐘楼だけを見て通り過ぎた場所です。そして同行者がスプリットのホテルに到着した時に気に入って購入したデッサン画の舞台がここ列柱広場と写真に写るジュピター神殿です。
 
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先ほどのローマ兵士たちのようです。ちなみに、後方に見える半円形の穴のようなものは南門を入った地下室地下室からの出口。
 
287 

鐘楼(入場料15クーナ)への入口は人ひとりが通るのがやっとの幅しかなく、大柄(おおがら)の人には大変な障害物でしょう。余談ですが、入場料を従来の10クーナから15クーナに料金を値上げしたためか、紙の小片を貼って書き直してありました。
 
288 

石の階段を上ると屋上にでました。ここから本格的な鐘楼上りがはじまるようです。
 
290 

南方向には宮殿内の住宅と港に停泊するフェリーが見え、
 
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西の方面にはスプリットの町並みの先に低い山(半島の先端部)があります。
 
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さらに北西方向へと目を転じると、早朝にホテルから見た岩山の連なりも見えます。白い建物群はホテルがある地区のアパート群かもしれません。
 
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仮設かと思うほど頼りない鉄製の階段をしばらく上がった場所には金網で保護された鐘がいくつも吊()るされていました。
 
311 

この辺りは大聖堂の最上部とほぼ同じ高さです。右手(南東方向)には鉄道の線路が見えます。
 
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ここまで階段の写真を撮らなかった(実はできなかった)のは階段が見た目通りに柔(やわ)で不安定だから・・・。
 
295 

先行する同行者が立ち止まっていた場所から外を覗(のぞ)いてみました。真下の列柱広場、宮殿内(旧市街地)と新市街地の町並みを一緒に見られました。
 
296 

ジェットコースターが大好きな同行者はこんな状況下でも満面の笑顔。「大丈夫?上れる?」と内心で思っているのでしょう。
 
297 

下を覗(のぞ)くとそれほど怖(こわ)くはありません。先ほど脇を通った鐘の頭部が4つ並んでいるのが見えます。
 
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鐘楼の天井が間近に見られる最後部に到着
 
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高さが約60mもある鐘楼の最高部から見たスプリットの港と陽光で輝くアドリア海
 
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反対方向(北)にはクロアチアの美しい山並みが続いています。白い尖塔(せんとう)は教会の鐘楼かと思いましたが、後で近くまで歩いて確認すると、宮殿の北門近くにある美術館(GALLERY OF FINE ARTS)でした。
 
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北西方向には見覚えのある建物が確認できますから、宿泊したホテルがこの方向にあることは間違いなさそうです。
 
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半島の先端にある小山が先ほどよりも近くに見えます。
 
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鐘楼の高みからのすばらしい展望に満足したようで、同行者は私を残して階段を下りはじめました。
 
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最上部から2階分下りたことで私の覚束(おぼつか)なかった足元にも少し余裕が出てきました。これまでの経験から、上るよりも下りる方が怖(こわ)いと思っていた私は拍子抜(ひょうしぬ)けです。
 
308 

(続く)

2013年12月19日 (木)

珠玉のクロアチア旅行(その7) スプリットの世界遺産Ⅱ

正面から鐘楼見上げました。後方にある大聖堂はほとんど隠れています。
 
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その右手にはエジプトの王(ファラオ)または神々を守護するシンボルであるスフィンクス像が置かれています。ローマ帝国を4分割統治する仕組みを作ったディオクレティアヌス帝は東方の正帝としてトルコ・シリア・エジプトを統治していたことに因(よ)るのでしょう。
 
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大聖堂(鐘楼)前の広場を左折して北方に伸びる細い路地に入りました。写真は振り返って見た鐘楼です。建物を支えあう木の枠組(わくぐみ)が手前に見えます。
 
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枡形(ますがた)のような路地の角にある洗礼室の前にも頭が無いスフィンクス像が置かれていました。
 
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アーチのゲートを潜(くぐ)ると路地の幅が少し広くなりました。右手の建物に聖人像のようなレリーフがあります。
 
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レストランが並ぶナロドニィ広場に出ました。正面にあるホテルのような建物の屋上にはシベニクの聖フランシスコ教会で見たのと同じ煙突が確認できます。
 
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北側の城壁に行き当たりました。細かい傷跡が修復されています。
 
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アーチが力強さを表現する北門(金の門)
 
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外側から見ると優雅さを感じさせる北門
 
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宮殿から外に出ると巨大な銅像が聳(そび)えていました。10世紀におけるクロアチアの大司教、グルグール・ニンスキの銅像です。
 
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「幸福が訪れる」とのご利益(りやく)を聞いた同行者はさっそく銅像の左足の親指を撫(な)でています。
 
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北門の全景を眺(なが)めていて両側に見張り塔があったと思わせる痕跡(こんせき)に気づきました。
 
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アーチの上にある突起物のレリーフ
 
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宮殿内に戻りました。
 
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別の路地に入って宮殿の中心部へ戻ります。
 
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「ダルマチアの手作りチョコレート」と日本語で表示された店"Nadalina"がありました。日本人観光客が増えている証左でしょう。
 
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前方をローマ帝国の護衛兵が二人歩いています。赤いマントを身に着けたローマ兵士はまるでスペクタル映画「ベン・ハー」から抜け出たようです。
 
280 

建物の間に張られたワイヤーは洗濯物を干すためでした。まるで鯉(こい)のぼりのように洗濯物を移動できる仕組みに感心させられます。
 
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こちらの民家にも同様の仕組みで干してある洗濯物の様子を私が眺(なが)めていると、同行者は左手の土産物屋で売られているTシャツが気になったようで店内に入って行きました。オチビちゃんたちへのお土産にするつもりでしょう。
 
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同行者がTシャツを選んでいる間、手持ち無沙汰(ぶさた)な私は店先に下げられている大きな海綿(Marine Sponge)などを眺めていました。店内にはクロアチアのサッカーチームやサポーターが着る赤と白のチェック柄(市松模様)のTシャツがいっぱい置かれているようです。
 
283 

(続く)

2013年12月18日 (水)

珠玉のクロアチア旅行(その7) スプリットの世界遺産Ⅰ

早朝の散歩ですぐ近くまで歩いたスプリットの旧市街地はシベニクのように城塞都市として建設されたものではありません。ローマ帝国の皇帝であったディオクレティアヌスが305年に退位した後、隠遁(いんとん)する場所として建設した宮殿なのです。ダルマチア海岸に突き出た小さな半島にある湾の波打ち際に建てられました。その後は歴史から忘れられた存在となっていましたが、18世紀に本格的な調査が行われ、最近は修復工事が行われています。1979年にはディオクレティアヌス宮殿としてユネスコの世界遺産に指定されました。今も一般市民が内部に住む珍しい宮殿です。
 

ディオクレティアヌス宮殿を見学するために海岸通へ再度出掛けました。写真の右手に写る大きな建物がその宮殿です。
 
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建造された当時の再現図が歩道に立っていました。舟でも往来していた様子が描かれています。
 
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この部分(南東の角)は当時海に接していた宮殿の右手角に当たります。現在は海岸が埋め立てられて自動車道とプロムナード(リヴァ、Riva)になっていますから、その様子を窺(うかが)い知ることはできません。
 
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南側から見た宮殿です。大聖堂の鐘楼(しょうろう、高さ60m)が一際目立ちますが、宮殿が建てられた時にはなかったもので、13-14世紀にかけて造られたそうです。宮殿のこの部分は壁を残すだけになっていますが、南面のファサードの様子を知ることができます。
 
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ここが宮殿の南門(銅の門)のようです。門の両側には民家(店舗)が外壁に沿って建てられたため、門の様子が建設当時とは大きく変わっています。
 
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宮殿前のプロムナードは今朝散策したエリアから続くオープンテラス風のレストランやカフェとして利用されています。
 
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シンプルな南門を入ると内部は別世界でした。アーケード付き柱廊は重厚な石積みの柱がヴォールト(長く続くアーチ型)天井を支えています。この部分(傾斜地にあるため宮殿の地階に当たる)が良く保存されたのは、この宮殿に住み着いた住民たちのゴミ捨て場として何世紀にもわたって使われていたことが幸いしたそうです。
 
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反対側も同じですが土産物を売るショップがありました。
 
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天井をよく見ると鉄材で補強されていることが分かります。
 
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1979年10月26日にスプリットの史跡群がディオクレティアヌス宮殿とともにユネスコの世界遺産に登録されたことを印したプレートが壁に貼り付けられていました。
 
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建物(実は外壁の地下)を出て宮殿の内部に入ります。ガラス越しに見える右手の階段をさらに上がるようです。
 
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石畳の路地を抜けると明るい場所に出られそうです。
 
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世界遺産の中に立てられたきれいな民家が目を惹(ひ)きました。
 
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大聖堂の鐘楼が間近に見えます。
 
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先ほど海岸通りから眺めた壊れかけた3階部分に出ました。新しいレンガ積みの塀が造られています。
 
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周囲を見回すと生活感が感じられますが、世界遺産にもかかわらず落書きされているのは世界各地に共通する悪ふざけです。
 
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鐘楼の右隣には復元図にも描かれている八角形をした大聖堂(右手)が見えます。スプリットの守護聖人、ドムニウスを祀(まつ)ることから聖ドムニウス大聖堂とも呼ばれるそうです。8世紀頃に改築されてキリスト教会に転用されるまではディオクレティアヌス帝が築いた霊廟(れいびょう)だったようです。ちなみに、ディオクレティアヌス帝はキリスト教を迫害した最後のローマ皇帝として知られます。
 
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屋根の頂上には小動物が飾られた不思議な装飾があることを見つけました。
 
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宮殿のヴェスティブルVestibul、前庭)の一角に出ました。丸い穴が空いたドーム天井とアーチ型をした窓が印象的な巨大な壺(つぼ)のような建物です。なぜかこちら方向以外の窓はすべて塞(ふさ)がれています。
 
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7人編成の男声合唱団によるklapa(クラッパ、2012年ユネスコの無形文化遺産に登録)の歌唱が始まりました。ダルマチア地方に伝わる民族音楽をアカペラで歌うクラッパの美しいハーモニーに聴き惚(ききほ)れてしまい、その場で15ユーロ(約2000円)のCDを購入。そのラベルからこの合唱団の名前がKlapa VESTIBUL(クラッパ・ヴェスティブル)であることを知りました。ちなみに、「ア・カペラ」はイタリア語で無伴奏の合唱や重唱を指す言葉とされるようです。
 
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(続く)

2013年12月17日 (火)

珠玉のクロアチア旅行(その6) シベニクからスプリットへ

シベニクから海岸沿いに続く国道8号で約80km離れたスプリットへ向かいます。午後4時半を過ぎるとアドリア海に陽が沈みはじめました。
 
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ダルマチアらしい海岸線と点在する民家
 
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ダルマチアの空とアドリア海だけが残光に照らされています。海に浮かぶ島はまるで海(天然)の城塞(じょうさい)都市のようです。
 
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後続車はヘッドライトを点(つ)けています。
 
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古都トロギールを通過してダルマチア最大の都市であるスプリットの旧市街に近いグローボホテル(4ツ星)に到着したのは午後6時半を少し過ぎていました。
 
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チェックインする間に同行者はショップに掛けられた絵の中からこれが気に入ったそうです。建物や風景を描いたデッサン画が好きなのです。後で調べるとスプリットにある世界遺産のディオクレティアヌス宮殿が描かれていました。長いバス旅に疲れたため、夕食はホテルの自室で済ませることに。
 
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翌朝も私は習慣どおり日の出とともに起床。窓の外を見るとアパート群の先(北方)に岩山が続いていることを知りました。早朝だというのに左手のアパートの前に数名の人影があります。
 
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ホテルの場所を地図で確認してから朝の散歩に出掛けました。まだ午前7時を少し過ぎたところで人通りは少ないのですが、街中はもう目覚めています。
 
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海岸に向って少し歩いた場所に重厚で歴史を感じさせるプレジデント・ホテルがありました。
 
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それとは対照的でモダンな店舗はクロアチアで最大手スーパーのKONZUM(コンズム)
 
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石畳の路地に入りました。
 
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BISTORO SaMuRaiは寿司バーのようです。
 
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15分ほどで海岸に出ました。係留(けいりゅう)されたクルーザー越しに大型フェリーが見えます。
 
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海岸通りを右手へと歩きました。唐突(とうとつ)ですが、クロアチアの人たちは男女を問わず大柄(おおがら)なのです。サッカーが強いのはこの恵まれた体格によるのかもしれません。ちなみに最新(2013年11月)FIFAランキングでクロアチアは16位であり、18位のフランスや20位のメキシコよりも上位、そして健闘する日本(48位)に大差を付けています。
 
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ずっと先にヨットハーバーがありますが、朝の散歩には遠すぎるようですから反対方向(海に向って左手)へ歩きました。アドリア海に面して綺麗な建物が並んでいます。左手で建物に挟まれているのはレプブリカ広場。広場の三方を囲むプロクラティブという建物はネオ・ルネッサンスと呼ばれる建築様式で、延々と連なるアーチと朱色の配色が魅力的でした。
 
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一際目を惹く建物がありました。EUの旗などが4階のバルコニーに掲げられています。窓にはブラインドが下りていますから、使われていないのかもしれません。
 
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レプブリカ広場の右手にある綺麗(きれい)なマルモントヴァ通り(Marmontova ulica)に入りました。右側のYves Rocher(イヴロシェ)はフランスの有名なナチュラルコスメブランド(植物由来の自然派化粧品)の店舗のようです。
 
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同行者が朝市(魚市場)を見つけました。やはりスプリットは港町なのです。
 
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マアジの価格は20クーナ(約350円)です。ちなみに、クロアチアの一人当たりの総国民所得(昨年)は世界第38位(15位日本の半分強)で、ロシア(35位)・ポーランド(36位)・ハンガリー(37位)とともに東欧のトップグループを構成しています。
 
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クロアチア国立劇場(HNK Split)には2013/2014シーズンの演目がTRAVIATA(トラビアータ、歌劇椿姫と表示されています。その脇を抜けてホテルへ戻ることにしました。
 
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(続く)

2013年12月14日 (土)

新梅田シティ(スカイビル)の空中庭園(最終回)

40階の「星に願いを」コーナーでは星の形をしたオーナメントに願いを書いて大きな星形フレームに飾ることができるようです。
 
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そのまま持ち帰るのも残念ですから、私も参加することにしました。説明カードの直下にあるのが私のオーナメントです。裏向きに飾りました。
 
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ハート・ロックの受付です。近くにある「恋人の聖地」の看板には桂由実さんの名前がありました。
 
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そのカウンターに置かれたハート・ロックのサンプル
 
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ハート・ロックの隣に空中庭園大明神なるものがありました。その左手にある鉄格子にはおみくじが結(ゆわ)えられています。
 
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大きな電子看板(デジタルサイネージ)をいくつも使って、空の杖(ピサの斜塔)、空の見張り(サハラ砂漠の縁にある都市、ガルダイヤ)、空の炎(インドネシア・ジャワ島のプランバナン平原にある石造建築群)、空の階段(メソポタミア・サマラのミナレットにあるモスクの塔)、空の舞台(インドネシア・ジャワ島のボロブドゥール寺院)が説明されていました。39階への下りエスカレーターに乗って出口へと向かうと、ショップの間仕切り(パーティション)を兼ねた「夕日の写真」展示コーナーが続いていました。
 
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空中庭園の出口
 
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下り方向のシースルーエスカレーター内部
 
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上り方向のシースルーエスカレーターの外観
 
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下方(22階)にはタワーウエストとタワーイーストを結ぶシースルー通路があるようです。これらのシースルー通路がスカイビルのもうひとつの魅力でしょう。その右手には「中自然の森」が少し写っています。
 
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元来たルートを逆にたどって、タワーイースト地下1階の飲食店街「滝見小路(たきみこうじ)」に入りました。空中庭園のチケット(半券)で割引されると表示されていたことを思い出しました。石挽(いしびき)そば「湖中(こなか)」を選びました。
 
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案内された窓側のカウンター席から池に流れ落ちる小さな滝が見えます。「滝見小路」とはちょっと大げさな感じです。
 
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配膳された「ざるそばセット」(800円)はざるそばといなり寿司(3個)の組み合わせです。午後に控えている仕事において、口の滑り(滑舌)がいなり寿司で良くにることを期待しました。私は験担(げんかつ)ぎなのです。
 
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そばといなり寿司に舌づつみを打っていると、外で突然土砂降りのような水音がし始めました。
 
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目を上げると大量の水が流れ落ちていました。
 
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どうなっているのかを確認するため地上に出てみると、そこにはナイヤガラの滝のような光景がありました。これが「滝見小路」の名前の由来だったのです。
 
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「中自然の森」(現代の鎮守の森)にも入ってみました。「中自然の森」は水と緑の新惑星とも言うべき円形の中に閉じ込められた自然のダイナミズムを意味すると説明されていました。木立の間から滝と地下1階の「湖中」の様子が確認できました。「滝見小路」とは滝を裏側から見る趣向だったのです。ちなみに、手前の流れは先ほど見た小さな滝です。
 
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「中自然の森」を抜けたビルのテラスにはクリスマスらしい飾り付けがあります。
 
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そしてドイツマーケットがちょうどオープンしていました。
 
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グランフロント大阪(南館)まで戻ると、大阪駅との間にあるテラスに造られた仮説舞台でイベントの準備が始まっていました。□
 

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2013年12月13日 (金)

新梅田シティ(スカイビル)の空中庭園(その2)

JR大阪駅JR梅田貨物駅跡が眼下に見えます。
 
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その右手(西方)に位置する阪神高速11号池田線の梅田出入口付近です。
 
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40階のフロアではチャリティ展覧会が開かれていて、絵画が10数点展示されていました。私の目にとまったのは審査委員特別賞の「男」や、
 
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審査員特別賞の「アメリカ外人」と入選の「もし目が見えたなら」です。
 
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入選した彫刻作品の「道(みち)」と、
 
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盆栽のような形をした彫刻作品esも展示されていました。よく見ると「へその緒(お)がついた嬰児(えいじ)」に見えます。作者の意図は不明ですが、ちなみにesはドイツ語の人称代名詞(英語のitに対応する言葉)で、心理学では「無意識層の中心の機能」という概念を意味するようです。
 
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スカイ・ウォークへの入口です。階段またはエレベーターで屋上へ上がることができます。
 
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屋上に上がりました。2つのシースルーエスカレーターは右側が上り専用で、左側が下り専用です。
 
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円周形をした空中庭園の屋上散策路、スカイ・ウォークに出ました。
 
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淀川(よどがわ)が京都方面に伸びています。その淀川に架かる橋は手前から、国道423号(御堂筋線)の新淀川大橋、東海道本線(JR京都線)の鉄橋、府道14号(天神橋筋)の長柄(ながえ)橋、阪急千里線の鉄橋、長柄水道橋、大川(旧淀川)が分流(派川)する淀川大堰(おおぜき)です。
 
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淀川に架かるこれら5つの橋は左から、国道176号(十三バイパス)の新十三(じゅうそう)大橋、水道橋のように見えるNTT(西日本電信電話)の専用橋、十三筋の十三大橋、半球神戸線と阪急京都線の鉄橋です。
 
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愛を誓うハート・ロックはルミ・デッキ周囲に設置された誓いのフェンス(11時‐22時に入場可)でロックすることができると説明されています。
 
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ゴールド、赤、ピンクの3色があるハート型をした専用のロックのそれぞれにカップルの名前がプリントされています。鍵がどうなったのかといつも気になります。
 
2013_12010070 

淀川の下流方向に架かる橋は、阪神高速道路11号池田線と東海道本線の鉄橋、国道2号の淀川大橋、阪神電鉄本線と阪神高速3号神戸線の鉄橋、阪神なんば線の鉄橋、国道43号の新伝法大橋です。遠方に見えるのは六甲山と摩耶山のようです。
 
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ズームアップすると安治川(あじがわ、大川の下流)の左に天保山JCT、その先にコスモタワー(大阪府咲洲庁舎)とハイアットリージェンシー大阪、安治川の対岸にはUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)にあるホテルユニバーサルポートのようです。
 
2013_12010074 

その左手は梅田から福島にかけてのエリア。左手の白っぽい高層ビルはザ・タワー大阪(地上高177m、地上49階)で、右手のひときわ高い黒いビルは梅田エリアで最も高い高層マンションのシティタワー西梅田(地上高177.5m、地上50階)です。
 
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さきほど脇を歩いたグランフロント大阪のビル群
 
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もう1周しながら面白いものを探すことにします。まず手始めに3kmあまり離れた大阪城をズームアップして捉(とら)えました。
 
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航空障害灯、風速計、避雷針を一体にまとめた構造物として設置されています。
 
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スカイ・ウォークの反対側からもシースルーエスカレーターを撮影してみました。
 
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(続く)

2013年12月12日 (木)

新梅田シティ(スカイビル)の空中庭園(その1)

JR大阪駅北口を出てグランフロント大阪方面へ歩きました。
 
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その南館と北館の先にはグランフロント大阪オーナーズタワーが並んでいます。グランフロント大阪(GRAND FRONT OSAKA)は大阪・梅田にある複合施設で、JR梅田貨物駅跡地の再開発エリア「うめきた」(大阪駅北地区)の先行開発区域として2013年(平成25年)4月に開業したそうです。
 
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南館を右手に見ながら左手に伸びる道路へ出ると工事用の長い塀が続いています。その先にウェスティンホテル大阪(写真左)と並ぶ大きなビルが見えました。
 
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工事現場を横切るためには地下道を利用する必要がありました。
 
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職場へ急ぐ人の列に続きました。すれ違う男性は「歩きスマホ」をしているようです。
 
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新梅田シティ前交差点に出ました。新梅田シティは大阪市北区大淀中にある梅田スカイビルやウェスティンホテル大阪を中心とする複合施設で、旧ダイハツディーゼル本社・大阪工場跡地や旧東芝関西支社跡地とその周辺地域の再開発事業の一環として1993年春に完成しました。
 
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設置されたゲートにWillkommen Zum Weihnachtsmarkt(ようこそ、クリスマスマーケットへ)と表示されていますから、ドイツのクリスマスイベントが開催されているようです。クリスマスマーケットとは待降節(たいこうせつ、イエス・キリストの降誕を待ち望む期間)にドイツやオーストリアの都市で開催されるイベントのことです。
 
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目的地が開場する午前10時までまだ20分ほどありますから、クリスマスマーケット会場に入ってみることに。
 
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正午にオープンする「ドイツクリスマスマーケット大阪2013」の会場にはまだ人影がありません。
 
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頭上を見上げると梅田スカイビルのタワーイーストタワーウエストを結ぶ歩道橋に加えて、円形の穴が空いた最上階フロアのようなものが見えます。
 
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今回の目的地である空中庭園の入口がタワーイーストにありました。超高層ビルを地上170mで結ぶ「連結超高層」という奇抜なアイディアから生まれた空中庭園は1993年に完成したそうです。基本的な部分を地上で組み立て、ワイヤーで丸ごと吊り上げて固定するという「リフトアップ工法」で建設されたそうです。大阪の高層ビルなどを巡ったブログ記事「大阪の背が高いもん巡り」で候補に入れていたのですが、時間の関係で立ち寄れなかった場所です。
 
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エスカレーターで3階まで上がりました。空中庭園へ向かう通路はまだシャッターで閉ざされていましたから、ロビーに展示された林芽々人さんの奇妙な作品Santastic PlanetUMEGLE(うめぐる、梅田エリアを巡るバスサービス)の案内を眺めて時間をつぶしました。前者はミラーボールやレコードプレイヤーなどがコラージュ(組み合わせること)された楽しさが溢れるクリスマスツリーで、後者は名古屋のメーグルと同じようなサービスです。
 
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ちょうど午前10時にシャッターが開けられました。
 
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連絡橋でタワーウエストの3階へ移動
 
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専用エレベーターで35階へ上昇しました。「173」は空中庭園の高さを示しているようです。
 
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珍しいシースルーエスカレーターでさらに39階のチケットカウンターへ上がるようです。さきほど下から見上げた時には通路だと思った施設はタワーイースト側に移動するこのエスカレーターでした。
 
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ショップとレストランがある39階のチケットカウンターで入場券(大人700円、65歳以上のシニア500円)を購入しました。
 
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パンフレットとともに星型のシートを手渡されました。
 
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そしてエスカレーターで展望フロアである40階へ上げると大阪市の市街地(USJコスモタワー方面)が眼下に広がっていました。手前に見えるのは隣にあるウェスティンホテル大阪の屋上にあるヘリポートでしょう。
 
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(続く)

2013年12月 9日 (月)

珠玉のクロアチア旅行(その5) シベニクの遺産Ⅱ

狭隘(きょうあい)な路地から解放されてレプブリカ広場に出ました。聖ヤコブ大聖堂はロマネスク様式の教会があった場所に1431‐1536年にかけて建築されました。幾人ものヴェネチアとクロアチアの建築家がかかわって完成させたそうです。3方向を向いたアーチ型の屋根にはそれぞれ彫像が飾られていますが、写真では聖ミカエル、聖ヤコブ、聖マルコのうち2体が確認できます。
 
164 
 
広場の反対側にある旧市庁舎の外階段を上がった場所から大聖堂の斜め後ろ姿と細長いレプブリカ広場を撮影しました。やはり、これらを一緒に撮影するためには広角レンズが必要でした。大屋根はルネッサンス様式の半球体になっていることがよく分かります。
 
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大聖堂の左後方で、2人の天使が司教へと渡す任命書を手にしている彫刻の下には、大聖堂を取り巻くように様々な顔(人間の頭)が飾られていました。全部で70数個もあるそうです。
 
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その中にはヴェネチアのシンボルであるライオンの顔も
 
185 

レプブリカ広場に面した東側の扉(現在は閉鎖中)の両側には扉の脇には創世記のアダムとイヴの彫刻がありました。
 
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東側の屋根の上には最も偉大な天使とされる聖ミカエルの像があり、
 
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南側の屋根の上からは聖ヤコブ像が地上を見下ろしていました。
 
186 

大聖堂の建設に貢献したユライ・ダルマティナッツ像(イヴァン・メシュトロヴィッチ作)の近くで少女たちが踊る練習を始めました。教会の行事?あるいはお祭りのため?
 
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この大聖堂は2000年、「シベニクの聖ヤコブ大聖堂」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。クロアチアには世界遺産(文化遺産)が全部で6つ、世界遺産(自然遺産)1つ、つまり九州の約1.5倍の広さしかないのに世界遺産が7つもあるのです。クロアチア、恐るべし!
 
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大聖堂の内部を見学(有料)することにしました。北側の門の周りには12使徒のレリーフがあしらってあります。写真には写っていませんが、大聖堂の正面(ファサード)は2段重ねのサイズ違いの四角形の上にカマボコを乗せたような形をしています。レプブリカ広場側からではなく海岸通りから階段を上るルートを取れば、また違った印象を与えると思われます。
 
171 

この大聖堂は木やレンガなどを一切使わず石材のみで建てられた石造建築の教会として世界最大であり、内部に漂(ただよ)う重厚な雰囲気は長い歴史を感じさせます。ちなみに、内部ではフラッシュ撮影が禁止されています。
 
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聖ヤコブ像は薄暗かったためかピントがやや甘くなってしましました。
 
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2つのステンドグラスが印象的です。そして大聖堂のファサードの形状が裏側からほぼそのまま見て取れます。
 
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これはもちろんイエス・キリストの磔刑像(たっけいぞう)。ちなみに、十字架の銘板に書かれたINRIとは「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」を意味するラテン語"IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM"の頭文字を組み合わせたものです。
 
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半球形ドームと明り取りの窓です。その下のアーチ部で修理工事が行われていました。
 
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真上のアーチ天井を見上げました。船底のようにも見えます。
 
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奥にある半地下の洗礼室にも入って見ました。これは洗礼に使われる洗礼台です。写真では分かりませんが天使たちが支えているのです。
 
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洗礼室の天井に飾られたレリーフ
 
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大聖堂の裏手にある出口から海岸通りに出て、ヴェネチア時代の邸宅を利用したといわれるシベニク市立博物館の前を通過してバスが待つ駐車場へと向かいました。この建物も深緑色の鎧戸(よろいど)が美しいアクセントになっています。
 
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陽が傾いて街路樹などの影が長く伸びる夕暮れに大砲が2門、アドリア海の方向を向いていました。
 
187 

ここで「珠玉のクロアチア旅行」の記事の投稿を小休止して、箸休(はしやす)めとして次回は別のテーマを挟(はさ)む予定です。(続く)

2013年12月 8日 (日)

珠玉のクロアチア旅行(その5) シベニクの遺産Ⅰ

バスは高速道路A1に戻ってさらに南東へ走りました。サービスエリアを通過するタイミングで撮影。
 
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沖合に細長い島が並ぶダルマチア式海岸が続きます。ダルマチアの島々は宮崎駿監督のアニメ作品のなかで私が一番好きな「紅の豚」の舞台であることはよく知られています。
 
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丘の上に風力発電用風車が見えました。EUに加盟したクロアチアはEUの再生可能エネルギーの利用率20%の基準を満たす必要がある(現在は数%程度)ため、積極的に風力発電所を建設しているようです。
 
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高速道路Aを出て国道33号に入ると、わずか6-kmシベニク(Sibenik)に到着。ザダルから約80km離れたこのシベニックまでの所要時間は約1時間半でした。
 
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海岸から続く斜面に造られたシベニックの中心部です。一際目立つ建物は旧市街にある聖ヤコブ聖堂でしょう。
 
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海に向かって右手方向を見ると入江に架かる橋が見えます。念のため地図で確認すると入江ではなくクルカ川の河口でした。
 
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桟橋付近コハクチョウの幼鳥を発見
 
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この銅像はクロアチア王クレシミール4世PETER KRESIMIR Ⅳ、1058-1074)です。シベニクが初めて現在の名前で歴史に登場したのはこの王が統治した時代だそうです。
 
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シベニクはクロアチア人によって築かれた最初の海岸都市で、ヴェネチア共和国やオスマン帝国から脅威を受けたが守り切った歴史があるそうです。16世紀には聖ニコラス要塞, 17世紀には、聖ヨハネの要塞とスビチェビッチの要塞と次々に建設されてシベニクは要塞化されたそうです。1797年のベネチア共和国の滅亡によって、シベニクはハプスブルク(オーストリア)帝国の支配下に置かれました。

聖フランシスコ教会は旧市街地の南東のはずれにありました。14世紀にゴシック様式で建てられましたが、18世紀半ばに大幅に改修され、バロック教会として生まれ変わったそうです。教会内部には受胎告知(じゅたいこくち)の天井画などがあることで知られます。
 
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建物の左端にあるレンガ造りの煙突の先にパイプが4本伸びているのが気になりました。部屋ごとに排気できる仕組み(排気筒)のようです。
 
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旧市街の城壁はシベニク市街地の発展により取り壊されてしまったため、現在はこの部分だけが残っているそうです。
 
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丘の上に残るスビチェビッチ要塞(ようさい)跡
 
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もうひとつの要塞(聖イワン城)跡
 
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このモダンな建物は城壁を再利用して建てられた市立図書館です。右側にはシベニクの守護者「聖ジョージ」のレリーフが埋め込まれています。
 
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旧市街に続く石畳の細い路地が二手に分かれています。
 
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聖イヴァン教会は15世紀に建立されたゴシック・ルネッサンスの教会です。後ろに見える鐘楼の西側(写真手前)にはシベニクで最初の大きな機械時計が設置されているそうです。しかし、補修工事用ネットですっぽり覆(おお)われているためその場では確認できませんでしたが、写真の右上(2つ並ぶ縦長の窓の上)に確かに写っていました。南側の階段の手すりや鐘楼(しょうろう)1階の彫刻はニコラ・フィレンティナッツによるものだそうです。
 
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日本の終戦直後(昭和20年代)を思わせる配電線を懐かしく見上げました。
 
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壁面から突出しているものは物干し竿(さお)を掛けるためのフックかと思いましたが、昔の暑さ対策用だと教えられました。オーニング(洋風の日除け)のようなものだったのか、あるいは水で濡らした布を吊り下げたのか、具体的な方法を聞き漏らしてしまいました。それはともかく、深緑色に統一された日除け用の鎧戸(よろいど)に私は大きな魅力を感じます。
 
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商取引に使われた昔の物差し(メジャー)のようです。シャッターを押した瞬間に近くにいた女性がそれを指差していました。左上の案内標識は聖ミカエル要塞を表示しています。
 
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建物の脇に置かれたポットは犬や猫の水飲み場でした。昔、欧州でペストが流行した時からの生活の知恵だそうです。つまり、ネズミを捕まえた猫などが住宅内に入るのを制限したのです。
 
163 

(続く)

2013年12月 7日 (土)

珠玉のクロアチア旅行(その4) ザダルの旧市街

ザダル港と城壁に挟(はさ)まれた駐車場でバスを降り、ザダルの旧市街へ向かって歩きました。かつてはダルマチア地方の中心地として栄えた港湾都市ザダルの歴史は紀元前9世紀のリブルニア人の集落にまで遡(さかのぼ)るそうです。ローマ帝国の支配を経て、中世にはヴェネチア共和国と競うほどの勢力を誇っていましたが、キリスト教国にも関わらず第4次十字軍による攻撃でヴェネチア共和国の支配下に置かれてしまいました。ヴェネチアにとつて邪魔(じゃま)な存在だったのでしょう。
 
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旧市街に入る城壁の「海の門」には何やら石のレリーフ(浮き彫り)が飾られています。
 
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ヴェネチアの守護聖人であるサン・マルコを象徴するといわれる翼のあるライオンだそうです。同行者は「そうそう、あれが翼よね!」と盛り上がっていますが、私には翼がさっぱり認識できません。認知症ではないものの、認識力が低下したのでしょうか。後で調べると、ライオンの胴の右上(影のような部分)にあった翼が取れていたのです。
 
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旧市街の道は石畳が敷かれています。
 
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休憩を兼ねた昼食にはクロアチア料理店ヤデラ(Jadera)が選ばれましたが、ファサード(正面の外観)があまりにも質素でちょっと不安に・・。
 
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しかし、店内は思いのほか魅力的だったことで一安心。
 
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まず前菜の野菜サラダが配膳されました。ざっくり切られたトマトやパプリカなどにオリーブオイルとビネガーがたっぷり掛けられているのは地中海料理の一種であるクロアチア料理だからでしょう。
 
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メインはムール貝のリゾット。やや濃(こ)い目の味付けは私好みではありませんが、ボリュームが少ないため完食できました。今回は簡単な昼食でしたが、クロアチア料理は地中海料理のひとつとしてユネスコの無形文化遺産にイタリアやスペインなどとともに登録されているのです。意外ですがクロアチアは無形文化遺産の登録数が14とヨーロッパで一番多いのです。ちなみに、世界で一番登録数が多い国は中国(34件)、次いで日本(22件)・韓国(16件)、クロアチアは何と4位に付けています。
 
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デザートはホイップクリームとチョレートを配したクレープ。こちらは口直しに向いたアッサリ味で美味しく食べました。
 
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食事に満足して外へ出た時、アパートのベランダに奇妙なものを発見しました。天井が壊れた場所に鳩(はと)が巣を作っているのです。
 
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食後の散策に出掛けました。ザダルを代表する聖ドナト教会は9世紀に建てられたプレ・ロマネスク様式の円形教会で、石材はローマ時代の神殿から転用したものも多いと言われているようです。右手に聳(そび)える鐘楼(しょうろう)は階段で登れると表示されていましたが、時間の余裕がないため諦(あきら)めました。2つの建物の間に少しだけ見えるフランシスコ会修道院は1283年に建てられたゴシック様式の建物です。
 
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ローマ時代のフォーラム(広場)は行政・宗教・通商などにおいて町の中心的存在であったようです。石の枠組みと短くなった柱だけが残っています。
 
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フォーラムの中央にあるのテントの店はその名もCoffee Bar FORUM(カフェバー・フォーラム)
 
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破壊されたローマ遺跡の破片がモニュメントとして展示されていました。
 
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アドリア海側に出てみました。あまりにもアッサリした海岸の造形はイスラムの国に来たのかと思わせるほどです。
 
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反対方向に目を転じると、イタリアやクロアチアの主要港を結んでいる純白のフェリーがザダル港へ入港するところでした。そして、足元に穴がいくつも並んでいるのを見つけました。
 
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海側から石段を見ると四角い穴が並んでいます。
 
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これは「シーオルガン」と呼ばれるもので、海の波によって生み出される水流で圧縮された空気が巨大な大理石製階段の下に設置されたポリエチレン製のパイプを通ることで音を発生させ、共鳴器でそれを増幅させる巨大楽器です。ちなみに、クロアチア語で"GRAD ZADAR"は「大都市(あるいは古都)ザダル」、"MORSKE ORGULJE"は「海のオルガン」を意味し、その間の2005は制作された年号を示しています。後で知ったことですが、この海岸の寂(さび)しげな景観を改善する苦肉の策として、この「シーオルガン」が設置されたのだそうです。その狙い通りに今ではザダルの人気スポットの一つになっているようです。
 
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今回の記事で紹介した場所の他にザダルには聖母マリア教会、聖クルシェヴァン教会、聖ストシャ大聖堂、聖ミカエル教会、考古学博物館などの興味深いスポットもあるようですが、次の目的地に出発する時間が近づきました。(続く)

2013年12月 6日 (金)

珠玉のクロアチア旅行(その3) オパティアからザダルへのドライブ

朝食を済ますとすぐに出発することになりました。この日は約300kmのバス旅がまっているからです。厚い雲が空一面を覆っているため晩秋の寂しい雰囲気が立ち込めていることは残念。それにめげることなく車窓から見たダルマチアの風景を写真で紹介しましょう。オパティアの市街地を出るとオパティアを見下ろすことができる高台に差し掛かりました。さきほど散策したオパティア湾かと思いましたが、オパティアの北部にある別の港のようです。
 
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国道8号から高速道路A7に入りました。海岸近くには地中海風の民家が立ち並んでいるのに見とれているうちにクロアチア第3の都市、リエカ(Rijeka)への出口を通過しました。
 
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工業が盛んなリエカにはコンクリート製のビルが目立ちます。ちなみに、リエカ(Rijeka)は川を意味するようです。後で気がつきましたが、窓ガラスに雨粒(あまつぶ)が付いていました。
 
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高速道路A7は山間(やまあい)に入って行くようです。
 
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眼下に湖のようなものが見えます。地図で確認するとバカールBakar)付近の入江でした。
 
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高速道路A7が途切れたため、国道8号に出て再び海岸線へ戻りました。
 
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海岸沿いの町並み
 
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クルーザーとヨットが停泊するマリーナ
 
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通行はできますが改良工事中のバイパス道路の下には旧道と思われる道が蛇行しています。
 
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片側一車線のきれいな道路が続きます。ルームミラーから下がっているのはキリスト教国の運転手さんらしく十字架のネックレスです。ちなみに、我が家の車には某神社でいただいた八方除(はっぽうよけ)が下がっています。
 
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沖合には横に細長く伸びる島が見えます。クロアチア特有のダルマチア式海岸は起伏の激しい山間部が沈降して形成されるリアス式海岸の一種ですが、日本の三陸地方のリアス式海岸が元の海岸線に対して垂直な山地によって形成されるのに対して、ダルマチア式海岸は、元の海岸線に対して平行に連なっていた山地が沈降することによって形成されたと考えられるそうです。したがって、ダルマチア式海岸は海岸線に平行な細長い島が形成されることに特色があるとのこと。空が少し明るくなってきたようです。
 
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ここで高速道路A1に入ります。ENCは日本のETCと同じような仕組みでした。このインターチェンジからはザグレブ方面とスプリット方面に行けますが、乗車するバスはもちろん南方向(スプリット方面)へ進みます。
 
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海岸を離れて内陸部に入った高速道路A1から見た山間の景色
 
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まるで南ドイツの田園地帯のようです。
 
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クロアチアの高速道路にあるサービスエリアは判で押したようにガソリンスタンド(写真)の他にコンビニとカフェテリアがセットになっていますが、日本のようにサービスエリアの店舗に多様性を持たせてはいません。ちなみに、OMVはオーストリアの国営石油会社です。
 
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カルスト(石灰岩の)台地のようです。石灰岩が筍(たけのこ)のように覗(のぞ)く荒涼とした風景は山口県の秋吉台(あきよしだい)とよく似ています。
 
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ダルマチア海岸と内陸部を隔てるヴェレビト山脈の南部にある海抜1,044mのアラン山(Mali Alan)を貫通しているスヴェティロク・トンネル(Tunel Sveti Rok、長さ5,679m)を抜けると前方にアドリア海(ダルマチア海岸)が見えてきました。
 
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石灰岩の大地が切り取られたように海中へと続いて、白い石灰岩と紺碧の海のコントラストが美しい入江を造形しています。
 
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そしてアドリア海を見下ろす高台に点在する民家のオレンジ色の甍(いらか)と白い壁が陽光を浴びて美しく輝いているようです。
 
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高速道路A1を出て国道8号を15kmほど走ると小さな港町、ザダル(Zadar)に到着しました。ここは北西から南西方向へ約400kmに渡って連(つら)なるダルマチア海岸のやや北西寄りに位置します。
 
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(続く) 
 

2013年12月 5日 (木)

珠玉のクロアチア旅行(その2) オパティアの朝

翌朝は時差にもかかわらずいつもの通り午前6時前に起床してしまいました。そこで、朝食までの時間を利用して旅先での恒例としている早朝散歩に出かけることに。クロアチアでは10月末まで夏時間を採用しているため、夜が明け始めていました。昨夜、チェックインした時には照明が暗くて様子がよく分からなかった宿泊先ホテル“Hotel Agava”(ホテル・アガヴァ)のエントランスもはっきり確認できます。
 
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歩道に出るとホテルが厚い雲越しの明け方の弱い光に照らし出されていました。客室数が約80と思ったより小さなホテルでしたが、地中海風で重厚感にある外観は十分魅力的です。
 
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道路の反対側にもプチホテルが並んでいます。オーベルジュ(宿泊設備を備えたレストラン)のようです。
 
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このエリアはホテルやレストランなどが立ち並んでいて、クロアチアの代表的な保養地らしい佇(たたず)まいです。観光案内によれば、イストラ半島の付け根、クヴァネル湾沿いに広がるオパティアは「クロアチアの貴婦人」とも称される高級リゾートとのこと。
 
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ホテル脇の階段を下りてみることにしました。右手の木立はアドリア海に面したアンジョリーナ公園です。
 
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ホテルの裏手に出ました。こちら側がオーシャン(あるいはシー)ビューの部屋です。
 
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右手のホテルも同じ系列のホテルのようで、プールなどの施設を共通して利用できるようです。
 
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オパティア湾に出ました。アドリア海(地中海)のリゾート地らしく、ヨットやクルーザーが多数停泊していました。
 
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アドレア海に突き出した小さな半島側から見たオパティア湾です。後方にホテル群が立ち並んでいるのが見えます。
 
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その半島にあるカフェバーGalija(ガリヤ)です。ガリヤと言えば私はシーザー(カエサル)のガリア戦記を連想しますが、古代におけるガリアは現在のフランスとその周辺地域を指すはずです。気になって調べてみました。シーザーが遠征したガリアは”Gallia”であり、このGalijaはセルヴィアとユーゴスラビアの有名なロックバンドの名前でした。80年代から90年代にかけて活躍したようです。実は、クロアチアではレストランやホテルの名前としても”Galija"がよく使われるようです。ちなみに、クロアチア語の"Galija"を英語にすると"Galley"(ガレー船)となります。つまり、古代ギリシャやローマでオールを主とし帆を従とした軍船のことで、私が大好きなスペクタル映画「ベン・ハー」では主人公が奴隷としてガレー船のオールを漕ぐシーンがありました。
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こちらの店にはヘミングウェイ・バーの看板が掛かっています。フロリダ半島南端の島にあるキーウェストでアーネスト・ヘミングウェイが晩年を過ごした住宅を家族旅行で訪れたことがありますが、クロアチアでなぜへミングウェイなのかが疑問でした。海をこよなく愛したヘミングウェイの名をアドリア海に面したオパティアのバーに使ったのかと考えましたが・・。そして思い出しました。ヘミングウェイの代表作「武器よさらば」の舞台(カポレットの戦いの地)はイタリア国境に近いコバリードでした。ヘミングウェイ自身も従軍記者としてこの戦線に参加しています。
 
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第一次世界大戦中に連合国側のイタリア軍と同盟国側のオーストリア・ハンガリー帝国(スロべニアとクロアチアなどはその領土)軍がスロヴェニアとクロアチアの領有権を奪い合った局地戦にイタリア軍兵士として参加したアメリカ人を描いた小説で、1957年には映画化されています。写真はその映画でヒロインのキャサリーンを演じた女優ジェニファー・ジョーンズになりきった(私が合成した)同行者です。
 
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桟橋(さんばし)からオパティア湾に面したホテル街を望むと、5つ星のアンバサドールホテルが一際大きく見えました。
 
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アンジョリーナ公園の案内看板(現在地は右下の角)には1844年に豪商が別荘として建設したヴィラ・アンジョリーナがほぼ中央に示されています。現在は博物館として内部が公開されているようです。
 
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表通りに戻って左手方向(アンジョリーナ公園寄り)に少し歩くと一際目立つ外観をしたブリストルホテル・オパティアがありました。客室が約80あるこのホテルは名前からみてイギリス系のホテルかもしれません。
 
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朝食がサーブされる時間が近づいているのでホテルへ戻ることにしました。エントランスの上に飾られた3本の旗のうち、中央にあるものがクロアチアの国旗です。汎スラヴ色の赤、白、青の横縞3色に分かれており、中央に位置するのは国章だそうです。赤と白のチェック柄(市松模様)はサッカーのクロアチア代表が着ているホームカラーのユニフォームと同じです。また、その上に並ぶ5つの紋章は左から、中央クロアチア(イタリアと接する地域)、ドゥブロヴニク(東端の飛び地)、ダルマチア(アドリア海沿岸地域)、イストラ(西端の半島地域)、スラヴォニア(北東地域)の5地域を表していることを知りました。
 
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(続く)

2013年12月 4日 (水)

珠玉のクロアチア旅行(その1) 旅立ち

10月下旬の早朝、押上駅で京成押上線アクセ特急に乗車しました。京成上野駅と成田空港駅を結ぶ同じ京成電鉄の成田エクスプレス(所要時間約45分、全席指定2400円)のように速くはありませんが、押上駅から約1時間で成田空港に到着できます。しかも特急料金は不要(運賃1130円だけ)なのです。ちなみに、JRの成田エクスプレスは東京駅‐成田空港駅間は所要時間が約1時間で、指定席特急券を含めた運賃が2940円とやや割高で、リムジンバスはTCAT(箱崎)-成田空港間が60-90分、料金は2900円です。料金を重視する方は東京駅発成田空港直行バスサービス(京成バスなどが提供)を利用すれば他の半額以下(900‐1000円)と格安です。このように多彩な移動手段がありますから、乗車する場所と時間帯によって最適な方法を選ぶと良いでしょう。
 

終点の成田空港駅で下車、直結した空港ビルの地下1階のセキュリティチェックエリアを抜けて、エスカレーターを利用して4階まで上がれば第一ターミナル(北ウイング)の出発ロビー(国際線チェックインカウンター)に迷わず到着できました。2006年に西欧(ドイツ・スイス・フランス)を訪れて以来、7年ぶりの海外旅行なのです。
 
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今回利用するアリタリア航空のカウンターでチェックインした後は、保安検査場で手荷物のセキュリテーチェックを受け、階下(3階)に下りて税関(必要に応じて)とイミグレーション(出国検査場)を無事に通過して搭乗口へと移動しました。搭乗口では搭乗券とともに本人確認のためにパスポートを提示する必要がありました。
 
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参考情報ですが、事前にパスポートの顔写真と指紋を登録しておけば、パスポートと指紋の照合により、自動的に出入国審査を行うことができる自動化ゲートも利用できます。成田空港のイミグレーションは長い待ち行列が出来ていることが多いので、自動化ゲートを利用すればイライラしながら待つことが無くなるかも知れません。ただし、便利とはいえ高速道路のETCゲートのように多くの人が殺到すれば逆に自動化ゲートの方が混雑することも考えられます。
 
今回搭乗する飛行機(B777-200ER)は航空会社と世界第2位の航空機メーカーであるボーイング社が共同開発した最新鋭ハイテク双発機、B777シリーズの一つで、快適性とともに低燃費と低騒音が実現されているそうです。数字の200は機体の大きさを、そして末尾のERExtended Range)は燃料タンク容量の増加とエンジン推力の増強により航続距離を延長させたものであることを表しています。日本航空(GE製エンジン)と全日空(プラット・アンド・ホイットニー製エンジン)の両社も主力機材としてB777シリーズを保有しているようです。
 
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アリタリア航空はどうかと思い確認するとGE製エンジンを採用していました。
 
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機材の仕様は、長さ63.7m、翼幅60.9m、高さ18.5m、座席数293です。
 
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巡航速度910km/hでの航続距離は12、600kmありますから、目的地のローマまで余裕を持ってノンストップで飛行することができます。私と同行者が搭乗したAZ783便はほぼ定刻の午前10時20分にゲートを離れて滑走路へと向かいました。これからシベリアの上空を通過する12時間50分のフライトが待っています。
 
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水平飛行に移ったところで窓の外を撮影しました。冷気でできた氷片のため前ピン写真になってしまいました。昼食がサービスされたあとは機内映画を観て過ごしました。これまで観たことがある「天使と悪魔」と「アイアンマン3」に加えて、今回はじめての「オブリビオン」と日本映画の「プラチナデータ」で退屈を紛らわせました。映画の合間には客室内のディスプレイの表示も時々確認することでおおよその飛行状況が理解できました。シベリア上空では高度約11、600mをやや遅い巡航速度約770km/hで飛行し、モスクワ以降は約870km/hに速度が回復し、オーストリアに入る前には再び約780km/hまで速度が低下しました。これは向い風がそれぞれの区間で約100km/h、約30km/h、約100km/hと大きく変化したためでしょう。外気温も向かい風と同様に、-60度、-47度、-60度と微妙に上下しました。
 
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ローマの約200km手前から順次高度低下させながら(約100km手前で5000mを下回る)無事にレオナルド・ダ・ビンチ国際空港(別名:フィウミチーノ空港)へ午後3時20分(現地時間)頃に到着しました。成田空港からの所要時間はちょうど13時間です。(写真は国内線ロビーの写真パネル)
 
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私のiPhone5vodafone IT(イタリア)の携帯回線にローミング(提携事業者との接続)していることを表示しています。国内便への乗り継ぎ時間は3時間半もありますから、国内線ロビーで軽く食事をしたり、ショッッピングしたりしながらのんびり過ごしました。
 
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日もとっぷり暮れた午後6時40分頃、駐機場へ移動するバスが横付けしたアリタリア航空の機材はブラジルの航空機製造会社エンブラエル社の小型ジェット旅客機(E-JetEMBRAER E175でした。ちなみに、同機の仕様は、長さ31.7m、翼幅26m、高さ9.73m、そして巡航速度は850km/hです。あまり知られていませんが、同社はカナダのボンバルディア社に次いで世界第4位の航空機メーカーであり、ボンバルディア社製のように事故を多発していませんから安心して乗れそうです。
 
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小さな機体の割に座席数が88と多いため、客室(キャビン)はやはり手狭で圧迫感があります。
 
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AZ1361便は約1時間15分後の午後8時(現地時間)過ぎにイタリア北東端にあるトリエステに到着しました。ターミナルビルの外に出ると人の姿はなく閑散としています。この日は都合14時間以上も飛行機に乗ったことで眠さと疲労感が出てきましたが、宿泊地はまだ国境の向こう側なのです。
 
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スに乗り換えて出発すると国境を2つも通過しました。イタリアとスロヴェニアの国境、そしてスロヴェ二アとクロアチアの国境です。前者はEU加盟国間の国境ですからパスポートのチェックはありませんが、後者は両国の係官がバスに乗り込んできて出入国のスタンプを2つ連続して押してくれました。クロアチアも今年7月にEUに加盟しましたが、通関手続きはまだ従来のままなのです。ちなみに、いずれの国境ゲートも撮影が禁止されています。
 
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宿泊地のオパティアに到着したのは1時間半後の午後10時20分頃でした。自宅を出てからすでに25時間以上が経過しています。
 
039   
 
ホテルの自室で荷物を解いた後は、とにもかくにも寝ることにしました。
   
040   
 
(続く)

2013年12月 1日 (日)

百田尚樹著「夢を売る男」を読む

「夢を売る男」のタイトルとともに堆(うずたか)く積まれた本の山と夢を食べるとされるバクのような動物のイラストが描かれた表紙が印象的です。しばし想像を巡らせてみましたが、表紙から内容を想像できないことが百田尚樹氏の著作らしいのです。この本を手に取っただけで私の期待が膨らみました。

その表紙を捲(めく)った見返しには、『敏腕編集者・牛河原勘治(うしがわらかんじ)の働く丸栄社には、本の出版を夢見る人間が集まってくる。自らの輝かしい人生の記録を残したい団塊世代の男、スティーブ・ジョブズのような大物になりたいフリーター、ベストセラー作家になってママ友たちを見返してやりたい主婦…。牛河原が彼らに持ちかけるジョイント・プレス方式とは―。現代人のふくれあがった自意識といびつな欲望を鋭く切り取った問題作』と書かれていますから、出版社を舞台にした話のようです。

                            ☆

1.   太宰の再来

知名度の低い出版社・丸栄社(まるえいしゃ)の編集部長である牛河原のところに塾講師をしながら作家を目指す青年・大森康二(こうじ)が訪ねてきた。29歳で独身だ。前回受け取った彼の原稿「墜落」を読んで「太宰(だざい)の再来」だと高く評価した大河原は大森と出版契約を結ぶ。次いで1か月前に絵本の出版契約を結んだ寺島公子(きみこ)があいさつのために来訪した。今回は不動産会社を経営する夫が同行している。前回作があまり売れなかったが今回の絵本はきっと売れるだろうとの言葉で大河原は寺島夫妻を送り出す。

息を継ぐ間もなくも今度は田中保(たもつ)が約束の時間より30分も早くやってきた。実際に会うのは初めてだ。40歳の独身男性といったところだろう。写真と詩を組み合わせたポストカードブックの作者だ。大河原は出版にあたってある条件を出す。丸栄社文芸新人賞に応募してきた鈴木正巳(まさみ)に電話をかけた大河原は大賞には選ばれなかったが世に出したいと前置きしたうえで、ジョイント・プレスの話を持ち出した。出版社と作者(著者)が出版費用を負担し合う仕組みのことである。

「太宰の再来」との話に興味を持った途中入社の編集部員・荒木計介と近くの鰻屋(うなぎや)の個室で向い合った大河原は半年前に入社した新人の荒木にジョイント・プレスでぼろ儲けできる内情を楽しげに語る。『カモの気持ちなんか理解していなくてもいい。大事なことはカモを逃がさないことだ』と言った牛河原は爪楊枝(つまようじ)で歯をほじりながら伝票を掴(つか)んで立ち上がった。

2.   チャンスを掴む男

温井雄太郎(ぬくいゆうたろう)はむしゃくしゃしていた。『将来、スティーブ・ジョブズのような男になる』と言ったことをアルバイト先の主任に馬鹿にされたことがずっと頭から消えないからだ。口喧嘩(くちげんか)の末にクビになったことをワンルームマンションの隣の部屋に住む友人の高橋俊雄に語る。ビールを飲みながら同じくフリーターである高橋とその彼女である斉藤麻美に強がりをいっているうちに雄太郎のむしゃくしゃした気分はどこかへ消えていた。

『ジョブズになるための努力をしているの』と訊(き)く麻美に雄太郎は、『努力って何だい。努力こそが人から自由を奪うんだ。人は努力すると、その報酬を求めるようになるんだ。俺は努力で百パーセント成功するとわかった時にする』と奇妙な持説を滔々(とうとう)と語る。

雄太郎がスターバックスでカフェラテを飲みながら求人雑誌を眺めていた時、携帯電話に見知らぬ番号から電話がかかってきた。丸栄社の牛河原と名乗った男は出版説明会の時に配られたアンケート用紙に雄太郎が書いた感想の意味を知りたいというのである。高橋に誘われて出掛けた先で、「今の小説はクソだ」みたいなことを書いたことを雄太郎は思い出した。『小説はもうとっくに死んだ文化だ』と言う雄太郎に向って、『素晴らしい!』と牛河原が大声で言うのが電話から聞こえた。

牛河原は雄太郎をベタ褒めにした上で唐突に小説を書いてみないかと持ちかけた。牛河原に押し切られるように小説を書くという約束をしてしまう。ワンルームマンションに戻った雄太郎は早速短編集を書き始めた。十編からなる短編集を10日ほどで仕上げてメールで送った翌日に牛河原から電話がかかってきた。『君、すごいよ』と牛河原は興奮気味に言った。雄太郎の空想(妄想)が膨れ上がって行く。

池袋にある丸栄社のビルは想像していたよりもずっと大きかったことで一流出版社に違いないと雄太郎は思った。牛河原の褒め言葉(才能・天才など)に雄太郎は体が蕩(とろ)けそうな気がした。ジョイント・プレスの提案にハイリスク・ハイリターンのギャンブルだということに雄太郎は気付いたが、牛河原の言い方に良心を感じた。友人たちを居酒屋に集めて雄太郎は意見を聞くと、賛否両論となる。『チャンスに挑んで失敗しても失うとしても金だけだが、諦(あきら)めたら莫大な後悔が残る』よいう雄太郎の言葉に皆は感心したように頷(うなず)いた。

荒木といつもの居酒屋で向い合う牛河原がいる。『小説なんか書いたことのないフリーターに本を出させるんですから、もうびっくりですよ』と言う荒木に向かって牛河原は、『あの手の根拠のない自信を持っている若者をその気にさせるのは簡単なもんだ』と答える。契約後に融通の利かないフリーの編集者を雄太郎の担当として付けた狙いを明かしたうえで、『繰り返すが、俺たちの仕事は客に夢を売る仕事だ』と牛河原は言った。

3.   賢いママ

ベストセラー作家になって幼稚園のママ友たちを見返してやりたい主婦・大垣萌子(おおがきもえこ)の物語である。ファッションの話、テレビ番組の話、週刊誌のゴシップ記事の話、韓流スターの話などママ友たちの下世話な話題にうんざりした萌子はレベルの高い話をしようと提案して、自分の教育論を語ったが、誰も興味を示さない。わが子への英才教育を称賛しないのは自分の子の出来の悪さを意識するからだと思う。

「賢いママ、おバカなママ」のタイトルで持論をまとめた萌子は都内の難関私立小学校合格と同時に出版するのを目標としている。全国紙の広告で見かけた丸栄社教育賞に応募する。原稿を送ってから三ヵ月ほど経った頃に丸栄社から電話があった。牛河原と名乗る編集者は萌子の作品が最終選考にの七編に残ったこと、2週間後に最終選考会を行うこと、萌子の作品が最有力候補であることを告げた。

2週間を3日過ぎて牛河原から萌子の作品が僅差で大賞を逃したとの電話連絡が入る。その結果に牛河原も落胆したとの言葉に続く褒め言葉に喜びを感じた。選考をやり直すことは出来ないかと縋(すが)る萌子に牛河原は編集部で特例として出版しようという話が持ち上がったがあと一歩というところでダメになったことを明かす。萌子の執拗な質問に躊躇しながら牛河原は販売部の予算で出せる金額と200万円余りの差があると告げた。

横でその通話を聞いていた荒木は呆(あき)れたように、『すごいですね。お金を出させて、逆に感謝されるとは』と言う。それに答えて牛河原は、『前にも言ったが、この商売で一番大事なのは、客を喜ばすことだ。人は精神的な満足と喜びさえ味わえれば、金なんかいくらでも出す。大垣萌子はどす黒い怨念を溜め込んで生きている。その怨念はどこかで放出してやらないと心が腐ってしまうんだ。だから、この商売は一種のカウンセリングの役目も果たしてるんだよ』と言いながら美味しそうにタバコを吸った。

                            ☆

私が百田氏の9作品目として呼んだ本書には上記の他に7編(計10編)の短編が収録されていました。他の話の約2倍の長さがある第2話と極端に短い第10話を除くと、いずれも30ページ前後と読み易い長さです。出版を通じて自己表現したいと熱望する登場人物たちのキャラクターに応じて、タイトル通りに牛河原部長が見事に夢(満足と幸福感)を与えました。お金で夢(精神的な充足感)が得られるとする主人公の牛河原部長の考えに反発する読者がいることを著者は十分承知した上でのことだと思います。

一番印象に残ったのは最後の「カモ」です。わずか13ページで牛河原部長の矜持(きょうじ)を描いたことと、最後の落ちには百田尚樹氏ならではの心憎い演出がありました。著者が言いたいことは牛河原部長の口を借りて各編に挿入されていますが、その核心は最終ページを読み終わるまで分からないのです。この仕掛け(演出)はちょっと意地悪とも言えますが、それが百田作品の魅力なのです。

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