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2014年2月14日 (金)

百田尚樹著「海賊と呼ばれた男」(下巻)を読むⅡ

外油を含む13社の包囲網はじわじわと国岡商店を追い詰めて、石油配給率も徐々に落ち始め、7%を切るまでになった。加えて、日本の経済はデフレの嵐が吹き荒れ、不況に見舞われていたとき、大事件が勃発(ぼっぱつ)した。朝鮮戦争が始まったのだ。この朝鮮戦争が日本経済を蘇(よみがえ)らせた。アメリカ軍が日本の業者からさまざまな物資を直接、購入する特需によって立ち直る。

鐵造にも朗報が舞い込んだ。鐵造の主張を支持した資源庁と運輸省海運局が経済安定本部長官にあてて、タンカーを追加する旨の要望書を出してくれたのだ。鐵造は御用納めの日に経済安定本部の金融局に財政金融局長を訪ねた。2時間待たされた末、国岡商店がタンカーを持つ意義を鐵造がわずか5分間説明しただけで会談は終わった。翌月運輸省内で開かれた聴聞会は紛糾(ふんきゅう)したが、運輸大臣が国岡商店に決めること決断した。金融局長から大臣への働きかけがあったのだ。

昭和26年3月に相生(あいおい)市の播磨(はりま)造船所で起工式が行われた。1万8774トンという日本最大、世界でも有数の巨大タンカーである。そして、4月に製油所のジョイント・ユース制廃止がついに決定した。ここで国岡商店の危機を救ったのは泥沼化した朝鮮戦争である。深刻な重油不足が生じたためGHQが民間貿易による重油の輸入を許可し、輸入用の外貨を元売り会社に割り当てるように政府に指示したことで、国岡商店も割当を受けることが決まったのだ。

しかし、海外の石油取引の実情に関しての情報を与えられていなかった日本の石油会社が2カ月足らずで100万ドルを超える取引をするのは至難であった。鐵造は石油顧問団が仕組んだ策略であることを承知でアメリカから高額な重油を購入することを決断する。建造中のタンカーはまだ進水式を終えておらず、高額の外国船のタンカーを雇(やと)って重油を運んだ。

昭和26年9月にサンフランシスコ講和条約が調印されて正式に日本の戦争が終結した。日本の完全なる主権が承認され、独立がようやく実現したのだ。同じ月、建造中のタンカーの進水式がおこなわれ、3ヶ月後の年末には戦争で失ったタンカーと同じ日章丸と名付けられた巨大タンカーが完成し、アメリカから日本へ大量の重油と軽油を運び始めた。国岡商店が申請したガソリンの輸入もサンフランシスコ講和条約が発効した4月以降は認められて、安価で良質なガソリンも日章丸が運ぶことになった。

メジャー(外油)の圧力によりアメリカでの購入が困難になり始めた頃、イランから石油を買い付ける商談がアメリカのコンサルタント会社から国岡商店に持ちかけられた。イギリスの国営企業がイランに持つ石油会社をイラン政府が国有化したことで、イギリスがイランの経済封鎖を行っているため、ビジネスの好機であるという。慎重な鐵造はその話を断る。

しかし、国際司法裁判所がイランに有利な判断を示したことで事態は進展する。アメリカ政府もイランの石油国有化を認める方針であるとの情報を得た鐵造は決断した。昭和27年8月、国岡商店とコンサルタント会社との間に契約が結ばれた。9月にはイランのテヘランで契約交渉が始まったが、イギリスの横暴で疑心暗鬼になっていた首相をはじめ、イラン政府側との交渉は難航する。

3カ月にわたった粘り強い交渉で国岡商店は合意にこぎつけた。しかし、タンカーを借りる契約をしていた飯野海運からそのチャーターを断ってきた。何らかの圧力があったのだ。鐵造は日章丸をイランへ派遣することを決断する。日章丸の乗組員の安全、戦争船舶保険の契約、石油代金(ドル)の確保など、様々な困難を克服(こくふく)した鐵造は3月23日午前9時過ぎに神戸港で日章丸を見送った。

4月5日正午、日章丸がセイロン(現在のスリランカ)のコロンボ沖にさしかかったとき、国岡本社から無電が入り、イランのアバダンへ行くように指示があり、ただちに日章丸の全乗組員にその旨が伝えられた。日章丸はインドの鼻先を抜けると、アラビア海に向けて北上した。9日の昼過ぎ、日章丸はチグリス川とユーフラテス川が合流したシャット・アル・アラブ河の河口に着く。アバダンはこの河口から45海里(約83km)遡(さかのぼ)ったとことにある。

川底を深く掘った長さ4海里(約7km)のチャネル(人工の水路)を水先案内人の誘導に従って無事通過した日章丸はアバダン港に到着、19番ジェティ(桟橋、さんばし)に横付けした。日章丸の乗組員はイラン国営石油会社と一般市民から熱烈な歓迎を受ける。4月10日、午後零時50分だった。鐵造は外務省に赴(おもむ)いてその旨を報告したあと、国岡館で記者会見を開いた。

4月15日、午前6時すぎ、日章丸はチャネルの水深30フィートに合わせてガソリンと軽油を積み込んでアバダン港を出港した。チャネルを慎重に通過する日章丸は座礁(ざしょう)しそうになるが新田船長の決断で事なきを得て、午後3時、河口に到着、河口を出ればペルシャ湾である。イギリス軍を警戒しながら航行する日章丸は往路に通過したマラッカ海峡ではなく、2日以上は余分に時間がかかるスマトラ島とジャワ島の間にあるスンダ海峡へと迂回(うかい)した。イギリス軍の裏をかくためだ。

海峡を抜けたジャワ海は全体に水深が浅いだけでなく、暗礁(あんしょう)や珊瑚礁(さんごしょう)がいたるところにあって、座礁あるいは沈没さえありうるのだ。29日の朝、日章丸はスマトラ島とボルネオ島の間のガスパル海峡を抜け、ついに30日、南シナ海に出た。そして、イラン石油の所有権を主張するイギリスの石油会社アングロ・イラニアンが申請した日章丸の石油仮処分の口頭弁論が東京地裁で始まった。

2週間後の5月14日、日章丸は再びイランを目指して神戸港を出港した。そして東京地裁は仮処分申請を却下する判決を言い渡した。正式な国交さえなかった2つの国を石油という太いパイプで結び、半世紀以上にわたって世界を支配してきた国際石油カルテルの一角を見事に突き崩したのは日章丸という一艘(いっそう)のタンカーだった。しかし、世界を震撼(しんかん)させる事件がテヘランで起こった。(続く)

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